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ヨーガ・瞑想 長岡京クラス

3月になり、少しずつ春に向かっている気配を感じますね。
今日は長岡京クラスの様子をご紹介します。

長岡京クラスは、水曜日の合計2回が毎週開催されているクラスです。
朝クラスは10時~ 神足ふれあい町家で行なっています。

今の季節は菜の花が咲いています。

窓から見えるお庭には、季節の移ろいが感じられるさまざまなお花が咲いています。朝の清々しい空気の中でアーサナと瞑想を行えるクラスです。

毎年この期間はふれあい町家はお雛様の催しをされているので、バンビオの和室で行なっています。写真はバンビオの和室の様子です。

夜クラスは19時~ バンビオ(JR長岡京駅に隣接している施設)で行なっています。

会場の大きな窓からは夜空が広がり、しっとりとした雰囲気の中で行なうアーサナと瞑想は夜ならではの静寂と集中感があります。同日に朝と夜の2回のクラスがあるため、朝のクラスに来られなかった方やお仕事帰りの方が夜に参加されることもあります。

* * *

朝のクラスも夜のクラスも、毎週来てくださる皆勤賞の方や月ごとに予定を決めておられる方など、それぞれのペースで通っておられ、皆さんの真剣な取り組みとその集中感が、着実に高まっている印象です。そして初めてのご参加者にもご自身のペースで進めていただけるので、周りのことは気にせず心身と向き合える時間になっています。新しい方が参加された時には、定期的に通われている皆さんがさりげなく新しい方を案内してくださったりしています。皆さんのごく自然体で優しい姿にはいつも尊敬の念を抱きます。

アーサナのポーズの中で、吐く息を長く伸ばして吐ききることで呼吸が制御されて、そこから生じる皆さんの集中感にその場の空気が支配されていきます。アーサナ中には指導のためにお声をかけることがありますが、ちょっと声をかけるのも憚られるような、リードの声さえも集中の妨げになると感じるほど、それほどまでにみなさんの集中感があります。そして毎回、瞑想を終えた後には、皆さんから静まりを感じるので、やはり師が開発されたアーサナの偉大さを感じるばかりです。
アーサナは生き物の数ほどあると言われていてその膨大な種類の中から師が厳選されたものを、マハーヨーギー・ミッションではその作法とともに大切にお伝えさせていただいています。クラスの指導者は、全員が師の下でヨーガの道を歩んでいる一人のヨーガ行者であり、古代から伝わるヨーガに惚れ込んで、ヨーガを純粋に一人でも多くの人にお伝えしたい!という思いで行なっています。
マハーヨーギー・ミッションのどのクラスに行っても同じことが学べるのが魅力だと感じています。私自身も師から教わったヨーガの素晴らしさを皆さんと分かち合えるように、純粋にお伝えしていけるように取り組んでいます。

アーサナをクラスで行なう時間はそれぞれの方が日頃の日常から少し離れて自分をリセットできる、心身と静かに向き合えるかけがえのない時間です。
長岡京クラスでは、最後に『マハーヨーギーの真理のことば』からヨーガを進めるヒントになることばをご紹介していますが、最近は、瞑想についてのところをお伝えしています。何に瞑想すればいいのか?クラスでは集中できても自宅では集中が続かない、という声なども時々お聞きします。今年は、瞑想が少しずつ深められるようなそういった教えにも触れていく予定です!春になると、体を動かしやすくなります。これからも皆さんと共にヨーガの道を少しずつ歩んでいきたいです。それでは、クラスでお待ちしております。

ふれあい町家のお庭。つぼみがふっくらしてきて、もうすぐ咲きそうです!

🪷長岡京クラスの詳細はこちらから

ナリニー


アーサナの効果

京都に住む娘は現在28歳で、看護師として在宅の患者さんを訪問し、サポートする仕事をしています。当然ながら彼女は、私のことを28年間家族として間近で見てきたわけですから、私がヨーガに出会ってから、どのように変化してきたかを一番知る人物といえます。

娘にはこれまで、「ヨーガは良いから、やるといいよ。やったら、良さがわかるから」というような誘い文句でヨーガを勧めてきました。実際に、彼女自身もヨーガに触れる機会はありましたが、コロナ禍をきっかけに足が遠のいている状況が続いています。

そんな中、2023年5月から娘のところに泊まる機会が増え、今では月に1〜2回は必ず泊まり、その時には昔話や仕事、家族のこと、趣味や友達の話など近況を話すのですが、いつの頃からか、最後には必ずヨーガの話になって、夜遅く、時には明け方まで、笑いあり涙ありで語り合うようになりました。ある時、娘が私のことを「昔とは違って、許容範囲が広がって、どんどんキャパが大きくなっていってるのがわかるよ」と言ってくれたことがありました。その頃から、これまでとは違い、年齢や親子という枠を超えて、より親しく話せるようになったと感じています。

12月に宿泊した時のことです。仕事で患者さんと接する時のことについて

娘 「患者さんのいろんな言動や行為を見て判断していることは、私の心が判断していることだから、それは見ないで、相手に必要なことだけを見て援助するようにしているんだ」
私 「すごいね。それヨーガじゃん」
娘 (驚いた様子で)「えっ!それヨーガなの?」
私 「そうだよ。そうやって、目の前の人に行為していく。でも、そうだな・・・(一瞬考えて)できたら、アーサナをやるともっといいけどなぁ」
娘 「アーサナの効果は何?」
私 「そうだなぁ・・・(自分が体感している効果の中から、娘にいいものを、と考えて)自覚しているかどうかは別として、誰しも身体には疲労や歪み、偏りのようなものがあると思う。その状況がマイナスだとして、しばらくアーサナを続けているとそのマイナスが、アーサナしたらゼロになる、アーサナしたらゼロになるを繰り返すようになる。またしばらく続けていたら、どんな時もゼロでいられるようになって、またしばらく続けていたら、ゼロがたまに1になることがある。そうなった時、たった1だけれど、その1の分、余裕のようなものが生まれて、それが優しさや思いやりとなって行為することができる。そんなふうにアーサナが私の背後をしっかりと支えて、そうして支えられた行為は、相手に喜んでいただける行為となるよ」
娘 「はじめてアーサナの効果が分かった」

娘がすんなり納得したことに驚きました。これまで、何一つ伝えられていなかったけれど、やっと一つ伝えられたことに安堵しました。そして、体得したものでなければ伝わらないという事実でもありました。

私がこれまで行なっていたアーサナは形を真似たもので、体調を管理するために行なっていたように思います。しかし、オンラインクラス「アーサナの秘義」の受講をきっかけに、自宅でのアーサナでプラーナ(気)と背骨の関係を体感し、その日以来、アーサナの取り組み方が一変しました。
効果や変化が実感できなくても焦らないで、プラーナの働きを信じて、真摯に身体と向き合いながら、丁寧に行なうようになりました。すると、アーサナ中に必要なことが直感されるようになり、直感したことを実践すると驚くほど速やかに身体の状況が修復され、滞りがなくなり、さらにアーサナが深められるようになっていきました。

私が感じているアーサナの効果は驚くほどに広範囲です。日常の生活、仕事すべての行為が丁寧に感謝をもって行なうことができるようになります。これまでの価値観は一変し、上手くいかなかったことは、すべて自分の至らなさであると心から受け止め、自らを修正する力に注ぐことができます。が、しかしそこには多少、忍耐力が必要となります。その忍耐力さえもアーサナによって自然と培っていくことができます。

アーサナをすることによってヨーガの歩みは力強く加速し、自分の理想とする人間像を明確にし、それに向かって正しく努力できる叡知と方法が誰にでも開示されると確信しています。

私のアーサナを見守ってくれる大好きなシヴァ神。

山口正美


人は神になることができる

今年のバクティ・サンガムのシリーズでは、毎月様々なインドの神様を取り上げ、その神様にちなんだキールタンを歌っています。そしてもう一つの柱が、ヨーガを西洋に伝えたインドの聖者、ヴィヴェーカーナンダを取り上げ、彼の純粋な信仰と献身奉仕について学んできました。また彼のグル(師)を讃えた讃歌、「Achandalapratihatarayo」も、年間を通してずっと歌ってきています。

この歌は前半部分はとてもメロディアスで、後半はリズムがあり、また途中には楽器だけの間奏があったり・・・と、様々な表情をもつ歌です。歌詞が難しいこともあり、シリーズが始まった頃は、参加されている皆さまも、ずっと下を向き、歌詞カードを見ながら歌われていた方も多かったのですが、先日1月末のバクティ・サンガムの時には、ずいぶん歌詞とメロディーを覚えられたようで、顔をあげて歌われる方も多くなってきました。継続は力なり! 月一回でも少しずつ歌うことによって、とても安定して歌えるようになってこられていて、本当に素晴らしいなぁ!と感じました。

この歌は、途中で「naradeva」という単語を何度も何度も繰り返していきます。nara が人、deva が神という意味で、「人にして神である者よ!」という意味になります。この曲はキールタンとは違い、全体的に歌詞がどんどん変わっていく歌なのですが、途中から、naradeva という単語を、”これでもか!”というくらいずっと繰り返す部分が何か所かあります。歌の中で歌詞にできる文字量って限られていると思いますが、それでもこれだけの分量を割いて、ヴィヴェーカーナンダはこの言葉をこの歌の中に入れ込みました。

ヴィヴェーカーナンダは、師であるシュリー・ラーマクリシュナに出会い、薫陶を受ける中で、人は神のような存在になり得るということを目の当たりにして、本当に驚嘆し、歓喜したに違いありません。それはどんなに多くの聖典を読んだとしても、どんなに聡明であっても、実際に肉体をもったグルに出会わなけば、きっと知り得なかったことだと思います。

彼が少年のような眼差しで師を見上げ、敬愛し、生涯その御足下にひざまずいたその純粋な思いが、この単純な「naradeva!」という歌詞に凝縮されているように感じて、本当に感動します。バクティ・サンガムに参加されている方も、特にこの「naradeva」の箇所がお好きな方が多いようで、この部分を歌う時は、みんなの熱がこもっているのが伝わってきます。
4月に行なわれるサナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラーでも、この歌を歌います。大勢の方とともに歌えることがとても楽しみです。

今回のバクティ・サンガムのシリーズは、次回の実開催2/23(日)(オンラインは3/2)で一旦終了となります。ご興味のある方は、ぜひご参加いただき、一緒に歌っていただければ嬉しいです!

ミラバイ

 


「ヨーガ・サンガム」「弟子のサットサンガ」に参加!!

1月11日(土)・12日(日)に京都アスニーで行われた「ヨーガ・サンガム」「弟子のサットサンガ」に参加しました。
日本各地に住んでいる仲間たちが集まり、新年の初顔合わせとなりました。ともにヨーガに励む仲間たちと過ごした2日間は楽しい時間でした‼︎

11日(土)のヨーガ・サンガムでは、先輩のアーサナ(ポーズ)のデモンストレーションがありました。先輩のアーサナからは熱のこもった集中感と気迫がとても伝わってきて、その真剣な姿に魅了されました。その高い集中感は部屋の空間を支配しているような張り詰めた空気と緊張感が肌を伝ってくる感覚がありました。日々、情熱をもってアーサナを実践し続けてこられたからこそ為せる集中感と気迫だったと先輩たちのその姿を見て思いました。


デモンストレーションを見学して良い刺激を受けた後は自身のアーサナと瞑想に取り組みました。マッチェーンドラ・アーサナ(捻じるポーズ)をした時に、指導者の方が僕の腰に優しく手を当てて腰が真っ直ぐにスッと立つように調整してくださりました。すると、より腰の部分に集中がなされる感覚と呼吸の通りが変化して深い呼吸ができるようになるのを感じました。アーサナは正しい姿勢とポーズによって深い呼吸へと導かれ、心までもが静まっていくことを実感しました。


最後はみんなで瞑想に座っていると、空間全体の静けさと集中感が最高潮に達して静寂というものを感じる中で瞑想ができました。すごく素晴らしい体験でした。また次回の開催も楽しみにしています‼︎


12日(日)の弟子のサットサンガでは、2018年5月に松山で開催された特別サットサンガの映像の上映会がありました。そこでは師が参加者の方からの悩みや問題に対して温かい眼差しと微笑みをもってお答えをされているお姿がとても印象的でした。お一人お一人のお話に対して真正面から受け止め、その方にわかりやすい言葉で丁寧にお伝えされていました。


師の振る舞いを見て僕は改めて憧れの気持ちを抱きました。僕も師のように優しく丁寧に人に振る舞えるようになりたいと思いました。僕は師には少ししかお会いしたことがなかったのですが、師の他者への接し方を拝見すると心がとても優しくなれるような気がします。

サットサンガの中で心に残る問答がありました。質問者の方が「生きる意味」について聞かれ、師はこのようにお答えになりました。

生きるという誰もが何気なく使う言葉ですけれども、本当にどういう意味をもっているのか。生まれてきたから生きる、生きている。ーーこの生きているという言葉の中に果たしてどんな謎があるのか。さらには誰が生きているのか。誰もが、私が生きていると思っています。その私とはいったい誰なのか。私というのは、その生きていると思っている中で、さまざまな状況の変化の中で、学生であったり、少女であったり、少年であったり、夫であったり、妻であったり、親になったり、さまざまな役割は変化すると思いますし、仕事も変わるかもしれない。それでも“私”という意識は変わりません。それらは私がさまざまな状況の中での役割を行為していく、その時々の境遇に付きまとっている名称にすぎないわけです。単なる役割にすぎないわけです。それはイコール私ではないということです。私が生きているというときの、その“私”というものの真実を知る必要があります。私というのは心がつくり出している私ではなくて、変わらない意識としての存在ーー心ではないけれども心を見ている意識が、みんなの中に在る本当の私なのです。生きる意味というものは言い換えれば、真実を知るために生きる、真実を知ることが生きていることの本当の意味になります。

僕はヨーガと出会って自分の人生について真面目に考えるようになりました。「なぜ生まれてきたのだろう?人生の目的って何だろう?」と疑問が芽生えるようになりました。また、「どう生きていきたいのか」という自身の中で生きる軸を持つように考えられるようにもなりました。その答えがヨーガの中にありました。ヨーガと出会い、師から人生の目的や生きることの意味を教わりました。
僕は「誠実に生きたい」と思うようになりました。それまでは優柔不断で有言実行がもっとも苦手でした。そんな僕であったけれどもヨーガに出会って変われることを知りました。
以前、先輩から「ヨーガの言葉では「誠実」とは「サティヤ」という言葉で表され、それは「真実」という意味ももちます」と教えていただきました。誠実さを求めて生きる中に「真実」があるということを師と先輩から学ばせていただきました。ヨーガを通して僕はこれからも「真実を知るために生きること」を深めていきたいと思います。

金森淳哉


呼吸が変われば生き方が変わる ~師から授かったアーサナ~

木々が少しずつ色付き始めていますね。太陽の光でキラキラしている赤い葉や黄色の葉、常緑の濃い緑色、いろんな色の葉っぱがふわ~っと揺れているのを見ると、全身に気が駆け巡るような歓びがこみ上げます。ポツポツ雨が降り始めると、水がこの世界を潤し、世界も自分も清められていく静かな気持ちになります。

そんなふうに感じるようになったのは、アーサナをしてきたことが関係しているように思います。アーサナは、瞑想するための身体の基礎をつくってくれるもので、その身体の源でもある呼吸を変化させると師から学んできました。その呼吸の変化は、自分の体と心をまるごと変えてくれます。ヨーガを知る前は、自分の呼吸について意識をしたこともなく、ヨーガを始めた動機も呼吸には特に関係ありませんでした。でも、今になって動機を振り返ると、実は「呼吸」が重要だったんだ・・・と実感します。

オレンジのマリーゴールド

近くの花壇のマリーゴールド。

20代半ばで師に初めてお会いし、人生の悩みをお伝えした日、師はヨーガの考え方をとっても簡単な言葉でたくさん教えてくださり、毎日アーサナを続けていけばいいよ、そうすれば自然に呼吸が変わって、そして心も落ち着く、そしていらないものは自然と剥がれ落ちていくから、ということを言ってくださいました。

師の雰囲気があまりにも静かで優しく、それでいて快活でユーモアに溢れていて、無垢な方で、一瞬で大好きになってしまい、アーサナを続ければこんなふうになれるのかな~と憧れました。クラス指導者の先輩たちも師と同じ雰囲気で、やっぱりヨーガを続けていけばこういうふうに私もなれるんだ~と思いました。人の雰囲気とか、佇まいとかの見えない空気感を形作っているものは、「気」や「呼吸」が関係していると感じています。

当時ヨーガを始めた動機の一つでもあった自分の悩みの原因は、外の環境にあると思っていましたが、ヨーガを学ぶにつれ原因は外ではなくて私の心、私の受け取り方にある、と客観的にとらえられていきました。だったら、心を変えよう!と決意するものの何度も知らないうちに同じ思い方をしてしまっていました。その同じ状態のままの心を使って自分で自分の心を変えることは割と難しく、意志の力だけではどうしようもない思考の癖や心の傾向みたいなものが邪魔をしてきて、私は私の思考から逃れることはできない・・・と堂々巡りの心と格闘することも多くありました。

しかしそんな時こそ毎日のアーサナに助けられました。アーサナには、自分の心と格闘せずに、それらは少し保留にしたままで、心を動かしている「気」を制御していくことで、心や考え方そのものを変えてしまう偉大な力がありました。アーサナを真剣にただ毎日続けることで自動的に呼吸が変化していくのです。呼吸が変わったことで心の癖や傾向も薄らいでいきました。アーサナクラスに通いながら家でアーサナをする日々の中で、荷物を下ろしていくように身軽になっていきました。

そしてヨーガを学び数年経った頃、どうすればもっともっと自分の憧れの状態に近づくのかと悩んでいたことがあり、その時に、呼吸に懸けようと決めて、アーサナクラスに週1回通うのは既に習慣でしたが、それ以上に通いつめ、家での毎日のアーサナも、より真剣に特に吐く息に意識を置くことを一定期間続けました。すると、停滞感や焦りはいつの間にか消えてゆき、その代わりに強い意志と入れ替わっていました。憧れの境地へたどり着くには一生かかるかもしれないけど、でもヨーガが好きだからあきらめないでずっとやっていこう!と。アーサナでひたすら吐く息に集中していったその経験は、自分の心を内奥から変え、たくさんの贈り物を与えてくれました。

師のアーサナを正しく続けると、呼吸が自然に変わります。今、生きているということは、呼吸をしている、ということでもあるので、その呼吸が変われば、生き方が変わることになります。心を変えるためには呼吸を変えるのが一番早道だと学んできました。

師は、正しいアーサナの復活もご自身の使命だとおっしゃっていました。師から教わり授かったアーサナを大切に守り伝承していくことは、自分たちの責任と使命でもあると感じています。そのためにもアーサナは怠らずに、これからも真剣に学び実践していきたいです。

プラーナ(気)が調うことで体感が変わり、見ている世界や感じる世界、そして生き方が変わりました。師と初めてお会いした日、師が私に言ってくださったように、誰でもアーサナを正しく真剣に行なえば、自分の中のいらないものは勝手に剥がれ落ちていくと思います。

ただ葉っぱが風に揺れているだけで、こんなにも嬉しく感動して愛おしいと思える心になったこと、かけがえのない師に感謝します。アーサナがもたらしてくれる素晴らしさを、一人でも多くの人と分かち合っていきたいです。

おにクル前の白い花

茨木市クラス会場、おにクル前の道の可愛い花。


~お知らせ~

11月9日(土)茨木市「おにクル」でヨーガ的 1から4の呼吸を知って、心を静め全集中を身に付けよう!という、まさに呼吸を変える1歩となる無料ワークショップもありますので、
ぜひ人生を変えるきっかけの1歩を体験しに来てください♪
⭐️ワークショップ体験後にクラス予約された方は、次回クラス受講料が 通常1500円のところ1000円で受講できます。

ナリニー


神の御名の力

10/20(日)待ちに待った丹波バクティ・サンガムを無事開催することができました。

予想外の寒さと時折雨が降り出しそうな空模様でしたが、共にキールタンを歌い、過ごす時間はよろこびに満ち溢れていました!!!
会の中でミラバイさんは、キールタンを歌い慣れていない方や初めて神の話を聞かれる方にも、少しでも理解が育まれるように、易しい言葉でキールタンや神について教えてくださいました。

参加者の方から嬉しいご感想が届きましたので、ご紹介させていただきます!

「ミラバイさんの声が素敵でした。ミラバイさんやみんなと歌っていると、嫌なことが全部吹き飛びます。本当に今日はありがとうございました。楽しかったです」

「とても心地良い時間でした。歌えるかなと心配もあったんだけれど、歌ってると、とても気持ち良かったです。みんなで歌う感じが、とても心地良かったです。実は私、ミラバイさんって、雲の上の人くらいに思ってたんです。本(『真実を求めて』)で知った人やから。けど、実際会ったら、なんて自然体な人なんだ〜って思った〜。ステキな方ですねー。
ヨガの神さまの話、興味深いものでしたよ。普段、そんな事話す機会ないから、お話、面白かったよ。クリシュナが、好きになりました」

私がとても印象的だったのは、会を終えた後の皆さんの顔がほころんで、柔和な雰囲気を感じたことです。 普段から一緒に歌っている仲間の中には、キールタンを歌うことは大好きだけど、神に対しては何か抵抗のようなものを感じておられた方がいらっしゃいました。けれど、この会を通して、ご本人は気付いておられないかもしれないけれど、何か受け取られたものがあったのではないかと感じました。

ミラバイさんは、クリシュナが、愛についてとてもシンプルな教えを説かれていたことを教えてくださいました。それは、「愛によって神に到達することができる」ということです。そして、それは知識も技術も何もいらない、ただただ純粋な愛だけがあればいい、たとえ神のことを知らなくても、御名を唱えることによって、少しずつ心の中に神への愛が生まれてくると思います、と話されました。

京都からはるばる足を運んでくださったミラバイさん、そして、いつも変わることなく見守り、導き続けてくださっているヨギさんへ、心から感謝を捧げます。

これからも、共に神の御名を唱える仲間が一人でも二人でも増えていくことを願って、活動を続けていきたいです。

藤原里美


丹波バクティ・サンガム開催決定!!

「一人でも多くの人にキールタンを知ってもらいたい!」
「このハートの奥から溢れる歓びを分かち合いたい!」

2019年3月、そんな思いにこたえ、ミラバイさんは、私たちが活動する丹波篠山でバクティ・サンガムを開催してくださいました。

あれから約5年が過ぎ、なんと2回目となるバクティ・サンガムの開催をご快諾くださいました。私たちはこの日が来るのをずっとずっと待ち焦がれていました。
共に活動している松山園さんのキールタンへの情熱は冷めることなく、それどころかさらに燃え上がり、その情熱は伝播し、いつ頃からか私は太鼓を始めました。

そして、今年の5月、ヨギさんの一周年法要の折に開催されたプレーマ・アーシュラマでの「新緑を愛でる会」で、グルバイの皆さんとキールタンを歌う機会に、太鼓を叩かせていただくという思いもよらない嬉しいお声かけをいただきました。

あの日、久しぶりにグルバイの皆さんと集い、共にキールタンを歌いました。その時、私は、隣でリードをされるミラバイさんから放たれるプラーナに圧倒されました。今まで感じたことのないすごいパワーでみんなを神の元に連れて行ってくださるように感じたのです。心が震えました。

私は、この感動をみんなにも味わってもらいたい!!と強く思いました。そして、そのような機会がこんなにも早く訪れるとは思いませんでした。本当に感謝の思いでいっぱいです。 

一人でも二人でも多くの方に届きますように。そして、いつも変わることなく、見守り、導き続けてくださっているヨギさんへ心から感謝を捧げます。

皆さま、是非お越しください!
お申し込みは、こちら @mamayogalila のインスタグラムまで。

        

藤原里美


ヨーガの魅力――松山市のヨーガ・サーラ・スタジオから

ヨーガ・サーラ・スタジオは今、熱心に定期的にクラスに来られる方が増えています。その方たちは、いったいヨーガの何に惹きつけられているのでしょうか?


この春からヨーガを始めたAさんは「自分のこだわりをなくしたい」と毎週熱心に通い続け、今の心境を教えてくださいました。
「私にとってここに来ることが心の拠り所になっています。ヨーガは気持ちの安定になっていると思います。それは強い味方です」

また、数年ぶりにクラスに来てくださり、今は定期的に参加しているBさんは以下のメッセージをくださいました。
「レッスンが終わった後はいつも心が浄化され、穏やかな気持ちを取り戻すことができました。他にも身体的な変化として、レッスン後、教室を出て駐車場まで歩く間に、フラフラせずにまっすぐ歩けていることや、歯の噛み合わせが変わっていることなども感じるようになりました。内面や外見にも良い変化が現れているので、今後も無理なく継続していきたいと思っています」

他にも熱心な皆さんの声が届いています。
「家族に優しくできるようになった」
「人の評価が前よりも気にならなくなった」
「瞑想の時、平安を感じられるようになった」


クラス参加者のみなさんの変化から、私はやっぱり「ヨーガってすごい!」と今も新鮮な驚きと共に、ヨーガの魅力を1人でも多くの方にお届けしたいと思っています。
私自身のお話をさせていただくと、私はヨーガの師に出会ったその日から、ヨーガに魅了され続けています。師に初めてお会いした時、私は人間関係の悩みについて質問しました。師はとっても優しく次のことを教えてくださいました。

「すべては尊い存在です。人や物に対して優しく接するよう努めてください」
「日常にこそヨーガの成果が表れます」

それまでの私は、嫌な気持ちになった時は相手や状況が悪いのであって、私は何も悪くない、と知らず知らずのうちに自分だけを大切にしてきました。しかし、「すべては尊い存在」と教わった日から、自分は間違っていたことに気付かされ、心から反省して態度を改めていくと、目に見えて人間関係が改善していきました。そうやって心が楽になって初めて、自分で自分を苦しめていたことに気が付かされ、私は単純に「生きるってこんなにも楽しいことだったんだ! ヨーガってすごい!」と興奮しました。
後で分かったのですが、もしも誰かのことを悪く思ったり、悪口を言ったりすると、嫌な思いが自分に返ってきて心がダメージを受けて苦しくなります。逆に、誰に対してもいつも優しい気持ちで優しい言葉をかけ、優しく接することで、良い思いが自分に返ってきて、常に穏やかで心地いい状態に満たされていきます。当たり前のことかもしれませんが、それが分からず苦しんでいたのです。
その後、1人でも多くの方とヨーガの素晴らしさを分かち合いたいという思いが抑えきれなくなって、今に至ります。

ヨーガは身体の柔軟性を競ったりするものではなく、心を穏やかに保ち、他者との調和をもたらす素晴らしいものです。ヨーガを続けていくことで、「自分ってこんな人」という思い込みがなくなり、新たな自分に出会えます。なんだかわくわくしませんか?

アーナンディー


青空Yoga @糺の森

9月になりましたね。これから暑さもだんだんと落ち着き、外でも過ごしやすくなっていきますね。
さて、そんな季節の9月29日(日)、京都の下鴨神社にある糺の森で「糺の森の博覧会」というイベントがあり 、そこで「青空Yoga」を行ないます♪
アンティーク、アート、ハンドメイド、フード等のブースがたくさん並ぶようです。
(糺の森の博覧会の詳しいことはこちら→ https://tadasunomori.mystrikingly.com )

そのイベントで、今回は特別に 15分間の無料体験と40分間のクラスワークショップを行ないます。

糺の森の澄んだ空気のなかでYoga✨とっても心地よい時間になると思います。
日頃クラスに通われている方でも、この機会にお知り合いやご家族やパートナーやご友人などとご一緒にいかがでしょう?お子さんも大歓迎です☺️
各回とも定員は8名です。

全く初めての方でも15分の無料体験にまず参加してみて、その後に続きで40分のクラスワークショップに参加するというのもOKです。
予約は無しで当日にお気軽にお越しくださいね。

ブースの場所などは中旬以降にInstagram→ @mahayogi.missionでお知らせします。

➖➖➖TIME TABLE➖➖➖
☆→15 Yoga 体験無料】
★→クラスワークショップ【500円】

☆ 10:30—10:45
肩こりや腰痛が解消する猫のポーズ

★ 11:00-11:40
クラスワークショップ

☆ 13:00-13:15
寝つきや目覚めを良くする牛のポーズ

★ 13:30-14:10【🧘🏻‍♀️少し瞑想もします🧘‍♂️】
クラスワークショップ

☆ 14:30—14:45
全身の疲れを瞬時に取るねじりのポーズ

★15:00-15:40
クラスワークショップ

では当日にお待ちしております🍂

担当:サティヤー、ナリニー
(9月17日(火)には、茨木市おにクルでの体験会もあります♪ こちら

 

ナリニー


『ホーリー・マザーの生涯』に触れて

マザー(サーラダー・デーヴィー)に聖典を通してお会いできたのは、ヨーガを始めて比較的早い時期でした。その頃の私は、マザーの生涯に触れる度に、考えられないほど多くの家事を淡々とこなし、日夜、家族の問題を抱えられている・・・他者の幸せを喜び、苦しみに泣かれる姿を想像し、なんて大変なんだろうという思いでいっぱいになり、憧れというよりは遠い存在に感じました。しばらくは聖典を手に取ることもなく本棚に並べたままになっていました。

けれども、今年の春の祝祭では「サーラダー・デーヴィー」に焦点が当てられることになり、バクティ・サンガムのクラスでは毎回マザーを讃える歌や、講師の方が聖典を通して彼女の生き様からどのようなことを学んでいったのかを教えていただく時間がありました。クラスで学びながら、久しぶりに聖典を取り出し、もう一度、読み進めていきました。改めてマザーの生涯に触れると、前とは違う気付きがありました。それは大変なことが多かったかもしれないマザーの生活は、霊性の修行が礎にあって成り立っているということでした。

“大小を問わずひとつひとつの行為に、神との全き合一であるヨーガを実践しておられた。彼女と神のご意志はひとつだった。家住者でありながら、出家者に定められた放棄の理想から決して逸脱されることはなかった。不快な務めを避けられることも、快い務めを歓迎されることもなかった。あらゆる活動の最中にあって、決して神を忘れられることはなかったのである”

『ホーリー・マザーの生涯』より抜粋

マザーが実践された修行は、とても凄まじいものだったと思いますが、このことに気付いてからは、私たちもヨギさんから教えていただいたアーサナや瞑想、聖典の学習などの修行をしているのだから、少しずつマザーに近づいていけるに違いないと、マザーの存在を以前より近くに感じられるようになっていきました。

そんな時、職場で、準備から当日の発表まで何カ月もかかる仕事を任されることがありました。そしてその仕事が終わってからも、なかなか忘れられずに抱えたままになっていて、ふとした時に思い起こされる日が続いていました。アーサナをしていても、ちょっとした隙に思い出してしまう・・・もう捨て去りたいと思いながら瞑想に座りました。瞑想に座ってしばらくすると、マザーが近づいて来てくださり、真剣な表情で「一体それは誰の仕事だというのですか」と言われました。思いもよらないお導きでした。そのお言葉に気付かされ、抱えていたものは消えていきました。神と一体であられるマザーの力強いお言葉に救われ、常にお傍にいてくださっていることを感じました。

日々の務めのただ中にありながら、常に心は神に向けられ、内なる平安を乱されることはなかったマザー、神聖の権化であられたマザーに謹んで礼拝いたします。これからもマザーの生き様に瞑想し、もっともっと近づいていきたいと思います。

毎日、自然の美しさを感じながら、賀茂川沿いを自転車で走って通勤しています。
賀茂川の清らかな流れを見ると、純粋なマザーのお姿を思い出します。

桜井みき桜井みき