聖者と教え」カテゴリーアーカイブ

白衣の天使は神の声を聞いた

白衣の天使といえば、私……ではなく、ナイチンゲールですよね(すみません)。今日は彼女のことについて書きます。看護団を率いてクリミア戦争の現地に赴き、病院に運び込まれた兵士たちの死亡率をわずか3カ月で42%から5%まで引き下げた業績は伝説のように伝えられています。看護師として彼女はもちろん偉大なのですけれど、私が今日お伝えしたいのは、信仰者としての彼女の素晴らしさです。

「病人の大群がなだれ込んでくれば、24時間ぶっ続けで立ち働き、怪我人に包帯をするために8時間もひざまずいていた」と想像を絶するような記述もあり、まさに自己犠牲的精神の権化!といった感じですが、彼女自身は「白衣の天使」という優しく清らかなイメージの呼ばれ方を、あまり好んでいなかったようです。彼女は言います。

「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者のことだ」

苦悩する者のために戦う者は、苦悩も全てその人たちと共にするものなのですね。その通り、彼女は生涯苦しみ抜いた人でした。苦しむ人たちのために、そして神のために。

看護師は、中世ヨーロッパにおいて低い身分の女子がする仕事でした。当時の病院は、今の病院とは比べ物にならないくらい不衛生。電灯はなく薄暗く、掃除はされず、トイレの設備もないため汚れが床にべっとり滲みついていた。汚物の悪臭が強烈で病棟に入った人は吐き気を催す。患者の体は洗うことなく汚れきっており、シーツは変えられることはなかった。看護婦たちと言えば、騒音もひどく、風も通らず光も当たらない、普通の人なら到底寝ることができない木の檻のような所で寝泊まりしていた。一人の看護婦がおびただしい数の患者を受け持ち、酒を飲み、男性患者と同じ病室で寝泊まりすることもあった。などなどすごいことが書かれています。

ナイチンゲールはとても裕福な上流階級の出身でしたから、彼女が看護婦になるということは、当時は考えられないことだったのです。もちろん彼女の両親は、「恥知らずだ!」とものすごく反対したんですね。そもそも彼女が看護婦になろうとしたのは、彼女が通っていた教会の慈善活動の一つとして病院で貧しい人たちのお世話をしたのがきっかけでした。でも、それだけなら単なる経験で終わったかも知れない。彼女はもともと贅沢で煌びやかな上流階級の生活や、そこにいる自分にずっと疑問を持っていたんです。「ここは私のいる場所ではない」と。そして病院での慈善活動を通して「私のやるべきことはこういうことだ」と思い定めるようになるのです。

「何千、何万の苦しんでいる人々の存在を思う時…農民たちの小屋という小屋には同情さえも受け付けない苦しみが満ちているのを目にする時…そうしてこの世は全て相も変わらず朝ごとに同じことを繰り返している。そしてこの彷徨える地球は、永遠の沈黙を守りつつ、何事もないかのように、これまた冷徹な星々の間をその単調な軌道の上を容赦なく回り続けるのです。こんなことなら死よりも、生きている方が一層侘しいというものです」

そういえば、ヴィヴェーカーナンダやマザーテレサも、一大決心をして行動を起こすきっかけは、こういった人々の惨状だったのを思い出します。

そしてナイチンゲールは、生涯のうちで神の声を4回聞いたといいます。最初は16歳の時。「1837年2月7日、神は私に語りかけられ、『神に仕えよ』と命じられた」とメモに書いています。神の声は、初めて病院の職に就く前やクリミア戦争の前など、彼女の人生のうちで特に重要な時に語りかけてきたようです。神の声を聞いたというと、マザーテレサも同じですね。おそらく、こういった出来事の前は、自分を究極まで追い詰め、苦悩の真っ只中にあったのだと思います。ナイチンゲールは、看護の道に進むことについて、ものすごく思い悩んでいました。看護師の社会的地位の低さ、そこに飛び込む葛藤、自分のエゴ。

「私はあらゆることを他人からの賞賛を得るためにやっている」と気づき、神からの言葉に応えるには、こういった自分の気持ちに打ち勝たなくてはいけないのだと感じていたんです。純粋な人ですね。「『ああ、神様、どうしてあなたは私を見放されたのですか』という以外に言葉もありません。私の人生は真っ暗闇です。このような取るに足らないことでどうして私たちはこんなに苦しまねばならないのか」と手紙に書いています。真剣に悩み壮絶な葛藤を通してエゴが消え、心が透明になった時、神は語りかけてきたのかも知れません。

でも、徐々に自分の葛藤を手放すような記述が見られるようになります。

「今日で私は30歳、キリストが伝道を始められた年だ。もう子供っぽいことはたくさん。人を好きになることも、結婚ももう結構。主よ、どうぞ御心のみを、私への御心のみを為してください。主よ、御心を。御心を」

葛藤が消え、神の命に応える準備が整っているように思えます。

そしてある人の言葉も彼女の生き方を後押しします。上流階級の若い女性が看護の仕事に一生を捧げることについてどう思うかという彼女の質問に、その人はこう答えます。

「それは確かに異例のことです。しかし私は『進みなさい』と言いましょう。もし、そのような生き方が自分の示された生き方だ、自分の天職だと感じるのであれば、その心のひらめきに従って行動しなさい。他者の幸いのために自分の義務を行っていく限り、決してそれは間違っていないということが分かってくるでしょう。たとえ、どんな道に導かれようとも、選んだ道をひたすら進みなさい。そうすれば神はあなたと共にあるでしょう」

彼女はその後、その言葉通り生涯を生きました。ナイチンゲールは、看護という職業で世の中に貢献したことで尊敬され讃えられています。けれど、神の言葉に応え、神の命を生きるようと必死に自分と戦い続けた、その愛と信仰こそが本当に讃えられるべきものなのではないでしょうか。彼女は私にとって尊敬すべきカルマヨーギニーであり、バクタなのです。

実は、ナイチンゲールは90歳という長寿を全うし1910年8月13日に亡くなっているんですが、その13日後の8月26日にマザーテレサは生まれているんですね。神はきっと甘美な劇の続きをまだ見せたかったに違いない。
ナイチンゲール

 

ユクティー

 

 


ヨーガの実践 「身・口・意の一致」

皆さん、こんにちは ダルミニーです。

以前、瞑想専科のクラスで薦められた、本願寺出版社の「ブッダ」を読んでいます。この本は絵本になっていて、一つ一つの教えが大変読みやすくなっています。ここで一つの教えをご紹介しましょう。

「三業(身・口・意)に悪をつくらず、諸々の有情をいためず、正念に空を感ずれば、無益の苦しみはまぬがれるべし」

難しいですね。

チューダパンタカはこの教えを覚えることができず、一緒に修行している聡明な兄から精舎を出ていくように言われて、呆然と門の脇に佇んでいます。ブッダは、悲しそうなチューダパンタカの手を取って精舎に連れて行き、「塵を払い、垢を除く」と唱えながら掃除をするようにと、箒を与えます。

それからのチューダパンタカは、ブッダの言いつけ通り、片時も休まず、「塵を払い、垢を除く」と唱えながら、掃除をするという行為を続けます。そうしているうちに、チューダパンタカは「心にも塵が積もり、垢が溜まる。塵を払い、垢を除けば、汚れた心も清浄になる。煩悩は垢、智慧は箒」と自らが気づいていくのです。

私たちも何か一つでもいい、師だけを思い、その教えを忠実に守り、心に唱え続け、その教えを生きるよう行為する。そうすれば自然と身・口・意は統一され、外側からの師の恩寵と自らの内側から輝く光によって、真実へと導かれていくのだと思いました。

師は説かれます。

常に、思いと言葉と行為を一つにしなさい。

身・口・意をもって真実に従うようにしなさい。

私たちにもすぐに実践することができますよね。

ブッダ

 

ダルミニー

 


多くを愛し多くを赦された人、マリア

シッダマールガでの聖者についての発表、興味深いですね。今日は私も、聖書に出てくる憧れの人について書いてみたいと思います。ちょっと長いけれど、お付き合いください。

マグダラのマリアとベタニアのマリア。初めて聞く名前だという人も多いかも知れません。聖書には何人かのマリアという名前の人物が登場します。マグダラ、ベタニアというのは地名です。昔は大半の人は名前しかなく、マリアという名前はとてもポピュラーでしたから、地名をつけて呼ぶことで区別していたようです。ただ、聖書に出てくる各場面のマリアが、どのマリアのことを言っているのか、よく分からないことも多いんです。とても曖昧なんですね。分かっているのは、マリアと呼ばれる聖書の登場人物は、多くが「罪深い女」だということです。「罪深い」とは何を意味するのかと言えば、はっきりした記載はありませんが、おそらく娼婦だろうと言われます。マリアの代表、イエスの母マリアは「純潔」の象徴でしたから、彼女と比べると対照的ですね。

それで、私の好きな二人のマリアですが、実は同一人物だったのではないかという説もあります。二人とも聖人とされており、マグダラのマリアはイエスの受難や復活に深く関係する人物で、聖母マリアの次に人気が高い。ベタニアのマリアは兄ラザロと姉マルタとともに登場し、イエスが最後の一週間ベタニアとエルサレムを頻繁に往復したのは、彼女たちがいたからだと言われ、それほどイエスは彼女たちを愛されていたようです。

私が彼女たちの何に惹かれるかと言えば、イエスに対して表す素直で単純な愛の行為です。では、彼女たちがどんな風に行為したか。彼女たちがイエスと関わったいくつかのエピソードの中から、ベタニアのマリアとイエスが登場するある場面での出来事について書いてみたいと思います。

ある日、イエスはシモンという人の食卓に招かれます。するとそこに一人の女がやって来ます。「この町に一人の罪深い女がいた」と書かれています。これがベタニアのマリアだろうと言われます。「この女は香油の入った石膏のツボを持ってきて、後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙で濡らし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」。なかなかフツーではないですね。完全に飛んでしまっている。そして、そこにいた人たちは思います。「この方(イエス)が預言者なら自分にさわっている女が誰でどんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから」

当時汚れた者とは食事も共にできなかった。でも、イエスは彼女が自分の足に触れるのを見て、拒絶する訳でもなく、おそらく愛深い眼差しで見ておられたのでしょう。また当時香油は大変高価なものでしたから、無駄使いだと彼女を非難する者もいたわけです。

そこでイエスは彼らの間違いをある例え話を使って指摘します。

「ある金貸しから、二人の者が金を借りていた。一人は500デナリオ、もう一人は50デナリオ。彼らは返すことができなかったので、金貸しは二人とも帳消しにしてやった。では、二人のうちどちらが金貸しに感謝するだろうか」と。1000円借りた人と100万円借りた人、返さなくていいよと言われ、どちらがより感謝するかと言えば、100万円借りた方ですよね。

そしてこうも言います「この女を見ましたか。私がこの家に入って来た時、あなたは足を洗う水をくれなかったが、彼女は涙で私の足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。 あなたは口づけしてくれなかったが、彼女は私が入って来た時から足に口づけして止まない。 あなたは、私の頭に油を塗ってくれなかったが、彼女は私の足に香油を塗ってくれた。だから、この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのだ」

愛する思いと行為は別々のものではありません。愛したならそれを表さずにはいられないのです。彼女にはイエスしか見えていなかった。自分が娼婦だという現実も周りの非難も、彼を愛するのに何の障害にもならなかったのです。

別の弟子が書いた福音書には、同じ場面でのイエスのこんな言葉も見られます。「(マリアは)埋葬に向かって、前もってわたしの体に香油を塗ってくれたのだ」。足に香油を塗る行為は当時埋葬の習慣でした。実はこの後すぐにイエスの受難は始まります。つまり捕えられ、処刑されるのです。マリアはそのことを知っていたのでしょうか。聖書からそのことは分かりません。でも、おそらくは知らなかったでしょう。でもどうして彼女はそのように行為したのでしょうか。

神への愛が大きくなればなるほど、その行為はもはや自分自身のものではなくなります。神と一体化し、神が神に対して行う行為になると言われます。マリアの行為は彼女が意図して行った訳ではなかったのでしょう。イエスへの愛以外、すべての感情が剥がれ落ちてしまった。そして神はその愛だけを見ておられる。赦されるのは、ただ愛だけが基準なのですから。maria
「いつも香油を持った女性で描かれるマグダラのマリヤ(ベタニアのマリヤ?)」

                                  ユクティー

 

 


ヨーガの実践 「三つの宝」

皆さん、こんにちは ダルミニーです。

師は折に触れ、ブッダの教えとヨーガの教えは同じであり、ブッダも偉大なヨーギーであったと説かれています。

仏教の教典にこうあります。

「人身得ること難し 佛法値うこと希れなり 今我等宿善の助くるに依りて 已に受け難き人身を受けたるのみに非ず 遭い難き佛法に値い奉れり 生死の中の善生最勝の生なるべし 最勝の善身を徒にして 露命を無常の風に任することなかれ」

「にんしんうることかたし ぶっぽうおうことまれなり いまわれらしゅくぜんのたすくるによりて すでにうけがたきにんしんをうけたるのみにあらず あいがたきぶっぽうにあいたてまつれり しょうじのなかのぜんしょうさいしょうのしょうなるべし さいしょうのぜんしんをいたずらにして ろめいをむじょうのかぜにまかすることなかれ」

ヨーガの師と出会う前には、人間として生まれたことがそんなに希であるということが、あまり理解できませんでした。幸せなんてちょっとの間で、多くの苦しみを味わうだけのようなものだと思っていたのです。

師は説かれます。

 

「人生の目的は真実を実現することです」

「悟りという完全、円満な世界に目覚めることができるのは、人間だけです」

「確かに人の心は時には天使のようになったり、または悪魔のようにもなります、でもいずれも真実ではないし、不完全なものです。ヨーガにおいては、ただ真実の存在という、そこにだけ目を向け、神々の世界を超えて、そこに目覚めるように教えられます。また実際的な修行もあります。だから人として生まれること、真理を目指す志を持つこと、その実現を施してくれるグルに出会うこと、この三つがもっとも大切なものというふうにいわれています。他でもない自らの魂の問題ですから、決して知的な知識ではないのです。それが人として生まれることの、本当にありがたい祝福です」

 

私はこのまま真実が何かも知らずに死にたくはありません。人間として生まれたことが、恵まれた生であることを十分に理解し、全うすること、それが私の唯一の願いなのです。

皆さんは、どう生きたいですか?

 ダルミニー

 

 

 

 


愛の詩(2)

The Beautiful Legend of God 2

私の眼の中に住んで!

おぉ ナンダの息子よ!

御身は我が心を奪う

曇色の肌 大きな眼 孔雀の羽飾り

クロコダイルのような耳飾り 臙脂色の額印

愛らしい唇で笛の音を奏で

ネクタルのような音楽を授ける

胸の前にはマーラーが輝く

腰には小さな鐘のついた帯が光を放ち

足首の鈴が甘く響く

 

恋の最中は不思議なことに、誰であっても愛する人の姿は魅力を放つようになります。
ではもし…神を愛したなら、その御姿はどれほどの魅力なのでしょうか!?

ミーラー・バーイにとって、愛人クリシュナは単なる空想ではなく、実際にその光り輝く美しい姿が見えていたに違いありません!
まるで強烈な光で感光したフィルムのように、彼女のハート(眼)というフィルムには、決して消えないクリシュナの美しい御姿が焼き付いたのでしょう!

だからミーラーの眼は、愛するクリシュナだけを見ることしかできなくなってしまった!

私たちの眼は、日々何を見ているのだろう?

サーナンダ


愛の詩

ヨーガには、バクティ・ヨーガがあります。
神を愛するヨーガです。
その神への愛を歌った詩が古くから伝わって来ています。

今日 山を持ち上げる主に出会った

♡♡美しい彼の身体

♡♡彼は愛の神の輝きを放つ!

♡♡♡彼の鋭い一瞥!

♡♡彼は木陰で竹笛を吹き

牛飼い娘たちとリズムをとって踊る

その甘美な姿はハートに焼き付き

♡♡♡寝ても覚めてもなくならない!

♡♡♡魅惑的なその姿に

♡♡♡彷徨う私のハートを捧げ

私はそれを見つめ

♡♡世俗の慎ましさを棄てる!

 

中世の聖女ミーラー・バーイーの物語と詩を機関誌『パラマハンサ』で紹介してきましたが、彼女の詩の中で一つの特徴は、愛するクリシュナ神の御姿を見て眼を盗まれた、ハートを虜にされたという表現です。
神の虜になるとはどういう状態なのでしょう!?

寝ても覚めても愛だけがある!

サーナンダ


それぞれにとっての宗教

前回書いた東洋文庫ミュージアムのイスラーム展では、ヨーロッパ言語に訳された『コーラン』も展示されています。それを翻訳した東洋学者さんについても説明されていました。1764年英語に訳したジョージ・セイル、1949年フランス語に訳したレギ・ブラシェール、1888年ドイツ語にはテオドール・ネルデケ。それぞれ学術的にとても高い評価を受けているそうです。日本語訳で初めて出版された『コーラン』は1920年で歴史家の坂本健一さんという方が訳されたみたいです。

イスラームを研究したヨーロッパの学者さんたちは、それぞれの宗教を信仰していました。イスラームに造詣が深かったからと言って、イスラーム教にみんな改宗したわけではなかった。イギリスのジョージ・セイルなんかは、イスラームに対する見方はとても厳しく、自分が信じるキリスト教と同価値であるとはみなしていなかったそうです。でも、彼らはイスラームの研究に対する情熱を持ちながら、どうして自らの宗教を変えることはなかったのでしょうか。自分の信じるもの以外にどうしてあれだけの情熱を注ぐことができたのでしょうか。もしかしたら、自分の宗教とイスラーム教が最終的には同じところに辿り着くことを証明したかったのかも知れない。真実は分からないけれど、私は彼らについての説明を読みながら、じっとマザー・テレサのことを考えていました。

マザーの施設の中で最も有名なニルマルヒリダイ(Nirmal Hriday)というホスピスがあります。日本語では「死を待つ人々の家」と訳されていますが、ヒンディー語で「聖母の汚れなき御心」という意味です。路上から瀕死の状態で運ばれてくる人たちは、まず名前と宗教を聞かれます。イスラーム教の信者には臨終の際にシスターがコーランを唱えて聞かせるなど、それぞれの宗教の教義を尊重した看取り方、埋葬の方法を行っています。

マザーはカソリックのシスターなので、きっとキリスト教を普及させたいだろうと思うのが当然かもしれません。でも、彼女は一人の人間にとっての宗教とは、人が関与できる問題ではなく、人知を超えた神とその人との関係であると考えていました。彼女は、自分が神を礼拝するために選んだ宗教はカソリックであり、これは神が自分に与えてくださった最高の贈り物であるけれど、それを誰かに自分が与えられるものではないと、ある手紙に書いています。また、もし人がある宗教を信じるなら、それは疑いなく100%信じられるものでなくてはならない、もし少しでも疑いがあるなら、それはその人に与えられた神に至るための本当の道ではない、また別の道を探さなくてはならないのだとも語っていたそうです。

非常に熱心なキリスト教信者の中には、彼女のこういった態度について、キリスト教の布教と改宗に積極的でないと批判する人もいたそうなんですね。このような批判を聞いてマザーはこう言いました。

「I do convert. I convert you to be better Hindu, a better Catholic , a better Muslim , or Jain or Buddhist . I would like to help you to find God. 」

改宗させましょう。あなたを良いヒンドゥー教徒に、良いカソリック信者に、良いイスラーム教徒に、ジャイナ教徒にも仏教徒にも改宗させましょう。私はあなたが神を見い出すのを助けたいのです。

宗教の違いを超えて誰かを神に近づけることができる人、それが真の信仰者なのだと彼女はいつも教えてくれます。

東洋文庫ミュージアムの一階オリエントホール、東洋文庫さんのブログの写真からお借りしました

東洋文庫ミュージアムの一階オリエントホール、東洋文庫さんのブログの写真からお借りしました

ユクティー


イエスと奇跡

今日は、イエス・キリストのご聖誕日ですね。

イエスの誕生については、母マリアのところに大天使ガブリエルがやってきて「あなたは神の子を授かる」と告げ、受胎するという奇跡が起こったそうですが、イエスはその生涯で数々の奇跡を行ったことで有名です。奇跡の話を全部取ったら、なんと福音書の三分の一はなくなってしまうとのこと!私は、以前はあまり興味がなかったんですが、ある大学の神学部の先生が、イエスが生きた時代の背景から彼が行った奇跡の必要性と意味を話され、それを知った時、私は新たな目で奇跡を見ることができたんです。今日はその先生から教えてもらったことを書きたいと思います。

まず、イエスの行った奇跡を一つずつ見ると、すごいです。湖を船で渡る途中で嵐を鎮めたり、湖の上を歩いたり、パンと魚を増やして人々に与えたり…。しかし、中でも抜群に多いのは、生まれながらに目や耳、手足を患う人々、熱病の人々を治したり、死後4日も経っていた人を甦らせるというような、癒しや甦りの奇跡です。癒された人たちは、大抵が一般社会の枠からはみ出していた人たちだったため、最近の学者さんたちは、この奇跡を伝えていったのは、下層階級の人たち、あるいは無学な庶民だったのではないかと考えているそうです。当時の律法では、そういった人たちは、「汚れた人間」として一般社会から締め出されていました。福音書では彼らと深く交わるイエスの姿が書かれているんですね。この時代のイスラエルは、彼らのように一般社会からはみ出た人たちが大部分を占めたというのが現実だったようです。富の分配が極端に偏り、貴族階級の人たちは土地を買い占めたり巧みな商売をして、ますます裕福になっていく。その一方で労働者は職のない状態に追い込まれ、さらには奴隷状態にまで陥ってしまう。そんなどん底の状態になると、必ず生じるのが病気や障がい、精神疾患でした。しかし、薬や医療は当時とても高価だったため、彼らには手が届かなかった。

彼らは、体が蝕まれていくだけではなく、社会的にも差別され、「ほら見ろ、罪の結果がこれである」と蔑まれ、宗教的にも罪人として生きていたわけです。そうなると、もう這い上がることができず、滅びだけが待っていることになる。そんな彼らが唯一頼れるのは、おまじないとか、魔術とか、奇跡だった。イエスはこうした底辺にいる人たちと同じ場に身を置いて癒しを行っていったそうなのです。

それで、イエスが行った奇跡について、一つの特徴を指摘している学者さんがいるそうです。その特徴は「帰還命令」というそうですが、イエスは奇跡を行った時、しばしば「帰るように」という言葉を付け加えているそうなんですね。

「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」

「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」

「行きなさい」「帰りなさい」。この意味は、それまで家に帰れなかったことを意味するといいます。「罪人」「汚れたもの」とされた状態から、もう一度家族や社会に復帰できるようになる。当時、人から忌み嫌われるような病にかかるということは、死んだ状態と同じであり、治ることは、体を癒されるというだけではなく、人として生きることそのものを回復させるということを意味するそうです。それほど当時の貧しい人たちというのは悲惨な状況にあったということです。

だから、イエスはただ魔術師のように奇跡を見せて自分の力を示したわけではない。最期は十字架上で自分を救う奇跡は起こさなかった。その時代と社会の必要に応じた形で、ただひたすら人を救うためだけに働く、それが聖者の生きざまなんですね。

 

キリスト誕生

では、素敵なクリスマスをお過ごしください。

 

                                 ユクティー

 


はるか未来を歩くブッダに我々は追いつけるのか?

——心を静めて強烈な探求を行なえば真理は自ずから現れる。
本当ですか? それが事実だと経験から言えますか?
僕は言葉を超えた事実が欲しい。

真理はどのように現れるのか。
それは(悟りという)最後の最後の瞬間にだけ訪れるものなのか。
それまではそういうことがなくても当然なのか。

「真理」という言葉を定義して、「あるべき事実(真実)に関する直観知」だと捉え直すとする。
最近気づいた直観知の経験を話したいと思います。

今年の4月に「永遠のブッダ」というお芝居を上演し、僕はその脚本を書きました。
題材にしたのは『アングリマーラ経』という仏典に描かれているブッダと一人の弟子の話です。
1000人にも及ぶ人を殺害して人々に恐れられた残忍な盗賊アングリマーラのもとに、ある日ブッダが赴き、不思議な力と教えの言葉と慈悲によって彼の心を開かせます。
ブッダの弟子となったアングリマーラは、アヒンサカ(不殺生)という名を与えられて、新しい聖なる命に生まれ変わり、ブッダから「これからは自分の命を生かし、人の命を生かすのだ」と教えられます。
アヒンサカは過去の悪業による苦難に耐えながら、ブッダの教えを守り、生来の正直さを生かし、ついに一人の妊婦とその胎児の命を救います。
それが彼がブッダの教えを実践した瞬間だったというところでフィナーレを迎えます。(実際の芝居の映像は以下)

この演劇の内容自体は、元の仏典の内容と大筋において同じですが、各部分では脚色が入っています。
脚本を書いている時は、この経典の真意は何なのか、つまりアングリマーラという人の存在の本質は何なのか、そしてブッダは何をしようとしたのかということに集中して、それを最もよく表すように、経典の構成や言葉を離れて、場面もセリフも生み出していきました。
そこではただ、この芝居が楽しく、面白く、そして何より深い真意を表すようにということにだけ集中していたのです。

しかし、最近になって気づきました。
この芝居は、4月から今までの6カ月間、それから今後数年にわたることの預言でもありました。

今の僕にはこう見えます。

アングリマーラは、自分の村の人1000人を全滅させた都の人間を恨み、被害者の生き残りとして、自らの正義(=法)のために、人々の殺害を繰り返している。
一方、都の人々は、罪もない人々が被害にあっているため、恐ろしい盗賊を無法者と見なし、アングリマーラの縄張りにブッダが近付かないように警告する。
双方とも正しいのは自分であり、正義は自分たちにあると考えています。
そして自分こそ悪の被害者だと思い、暴力に対する暴力の報復がなされている。
決して交わることのない対立です。

これに対してブッダは、アングリマーラのもとへ何も言わず進んでいく。
人々が止めるのも聞かず、平気で進んでいきます。
彼はどうするつもりだったのでしょうか。
僕が思うところでは、ブッダははっきりとすべてを見通していました。
アングリマーラという盗賊がいて、彼のせいで多くの命が奪われている。
人々は彼を無法者と決めつけており、行為においてはその通りだが、しかし、その外面的行為には微妙でかつ複雑な内面的原因があり、それが正されない限り問題は解決しない。
そしてアングリマーラの内面的苦悩は、その被害者である人々の内面の苦しみと異なるものではなく、同じものとして重なるものなのだと見た。
ブッダは、人々の実際的被害と不安、そしてアングリマーラの苦悩を取り除くために、両者を共に生かすため、自ら立ち上がり、歩を進めたのです。

ブッダは火中の栗を拾いに行ったと思う。
ブッダは出家者である。
法律や社会に対して関与せず、超然としていることが本来の姿だ。
たとえどんな問題が世の中で起こっていようとも、それに当事者として関わる必要はない。
それどころか、そうした世間の出来事に執らわれてはならないのである。
たとえ両者を哀れだと思い、あるいは殺害のむごさを見るに忍びなく、助けに入ったとしても、両者に話し合いの場を設けて仲裁に入るというような方法が取れたはずだし、今だってそれが一般的だろう。
それなのに、ブッダはアングリマーラを弟子にしに行ったのである。
犯罪者、それも極悪人を弟子にとれば、人々の世論や法や社会を敵に回すことは明らかで、犯罪者をかくまったとしてブッダの教団全体が社会の圧力によって潰されてもおかしくない。
長老弟子のアーナンダが「他の弟子たちに悪い影響がありませんか」と心配するが、常識的なのは彼であって、ブッダの方が非常識である。
面倒なことにあえて首を突っ込むようなことをしなくてもよかったはずである。
ブッダはどうしてそのようなリスクを冒す行動に出たのか。

ブッダはあえて当事者になりに行きました。
当事者になって、自分個人とは元来関係のない問題を解決に行った。
自分には害の及ばない、超然とした客観的第三者の立場でアドバイスをしたり、なだめたりするのではなく、悪と苦しみの根源を自ら引き受けに行きました。
近代の聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは、「たった1人の人を救うために私は地獄にでも行く」と言ったが、まさに彼はブッダの心境をそのままハートに写し取ったのだと思う。
そうしてブッダは、アングリマーラとアーナンダ、そしてブッダを慕う都の人々を兄弟弟子にしてしまった。
互いに害を与え合ってきた人々を、本来愛のみで結ばれるべき兄弟にしてしまったのである。
そして彼らの親として、すべての面倒を見る責任を負ったのである。
問題とは本来、そうした自らを犠牲にするような関与がなくしては解決しない。
ブッダの無言の行動はそれを強く指し示しているように思う。

そしてもう一つ、脚本家として僕はブッダにこう語らせていた——「これからは自分の命を生かし、人の命を生かすのだ」。(とはいえ、ブッダ役としてこのセリフを語らされたのも僕なのですが)
これは、そのまま仏典にある言葉ではありません。
元の経典の本旨は、経典中に見られる詩、「悪い行ないも善によって克服されるなら、雲を離れた月のようにその人はこの世界を照らす」という一点に極まっていると思いますが、悪人が悪を償うだけでなく、この世界を照らし出す聖なる存在にもなれるということを、「人の命を生かす」というセリフにしました。

ブッダは当事者となって(同時にまったく巻き込まれることなく)、それぞれの人を生かし、またその人たちにも他の命を生かすように導いた。
脚本を書いて芝居を上演していた時にはまったく気づかなかったが、自分が書いて演じていた中に、自分のあるべき姿とそれに向かう未来が含まれていたことに最近気がついた。
「これからは自分の命を生かし、人の命を生かすのだ」と書いたのは僕であり、そのセリフを読んだのも僕だが、その過去の自分が未来に先回りして、これからのあるべき自分を示しているようにも思うのだ。
あるいは、今から2,500年前に生きたブッダが、むしろ今から2,500年先の未来に先回りして、僕に道を示しているようにも思う。

事実、4月以降の僕は、その方向に動き、感じ、決断してきた。
我々ヨーガ行者のあるべき姿、マハーヨーギー・ヨーガ・ミッションのあるべき姿を、ブッダのサンガやヴィヴェーカーナンダが作ったラーマクシュナ・ミッションに求めてきた。
それは単に形を真似るということではなく、彼らの情熱を自分の胸にも灯し、自らのミッション(使命)を自覚するということである。
過去に求めながら、同時に未来に求めることでもあった。
それと同じようなことが、たまたま手に取った経営学の本にも書いてあった。
サンガやミッションも人の集まった組織だから、組織運営のことも少しは学ぼうと思って駅の本屋で偶然手にした本だったが、たいして魅力的なタイトルでもないのに、引き付けられるようにその本を取った。
7月のことである。
そして8月には、東京に引っ越すことを決めていた。
東京でのヨーガの活動を活発にするためである。
今月10月には東京で最初のクラスを行なった。

そうした顕著な出来事だけでなく、あらゆる考えと感じ方と行動が1つの方向に向かっていた。
それはまるで、「これからは自分の命を生かし、人の命を生かすのだ」と、まったく無意識だった自分あるいはブッダ自身が、未来のあるべき姿、あるはずの事実を指し示していて、知らないうちに、この半年はまったくその通りに生きてきたようなものだと最近気づいた。
潜在意識の中にそうした願望があったのだといえばそうかもしれないが、しかし直観に基づくであろう感性と行動が、これほどまで頭脳よりも速く動いたのを経験したのは今までにはなかったのである。
自分が書いたり言ったことを、半年後の自分が解釈するなんて、いったい何が起こっているのだ!

とても長くなりましたが、これが預言とも感じられた、「あるべき事実(真実)に関する直観知」の経験でした。
劇中、ブッダがアングリマーラの縄張りに向かっていったとき、走る馬でも捕まえられたほどの脚力を持つアングリマーラが、全速で走ってもブッダに追いつけない場面があります。
彼はブッダに対して「止まれ!」と叫ぶのだが、逆にブッダに「お前こそ止まれ」と言われる。
それはアングリマーラが暴力の思いに捕らわれて心が止まっていないということを教え諭すためだったし、僕もそう理解して脚本を書いた。
しかし今になって、それだけでなく、ブッダは彼以降2,500年の間に生まれ死んでいったあらゆる人類が、最大の努力を行なっても未だに追いつけない、はるか未来に先行していることをひしひしと感じる。
それは、現在も世界各地で起こっている決して交わることのない紛争、その根源にある正義感と悪と憎しみ、そしてもう末期的とすら言われている民主主義のあり方(その真の姿としてのサンガ)……これらはみな未だ解決・解明されることなく、しかしブッダによって2,500年前に解決されていた。
ブッダ、新し過ぎる!!
我々はまだ、2,500年前のブッダに先を行かれているように感じる。
はるか未来を歩くブッダに我々は追いつくことができるのか?
しかし今それに気づいたということは、少なくとも後ろ姿ぐらいは見えているはずなのだ。


ブッダの言葉

こんにちは、サティヤーです。

2つ前の記事にアップされているブッダの聖劇、みなさんご覧になりましたか〜?!

実は私、2回とも聖劇に参加しています。一度目は亡くなった子供の亡骸をずっと抱きしめているキサゴータミーの役、二度目は妊婦の役、どちらもお母さん役です。

前回の瞑想専科では、「Story of Buddha」を鑑賞し、その中で印象に残った場面や、ブッダの言葉に瞑想をしました。久しぶりに鑑賞し、懐かしいなぁ〜(みんな若いな 😯 ……)と思いながら見ていたのですが、最後のキサゴータミーの場面、彼女の中で起こった心の変化について、この瞑想専科に通うことで分かることがありました。

キサゴータミーはやっと授かった子供が亡くなってしまい、そのことを受け入れることができず、ずっと亡骸を抱きしめながらあやし続けます。どこかではもう無理かもしれないと思う気持ちはあるのですが、きっとそれを受け入れ自分の気持ちを直視できずにいるうちに、何が現実で、何が幻想かが分からなくなってきたのだと思います。しかし、時間が経つにつれ、その矛盾は大きくなり、ついには発狂し、狂ったように「誰かこの子を生き返らせてー!!」と叫びながら町を走ります。

そこで、聖者ブッダに出会うのです。ブッダは言います。

「若いお母さん、今までに死人を出したことのない家からケシ粒をもらってきなさい。そうすれば、私がその子を生き返らせてあげましょう」

キサゴータミーは全速力で走ってありとあらゆる家に入り、ケシ粒を求めたと思います。だって、「生き返らせてくれる」そんな言葉は初めて聞いたはずです。だからこそ、何とか見つけようと、必死で求めました。

ケシ粒というのは、インドで日常的に良く使う香辛料ですので、持っていない家を探す方が難しいかもしれません。ですので、ケシ粒はすぐに見つかります。でももう一つの条件、「死人を出したことのない家」というのが、どうしても見つからないのです。どの家に行っても、「あー去年に父親が死んだ」とか「そういえば何年か前におじいさんが亡くなった」とか、もしかしたら同じように子供を失ったという家もあったと思います。自分の子供の命を生き返らせること、そのことだけで心の中がいっぱいいっぱいになっていたキサゴータミー、しかし、家を訪ねていくうちに、少しずつ落ち着きを取り戻し、自分の状況が客観視されていったのではないでしょうか。

苦 苦しみを正しく見つめる。

8月の瞑想専科で習った瞑想方法の一つ、心の仕組みを知る瞑想法には、まず、自分の心を客観的に、何の判断もせずに見る「止観」ということから始めると習いました。家々を訪ね歩く中でキサゴータミーはその状態になっていたのだと思います。

集 原因を見極める

自分の心を客観視し、現状をみたところで、きっとキサゴータミーは思ったのです。「死んだのは、私の子供だけではない。ありとあらゆる人が死んでいる。生まれたものはみんな死ぬのだ。それはどうしようもないことだ」心が動揺し、動揺の渦中にあるときには、「それでも私の子供だけは死んで欲しくない!」と受け入れられなかったはずです。心を外側からただ見ることができたときに、どうしようもない状況に対して右往左往していることが見えたのだと思います。

滅 原因を根こそぎ取る

キサゴータミーの場合は、何に動揺しているのか、その原因に気付いた後すぐに「気付き」へと心は変容していきます。亡骸の中にはもう何もない、そう認められたとき、きっと心は解放され、苦しみが取り除かれたと思います。その証拠に、今まで離すことができなかった亡骸をブッタの前でそっと置くことができたのです。

道 無執着、自由な行動や生活

ブッダ「私から見たら、その子もあなた自身も不滅の存在です。悟りとはその真理を求め実現することです」

それを聞いたキサゴータミーは、亡骸を抱き続けるという人生から、本来人として生きるべき道を教わり、ブッタ自身の境地へ導く道に入ることを決心します。

あのお芝居ではほんの何秒かの出来事ですが、キサゴータミーの心の中では「苦・集・滅・道」にそって瞑想が行われ識別された結果、人生が180度変わったのだと思います。だれの言葉も届かなかったキサゴータミーの心に、ブッダの言葉は入り込み、瞑想へと導き、彼女は心を超えた気付きによって問題を解決した。ブッダはそのような状態を引き起こし、誰も救うことができないような状況から一人の人を救ったのです。

キサゴタミーの心境は、他人事ではありません。状況はいろいろですが、何かに執われ、周りが見えなくなってしまうことは誰にでもあることです。キサゴタミーがブッダの存在や言葉によってそれを解決したように、私たちも同じことができると思います。ブッダは2500年前の聖者ですが、その存在と言葉は永遠だと思います。

最後の場面では、ブッダが教えた「苦・集・滅・道」が行われていたとは!演技をしているときには正直そこまでの理解はなかったです。(ごめんなさ-い 🙄 !)何度見ても、新たな発見がある「Story of Buddha」こんな作品がこれからも作れたらいいな〜と思いました。

ちなみに、脚本家であり、瞑想専科の先生であるサナータナさん、これであっていますか〜!