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瞑想入門「ブッダ-真理-を探せ」 動画配信・受講のお知らせ

7月11日〜瞑想入門「ブッダー真理ーを探せ」の実クラスが開始しましたが、その内容を撮影した動画配信・受講もスタートします‼️

本日から配信させていただくのは、第1回目の「すべては変わっていく」です。
概要としては、

・瞑想入門の目的
・ブッダの生涯
・瞑想(5分)
・私が瞑想で感じたブッダ
・瞑想(10分)
・諸行無常の教えを日常で実践する

になっています。
動画の中では、私が初めてブッダの静寂を感じたことや、瞑想をしていく上で大切なポイント、またブッダがいつどのようにして「すべては変わっていく(諸行無常)」と感じ得たのか、四門出遊の方角の象徴など、ブッダや瞑想に関することをたくさんお話しております。

ご自宅にいながら、ブッダや真理の教えを学び、瞑想を実習できますので、この機会にぜひご参加いただけると幸いです。
詳しくはこちらをご覧ください💁‍♂️(瞑想入門「ブッダー真理ーを探せ」

夏本番ですが、瞑想で煩悩の炎を消して、心の涼を一緒に感じていきましょう😌🎐

ゴーパーラ


私を鼓舞するもの

私は今、いけばなを習っています。お稽古はとても楽しく、集中して生けているとあっという間に時間が経ってしまいます。もともとお花や植物が好きだったこともありますが、お花をいただく機会がある度に「もっと綺麗に生けてあげられたらいいのになぁ……」と、残念に思っていたことがキッカケでした。また、元来、仏様にお供えした花がいけばなに発展したという歴史にも惹かれるものがありました。

先日、お稽古の花材で使った紅花が萎(しお)れかけてきたのですが、お花のオレンジ色がまだとても綺麗で形もカワイイので、そのままサヨナラするのが忍びなくなり、枯れた葉を切って西洋ナズナ(ペンペン草の仲間)と一緒に窓際に飾ってみました。ちょうど夕刻で、窓の外から差し込む夕日に紅花のオレンジ色が一層映え、その様子がとても綺麗だったのでしばらく見入ってしまいました。

ハート形の葉っぱが可愛い西洋ペンペン草と

オレンジ色は私にとって、ブッダや修行僧、師、悟り、などを想起させる特別な色です。以前ブッダが、使い尽くされてボロボロになって捨てられた布を洗って縫い合わせて作った「糞掃衣(ふんぞうえ)」と呼ばれる布で、身体を覆ったと聞いたことがありました。近くに生えている草木などを使って布を染めるとオレンジ色に染まったのだそうです。すべてのものを慈しみ、最後まで大切にされたブッダの人柄が伝わってくるようなエピソードです。ブッダの弟子たちはその「糞掃衣」を着て、彼の教えに従い、悟りの境地を目指して修行に励んだそうです。

私の師も、弟子によって縫われ染められたオレンジ色の服をよく纏っておられました。私の脳裏に浮かぶ師は、オレンジ色のクルター姿でなんとも言いがたい美しい姿勢で座し、たくさんの弟子たちに囲まれ、優しく真剣に教えを授けておられるお姿です。
夕日と夕日の色に染まったような鮮やかなオレンジ色の紅花に目をとめたまま、「私もブッダや師の教えに少しは染まってきただろうか……覚者たちが歩まれた、古(いにしえ)から連綿と続く真理の道を一歩でも進めているのだろうか……」と、自問しました。その答えは直ぐにハートの内に響いてきました。

ーそれは師のみが知ること。そんなことは気にせず、恐れず諦めず、生命の限り精いっぱい進め ー

師の力強い鼓舞は常に私の内にある!

シャルミニー


7月開講‼️ 大阪・京都 瞑想入門「ブッダ−真理−を探せ」

7月11日(木)〜大阪・京都で瞑想入門「ブッダ−真理−を探せ」がスタートします‼️
チラシを手にとられたり、イラストをご覧になった皆さま、ブッダを見つけることができましたか👀?

この瞑想入門では、ブッダがどのような瞑想をしてニルヴァーナ(涅槃寂静)に至ったのか、ブッダの生涯や心境を学びながら、少しずつ瞑想をしていきます🧘
初回の1回目は「すべては変わっていく」(諸行無常)がテーマです。


諸行無常の理は、ブッダが説いた真理の主要な教えになります。
では、なぜブッダはこの理を説かれたのでしょうか?
講座では、まずブッダの生涯を学び、ブッダがいつ、どのようにして諸行無常ーー「すべては変わっていく」と感じ得たのか、ブッダの心境にアプローチして瞑想していきます。
また、毎回の講座ではテーマに関する「日常の教え」もご紹介して、教えを生活に当てはめて実践するポイントもお伝えできればと思っています。

2500年前に生きておられたブッダの息吹やそこから発せられた真理の教えを再発見すべくクラスをしていきたいと思っておりますので、一緒に瞑想してブッダ(真理)を感じ、見つけて行きましょう‼️

歌川国芳の浮世絵になります。よ〜く見ると、今回のテーマ諸行無常「すべては変わっていく」のシンボル「髑髏」が至る所に描かれています。遊び心があって好きな浮世絵です🐈ちなみにチラシの髑髏も歌川国芳の他の作品の髑髏をモチーフにしています。

 

ゴーパーラ


「瞑想入門 ブッダ(真理)をさがせ」(京都・大阪)

少し先ですが、7月〜京都・大阪で「瞑想入門 ブッダ(真理)をさがせ」をスタートします‼️

このイラストのように、世界は十人十色でさまざまな人の思いや行為が交錯しています。
そんな混沌としている世の中で、本当に大切なもの「真理」とは何でしょうか👀?

2500年前、ブッダは瞑想によって心を静め、真理を悟りましたーー

瞑想入門では、ブッダの生涯やハートに触れながら、ブッダの悟った真理を学んでいきます。
そして、真理を心の思いに照らし合わせて煩悩を取り除く「識別瞑想」をしていきます。
昨今、さまざまな瞑想がありますが、この識別瞑想こそブッダが説いたニルヴァーナ(涅槃)に至る方法であり、欲望やエゴが渦巻く世界で本当に大切なものを見失わない知恵・力になります。

全8回で、1回のご参加や途中からのご参加もしていただけます。
初心者の方でも無理なく実践できるプログラムとなっていますので、一緒にブッダ(真理)をさがし、瞑想していきましょう!
詳細はこちらをご覧ください💁‍♂️「瞑想入門 ブッダ(真理)をさがせ」

ゴーパーラ


『マハーヨーギーの真理のことば』第十六章「聖なる存在」

書籍発刊から1年が経ちました。章ごとにレビューを綴ってきたこのシリーズも、ついに最終章となります。
この本の編集に携わらせていただき、実は10年ほどかけて何度も内容に目を通してきたのですが、改めてこの章を開いた時、以前に感じていた以上の大きなものが訴えかけてくるように感じ、正直圧倒されました。

第十六章には、自ら具現された普遍なる真理を、人々に、この世界に分け与えてきたヨーギーや覚者、グルという存在の生き様がありありと語られています。偉大な存在の生涯や使命は、インスピレーションの源であり、それらに触れると強大な熱量のエネルギーが流れ込んでくるように感じます。
中でも多くの内容が編纂されているのがブッダについてです。
私たちの師は十代の頃、瞑想によってブッダの悟りと、ブッダその人そのものに肉薄されたといいます(→瞑想の章でも触れられています)。師の口からこぼれ出たブッダの心境や境地というものは、ただ史実として残されているという範疇を遥かに超えており、それはまるでブッダが語られているかのようでもあり、また、まさに師はそのようであったと、師のあり方そのものであると思えるのです。

ブッダは最後に、私は全てを教えた、これからは自らを拠り所として努め励めと弟子たちを導かれた。また一方で、「この世界は美しい」という言葉も残されたとされています。完全なる自由の境地に留まられていたブッダは、この限りある世界において何を見て、何を思われたのか。師はブッダの心境について次のように語られています。

近いところではシュリー・ラーマクリシュナの例がそうであったように、ブッダの生涯も、ただ人を救うためだけに充てがわれました。人の苦しみを気付かせ、そうして正見という正しい道に導くためには、苦しむ人と同じ立場で手を引かなければなりません。そうして四十五年間ひと時も休むことなく、ブッダは人、そして生きとし生けるもの全てを救い続けてきた。

ブッダとて肉体を持つ身、いつかはこの地上から離れなければならない。肉体の衣を脱ぐにはそれなりの理由が必要です。永遠の存在であったブッダもまた、その肉体は限界を持っています。彼はこの世を去るということを悟った時、もはや最後の教えは自らの死、そのものだったと思われます。それは生前教え続けてきた、人は誰もが死ぬということを改めて教えることです。しかし死ぬのは肉体だけであって、その存在が死ぬわけではありません。この崇高な不二一元の教え、これが最後に彼の口から漏れた「この世は美しい」ということになると思います。もはや苦悩も絶望も、希望も願望も何もない。たとえ時間がこの肉体を朽ち果てさせたとしても何も問題はない。だからこそ、その瞬間において彼はそう呟いたに違いない。それは生きとし生けるもの全てに与えられた、もたらされた祝福でした。

『マハーヨーギーの真理のことば』第十六章

不二一元――アドヴァイタ。ただ、一つのもの、真実のみが在る――。
人々の真の救い、理想となる永遠の真理を、ブッダは最後の最後まで、そのお体から離れることをもっても示された。
二千五百年という時を超えて、師が伝えてくださったかけがえのないメッセージであると、新たな気持ちで受け止めました。

アーシュラマ

第十六章の章扉前の写真(マハーヨーギー・アーシュラマ)

マードゥリー 


ニルヴァーナ(涅槃寂静)

暑中お見舞い申し上げます。
厳しい暑さが続いていますが、お変わりなくお過ごしでしょうか。酷暑の折から、くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。

さて、夏の暑い日、ブッダを思うのは私だけでしょうか?
燃え盛る煩悩の火、欲望の渇きが消えたブッダーー私はブッダを思うと心静まり、涼を得ます。

「修行僧よ、この舟から水を汲み出せ。汝が水を汲み出したならば、舟は軽やかにやすやすと進むであろう。貪りと怒りとを断ったならば、汝は安らぎ(ニルヴァーナ)におもむくであろう」

ーーー『ダンマパダ』369

猛暑が続きますが、少しずつでもニルヴァーナ(涅槃寂静)を目指して前進していきましょう!!

 

ゴーパーラ


ブッダから届いた宝物

木曜日と土曜日に、京都、大阪で開講されている瞑想入門のクラスでは、講師のゴーパーラさんならではのヨーガ行者としての鋭い視点で、瞑想やこの世界の理、心のしくみについての興味深いお話が聞けて参加者たちの質問も活発です。先日は、ブッダってどういう人だと思う?という投げかけからそれぞれのイメージを共有し合い、ブッダを身近に感じてよりブッダが好きになってしまいました♡ 「入門」というだけに素朴な質問がしやすい雰囲気があり、質疑応答を通じたみんなでの交流も楽しく、また、瞑想の時間はピタッとした静けさと集中があり、メリハリがあります。

そんな瞑想入門クラスに熱心に通われているNさんは、「自分はまだまだ真理やヨーガを信じられていない」と包み隠さず話されます。ある日のクラスで、「真理があるか、ないかを確かめたい」と真剣に言われました。ゴーパーラさんは、ブッダの教えにもある「たとえ古い聖典が出てきてもそれを盲目的に信じる必要はない」という言葉を紹介され、師も同じように仰っていることを話されました。

師は「まずヨーガを進めていくには、それまで経験で培った観念とか概念とかいう心の秤を無視するところから始める、あるいは疑うところから始める。またその聖典とか真理の言葉といわれるものも、鵜呑みにする必要はない。ただし、その両方についてよくよく考え、そして瞑想して、間違いのない答えが出てくるまでそれを探求しなければいけない」と説かれています。

まさに師のこの教えの通り、探求の真っ只中のNさんと私たち。ゴーパーラさんは、瞑想を山登りに例えられ、学生時代に行ったチベットの高度5000メートルの山で、高山病になったことを紹介されたことがありました。どんな山を目指すかは人それぞれ。目指している山が違ってもいいけれど、でもどんな山を目指すにしても頂上に辿り着くためには、やらないといけないことがある。それは土台作り。基礎体力が必要! その基礎作りが瞑想入門のクラスなのです。基礎は何度も繰り返し学び実践することで強固になるなぁと私は感じています。

とっても為になる実践的な瞑想入門クラスなのですが、実は参加人数が少なくて(涙)クラス宣伝のため、チラシ蒔きを兼ねて数人でインドカレーのお店に行く機会がありました。私はそこでNさんと初めてゆっくり話しました。Nさんは、すっごく正直で、真っすぐで、ある意味、師の教えの言葉を地で行く(!)絶対に何も鵜呑みにしない人(笑)なんだなということを感じ、何てヨーガ向きな人なんだ?!と思いました。真理も神ももちろん全く鵜呑みにはせず(笑)、自分自身で確かめながら、着実に道を歩んでこられたんだと分かりました。Nさんは師のサットサンガでも師に、疑心暗鬼になるんです、神という存在についても信じられないです、どうやって信仰する神を選ぶのですか?というような正直な質問をたくさんされていました。私はNさんに対して、疑心暗鬼だと言われながらも、でもこんなにも熱心にサットサンガやクラスに参加し、これだけヨーガを続けられるその理由は何なんだろう??凄いなと密かに思っていました。お話してその謎が解けました、Nさんは師の存在にただただ惹かれている! 好きになってしまっている♡

さて、そんなNさんからあるエピソードを聞きました。Nさんが書いてくださったそのエピソードをここでご紹介したいと思います。(ナリニー)

* * *

 

「まあ、なんてかわいらしい仏様!」
2019年12月8日、この絵はわたしのもとに届きました。
その1週間前、師の特別サットサンガの日、瞑想の対象を決められずにいたわたしは

師に「神様に来てくださいとお願いしてもいいですか」と尋ねました。
師は「お願いしてもいい。その中で親しみのもてた神を信仰すればいい」と
仰ってくださいました。

それから数日後、知人から「Kさんが、渡したい絵があると言われている」というお電話がありました。Kさんは長年マザーテレサの下で奉仕活動をされている方だったので、わたしは「もしかしたら、キリスト様かマリア様が家に来られるのかなぁ」と思っていました。

そして、12月8日、ブッダが悟りをひらかれたその日、この絵はわたしのもとへ。
以来、ずっと見守ってくださっています。

師のはからいによってもたらされた宝物です。

 

ブッダの版画
N 

* * *


ブッダの悟りと教え

12月8日はブッダが悟りを啓いた日です。
ブッダが最初に説いた教え「四諦(苦集滅道)」は次の通りです。

苦……世の中には誰も避けることのできない、生、病、老、死の四つの苦しみと、愛する人との別れ、憎しむ人との会合、求めるものが得られない、心自体が葛藤する苦しみがある。(四苦八苦)
集……これらの原因は欲望であり、その原因はエゴと無知である。
滅……これに対し、一切の苦悩を離れた真実の境地、ニルヴァーナがある。
道……そして、それに至る道が八正道である。

私はヨーガを始めてからブッダの教えを学び、四苦八苦についてまさにその通りだと思いました。それらの苦しみの原因が欲望であり、さらなる原因はエゴと無知であるということも理解ができました。ですがそれは知的な理解で、現実に思いがけないことが起こり苦しみを突きつけられると、心は動揺し冷静さを失ってしまうということがありました。その時の原因を探ると、自分自身も世の中も変化をしていくものなのに、そこに自分が望む形の永遠を見てしまっているという無知があることが分かりました。体も心も世の中も永遠ではないことを受け入れるよう努力してみましたが難しく、どうしたらいいか分からなくなりました。神を思っても気持ちが入らず、以前は心が震えた聖典を読んでも入ってこないような状態でした。
そんな時、『ヨーガの福音』でブッダの教えを読みました。

「ブッダの説く八つの道の最初は、苦しみとその原因とニルヴァーナ——真理——を正しく理解し、悟りを目指さなければならないというものです。その心構え(正見)をまず必要とします」

 師シュリー・マハーヨーギー

この教えを読んだ私は、永遠でないものを考えることによる無力さで放心して立ち止まっている状態だと認識し、永遠でないものを考えるのではなく、「永遠の存在を正しく理解すること」、それがすべきことだと分かり、意識を向ける先がはっきりして、ようやく心が解きほぐれて動き出すのを感じました。

2500年前にブッダが悟り、最初に説いた四諦は、昔も今も変わらず苦しむ者、道を歩む者に光を指し示してくださっています。永遠に人々を導いてくださっているブッダに感謝を捧げます。

松山の瞑想クラスの挿絵で描いたブッダ

サルヴァーニー

 


師シュリー・マハーヨーギーが語られた全記録から編纂したヨーガの決定版、全16章『マハーヨーギーの真理のことば』がついに発刊!!!

ヨーガの全てが網羅されたボリューム豊かな内容となっています。生き方や自分の理想を模索している人、困難な状況や苦悩に直面している人、確かなもの、本当の答えを探している人、瞑想やヨーガを学びたいという人、神を求めている人、真我の探求をしている人・・・一人でも多くの方に、師シュリー・マハーヨーギーが語られた真理の言葉が届きますように。

詳細やご購入はこちらから➡️『マハーヨーギーの真理のことば』


『ヨーガ・スートラ』写経

『ヨーガ・スートラ』ーーその名が示す通りヨーガの経典です。
私はこの夏、その写経をしました👳‍♀️📝

4章195節から成る『ヨーガ・スートラ』ですが、この写経をしてすぐに感じたのは「学びの一つは書く」ということです。私自身、最近はパソコンで文字を打つことがほとんどでしたが、久しぶりにじっくり書くという行為をしてみると、眠っていた「書いて学ぶ」という感覚が身体の中から蘇ってきて、学びの基本に立ち返ったように感じられました。

また、解説や注釈なしに一節一節を抜き出して書き、それを始めから終わりまで何度も読み返すことで、『ヨーガ・スートラ』の全体像や要の教えが見えてくるような感覚がありました。当然のことなのですが、『ヨーガ・スートラ』は「心の作用の止滅」、これが主題なのだと。つまり、心に執らわれや煩いが一切ない「無執着」、その心の無一物になるにはどうすればいいかについて説かれていると感じました。

「それら(心の作用)の制御は、実践(修行)と無執着とによっておこなわれる」 『ヨーガ・スートラ』1−12 

「見えたり聴こえたりする対象への渇望を棄てた人々のところにやってくる、そして、対象を支配しようと決意する、その結果は、無執着である」 『ヨーガ・スートラ』1−15 

 ーー『ラージャ・ヨーガ』P112、115より引用

私はこれらの『ヨーガ・スートラ』の教えに触れていると、ある覚者の存在が心に浮かびました。それは「ブッダ」です。ブッダは次のような教えを説いています。

「すべての束縛を断ち切り、怖れることなく、執着を超越して、とらわれることのない人、ーーかれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ」 『スッタニパータ』620−621

「熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と、ーーこれによって〈バラモン〉となる。これが最上のバラモンの境地である」 『スッタニパータ』654−655

ーー『ブッダの人と思想』P13、15より引用

バラモンとはブラーフマナのことで「清浄無垢な真人」であります(『ヨーガの福音』P44)。清らかで純粋な心の持ち主、まさしく真のブラーフマナであるブッダの説いた無執着や熱心な修行・制御が『ヨーガ・スートラ』の要旨と一致しており、ブッダとヨーギーの同一性が感じられます。

今回の写経を通して私自身、ブッダ・ヨーギーの無執着の心境を目指していこうと気持ちを新たにしています。
写経はやってみると単純に楽しいですし、読むこととはまた違った味わいで経典・聖典に触れることができると思います。大袈裟かもしれませんが、心にブッダやヨーギーの無執着が写されるように感じます。
まだ写経をやっていない方、本当にお勧めします👳📝

ゴーパーラ


ブッダの共生観

祇園精舎や竹林精舎を寄進されたブッダは、それらを拠点に民衆へ布教し、またサンガ(修行者の集まり・共同体)を形成して弟子の育成を行ないました。インドの雨季や過酷な暑さにおいてその精舎の存在は、弟子や信者にとっても師や仲間と共に修行に精進できる大いなる避難所であったと想像できます。


さて、今回のブログはブッダの説いた「修行」「サンガ」「共生」についての内容です。
修行というのは、ブッダが「犀(さい)の角(つの)のようにただ独り歩め」と説いているように、内面の強烈な集中力でもって独り黙々と行なっていくことが基本にあります。ただ、ブッダはそのような単独で行なう修行だけではなく、新たにサンガを形成し、仲間と共に切磋琢磨するスタイルを確立します。
そのサンガに関連するのが、「自然万物は共に支えあって生きている」というブッダの説いた共生観です。以前、私は師に「ブッダが説いた共生観というのは新しい考えだったのでしょうか?」と質問したことがあり、師は次のようにおっしゃられました。

「ブッダが説く共生観というのも新しい観念というか・・・
それまでのインドの風潮としてはこの世界は苦に満ちているから、そこから解脱しなきゃいけない。そのためには山林独居して苦行であれ何であれ、一人一人がそれを達成しようという単独修行という、言ってみれば世捨人のライフスタイルを推奨していたわけ。特にブッダの時代はそれがいちばん激しく言われていたかもしれない。だから共生する必要がないわけやね、他者とのね。そういうことにも目も触れずに、ただ自らの悟りというところだけを目指しなさいというような至上命令として与えられていて、行なっていたわけ。
でもブッダの弟子たち、修行者に対する教えは山林独居ではなく、村と山林の狭間に暮らせよと。そうして自らには悟りを求めて精進しなさい。もう一方では村の世俗の人たちから喜捨を受けて、食べ物なり何なりそれで食い繋ぎ、またお返しというわけではないけれど、自らの修行が深まるにつれてこの世俗の人と接するということが祝福になり、歓びをもたらすに違いないからという教えもまたそこで直接の弟子ではない人に対しても与えることができて、少しでも苦しみを癒すことができるだろうと。それは共生という、立地的な修行環境、これも変革があったんやね。
サンガという修行者の集まり、これも一種の共生やね。それまでは単独の山林独居、独居、そういうものからグループの修行者集団というサンガの形成によってお互いが励まし合い、修行を進めていけるようにと、そこで学ぶことも多い。優しさであったり、エゴをなくすことであったり・・・そういう未完成な修行者といえどもいろんなエゴや煩悩があるかもしれないけれど、そういうのを共生することによって、毛羽立って見えてくるし、そしたらそれを無くしていこう、へりくだっていこう、いかないといけないとか、謙虚であらねばならないとか、優しくあらねばならないとか、そういう思いになっていく。
そういう意味ではブッダの新機軸というか新たに始めた、それまでの様子は一変したところは見受けられる」

この師のお言葉から、ブッダは共生という新機軸でもって、有効的かつ最善を尽くして、修行者のみならず民衆を苦しみから解き放って心の平安へと導いていたことが感じられます。ブッダの再来といわれるヴィヴェーカーナンダも「彼(ブッダ)は宣教を修行の中にとり入れた、世界で最初の人」(『シカゴ講演集』p 55)と述べているほど、そのブッダの存在や行動はダイナミックであり革新そのものだったと分かります。

ブッダが説き、実行した共生ーーその時代から2500年経った現代、私自身が修行を続けることができているのは「ブッダ(目覚めた存在)・ダルマ(真理の教え)・サンガ(修行者の仲間)」、この三宝が在るからだと心底実感しています。改めて、この三宝に帰依し、ブッダの「共生」を胸に修行を実践していきたいと思っています。そして、すべての人が平安であることを心より願っています。

ゴーパーラ