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「アムリター不死―」上映会

7月、京都では祇園祭が始まり、祇園囃子がコンチキチン♪と響き出します。19年前の祇園祭真っ只中の2005年7月17日、マハーヨーギー・ミッションでは、あの伝説の聖劇!「アムリター不死―」が京都文化博物館にて公演されました。(詳しくは当時の写真が多数掲載のこちらをご覧ください!→公演リポート

先日その上映会がありました。上映会場の京都アスニーには、師が「アムリタ」当日に京都文化博物館の前に出てこられた時のお写真が飾られ、そこにはフワッと長身の師が佇んでおられるような空気感が漂い、お写真の側には可憐な黄色い小花がさりげなく生けられています。
皆の会話が自然とやみ静けさに会場が包まれた頃、14時となり、いよいよ始まりです。照明が落とされ、中央に大きなスクリーンの光がポッと浮かび上がり映像が映しだされました。

スクリーン右端に映っているのが少年ナチケータス、色とりどりのサリー姿の女性がシャクティたち。

・・・・そして・・・・30分ほどの上映は、瞬きも息も忘れるほど?!アッという間に終わり、それほどまでに集中感に満ちた内容でした。聖劇内容はぜひ公演リポートをご覧いただければと思いますが、今回私が特に印象的だったのは二つのシーンでした。

一つは、真実を求める少年ナチケータスの周りをシャクティたちが円形に囲んでゆっくりとただ歩く静かな動きのシーン。黄泉の国に行くため瞑想に座ったナチケータスの周りをシャクティたちがゆっくりと厳かに三回半歩き瞑想へいざないますが、何とも言えない静かなリズムや呼吸が静謐さそのもので、見ているだけで瞑想に導かれる不思議なシーンでした。
もう一つは同じくナチケータスの周りをシャクティたちが、今度は躍動的に動くシーン。その動きは蓮の花が蕾から少しずつ開いては閉じ開いては閉じ開花していくその様を象徴的に表現した動き。前者の静かに歩くシーンの集中感とは対照的で、ダイナミックなエネルギーの塊のような別の集中感があり、生命と直結しているものや命の根源の鼓動なのか、自分自身の何かがそれと共鳴する体感がありました。太陽の周りの炎や火山の噴火のような強烈な熱源が勢いよく展開し、何かが生まれていく瞬間にも感じました。何もないところから聖音オームが響きはじめ、その振動は広がり、宇宙万物が顕現していく様が暗に表現され、またアートマンがシャクティに展開する様子をも含んでいるシンボリックな美しい場面。中心に座しているのは不動のナチケータス。

私は当時、そのシーンも練習で見させていただいていて当日もいましたが、今回の映像を見たことによって、師が不滅の真実を芸術的に表現されたその美しい世界観、新鮮さに圧倒されました。シャクティたちの表現は蓮の花弁でありながらも、一方ではシュリー・ヤントラ(象徴的な真理の図象) でもあり、一つの身体表現の動きのなかに神聖な象徴がいくつも実は隠されていたといいます。私自身はまだまだ深く理解できていませんが、世界の始まりの生命の源が呼吸し、脈打ち、展開していくその振動、そのリズムをもし視覚的に見られるとしたら、きっとこのようなものなんだろうなと感じ、それを師が私たちにも分かるように表現してくださったことに感謝しました。目を閉じても、しばらくその二つの場面が蘇り続けました。

演者たちの迫真の演技と全身全霊の表現は、この世の者とは思えず、それは演技ではなく、実はそっちが本当の姿で、演じているのは今の人間の姿のほうなんじゃないかとさえ思えました。それは私たち全員もそうなのかもしれないと感じました。映像を通して、命の素の姿を見たようで鳥肌が立ちました。
師が最初から最後まで総指揮をされた貴重な作品「アムリタ」は、時が経てば経つほどに、とてつもない輝きを増すものだと実感しました。

公演当日の準備風景から終わりまでのメイキングフォトのスライドショーもあり、驚いたのは、師は当日、隅々まで私たちと一緒になって実際に動いてくださっていたことでした。当日には皆それぞれ役割担当があり、各場所に散らばり持ち場についていましたが、その各場所の至るところに、師は出没して顔を出してくださっていたことが写真から分かり胸がいっぱいでした。師の楽しそうな笑顔がたくさん映っていました。掃除や片付け、裏方の仕事など、どの現場にも師が私たちと同じ目線で一緒になって考えてくださっているお姿、手伝ってくださっているお姿、会場の準備で床にメジャーをあてて計測されているお姿、控室で演者の衣装をチェックされて大笑いされているお姿、受付や宣伝の係の者たちに声をかけてくださっているお姿、終わった後に舞台の床に貼ってある位置取り?のテープをしゃがんで剥がしてくださっているお姿、そして公演前みんなで雑巾がけしてピカピカに磨きあげた床に弟子一同がずらりと並び、師に礼拝しているその時の師の優しいお姿。その場面を見た時、あの時あの場所で師に礼拝した一念の瞬間の衝撃が鮮やかに蘇りました。師は舞台に上がってくださり弟子から奉納されたお花のマーラー(環)をお掛けになり、優美な微笑みで皆を見守ってくださっていました。そしてその一日、師は、師であられるのに誰よりも率先して動かれ、誰よりも大笑いされ、誰より楽しまれて誰よりダイナミックでピュアで、誰よりもチャーミングで純真無垢な少年のようでした。

公演後の場面では、お客さんたちが師にご挨拶するために師の前に列をなしていました。弟子たちの家族や友人も大勢来ていました。師が一人一人に同じように満面の笑みを向けられ、時には真剣な表情をされ向き合ってくださっているお姿が映っていました。アムリタを公演したことによって師と縁ある人々が一斉に一同に会して、師に、つまり聖者に、接見できる機会に皆が恵まれたのだ、とそのスライドショーを通して初めて私も気づきました。準備段階から公演を通してたくさんの方とのご縁が生まれましたが、公演に来られた方だけではなく関わったすべての方々、大勢の人が祝福された日だったのでした。アムリタの出演者や関係者が、当時、師がアムリタをどのように進めていかれたのか、師のお仕事のされ方や師から学んだことなどをその上映会の日に話してくれたことによってそう感じられました。(上映会で話された内容に関連することがここにも記されています→「アムリタ-不死ー」の主旨

祇園祭りに合わせたアムリタの宣伝計画、新月から始めるチラシ撒きや地域や時期の計画、アムリタのポスターデザインを手掛けられた時の制作秘話など、話は尽きませんでした。師を筆頭に皆総出で一気に突き進み、突き抜けた数カ月間、あまりにも全力を注いだため記憶がない、と言っている者までいました。
時を経て皆で「アムリタ」の歓びを共有した2024年7月14日。その歓びを展開していくための通過点の貴重な一日に、師に心から感謝を捧げます。

 

ナリニー


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑩

今回は、『Paramahamsa』No.86の表紙絵を紹介させていただきます。
冊子のイラストは実際にはモノクロですが、ヨギさんが選んでくださった書体がとても素敵なので、表紙デザインをご覧ください。

この絵は、ガルダに乗ったヴィシュヌ神とラクシュミー神妃です。
ヴィシュヌ神がラクシュミー神妃を抱きかかえるようにしてガルダに乗り、弓に矢をつがえているシーンはよく見ますが、神に抱かれながら、自らの煩悩を撃ち落としたい、強い意志をもちたいというイメージで、ともに弓を持つシーンを描いてみました。
放つ矢に当たって落ちていくのは「煩悩くん」です。

7月といえば、ヨギさんはニューヨークに行かれていることが多くありました。
そうやって離れてみることで、ヨギさんが京都いてくださることで私たちは守られていたのだと感じることが多くありました。しかしそれと同時に、矛盾しているかもしれませんが、離れていることで、常に一緒にいてくださる安心感があり、そしていつも導いてくださっているのだという強い思いにも満たされるのでした。
離れていると感じるのは心であり、実は、今この瞬間も私たちは神に支えられ、力を与えられているのだと思います。それを忘れることなく、真実の道を歩み続けていけますように。

シャチー


バクティ・サンガム始まります!

今年は約4年半ぶりに、バクティ・サンガムの実クラスを開催します!


今期シリーズのテーマは、「キールタンに親しもう!」
インドの様々な神様を月ごとに取り上げ、その神様にちなんだキールタンを歌っていきます。また、初めての方にも分かりやすいように、それぞれの神様についての基本的なことをご紹介していく予定です。神の御名を繰り返すキールタンはとっても簡単。歌の上手下手は関係ありません。気軽に体験してみませんか?

また、ヨーガを世界に布教したインド近代の聖者、ヴィヴェーカーナンダについても学んでいきます。
初回は7/28(日)14:00~詳細はこちら)。一回からのご参加もOK。ぜひお越しください!

★オンライン、動画受講もあります

ミラバイ


私を鼓舞するもの

私は今、いけばなを習っています。お稽古はとても楽しく、集中して生けているとあっという間に時間が経ってしまいます。もともとお花や植物が好きだったこともありますが、お花をいただく機会がある度に「もっと綺麗に生けてあげられたらいいのになぁ……」と、残念に思っていたことがキッカケでした。また、元来、仏様にお供えした花がいけばなに発展したという歴史にも惹かれるものがありました。

先日、お稽古の花材で使った紅花が萎(しお)れかけてきたのですが、お花のオレンジ色がまだとても綺麗で形もカワイイので、そのままサヨナラするのが忍びなくなり、枯れた葉を切って西洋ナズナ(ペンペン草の仲間)と一緒に窓際に飾ってみました。ちょうど夕刻で、窓の外から差し込む夕日に紅花のオレンジ色が一層映え、その様子がとても綺麗だったのでしばらく見入ってしまいました。

ハート形の葉っぱが可愛い西洋ペンペン草と

オレンジ色は私にとって、ブッダや修行僧、師、悟り、などを想起させる特別な色です。以前ブッダが、使い尽くされてボロボロになって捨てられた布を洗って縫い合わせて作った「糞掃衣(ふんぞうえ)」と呼ばれる布で、身体を覆ったと聞いたことがありました。近くに生えている草木などを使って布を染めるとオレンジ色に染まったのだそうです。すべてのものを慈しみ、最後まで大切にされたブッダの人柄が伝わってくるようなエピソードです。ブッダの弟子たちはその「糞掃衣」を着て、彼の教えに従い、悟りの境地を目指して修行に励んだそうです。

私の師も、弟子によって縫われ染められたオレンジ色の服をよく纏っておられました。私の脳裏に浮かぶ師は、オレンジ色のクルター姿でなんとも言いがたい美しい姿勢で座し、たくさんの弟子たちに囲まれ、優しく真剣に教えを授けておられるお姿です。
夕日と夕日の色に染まったような鮮やかなオレンジ色の紅花に目をとめたまま、「私もブッダや師の教えに少しは染まってきただろうか……覚者たちが歩まれた、古(いにしえ)から連綿と続く真理の道を一歩でも進めているのだろうか……」と、自問しました。その答えは直ぐにハートの内に響いてきました。

ーそれは師のみが知ること。そんなことは気にせず、恐れず諦めず、生命の限り精いっぱい進め ー

師の力強い鼓舞は常に私の内にある!

シャルミニー


7月開講‼️ 大阪・京都 瞑想入門「ブッダ−真理−を探せ」

7月11日(木)〜大阪・京都で瞑想入門「ブッダ−真理−を探せ」がスタートします‼️
チラシを手にとられたり、イラストをご覧になった皆さま、ブッダを見つけることができましたか👀?

この瞑想入門では、ブッダがどのような瞑想をしてニルヴァーナ(涅槃寂静)に至ったのか、ブッダの生涯や心境を学びながら、少しずつ瞑想をしていきます🧘
初回の1回目は「すべては変わっていく」(諸行無常)がテーマです。


諸行無常の理は、ブッダが説いた真理の主要な教えになります。
では、なぜブッダはこの理を説かれたのでしょうか?
講座では、まずブッダの生涯を学び、ブッダがいつ、どのようにして諸行無常ーー「すべては変わっていく」と感じ得たのか、ブッダの心境にアプローチして瞑想していきます。
また、毎回の講座ではテーマに関する「日常の教え」もご紹介して、教えを生活に当てはめて実践するポイントもお伝えできればと思っています。

2500年前に生きておられたブッダの息吹やそこから発せられた真理の教えを再発見すべくクラスをしていきたいと思っておりますので、一緒に瞑想してブッダ(真理)を感じ、見つけて行きましょう‼️

歌川国芳の浮世絵になります。よ〜く見ると、今回のテーマ諸行無常「すべては変わっていく」のシンボル「髑髏」が至る所に描かれています。遊び心があって好きな浮世絵です🐈ちなみにチラシの髑髏も歌川国芳の他の作品の髑髏をモチーフにしています。

 

ゴーパーラ


マザーに導かれて

マザー(サーラダー・デーヴィー)に初めて出会ったのは、ヨ―ガのクラスに通い始めて間もない頃、先輩グルバイからマザーの本を勧めていただいて読んだ時でした。馴染みのないインドの風習や、時代も今から百年以上前のお話でしたが、本を読むうちに不思議に風景がリアルに感じるようで、自分がマザーのお側にいるような気持ちになりました。そしてマザーが大好きになっていきました。
クラスでシャヴァ・アーサナ(休憩の形)の時に「何も考えないで」と指導されても、目を閉じるとマザーのお姿が浮かんでくるほど、マザーのことを思うようになっていきました。
私がマザーを思う時はいつも、自分が小さな子供のようにマザーの膝に甘えているような、そんな気持ちになります。それはきっとマザーが、

「私は、善人だけでなく、悪人の母でもあります。私を母と呼ぶ人に、決して背を向けることはありません。子供が泥や埃にまみれていたら、汚れを拭って膝に抱いてやるのが母の務めではありませんか」「困った時はいつでもあなたを守っている母がいることを思い出しなさい」

と言ってくださっているからだと思います。日常で誰かにそんなふうに言われても、私はきっと素直に受け入れることはできないだろうと思うのですが、実際にお会いできなくても、マザーのお言葉は心の奥で確かに真実だと思えるのです。

♦♦♦

今年の春の祝祭は、大好きなマザーをお祝いする会でした。
祝祭に向けてマザーへの讃歌を練習する機会を設けていただいて、何度も練習を重ねました。優しいメロディーはマザーの愛そのもののようで、歌う度にマザーに包まれているような幸せでいっぱいになりました。
祝祭当日は、初めて京都の会場で参加させていただいたのですが、祭壇の美しさや聖劇の迫力など全てが感動的でしたが、中でも一番心に残ったのは、大きなスクリーンに映し出されたマザーのお写真の数々です。マザーの瞳は例えようが無いような輝きに満ち溢れていました。マザーの瞳の先にはシュリー・ラーマクリシュナがいらっしゃって、全てに師を見ておられるのだと思うと、マザーの強い信仰心と汚れのない純粋さに感動しました。

いつも私のことを、母なるマザーが、そして最愛なる師、ヨギさんが見守っていてくださっているから、私は勇気を出して一歩一歩歩みを進めることができます。

大好きなマザーのように、私もいつか全てにヨギさんを見れるように歩いていきたいです。

小野ちさ

 


あるヨーギニーの願い

4月に始まった国分寺クラス。
スタジオから見える桜の木は葉が茂り、緑が濃くなってきています。

植物がぐんぐん成長するように、クラスに参加されている皆さんの中にも成長中の方がいます。そのお1人が、以前から東京のクラスに通われているNさんです。

国分寺クラスに初めて参加された時、クラスで60、70代の方がシールシャ・アーサナ(逆立ちの形)を練習をしているのを見て、驚いたそうです。シールシャ・アーサナは以前できていた時期があったけれどその後できなくなり、もうできないんだと諦めていたとのこと。でも、皆さんが練習しているのを見て「少しだけやってみます」と挑戦されました。その後練習を続けられ、ひと月半ほどで、もう少しで両足が安定して浮かせられるところまでできるようになっています。それに伴い、シールシャ・アーサナ以外のアーサナも、以前より集中感が増してきたように感じています。
「またできるかも、と思えたら、練習をやりたくないという思いがなくなりました」と、軽やかに笑顔で話され、周りでそれを聞いていた皆さんも笑顔になりました。

 

クラスの後、Nさんからとても素敵なお話を伺えました。

「孫が大きくなった時に読めるように、『マハーヨーギーの真理のことば』を贈りたいと思っています。その時自分がいなかったとしても、生きていく上でこの本が支えになると思うから。本に書かれていること、本当のことを、遠い未来になるとしても伝えたい。そして、私もヨーガに出会った吉祥なご縁を、行為で伝えられるおばあちゃんになれるよう、頑張ります」

ご家族のために日々忙しくされている中で、師の教えを実践されてきたNさんの思い、いつかお孫さんに届きますように。

 

いつも素敵な笑顔のNさん

ハルシャニー  

 

 


ヨーガ・瞑想 西宮北口クラス

2017年より始まった西宮北口クラス。
このクラスは、通常は2、3人、多い時で5人ほどが集まる少人数のクラスで、その内のお二人は女性で、初めてご参加いただいてから1〜2年ほどになります。

今日のブログでは、そのお一人である森澤さんの、いくつかのエピソードをご紹介したいと思います。

ヨーガは初めてに近かったと思うから、最初はクラスでアーサナをするだけでも精一杯だったと思います。そんな中、家で毎日アーサナをすることは、誰もにとって難関の一つになったりしますよね。森澤さんもそのお一人だったのではないかと思います。
けれどもしばらく経った後、森澤さんは家でアーサナをした後に私にメッセージをくださるようになったのです。「メッセージを送ることで毎日続けていく励みになる」とおっしゃっていたのですが、それは私にとっても、とてもありがたいことでした。頑張って続けていこうと思ってくださることもとても嬉しいことでしたし、加えて、アーサナをした時に感じたことや、クラスでお話ししたことへの感想も一緒に送ってくださり、次のクラスへと繋げることができたからです。

そうしてアーサナにも慣れた頃から、アーサナ以外のヨーガの教えにも少しずつ触れていただくようになりました。ただ初めて聞く真理の教えに、森澤さんの頭の周りに???が飛んでいるのが目に見えて分かる時もありました。
それでも「アーサナを続けていくことで教えを理解していくことができるようになる」という師の教えをお伝えし、今はアーサナを続けていきましょう、とそんなお話をしたこともあります。

1年も経った頃だったでしょうか、とても嬉しいことがありました。
彼女はマラソンをされているのですが、ある大会でとても成績がよかったことをお話しくださいました。そして、その結果には「最初は呼吸が関係しているのかと思ったけれど、よく考えると、余計なことを考えることなく最後まで集中して走れたからではないか、それはヨーガの効果だと思う」とお伝えくださったのです。

そしてその後の4月、MYMの春のキャンペーンで、本を少し安く購入していただけることを皆さんにご案内した時のことです。『さまらさの台所』は購入を決めていますが、他に何を読んだらいいですか?と森澤さんが尋ねてくださいました。実際に見ていただいて一番読みやすそうなものを選ばれたらいいのでは?と手に取っていただいた後、森澤さんが選ばれたのは『ヨーガの福音』でした。きっとその時、何かしっくりくるものがあったのでしょう。

その次のクラス、森澤さんのアーサナが変わりました。
というのは、これまでクラスに来てアーサナをすると、足がつって続けられないということが何回かありました。家でするとそんなこともないらしく、クラスではかなり頑張ってしまわれるからだと思いますが、『ヨーガの福音』を購入されたあの日も、足がつってしまい、アーサナを続けられなくなったのです。その分、ヨーガの話をたっぷりとできた良い時間にはなりましたが、アーサナに関しては不完全燃焼!と残念に思っておられたようです。

そうして迎えた次のクラス、この日は、足がつることもなくアーサナを終えることができました。今日はつりませんでしたね、とお声かけすると、「これまでは、アーサナの柔軟性を高めようとして頑張ってしまっていたけれど、『ヨーガの福音』を読んで、アーサナをすることへの目的意識が変わり、力を抜いてできたからだと思う」とのこと。そして「『心と体は自分ではない』という教えなどが、スッと心の中に入ってきた。『ヨーガの福音』は何度も何度も読んでいきたい本だと思った」とおっしゃいました。

今、森澤さんは、自分が習っているヨーガがどんなものかもっと知ってみたくなった!と、軽やかに、熱心に通ってくださっています。

真理を体得された師のお言葉は、誰もの心の奥に届き、変革をもたらすものだと、それを改めて実感できた出来事の数々でした。
こうして真理の教えを残してくださった師のお働きに、深く感謝を捧げます。

***

西宮北口クラスは、毎月第1、3木曜日に続けています。
お近くの皆さま、ぜひご参加ください!

シャチー


さまらさの精神を学ぶ・オンラインクラス台湾を通して

昨年の秋、台湾から1通のメールを受け取った。

「台湾のみんなは”さまらさ”に興味があります。以前先輩たちから、台湾の食文化に沿った”さまらさ”をしたら良いとアドバイスをいただきました。そこで、”さまらさ”の精神を学びたいです! 感謝の気持ちで食材をいただくとか、旬の食材を選ぶとか、調味料を入れすぎず食材の元の味を味わうなどなど、その精神を学んだら、どこでも応用できますよね!」

読んだ瞬間、胸が高鳴った。文化や風習は異なっても、ヨーガの食の教え「さまらさ」の精神を知ることで、その地域らしさを生かしたヨーガの食事を学べる。台湾の皆さんと一緒に、その始まりを体感したいと思った。

そこで、前後編の2回の講座形式のオンラインクラスを翌春に開催することが決定し、準備がスタートした。互いの母語が異なるため、通訳と翻訳、資料作成を台湾のグルバイにお願いしたが、いずれの作業も大変さは計り知れず、特に翻訳は時間がかかる。にもかかわらず、幾つもの作業を快く引き受けて粛々と進めてくださり、その仕事ぶりに学ばせていただいた。頭が下がり、姿勢が正された。

春―3月と4月、「さまらさの精神を学ぶ・オンラインクラスー台湾―」開講。

                                  マードゥリーとサラニーが担当

各回15名ほどの方が出席され、みなさんが熱心に耳を傾け、たくさんの質問をされた。画面越しに伝わってくる溌剌(はつらつ)とした空気、表情豊かな同時通訳に引き込まれ、2回のクラスはあっという間に終了した。基本の教えをお伝えするだけで精一杯であったが、師の教えを共に学ぶ、新鮮な歓びに満たされた。そしてクラスの終了後にいただいた感想を拝見し、しっかりとさまらさの精神が綴られていて感動した。御許可をいただきその一部をご紹介します。

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最初は、キッチンに行かないで、料理をどのように学ぶのかと思いましたが、調理法より大事なヨーガの食事の精神を教えてくれるんだと分かりました。体は悟りへ向かうための乗り物で、新鮮で清らかな食物を取ることによって食物からエネルギーを得て、自然と一緒に生きる喜びを感じられる、などのヨーガの教えを学びました。講座を終えた今は、どのように食物を選ぶかをもっと意識して、舌と心の関係にも気を付け、知足と感謝を学んでいます。さまらさのことを実践するようになって、体は本当により軽くなり、喜びが溢れるように感じます。講座をしてくださる先輩たちにとても感謝します。より多くの人がさまらさを学んで、一緒に実践できるように願っています。

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さまらさ講座の内容は予想以上でした。深い教えを分かりやすく説明していただき、少しずつ理解できるようになりました。食事がどのように外側から内側に影響を与えていくかということ、食事が調えられれば生活も調えられることなどを学び、食事の大切さを深く感じました。
「心に従って食べるのではなく、旬の食材をいただく」という教えは、新たな気づきを与えてくれました。何を食べたらいいか分からない時、心の癖に従ってしまうことがよくあるので、どのように食事を選ぶのかを学べてよかったです。
すごいなぁと思ったのは、素材の気持ちになることです。初めて聞きました。それを知って、また少しグルの万物への優しい気持ちを知るようになった気がします。講座のどの内容も素晴らしかったです。すごく勉強になりました。料理することがより楽しく感じるようになりました。

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ある時、師がおっしゃったことを思い出した。
「世の中には食事の情報が溢れている。テレビをつけたらグルメの話ばっかりやろ。
その中で、さまらさの食事の考え方は他のどこにもない。たくさんの人に伝えていってほしい」

師と先輩方が、現代に生きる人々が日常の中でのヨーガを進めやすいように、食を入り口とした「さまらさ」という門を開いてくださった。ヨーガは実践あるのみ、そして、その奥にはいつも愛がある。現代も未来も、そしてどこにいても 誰もが、純粋な喜びの内にヨーガを知り、進んでいけますように!

▪️前編(3/16開講):なぜ私たちは食事を取るのか?「五蔵説」を通した身体の構造、食物の持つ性質、自然の道理―「旬」の食材を取ることが人間の体にとっていちばん適合性が良いことを学ぶ。

図「良質の食事とは」―翻訳、イラスト、デザイン:マハーヨーギー・ミッション 台湾

▪️後編(4/20開講): 舌と心には相関作用があり、食事を調えることは、思いと行為をも制御していく力を身に付けていくことになる。ヨーガの修行においては、日常生活のあらゆる場面で心の執着を客観的に見つめ直し、依存関係を断ち切っていくことが必要でそれはヨーガの目的である「何ものにも依存することのない自存」に繋がる。一方、私たちの体は自分一人の力で生存することは不可能なことに気が付かされ、「自然万物は支え合って生きている」。そして誰もの本質が歓びに満ち溢れた尊い存在であり、あるがままで満たされているー「知足」を学ぶ。

動画 日本のさまらさ・動画クラスの映像に台湾華語の字幕が付いた。

資料 師の聖句を台湾華語にて朗読いただく

サラニー


ホーリー・マザーからの贈り物④

昨年末から、ホーリー・マザーの生き様に少しずつでも迫って行けるように取り組みました。
『ホーリー・マザーの生涯』を読み、この世の中でどう行為すべきか、ホーリー・マザーはそのお手本を示してくださっていると感じました。

教えを実践することが毎日の習慣となり、最初は意識して想うようにしていたホーリー・マザーの存在は、いつしかハートに張り付いたようになりました。 
それは、私にとって揺るぎない信仰の対象である師を想っているのと同じ感覚でした。

それにより大きな安心感が与えられ、日々行為する際には、ホーリー・マザーがいてくださるから大丈夫だと思えるようになりました。

そして迎えたサナータナダルマ・アヴァターラ・メーラー当日。

一人一人がホーリー・マザーの生き様に触れ、その行為に倣い実践をしている様子を見ていたら、
母であるホーリー・マザーは時間も空間も超えて今ここにおられる!
私たちのすぐそばで、大きな愛を持って見守ってくださっている!!
そう感じられたのです。

今、ホーリー・マザーは私にとってかけがえのない存在となりました。この事実が、今回頂いた贈り物の中で一番大きなものです。

きっとこれからも、ホーリー・マザーだけではなく、人々を真実の光を導き続けてくださっている、アヴァターラ(神の化身)たちから贈り物が届きます。
それを大切に受け取り、他者へ行為することで、僅かでも感謝の意を示すことができますように。

ハルシャニー