クラス」カテゴリーアーカイブ

さまらさの台所 里芋いろいろ

10月14日(祝月)はさまらさの台所があり、里芋のレシピを4つご紹介しました。
左上から時計回りで、里芋ナゲット、里芋サラダ、里芋の煮っころがし、里芋ご飯

里芋の歴史は古く、日本では縄文時代から食べられていました。現代では、芋というとじゃがいもやさつまいもを思い浮かべますが、江戸時代までは、芋=里芋のことだったとか、古くから栽培され、私たち日本人には馴染みのある野菜なのです。しかし近年では、じゃがいもやさつまいもの方が馴染みがありますよね。里芋は皮をむくのがめんどくさい、ぬめりがあって調理しにくいなど、手間の問題で頻繁に食卓に上がらないのではないでしょうか。

そこで今回は、里芋の皮むきのコツをご紹介したいと思います。
ますは、里芋をたわしでよく洗い、乾かしてから皮むきをします。そうすると、ぬめりが少なくなり、スムーズにむくことができます。洗ってから一時間近く干し、完全に乾かすことができればいいのですが、そんなに時間がないようなら、キッチンペーパーでしっかり水気をふくだけでも、だいぶ違いますよ。

また、皮をむくときは写真のように親指をしっかりと里芋に当てると、滑らず皮をむくことができます。両親指をくっつけておくとさらに安定して皮をむくことができます。

皮をむいてからは塩でもんで水で洗い流す、を繰り返してぬめりを取ります。ぬめりにも栄養素があるため、ぬめりをすべて取り除く必要はありませんが、味を染み込ませたい料理、煮っころがしなどは、ある程度ぬめりを取ると良いでしょう。

さて、皮むきが本当に面倒なときは、皮付きで茹でる(蒸す)という方法もあります。里芋は根菜なので水から茹でる(蒸す)ことで芯までムラなく火が通ります。火が通ると、皮はつるりと簡単にむけますし、ぬめりも残り、栄養素を逃がしません。

今回は、蒸した里芋でサラダを作りました。

蒸した里芋の皮をむき、フォークなどで粗くつぶして冷ましておきます。マヨネーズと醤油、柚子こしょう適量を混ぜ合わせ、冷ました里芋にさっくりと混ぜ、かつお節も混ぜて出来上がりです。簡単ですので、里芋の美味しい旬の時期に、ぜひ作ってみてください!


さまらさの台所 WEBレシピ公開

10月1日から毎月一回、その月の旬の食材を使ったさまらさの台所のレシピをWEBで紹介していくことになりました。

https://www.mahayogi.org/classes/archives/3936

さまらさの台所は2005年に発足し、ヨーガの食事についてクラスや機関紙(パラマハンサ)で紹介してきました。2014年には本が出版され、これまで以上に多くの方にさまらさの台所を知っていただく機会となりました。その後もさまらさの台所は活動を続けていく中で、多くのレシピが生まれてきました。

季節ごとのレシピとヨーガの食事の基本について書かれてあります。

私は2008年からさまらさの台所を学び始めたのですが、それは食生活を見直す大きなきっかけとなりました。さまらさの台所のメニューは、旬の食材を、どの家にでも必ずある調味料を少し使って、手早く作ることができます。とてもシンプルな調理法なので、旬の食材の美味しさを堪能することができ、調理時間は短縮されます。食材のプラーナ(エネルギー)が体に染み渡るのを感じ、私は習い始めてからすっかりさまらさの台所にハマりました。体を維持するためには、毎日何かしら食べなければなりませんが、私の場合は、さまらさの台所によって体を維持することができたと言っても過言ではありません。

ある日、仕事を終えて家に帰り、少し疲れていたのですが、家にある食材でさまらさの台所のメニューをパッと作り、美味しいなーと思って食べ終わり、休んでいたときです、心の底から「さまらさのメニューって本当に美味しいし、簡単だし助かるわー」と思ったのです。それと同時に、もっとたくさんの人に知ってもらいたい!いや、この忙しい現代に生きる人みんなが知ったほうがいい!きっと私と同じように「美味しいし、助かるわー」と思うはずだと思ったのです。

そこで、実際に調理して、その良さを味わってもらいたい、できるだけ多くの人の目に止まってほしいという思いから今回の企画が生まれました。

今月のきのこのパスタもぜひぜひ作って見てくださいね。そして、お友達やお知り合いにも紹介していただけたら嬉しいです!毎月1日(ついたち)に公開予定ですので、これからも楽しみにしていてください!


日常がアーサナにあらわれる

アーサナのクラスを受講していたときのことです。鳩のポーズ(カポタ・アーサナ)をすると、毎回腰が痛いと思っていたので、講師の先生にポイントを尋ねると、「それは落ち着くところに落ち着くというか・・・自分でやり続ける中で見つけていくしかない」と言われ、そして「やっぱり腰に力を入れること」と言われました(違和感のある痛みであれば無理せず控えることも言われています)。実はその前回のクラスで、別のアーサナ(マッチェーンドラ・アーサナ ねじる形)でも腰が引けていることを指摘して頂いていたのでした。

アドバンスで取り組んでいる鳩のポーズ。もっと腰に力が入れられると、顔の位置がさらに足へ近づきますね。

そう言えば猛暑が始まってから身体がだるく、水分を取る量も増えて、普段から家の中では猫と一緒に寝そべってゴロゴロしていることが多い・・・。仕事中もお腹の力を抜いて悪い姿勢をしていることが多い・・・と日常での行為を思い出し、思い当たる節があることをお伝えすると、「アーサナはたった2時間やけど、他の時間の方が長いから・・・・・・。でも今気付いたんやから、もう大丈夫!」と優しく勇気付けてくださいました。日常の在り方がダイレクトにアーサナに影響していることを改めて実感し、自分の身体の癖をしっかりと見てくださっている先生の視点の深さに感謝するばかりでした。

帰りに自転車をこぎながら、心の習慣も同じだなと思いました。何かに執着していたら、どんな場面においてもそれが原因で心は苦しんでしまう。隠そうとしても隠せなくて誤魔化してうやむやにしても状況は変わらない。謙虚になって努力を続けていくことでしか、前には進めないのだと思いました。

さあ、やっと涼しく過ごしやすい季節となりました。アーサナを始めるのにも良い季節ですね。日々の生活も、アーサナも、瞑想も地道に取り組んでいこうと思います。

アマラー


歓びの本質

15日の日曜日、連休の中日、鴨川へキールタンを歌いに行ってきました! 現在は大阪と京都でバクティ・サンガムを行なっていますが、最近は定期的に来てくださる方も少しずつですが増え、まだ外で歌ったことのない方もおられたので、ぜひ鴨川でのキールタンを体験してもらいたい!と思ったからです。

最近の夏は外に出るのも辛いほど暑い日がありましたが、日曜日の夕方は秋を感じる心地良い風が吹いていて、裸足で柔らかい芝生の上に座るととても気持ちよく、すでにそれだけで、みんなと喜びました笑。10名ほどが集まりましたが、昨年イベントで知り合った方や久しぶりの方が来られたり、また歌う曲ごとに近くを歩いていた方が輪の中に入ってくださったりして、気付くと20名ほどの大きな輪になることもありました。

最近キールタンを歌っていてよく感じることは、師がいつもおっしゃっている、人の本質は歓びである、ということです。この日も初めてキールタンに触れた方が、歌詞は十分には分からないけれども顔を紅潮させながら、今にも弾けそうなほどの幸せな表情で歌われていた姿に、私もとても幸せになりました。キールタンは、私たち魂の本来の姿を、自然と引き出してくれるのかもしれません。そして最後には、みんな踊りだしていた〜〜。

終わってから、初めて鴨川で歌われた方の一人は、「何も気にしなくてもよかった、とても楽しかった」と言われていて、本当にそうだなぁと思いました。自分が人からどう見られているか、ちゃんと歌が歌えているかなどはいつの間にかどこかに行ってしまって、神の御名だけを、自分の思いのままに素直に唱えられたのだと思います。

また、みんなで歌いに行きたいと思います!

あ! でも、毎月バクティ・サンガムもしています。今月の京都は22日(日)に行ないますので、そちらの方にもぜひお越しくださいね〜。

今月からまた3カ月間、新曲に挑戦します!

ミラバイ

 


太鼓の導き!

8月に松山で2日間のミラバイさんのバクティ・サンガムがありましたが、私(山口正美)の松山バクティ・サンガムは5月から始まっていました。未経験者でしたが太鼓を担当することになり、月に2回京都に通い、太鼓の叩き方をヨーガダンダさんに一から教わりながら、ミラバイさんと練習するという無謀な挑戦を、ミラバイさんのお役に立ちたい、バクティ・サンガムを盛り上げたい一心でやってきました。

ヨーガ・ヴィハーラでの練習風景。写真右アミティーさん。

練習をはじめて1ヶ月ほどで、教わった叩き方ができるようになってきました。ただただ楽しくて、公園で練習していると、必ず散歩中の人が立ち止まって、「いい音色だね。なんという楽器か、なぜ練習しているのか」と声を掛けられました。

けれども、京都のバクティ・サンガムに参加するとハッとするのです。「ヨーガダンダさんの太鼓は私と違う!私もこんな風に叩きたい!」―ここから太鼓の練習は迷走することになりました。

右手を強く叩くようにすればいいのか?強弱をつければいいのか?叩き方ばかりを考えすぎて、今までできていたこともできなくなってしまいました。次の練習日が近いのにできない!! そこで、ヨーガダンダさんに相談のメールを送りました。その返信は、

「あらゆるものに神の顕れを感じて行為している。日常の行為でもそうするように意識していて、そうすることで自然と目の前の必要とされる行為が生まれてくるように感じている。だから自ずとリズムキープもできるし、その曲の雰囲気にも合う叩き方になる。太鼓であってもヨーガを深めていくことができるし、また日常の行為に繋がっていくものだと思う。」

それは、私の心を大きく揺さぶりました。同時に本当にそうだと感じました。

また、みんなを盛り上げたくて始めた太鼓なのに、神の御名を唱えず太鼓を叩いていることに物足りなさを感じ、神の御名を唱えることで味わう感覚を味わいたい気持ちが曲の中で湧き上がり、それに溺れると太鼓が叩けなくなり、慌てて立て直すことを繰り返し、一曲を通して叩けなくなっていました。

ヨーガダンダさんのアドバイスから、日常生活を見直しはじめた頃、梅雨が明けました。

久しぶりに公園に行き、思いっきり叩きました。何度も何度も繰り返し叩きました。すると、初めは、太鼓が何度も途切れましたが、次第に心が静まり一曲を通して叩けるようになっていました。それは、アーサナをして、ポーズをするごとに集中していく感じとよく似ていました。

太鼓を叩くことを通して、神の御名に集中するその感覚を体感したように感じました。けれども、糸口のようなものは見え始めていましたが、一曲を通して叩くことはなかなかうまくいきませんでした。そんな状態で、本番前日のリハーサルを迎えます。

私はミラバイさんに、「曲の途中で楽しくなってくるとトチってしまいます。どうしたらいいですか」とお聞きしました。すると「役割りに徹することが大切です。あのチャイタニアも外で神の御名を唱えたのは、人の為だったと思います。」と言われ、ハッとしました。ヨーガダンダさんにも同じことをアドバイス頂いていたし、他のことで、別の先輩からも同じことを言われていました。一体、どれだけ、自分のことばっかり優先してるんだろうか、恥かしさが込み上げました。

ヨーガ・サーラ・スタジオでの本番!中央ミラバイさん、写真右アミティさん。

本番1日目。みんなが盛り上がるように、曲の雰囲気に入っていけるように、リズムをしっかりと刻み、音もしっかり出すことに徹しました。無我夢中でした。すると、最後の曲を叩き終わった後で、ミラバイさんの鈴は見てたけど、みんなのことは見てなかったことに気がつき反省しました。

2日目。前日の反省を踏まえて、みんなのことを見ながら、ミラバイさんのことを感じながら叩きました。無我夢中でしたが、同じ曲を3回叩いたところで、誰が叩いているのか?太鼓が自ら鳴っているのか?神の中にいるのか?というような感覚になりました。すると、ミラバイさんがリズムをアップ、ダウンさせたいタイミングも自然とわかるという、まるで、神がすべてをなさっているのを目撃しているようでした。

その曲が終わった瞬間、神の懐の中は無恐怖なんだということが、突然胸に広がり、これまでの全ての取り組みの中に失敗することを恐れる私の小さな小さな心があったことに気づかされました。神だけを見て、他者(あなた)だけを見て行為していけばいいんだという実感がそこにはありました。そうすることが、全ての恐怖を取り除くことになるのだと思いました。

感激する自分の心があり、涙が溢れました。けれども、瞬時に役割と神への集中に戻り、最後までつたないながらではありますが、役割を果たすことが出来ました。すべてが終わった時、師とすべての人々への感謝、そして神への信仰だけがありました。

ミラバイさんが帰られる日に感想をお伝えすると、「ここからが、スタート」と言葉をいただきました。これからは、さらにヨーガ・サーラ・スタジオでのキールタン活動を充実させていけるように精進していきます。本当にありがとうございました。

オーム・タット・サット・オーム!!

山口正美


歓喜に包まれたバクティ・サンガム2days!!

数日前まではまだまだ夏真っ盛りでしたが、すっかり涼しく過ごしやすくなりましたね。

さて、昨年に引き続き8月17日(土)、18日(日)にミラバイさんが松山でバクティ・サンガムをしてくださり、暑さも一瞬で吹きとばす勢いでヨーガ・サーラ・スタジオに神と魂を結ぶ愛の歌、キールタンが力強く響きわたりました! ミラバイさんはこの2日間、バクティ(神への愛)という目に見えないものをキールタン、体験談、サットサンガを通して、その優しい言葉や表情にありったけの思いを込めて全身全霊で伝えてくださいました。誰もがミラバイさんの人柄や優しさに触れ、まるで神への愛が伝染していくように感じました。1日目は33名。2日目は24名が参加され、ミラバイさんの両脇にはハルモニウム担当のアミティさんと太鼓担当の山口さんが座り、会を盛り上げてくれました。

 

ミラバイさんは初心者の方にも親しみやすいよう1日目は基礎編で、2日目はさらに深めていけるように構成してくださいました。初参加の方6名全員が初日に来られ、ミラバイさんの著書『真実を求めて』を読んで興味をもたれた方や、親しい方からの口コミでのご縁で来られた方、「不動になりたい」と1人でヨーガのクラスに熱心に通う高校生の姿もありました。初参加の方からは、心を打たれた、楽しく歌えて心が温かくなった、神に守られて生きていることを少し思い出せたような気がした、というご感想をいただきました。

1日目はキールタンの体験談付きでした。ミラバイさんはその中で「キールタンを歌う時、自分の心を見ずに神に向かう訓練をした時期があった。心がどんな状態だったとしても、キールタンを歌えば神の歓びが確かな印象として心に刻まれた。私たちの本質そのものの歓びに立ち返るようになっていき、気が付いたら自分の心を見るのではなく、神の方を見る習慣へと少しずつ心が変わってきた」と謙虚に話されました。実践に基づいた言葉は説得力があり、私たちの心奥に宝物のように届けられました。参加された方のお一人は、次のような思いを熱く語りました。

「以前はキールタンを歌う気がしませんでしたが、自分の心ではなく神を見るという言葉を聞き、キールタンを歌いたくなりました。この日の帰り道、とても気持ちが軽くなり、帰宅後キールタンを歌いながらお風呂掃除をしました。今日だけではなく、これが続くように実践していきたいです」。

 

2日目は「夏のバクティ名作劇場」と題してミラバイさん、アミティさん、山口さんの3人で臨場感たっぷりにシュリー・ラーマクリシュナの生涯の一部分が紹介されました。どの話も素晴らしかったです! その中でも特に皆の心に残ったのは、シュリー・ラーマクリシュナが弟子に与えた、ある教えでした。ある弟子は、自分は神を感じることができないこと、そしてすぐに神を忘れてしまうということに悩み、師に相談をします。するとシュリー・ラーマクリシュナは、お前は神の信仰者であるはずだと勇気づけますが、弟子は納得せず、自分にはそんなことは分からないと否定しました。すると、師は言われます、

「物事の真実は、それを人が知っているかいないかによって決まるものではない。お前はそれを知っているのかいないのか知らない。しかし、お前は神を愛する者なのだよ」。

私たちも彼と同じように悩み、自分が神が分からないことや神を感じられないことばかりを見てしまいますが、そんなことは関係がないというのです。誰もの中に神への愛がある、ミラバイさんの声(神への愛の熱い振動)が私たちの耳に届いた瞬間、みんなの中に「私は神を愛する者である」という自信と情熱がハートに点火されたように感じ、とても感動しました。その後のみんなの歌声はとても情熱的で、あらゆるものを吹き飛ばすかのように一心に神に向かっていました。

***

バクティ・サンガムが終わって1週間がたちますが、今もなお歓びの声が続いています。

「神様の存在は特別じゃない気がした。私が意識するしないにかかわらず、神は愛してくださっている。何も考えなくていいんだなって素直に思えました」

「ミラバイさんの話の中で、キールタンを歌っている時に皆さんを愛おしく感じてくるという言葉が印象に残った。それを聞いて、これまで自分がいろんな相手に対して思ってきた好き嫌いの感情は、実はどうでもいいことだと感じた。先日、職場での辛い場面で心の中から自然にキールタンが流れてきて、そのとたん元気になった。キールタンの力ってすごいですね!」。(なんとこの方は、今までずっと何年間も「キールタンがよく分からない」と言われていたのです)

ミラバイさんのバクティ・サンガムによって「私は情熱が足りない」とか「バクティが分からない」というみんなの悶々とした思いが、パッと取り払われたように感じました。数年前まではバクティ・サンガムは一過性のイベントのように思っている方が多かったのですが、今は違います。キールタンもアーサナや瞑想と同じように続けることが大事で、キールタンの実践によって心は変わるという信念を抱く方、そして日常でもやってみようと思われる方が少しずつ増えているのです。ミラバイさん本当にありがとうございます!

そして、このような機会を与えていただいたシュリー・マハーヨーギーに、心から感謝いたします!

アーナンディー


不滅なる主ーーキールタンの味わい

バクティ・サンガムでは、今年も3カ月間かけて1曲のキールタンを歌い込んでいくということを行なっています。6月からチャレンジしているのは、「Hara Hara Mahadeva(ハラ ハラ マハーデーヴァ)」というシヴァ神を讃える歌。2007年に新風館で行なったライヴ映像もありますが、私も歌うのはほぼこの時以来で、約12年ぶり(!)でした。

久しぶりに歌ってみて、軽やかで楽しい、とてもいい曲だなあと思いました。でも単純に楽しいだけではない、何かがあるような気もするのですが、それが何かがまだよく分からない。キールタンはもちろんどれもが神を讃えた歌ではあるのですが、この歌の本質は何だろう・・・。それがなんともつかめないまま、一カ月ほど歌っていました。

Hara Hara Mahadeva Sambho   Kasi Visvanatha Gange
Kasi Visvanatha Gange   Kasi Amarnatha Gange・・・

歌詞は、単純にシヴァ神の御名を讃えていきます。その中で、Kasi(カーシー) という言葉が出てきます。意味はベナレス。インドの地名です。

ベナレスは昔から有名な聖地の一つで、シヴァ神の都ともいわれています。多くの聖者が住んだ場所でもあり、また多くの人がそこで人生の最期を迎えることを望み、やってくるところでもあります。なぜなら解脱できるといわれているから。私も20代の頃にベナレスに行ったことがありました。目の前にガンジス川が流れていて、上流には火葬場があり、その下流では沐浴をしたり洗濯をしたりしている。死ぬことも生きることも等しく日常にありました。ベナレスはインドの人々にとって特別な聖なる場所。・・・そんなことを思い巡らせながら歌を練習していた時、破壊と再生を司る主シヴァがこの世界で起こる変化のすべてを大きく受け止め、見守り続けていること、そしてシヴァの祝福が今もなお降り注がれていることが突然胸に飛び込んできて、深く感動しました。長い長いインドの歴史の中で、どれほど多くの人たちがシヴァ神を崇拝し、そこに救いを求め、またベナレスの地を愛してきたことか。

歌詞の中には、 Amarnatha (アマルナータ)という言葉が出てきます。不滅なる神という意味。主シヴァはもちろんのこと、私たちの本質も不滅である。破壊の神のイメージが強いシヴァ神ですが、不滅の神とも呼ばれ慕われてきたその意味と、シヴァ神のもう一つの側面を、ようやく少しだけ体感できたように思いました。私はこの日以来、シヴァ神をグッと身近に感じるようになりました。今でも、シヴァ神の御名から与えられたその振動が胸に鮮やかに残っていて、彼の御名を唱えるたび、喜びに満たされます。

8月まで「Hara Hara Mahadeva」を歌います! ぜひバクティ・サンガムに来て、この歌を一緒に歌ってみてください!

 

 

ミラバイ


さまらさの台所&サットサンガ@ 丹波篠山

マハーヨーギー・ミッションでヨーガを学びながら、丹波篠山で子育て中のママたちのヨーガのサークル活動を行なっている藤原里美さんからのレポートを、写真とともにお届けします!


7月7日、心配していた天候も回復し、待ちに待った丹波篠山でのさまらさの台所が今年も開催されました。

シャチーさんとマードゥリーさんのお二人が京都から足を運んでくださり、ママヨーガリーラーの皆さんとお子さん、託児スタッフの皆さん、そしてシャラニヤーさんと大阪から船勢さんもご一緒くださり、総勢23名での賑やかな集いとなりました。

メニューは、丹波にある『さまらさふぁーむ』からプラーナに満ちた新鮮なお野菜を分けていただき、ジャガイモのコロッケ、冷製スープ ガスパチョ風、野菜サラダの三品を作りました。

皆さん毎日台所に立たれていますが、さまらさの台所のお料理の行程や食材の扱い方は、とても新鮮で目から鱗のご様子で、例えばコロッケだねの、ジャガイモのアク抜きはしない、ゆで汁は捨てない、玉ねぎは炒めずに入れることなど、幾度となく、「えっ?」「えっ?」と目を丸くして驚かれていました。
そうして出来上がったお料理をみんなでいただいた時には、「美味しい!美味しい!」とボリュームたっぷりに見えましたが、皆さんペロリと完食されていました。

コロッケジャガイモと玉ねぎのシンプルなものと、一つはカレー&チーズ味に。 スープは身体のほてりを冷ます夏野菜がたっぷり入っています。

心身を調えるためにどのような食材をいただいたらよいか、三つのグナ(性質)に基づいた食の考え方を学びました。

その後のサットサンガでは、皆さんからの日常の実践やお子さんへの言葉かけ、仕事の取り組み方などの質問に対して、シャチーさんとマードゥーリーさんは、時にはご自身の実践を通して、またお一人お一人に対して丁寧にわかりやすい言葉を選んでこたえて下さっていました。

そんなお二人の傍らで一日ご一緒させていただいた私は、お二人の軽やかさに魅了されました。本当に淡々と行為をされているから、心の無用な計らいや思いがくっついていないのです。
次から次からへと流れるように作業を行われるし、サットサンガの時以外の調理中やお食事の時にも、皆さんに対して、いつも笑顔で優しく接し、ヨーガを通したアドバイスや皆さんの質問にも快くこたえられるのです。

ヨーガに出会った頃、先輩グルバイの皆さんに憧れ、一歩でも二歩でも近づきたい。私も先輩たちのようになりたい!と抱いた初心の思いをまたさらに強く心に刻んだ一日でした。
シャチーさん、マードゥリーさんありがとうございました。
そして、師の絶え間ないお導きに感謝致します。

藤原里美


丹波お野菜を使った一膳 さまらさの台所

日曜日は、さまらさの台所がありました。今回は、丹波にある「さまらさふぁーむ」から旬のお野菜を持ってきてもらい、当日参加者の方と一緒にその野菜を使った献立を考え、調理し、いただきました!新鮮なお野菜は、ぴかぴか光っていました!!

それぞれが考えてきた献立を出し合って、その中からどれを作るかを考えます。アイディアがたくさん出ましたが、その中でみんなが特に作ってみたい!!!というものに絞って献立を立て、調理しました。

献立(左手前から時計回り)
・新じゃがいものガレットにサルサソースをかけて(厚みを出してオムレツ風に)
・焼きなすとバターのパスタ(美味しいバターを使い、濃厚に仕上げました)
・なすとピーマンの味噌炒め
・即席きゅうりのピクルス
・万願寺唐辛子のおかか和え
・トマトとココナッツのスープ(写真がありませんが・・・)

あまりの美味しさに、参加者の皆さんと感動しながらいただきました。そもそもお野菜の味が濃く、甘くて美味しい!!大満足の一膳になりました。

では、「新じゃがいものガレット」の簡単レシピをご紹介します。
材料:じゃがいも オリーブオイル お好みで(チーズやじゃこ、天然ワカメの粉末 青のりなど、何も入れずにプレーンでも美味しい)
 1 じゃがいもを薄くスライスし、千切りにする。
 2 1にお好みのものを混ぜる(チーズやじゃこ、天然ワカメの粉末や青のりなど)
 3 フライパンに多めのオリーブオイルをひいて熱し、2を入れて薄く広げる。
 4 中火〜強火で両面をカリカリになるまで焼き、仕上げに塩をふる。

暑い日にぴったりの、簡単で美味しい一品になると思います。分厚くオムレツのように焼きたい場合は、少し小麦粉を混ぜると良いですよ。ぜひお試しください!!


ヨーギーさんゆかりの地~福岡探訪~

梅雨入りしてジメジメとした空気が続きますが、心はいつも晴れやかでいたいと思う今日この頃です。

 ところで、ヨーギーさんが幼少時代、福岡市に住まれていたのをご存じでしょうか?

先月の福岡クラスの後、グルバイの綾子さん、岩城さん、わたくしヨーガダンダで、ヨーギーさんがお暮らしになっていた街を探索して参りました!

 この日のヨーガ瞑想クラスは、いつもの会場が使えず千代体育館を使用することになりました。夜勤明けの方や、クラス後に出張で東京に飛ぶ方など、忙しい生活の中で疲れが溜まっておられるようでしたが、アーサナを行なっていくうちにプラーナが蓄えられていって、瞑想時には完全に充電された様子でした。

千代体育館を出ると、辺り一帯は博多祇園山笠の準備で活気に溢れていました。地元民で福岡クラス常連のY子さんが、解説しながら案内してくれました。山大工の方々の話も聞けて、一年に一度のこの祭りにかける意気込みが伝わってきました。

 さて、いよいよヨーギーさん縁の地に向かいます。実は13年前にヨーギーさんが福岡でサットサンガをされたことがあり、その時に同行させていただく機会がありました。畑だった区域は高級住宅街に変貌し、ヨーギーさんの旧住家だった場所には大きなビルが建っていました。今回もその時の記憶を辿りつつ行き着いた先には、13年前と同じ大きなビルが建っていました。

 次にヨーギーさんの母校である高取小学校へ。ヨーギーさんと訪問した折りには、女性の校長先生が応対され、50年ぶりに母校を訪ねられたヨーギーさんに深く感銘を受けたご様子でした。後日、校長先生から送られてきた手紙には、「いじめ、不登校、不祥事・・・・・・と日々の暗い話題の中で、一服の清涼剤のような出来事で、感謝の気持ちで一杯です」、「お話を伺いながら心のやわらかさを感じることができ、徳の高い御方だと確信しました」といった内容が記されていたのです。

さぁ、その校長先生はいるかな??と、おそるおそる職員室を覗くと、「どうされました?!」と若い男性の教員がこわばった表情で尋ねてきました。13年前の出来事を話すと、その若い教員はだんだんと心を開いてこられ、「その年は、私はまだ小学校6年生でしたよ」と笑顔で返してこられました。校長は3~4年の周期で異動するのが通例ということで、ヨーギーさんに感銘を受けた校長先生もすでに高取小学校を異動されていました。

左から、ヨーガダンダ、綾子さん、岩城さん

 もう一人、職員室におられた女性の教員は、「その師匠は本当に愛されている方なんですね!」と、感動した様子。次に、ヨーギーさんが遊ばれていたという紅葉山公園に行くことを伝えると、たまたま自転車で学校を出ようとしている生徒に案内するように頼んでくれ、3人はその子供に連れられた公園へと向かいました。

公園入り口には階段があって、かなりの傾斜を登っていきます。ヨーギーさんの時代にはなかったそうです。

 
頂上はかなり高い位置にあります。小学校低学年の子供にとっては、かなり広大な自然だったことでしょう。


今は舗装されて綺麗に整っていますが、ヨーギーさんが遊んでいた頃はジャングルのように木々が生い茂っていたそうです。

 この広々とした場所に来てみて、子供の頃のヨーギーさんが屈託なく、のびのびと過ごしておられたことを肌で感じました。ヨーギーさんが8才でアートマンの目覚めを体験されるのは、この後京都に引っ越されてからのことです。何の計らいもない、空っぽのような心の状態の時、突然真実の目覚めがやってくると、ヨーギーさんは教えられます。いつでも悟りがやってくるように、子供のような、空っぽの心でいたいとつくづく感じたのでした。

 ヨーガダンダ