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『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ③

1886年、最愛の師シュリー・ラーマクリシュナ御入滅の後、ナレンドラ(後のヴィヴェーカーナンダ)と数人の若い弟子たちは、ボラノゴルに家を借りて共同生活を行ないました。

ある時全員でボラノゴルを離れてアントプルの村で数日を過ごしました。ヒンドゥ教の習わしに従って焚き火を囲んで瞑想をしていた時、頭上には星が瞬き、静寂を破るのははじける薪の音だけでした。ナレンドラは突然目を開くと、師の如き情熱をもって、キリストの生涯を兄弟弟子に語り始めました。「枕する場所」がなかったキリストのように生きることを説き、熱意に燃える彼らは、神と聖なる火を証人として出家を誓いました。

ボラノゴルに戻ると、食事を忘れて、瞑想、礼拝、研究、信仰の歌に没頭しました。各自が2枚の腰布を持っていましたが、他に外出時に必要な着物は皆が交代で着ました。様々な国の歴史や哲学体系を共に学び、議論して、疑問が生じた時には、師の教えという光に照らすことで解決されていきました。

やがて彼らは、神への明け渡し、無執着、内なる沈着を身につけようと、杖と托鉢の椀以外は一切持たないサードゥの生活に焦がれ始めます。ナレンドラもまた、孤独の平安に浸ることを願っていました。他者に自分に頼らないこと教えると同時に、自分の内なる強さを試したいとも思いました。初期の放浪は、仲間に請われると戻らなくてはならなかったため一時的なものでしたが、ついに1890年、杖と椀だけを手にしたナレンドラは、名もなきものとして広大なインドに旅立ちました。

インドを遍歴する中で、ナレンドラはあらゆる人々と交わりました。統治者、地主、神職者、そしてそういった権力者の不徳な気まぐれの犠牲にされている大衆の惨状を知りました。インドの民衆が貧困を極めているのを目の当たりにして、人々の苦しみがナレンドラの繊細な心を痛めました。こうした状況にあって自分の義務とは何か?神と交流すべく隠遁すべきなのか?と何度も自問しました。しかし、その神は人間を通して現れることを確信し、神への奉仕はインドの人々をもって始めなければならないと感じていました。

ボラノゴルから始まり雪を頂いたヒマラヤを経て、インド最南端に至る旅の終わりにコモリン岬に辿り着いたナレンドラは、鮫が生息する海を泳いで小島に渡ると、岩の上に座りました。自分の目で見てきたことを思い出し、自分の義務を自問しました。苦行と自己抑制によって、偉大な霊性の力が蓄えられ、心は東洋と西洋の智慧に溢れていました。今こそこうした力のすべてを人の内なる神への奉仕のために使わねばならない、と結論しました。

しかしどのようになされるべきなのか? 岩の上で一人沈黙の思いに沈んでいたナレンドラにヴィジョンが示されます。それはアメリカの新大陸でした。人々の心が階級という重荷から自由な国、限りない可能性に恵まれた国。感受性の高いアメリカ人に、インド古代の智慧を授け、それと引き換えに科学技術の知識を母国に持ち帰ろう。アメリカでの伝道に成功すれば、インドの国威を西洋に高めるばかりでなく、自国の人々にも新しい自信が養われるだろう、と思いました。

来たるシカゴ宗教会議でインドを代表するように友人から熱心な要請を受けたことを思い出し、渡米を決めます。ボンベイからアメリカへ向けて出港したのは1893年、ヴィヴェーカーナンダは29歳でした。

ヴィヴェーカーナンダが遍歴した路(みち)を辿ってみたいと思い、イラストに描きました。遍歴を通じてインドの現状を目の当たりにし、あらゆる人々と交わることで、ヴィヴェーカーナンダの心はインドと一つになったのだと感じました。インドの苦しみは彼自身の苦しみとなり、この後人々への救済と奉仕に人生を捧げられたのだと思います。

サルヴァーニー


リーラー・ヨーガ・スタジオ 開設から1ヶ月の様子

6月19日で新スタジオをスタートして1ヶ月が経ちました。この1ヶ月の様子をご紹介します。まずスタジオの名前ですが、「リーラー・ヨーガ・スタジオ」に決まりました。「人の本性は喜びに満ち溢れている」というヨギさんの教えを多くの人と分かち合いたいという気持ちが込められています。

5月上旬にスタジオ近辺に1800枚のチラシをポスティングしていたので、初日から「ポストにチラシが入っていました〜」というご近所の方の参加がありました。その後もチラシを見たという方、クラスに通っている方の紹介、WEBを見てなど、新しく体験に来られる方が増えています。スタジオがあることでクラス数が増え、参加される方も選択肢があって通いやすくなったと思います。「来週は予定があるから別の曜日に来ます」と言われたり、「しばらくは60分のクラスを受けるけれど、慣れてきたら90分のクラスを受けます」と言われたり、それぞれのペースで続けてくださっていて、スタジオができて本当によかった〜と思っています。
スタジオの前の通りは車の通りが少なくとても静かです。特に扉を閉めてしまうと異空間のような静けさが訪れます。クラスは日常の喧騒から離れて自分自身に向き合える貴重な時間です。集中しやすく、とても気持ちの良い空間だと言ってくださる方が多いです。

クラスに来られた方からは嬉しい言葉もいただいています。「よく眠れるようになりました」や「久しぶりにこんなに深く呼吸をしました」、「体の痛みがマシになりました」など、クラスを1回〜4回ほど受けただけで、効果を感じておられるようです。「家でもやります!」という積極的な言葉もいただきました。また通い始めた方がご親戚やお友達を連れて参加してくださって、喜びの輪が広がっています。
クラスに来られた時は少し緊張されている方も、終わるころにはとてもリラックスされ、目がキラキラとして、まるで別人のよう!?毎回そんな様子を見せていただいて、私はとても幸せだな〜と思うと同時に、ヨーガの素晴らしさを再確認し、もっと多くの人に知ってもらいたいと思うのです。ヨーガは単なる健康法ではないけれど、痛みや悩みが少しでも減るというのは本人にとっては大切なことです。毎日を快活に過ごすことができるというのは、その人の人生にとってとても大きなことだと思います。ヨーガは地道に、長いスパンで続けることが大切で、ライフワークだと教えてもらっています。参加してくださった方がまた来たい、続けたいと思ってくださるように丁寧にクラスをやっていきたいと思っています。

6月からは15分無料体験会とエコマルシェと称して、グルバイの不要になったものを軒先に並べて安く販売、丹波から新鮮なお野菜を持ってきていただいて販売しました。さらに800枚ほどチラシをポスティングし、みんなで協力して、近所の方の目に止まるように工夫をしています。雨や猛暑もあり時期的に難しかったですが、無料体験会に来られた方がクラスにも参加されました。


また6月から
金曜日の夜のヨーガ・瞑想クラス(19:00~20:30)
土曜日の朝の瞑想クラス(10:00~11:30)
バクティサンガム(キールタン)も6/29(14:00~15:30)から始まります。
7月には日曜日の朝のヨーガ・瞑想クラス(第2、第4 10:15~11:45)も始まり、クラスが増えます。アーサナだけでなく、瞑想やキールタン、ヨーガの料理、どのクラスも同じ場所で受けることができ、多角的にヨーガを学ぶことができるのはマハーヨーギー・ミッションの特徴だと思います。

スタジオの魅力は、どのクラスに行っても同じことが学べることだと思います。担当者それぞれに個性はありますが、ベースはヨギさんから学んできたヨーガです。どのクラスに行ってもそのヨーガの真髄が学べます。参加される方が、ヨーガの面白さ、奥深さに触れ、私自身が感じてきたワクワクするような気持ちや希望を持ってくださったらいいなと思っています。誰もの人生にとって必要なことがヨーガの中にあります。それは難しいことではなく、最もシンプルなこと、でも他では誰も教えてくれないことだと思います。クラスの中で一緒に学び、ともに成長していきたい、スタジオ自体がみんなと一緒に成長していけたらと願っています。

クーラーや電気、冷蔵庫、コンロなどが揃いスタジオの中は少しずつ整ってきています。まだまだ完成ではないけれど、スタジオを使いながらみんなで使いやすい形に変化していけたらいいなと思っています。ぜひ遊びにきてくださいね〜!


バクティ・サンガム始まります!

6/29(日)より、京都にてバクティ・サンガムが始まります!

これまでは、毎年シリーズものを企画して、期間限定で行なってきましたが、もっと皆さまに常にキールタンに触れていただきたい!という思いから、通年のクラスを開講することになりました。

最近少しずつ世間でも知名度がアップしてきた(?!)キールタンですが、キールタンとはインドの神様の名前を何度も繰り返し歌っていくもので、これもヨーガの一つです。神の御名を繰り返すうちに、自分の心も神の神聖さに染められ、次第に純粋なものへと変容していきます。

”神は、本当は自分の内奥におられる”とヨーガでは教えられていますが、キールタンを歌っていると、自分の意志とは無関係に、まさに心の奥底から大きな歓びが沸き上がってくることがあり、それを経験すると、この教えはきっと本当のことなんだろうなあと思わずにはいられません。神の歓びの一端を感じられるという不思議なキールタン、ぜひ体験してみませんか? 

初めての方、ちょっとご興味のある方、一回だけの体験も大歓迎です! 歌の上手下手は関係なし! みんなと一緒に歌うと楽しいです。詳細はこちらまで。

皆さまのご参加を心よりお待ちしています!

ミラバイ


京都 瞑想クラスのご案内

5月19日、京都の千本出水で新スタジオがOpenしました🪷


6月からも新たにそこで3つのクラスがスタートします!

・アーサナクラス 金曜の夜(6/6)
・瞑想クラス(6/14)
・インドの歌 バクティ・サンガム(6/29)

今回のブログでは、私が担当の瞑想クラスについて、ご案内させていただきます。

昨今、瞑想といえばマインドフルネスやヴィパッサナー、座禅のイメージをもたれている方が多いのかなと思いますが、実は古来よりヨーガも瞑想が主軸になります。
王道のヨーガと呼ばれているラージャ・ヨーガは、瞑想で心を集中するための8つの段階が説かれています。
その1つがアーサナ(ヨーガのポーズ)で、アーサナをすることで、背骨が真っ直ぐになり、呼吸も安定し、瞑想に座りやすくなります。
アーサナは決して柔軟性を競うものではなく、座法と訳され、全てのポーズは座るために、つまり瞑想のためにあります。

土曜日(14ー16時)のアーサナクラスの様子

6月から始まる瞑想クラスでは、アーサナを6種類ほどして、瞑想を30分ほど行ないます。
座り慣れるまでは、休憩を挟みながら各自のペースで瞑想します。
また、ヨーガの神秘的で奥深い教え(生理学や哲学・シンボル)についても少しずつ学んでいきます。
アーサナをした後に瞑想するその感触というのは、本当に特別な静けさがあります。
ぜひ、古来より培われてきたヨーガの瞑想のためのメソッドを感じていただけたらと思います!
初心者の方も、瞑想を深めたい方も、どうぞお気軽にご参加ください🕉️

詳細やお申し込みはこちらから💁‍♂️【京都 瞑想クラス】

ゴーパーラ


京都 新スタジオでのヨーガクラスが始まりました‼️

5月1日、マハーヨーギー・ミッションの新スタジオが開設しました!
(https://www.mahayogi.org/kyoto/studio)

プレ・オープンとして、これまで近隣の京都アスニーで行なってきたアーサナ・瞑想クラスを、一足早く5月10日(土)に新スタジオにて行ないました。

当日は初夏のような少し蒸し暑い気候でしたが、室内は冷んやりとして、自然素材の調湿効果でちょうどいい湿度に感じました。クラスに参加される皆さんは、新しいスタジオでの初めてのクラスということで嬉しそうでした。
クラスは一階の二間つづきの部屋で行ないます。木の香りのする肌触りのいい床に、自然素材で塗装された柱と梁、また土壁、奥の間は屋根勾配を活かした斜めに上がる天井が伸びやかで、リラックスできる空間です。
初めての空間への興味や喜びの中、クラスは始まりましたが、アーサナをしていくと皆さんすぐに集中されて、だんだんと静寂に包まれていきました。

実際、スタジオの周囲はとても静かで環境に恵まれているのですが、物理的な静けさ以上に、クラスの最後に瞑想をする時にはピタッと空気が止まっているかのような静寂を感じました。これからクラスが行なわれていく中で、スタジオのプラーナ(気)が充実していって、スタジオに来るだけで心が調うような、祝福に満ちた場所になっていったらいいなと思いました。

 


新スタジオでの新クラスは、5月19日(月)からスタートします。クラスの数が増えて、毎日どこかの時間にはクラスを開催するようになります。お子さん連れOKなクラスや、50歳以上の方に向けたゆっくり行なうクラスも新しく始まります。

ぜひ一度新スタジオでのクラスを体験しにいらしてください。新スタジオでこれからたくさんの方と出会い、ヨーガを共に実践していけることをとても楽しみにしています!

🍀YouTubeにもスタジオの動画をUPしていますので、ぜひご覧ください!

・YouTube  ヨーガスタジオ紹介
・YouTube  OPENに向けての準備

サルヴァーニー


『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ②

4月6日に開催された春の祝祭は、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの魂に迫っていく内容でした。ヴィヴェーカーナンダの力強い言葉、人類の救済に全てを捧げた生き様は、兄弟弟子や大勢のヴィヴェーカーナンダの元に集った人々を真理へと導きました。そしてその導きと恩寵は、今も私たちにも注がれていることを感じました。ヴィヴェーカーナンダの衝動によって魂が奮起するような、祝福に満ちた会でした。

さて前回から始まった『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ。
大学生になったナレンドラ(後のヴィヴェーカーナンダ)は、ブラフモ・サマージという社会運動及び宗教運動組織に参加していました。しばらくの間その祈祷会や信仰の歌に心の高揚を感じたものの、霊性の実体験を伴っていないことに気がつきました。そして「神を見た人のもとで教えを乞いたい」という抑えがたい欲求を感じ、その切望のもと、1881年11月、師ラーマクリシュナに出会いました。

ラーマクリシュナから見て、身なりや外見に無頓着なナレンドラは、一緒に寺院を訪れた他の若者たちとはまったく違っていました。いくぶん内に向いた目が印象的で、瞑想的な雰囲気を醸し出していました。ナレンドラは師に尋ねました。

「師よ、神をご覧になったことはありますか?」
師は間髪入れずに答えられました。
「ああ、あるとも。私はここでお前を見ているように神を見るのだよ。しかももっとはっきりと見るのだ」
ナレンドラは、初めて神を見たと言いきる人に対面して驚愕しました。

五年間にわたって師と間近に接したナレンドラは、決して盲信に影響されることなく、常にラーマクリシュナの言動を厳しい理性の試験にかけました。近代精神の象徴の如く、知識欲旺盛で、機敏で、知的な純粋さを持つナレンドラは、どんな結論も合理的な証明なくしては受け入れませんでした。しかし、師がナレンドラに理性を捨てるように求めたことは一度もありませんでした。ナレンドラの理性が究極の神秘を解き明かせなかった時には、師が弟子に必要な洞察力を授けられました。こうして師は限りない忍耐と愛、そして慎重さを持ってナレンドラの反抗的精神をなだめ、霊性の修行へと導かれました。

ヴィヴェーカーナンダが肉体を離れる2年前に、弟子に宛てた手紙にこのように書かれています。

「結局私はドッキネッショルのバンヤンの樹の下でラーマクリシュナの素晴らしい言葉に耳を傾けて心を奪われていた少年に過ぎないのです。それが私の本性なのです。善をなすことなどはすべて付け足しです。今再び師の声を、私の魂を感動で震わせたあの懐かしい声を聞くのです」

『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯』より

最愛の師の下で、仲間と修行に励んだかけがえのない日々。美しいドッキネッショル寺院、ガンジス川、バンヤンの樹。後に西洋へ渡り、世界中に真理を広めたヴィヴェーカーナンダの胸の内にはいつもこの情景があり、力の源となっていたのではないかと思います。

サルヴァーニー

 


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ⑭

「桜の花がほころぶ頃に来ていただきたい」
一昨年秋に開講した大阪クラスの弟子たちの強い願いを、ヨギさんはお聞き届けになり、大阪でのサットサンガが開催されました。
それは2002年3月31日のこと。
突き抜けるような青空が広がっていました。

大阪に来てくださった師のお姿を前にして、目に涙を浮かべる大阪の弟子たち。
その姿にヨギさんは満面の笑みで応えてくださいました。
弟子たちは、溢れる喜びと最大の感謝の記しに師に花束を捧げ、そして会場までの道のりを談笑しながらゆっくりと進みます。途中、満開の桜の下では写真撮影も行なわれました。

そうして会場に到着。この日の参加者は30名ほどでした。
師の紹介がなされ、サットサンガの質疑が始まろうとしたまさにその直後のこと、先程まで晴れ渡っていた空から突然大粒の雨が降り出し、屋根を叩く激しい音が会場に響きました。まるでスコールのような激しい雨は、屋根の下に居ることへの安堵と、また清々しさを感じさせ、その小さな驚きが緊張ぎみの皆の心を解き放ちました。

そして「今日はちょうど桜も見れましたし」と楽しげなヨギさんのお言葉に笑いが起こります。

これには理由があり、今回のサットサンガの準備を主軸となって進めていた長石さん(アンビカー)には、満開の桜並木を通ってヨギさんを会場へご案内するという計画がありました。しかし、桜だと思っていた並木が実はケヤキだったと、新しい眼鏡を作って(?)気がついたというのです。え〜〜!!!!!! とは、長石さんがいちばん思われたことでしょう。
ただかろうじて2本の桜の木があったそうで、そのことを先週の京都のサットサンガで報告され、楽しい話題となってあがっていたのでした。

今回のパラマハンサNo.31の表紙絵は、この大阪に来てくださったヨギさんのことを描いてみました。
春色の花束を胸に抱かれ、オレンジ色のジャケットとパンツをスマートに着こなされているヨギさんのお姿は本当に美しく、笑顔が輝いていました。
大阪クラスの弟子たちは、日数はまだ長くはないものの、皆、真剣にヨーガを学び、実践を続けていました。そしてクラスは毎回高い集中感の中で行なわれ、皆のヨーガへの情熱は高まり続けている、そんな頃だったのです。
--この情熱こそが、全ての障害を速やかに取り除く、そして、ヨギさんがいつも弟子たちに求められるものではないでしょうか。
師の慈愛に満ちた眼差しが弟子たちに注がれました。

この日のサットサンガの内容は、基本的な3つの瞑想法の伝授から始まり、師の教えと、シュリー・ラーマクリシュナやヴィヴェーカーナンダの教えとの共通性と特異性に関して、という師のミッションに関わる質問がなされました。その中で、短いながらもシュリー・ラーマクリシュナやスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの偉大なる働きについても言及され、濃密な時間となりました。
*このサットサンガの内容は紙面『パラマハンサ』No.31に掲載されているのでぜひお読みいただきたい。

🌸         🌸        🌸

さて、今年の桜の開花はどうでしょうか。
「桜の花が咲く頃に」とヨギさんが企画してくださった、今年の「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー」は、もうすぐそこまで来ています。今年の祝祭ではヨギさんが愛されたスワーミー・ヴィヴェーカーナンダがどのようなお姿を見せてくださるのかとても楽しみですね。
願わくば、桜が満開に咲き誇る中、サナータナ・ダルマとアヴァターラへの憧れと敬意を胸に抱き、共に感謝を捧げることができますように。

シャチー


ヨーガ・瞑想 長岡京クラス

3月になり、少しずつ春に向かっている気配を感じますね。
今日は長岡京クラスの様子をご紹介します。

長岡京クラスは、水曜日の合計2回が毎週開催されているクラスです。
朝クラスは10時~ 神足ふれあい町家で行なっています。

今の季節は菜の花が咲いています。

窓から見えるお庭には、季節の移ろいが感じられるさまざまなお花が咲いています。朝の清々しい空気の中でアーサナと瞑想を行えるクラスです。

毎年この期間はふれあい町家はお雛様の催しをされているので、バンビオの和室で行なっています。写真はバンビオの和室の様子です。

夜クラスは19時~ バンビオ(JR長岡京駅に隣接している施設)で行なっています。

会場の大きな窓からは夜空が広がり、しっとりとした雰囲気の中で行なうアーサナと瞑想は夜ならではの静寂と集中感があります。同日に朝と夜の2回のクラスがあるため、朝のクラスに来られなかった方やお仕事帰りの方が夜に参加されることもあります。

* * *

朝のクラスも夜のクラスも、毎週来てくださる皆勤賞の方や月ごとに予定を決めておられる方など、それぞれのペースで通っておられ、皆さんの真剣な取り組みとその集中感が、着実に高まっている印象です。そして初めてのご参加者にもご自身のペースで進めていただけるので、周りのことは気にせず心身と向き合える時間になっています。新しい方が参加された時には、定期的に通われている皆さんがさりげなく新しい方を案内してくださったりしています。皆さんのごく自然体で優しい姿にはいつも尊敬の念を抱きます。

アーサナのポーズの中で、吐く息を長く伸ばして吐ききることで呼吸が制御されて、そこから生じる皆さんの集中感にその場の空気が支配されていきます。アーサナ中には指導のためにお声をかけることがありますが、ちょっと声をかけるのも憚られるような、リードの声さえも集中の妨げになると感じるほど、それほどまでにみなさんの集中感があります。そして毎回、瞑想を終えた後には、皆さんから静まりを感じるので、やはり師が開発されたアーサナの偉大さを感じるばかりです。
アーサナは生き物の数ほどあると言われていてその膨大な種類の中から師が厳選されたものを、マハーヨーギー・ミッションではその作法とともに大切にお伝えさせていただいています。クラスの指導者は、全員が師の下でヨーガの道を歩んでいる一人のヨーガ行者であり、古代から伝わるヨーガに惚れ込んで、ヨーガを純粋に一人でも多くの人にお伝えしたい!という思いで行なっています。
マハーヨーギー・ミッションのどのクラスに行っても同じことが学べるのが魅力だと感じています。私自身も師から教わったヨーガの素晴らしさを皆さんと分かち合えるように、純粋にお伝えしていけるように取り組んでいます。

アーサナをクラスで行なう時間はそれぞれの方が日頃の日常から少し離れて自分をリセットできる、心身と静かに向き合えるかけがえのない時間です。
長岡京クラスでは、最後に『マハーヨーギーの真理のことば』からヨーガを進めるヒントになることばをご紹介していますが、最近は、瞑想についてのところをお伝えしています。何に瞑想すればいいのか?クラスでは集中できても自宅では集中が続かない、という声なども時々お聞きします。今年は、瞑想が少しずつ深められるようなそういった教えにも触れていく予定です!春になると、体を動かしやすくなります。これからも皆さんと共にヨーガの道を少しずつ歩んでいきたいです。それでは、クラスでお待ちしております。

ふれあい町家のお庭。つぼみがふっくらしてきて、もうすぐ咲きそうです!

🪷長岡京クラスの詳細はこちらから

ナリニー


『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ①

今年の春の祝祭は、インドの聖者、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダに迫っていく内容になるとのことで、とても楽しみにしています。個人的にもこの機会にヴィヴェーカーナンダにもっと親しみたいと思い、本を読んでいます。今年のブログでは、『ヴィヴェーカーナンダの生涯』から印象に残ったエピソードなどから想像を膨らませてイラストを描いていく予定です。

今回は子供の頃のヴィヴェーカーナンダのいくつかのエピソードをイラストに描きました。可愛く陽気な性格で、エネルギーに溢れていた子供の頃のヴィヴェーカーナンダ。
ペットの牝牛や猿や鳩や孔雀を可愛がっていたそうで、それを聞くと鳥や動物に対する愛情を持ち、命を大切にされていたことを感じます。
またサードゥ(僧)が好きで、サードゥが施しを求めた時には、唯一の持ち物であった新しい腰布を与えてしまうほどでした。
母親から教わったヒンドゥの神々への愛を育み、子供の頃からシヴァの神像の前で瞑想を行なっていました。瞑想の最中にはしばしばこの世に対する意識を失い、ある時は、杖と水椀を携えた澄み切った表情の光り輝く人のヴィジョンが見えました。それはおそらく仏陀のヴィジョンだったと、後に思われたそうです。
この頃は眠りに入ろうとする時に、毎日不思議なヴィジョンを体験しました。目を閉じると、眉間に輝く光の球が色を変えながらゆっくり広がって、最後には全身に白い光を浴びせながら破裂するのです。この光を見つめながら徐々に眠りに落ちていきました。毎日のことなので誰にでも起こる現象だと思っていましたが、友人が、そんなのは見たことがないと言うのを聞いて驚きました。この光は、偉大な霊性の過去と生来の瞑想の習慣を示唆するものでした。

このように子供の頃から神を慕い、神との強い結びつきを感じさせるヴィヴェーカーナンダですが、恐れと迷信には我慢がなりませんでした。ある時ヴィヴェーカーナンダは友人たちと子供の悪戯で、近所にある木に登って花を摘んだりして遊び、その木の持ち主に注意を受けていました。それでも悪戯を止めないので、木の持ち主はこう言いました。「あの木を守っている白い着物の幽霊は、邪魔されると、必ず首をへし折りに来るんだぞ」
それを聞いて友人たちは怖がって木に近づくのを止めました。しかしヴィヴェーカーナンダはいつも通りに木登りを楽しんで、さらに枝を数本折るという悪戯をして、友人たちにこう言いました。
「君たちは何て馬鹿なんだ! ほら、僕の首はまだつながっているじゃないか。あの爺さんの話は真っ赤な嘘だ。自分が本当だと信じない限り、人の言うことを信じるな」

この単純にして大胆な言葉は、ヴィヴェーカーナンダが将来世界に発した次のメッセージを暗示するものでした。
「本で読んだからといって、信じてはならない。誰かが本当だと言ったからといって、鵜呑みにしてはならない。伝統的に崇められている言葉だからといって、信じてはならない。自分で真理を見つけなさい。解明しなさい。それが本当に理解するということだ」

子供の頃から深い洞察力を持ち、真実を見極めようとしていたこと、またそれを大胆に行動に移していたという、ヴィヴェーカーナンダの素晴らしい気質や探究心を知ることができるエピソードで、印象に残りました。

サルヴァーニー

 


人は神になることができる

今年のバクティ・サンガムのシリーズでは、毎月様々なインドの神様を取り上げ、その神様にちなんだキールタンを歌っています。そしてもう一つの柱が、ヨーガを西洋に伝えたインドの聖者、ヴィヴェーカーナンダを取り上げ、彼の純粋な信仰と献身奉仕について学んできました。また彼のグル(師)を讃えた讃歌、「Achandalapratihatarayo」も、年間を通してずっと歌ってきています。

この歌は前半部分はとてもメロディアスで、後半はリズムがあり、また途中には楽器だけの間奏があったり・・・と、様々な表情をもつ歌です。歌詞が難しいこともあり、シリーズが始まった頃は、参加されている皆さまも、ずっと下を向き、歌詞カードを見ながら歌われていた方も多かったのですが、先日1月末のバクティ・サンガムの時には、ずいぶん歌詞とメロディーを覚えられたようで、顔をあげて歌われる方も多くなってきました。継続は力なり! 月一回でも少しずつ歌うことによって、とても安定して歌えるようになってこられていて、本当に素晴らしいなぁ!と感じました。

この歌は、途中で「naradeva」という単語を何度も何度も繰り返していきます。nara が人、deva が神という意味で、「人にして神である者よ!」という意味になります。この曲はキールタンとは違い、全体的に歌詞がどんどん変わっていく歌なのですが、途中から、naradeva という単語を、”これでもか!”というくらいずっと繰り返す部分が何か所かあります。歌の中で歌詞にできる文字量って限られていると思いますが、それでもこれだけの分量を割いて、ヴィヴェーカーナンダはこの言葉をこの歌の中に入れ込みました。

ヴィヴェーカーナンダは、師であるシュリー・ラーマクリシュナに出会い、薫陶を受ける中で、人は神のような存在になり得るということを目の当たりにして、本当に驚嘆し、歓喜したに違いありません。それはどんなに多くの聖典を読んだとしても、どんなに聡明であっても、実際に肉体をもったグルに出会わなけば、きっと知り得なかったことだと思います。

彼が少年のような眼差しで師を見上げ、敬愛し、生涯その御足下にひざまずいたその純粋な思いが、この単純な「naradeva!」という歌詞に凝縮されているように感じて、本当に感動します。バクティ・サンガムに参加されている方も、特にこの「naradeva」の箇所がお好きな方が多いようで、この部分を歌う時は、みんなの熱がこもっているのが伝わってきます。
4月に行なわれるサナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラーでも、この歌を歌います。大勢の方とともに歌えることがとても楽しみです。

今回のバクティ・サンガムのシリーズは、次回の実開催2/23(日)(オンラインは3/2)で一旦終了となります。ご興味のある方は、ぜひご参加いただき、一緒に歌っていただければ嬉しいです!

ミラバイ