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ヨーガ・アーサナのポイント

最近、私はサマコーナ・アーサナ(両開脚の形)をしても、お尻が地面に付かなくなりました。
プラーナーヤーマ(呼吸法)を取り入れ、アーサナの時間を減らしてサマコーナをしなくなったら、すぐにできなくなってしまいました。。😓
まぁなぜ、こんな話をするかというと、アーサナのことをちょっと話したいからです。

鴨川でデモンストレーションしていた時の懐かしい写真です〜!(2015年6月)

アーサナを10年くらい続けていると、できるポーズも増えてきます。
「ゴーパーラさんは、痛いと感じるポーズはないのですか? 最初からアーサナできたのですか?」と聞かれることがありますが、「いや、そんなことはない」と答えます。
もともと体は硬く、身体測定で前屈をしても、「マイナス17センチ」とかの記録でした。
なので、アーサナを始めてから最初の数年間は、重い身体を引きずるように行なっていました。
徐々に身体と呼吸がアーサナに慣れ始め、アーサナをすることに気負いや抵抗のようなものはなくなっていきましたが、ルーティンワークのようになってしまう時もありました。
ただそんな中、アーサナへの向上心を持ち続けるターニングポイントのようなものが、二度あったように思います。

一度目は2015年11月の『The Eternal Questー永遠の探求ー』に出演させていただいたことです。
形には慣れ、アドバンス(高度)のものも少し行なっていた時期でしたが、このイベントでアーサナと向き合ったことで、ポーズを完成させるためには、いくつかの「ポイント」があるということを実感しました。
例えばサマコーナ・アーサナ(両開脚の形)であれば、まず手にしっかりと体重をあずけ、腰を入れてお尻の位置を変えずに重心を上体の方に移行し、その重みで足を開いて踵を立てる。
心というのは厄介なもので、どうしてもお尻が地面に付くこと、つまり結果を求めてしまいます。
形や結果に執らわれずに、呼吸を調え、ポイントをしっかりと意識して丁寧にアーサナを行なう。
これは先輩がクラスで指導されていた内容でありましたが、最終ポイントに至るにはいくつかのポイントがあることを身をもって感じたのでした。

二度目は、2016年末から2年ほど行なっていただいた「師の直伝クラス」でした。
直伝クラスでの師は、細かいことはおっしゃらず、いろんなアドバンスに挑戦するように促されました。
そうすると、できないと思っていたアドバンスがスッとできるようになったり、できないものも少しでもできるようにがんばれたのでした。
シャラバ・アーサナ(バッタの形)のアドバンスができないでいる時に師は、「なかなかできひんな。でも、そのうちできるようになるやろ!」とおっしゃられることもあり、その二年間の直伝クラスは、師のお言葉や視線、クラス中の一挙手一投足が私を奮い立たせたのでした。

ヨーガの一部門のアーサナだけ見ても、師の導きは至極、積極的であります。
できていても、できなくても、前に進めてくれるダイナミックな歩みだとすごく感じます。
最近、久しぶりに私は『In The Cave With The Master』のDVDを観ました。
師はアーサナ自体が15年振り、また30年振りにしたというアドバンスのアーサナを軽々とこなしておりました。
これは本当に「驚愕」の映像です。(まだ見ていない人は見るべし!)
私は1カ月も経たないうちにサマコーナができなくなっていたので「この差はいったい何だろうか……」と思わずにはいられませんでしたが、最近読み返した『図解 ヨーガ・アーサナ 基本編』の冒頭には、

「ヨーガとは、本当の自分を実現することです」

と書かれてありました。

「過去や形には執らわれたら、ダメだな」と前向きに捉え、今はヨーガの最大の的(ポイント)「本当の自分」に一点集中を試みている最中です。

『In The Cave With The Master』『図解 ヨーガ・アーサナ 基本編』をまだお持ちでない方は、クラス休講中の折、ぜひこの機会にご覧になってください!(👈こちらをクリック)

ゴーパーラ   


インターネットの動画配信でヨーガを学ぶ!

古代の修行者たちから、「俺たちの時代なんて…」と説教じみた小言が聞こえてきそうなほどの恵まれた状況が、昨年の四月、私に与えられました。

ヨーガに出会ってまだ1年しか経っていなかった私は、『パラマハンサ会員限定瞑想専科 ヨーギーを目指して!12回コース』という力強いタイトルにやや尻込みしたものの、通常のクラスにはない動画受講コースがあり、何度でも繰り返し視聴できるというインターネットならではのメリットに惹かれて、結局受講することにしました。

このコースは熱心なヨーガ実践者に向けたパラマハンサ会員限定コースで、遠方の人も受講できるように、クラスの模様が1週間以内にYouTubeで動画配信されてオンライン受講できるコースも付加されているのが特徴です。レクチャーと45分の瞑想実習、そしてQ&Aの構成です。

会員限定というだけあって、おっかなびっくりの新参者に対する配慮など微塵もないディープなヨーガ愛が、全12回のクラス全てを貫いており、「動画視聴者は会場のプラーナを少しでも感じながら受講をするように」とのアドバイスを意識するまでもなく、毎回、モニター越しに熱いものを感じながら視聴させていただきました。

ある先輩から、今回の講師であるサーナンダさんについて、「サーナンダさんは、ラージャ・ヨーガ(王道ヨーガ)やギャーナ・ヨーガ(真知のヨーガ)の話をするときはとても知性的・論理的だが、バクティ・ヨーガ(神への信愛のヨーガ)の話をするときは敬虔なバクタ(神を信愛する者)のように喜びに溢れかえる。クラスなどでそういった話をすること自体も、聞いた人が少しでもヨーガを深めることができるようにという他者への思いに根ざしたカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)そのもので、とにかく本当に凄い方だ」という講師像を聞いたことがあります。

講師のサーナンダさん

確かに、バクティやプレーマ(真の愛)について涙ながらに語られていた第7回【グルへの愛と献身】第8回【真の愛】あたりの映像や、24の宇宙原理や真我探求についての小難しい話をされていた第6回【心を知り尽くす】第9回【真我の探究】あたりの映像を思い返してみると、改めてそのギャップの大きさを実感し、「バクタ=神の愛人」や「ギャーニー=智者」といったカテゴリーにすら執らわれない『Theヨーギー』の姿を、記憶の中のサーナンダさんに垣間見るような思いです。

第8回真の愛の動画受講の一画面

第9回真我の探求の動画受講の一画面

実際の会場にいる受講者の一人からも、「ヨギさんのことが好きだと言う人はバクティ的な瞑想をする人が多い中、誰にもましてヨギさんに惚れまくっているサーナンダさんが、何故アートマン・ヴィチャーラ(真我の探究)を中心に実践されてきているのか?」という疑問が呈されていました。サーナンダさんは、「入口が違うだけで中に入ったらどちらも一緒です」という言葉で答えられていましたが、あの師が書かれた「ヨーガ・サーラ」の結びの一文、『王道、知、神への愛、献身行為の四つの大河は各々に、また重なり合って一つの大海に流れ込む――真実在という至福の海に。』を地で行くようなご自身の様子そのものが、言葉以上にその答えを体現してらっしゃるように感じました。

永遠の真理、サナータナ・ダルマが人の姿をとってこの地上に現れてくださったのがヨギさんなら、その教えを淡々と黙々と実践し続ければどうなるかを人の姿をとって示し続けてくださっているのが、サーナンダさんを始めとする諸先輩方の皆さんだと言っても過言ではないでしょう、多分。事実、ヨーガを真剣に教え真剣に学ぶ先輩方の姿が映し出された動画を見るたびに、実践に対する信頼と情熱が私の心に湧いてきたものです。

先にも述べたとおり、1年前はそれほどの覚悟を持って受講を決めたわけではありませんでした。この覚えの悪い頭に動画受講コースのメリットを生かすべく、繰り返し視聴しながら教えの部分を文字に起こしてみたものの、結局それに満足してそれっきり読み返さなかったり、何回かの瞑想実習の時間は、1クリックで簡単にスキップできる利便性がよろしくない方向に作用したりと、まったく私らしい体たらくです。
しかし、1年間の動画受講を通して、モニター越しに現代でヨーガを実践しているヨーガ行者の姿を繰り返し見続けた結果、たとえ教えの内容は覚えていなくとも、その姿自体の印象は色濃く残りました。またその印象に、こんな私をして(今のところ)一日最低一時間、瞑想の座に着かせる力があったことは、受講前には想像だにしていなかったことです。

実際のクラスでの瞑想シーン(最終回)

最終回【永遠の真理】でのサーナンダさんは、強力なカルマの中にある我々がヨーガの道を歩もうと思い立ったこと(一年前、第1回【真理】の動画内でおっしゃっていた『発心』)を奇蹟と称されました。
思い返せば、「何のために生きているのか、人生の目的は何なのか」と悩んでいた2年前の私が、インターネットを介してヨーガと出会い、そして今、『真実を悟ること』を人生の目的としてヨーガを実践しているのです。まったく、涙がちょちょ切れるほどの奇蹟です。

さらにサーナンダさんはこうおっしゃいました。「自分自身の中に真実があるということ、自分自身が真実そのものであるということの自覚が少しでも起こったなら、この世の中で何が起ころうと何ひとつ影響を受けない。外の世界に求めるものは何ひとつ無くなる」と。
この世の中で起こることに逐一影響を受け、外の世界に求めるものが百八つある私にとっては耳が痛いところもありますが、この言葉が一層身につまされるような昨今の現状に対して、一年間の動画配信クラスを学び終えた今の私は、淡々と黙々と実践し続けるという態度で応じなければなりません、ヨーギーを目指す者として。

第10回【理想を行動する】の映像で、「志は行動し、実現しなければならない」という言葉が紹介されていました。この1年間で私が最も意識したのも理想についてです。ヨーガに出会えたものの、ヨーガがなかなか深まらないという思いに執らわれていたとき、そもそも自分の理想や志が明確とは言えないことに気付きました。
無知があるからこそ真実を悟ることを目的とするのが道理なのに、その目的たる真実は、無知があるうちはどうしても漠然としたものであり続けるのもまた道理なのです。ヨーガを深めるためには理想を明確にすることが先決なのだと感じました。しかし、理想について考えてみると程なく、理想を明確にするためにはヨーガを深めなければならないとの答えが浮かんできました。…頭の中まで輪廻です。
こうして、結果堂々巡りに終わるような無力な思考に頼っていた今までの傾向は、徐々に力を失っていきました。そして、映像の向こうの現代のヨーガ行者の姿に、思考では結論の出なかった理想の片鱗を見て取り、実践をもってヨーギーを目指すという決意に至ったことが、この1年間における私の中の最も大きな変化なのかなと思います。

曰(いわ)く、この時代の特異性はインターネットとのことですが、そのおかげを蒙(こうむ)って、動画配信という形でヨーガの教えに触れ続けることができた一年間でした。
ありがとうございました。

深水晋治/松山市


識別とヴィヴェーカーナンダ(最終回 )& 今年の締め括り

2019年も残すところ、あと2日になりましたね。
皆さま、年末をいかがお過ごしでしょうか?

さて、今年の私の目標は「徹底識別」ということで、この「識別とヴィヴェーカーナンダ」の連載をスタートさせ、ヴィヴェーカーナンダ、おもにその著作『ギャーナ・ヨーガ』を通して、識別を学んでいきました。
また同時に、私自身の心が執着している世界の対象と、それに対する心の動機というものにも「常浄楽我」という真理を当てがって識別を行ない、世界と心の働きにリアリティという実在性がないことを見極めていきました。
しかし依然として、心には「私」と主張するエゴ意識があり、どのようにしてエゴ意識がなくなるのか分からず、識別も難航していました。
そんな時、10月のサットサンガで師にその打開について尋ねると、師は大きなヒントを与えてくださいました。
それがサーンキヤ哲学が説く二十四の原理ーーエゴ意識が発生する前段階の「ブッディ(認識)」ーーその教えです。

「アハンカーラ(エゴ意識)のもう一つ始まりにあるブッディ(認識)というものだけれど、このブッディがすべてのナーマ・ルーパ(名前・形)をつくり出す原因になっている。だから必然的に私意識の源にいけば、そのナーマ・ルーパというものの正体というか、それの根源の方に行き着くことになって、ナーマ・ルーパというものもこの世界が展開するときに発生したものだから、それらは消えていくことができます。消えていくというのは、プラクリティという根源にそれを引き戻すという、実際には消えていくという関係です」

この教えを聞いて、「ブッディ(認識)があるから自分と他者、世界の区別ができ、エゴが成り立ってくるのか」と感じ、目から鱗でした。
そこで私は、エゴ意識に常浄楽我を当てがうということから、エゴが出てくる源のブッディ、そしてプラクリティを辿っていく二十四の原理の瞑想を行なっていきました。それと同時に、二十四の原理の教えと類似している十二因縁の瞑想も行ないました。
その瞑想を続けていくうちに、心にゼロがかけられていく感覚が起こったり、また心を辿っていくと最後に残るのはプラクリティの根源であるカーリー、オーム、師のお姿という感触がありました。
そして忙しい合間、ただ階段に腰掛けて休憩していた時、この識別瞑想を行なうと、心そのものが解体されていく実感がありました。それは家が崩れていくようなものでした。
それからは不思議と、心自身がリアリティという実在性を失い、心の思いに執らわれることが一気になくなっていきました。
そして『ヨーガの福音』の師の教えの一節が自然と思い出されました。

「『複合物』はすべて生まれ、変化し、消滅するということです。『単体』なるものは初めから生まれもしないし、なくなりも変化もしない。それのみが実存しています。実体は永遠なのです。それが私たちの本当の自己であり、神、真理です。それだけを求めなさい。そして実現しなさい。あなた自身なのですから」

人生の主人公は解体されるような心ではない、その奥に在る壊れることない本当の自分、アートマンであります!
心に実在性がないと分かった今、私の心はアートマンに向かっています!!
2019年、この年も師の大いなる導きに誘っていただいたと確信した1年でした。
最高の師シュリー・マハーヨーギーに感謝致します。

ゴーパーラ


The Eternal Quest Essence ― 永遠の探求 ―!!!

a

この宇宙はどこから来たのかー。

私は誰か?

どこから来て、どこに行くのだろう。

ー永遠の探求 The Eternal Questよりー

 

The Eternal Quest Essence ―永遠の探求― が12/4にリリースされました。12/1のダイジェスト版に続いての公開です。

Essence(エッセンス)の名の通り、公演「The Eternal Quest」の真髄を凝縮したディレクターズカット版です!!!

ウパニシャッドの珠玉の言葉、息を呑むほどのアーサナの集中感、キールタンの溢れる神への愛!深淵なるヨーガの真髄が具現した、非常にシャープな映像に引き込まれます!

公演、映像ともにデザインされた、師シュリー・マハーヨーギーの祝福とお力に感服いたしました!心より感謝を申し上げます!

さてー

私は誰か?

その答えを私たちは果たして見出したのでしょうか!?

人生は一瞬のうちに過ぎ去る!

それ以外に知るべきものは何もない!

神に恋い焦がれ、狂い、一つになれ!

古来のヨーギー、ヨーギニーたちの魂の問いかけが、私たちの魂を揺るがせます!

 

今日12月8日は、かの偉大な主ブッダが悟りを啓かれた聖なる日です。

「私は古道を見つけ、それに従った」と主ブッダは言われましたが、この吉祥なる日に、古代より継承される永遠の真理とそれを実現する偉大なる道ーヨーガに思いを馳せながら、その精髄をとくとご覧あれ!

オーム・タット・サット オーム!

サーナンダ


日常がアーサナにあらわれる

アーサナのクラスを受講していたときのことです。鳩のポーズ(カポタ・アーサナ)をすると、毎回腰が痛いと思っていたので、講師の先生にポイントを尋ねると、「それは落ち着くところに落ち着くというか・・・自分でやり続ける中で見つけていくしかない」と言われ、そして「やっぱり腰に力を入れること」と言われました(違和感のある痛みであれば無理せず控えることも言われています)。実はその前回のクラスで、別のアーサナ(マッチェーンドラ・アーサナ ねじる形)でも腰が引けていることを指摘して頂いていたのでした。

アドバンスで取り組んでいる鳩のポーズ。もっと腰に力が入れられると、顔の位置がさらに足へ近づきますね。

そう言えば猛暑が始まってから身体がだるく、水分を取る量も増えて、普段から家の中では猫と一緒に寝そべってゴロゴロしていることが多い・・・。仕事中もお腹の力を抜いて悪い姿勢をしていることが多い・・・と日常での行為を思い出し、思い当たる節があることをお伝えすると、「アーサナはたった2時間やけど、他の時間の方が長いから・・・・・・。でも今気付いたんやから、もう大丈夫!」と優しく勇気付けてくださいました。日常の在り方がダイレクトにアーサナに影響していることを改めて実感し、自分の身体の癖をしっかりと見てくださっている先生の視点の深さに感謝するばかりでした。

帰りに自転車をこぎながら、心の習慣も同じだなと思いました。何かに執着していたら、どんな場面においてもそれが原因で心は苦しんでしまう。隠そうとしても隠せなくて誤魔化してうやむやにしても状況は変わらない。謙虚になって努力を続けていくことでしか、前には進めないのだと思いました。

さあ、やっと涼しく過ごしやすい季節となりました。アーサナを始めるのにも良い季節ですね。日々の生活も、アーサナも、瞑想も地道に取り組んでいこうと思います。

アマラー


どうしたら瞑想はできるようになる?

 大阪府を流れる淀川から分かたれた大川は、途中二手に別れて再び合流し、一つの島を作っています。中の島と呼ばれるその場所に、大阪瞑想専科が開かれる中央公会堂が建っています。
クラスが始まる19時頃、季節によってその様相は変わりますが、瞑想専科が始まった5月から夏にかけてのこの時間は、ちょうど夕陽が沈もうとするところで、とても美しく、大きなビルが立ち並ぶ、せわしない大阪市内とは思えない静けさがあります。

さて瞑想専科は、新コースが始まってひと月が経ちました。講師はサーナンダさん。毎回 10人ほどの参加者が集います。
講座では真理の教えを学べることはもちろんですが、サーナンダさんの体験談やサーナンダさんがこれまで師にお聞きした秘蔵のお話が聞けたりします。

「瞑想といっても、何から始めたらいいか分からない、どうしたら瞑想ができるようになるの?」
疑問をもつ参加者さんたちに、まずは座り慣れていくことにまさることはないとサーナンダさんは言います。
「最初は面白くないかもしれない。けれど何度も座っていく中で、日常では経験できない静けさに気づくと思います。雑念で揺れ動く心を静めていくので、初めは闘いのようでしょう。けれど心の雑念はほおっておくとだんだんと、動き回ることに疲れて静まっていくのです!」
サーナンダさんは中学生の頃から座禅を始め、毎日座って気づいたそうです。40分も座れば心が静まり、深い集中に繋がっていくということを。
ごく身近なことを例え話に用いて話される、おもしろくて深いサーナンダさんのお話は、確実に参加されている方々を引っ張っていっているようです。皆さん、ビシッと座っておられますね。
クラス後には「今日もすごく集中できました!」と生き生きと話されるお姿もあり、また「そんなことを言われてもと思わずに、やってみようと思えるようになりました」「家でも座っています」「心が軽くなりました!」という喜びの声も届いています。

最後に、ある日の会でのこと。
瞑想に限らず、何かをしようと思ってもできなくて落ち込んだ経験は多くの人がもっているかもしれません…… 
サーナンダさんがずっと以前に師(ヨギさん)にお聞きしたお話を紹介してくださいました。

サーナンダ「できなくて落ち込んだことはありますか?」
師「落ち込んだことは一度もない」

(さすがはヨギさん、できないことなんてないんだろうな〜)
すると……

師「できなかったことはある」
(えぇっ! そうなんだ。ではどうしたの?)

師「まだ今は自分にはできないんだと素直に認めた。そうして、どうしたらできるようになるかと考えた。そしてそれをやった。そうしたらできるようになった」

もしそれでもできなければ、あとはその繰り返しだけです、とサーナンダさんは続けられました。
シンプルなお言葉の中に、私たちの本来のあり方が示されたように感じ、心に響きました。

まだまだ入門コースは続きます。
途中参加もありです。ぜひ瞑想専科に心を静めに来てください!

シャチー

*大阪瞑想専科 毎週月曜日 
 https://www.mahayogi.org/classes/meditation_osaka
 京都瞑想専科も毎週木曜日、同内容で開催しています。(JR京都駅近にて)


イベント報告 & 2018年振り返り

一昨日の12月29日、左京区のZAC BARANにて、アーサナ・瞑想のデモンストレーションを行ないました。
今回の演目のテーマは、ヨーギーの起源であるシヴァ神でした❗️


シヴァ神のルーツは、インド土着のルドラという暴風雨の神だと言われております。
演目は『The Eternal Quest—永遠の探求—』の前半部をベースに、イントロでシヴァ神を想起させる雷雲の音を鳴らし、宇宙万物を司る主であり、またヨーギーの第一人者であるシヴァ神に、アーサナと瞑想のデモンストレーションを通して近づこうと試みました。
ただ私、うっかりして写真撮影を依頼しておらず、その時の様子は写真でお伝えできませんが😓、友人からは「宇宙を感じた!アーサナ、音響、着ていたTシャツ(カーリー・ヤントラ)、すべてがマッチしていた」という嬉しい感想をいただきました。
年末の寒波の中、グルバイやクラス参加者の方々もお越しくださって、とっても嬉しかったです!
本当にありがとうございました😊🙏

それで皆さん、2018年はどんな年だったでしょうか?
私はこの1年を改めて振り返ってみると、主ブッダがその中心にあったと思いました。
今年は、ブッダがテーマであった4月の祝祭をはじめ、師は折に触れてブッダについてたくさんのことを教えてくださいました。
その中でも特に印象に残っていることは、5月の松山特別サットサンガ後の夜でした。
その時に師は、「ブッダはこの世でいちばん偉大な人物」と言われ、私は「なぜそう言えるのでしょうか?」と尋ねると、次のようにおっしゃられました。

「ブッダは聖典の権威に影響されていないから」

私は「それが偉大な理由?」とクエスチョンマークが浮かびましたが、少し考えた後、師がいちばん好きだというシュリー・ラーマクリシュナの次の言葉が思い出されました。

「私はヴェーダも六派哲学も超えている」

そしてその瞬間、師が教えてくださっている次のブッダの言葉とつながったのでした。

「たとえ古い聖典が出てきても、それを鵜呑みにする必要はない。自らで確かめ、実践せよ」

インドの地においてヴェーダをはじめとする聖典は生活やその精神性の支柱であり、最高の権威に位置するもので、「それを超えている」「鵜呑みにする必要はない」とは簡単に言えることではありません。
しかしながら聖典は、人間を悟りという偉大な完成に導く言葉であり、その言葉の意味する内実をどれだけ感じ、肉迫することができるのか、つまり「実践」と「体得」がもっとも大切なことだと私は改めて気付かされ、そして何より、師がブッダやシュリー・ラーマクリシュナが発した言葉の内実を知っていると感じ、驚愕させられたのでした。

聖典の言葉は深遠で、どんな言葉でも奥深い意味や、また修行者を悟りへと導く力が隠されていると感じます。
一昨日の演目で、アーサナを終えて瞑想に座り、『The Eternal Quest』で朗唱されたウパニシャッドの詩を流した際、期せずして次の言葉が私の胸に響いてきました。

「身体の動きを止め、呼吸を制御せよ。御者が馬を操るように、心を制御して、全身全霊で神を瞑想せよ!」

今年も残すところ1日ですが、来年と言わず今日も真剣にヨーガを実践し、もっと、もっと、もっと聖典や師の言葉の息吹を感じたいですね!!!

最後になりましたが今年も1年間、ブログ「ヨーガを生きる」を読んでくださった皆様、まことにありがとうございました‼️
来年はより精進をし、良い形でブログに反映できればと思います。
そして、いつも真理を教え、導いてくださっている師シュリー・マハーヨーギーに感謝致します。
皆様、来年もブログ「ヨーガを生きる」をどうぞよろしくお願い致します😇🙏

ゴーパーラ


ヨーガアーサナ・瞑想 デモンストレーションのイベント案内

イベント告知です📢
12月29日(土)19時〜ヨーガアーサナ・瞑想のデモンストレーションを、私一人ですがさせていただきます‼️
場所は、3年前にも出演させていただいた「ZAC BARAN」という京都の老舗ライヴハウスです。

3年前のZAC BARANでのデモンストレーション。

今回の出演にあたって新たなチャレンジを試みており、それは「音響」です!
今まではシタールやタブラの生演奏とともにアーサナ・瞑想のデモンストレーションを行なってきましたが、今回、師の助言をいただき、『The Eternal Quest—永遠の探求—』前半部の詩の朗唱とシタール音をピックアップして編集録音し、それを流しての演出となります。
また、イントロでは「雷雲」の音を流します。
なぜ雷雲なのか?👀☁︎⚡️
ちゃんと意味とコンセプトがあります〜!

年末でお忙しいと思いますが、もしご興味ある方は、ぜひおこしください😃
音の編集録音をしてくださっている丹波在住の兄弟子クリパールさんも当日、音響入りします🎧

ゴーパーラ


12/29 sat   start 19:00 (open 18:00 )
@ZAC BARAN (京都市左京区聖護院山王町18 メタボ岡崎B1)
charge ¥1,000

ミッチー(ピアノ)
POP山モアレcity(バンド)
山本無二(ギター弾き語り)+ナカガワ ユウジ(インド楽器サーランギー)
ゴーパーラ(ヨーガアーサナ・瞑想)


大阪・阿倍野 瞑想クラス入門編に参加して

5月より阿倍野のプレーマ ヨーガ サークルにて、3回シリーズの瞑想入門クラスが開講されました!(詳しくはこちら←

「瞑想は潜水に似ている」とよく言われるのは、講師のサーナンダさん。
潜水では呼吸を止めて水中に潜り、そうすると今まで見えていなかった世界が見えてきますが、 瞑想においても呼吸が静まり停止すると、心の奥深くに潜ることができ、心の奥に在る本当の自分に目覚めることができるとのこと……😵💡
今回のブログは、名古屋で子育てをしながらヨーガをされている末松さんが、この瞑想クラスに参加しての気付きや取り組んでいる実践について寄稿してくれました✏️


「潜りたい!」3年くらい前になるだろうか、あるクラスで先輩グルバイに「水面を泳いでいないで潜ってみれば」と言われた時からずっーとわたしの中にあった思いだ。自分なりに潜り方を探ろうといくつかの方法を試したけれど、うまくいかずすぐにあきらめてそのまま月日が過ぎてしまっていた。
そして今回の瞑想クラス入門のことを知り、奥の方にずっと蓋をしていたこの願望がムクムクと騒ぎだした。このクラスに参加することでこの気持ちへの解決法を見つけることができるかも。いや、何としても手がかりくらいはどうにかしたい!と開催される前から心待ちにしていた。
この入門編は1回目:瞑想を体験する、2回目:心を静める、3回目:心の問題を解決する、3回シリーズで、今までなんとなく自己流で瞑想に取り組んでいたわたしにとっては、本当に至れり尽くせりという感じでうれしい内容だった。
1回目は、瞑想の目的や状態などの基礎をサーナンダさんによってわかりやすく教えてもらい、ファーストステップとして“5分でもいいので、毎日瞑想に座って身体を作っていく”という宿題が出た。今までどんなに忙しくても絶対に1日1ポーズ以上はすると決めてアーサナは行なってきたけれど、瞑想は時間に余裕がある時にしか取り組んでいなかったので、正直言うとこの宿題は毎日実践できるのか確信がもてなかった。ただ、一度眠らせていた気持ちの蓋を開けたことによって、この機会だけは逃してはいけないという切羽詰まった気持ちに動かされ、なんとか毎日行なうことができた。
約1ヵ月実践してみての気付きは、宿題の目標だった“座り慣れる”という感覚を感じることができたことと、心が静かになり集中に入るスピードが1ヵ月前より確実に早くなったと思えたことだった。だけど、まだ“潜る”にはほど遠いし、“瞑想”でもないことはわかっている。
入門編2回目は、呼吸と心の関係のレクチャーを受けた後、呼吸法の実習で牛のポーズやプラーナヤーマを行ない、カーリー・ヤントラを用いての集中の練習だった。
カーリー・ヤントラでの瞑想は、最初は目を開いてヤントラの形を思い描けるようになるまで凝視し、目を閉じて姿形を思い浮かべて集中する方法だったが、ヤントラを用いての初めての瞑想だったためかヤントラの形ばかりが気になってしまい、最初は集中ができなかった。それでも続けていると、ヤントラが浮かんできてその向こうに師のヨギさんを感じることができた。さらにもっとそのヨギさんに集中していきたいと思った時に、残念ながら終了の時間がきてしまった。
2回目の宿題は、“毎日瞑想に座り慣れていき、20分以上を目標にしてみる”というものである。次回のクラスは10/30で3カ月ほどあるが、わたしはこの宿題を実践することに加え、今回のクラスでのカーリー・ヤントラを用いた瞑想練習のような深い集中の練習を続けて行なっていきたいと思う。まだぼんやりだが、あの時いままでとは違う何かを感じた気がするからだ。
“身体と呼吸と心が調えば、心は自ずと対象に同化するように集中されていく”と今回のクラスで教わった。実践あるのみ。わたしも早くそれを体感したい!

最後に余談ですが、今回の瞑想シリーズ3回目の開催日は、当初子供の学校行事の合唱祭のため参加できないはずでした。学校行事なので、しょうがないとは思いながらも素直に納得することができず、「わたしは参加できないのでしょうか? なんとか参加したいです!」とヨギさんにずっ~と祈っていました。そして1カ月が過ぎた頃、学校からこの日にあったはずの行事が11月に延期されたとのお知らせをもらったのです。わたしの経験上、学校の行事は年間で決まっており、予定が変更になることは普通なく、しかも年間予定行事の中で10/30に行なわれるこの日の行事だけが変更されたのです。とても不思議なことでした。きっとヨギさんのしてくださったサプライズだと思うのです。ヨギさん、わたしに大切な機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。

末松 恭子


十二因縁(十二縁起)

師と過ごした台湾での夜、私は原因、原因を探求していくブッダの十二因縁の瞑想の必要性を感じた。(前回のブログ「集」はこちら
では、「十二因縁(十二縁起)」とは一体どういうものなのか?
それは、老いや死をはじめとする一切の苦しみが起こる原因のプロセスを、根本原因である無知にまで遡っている。

無明…真実を知らず、永遠・絶対でないものを永遠・絶対だと見なす根源的な無知。
…自我意識や執着を生み出す元となる、無意識のうちにある潜在的傾向、サンスカーラ。
…自我と他者を区別し、外界を認識する意識。
名色…名前と形という、区別・差別を生み出す微妙な要素。
六処…視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚という5つの感覚機能と思いの働き。
…感覚や思いを通じた外界との接触。
…外界の対象を感じ取ること、感受。
…欲望の対象を渇望・渇愛すること。
…欲望の対象を取ろうと執着すること。
…カルマをもって輪廻する煩悩的存在。
…生まれること。
老死… 老いと死をはじめとする一切の苦しみ。

見慣れない仏教用語が並び、十二の意味を理解するだけでも難解に感じるが、この十二因縁を知的に理解している人は学者をはじめ、仏教者にも少なからずいるだろう。
ただ、どれだけの人が実際に十二因縁の瞑想を行ない、本当の意味を理解しているだろうか?
台湾での夜、師は「知的理解」と「体験的理解」の違いを次のようにおっしゃられた。

ゴーパーラ「十二因縁の公式を、心に当てはめながら見ていってもいいんですか」
ヨギ「それを単なる知的理解で終わらせてはいけない。自分の心を材料にして、自分の心はそれに対してどのような反応を示すか――自分の心がその十二因縁のリアルな体現者となったように順次、十二の原因を遡っていくというのかな」
ゴーパーラ「リアルな疑似体験というか、そういうように進めていく」
ヨギ「本当は疑似体験じゃない。自分の心を材料にするから、(強調されて)直接体験やで、これはほんまは。それを直接体験と思えるぐらい切迫した、心に切迫させていかないといけない。そうでないと知的理解という疑似体験に終わってしまう」
ゴーパーラ「それは言い聞かせのレベルとは全く違う」
ヨギ「言い聞かせじゃない。その原因をしっかり理解すること。単なる言い聞かせはいらない。(強調されて)しっかりと理解すること。それは心そのものが変わっていく。それが直接体験の効果というか結果というふうになっていくはず」

私は小さい頃からずっと執らわれている欲望があった。
台湾の夜から私は十二因縁について考えを巡らせていたのだが、瞑想中にその執らわれている欲望が湧き出てくることがあった。
するとその瞬間、名と形が形成され、そこに手が伸びてつかみにかかり、その対象を渇愛する心の動きが感じられた。
それは一瞬の出来事だった。
この十二因縁とは生死の輪廻という大きなスパンの構図だと理解していたが、一瞬の思いの中にも十二の要素すべてが詰まっているようにも感じられた。
私自身、今まで行なっていた識別瞑想では、欲望やその対象に対して、「それは永遠ではない、絶対ではない」というふうに真理をあてがっていた。
その効果として欲望への執着は薄らいでいたが、まだ完全に消えてはいなかった。
だが、この十二因縁の構図でもって欲望を分解していった時、何か咀嚼しやすい感覚があった。
それは、心の中で欲望の消化が促進されるような新たな実感であった。

そして台湾から帰国して約2週間後の4月7日、ブッダ御聖誕日の前日にサットサンガが開かれた。
私は実践した十二因縁の瞑想について師に確認した。
師は、「それは心が造り出す条件下の構造そのものを明らかにするという意味において、その十二個を辿っていくということは有意義」と言われた。
しかしながら師は、それよりも「もっと大事なことがある」と示されたのだった。
(続く)

ゴーパーラ


*老いや死のような一切の苦しみ(老死)は生まれたこと(生)に原因があり、生まれたことはカルマによって輪廻する煩悩的存在(有)に原因があり、その輪廻的存在はさまざまなものを取ろうと執着すること(取)に原因があり、執着は欲望の対象を渇望すること(愛)に原因があり、渇望は対象を感じ取ること(受)に原因があり、対象を感じ取ることは外部との接触(触)に原因があり、接触は視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚・思いの六つの感覚機能があること(六処)を原因とし、六つの感覚機能は名前と形(名色)という微妙な想念があるために起こり、名前と形は自分と他者を分けることで外界を認識する意識(識)を原因としながら、名前・形とその外界意識は相互に依存して成り立っている。また自他を区別して外に向かうその意識はサンスカーラという無意識の潜在的傾向(行)を原因とし、潜在的傾向は永遠でないものを永遠と見、自己でないものを自己と見る無知(無明)に原因する。これら十二の因果をまとめると以下のようになる。(原因<結果、で示す)
無明<行<識><名色<六処<触<受<愛<取<有<生<老死

MYM 東京 サナータナの解説】