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真理をつなぐ黄金の綱 <サットサンガより>

6月1日、サットサンガが行われました。師シュリー・マハーヨーギーのお座りになる椅子の前には、黄色い花が、太陽が沈む直前、水面に光が反射してキラキラ輝いている光のように美しく生けられていました。それは、師の到着をすべてのものが、今か今かと待ち望み、歓喜しているように感じられました。

会場には老若男女、たくさんの弟子が集い、途切れない問答が続きました。その中で、印象的だった教えをご紹介します。

過去と未来というものに振り回されないようにしなければならない。
それには過去を忘れる、記憶としてはあるでしょうけれども、それにとらわれないようにする。反対に未来にも、未来の不安とか心配とか様々なものは、すべて妄想的なものですから、それにもとらわれないようにする。そうして目の前の、今のその瞬間的な出来事、それに対応していく。そこにベストを尽くすということ。それが日常の行為のあり方です。そしてさらには、ヨーガの教え、真理というものをよく学び、考え、そして瞑想していく。そんな中で、自らの内に信念とか、そして信仰というもの、それを養っていく。まさに、信仰というのはその真理をつなぐ黄金の綱になりますから、揺るぎないものになります。

私たちは、生まれてから現在まで、どれだけの過去という名の記憶、印象を持っていることでしょう。最初は、こんな事があったという程度の記憶が、同じような状況に何度か直面するたびに、印象がどんどん深く刻まれていきます。そして、その印象が強くなればなるほどに、私たちはそれに影響を受けてしまうことになります。
特に、家庭や職場の人間関係に大きく関与しているのは、この過去の記憶と印象だと思います。私にはそれぞれの場所に「この人だけは、どう考えてもおかしい」と思う人がいました。そう思う原因は、まさしく過去の記憶と印象でした。
けれども、最近、その記憶と印象がなくなっていることに気づかされたのです。そして、これがなければ、いつでも、優しく、笑顔で接することができるし、相手がどんなことをしていようと、それを「あーだ、こーだ」思う心も存在しないことを知りました。
師は、軽やかにおっしゃいました。

大胆に進んでいきましょう。もう真実があるだけです。神があるだけです。

自らが作り出した幻を捨て、真実を知りたい、神を見たい!!!真理をつなぐ黄金の綱を揺るぎないものにし、それだけを見て、師の教えを胸に、恐れず進んでいきたい、そう思った瞬間でした!

オーム タット サット オーム!!!

山口正美


松山特別サットサンガのご報告‼️

師シュリー・マハーヨーギーが、愛媛県松山市にご訪問くださり、2019年5月18日、19日の二日間にわたって、松山ヨーガ・サークルにて特別サットサンガが開催されました!今年で4年目になります!

そこには、一年ぶりとなる師のご訪問を心待ちにしていたたくさんの人たちの喜びに輝く顔がありました。師が会場に入られると、安心と歓びで涙している姿も見えました。あぁ〜やっと再び松山で師にお会いすることができた〜!!!

そして二回のサットサンガは、慈悲深い励ましと質問者に合わせて力強く真理の教えを授けられる師の尊いお姿に、参加者は鼓舞され、会場は真剣な熱気に包まれて、質問が途切れることはありませんでした。その内容は、家族のことや心のこと、日々熱心に取り組んできたヨーガの実践での疑問や問題と幅広いものでした。その中で、最も私の心に刻まれた教えをご紹介したいと思います。

師は、人生に苦しむ質問者に対して、会場のすべての人に話されるように答えられました。

最も核心的な問題ですけれど、自分自身に自分は誰なのかを問いなさい。

あなたは誰それの夫であり、誰それの父親であるとか、職場においてはこんなあんなとか肩書きをもって説明をするかもしれない。しかし、それらは本当のあなた自身ではない。状況、あるいは環境というものが、一時的に作り出している現象に過ぎません。本当の姿ではないわけです。では、本当の姿、本当の自分というのは何なのか。

誰もがこの問題に真剣に取り組んでほしい。あらゆる悩みや苦しみは偽りの自分と心が作り出したものなのです。そこには、本当の自分は介在していない。だからこそ、本当の自分を取り戻してほしい。そうすれば、すべての苦悩はなくなります。些細な様々な問題、愚痴であれ、あるいは愚痴を生じさせるいろんな問題は、まったく取るに足らない、塵ほどにもならないと思えてくると思います。最も大事なこの自分自身への問いかけをやってください。

誰もが自分を見失って苦しんでいるというふうに見えます。真実の存在においては、まったくの苦悩などありませんし、それ自身で満ち足りています。それだけが、在ります。それを知り、そしてそれを実現し、それを生きる、それがヨーガの大いなる目標です。それを理解できれば、本当にすべての人、家族も、知らない人でも、地球の裏側にいる人でも、すべてのものに対しても本当に愛おしく愛することができると思うし、調和と平和がそこに生まれると思います。

師は力強く、私たちの「本当の自分」に向かって話されました。それは、心に覆い隠されて見えなくなり、感じられなくなって忘れてしまった「本当の自分」を呼び覚ます振動のようでした。

人は無意識に「本当の自分」というものを求めもがいていると思います。私自身もその一人でした。「本当の自分探し」とか「本当の自分に会える」というような言葉を聞くと、それを試したりしてきました。けれども、一時的には何かしらの変化がありそうに感じるのですが、結果的には苦悩へと変わりました。次から次へ、外に外にと探してへとへとになって、何を探していたのか、どうしてこうなってしまったのか、わからなくなった自分がいました。

師は、最後に次のように言われました。

本当に一番身近な自分自身の中にそれはあります。一番身近なのです。だって、自分がそれなのですから。それ以上密接なものは他にない。それを知って、そうしていれば、自然と家族であれ地域であれ、どのような物事に対しても円満に進んでいくに違いありません。

いつかそれがわかる時まで、諦めず、進んでいきたい!師の揺るぎない教えに鼓舞された瞬間でした。

なんと濃厚で喜びに満ちたかけがえのない二日間だったことでしょう!参加された方は、師の美しいお姿に釘付けになったように魅入り、その尊い教えに聞き入り、力強い真理の宣言がハートに刻まれたように感じました。

本当にありがとうございました!

オーム・タット・サット オーム!!!

山口正美

 


松山特別サットサンガ速報!

松山でのサットサンガ一日目が終了しました!!松山のみなさんが、日常の中でヨーガを深めるために、地道に実践しているのをとても感じるサットサンガでした。

松山ヨーガサークル会場

何人かの方は、一年前のサットサンガでヨギさんからいただいた言葉を大切にしながら日常の中でそれを実践し、新たに生じた疑問をグルに質問されており、サットサンガの本来の姿がそこにあったと思いました。

実践が出来ていない、辛い状態が続いているという方にヨギさんは言われました。

「私から見たら、本当の自分を見失っているように見える」

ヨギさんは、このサットサンガの中で本当の私というのは、生まれることもなく、死ぬこともない、永遠で至福そのものなのだということ、そして本当の私には苦しみなどない、それが自分自身の本来の姿なのだと何度も教えてくださいました。

そして、とても力強く「それを知り、体得し、生きてください!」と言われました。そこにいた誰もが、鼓舞され、それこそが人生でするべきことだと思った瞬間だったと思います。

また明日もサットサンガがあります!!!ヨギさんに会えて、みんな本当に嬉しそう!


発心!! <サットサンガより>

立夏らしく、日中は初夏のような暑さとなった5月11日(土)の定例サットサンガ。その中で、特に私がインスパイア(鼓舞)されたのは、発心についてのお話です。

よく考えてみれば、八歳の頃に真実の意識に目覚められた師シュリー・マハーヨーギーには、発心も精進も必要ありません。にもかかわらず、師は並々ならぬ志を持って、十二年間も黙々とアーサナをされ、徹底的にこの世界と心の理を解き明かされました。「動機なき精進、それが自然体だった」、さらには「かなり精進した」と師はサットサンガの中でおっしゃいました。全ては、後に現れる私たちを導かれるためになされたことに違いありません。

そして師は、発心について次のようにおっしゃいました。

必要なのは、感じること、気づくこと、そして求めること、探すこと。

まず、この世界がどういうものなのかに気づくこと。諸行無常、諸法無我、一切皆苦、そう教えらえている真理に気づかなければならない。
普通はこの世の中で何かを求めてあくせくしますけれども、実はこの世界は常に変化をして何一つ確実なものはない。様々な現象という経験も、そこに真実は見つけることはできない。そして、誰もが望んでいる幸福というものも、全ては限定的であり不完全であるから、その結果は苦しみに終わる。
では、一体何が本当の幸せなのか、これを求めなければならない。ブッダ、あるいはヨーガには、ニルヴァーナ(涅槃寂静)、サマーディ(三昧、瞑想の深い境地)という言葉に表現される至福の境地がある。そして、苦しみをつくりだす原因は無知であると見抜いているわけです。このことをまず理解すること。そうしたら、心の向きや行動様式を、世間に対する執着から真実の方に向けることができる。ここで大いなる転換をしなさい。これが発心です、全ての原動力です。

私はこれらの教えを聞きながら、自分自身のことを思い返していました。
師がニューヨークにご布教に行かれた際に、師の傍に何度か滞在させていただいた私は、東京に帰ってからもずっと、ヨギさんのことや滞在中のことを考えていましたが、ニューヨークでの出来事を消化しきれず、私の心はなかなか晴れませんでした。

そんなある日、「この限りある心でヨギさんを理解するなんて無理だ。けれども私は、ヨギさんの本当のことを知りたい!!!!!」と祭壇の前で泣いていました。これが私の発心だったのだと思います。
師のお言葉によって、その時の熱い思いが一瞬で蘇りました。

師は、私たちを目覚めさせようとしてくださっている。やさしく、そして私たち以上に諦めることなく。しかし、いつまでも師であるヨギさんに甘えっぱなしではいけない。仕事や日常生活に飲み込まれずに、ヨギさんだけに一点集中する、正精進あるのみ!! あらためてそう強く願ったサットサンガでした。

ターリカー


台湾サットサンガ速報 <浄常楽我の教え>

現在、師は台湾をご訪問中で、台北市内にてサットサンガが行なわれています。昨日4月20日(土)は2度目のサットサンガが開催され、初めてヨーギーに会う参加者も何人かおられました。

サットサンガの後半、「無知というのは四種類ありますが、その内容を教えていただけますか」という質問がありました。それに対してヨーギーは「漢字を書いた方が分かりやすいかな、ここ(台湾)では」とおっしゃり、通訳上準備していた紙とペンを取られ、文字を書かれました。

 

「これは真実を表す言葉」とおっしゃって、サットサンガ内でヨーギーが書かれた教え

そしてペンで一つずつ文字を指し示しながら、力強く教えを説き始められました。

「人はみな幸福を求めています。そこには浄らかで完全なものを求めているけれど、しかしいつもこういう不浄なものになってしまう。この体も心も世界も、永遠ではない。しかし、心は夢のように永遠をこの世界の中に求めてしまう。幸せを求めていたはずなのに、いつも結果は苦しみになる。本当の私だと思っていたのは、実はエゴという心であって、本当の私ではない。これらは心がつくりだす間違いをいいます。これが無知の4つの柱です。
ここからさまざまな欲望が生じてそれに執着をするーー煩悩ですね、煩悩が生まれる。そして反対に煩悩という欲望への執着が苦しみを招いてしまう。それは求めていたものが間違っていたから。ヨーガというのは、真実を学ぶことによって、そして同時に心にあるかもしれない間違いをなくしていくことでもあるのです。その結果解放されるのは、実は心なのです。真実というものは、もうすでにあるわけですから」

後ろの方に座っていた参加者たちの中には、ヨーギーの書かれた教えを見ようと、途中で立ち上がっていた方もおられたそうです。誰もが真剣な表情で見入り、ヨーギーの言葉に耳を傾けていました。

サットサンガ後、参加者たちからは、「今まで教えは知っていたけれども、ヨギさんから聞いて初めてとてもよく理解ができた」「サットサンガがすごく楽しかった!」という多くの喜びの声が寄せられていました。

23日(火)には、今回のご滞在最後のサットサンガが開催されます!

mirabai  from Taipei

 


神なる真実在だけが在る!

満開だった美しい桜の花も終わりに近づき、季節が新緑へと向かっていくのを感じます。

 4/7に開催された祝祭、サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラーは、(前回の記事の通り)シュリー・ラーマクリシュナの臨在とともに、神なる歓び、至福に溶け入るようなひと時となりました。

その前夜には、定例サットサンガが行なわれました。祝祭に向け、多くの人がシュリー・ラーマクリシュナの生涯に触れ、思いを高めてきたこともあってか、神の真実を表すマントラ(聖音)から始まり、バクティ(神への信愛)やリーラー(神の遊び戯れ)についてなどの質疑応答も続きました。

その日、師がサナータナ・ダルマ(永遠の真理)とアヴァターラ(神の化身)について語られた言葉をここにご紹介します。

真理というのは、当然ながら永遠であるわけです。時代性や民族性、一切の条件に左右されるものではない。それは変わらずに、時間を超えて在り続けている真実のことです。この真実がすべての生き物の中に、そしてこの全宇宙の中に、本質として宿っている。だけど人間の心はそれを知らないで、むしろ反対に間違った思いをもってこの世の中と接してしまって、そこで儚い自由や儚い偽物の幸福などを追いかけてしまう。その結果はみじめな苦しみということになるわけです。

永遠の真実というものを人々が忘れそうになった時には、その真実そのものが化身してこの地上に顕れ、もう一度人々に思い起させる。時空を超えた存在でありながら、時空に限定されたこの世の中で働きをする。それをアヴァターラ、神の化身と訳していますが、そういう存在が時折顕れる必要がある。それがブッタであり、また近代ではシュリー・ラーマクリシュナである。そういう本当に大切な、尊い真理と存在に対して、私たちも思いをもう一度新たにしようということで明日、祝祭という形をとって行おうとしているわけです。

さらに師は、神なる真実在だけが、真理だけが在ることを何度も語ってくださいました。
会場は、翌日の大歓喜を予感させるかのようなムードに包まれました。

* * *

そうして迎えた祝祭の当日。みんなの熱い思いのこもったメッセージがすべて終わった時、師はアヴァターラの降臨の意味、そして誰もが真実を悟ることができることを力強く語られた後、笑みをたたえ、私たちがマントラを繰り返し唱えるよう導かれました。

OM TAT SAT OM(オーム タット サット オーム)!
OM TAT SAT OM!!
OM TAT SAT OM!!!

全員で唱えた聖音が、その場に高らかに響き渡った時、誰もの中に在る真実が呼び起され、共鳴し合うような強い感覚が生まれました!

神は真実在なり!!!

みんなの内からほとばしり出た、この宣言、サナータナ・ダルマの振動を、この胸の内にも外にも、さらに大きく響かせていきたい!と思います。

マードゥリー


真実に心を尽くす <サットサンガより>

3月9日(土)、ニューヨークご布教から戻られたばかりにもかかわらず、師シュリー・マハーヨーギーは直伝クラスの最終回とサットサンガを行なってくださいました。

まず、2年4か月にわたり、師自らヨーガの真髄を私たちに伝授してくださったことに、心からの感謝を捧げさせてください。毎回、自分でも驚くほど集中することができました。アーサナ前、師のそばに座っただけで涙が溢れることもありました。師の導きにより心の波を静めることで、思考や理屈を超えて、真実在を体感させていただきました。本当にありがとうございました。この感謝の気持ちは、ヨーガを深めていくことでお返ししていきます。

さて、この日の直伝クラス・サットサンガとも、日本各地から多くの方が師の下に集いました。師に初めて会われる方もたくさんいて、サットサンガで質問が途切れることはありませんでした。

その中で私が最も印象に残ったのは、真理以外のことに思いを巡らせる弟子に対してのお言葉です。

「そんなくだらないことにどうして心は囚われるの?どうでもいいじゃない、そんなことは。それよりももっと大事なことに、心を尽くしなさい。」

それは、日常生活においてこの世のいろいろなことに目を向ける私自身への言葉でもありました。京都から東京に戻った私は、自宅や会社で「これはどうでもいいことではないのか?」と自らに問いかけていることに気付きました。それほどその言葉は、私の心に深く残っています。

師は直伝クラスの最後に、こうおっしゃっています。

「どんな分野であっても、懸命に努力をした人だけが成功します。いわんやヨーガにおいては当然そうです。数え切れない輪廻転生をしてきた苦しみの生涯に終止符を打つという、偉大なる作業なのですから。この生涯において、吉祥なヨーガに縁を持ったということだけでも本当に恵まれた素晴らしいことです。この吉祥な縁をさらに実りあるものとして、この生涯のうちに自由に、悟りを実現してください。」

仕事や日常生活は適切に対処しつつも、常に真実に心を尽くすこと。気付けば神を手放していた…なんてことでは、この偉大なる作業をやり遂げることはできないのです。「真実に心を尽くしているか、これはどうでもいいことではないのか」を常に自らに問い続けていく。4月のサットサンガで師に再びお会いする日まで、必ず続けたいと思います。

ターリカー


真実に導かれる <直伝クラスに参加して>

2年前に、ヨギさんのアーサナ直伝クラスが始まる!、と聞いたとき、
「このクラスに参加するからには、絶対にヨギさんにアーサナを正されることが無いようにしよう。何年もアーサナのクラスに通っているのだから、正しくできて当たり前、今さら直してもらうなんて、ヨギさんに失礼だ。」
と、思ったものです。

私は、アーサナ直伝クラスが大好きです。
ヨギさんがその美しい全身を使い、はっきりとした目的を持ち、働いていらっしゃるところを見ることができるのが、何より嬉しいことだったのです。
誰にでも、必要な人に対して丁寧に、解りやすい言葉をかけ、手を添えサポートされるヨギさんの様子を、自分でアーサナをしながら、五感をフル活動させて追いかけていました。
今思い返すと、アーサナ中は呼吸に集中するよりも、ほとんどヨギさんに集中していたような気がします。
そしてクラスの後半、瞑想に座るころにはもう時間も場所も意識することがなくなり、ただこの時がずっと続いたらいいのにと思う。この思いも雑念だと気づきながら、そう願わずにはいられない。この感覚は、いつでもどんな場所でも瞑想できるようになる、手掛かりのような感覚になってきました。

直伝クラスでの瞑想

真実が人の姿となってこの世に顕れることの有り難さ、ということをなかなか理解できずにいましたが、直伝クラスでヨギさんと共に過ごすことで、少しずつ身に染みてきたように思います。
ヨギさんと共にいるときだけではなく、どんなときも同じように、かけがえのない大切なときであるということも。

直伝クラスには大勢の仲間が参加しており、一人一人、クラスでの体感は違うでしょう。けれど、皆、間違いなく真実の存在の方へ導かれている、それが直伝クラスであるのだと感じます。
ヨギさん、この機会を与えてくださって本当にありがとうございました。

正されまいと覚悟していたアーサナでしたが、そんなに甘くはありませんでした。
いつだったか、予想外の力強さで正された逆立ちに思わず声が出そうになり、私の覚悟も必要のない拘りだったのだと気づきました。

マイトリー


ラーマクリシュナの直弟子―トゥリヤーナンダに導かれて

先週末の日本列島に寒気が訪れた2月9日(土)、師シュリー・マハーヨーギーはNYご布教のためご不在でしたが、たくさんの熱心な弟子たちがマハーヨーギー・アーシュラマに集まり、弟子たちによるサットサンガが行なわれました。

2月9日の弟子たちによるサットサンガ

この日は、19世紀の大聖者シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの直弟子たちに焦点を当て、4人のスピーカーがそれぞれの理想とする直弟子のエピソードや教えを紹介しながら、自分自身の実践と理想について熱く語り、皆で思いを高めていきました。

今回そのうちの一人である、野口美香さんのお話を、追記抜粋編集してご紹介したいと思います。本当に寒気を吹き飛ばすかのような迫力のある熱を感じるお話でした。


私はトゥリヤーナンダの強い信念と、神への信仰心、師への信仰心に憧れています。

トゥリヤーナンダは、すべての行為を母なる神への礼拝としなさい、母を思いなさい、ということを強調されています。生涯師の教えに従って、母なる神を思い生きていかれました。そしてご自身が実践してきたからこそ、人々にも常に母を思いなさい、母だけを頼りなさい、行為を母への礼拝としなさいというふうに伝えていかれました。

スワーミー・トゥリヤーナンダ

どのようにすれば自分の生活の中の行為を、トゥリヤーナンダのようにできるのでしょうか。花も虫も、動物も人もすべてを同じように本当の意味で大切にしていけるようになりたい!と私は思うのです。

トゥリヤーナンダの生涯が書かれている『神を求めて』の本の中で、とても印象に残っているシーンがあります。

トゥリヤーナンダが、ベルル僧院に住んでいた時、若い修行僧たちを訓練するために、常に一緒にご自分自らが、いろんな仕事をこなしていかれていました。
ある時、調理できるように処理されなければならないたくさんの野菜があったので、見習い僧たちと一緒にその仕事をされます。その仕事の途中で、朝食を知らせるベルが鳴りました。もう少しで仕事が終わるから、この仕事が終わってから朝食を摂ろうとトゥリヤーナンダは言われます。そして仕事が終わってから、食堂へ行くと食べ物は何も残っていませんでした。普通は、後から来る者たちの分はとっておかれることになっています。
それで、トゥリヤーナンダは係りの見習い僧に、「われわれの食事はどこにあるか?」と尋ねます。その見習い僧は、「皆さんにとっておいた分は、プレマーナンダが不意に来た信者に上げてしまわれました」と答えます。プレマーナンダも、ラーマクリシュナの直弟子である方です。
トゥリヤーナンダは、「なぜそれが私たちの分であることをプレマーナンダに話さなかったのか」と尋ねると、
見習い僧は「どうして、私が非常に偉いスワミにそんなことが申し上げられましょう」と言います。
トゥリヤーナンダは、「なぜできないのか。もし君が彼を本当に愛しているのなら、彼が知らないことを知らせてあげることをなぜ躊躇するのだ。愛している者に向かっては、何でも話すことができるはずだ。人を愛する時、どうしてそこに恐れなどがあり得よう」と言いました。

このエピソードを初めて読んだ時、本当にそうだと思いました。トゥリヤーナンダの一点の曇りもない、真っ正直な言葉が自分の中に広がっていきました。見習い僧のとった行動が自分の傾向と似ているように思え、「なぜできないのか?」というそのトゥリヤーナンダの言葉に、私自身の問題に対しても、「なぜできないのか?」と考えさせられ、この言葉が胸に突き刺さりました。

このエピソードがずっと私の心に刻まれていて、こういう場面に自分が出くわすと、この教えが自然に浮かび、力を与えてくれるようになりました。

もし自分の役割に徹するならば、その食事は後から来る人たちのために取ってあることを伝える必要があったし、そこに何の計らいも必要ありません。相手がどういう立場の人であっても、遠慮したり、気付いているけれどしない、というのは、どこかに自分を守ろうとしている弱さがあるからです。誠実とは真逆のことになります。そんな行為は、神に捧げられないと思います。

トゥリヤーナンダは、「礼拝の精神で行なわれる仕事は、現代に相応しいたった一つの霊性の修行である。すべてを母なる神への礼拝として、母に捧げなさい、そしてただ誠実であれ」というふうに言われています。
誠実であるためには、些細なことですが、自分の弱さや余計な計らいがたとえあったとしても、それに気付いたなら、すぐさま無視して、自分の中の真理への信念を貫くという強い意志が必要になるのだと思います。
毎日の中の小さな仕事を礼拝として行なうためには、その些細な矛盾をなくしていかないといけないと思っています。自分に与えられた役割に全注意力を向けて、少しの計らいも入らないほど集中する訓練を繰り返ししていこうと思います。
トゥリヤーナンダがラーマクリシュナの教えに従って信仰を貫いて生きていかれたように、私も師であるヨギさんからいただいた教えを貫いて生きていきたいです!!!

今の私に最も響くトゥリヤーナンダの言葉を紹介します。トゥリヤーナンダはこの言葉をたびたび繰り返されたそうです。

あなた自身であれ、強くあれ。悟りは強く、純粋で、真っ正直な者だけに与えられる。自分はアートマン(真の自己)である、ということを忘れるな。このことはあなたに最大の力と勇気を与える。勇敢であれ。マーヤー(無知)の束縛を断ち切れ。ライオンのようであれ。何事にあってもびくびくするな!スワミジ―(スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ)はあなたに、あらゆる魂は内に神性をひそませている、と教えたであろう。自己の神性を悟れ。そのときにあなたは、すべての魂は神である、ということを悟るであろう

野口美香

サットサンガにて話をする野口さん。


日常が真剣勝負!

アーサナや瞑想は練習問題のようなもので、日常こそが真剣勝負だと師は教えられます。

今回、師の直伝クラスやサットサンガにも熱心に通われ、真剣にヨーガに励んでおられる藤原さんが、ご自身の体験を寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


昨年末のサットサンガで、ヨギさんに識別についてお聞きすると、エゴに気づいたら、それが出てくる前に忍耐して制御していくように。そして、他者にはやさしく行為するようにと教えてくださいました。

ところが、年明け早々に久しぶりに夫と大喧嘩をしてしまいました。
その引き金を引いたのも、この喧嘩を招いたのも“私は正しい”というエゴ的な思いから生まれた日常の私の言動だったのです。私は今まで一体何をしてきたんだろう…と何もかもが崩れ去っていくように感じ激しく動揺しました。
その一方で、いつもと変わらず動じることもなくその様子を見ていた息子は、私の肩をやさしく撫でてそっと寄り添ってくれました。その姿にヨギさんを見たように感じました。

その時にやっと私は、ヨギさんから授かったこの教えが、自分にとってどれほど必要なことなのかを思い知るに至りました。
私はヨーガを学び実践が大切だと日常を過ごしていたつもりでした。そして、少しずつですがその日常に良い変化も感じていました。でも、いつの間にかその結果に執らわれてしまい、自分のエゴに気づかずにいたことに気づきました。

この激しい動揺をしずめてもう一度やり直さないといけないと思いました。
ヨギさんのようにいつも変わらず同じで在りたい。その為には、徹底的にエゴをなくしていかないといけない!

以前、クラスでラーマクリシュナが教えられている6匹のワニのお話があったことを思い出しました。
人の心にある怒り、嫌悪、色欲、欺き、高慢、羨望という6つの欲情をワニに、心を池に例えて、池に棲んでいる6匹のワニが時々出てきて心をざわつかせるというお話でした。
何事も自分の思いどおりにはならない、諸行無常、カルマの法則、この世の中の道理を正しく理解して、このようなネガティブな感情が湧いた時には、エゴが思いどおりにしようとして暴れているのだから、即座にその反対のポジティブな思いを起こすのがいい。怒りには寛容を、嫌悪には愛を、色欲には清浄を、欺きには誠実を、高慢には謙虚を、羨望には賞賛を。そして、その時のポイントは、条件付きではなく、いついかなる時も、誰にでも無条件に行なうことだと教えてくださっていました。

これからも何度も何度も心に言い聞かせ、忍耐強くエゴとの真剣勝負に挑み続けたいと思います。

藤原 里美

MAMA YOGA lilāは、篠山市、丹波市で活動しているヨーガのサークルです。藤原さんがアーサナをリードしています。下、写真右端が藤原さん。