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【京都】11/3 瞑想ワークショップ開催‼️

ようやく秋らしい気候になってきましたが、紅葉が深まり始める11月3日(日)に瞑想ワークショップを開催させていだきます‼️

瞑想ワークショップ
テーマは「芸術に秘められた真理に瞑想する」です。
今回は、師シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの生家でその芸術作品を鑑賞し、瞑想するというたいへん貴重な機会になっております。
シュリー・マハーヨーギーは、ヨーガのみならず芸術にも精通し、その卓越した直観で仏画や書を残されています。

機関紙『パラマハンサ』の表紙を飾った師の作品。 「アーディナート(原初の師ーシヴァ)とシャクティ」(左)・「如意輪観音」(右)。 今回のワークショップで展示される。

以前にシュリー・マハーヨーギーは「本来、仏画は僧侶でないと描いてはいけない」とおっしゃったことがありました。
ブッダの時代やその後の数百年は、ブッダの存在があまりにも尊いので、その姿形が描かれることはありませんでした。
しかし時代が経るにつれ、さまざまな仏や菩薩が絵や像で表現されることになり、文字や言葉だけではなく具体的イメージをもってブッダに思いを馳せることができるようになりました。
仏や菩薩を描くことは神聖な行為であり、純粋な精神でもって為され完成し、見る者の心を浄らかにします。

皆さま、ぜひこの機会に、ヨーガを成就されたシュリー・マハーヨーギーの芸術作品に触れ、静寂や歓喜、真実の存在を味わっていただけたらと思います。
ちょっと固い案内になりましたが(笑)、どなたでもご参加できますので、少しでもご興味がありましたら、どうぞお申し込みください😇

詳細はこちらになります💁「瞑想WS〜芸術に秘められた真理に瞑想する〜」

ゴーパーラ


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑪

今回は、『Paramahamsa』No.88の表紙絵と絵にまつわるお話をご紹介します。

「ラーサ・リーラー」

秋のジャスミンの花開く、いとも優しい月が昇った時、その夜が来たのを見たシュリー・クリシュナは、ゴーピー(牧女)たちとの約束通り、一緒に踊って楽しもうと思いました。
彼は甘美な笛の音を奏でつつヴリンダーヴァンの森へと向かいます。その歌を聞いたゴーピーたちは上の空となり、家族も仕事も忘れて家を抜け出し、彼の下に駆け出します。外出できず、家の中にいるゴーピーたちはシュリー・クリシュナを心に思い、目を閉じて彼の瞑想にふけりました。森の奥で蒼い肌に月光を浴びて笛を吹く、シュリー・クリシュナの姿に息をのんで見とれている彼女たちを、シュリー・クリシュナはヤムナー川の岸へと誘います。

彼が最愛のゴーピーと踊り始めると、二人を囲んだゴーピーたちは愛と情熱に身を任せて、慎みを忘れて歌い踊ります。踊りの輪の素晴らしさは月よりも輝き、辺りにはかぐわしい空気が漂うほど。踊りがクライマックスに達すると、シュリー・クリシュナは同時にたくさんの姿を現して、ゴーピーたちの一人一人が自分と踊っているように信じさせるのです。
こうして長い夜を歌い踊り続け、恍惚の中に過ごしていると、神々さえもこのありさまを見ようと天空に出現し、散華を行なうのでした。                            

『バーガヴァタ・プラーナ』より

ラーサ・リーラーを題材とした細密画は多く描かれています。それらを見て、私もクリシュナとゴーピーたちが踊る姿を描いてみたいと思いました。
絵が出来上がった時、ヨギさんはとても喜んでくださいました。
けれどその後、どのくらい経った頃だったでしょうか。
この絵を再びご覧になったヨギさんは、ゴーピーの2人が着用している紫色のサリーがオレンジだったらもっと良かったと話されたのです。

ヨギさんがオレンジの衣を着用されるようになってから、私たちもオレンジ色のものを身に付けるようになり、今ではまるでMYMのイメージカラーのようになっているこの色。
サリーを着ている人を描く時には、大抵はオレンジ色にするのですが、今回は見た目に変化をつけた方がいいかなと思い、紫色を入れて描きました。
でもヨギさんに言っていただいて、紫のサリーの部分を指で隠してみると、ヨギさんはただオレンジに揃えた方が良いと言われたのではないということが分かりました。
そこには、なんとも円満な姿が現れたからです。
計らいがないところに調和は生まれるものだと学ばせていただいた出来事でした。

シャチー


青空Yoga @糺の森

9月になりましたね。これから暑さもだんだんと落ち着き、外でも過ごしやすくなっていきますね。
さて、そんな季節の9月29日(日)、京都の下鴨神社にある糺の森で「糺の森の博覧会」というイベントがあり 、そこで「青空Yoga」を行ないます♪
アンティーク、アート、ハンドメイド、フード等のブースがたくさん並ぶようです。
(糺の森の博覧会の詳しいことはこちら→ https://tadasunomori.mystrikingly.com )

そのイベントで、今回は特別に 15分間の無料体験と40分間のクラスワークショップを行ないます。

糺の森の澄んだ空気のなかでYoga✨とっても心地よい時間になると思います。
日頃クラスに通われている方でも、この機会にお知り合いやご家族やパートナーやご友人などとご一緒にいかがでしょう?お子さんも大歓迎です☺️
各回とも定員は8名です。

全く初めての方でも15分の無料体験にまず参加してみて、その後に続きで40分のクラスワークショップに参加するというのもOKです。
予約は無しで当日にお気軽にお越しくださいね。

ブースの場所などは中旬以降にInstagram→ @mahayogi.missionでお知らせします。

➖➖➖TIME TABLE➖➖➖
☆→15 Yoga 体験無料】
★→クラスワークショップ【500円】

☆ 10:30—10:45
肩こりや腰痛が解消する猫のポーズ

★ 11:00-11:40
クラスワークショップ

☆ 13:00-13:15
寝つきや目覚めを良くする牛のポーズ

★ 13:30-14:10【🧘🏻‍♀️少し瞑想もします🧘‍♂️】
クラスワークショップ

☆ 14:30—14:45
全身の疲れを瞬時に取るねじりのポーズ

★15:00-15:40
クラスワークショップ

では当日にお待ちしております🍂

担当:サティヤー、ナリニー
(9月17日(火)には、茨木市おにクルでの体験会もあります♪ こちら

 

ナリニー


『ホーリー・マザーの生涯』に触れて

マザー(サーラダー・デーヴィー)に聖典を通してお会いできたのは、ヨーガを始めて比較的早い時期でした。その頃の私は、マザーの生涯に触れる度に、考えられないほど多くの家事を淡々とこなし、日夜、家族の問題を抱えられている・・・他者の幸せを喜び、苦しみに泣かれる姿を想像し、なんて大変なんだろうという思いでいっぱいになり、憧れというよりは遠い存在に感じました。しばらくは聖典を手に取ることもなく本棚に並べたままになっていました。

けれども、今年の春の祝祭では「サーラダー・デーヴィー」に焦点が当てられることになり、バクティ・サンガムのクラスでは毎回マザーを讃える歌や、講師の方が聖典を通して彼女の生き様からどのようなことを学んでいったのかを教えていただく時間がありました。クラスで学びながら、久しぶりに聖典を取り出し、もう一度、読み進めていきました。改めてマザーの生涯に触れると、前とは違う気付きがありました。それは大変なことが多かったかもしれないマザーの生活は、霊性の修行が礎にあって成り立っているということでした。

“大小を問わずひとつひとつの行為に、神との全き合一であるヨーガを実践しておられた。彼女と神のご意志はひとつだった。家住者でありながら、出家者に定められた放棄の理想から決して逸脱されることはなかった。不快な務めを避けられることも、快い務めを歓迎されることもなかった。あらゆる活動の最中にあって、決して神を忘れられることはなかったのである”

『ホーリー・マザーの生涯』より抜粋

マザーが実践された修行は、とても凄まじいものだったと思いますが、このことに気付いてからは、私たちもヨギさんから教えていただいたアーサナや瞑想、聖典の学習などの修行をしているのだから、少しずつマザーに近づいていけるに違いないと、マザーの存在を以前より近くに感じられるようになっていきました。

そんな時、職場で、準備から当日の発表まで何カ月もかかる仕事を任されることがありました。そしてその仕事が終わってからも、なかなか忘れられずに抱えたままになっていて、ふとした時に思い起こされる日が続いていました。アーサナをしていても、ちょっとした隙に思い出してしまう・・・もう捨て去りたいと思いながら瞑想に座りました。瞑想に座ってしばらくすると、マザーが近づいて来てくださり、真剣な表情で「一体それは誰の仕事だというのですか」と言われました。思いもよらないお導きでした。そのお言葉に気付かされ、抱えていたものは消えていきました。神と一体であられるマザーの力強いお言葉に救われ、常にお傍にいてくださっていることを感じました。

日々の務めのただ中にありながら、常に心は神に向けられ、内なる平安を乱されることはなかったマザー、神聖の権化であられたマザーに謹んで礼拝いたします。これからもマザーの生き様に瞑想し、もっともっと近づいていきたいと思います。

毎日、自然の美しさを感じながら、賀茂川沿いを自転車で走って通勤しています。
賀茂川の清らかな流れを見ると、純粋なマザーのお姿を思い出します。

桜井みき桜井みき

 

 


「アムリター不死―」上映会

7月、京都では祇園祭が始まり、祇園囃子がコンチキチン♪と響き出します。19年前の祇園祭真っ只中の2005年7月17日、マハーヨーギー・ミッションでは、あの伝説の聖劇!「アムリター不死―」が京都文化博物館にて公演されました。(詳しくは当時の写真が多数掲載のこちらをご覧ください!→公演リポート

先日その上映会がありました。上映会場の京都アスニーには、師が「アムリタ」当日に京都文化博物館の前に出てこられた時のお写真が飾られ、そこにはフワッと長身の師が佇んでおられるような空気感が漂い、お写真の側には可憐な黄色い小花がさりげなく生けられています。
皆の会話が自然とやみ静けさに会場が包まれた頃、14時となり、いよいよ始まりです。照明が落とされ、中央に大きなスクリーンの光がポッと浮かび上がり映像が映しだされました。

スクリーン右端に映っているのが少年ナチケータス、色とりどりのサリー姿の女性がシャクティたち。

・・・・そして・・・・30分ほどの上映は、瞬きも息も忘れるほど?!アッという間に終わり、それほどまでに集中感に満ちた内容でした。聖劇内容はぜひ公演リポートをご覧いただければと思いますが、今回私が特に印象的だったのは二つのシーンでした。

一つは、真実を求める少年ナチケータスの周りをシャクティたちが円形に囲んでゆっくりとただ歩く静かな動きのシーン。黄泉の国に行くため瞑想に座ったナチケータスの周りをシャクティたちがゆっくりと厳かに三回半歩き瞑想へいざないますが、何とも言えない静かなリズムや呼吸が静謐さそのもので、見ているだけで瞑想に導かれる不思議なシーンでした。
もう一つは同じくナチケータスの周りをシャクティたちが、今度は躍動的に動くシーン。その動きは蓮の花が蕾から少しずつ開いては閉じ開いては閉じ開花していくその様を象徴的に表現した動き。前者の静かに歩くシーンの集中感とは対照的で、ダイナミックなエネルギーの塊のような別の集中感があり、生命と直結しているものや命の根源の鼓動なのか、自分自身の何かがそれと共鳴する体感がありました。太陽の周りの炎や火山の噴火のような強烈な熱源が勢いよく展開し、何かが生まれていく瞬間にも感じました。何もないところから聖音オームが響きはじめ、その振動は広がり、宇宙万物が顕現していく様が暗に表現され、またアートマンがシャクティに展開する様子をも含んでいるシンボリックな美しい場面。中心に座しているのは不動のナチケータス。

私は当時、そのシーンも練習で見させていただいていて当日もいましたが、今回の映像を見たことによって、師が不滅の真実を芸術的に表現されたその美しい世界観、新鮮さに圧倒されました。シャクティたちの表現は蓮の花弁でありながらも、一方ではシュリー・ヤントラ(象徴的な真理の図象) でもあり、一つの身体表現の動きのなかに神聖な象徴がいくつも実は隠されていたといいます。私自身はまだまだ深く理解できていませんが、世界の始まりの生命の源が呼吸し、脈打ち、展開していくその振動、そのリズムをもし視覚的に見られるとしたら、きっとこのようなものなんだろうなと感じ、それを師が私たちにも分かるように表現してくださったことに感謝しました。目を閉じても、しばらくその二つの場面が蘇り続けました。

演者たちの迫真の演技と全身全霊の表現は、この世の者とは思えず、それは演技ではなく、実はそっちが本当の姿で、演じているのは今の人間の姿のほうなんじゃないかとさえ思えました。それは私たち全員もそうなのかもしれないと感じました。映像を通して、命の素の姿を見たようで鳥肌が立ちました。
師が最初から最後まで総指揮をされた貴重な作品「アムリタ」は、時が経てば経つほどに、とてつもない輝きを増すものだと実感しました。

公演当日の準備風景から終わりまでのメイキングフォトのスライドショーもあり、驚いたのは、師は当日、隅々まで私たちと一緒になって実際に動いてくださっていたことでした。当日には皆それぞれ役割担当があり、各場所に散らばり持ち場についていましたが、その各場所の至るところに、師は出没して顔を出してくださっていたことが写真から分かり胸がいっぱいでした。師の楽しそうな笑顔がたくさん映っていました。掃除や片付け、裏方の仕事など、どの現場にも師が私たちと同じ目線で一緒になって考えてくださっているお姿、手伝ってくださっているお姿、会場の準備で床にメジャーをあてて計測されているお姿、控室で演者の衣装をチェックされて大笑いされているお姿、受付や宣伝の係の者たちに声をかけてくださっているお姿、終わった後に舞台の床に貼ってある位置取り?のテープをしゃがんで剥がしてくださっているお姿、そして公演前みんなで雑巾がけしてピカピカに磨きあげた床に弟子一同がずらりと並び、師に礼拝しているその時の師の優しいお姿。その場面を見た時、あの時あの場所で師に礼拝した一念の瞬間の衝撃が鮮やかに蘇りました。師は舞台に上がってくださり弟子から奉納されたお花のマーラー(環)をお掛けになり、優美な微笑みで皆を見守ってくださっていました。そしてその一日、師は、師であられるのに誰よりも率先して動かれ、誰よりも大笑いされ、誰より楽しまれて誰よりダイナミックでピュアで、誰よりもチャーミングで純真無垢な少年のようでした。

公演後の場面では、お客さんたちが師にご挨拶するために師の前に列をなしていました。弟子たちの家族や友人も大勢来ていました。師が一人一人に同じように満面の笑みを向けられ、時には真剣な表情をされ向き合ってくださっているお姿が映っていました。アムリタを公演したことによって師と縁ある人々が一斉に一同に会して、師に、つまり聖者に、接見できる機会に皆が恵まれたのだ、とそのスライドショーを通して初めて私も気づきました。準備段階から公演を通してたくさんの方とのご縁が生まれましたが、公演に来られた方だけではなく関わったすべての方々、大勢の人が祝福された日だったのでした。アムリタの出演者や関係者が、当時、師がアムリタをどのように進めていかれたのか、師のお仕事のされ方や師から学んだことなどをその上映会の日に話してくれたことによってそう感じられました。(上映会で話された内容に関連することがここにも記されています→「アムリタ-不死ー」の主旨

祇園祭りに合わせたアムリタの宣伝計画、新月から始めるチラシ撒きや地域や時期の計画、アムリタのポスターデザインを手掛けられた時の制作秘話など、話は尽きませんでした。師を筆頭に皆総出で一気に突き進み、突き抜けた数カ月間、あまりにも全力を注いだため記憶がない、と言っている者までいました。
時を経て皆で「アムリタ」の歓びを共有した2024年7月14日。その歓びを展開していくための通過点の貴重な一日に、師に心から感謝を捧げます。

 

ナリニー


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑩

今回は、『Paramahamsa』No.86の表紙絵を紹介させていただきます。
冊子のイラストは実際にはモノクロですが、ヨギさんが選んでくださった書体がとても素敵なので、表紙デザインをご覧ください。

この絵は、ガルダに乗ったヴィシュヌ神とラクシュミー神妃です。
ヴィシュヌ神がラクシュミー神妃を抱きかかえるようにしてガルダに乗り、弓に矢をつがえているシーンはよく見ますが、神に抱かれながら、自らの煩悩を撃ち落としたい、強い意志をもちたいというイメージで、ともに弓を持つシーンを描いてみました。
放つ矢に当たって落ちていくのは「煩悩くん」です。

7月といえば、ヨギさんはニューヨークに行かれていることが多くありました。
そうやって離れてみることで、ヨギさんが京都いてくださることで私たちは守られていたのだと感じることが多くありました。しかしそれと同時に、矛盾しているかもしれませんが、離れていることで、常に一緒にいてくださる安心感があり、そしていつも導いてくださっているのだという強い思いにも満たされるのでした。
離れていると感じるのは心であり、実は、今この瞬間も私たちは神に支えられ、力を与えられているのだと思います。それを忘れることなく、真実の道を歩み続けていけますように。

シャチー


バクティ・サンガム始まります!

今年は約4年半ぶりに、バクティ・サンガムの実クラスを開催します!


今期シリーズのテーマは、「キールタンに親しもう!」
インドの様々な神様を月ごとに取り上げ、その神様にちなんだキールタンを歌っていきます。また、初めての方にも分かりやすいように、それぞれの神様についての基本的なことをご紹介していく予定です。神の御名を繰り返すキールタンはとっても簡単。歌の上手下手は関係ありません。気軽に体験してみませんか?

また、ヨーガを世界に布教したインド近代の聖者、ヴィヴェーカーナンダについても学んでいきます。
初回は7/28(日)14:00~詳細はこちら)。一回からのご参加もOK。ぜひお越しください!

★オンライン、動画受講もあります

ミラバイ


7月開講‼️ 大阪・京都 瞑想入門「ブッダ−真理−を探せ」

7月11日(木)〜大阪・京都で瞑想入門「ブッダ−真理−を探せ」がスタートします‼️
チラシを手にとられたり、イラストをご覧になった皆さま、ブッダを見つけることができましたか👀?

この瞑想入門では、ブッダがどのような瞑想をしてニルヴァーナ(涅槃寂静)に至ったのか、ブッダの生涯や心境を学びながら、少しずつ瞑想をしていきます🧘
初回の1回目は「すべては変わっていく」(諸行無常)がテーマです。


諸行無常の理は、ブッダが説いた真理の主要な教えになります。
では、なぜブッダはこの理を説かれたのでしょうか?
講座では、まずブッダの生涯を学び、ブッダがいつ、どのようにして諸行無常ーー「すべては変わっていく」と感じ得たのか、ブッダの心境にアプローチして瞑想していきます。
また、毎回の講座ではテーマに関する「日常の教え」もご紹介して、教えを生活に当てはめて実践するポイントもお伝えできればと思っています。

2500年前に生きておられたブッダの息吹やそこから発せられた真理の教えを再発見すべくクラスをしていきたいと思っておりますので、一緒に瞑想してブッダ(真理)を感じ、見つけて行きましょう‼️

歌川国芳の浮世絵になります。よ〜く見ると、今回のテーマ諸行無常「すべては変わっていく」のシンボル「髑髏」が至る所に描かれています。遊び心があって好きな浮世絵です🐈ちなみにチラシの髑髏も歌川国芳の他の作品の髑髏をモチーフにしています。

 

ゴーパーラ


ヨーガ・瞑想 西宮北口クラス

2017年より始まった西宮北口クラス。
このクラスは、通常は2、3人、多い時で5人ほどが集まる少人数のクラスで、その内のお二人は女性で、初めてご参加いただいてから1〜2年ほどになります。

今日のブログでは、そのお一人である森澤さんの、いくつかのエピソードをご紹介したいと思います。

ヨーガは初めてに近かったと思うから、最初はクラスでアーサナをするだけでも精一杯だったと思います。そんな中、家で毎日アーサナをすることは、誰もにとって難関の一つになったりしますよね。森澤さんもそのお一人だったのではないかと思います。
けれどもしばらく経った後、森澤さんは家でアーサナをした後に私にメッセージをくださるようになったのです。「メッセージを送ることで毎日続けていく励みになる」とおっしゃっていたのですが、それは私にとっても、とてもありがたいことでした。頑張って続けていこうと思ってくださることもとても嬉しいことでしたし、加えて、アーサナをした時に感じたことや、クラスでお話ししたことへの感想も一緒に送ってくださり、次のクラスへと繋げることができたからです。

そうしてアーサナにも慣れた頃から、アーサナ以外のヨーガの教えにも少しずつ触れていただくようになりました。ただ初めて聞く真理の教えに、森澤さんの頭の周りに???が飛んでいるのが目に見えて分かる時もありました。
それでも「アーサナを続けていくことで教えを理解していくことができるようになる」という師の教えをお伝えし、今はアーサナを続けていきましょう、とそんなお話をしたこともあります。

1年も経った頃だったでしょうか、とても嬉しいことがありました。
彼女はマラソンをされているのですが、ある大会でとても成績がよかったことをお話しくださいました。そして、その結果には「最初は呼吸が関係しているのかと思ったけれど、よく考えると、余計なことを考えることなく最後まで集中して走れたからではないか、それはヨーガの効果だと思う」とお伝えくださったのです。

そしてその後の4月、MYMの春のキャンペーンで、本を少し安く購入していただけることを皆さんにご案内した時のことです。『さまらさの台所』は購入を決めていますが、他に何を読んだらいいですか?と森澤さんが尋ねてくださいました。実際に見ていただいて一番読みやすそうなものを選ばれたらいいのでは?と手に取っていただいた後、森澤さんが選ばれたのは『ヨーガの福音』でした。きっとその時、何かしっくりくるものがあったのでしょう。

その次のクラス、森澤さんのアーサナが変わりました。
というのは、これまでクラスに来てアーサナをすると、足がつって続けられないということが何回かありました。家でするとそんなこともないらしく、クラスではかなり頑張ってしまわれるからだと思いますが、『ヨーガの福音』を購入されたあの日も、足がつってしまい、アーサナを続けられなくなったのです。その分、ヨーガの話をたっぷりとできた良い時間にはなりましたが、アーサナに関しては不完全燃焼!と残念に思っておられたようです。

そうして迎えた次のクラス、この日は、足がつることもなくアーサナを終えることができました。今日はつりませんでしたね、とお声かけすると、「これまでは、アーサナの柔軟性を高めようとして頑張ってしまっていたけれど、『ヨーガの福音』を読んで、アーサナをすることへの目的意識が変わり、力を抜いてできたからだと思う」とのこと。そして「『心と体は自分ではない』という教えなどが、スッと心の中に入ってきた。『ヨーガの福音』は何度も何度も読んでいきたい本だと思った」とおっしゃいました。

今、森澤さんは、自分が習っているヨーガがどんなものかもっと知ってみたくなった!と、軽やかに、熱心に通ってくださっています。

真理を体得された師のお言葉は、誰もの心の奥に届き、変革をもたらすものだと、それを改めて実感できた出来事の数々でした。
こうして真理の教えを残してくださった師のお働きに、深く感謝を捧げます。

***

西宮北口クラスは、毎月第1、3木曜日に続けています。
お近くの皆さま、ぜひご参加ください!

シャチー


さまらさの精神を学ぶ・オンラインクラス台湾を通して

昨年の秋、台湾から1通のメールを受け取った。

「台湾のみんなは”さまらさ”に興味があります。以前先輩たちから、台湾の食文化に沿った”さまらさ”をしたら良いとアドバイスをいただきました。そこで、”さまらさ”の精神を学びたいです! 感謝の気持ちで食材をいただくとか、旬の食材を選ぶとか、調味料を入れすぎず食材の元の味を味わうなどなど、その精神を学んだら、どこでも応用できますよね!」

読んだ瞬間、胸が高鳴った。文化や風習は異なっても、ヨーガの食の教え「さまらさ」の精神を知ることで、その地域らしさを生かしたヨーガの食事を学べる。台湾の皆さんと一緒に、その始まりを体感したいと思った。

そこで、前後編の2回の講座形式のオンラインクラスを翌春に開催することが決定し、準備がスタートした。互いの母語が異なるため、通訳と翻訳、資料作成を台湾のグルバイにお願いしたが、いずれの作業も大変さは計り知れず、特に翻訳は時間がかかる。にもかかわらず、幾つもの作業を快く引き受けて粛々と進めてくださり、その仕事ぶりに学ばせていただいた。頭が下がり、姿勢が正された。

春―3月と4月、「さまらさの精神を学ぶ・オンラインクラスー台湾―」開講。

                                  マードゥリーとサラニーが担当

各回15名ほどの方が出席され、みなさんが熱心に耳を傾け、たくさんの質問をされた。画面越しに伝わってくる溌剌(はつらつ)とした空気、表情豊かな同時通訳に引き込まれ、2回のクラスはあっという間に終了した。基本の教えをお伝えするだけで精一杯であったが、師の教えを共に学ぶ、新鮮な歓びに満たされた。そしてクラスの終了後にいただいた感想を拝見し、しっかりとさまらさの精神が綴られていて感動した。御許可をいただきその一部をご紹介します。

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最初は、キッチンに行かないで、料理をどのように学ぶのかと思いましたが、調理法より大事なヨーガの食事の精神を教えてくれるんだと分かりました。体は悟りへ向かうための乗り物で、新鮮で清らかな食物を取ることによって食物からエネルギーを得て、自然と一緒に生きる喜びを感じられる、などのヨーガの教えを学びました。講座を終えた今は、どのように食物を選ぶかをもっと意識して、舌と心の関係にも気を付け、知足と感謝を学んでいます。さまらさのことを実践するようになって、体は本当により軽くなり、喜びが溢れるように感じます。講座をしてくださる先輩たちにとても感謝します。より多くの人がさまらさを学んで、一緒に実践できるように願っています。

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さまらさ講座の内容は予想以上でした。深い教えを分かりやすく説明していただき、少しずつ理解できるようになりました。食事がどのように外側から内側に影響を与えていくかということ、食事が調えられれば生活も調えられることなどを学び、食事の大切さを深く感じました。
「心に従って食べるのではなく、旬の食材をいただく」という教えは、新たな気づきを与えてくれました。何を食べたらいいか分からない時、心の癖に従ってしまうことがよくあるので、どのように食事を選ぶのかを学べてよかったです。
すごいなぁと思ったのは、素材の気持ちになることです。初めて聞きました。それを知って、また少しグルの万物への優しい気持ちを知るようになった気がします。講座のどの内容も素晴らしかったです。すごく勉強になりました。料理することがより楽しく感じるようになりました。

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ある時、師がおっしゃったことを思い出した。
「世の中には食事の情報が溢れている。テレビをつけたらグルメの話ばっかりやろ。
その中で、さまらさの食事の考え方は他のどこにもない。たくさんの人に伝えていってほしい」

師と先輩方が、現代に生きる人々が日常の中でのヨーガを進めやすいように、食を入り口とした「さまらさ」という門を開いてくださった。ヨーガは実践あるのみ、そして、その奥にはいつも愛がある。現代も未来も、そしてどこにいても 誰もが、純粋な喜びの内にヨーガを知り、進んでいけますように!

▪️前編(3/16開講):なぜ私たちは食事を取るのか?「五蔵説」を通した身体の構造、食物の持つ性質、自然の道理―「旬」の食材を取ることが人間の体にとっていちばん適合性が良いことを学ぶ。

図「良質の食事とは」―翻訳、イラスト、デザイン:マハーヨーギー・ミッション 台湾

▪️後編(4/20開講): 舌と心には相関作用があり、食事を調えることは、思いと行為をも制御していく力を身に付けていくことになる。ヨーガの修行においては、日常生活のあらゆる場面で心の執着を客観的に見つめ直し、依存関係を断ち切っていくことが必要でそれはヨーガの目的である「何ものにも依存することのない自存」に繋がる。一方、私たちの体は自分一人の力で生存することは不可能なことに気が付かされ、「自然万物は支え合って生きている」。そして誰もの本質が歓びに満ち溢れた尊い存在であり、あるがままで満たされているー「知足」を学ぶ。

動画 日本のさまらさ・動画クラスの映像に台湾華語の字幕が付いた。

資料 師の聖句を台湾華語にて朗読いただく

サラニー