その他の聖典」カテゴリーアーカイブ

ホーリー・マザーからの贈り物①

私が初めて真剣に読んだ聖典は、『ホーリー・マザーの生涯』です。

ヨーガをもっと学んでいくには、聖者について書かれた本を読むのもいいと聞き、幾つか本を手にしたものの、そこまで関心を持てずにいました。
他のグルバイのような熱心さが私には持てないのかもしれない…少し焦るような気持ちになっていた頃、出会った本でした。
本を開くとすぐにホーリー・マザーのお写真があるのですが、初めてそのお顔を見た時、なんて穏やかな表情なのだろうと思いました。見ているだけで心が静まるようでした。きっと優しい方だったんだろうな。それが第一印象でした。
この本にはホーリー・マザーの生涯においてのさまざまなエピソードが書かれていますが、理不尽と思われる目にあっても、苦境に立たされても、時に包み込むような優しさを持って、時に毅然として、立ち向かわれる姿がそこにありました。そのことに圧倒されつつも、ホーリー・マザーがどんな人生を送られたのかをもっと知りたくなって、本を読み進めました。

しばらくして、師に質問しました。
「ラーマクリシュナよりもホーリー・マザーに親しみを感じているけれど、それで大丈夫でしょうか?」
師はにっこり微笑まれて仰いました。
「ラーマクリシュナは神であることを隠せなかった。サーラダー・デーヴィー(ホーリー・マザー)はそれを隠していた。だから、もっと親しんでいったらいいよ」

それからは本を読むごとにホーリー・マザーが身近になり、その人柄に惹きつけられるようになっていきました。

当時、特に印象に残った教えがあります。

”もちろん義務は果たさなくてはなりませんよ。そうすることで心を良い状態に保てるのです。でもジャパと瞑想と祈りも必要です、少なくとも朝晩には実践せねばなりません。これは船のような働きをします。夜に祈りの座に着くと、今日一日の行いの善悪を振り返ることができます。それから今日と昨日の心の状態を比べてみるのです。…仕事をするだけで朝晩の瞑想をしないのなら、自分のしていることが正しいのか、間違っているのかどうしてわかりましょうか?”

毎日アーサナや瞑想をすることを困難に感じている私にとって、グサっと刺さる言葉でした。
今の自分にはできない気がする。でも継続して行うことが本当に大切なのだということはよく分かった。どんなに短くてもいい。アーサナ、瞑想を毎日やってみよう!
そう決意するきっかけの一つとなりました。

 

ハルシャニー  

 


『あるヨギの自叙伝』〜ヨーガーナンダとスリ・ユクテスワの出会い〜

パラマハンサ・ヨーガーナンダの『あるヨギの自叙伝』を初めて読んだときに一番印象に残った章が、第十章のヨーガーナンダが師であるスリ・ユクテスワにめぐり会う場面です。以下、要約してご紹介させていただきます。

高等学校の課程を修了したヨーガーナンダは、霊的訓練を受けるためにベレナスの僧院で生活していました。僧院と合わず苦悩に打ちひしがれていた頃、偶然出かけた市場の狭い小路の外れに、黄褐色の僧衣をまとったキリストのような男が立っているのを見かけました。その顔は一目見ただけで昔からよく知っている顔のように思われましたが、誰かと間違っていると疑い、通り過ぎて離れました。すると10分ほど行くと足が重たくなり動けなくなり、戻ると足は軽くなり、再び離れようとするとまた足は重くなりました。先ほどの聖者が磁力で自分を引き寄せているのだ!と考えて、飛ぶように小路に引き返しました。その人影はまだそこに静かに立ったまま、じっと自分の方を見つめていました。急いで駆け寄り、その足もとにひざまずきました。「グルデーヴァ(尊い先生)!」その神々しい顔は、これまで何百回となく幻に見た顔でした。「おお、わが子よ、とうとう来たか!」師は、この言葉をベンガル語で何度もくり返しました。その声は喜びに震えていました。「何と長い年月、お前の来るのを待ったことだろう!」あとはもう言葉の必要はありませんでした。沈黙のうちに、二人の心は溶け合ったのでした。

なんという運命的な出会い!文章から情景が思い浮かび、師と弟子が出会い喜び合う姿に理由もなく惹かれました。いつでも本を開いてこの場面を読むと、感動して胸が高鳴り震えます。この大好きな場面を、想像して絵に描きました。

サルヴァーニー


“至福に浸る聖女” アーナンダマイー・マー

『あるヨギの自叙伝』で、ベンガルの“至福に浸る聖女”として紹介されているアーナンダマイー・マーは、1896年4月30日に、東ベンガルで生まれました。

「私は、このかりそめの肉体を自分として意識したことは一度もございません。この地上に生まれる前も同じでした。子供のころも、私は同じでした。成長して女になっても、私は同じでした。(中略)今後、神様のおつくりになったいろいろなものが永遠の舞台の上で、私の周囲を踊りながらどんなに移り変わって行っても、私はやはり同じでございましょう」

『あるヨギの自叙伝』P472

グルは一人もおらず、聖典なども全く知らなかったにもかかわらず、『あるヨギの自叙伝』に載っているこの言葉に表されるように、アーナンダマイー・マーの生涯は一貫して本質と一つでした。36歳頃からは、家を持たず、旅を続けていて、一カ所にわずか二、三日、多くても二、三週間留まるのみという生活をされました。いっさいの執着を棄てて、心のすべての思いを神に捧げました。個人的な好き嫌い、熱望や反感、努力や葛藤、恐れや怒りが全く無く、自我意識と見なされるようなものを表わさず、神の意思・意図と解釈されるケヤーラと呼ぶものに従って行動されました。

至福に浸ると形容されるアーナンダマイー・マーですが、私はその生涯に触れて印象に残ったのは、放棄です。生活面や物質的な放棄はさることながら、心の放棄が完成されていました。常に神の意思・意図に従って行動され、通常の原因と結果の過程に左右されない完全に自由な状態だったからこそ、その目は片時も神から離れなかったのだと思います。

アーナンダマイー・マーの心の放棄を見倣うためにはどうしたらいいでしょうか。その質問の答えが残されています。

「失われることのない彼を思いなさい。彼だけを瞑想しなさい。彼、すなわち美徳の源泉である者を。彼に祈り、彼に頼りなさい。ジャパと瞑想に、もっと時間を割くようにしなさい。彼の御足の下に、あなたの心を明け渡しなさい。ジャパと瞑想を、途切れることなく持続させるよう努めなさい」

『シュリ・アーナンダマイー・マーの生涯と教え』P154

 

絵:アーナンダマイー・マーとヒマラヤ山

1927年アーナンダマイー・マーと側近たちは、ヒマラヤのリシケシとハルドワールにある神聖な巡礼の地を訪れました。その後も北インド全体を常に歩き回り、宗教的な祝祭、キールタンとサットサンガが行われたそうです。

サルヴァーニー


聖者の息吹を感じる! 春の祝祭

今年は例年よりも桜の開花が早いですね。 
すでに満開を迎えたところ、これから開花を迎えるところ、様々な場所で、春の喜びを感じられていることと思います。 

そんな中、マハーヨーギー・ミッションでは、2023年4月2日に春の祝祭「サナータナ・ダルマ・アヴァターラ・メーラ ー神性示現大祭ー」が開催されます。

2017年に始まったこの祝祭は、永遠の真理を完全に体現された神の化身、アヴァターラに感謝と歓びを捧げる祭典です。 

これまでブッダやシュリー・ラーマクリシュナなど、偉大なる大師たちの生き様に迫ってきました。 
最初はこの祝祭がどんな会になるのか想像がつきませんでしたが、ブッダをテーマに取り上げた祝祭で、その意味がはっきりと分かりました。 
ブッダについて名前やどのような生涯だったかは知っていても、どこか遠い存在だったのが、グルバイたちの祝辞を聞く中で、ブッダの息吹を感じ、その人となりに触れることができたのです。 
会場にはグルバイの熱気が充満していて、この上ない歓びで胸がいっぱいになった感覚は、今もはっきりと覚えています。 

2021年からはオンラインでの開催となりましたが、画面を通して各地と繋がることで、離れた場所にいても歓びのひと時を共に過ごせるありがたさを感じています。 

今年の春の祝祭で取り上げる聖者は、パラマハンサ・ヨーガーナンダ。 
ヨーガーナンダの、子供のような純粋さで熱心に神を求めていく姿からは、素直さと揺るぎない信仰心を感じます。 Snatana Dharma Avatara Mela

ヨーガーナンダはどんな人であったか。 
グルバイたちが様々な視点で迫ったヨーガーナンダを知ることができる祝祭はもうすぐ。とても楽しみです! 

 ハルシャニー  


カーリーをもっと近くに!

初めてカーリー・マーのお姿を目にしたとき、「これが神様なの?しかも母なの?」と心の隅で思ったように記憶しています。それほど強烈なヴィジュアルの持ち主ですが、彼女を慕うようになって数年経った今感じているのは、私にとって彼女は、大きくて穏やかで、慈しみと愛情に満ちた、まさに母そのものだということです。

『あるヨギの自叙伝』の中に、パラマハンサ・ヨーガーナンダとマスター・マハサヤとのエピソードが出てきます。その章ではマスター・マハサヤが聖母様と絶えず交流されている様子が描かれています。聖母様がカーリーであるとは書かれていないのですが、そこに記された宇宙の母についての一節がとても好きで、その描写を読むと私は、カーリーのことを思い浮かべずにはいられなくなります。そして彼女の底知れぬ愛を感じて、何とも言えない安心感とあたたかい気持ちに包まれます。

「天の母に子供のような心で近づいて行った歴代の信仰者たちは、彼女が常に自分と遊んでくれていることを証言している。マスター・マハサヤの生涯においても、聖母様が、事の大小に関係なく彼と戯れておられる情景がしばしば見られた。神の目には、大事も小事もないのである。もし神が、原子をあのように精巧に造られなかったならば、大空もあの壮大な天体の構成を誇ることはできなかったであろう。神は、この宇宙が一本のねじくぎの緩みのためにくずれ去るようなことのないように、どんなささいな事にも等しく心を注いでおられるのである。」

『あるヨギの自叙伝』P84より引用

私がどんな存在であるかは全く関係なく、彼女に無条件に愛されてここに存在しているということを知りました。カーリーが常にすべての存在に対して愛情を注いでおられるから、今のこの瞬間も宇宙が保たれています。どんな存在も、等しく彼女が世話をしている子供です。母親に見守られて無邪気に遊ぶ子供のように、カーリーが展開し、維持しているこの世界で私も、生まれてきた歓び・生きる歓びを存分に味わいたいと思っています。

そして、かつての聖者たちが彼女と交流してきたように、私も彼女と本当に話してみたいと思っています。それが叶った時には、何を話そう、どんなことを聞いてみよう、どんなお声で答えてくださるのかな?なんてことを想像してはワクワクしています。最も近しい母なのだから、実現できないはずがない!と思っています。

もっともっと彼女に親しんで近づきたいと思い、あるものを作りました。それは粘土で作ったマスコットです。かなりデフォルメしているし、お見せできるほどの出来栄えでもないのですが(と言いつつ堂々と写真を載せています…!)、私にとってはかわいいカーリーです。

デリケートな素材だったため、ニスを塗って持ち歩けるようにしました。

なぜマスコットなのかというと、幼いころの自分を思い出したからです。よく、お気に入りのキーホルダーや小さな人形を肌身離さず持ち歩き、それが本当に命のある友達のように思って、心の中で話しかけたり一緒に遊んだり、いろんな経験を共有したりしていました。その時と同じように、神様とも親しみを込めてふれあい、常に一緒にいることを忘れずにいたいなぁと思い、自作してみました。

これから、この小さなカーリーがいつもそばにいてくれると思うだけで、私の心は喜びでいっぱいになります。彼女とどんな時間を過ごせるのか、とても楽しみです!

大森みさと


ナーグ・マハーシャヤ

松山でのこと、ヨギさんはある方の質問に対しておっしゃいました、「謙虚さがなければ、ヨーガは進めていくことができません」。

8月21日は、その謙虚な心で知られた、シュリー・ラーマクリシュナの弟子であるナーグ・マハーシャヤ(1846−99年)が誕生された日です。彼の生涯は『謙虚な心』という比較的小さな書籍に記されています。私たちはその本から、ナーグ・マハーシャヤという尊き家住者が、燃え上がるような情熱を持って心の中に謙虚さを築き上げていった、その生涯を知ることができます。 

「謙虚さ」とはどのようなものなのでしょうか。初めてこの本を手にした頃、私は「謙虚さ」という言葉に、静かで穏やかなイメージを持っていました。ですので、この本を読み始めて、驚愕してしまいました。ナーグ・マハーシャヤは、自分の心の中に良くない感情を見つけると、石などで自分の頭を打って血だらけになってしまうのです。そればかりか、自分のために炎天下で働く人々を見ていることができず、屋根修理の職人に対して仕事を止めるように泣き叫んで懇願し、自らを打ち始めます。いったい、これは何なのでしょう、頭を打つのが謙虚さなのでしょうか。それが最初の感想でした。

けれども、少しずつヨーガを学んでいくにつれて、常軌を逸しているように見えるこれらの行為の意味が少しだけ分かってくるようになります。本の中では、ナーグ・マハーシャヤと親交深いギリシュ・バーブがこのように言っています。

「常に打ち続けることで、ナーグ・マハーシャヤは、自我の頭を粉々に砕いた。何を持ってしても、彼の自我の仮面を蘇らせることはできなかった」

つまり、ナーグ・マハーシャヤはあらゆる方法を使って、自分の心から「私」と「私のもの」を破壊し続けていたのです。謙虚な心とは、静かで穏やかな状態なのかもしれません。けれども、その状態に至るためには、こんなにも激しく「私」を打ち砕いていかなければならないのでしょうか。

頭を打つだけではなく、ナーグ・マハーシャヤは積極的に他者に奉仕することによって、心から「私」と「私のもの」を追放します。その奉仕も尋常なものではなく、自分が飢えたり、借金することになってしまっても、当然のように、困っている人々にお金や食べ物を与えました。雨季、雨漏りのないたった一つの部屋に来訪者を泊まらせ、彼と彼の妻は、玄関で瞑想と祈りに一晩を過ごしたといいます。あるいは、やはり雨季に、彼を慕ってやってきたずぶぬれの信者のために、食事の準備に必要な燃料として自宅の棟木を切ってしまうのです。家を破壊する白アリにも愛情を注ぎ、追い出すことなく保護します。いったいどうして、ここまでして彼は、「私」と「私のもの」を破壊し、あるいは謙虚な心を持つことを選んだのでしょう。 

実は、ナーグ・マハーシャヤの献身的な性質は、シュリー・ラーマクリシュナと出会う以前から顕著だったようです。彼は、いつでも困っている人を喜んで助けたといわれています。ただ、それでも彼には大きな悩みがのしかかっていました。神に会いたい! 彼は信仰深い一生を送りたいと願っているのに、妻もいて、仕事もしています。そうした足枷から自由になり、神に会うためだけに生きたい。彼はそう悩んでいたようです。

ですから、ナーグ・マハーシャヤが初めてシュリー・ラーマクリシュナと出会ったときは、もうどんなにか感激して、興奮したことでしょう! 最初の出会いが「彼の興奮した心に献身の炎を燃え上がらせた」と、本には書かれています。そして、そのように燃え上がる心を抱えて、翌週再びシュリー・ラーマクリシュナに会いに出かけたのです! そのとき師は彼に「あなたの霊的な進歩については何一つ恐れることはない。あなたはすでに、非常に高い状態に到達している」とおっしゃいました。その後、彼の放棄の姿勢は、先に書きましたような、通常の人々には理解し難く、常軌を逸していると思われるほど強烈なものとなっていったのです。

「私」と「私のもの」を心から放逐してきたナーグ・マハーシャヤの心には、他者あるいは「あなた」しか残らないのでしょう。そして、シュリー・ラーマクリシュナとの出会いによって、そのあなたは神であり師に他ならないことを知り、そうして万物の中に神を見て、神の召使いとして生きることになったのでしょう。実際に彼は「もし彼が、『なぜ手を合わせているのか』と、尋ねられると、『あらゆる所、そしてすべての存在の中に、イシュタを認めるからです』と答えた」そうです。そのような心のあり様こそ、本当の意味で謙虚さなのだろうと思います。

 

「神はまさに願望成就の木なのです。神は、我々が望んだものは何であれ、与えます。しかし我々は、生死の輪廻へ再び引きずり込むような願望を、欲するままに求めてはなりません。人は、神の神聖な御足に対する揺るがぬ信仰と、神御自身の真の知識をお与え下さい、と主に祈願しなくてはなりません。ただそうすることによってのみ、人は世界の汚らしい枷を逃れ、神の恩寵を通して自由を獲得するのです。世俗的な目的を欲すれば、それに付随する害悪も引き受けなくてはなりません。神の瞑想と、神の信者たちとの霊的な交わりに、ときを捧げる者だけが、災難と惨めさに満ちたこの世界を越えることができるのです」

『謙虚な心――シュリー・ラーマクリシュナの弟子ナーグ・マハーシャヤの生涯』より抜粋

「私」と「私のもの」を放棄し、神だけを求めながら、真理の教えを誠実に守って慎ましく、謙虚に生きていくことができますように。そして、そのために必要な、狂わんばかりの情熱を持つことができますように。

笹沼朋子


スワーミー・ヴィラジャーナンダ

私がヨーガを始めたばかりの頃、熱心に読み込んだ本の一冊が『最高をめざして』です。
353の短い教えが書かれているため、パッと開いたところから読め、ちょっとした空き時間に手に取ることができました。また、著者の厳しさの中に愛が溢れる快活な教えは受け入れやすく、私の落ち込んでいた心がたった数行の言葉に鼓舞され、読後に別人のように晴れやかになることがあり、本当に驚きました。それもそのはずです! 19世紀インドの大覚者シュリー・ラーマクリシュナの最高の叡知を受け継いだスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(以下スワーミジー)の直弟子がこの本の著者、スワーミー・ヴィラジャーナンダだからです!

スワーミジーが西洋諸国を大胆に駆け巡り、シュリー・ラーマクリシュナの尊い教えを広めた偉業はインド中に知れ渡り、民衆は歓喜に湧き立ちました。スワーミジーご帰国の数年前から、僧院ですでにシュリー・ラーマクリシュナの直弟子たちと修行に励んでいたヴィラジャーナンダはスワーミジーに会うことをどれほど待ち焦がれていたでしょう! スワーミジーは国外にいる時から兄弟弟子や僧院の若者たちに何度も手紙を書き、個人的な幸福を追求するのではなく他者のために生き、シュリー・ラーマクリシュナの教えを人々に伝え広めるよう鼓舞し続けていたのです。そして、帰国後のスワーミジーからヴィラジャーナンダという名前をいただいた彼は、師の教えを心の底から敬い、師を喜ばせ満足させようとひたむきに奉仕を続けました。

本日、6月10日はヴィラジャーナンダ(1873~1951)がお生まれになった日です。彼の生涯はまさにスワーミジーの次の言葉を真剣に受け止め実践したものでした。

「自分自身の救済を求めれば、地獄に堕ちるであろう。至高の境地に達したいのであれば、他人の救済を追求しなさい」

ヴィラジャーナンダの働きは多方面にわたり、災難に苦しむ人々の救済活動、『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ全集』(全集の大部分は彼の講演における筆記録、その他は彼による文書、手紙、会話の記録など)第一巻~第五巻までと、東西の弟子たちによる『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ伝』全四巻の資料収集、編集、および出版に尽力しました。
またヴィラジャーナンダは、彼の大勢の弟子たちのために霊性の問題に関する彼の考えや経験を心に浮かぶままに書き留めていました。弟子たちにせがまれ、それらをまとめてベンガル語で出版し、さらにベンガル人以外の弟子たちの要望によってヴィラジャーナンダ自身が英訳し出版、彼が76歳の頃です。その日本語訳が『最高をめざして』です。

最後にグル(師)について今も最も心打たれる教えを本書より引用し、この通りに歩むことでグルのお導きに感謝を示していきたいです。

「人は霊性の世界で、グルへの心からの帰依と信仰がなければ進歩することはできない。決してグルの言葉を疑ってはいけない。それはヴェーダまたは諸経典の言葉と同じように神聖なものであると知れ。もしあなたが真理を悟りたいと思うなら、グルの助言に完全に従うよう努力せよ。今生にも来世にも、あなたのグルほどにあなたのことを思ってくださる人はないのだ、ということを知れ」

スワーミー・ヴィラジャーナンダの御写真。ベルルマトから許可をいただき、そのホームページよりお借りしたものを掲載しております。

アーナンディー


『あるヨギの自叙伝』を読んで(11)ーースリ・ユクテスワ

本日5月10日は、ヨーガーナンダのグル(師)のスリ・ユクテスワ(1855ー1936)の御聖誕日です。
今回のブログでは、彼について少し触れてみたいと思います。


THE 教師とでも言いましょうか、とても威厳に満ちた面構え……もし彼と街ですれ違って目が合ったら、「すっ、すいません!」と私は思わず言ってしまいそうです……
実際、彼は相当厳しいお方だったようで、若きの日のヨーガーナンダは始終叱られっぱなしで、ユクテスワの「自我を打ち砕く鉄槌」は本当に耐え難いものだったと語っています。

少し話は変わりますが、私は幼い頃、祖父母と過ごしている時、ふとある疑問が湧きました。
「じいちゃんとばあちゃんは僕にとても優しいのに、なぜお父さんとお母さんは厳しいのか?」
その理由を母に尋ねると、「親は子供を育てる責任があるから」と言われ、子供ながら妙に納得したのを覚えています。
ユクテスワがヨーガーナンダに厳しかったのも、霊性の息子であるヨーガーナンダを育てる責任があったからだと思います。事実、ユクテスワはババジから来たる将来、西洋にヨーガを普及させる人間(ヨーガーナンダ)を仕込むことを命じられていました。このババジから与えられた使命は、相当な重責だったと察します。しかしユクテスワにはヨーガーナンダへの無上の愛があり、それはヨーガーナンダを育て、そして今やその愛は『あるヨギの自叙伝』を通して世界中に伝播しています!
私は『あるヨギの自叙伝』の中でいちばん好きなのは、「ムクンダ(ヨーガーナンダの出家前の名)」「先生!」という呼び合いです。この名前の呼び合いから私は、叱っても叱られてもそこに絶えずあったグルと弟子との愛と尊敬を感じずにはいられないのです。

1935年冬至祭の行進における2人。中央に掲げられたプラカードのサンスクリットは、上段が「偉大な先達に従え」、下段がシャンカラの言葉で「少しでも聖者と交われば、救いを受けることができる」ーー『あるヨギの自叙伝』より引用

私は今回、スリ・ユクテスワの名前を心の中で唱えながら彼に瞑想すると、『ヨーガ・スートラ』の一文が浮かび上がってきました。

イーシュワラは時の限定を受けないから、古代のグルたちさえものグルである。

彼のあらわれた言葉は、オームである。

名が体を表すように、ユクテスワ(イーシュワラと一致せる者)はグルの中のグルーー
そして、そこから聴こえてきたオームの響きは、フルートのような優しい音色でした。

スリ・ユクテスワーー外見はコワモテですが、内面はとても優しいバクタであったと感じます。
もし今、彼と街ですれ違っても、私は「すっ、すいません!」と言ってしまうことはないでしょう。(たぶん……😅)

1998年5月のマハーヨーギー・ミッションのカレンダー。すごい迫力!!!

✳︎スリ・ユクテスワ(1855年5月10日ー1936年3月9日) 大師ラーヒリー・マハーシャヤの高弟で、パラマハンサ・ヨーガーナンダの師。ヴェーダとキリスト教との同一真義を見い出し、ヨーガーナンダをして西洋にヨーガを布教せしめた。

ゴーパーラ


これぞまさにラーサ・リーラ―だ!

バクティ・サンガムのWebクラスを2年間受講させていただき、その最後のクラスでキールタンを歌っている時でした。画面の向こうに広がる、喜び溢れる笑顔の数々、距離を超えて共に高らかに歌う姿。
みんなの笑顔の中に、クリシュナが見える。
クリシュナが姿・形を変え、楽しんでいる。
Web上とはいえ、このようにみんなで歌っている状況に神の恩寵を感じ、涙が止まらなくなりました。

2年前、コロナ禍において、バクティ・サンガムのWebクラスが開催されることになりました。これまでも大阪や京都でバクティ・サンガムの実クラスが開催されていましたが、静岡に住む私はなかなか参加することができず、バクティ・サンガムの話題があがる度、私もみんなと一緒に歌いたいなぁといつも憧れの気持ちをもって聞いていました。そんな憧れのクラスがWebで開かれるということで、喜び勇んで参加を決めました。

この2年間、キールタンの歌詞だけでなく、関連するお話を毎回趣向を凝らして(ミニチュアールの紹介や手書きの紙芝居もあり!?)教えていただきました。歌に対する理解が深まるだけでなく、情景がリアルに感じられ、これまでにも増して神に対する思いを乗せて歌うことができるようになりました。またクラスの後には、紹介していただいた神や聖者のことをもっと知りたいと思い、関連する本を読みました。そうすることによって私の中でぼんやりと理解していた神や聖者が確かな存在として感じられるようになりました。

特に印象的だったのは、クリシュナ神とゴーピー(牧女)が織りなす「ラーサ・リーラー」のお話です。 ラーサ・リーラーとは、クリシュナとクリシュナを愛してやまないゴーピーたちとの愛の遊戯の物語。そのクライマックスとして、クリシュナがご自分の姿を複数に顕現させ、ゴーピーたちと輪になって踊るシーンが紹介されました。

そのお話を聞いた瞬間、ありありとその歓喜に包まれた美しい情景が私の脳裏に浮かび、「私はこれを知っている」という直観のようなものが胸に押し寄せました。それは、この光景を実際に見たことがあり、経験したことがある!というような、なんとも不思議な感覚でしたが、知っているという感覚がずっと胸の中に残りました。

その後、『ラーマクリシュナの福音』の中に、次のような詩を見つけました。

「深く潜れ、おお心よ、
神の美の大海に、

 もしお前が底の底までおりるなら、
 そこに愛の宝石を見いだすだろう。
 行って探せ、おお心よ、
ハートの中のヴリンダーヴァンを探せ、

 そこで彼の愛する信者たちと、
 シュリー・クリシュナが
永遠に遊んでいらっしゃる」

この詩を読んだ瞬間に、あの「知っている」という直観の理由が分かりました。私の胸の中にヴリンダーヴァンがあり、クリシュナとゴーピーたちが踊っているのだ。私は甘美な喜びに包まれました。ラーサ・リーラーのお話を聞いてから、その絵を眺めては、クリシュナと踊ることをずっと夢見てきました。そんな折、冒頭のように感じたのです。

ラーサ・リーラーとは、本来はあらゆるところに溢れている歓びなのかもしれません。心を純粋にし、神だけを想うことができれば、あの喜びは今ここにあるのだと思います。クリシュナに手を取られ、踊ることができるのなら、他に何を求めるというのでしょうか。

永遠の歓喜の中で、神と戯れたい。
そしていつの日か、クリシュナと一つになりたい。

これが私の願いです。

森ひとみ


神への明け渡し ––マハリシの教え––

私たちには思いや悩みが尽きないものです。欲しいものがなかなか手に入らなかったり、駄目だと思ってもついやってしまったり、大事な時にオロオロして何もできなかったり、沢山の事で思い悩むものです。それについてバガヴァーン・ラマナ・マハリシはこう言います。

『神の至高の力が全ての物事を動かしているというのに、なぜ我々はその力に身をまかせず、何をどうするべきか、どうすべきではないかと思い悩むのだろうか?
我々は列車が全ての荷物を運んでくれることを知っている。列車に乗ってまでも、自分の小さな荷物を頭に載せて苦労する必要がどこにあろう。荷物を下ろして安心しなさい』
 

ーー『あるがままに ラマナ・マハルシの教え』より引用ーー

そうです、自分の小さな思いを神に渡して、神の言うことに従えば楽になるのです。なんて簡単なことでしょう!

バガヴァーンは自我を無くすために『私は誰か?』という真我探求を説いたことで有名です。しかしそれはなかなか険しい道なので、彼は多くの信者には探求よりも容易な神への明け渡しを勧めました。しかしこの道も非常に困難な道であるのは確かです。なぜなら頭に載せた荷物のうち少しは降ろせるでしょう、しかし全ての荷物を降ろすとなると、自分の思いの全てを神に委ねるということになるのですから、自分では好き嫌いも、都合の良い悪いも言えなくなるからです。それが全て自然にできるようになって初めて明け渡せた、となるのです。といっても、バガヴァーンは一足飛びにそうしなさいと言っている訳ではありません。彼はその準備として神への瞑想、ジャパ、神の賛歌を歌うなど、神に帰依することなどを信者に勧めました。

彼が住んでいるアルナーチャラ山はプラダクシナという巡礼をするための山でした。巡礼のために人々は山の麓(13.5km)を神の賛歌を歌ったりジャパを唱えたりしながらゆっくりと歩くのだそうです。バガヴァーンはこれをよく信者に勧めました。そしてさらに彼はこう言います。プラダクシナをしているうちに、

『身体は疲れ、感覚器官は力を失い、すべての活力は内面に吸収されます。こうして自己を忘れることが可能となり、瞑想状態に入っていくのです』  

  ーーラマナアシュラム HPより引用ーー

長距離を歩くのですから何度もジャパなどを繰り返すことが必要で、それが自動的にできるくらいやることが大事なのだと思います。さらに大事なことは、本当のサーダナができるのは、体と心がフラフラになってからなのだということです。与えられたサーダナをやり続けること、そしてやってくるタパスを受け入れること。それをやり続けていけば神に本当に帰依することができるはずです、そうすれば神への明け渡せる日は近くなっていることでしょう。

早く頭に載せた荷物を降ろして本当に安心したいものです。

グルダース