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New!! ヨーガ・瞑想クラス【45分/京都・大阪】

3/26(火)〜5/28(火)までの期間、京都・大阪で新クラスが開講します。

New!! ヨーガ・瞑想クラス【45分/京都・大阪】
↑ 詳しい内容はこちらからご確認ください。

まだまだ寒い日が続きますが、日差しの中に春の輝きを感じる今日この頃、春を迎える清々しい気持ちと、コロナ禍も明けて始動開始!そろそろ新しいことに挑戦するよい時候ではないでしょうか!?

そんなとき、瞑想を始めてみるのはいかがでしょうか?瞑想と聞くと良いイメージがある方が多いと思いますが、実際にはどう良いの?何をしているの?方法は?など意外と分からないことも多いと思います。このクラスでは、そんな疑問点にもお答えしながら、まずは静かに座るということに慣れていただきたいと思っています。またアーサナ(ヨーガのポーズ)をすることで呼吸が落ち着き、瞑想がしやすくなるということも実感していただけるでしょう。瞑想することによって日常で良い変化を感じていただけると思います。

45分という短いクラスとなりますので、ヨーガや瞑想を一度体験してみたい方、忙しいけれど少しの時間でも瞑想する時間を持ちたい方、もちろんすでにヨーガのクラスに通っているけれど、改めて瞑想に取り組みたい方も大歓迎です!気軽な気持ちで来ていただけると嬉しいです。
お得な4回カードもありますので、この期間に瞑想の習慣を身に付けませんか!

サティヤー


春分の日🌸『ヨーガの1日』のご案内

3月20日(水・祝)春分の日に、ヨーガの体験クラスを開催します🌸
一般的にヨーガといえばポーズのことを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、ヨーガはポーズだけではありません。呼吸や食事、歌や瞑想によって、ヨーガを実践し深めることができます。そんないろいろなヨーガを体験して頂ける1日です。
開催する場所は、私たちの師がお生まれになりヨーガを教えてこられたマハーヨーギー・アーシュラマです。そこに居るだけで心が落ち着くような美しい場所です。その空気を味わい、肌で感じながらクラスを受講して頂けます。
また体験クラス以外にも、しおり作りを開催します。(体験クラスを受講された方にはもれなくしおり作りが1枚付属します。)心に響くヨーガの教えを選んでしおりに書いて持ち帰って頂けます。ヨーガの教えは日常の中で頼りになり、生活や人生をより良く導く道しるべとなってくれると思います。
ぜひこの機会に、ヨーガの体験にいらしてください😇

※詳細はこちらをご覧ください💁‍♀️ 春分の日企画『ヨーガの1日』

サルヴァーニー


ホーリー・マザーからの贈り物②

今回このブログのタイトルを「ホーリー・マザーからの贈り物」にしたのは、実際にそのお姿を拝見することやお声を聴くことはできなくても、時間も空間も超えて、今を生きる私に幾つもの贈り物をくださっているように感じたからです。 

 まず、ホーリー・マザーの存在を知ることが聖者の生き様に触れるきっかけとなったこと。
また、ヨーガを学び始めて間もない私にも分かりやすい言葉で真理の教えを語られていること。
 
そして前回のブログで書いた、毎日アーサナや瞑想をする習慣を身に付けられるようになったことも、ホーリー・マザーが与えてくださった贈り物の一つです。 

 
ホーリー・マザーの教えはシンプルなものが多いと思います。私にとって親しみやすく、これならできるかもと実践のきっかけになることが何度もありますが、シンプルな教えだから実践しやすいというわけではないことを痛感したのが、この教えです。 

 「心がすべてです。浄らかに感じるのも、不浄に感じるのも心一つです。心が罪悪感にさいなまれると、他人の欠点を見るようになるのです。欠点を数え上げることで、相手を傷つけられますか?自分を傷つけているだけなのですよ。私には誰の欠点も見ることもできません。小さな親切も覚えておくようにします。人の欠点を見るなんて!許しは素晴らしい信仰の苦行なのです。忍耐よりも高い徳はありません」 

他人の欠点を見ないことを徹底しようとすると、自分の心がどのような状態にあるのか、観察するのが習慣になりました。ところが実践を続けるほどに、この教えを徹底するのは毎日アーサナや瞑想を続けることよりもずっと難しいと気づきました。 

 ホーリー・マザーは純粋で真理を体現された存在だったから、誰の欠点も見ることができなかったのだと思います。 
真実の側から見れば、全ての人は顕れが異なるだけで等しく純粋そのものの存在です。 

ホーリー・マザーの境地にほんの少しでも近付いていけるように、欠点を見ていると気付いたらホーリー・マザーのお顔を思い浮かべるようにしました。 
繰り返しホーリー・マザーの穏やかな表情を思うようにしていると、例えうまくいかなくても心が穏やかさを取り戻すのが早くなったように感じました。また、この教えの中にある、人の欠点を数え上げることは自分を傷つけているだけ、ということが、本当にそうだとはっきり分かるようになりました。相手の欠点を見ることで心はもっと乱されて苦しくなる。心に振り回されると、もうすでに自分の中にある真理から遠ざかってしまいます。 
反対に、この教えの通り、相手がしてくれた小さな親切を覚えておくようにしたり、何か嫌なことをされたとしてもそれを許し過去のこととして囚われないようにしたりすると、心は平安に保たれて、すでに私たちの中にある真理、真実の存在そのものを、ほんのひとときでも実感できるようになります。 
これは日常におけるヨーガの実践の上でとても大切なことではないかと思います。 

私は現在進行形でこの教えを実践中ですが、取り組むほどに何より私自身の心が穏やかになり、幸せを感じるようになっています。 

ホーリー・マザーがすぐそばで力を与えてくださっていると信じています。

 

ハルシャニー  


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑦

今回は、『Paramahamsa』No.24の表紙絵を紹介させていただきます。

この絵は、2001年のあるサットサンガで、ホーリー・マザーについてヨギさんがお答えになったことをお聞きして描いたものです。

ホーリー・マザーについては、私も『霊性の師たちの生涯』を読んで知ったのですが、そこにはホーリー・マザーの浄らかさ、強さ、深い母性、霊性の高さなど、偉大な聖人としてのお姿が描かれていました。
しかし一つだけ、別の意味でとても驚いたことがありました。私は、常に神と共にある御方というのは、何事も順風満帆に行くものだと、当時はそういう思いがあったのですがそれが違ったのです。
長女としてお生まれになったホーリー・マザーは、貧しい中、幼い頃から両親を助けて仕事をこなし、弟妹たちの面倒をよくみられたといいます。そしてそんな身内の方々に、後年になってもなお悩まされたというのです。
若干の教育を受けていた末の弟は若くして亡くなり、他の3人の弟たちはホーリー・マザーとは全く異なる人物でした。彼らは教育も素養もなく、心が狭く利己的で、あらゆることを金に換算して判断しました。そしてつまらぬことで彼ら同士が争い、ホーリー・マザーの生活を耐えがたいものにし、彼女に極度の忍耐を余儀なくさせたというのです。

ヨギさんは、「ホーリー・マザーの状態はすごく象徴的だ」と、そのような状況の中にあったとしても、彼女はシュリー・ラーマクリシュナによって、まさにホーリー・マザー(聖母)といわれる存在となった、そのことは、「ちょうど泥の池に咲く蓮のきれいな花を思い浮かべる」と言葉にされました。世界というのはそのような(泥沼のような)ものだけれども、そんな中でこそ、美しい蓮の花(霊性)が花開くことを示していると。

そのお話をお聞きし、ホーリー・マザーの一層輝いたお姿に想いを馳せ、ヨギさんの前に咲く大輪の蓮を描いてみたいと思ったのでした。

このサットサンガのずっと以前に、蓮についてヨギさんが話されたことがあったので抜粋してご紹介します。

蓮というのは、きれいな池ではなく泥水の沼にしか咲かない。蓮はその中からスッと伸びて美しい花を咲かすが、その花弁には泥の一滴さえも付かない。それは科学的に言えば、葉っぱに繊毛があってとか言うかもしれないけれど、要は付かないんです。だから泥の、あんなに汚いところから咲くにも関わらず、清浄なままで美しく咲く姿が、この世界という地上において、何ものにも惑わされない、汚されない、悟りを拓いたものの象徴として昔から言われている。

シャチー


ホーリー・マザーからの贈り物①

私が初めて真剣に読んだ聖典は、『ホーリー・マザーの生涯』です。

ヨーガをもっと学んでいくには、聖者について書かれた本を読むのもいいと聞き、幾つか本を手にしたものの、そこまで関心を持てずにいました。
他のグルバイのような熱心さが私には持てないのかもしれない…少し焦るような気持ちになっていた頃、出会った本でした。
本を開くとすぐにホーリー・マザーのお写真があるのですが、初めてそのお顔を見た時、なんて穏やかな表情なのだろうと思いました。見ているだけで心が静まるようでした。きっと優しい方だったんだろうな。それが第一印象でした。
この本にはホーリー・マザーの生涯においてのさまざまなエピソードが書かれていますが、理不尽と思われる目にあっても、苦境に立たされても、時に包み込むような優しさを持って、時に毅然として、立ち向かわれる姿がそこにありました。そのことに圧倒されつつも、ホーリー・マザーがどんな人生を送られたのかをもっと知りたくなって、本を読み進めました。

しばらくして、師に質問しました。
「ラーマクリシュナよりもホーリー・マザーに親しみを感じているけれど、それで大丈夫でしょうか?」
師はにっこり微笑まれて仰いました。
「ラーマクリシュナは神であることを隠せなかった。サーラダー・デーヴィー(ホーリー・マザー)はそれを隠していた。だから、もっと親しんでいったらいいよ」

それからは本を読むごとにホーリー・マザーが身近になり、その人柄に惹きつけられるようになっていきました。

当時、特に印象に残った教えがあります。

”もちろん義務は果たさなくてはなりませんよ。そうすることで心を良い状態に保てるのです。でもジャパと瞑想と祈りも必要です、少なくとも朝晩には実践せねばなりません。これは船のような働きをします。夜に祈りの座に着くと、今日一日の行いの善悪を振り返ることができます。それから今日と昨日の心の状態を比べてみるのです。…仕事をするだけで朝晩の瞑想をしないのなら、自分のしていることが正しいのか、間違っているのかどうしてわかりましょうか?”

毎日アーサナや瞑想をすることを困難に感じている私にとって、グサっと刺さる言葉でした。
今の自分にはできない気がする。でも継続して行うことが本当に大切なのだということはよく分かった。どんなに短くてもいい。アーサナ、瞑想を毎日やってみよう!
そう決意するきっかけの一つとなりました。

 

ハルシャニー  

 


一つの笑顔

このたびの震災で被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
被災された方々とそのご家族、心を痛めておられるすべての方々の心の平安をお祈りしたいと思います。

 

ヨーガのみならず世界の宗教の究極的教えは、

他者に献身奉仕すること。

「汝自身の如く隣人を愛しなさい」

一つの笑顔でもいい、優しい言葉でもいい、

苦しんでいる人、悲しんでいる人に彼らの喜ぶことを行ないなさい。

 

―『マハーヨーギーの真理のことば』より―

 

 

どんな状況下にあっても、一人一人が目の前の人に、また隣の人に、一つの笑顔を、優しい言葉を向けられますように。
自分に余裕がない時でも、苦しい時でも相手のことを思える人でいられますように。
こんな時ではありますが、このことを新年の抱負とさせていただきます。それが師から教わってきたことだと思いました。

今年もこのブログを通して、師のヨーガの教えを純粋なまま皆さまにお届けできますように。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

「愛は、優しさでしか表現できない」

 

ナリニー

 

 


永遠の樹下で憩い戯れる

2023年も残すところ3日となりましたが、皆さま、年の瀬をいかがお過ごしでしょうか?

この2023年を振り返ると、私たちマハーヨーギー・ミッションにとって本当に大きな出来事に見舞われた年となりました。
3年に及ぶコロナ禍の行動制限も解除され、休止していた師シュリー・マハーヨーギーのサットサンガ(真理の集い)開催の兆しが見えてきた矢先の5月、師はお隠れになりました。
最愛の師との別れに、私たちは深い悲しみと喪失感に襲われました。

しかし7ヶ月が経ち、私たちはこの苦境を乗り越えて立ち上がり、一歩ずつ前に進んでいます!
師の御入滅から1ヶ月後の6月には全国の弟子が一堂に会して弟子のサットサンガを行ない、夏は猛暑にも負けず各地域で交流を深め、11月にはニューヨークや台北、全国各地の拠点をオンラインで結んで師の御聖誕75周年祭を開催し、私たちは真理だけを見て前進していくことを誓いました。
また私たちの手元にはヨーガの集大成ともいうべき至宝の聖典『マハーヨーギーの真理のことば』があり、さらに実クラス・オンラインクラスでも師から直伝されたアーサナ・瞑想を学べる場が充実しており、畏れることなど何もなく、着実に歩みを進めることができています。
師は本当にたくさんの恩寵を与えてくださっていて、後は私たち自らの足で真理に向かって歩むだけなのです。

「大樹の下に生えた植物は、いつまでも小さなままだ」というスワーミー・ヴィヴェーカーナンダが晩年に残した言葉がありますが、苗木が大樹になるには「師からいただいた教えを今一度自らで考え深め、体得していくこと」が必要だと感じています。
逆風が吹いても諦めずに力強く精進し、そして一人一人が自立し、マハーヨーギー・ミッションが神の平安と果実を楽しめる拠り所「永遠の樹」にならんことを願います!!

最後になりましたが、今年もブログ「ヨーガを生きる」をお読みいただき、まことにありがとうございました!
2024年はよりアクティブにマハーヨーギー・ミッションの活動等を紹介していきたいと思っています!!
では皆さま、どうぞよいお年をお迎えください😇🙏

ゴーパーラ


謝ることの意味

幼い頃から、私と父は事あるごとにぶつかり、関係を絶った時期もあったほどでした。しかし、ヨーガを実践する中で関係を修復することができ、少しずつ穏やかな交流ができるようになっていきました。

先日のこと、父と会い、仕事のことを中心に近況報告をしていたところ、驚いたことに父の口から昔のことを詫びる言葉が出たのです。 
当時の父は何の仕事をしてもうまくいかず、経済的に厳しい状況が続いていたため、子供である私にも辛く当たってしまったこと、その頃のことを、親として本当に申し訳ないことをした、と話してくれました。 
また、そのようなことがあったにも関わらず、今私がしっかり働いていることが嬉しい、と言いました。 
私は、自分の力で生きていくことの大切さを教わったから、大丈夫、と答えました。 
父は少し微笑んで、今までで一番穏やかな雰囲気で頷いていました。 

私は師の教えを思い出し、読み返しました。 

 

”——もし他者を傷つけてしまった場合、どのようにしたらいいですか。 

誰かを傷つけたということを自覚しているのはよろしいです。可能ならば、その傷つけた相手に謝罪をする。もしできなければ、心の中で謝罪をする。そして二度と同じような行ないをしないように気を付けてください。 

——心の中で謝るのは何のためですか。 

自分のためです。それによって心は一つのカルマを浄化するべきなのです。 

 

もし誰かを傷つけてしまったと気付いたら、直接謝るのが一番だけれど、たとえそれが叶わなかったとしても、自分の行為を振り返り、真剣に反省し、その方に心の底から謝ること。その結果、自分の中の過去との決別がもたらされる。そう師は教えてくださっているのだと思いました。

父はずっと前から私に対して心の中で謝っていたのかもしれません。もしかしたら今回言葉にして直接謝ることで、父は背負ってきた荷物を一つ下ろせたのではないか。そうだったら私も嬉しい。

この出来事で、謝ることの本当の意味と、それを真摯に実践することの大切さを改めて感じました。

父の家の近くの道は、イチョウが落葉して絨毯のようになっていました。

 

 ハルシャニー  

 


『マハーヨーギーの真理のことば』第十二章 信仰

「本当に信仰というものはね、そんなに簡単に手に入るものでもないし、お金で買えるものでもない。それは心の足掻きというか、葛藤、そういうものの代償に残されていく、勝ち取られていくものです」

〜『マハーヨーギーの真理のことば』第十二章  

足掻いて、もがいて、それでも掴んでいたいものはありますか?

私はどんなに不器用でカッコ悪くても、真理だけは掴んでいたい。

それが激流の人生を渡る私の命綱です。

真理だけを思って、真理だけを見て、真理を行為していきたいです。

 

ゴーパーラ


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑤

インドの細密画は、15世紀から19世紀を最盛期としてインド各地で描かれ、文化やその土地によって画法やモチーフが異なり、様々な特徴があるといわれています。
小さなものだと数センチ、大きくても一辺が20cmほどといわれる小さな画面に描くのは、「見る人と絵が一対一で対話をする」という考え方があるからだといいます。またそれは魂を清める行為であるともいわれています。
確かに、細部にわたって繊細に描かれた小さな絵をじっくりと眺めていると、時には心が静まり、時には愛に満ちていくようにと、そこに秘められた物語の真意が、心の奥深くに豊かに広がっていくのを感じます。

さて、今回は『Paramahamsa』No.79の表紙を紹介させていただきます。

この絵は、シャクティ(キールタンを歌うメンバー)が毎週、ヨーガ・ヴィハーラに集まって、キールタンを歌っていた時に感じたことをかたちにしたものです。
当時の思いを、『Paramahamsa』の裏表紙に掲載していましたので、ここで紹介させていただきます。

「Panduranga Vitthale(パーンドゥランガ  ヴィッタレー)」、この曲を歌う時、ヨーギニーがただ一人荒野に座り、神を求め続けるという絵が浮かんできます。曲の高まりとともに、彼女の神への愛、神の御名の叫びは、やがて木々や山、大自然にも神を求める声を上げさせる、そんなイメージです。歌の中に入り込んでいくと、いつも深い瞑想へと導かれるような感じを受けますが、そうして歌っている中で、ある日気付きました。私たちは初めは神に会いたいと願い、探し求めるけれど、本当は大自然のみならず、自身の全細胞までが神そのものだということを。
神を感じ、神とともにある不動のヨーギニー、今回はそんな思いを絵にしてみました。

シャチー