聖典」カテゴリーアーカイブ

愛だけがある

新緑が美しい季節となりました。あまり外出もままならない今日この頃ですが、街の所々に可愛らしい花や虫たちが顔を覗かせ、目を楽しませてくれています。

ここは京都御所

さて、前回ゴーパーラさんのブログ記事を読んで、私も久しぶりに『In The Cave With The Master』DVDを観てみましたところ、そこには求道者にアーサナを伝授するめちゃくちゃ格好いいヨギさんが映っていて、目が釘付けになりました!

気品のあるお声、柔和なお顔、凜とした眼差し、そして難易度の高いアーサナを何の躊躇もなく軽々と、文字通り肉体を道具のように簡単に扱われるお姿。弟子を気遣われ、慈愛深く接するお姿。もう、何もかもがすごい。完璧。愛に溢れて愛の中で自分も洗って頂き、見終わった後はくらくら〜となりました。DVDを何年も観なかったことを悔やみつつ、改めてヨギさんの深遠さを感じました(観たことがない方は絶対観ることをお勧めします!)。

2006年に大阪でサットサンガが行われ、その時初めてヨギさんにお会いする機会を頂いたのですが、それがちょうどDVD映像の紹介が行われた時でした。DVDについてコメントを求められたアーナンダマーリーさんが、やっとの思いを絞り出すように『まったくエゴがない作品です』と言われ、その限りなく純粋な佇まいに魅了されました。ヨーガって美しい!まったくエゴのないその美しさこそ真に私が求めていたものだ!と、道が開けた気がしました。

ヨギさんがこの世で理想の生き方を私たちに示してくださり、生きる希望を常に与え続けてくださっていることに、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。神様がいてくださって本当によかった。

最後に、最近読んで心に残ったヴィヴェーカーナンダの言葉をご紹介します。

私たちの神への愛がこの世にどんな善をなすだろう、などという愚かな質問はけっしてしてはならない。世界のことは放っておきなさい。愛するのだ。疑問をはさまず、愛して、それ以上何も求めないことである。愛しなさい。そしてすべての「……主義」を忘れるのだ。愛の杯を飲んで、酔いしれなさい。「私はおん身のもの、おお永遠におん身のもの、おお主よ」と言って、他のすべてを忘れて没入するのだ。まさに神のエッセンスは愛である。親ネコが子ネコをかわいがっているのを見たら、立ちどまり、そして祈るのだ。神がそこに顕現しておられることを、文字通り信じるのだ。「私は『あなたのもの』でございます、私は『あなたのもの』でございます」そう繰り返しなさい。神はあらゆる所に見ることができる。「彼」を捜し求めるのではない。ただ「彼」を見なさい。「世界の光であり、宇宙の魂である主が、永遠に、あなたを守って下さいますように!(スワミヴィヴェーカーナンダ『インスパイアードトークス』より)

神がいてくださって、そして神を想う肉体がある。与えられた命に感謝して、味わいたいです。

                                 アマラー


ヨーガ・アーサナのポイント

最近、私はサマコーナ・アーサナ(両開脚の形)をしても、お尻が地面に付かなくなりました。
プラーナーヤーマ(呼吸法)を取り入れ、アーサナの時間を減らしてサマコーナをしなくなったら、すぐにできなくなってしまいました。。😓
まぁなぜ、こんな話をするかというと、アーサナのことをちょっと話したいからです。

鴨川でデモンストレーションしていた時の懐かしい写真です〜!(2015年6月)

アーサナを10年くらい続けていると、できるポーズも増えてきます。
「ゴーパーラさんは、痛いと感じるポーズはないのですか? 最初からアーサナできたのですか?」と聞かれることがありますが、「いや、そんなことはない」と答えます。
もともと体は硬く、身体測定で前屈をしても、「マイナス17センチ」とかの記録でした。
なので、アーサナを始めてから最初の数年間は、重い身体を引きずるように行なっていました。
徐々に身体と呼吸がアーサナに慣れ始め、アーサナをすることに気負いや抵抗のようなものはなくなっていきましたが、ルーティンワークのようになってしまう時もありました。
ただそんな中、アーサナへの向上心を持ち続けるターニングポイントのようなものが、二度あったように思います。

一度目は2015年11月の『The Eternal Questー永遠の探求ー』に出演させていただいたことです。
形には慣れ、アドバンス(高度)のものも少し行なっていた時期でしたが、このイベントでアーサナと向き合ったことで、ポーズを完成させるためには、いくつかの「ポイント」があるということを実感しました。
例えばサマコーナ・アーサナ(両開脚の形)であれば、まず手にしっかりと体重をあずけ、腰を入れてお尻の位置を変えずに重心を上体の方に移行し、その重みで足を開いて踵を立てる。
心というのは厄介なもので、どうしてもお尻が地面に付くこと、つまり結果を求めてしまいます。
形や結果に執らわれずに、呼吸を調え、ポイントをしっかりと意識して丁寧にアーサナを行なう。
これは先輩がクラスで指導されていた内容でありましたが、最終ポイントに至るにはいくつかのポイントがあることを身をもって感じたのでした。

二度目は、2016年末から2年ほど行なっていただいた「師の直伝クラス」でした。
直伝クラスでの師は、細かいことはおっしゃらず、いろんなアドバンスに挑戦するように促されました。
そうすると、できないと思っていたアドバンスがスッとできるようになったり、できないものも少しでもできるようにがんばれたのでした。
シャラバ・アーサナ(バッタの形)のアドバンスができないでいる時に師は、「なかなかできひんな。でも、そのうちできるようになるやろ!」とおっしゃられることもあり、その二年間の直伝クラスは、師のお言葉や視線、クラス中の一挙手一投足が私を奮い立たせたのでした。

ヨーガの一部門のアーサナだけ見ても、師の導きは至極、積極的であります。
できていても、できなくても、前に進めてくれるダイナミックな歩みだとすごく感じます。
最近、久しぶりに私は『In The Cave With The Master』のDVDを観ました。
師はアーサナ自体が15年振り、また30年振りにしたというアドバンスのアーサナを軽々とこなしておりました。
これは本当に「驚愕」の映像です。(まだ見ていない人は見るべし!)
私は1カ月も経たないうちにサマコーナができなくなっていたので「この差はいったい何だろうか……」と思わずにはいられませんでしたが、最近読み返した『図解 ヨーガ・アーサナ 基本編』の冒頭には、

「ヨーガとは、本当の自分を実現することです」

と書かれてありました。

「過去や形には執らわれたら、ダメだな」と前向きに捉え、今はヨーガの最大の的(ポイント)「本当の自分」に一点集中を試みている最中です。

『In The Cave With The Master』『図解 ヨーガ・アーサナ 基本編』をまだお持ちでない方は、クラス休講中の折、ぜひこの機会にご覧になってください!(👈こちらをクリック)

ゴーパーラ   


心動かされる真実の言葉〜パラマハンサより

マハーヨーギー・ミッションの機関紙『パラマハンサ』。その冊子を初めて手にしたのは、一受講生としてアーサナ・瞑想クラスに通ってまだ間もない頃でした。聞きなれない真理の言葉やインドのサンスクリット語、未知なるヨーガの世界に一瞬戸惑い、頭の中ははてなマークでいっぱいでしたが、とにかく何回も繰り返し読みました。 

そしてその中で、師の「ヨーガは普遍的である。普遍ということは無差別に、あらゆる人にとって共有できる内容を持っているということです。——その教え、方法について。当然、その真実は同じ、一つです」という言葉に目が止まりました。その時、自分にも道が開かれているのを感じ、これからもっとヨーガを学んでいこう!という気持ちが起こったことを覚えています。

『パラマハンサ』を頼りにしながら、私は心を見つめる作業を続けていきました。実践してきた人の経験談には説得力があり、それぞれの人の人生を変えたヨーガとの出会い、師と弟子の物語はとてもドラマティックに感じられました。また苦悩や葛藤を乗り越えながら道を突き進む姿に共感し、とても励まされました。そして何より、さまざまな人が投げかけるあらゆる疑問に対して、優しく、力強く、シンプルに語られる師の言葉に何度も心を動かされ、確かな真実を感じてきました。

久しぶりに紙面を開いてみると、かつて大きな衝動を与えられた師の言葉が、再びみずみずしくハートに流れ込んできました!

この道のりが遠いように思ってはいけません。なぜならその真実がどこに在るかと言えば、自分の中に在るのですから。それがなければ皆さんはこうして肉体も持っていらっしゃらないし、この仮の存在すらもなかったのです。こうして在ること自体が、すべてにその「真実」が、「存在」が在るという証拠なんですよ。だから素直に、単純に、ひたすらそこに瞑想を深めていく、進めていくことで、その真実が体験されます。そうしてそれに目覚めます。
——シュリー・マハーヨーギー

パラマハンサ中面

何度も読んだ『パラマハンサ』31号(2002年発行)

 『パラマハンサ』はまさにリアルな聖典だと思います。それは遠い過去のお話ではなく、今、現代に繰り広げられている師と弟子の真摯な問いと答えが、ヨーガを実践する人たちのありのままの体験がそこにあるから。そして、1997年の発刊当時から諸先輩方によって紡がれてきた熱、信念が込められています。

今はインターネットの時代ですが、紙の媒体で文字を読むのも味わい深いものがあります。(と言いながらいつかオンラインになる日もあるかもしれませんが)。難しく、読み進められなかったコーナーがあっても、時が経って再び開いてみると、不思議と新鮮な気付きがあったり、すとんと胸に落ちたりということもあります。
春から定例サットサンガが開催できず、全クラスも休講中という状況ですが、この期間に私も少しずつバックナンバーを読んでいきたいなと思いました。
またクラス受講者の方などにも、ぜひこの機会に『パラマハンサ』を手にし、少しでもお家でヨーガに触れる時間をもっていただけたら嬉しいです。

パラマハンサ

インド細密画を神話とともに紹介するページやヨーガの料理「さまらさ」のコーナーもあり。

マードゥリー

追伸。少し次号の予告を〜。5月発刊の139号は、厳選されたサットサンガの記録や、今回師が渡米されていた際にニューヨークに滞在した日本の弟子たちの手記も掲載予定です! お楽しみに〜。

*2020年度の新規パラマハンサ会員を募集中です。
詳しくはこちら

桜を追いかけるように一気に芽吹いたもみじの若葉(プレーマ・アーシュラマより)


人はパンのみに生きるにあらず

「誰でも空を見ることはできます。地をはう虫でも青空を見ます。しかしそれはなんと遠いことでしょう!われわれの理想もそれと同じです。確かにそれは非常に遠い、しかし同時に自分はそれを持たなければならないということを知っています。われわれはまさに最高の理想を持たなければならないのです……、そしてこの理想が自分のハートに、頭脳に、血管の中に入るまで、それが自分の血管の一滴一滴の中まで振動し、身体の毛孔の一つ一つに浸透するまで、できるだけよく聞かなければなりません。それを瞑想しなければなりません。ハートが満ちあふれて口が話す、ハートが満ちあふれて手も働くのです。
われわれの内部の推進力は、思いです。心を最高の思いで満たし、今日も明日もそれらを聞き、この月も、次の月もそれらをお思いなさい。決して失敗を気になさるな……理想を千たびも掲げ、もし千たび失敗したら、もう一度努力しなさい。人の理想は、あらゆるものの中に神を見ることです……時間をおかけなさい、そうすれば目標に到達します」

これはスワミ・ヴィヴェーカーナンダの『ギャーナ・ヨーガ』の「あらゆるものの中の神」という章に書かれている一説で、1896年10月27日、ロンドンでの講演内容です。『ギャーナ・ヨーガ』にはロンドンやニューヨークでの講演の内容が収められていますが、どの講演の内容も、真理を直感した魂が、言葉のゆるす限りを尽くして、私たちに真理の片鱗を伝えようとする情熱と活力に満ち溢れています。何よりも驚くことは、ヴィヴェーカーナンダは、講演に原稿を持ち込まなかったということ。120年以上の時を超え、紙という媒体を通じてさえ、その情熱と活力、慈悲と生命の輝きを感じますが、実際にこの講演を聞いた人は、どれほどの衝撃を受けたことでしょうか。

私にとって『ギャーナ・ヨーガ』は、ヨーガを始めて間もない頃に読み、それまで私の中にあった「神」や「宗教」という言葉の観念を覆し、新たな概念を納得する形で教えてくれた本でもあります。納得せざる得ないほどの説得力があるということもありますが、それよりも彼の持つ熱量(プラーナ)の凄まじさに圧倒され、そして魅了され、自分の持つちっぽけな考え方は見事に破壊されたという感じでした。毎回、読むたびに感動し、細胞一つ一つが真理を求めて躍動するかのようです。キリストの言葉に「人はパンのみに生きるにあらず」という言葉がありますが、まさにこの本を読むと真理への渇仰で体と心はパンパンになり、私はそれによって生かされていると思うのです。


タパスと沈黙

新型コロナウィルスの感染拡大のため、不安な日々が続きますが、皆様、元気にお過ごしでしょうか?
私は介護職ですが、移動支援はほぼ中止になり、利用者の方も外出自粛を余儀なくされ、また職場の嵐山は外国人観光客も減って、いつもの賑わいは陰りを見せています。
世界的に活動規制がなされてきているため、いかに人とこの世の中が動的な性質を帯びているかを肌で感じずにはいられないほどです。
そんな状況下の中、自宅で過ごす時間が増えた方も多いかと思います。
私自身も自宅での時間が増えたため、改めてヨーガの基礎であるヤマ・ニヤマ(禁戒・勧戒)について考え、その教えが掲載されている過去の『パラマハンサ』を読み返したりしていました。

『パラマハンサ』(No.94)では「タパス(苦行・熱)」についての問答があり、それを読み返すと新たな学びがありました。
タパスとは「苦行」「浄化の熱」、それによって「快不快、暑寒などのあらゆる心身の二元性を克服する」という意味がありますが、師はその言葉のさらなる意味を明確に説かれていました。

「二元性を超えるということは、感覚や心の制御が自動的に達成された一種の悟りの心境でもある。心の統一性、サットヴァ性、そういう心のきれいな鏡の状態。ウパニシャッドの言葉では、『タパスによってブラフマンを知れ』、『タパスはブラフマンなり』という言葉もある。それはタパスによって二元性を超えるから、すなわちブラフマンの領域になる」

「二元性をつくっている大きな原因の一つはアハンカーラというエゴ意識です。これが自と他を区別し、二元性の大きな象徴でもある。この二元性がなくなっていけば、自と他の観念が壊れ、エゴ性に替わってアートマン、神という一つの存在が正しい位置を占めるようになる」

ーーシュリー・マハーヨーギー

これは私がヨーガを始めた頃の2012年の教えですが、二元性の根源を説き明かし、タパスのさらに奥深い意味を教えてくださっていた師に、私は改めて心より感服致しました。
また最近私が惹かれている20世紀インドの覚者ラマナ・マハリシは、「内面において静寂を保つという行為は、心のすべてをもって行なわれる激しい活動であり、中断されることはない。他のどのような方法によっても打ち壊すことのできない無知は、『沈黙(マウナ)』と呼ばれている激しい活動によって完璧に打ち壊される」と述べていますが、この「沈黙の激しい活動」とは「タパス」と同義だと感じました。

活動自粛で自宅で過ごす静かな時間は増えましたが、私自身、内面はヨーガの激しい活動でその情熱を燃やしていきたいと思っている次第です。

ゴーパーラ


ラーマクリシュナの例え話

梅の開花便りが聞かれ、日差しに春の訪れを感じますね

久しぶりに「ラーマクリシュナの福音」を手に取り、パラパラとページをめくっていると、私の好きな例え話が目に入ったので、ご紹介します。

ラーマクリシュナは、誰にでもわかるように、目に見えない真理や神を分かりやすい例え話にして教えを説かれることがあります。「どのようにしたら真理を実現できるでしょうか」と言う信者からの問いに対して、このように答えておられます。

「祈ることによってすべての魂はあの至高の霊と一体になれるのだ。どの家にもガス栓がつけてある。ガス会社からガスがくるようになっているのだ。だから、申し込め!申し込みさえすればガスをよこす手配をしてくれるだろう。部屋に明かりがつくだろう。シアールダハに事務所があるよ(一同笑う)」

おそらくシアールダハは実際にガス会社のある場所の名前ではないでしょうか。ユーモアがありますね。私はこれを読んだ時とても素直に「そうや、申し込まなあかん」と思ったのですが、それにはある経験が関係しています。

私は少しの期間ですが外国に住んだことがあります。知り合いがいなかったので、自分で住む部屋を探し、契約し、家具を揃え・・・ととても大変でしたが、屋根裏にある小さな部屋に落ち着きました。お茶でも飲むかとガス栓をひねったとき、ガスがきていないことに気が付きました。水道も電気も申し込みしなくても(おそらく大家さんがしてくれていた)そのまま使えることになっていたので、ガスについて聞くことをすっかり忘れていました。なぜかそのとき、私は備え付けのガスコンロの方に不備があると思い、大家さんに電話するも繋がらず、どうしようかと思っていると、隣に住む人が訪ねて来ました。ガスコンロに不備があると話すと、彼は、「違う!違う!申し込んでないから!今すぐ申し込め!」と言うのです。そこで、彼はすぐにガス会社に電話をかけてくれたのですが、私の語学力が追いつかず、電話でのやり取りは無理と判断され、直接事務所に行くことになりました。その日は営業時間に間に合わず、次の日の午後、仕事と仕事の合間に行ったのですが、昼休みで対応してもらえず、次の日に行くも、申し込むために必要な書類が揃っていないと帰され、書類をそろえるのにもさらに時間がかかり、土日は対応してくれない・・・・何日もかかって、やっとの思いでガスが使えるようになったことを覚えています。そんな苦労話もすっかり忘れていましたが、この例え話を読んだとき、そのことを思い出しました。

ラーマクリシュナの「申し込め!」の言葉とあの時の隣人の「申し込め!」がリンクして、なんとも忘れがたい例え話となりました。そうです、必要であれば申し込まなければならないのです。「私はガスが必要です」と同じように「私は真理が必要です、真理を実現させてください」と神に祈らなければならない。あの時、少し?(実際にはかなり・・・)手間はかかったけれど、申し込んだ途端にガスが来るようになったように、きっと申し込み続ければ、その思いは実現されるのではないかと思わせてくれました。

 


識別とヴィヴェーカーナンダ(最終回 )& 今年の締め括り

2019年も残すところ、あと2日になりましたね。
皆さま、年末をいかがお過ごしでしょうか?

さて、今年の私の目標は「徹底識別」ということで、この「識別とヴィヴェーカーナンダ」の連載をスタートさせ、ヴィヴェーカーナンダ、おもにその著作『ギャーナ・ヨーガ』を通して、識別を学んでいきました。
また同時に、私自身の心が執着している世界の対象と、それに対する心の動機というものにも「常浄楽我」という真理を当てがって識別を行ない、世界と心の働きにリアリティという実在性がないことを見極めていきました。
しかし依然として、心には「私」と主張するエゴ意識があり、どのようにしてエゴ意識がなくなるのか分からず、識別も難航していました。
そんな時、10月のサットサンガで師にその打開について尋ねると、師は大きなヒントを与えてくださいました。
それがサーンキヤ哲学が説く二十四の原理ーーエゴ意識が発生する前段階の「ブッディ(認識)」ーーその教えです。

「アハンカーラ(エゴ意識)のもう一つ始まりにあるブッディ(認識)というものだけれど、このブッディがすべてのナーマ・ルーパ(名前・形)をつくり出す原因になっている。だから必然的に私意識の源にいけば、そのナーマ・ルーパというものの正体というか、それの根源の方に行き着くことになって、ナーマ・ルーパというものもこの世界が展開するときに発生したものだから、それらは消えていくことができます。消えていくというのは、プラクリティという根源にそれを引き戻すという、実際には消えていくという関係です」

この教えを聞いて、「ブッディ(認識)があるから自分と他者、世界の区別ができ、エゴが成り立ってくるのか」と感じ、目から鱗でした。
そこで私は、エゴ意識に常浄楽我を当てがうということから、エゴが出てくる源のブッディ、そしてプラクリティを辿っていく二十四の原理の瞑想を行なっていきました。それと同時に、二十四の原理の教えと類似している十二因縁の瞑想も行ないました。
その瞑想を続けていくうちに、心にゼロがかけられていく感覚が起こったり、また心を辿っていくと最後に残るのはプラクリティの根源であるカーリー、オーム、師のお姿という感触がありました。
そして忙しい合間、ただ階段に腰掛けて休憩していた時、この識別瞑想を行なうと、心そのものが解体されていく実感がありました。それは家が崩れていくようなものでした。
それからは不思議と、心自身がリアリティという実在性を失い、心の思いに執らわれることが一気になくなっていきました。
そして『ヨーガの福音』の師の教えの一節が自然と思い出されました。

「『複合物』はすべて生まれ、変化し、消滅するということです。『単体』なるものは初めから生まれもしないし、なくなりも変化もしない。それのみが実存しています。実体は永遠なのです。それが私たちの本当の自己であり、神、真理です。それだけを求めなさい。そして実現しなさい。あなた自身なのですから」

人生の主人公は解体されるような心ではない、その奥に在る壊れることない本当の自分、アートマンであります!
心に実在性がないと分かった今、私の心はアートマンに向かっています!!
2019年、この年も師の大いなる導きに誘っていただいたと確信した1年でした。
最高の師シュリー・マハーヨーギーに感謝致します。

ゴーパーラ


The Eternal Quest Essence ― 永遠の探求 ―!!!

a

この宇宙はどこから来たのかー。

私は誰か?

どこから来て、どこに行くのだろう。

ー永遠の探求 The Eternal Questよりー

 

The Eternal Quest Essence ―永遠の探求― が12/4にリリースされました。12/1のダイジェスト版に続いての公開です。

Essence(エッセンス)の名の通り、公演「The Eternal Quest」の真髄を凝縮したディレクターズカット版です!!!

ウパニシャッドの珠玉の言葉、息を呑むほどのアーサナの集中感、キールタンの溢れる神への愛!深淵なるヨーガの真髄が具現した、非常にシャープな映像に引き込まれます!

公演、映像ともにデザインされた、師シュリー・マハーヨーギーの祝福とお力に感服いたしました!心より感謝を申し上げます!

さてー

私は誰か?

その答えを私たちは果たして見出したのでしょうか!?

人生は一瞬のうちに過ぎ去る!

それ以外に知るべきものは何もない!

神に恋い焦がれ、狂い、一つになれ!

古来のヨーギー、ヨーギニーたちの魂の問いかけが、私たちの魂を揺るがせます!

 

今日12月8日は、かの偉大な主ブッダが悟りを啓かれた聖なる日です。

「私は古道を見つけ、それに従った」と主ブッダは言われましたが、この吉祥なる日に、古代より継承される永遠の真理とそれを実現する偉大なる道ーヨーガに思いを馳せながら、その精髄をとくとご覧あれ!

オーム・タット・サット オーム!

サーナンダ


秋の日は釣瓶(つるべ)落とし

私の職場は嵐山です。
仕事の合間に渡月橋のベンチで休憩していると、青い空と秋雲、流れる川と山、西に沈みゆく太陽がとても美しく、ダイナミックに展開していました。

この景色を眺めていると、太古のリシ(聖仙)の言葉が内から湧いてきました——

「この宇宙はどこから来たのか? どこへ行くのか? 私は誰か?」

スマホやテレビがなかった昔の人はこういう風景をずっと眺め、その宇宙万物の力や生命の神秘に思いを馳せたことは、とても自然なことだと感じました。

それから30分も経たないうちに、景色は一変、空は茜色に染まっていきました。

職場に戻ってスタッフにこの感動を話すと、次のことを教えてもらいました。

「秋の日が急に暮れることを、井戸の中に釣瓶(つるべ)が落ちていく早さに例えて、『秋の日は釣瓶落とし』って言うんだよ」

 

皆さんは、この宇宙万物のダイナミックな力はどこから来ていると思いますか?

リシはその思索を極め、それは「宇宙の主ブラフマン(梵)」から来ている、

そしてそれが「本当の私(我)」——

「梵我一如」であると悟ったようです。

 

ゴーパーラ


『The Eternal Quest—永遠の探求—』YouTubeで初公開❗️❗️

8月8日、『The Eternal Quest—永遠の探求—』の映像がYouTubeで初公開されました!!!
この作品は、2015年11月3日に京都国際交流会館で行なわれたイベントにアーサナ・瞑想のデモンストレーションとキールタン(インドの歌)で出演した時のものです。

『The Eternal Quest—永遠の探求—』というタイトルを見ると、何だか壮大なテーマだなと感じる人も多いかもしれません。
確かに歴史を振り返ってみると、「永遠の探求」というものが人類の大きなテーマであることが窺い知れます。
秦の始皇帝が求めた不老不死の薬、死後も幸福が続くようにと作られた巨大なピラミッド、理想郷のユートピア思想やオアシス都市の建設など、世界のあらゆる国や地域で永遠に続く命や幸福を求めていたことは明らかです。
インドにおいても、それは例外ではありませんでした。
では、どこに求めたのか?
『The Eternal Quest』の冒頭、インド古代の詩『ウパニシャッド』が朗誦されます。

聖者たちは瞑想に没入し、自らの内に永遠なる真の自己、自ら光り輝く唯一の神を見た
彼は唯一にして第二のものをもたない。彼は宇宙の主であり、一切万物の主である
真実のところ、あなたは神と一つである
あなたはこれを知らなければならない
それ以外に知るべきことは何もない

インドの聖者たちは、外界に永遠のものを探したり、新たにつくり出そうとしませんでした。
瞑想によって、自らの内に「永遠なるもの」を発見したのです。
それが「真の自己」であり、また別名「神」といわれるものだったのです——

私自身、3年前に『The Eternal Quest』のアーサナ・瞑想のデモンストレーションに出演させていただき、それが一つの転機となって「真の自己」「神」を求める思いが芽生えてきました。
ただ最近、この暑さで瞑想に集中できない時がありました。
そんな時、心は涼しく快適な環境「オアシス」を求めてしまいます……
しかし瞑想の途中、『The Eternal Quest』で朗誦された詩の一節が思い出されました。

胸と頸と頭とを真っ直ぐに保って正しく坐り、外に出ようとする感覚器官を内に向けよ

私は再度、姿勢を正し、心を内側に向けて瞑想を続けました。
その後、暑さのことは忘れ去られていました。
どうやら本当のオアシスは、心の奥にあるようですね😑🎐(本当にそう思っている?!と突っ込みたくなりますが……)

最後になりましたが、『The Eternal Quest—永遠の探求—』は師シュリー・マハーヨーギーが総合監督として全面的に協力してくださって完成に至った、まさに師の息吹と恩寵が吹き込まれた貴重な作品です。
まだまだ暑い日は続きそうですが、師に感謝を捧げ、ピリッとするアーサナと瞑想、清流のように透明で美しい神の歌キールタンの映像をご覧になって、この夏を乗り切っていただけたらと思います🙏

ゴーパーラ