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シヴァの恵み

梅雨の時季、雨が続くと鬱陶しいなどと思ってしまう時もありますが、雨が降らなければ一体どうなるのでしょうか?

今から27年前、私の住む松山市では梅雨に雨が降らず水不足になり、7月下旬から11月下旬までの4ヶ月に渡って給水制限がありました。暑い時期をはさんでいたので、印象に残る出来事でした。
しかし、そんな大変な出来事も、もうすっかり忘れていました。

松山の石手川

今回、3月のブログにアップされた『シヴァと三日月🌙』を読んで、今一度「水」について考える機会をいただきました。
シヴァは私の憧れの存在ですが、シヴァの頭にある三日月が農耕に必要不可欠な雨・夜露と密接に関わっている象徴であると初めて知りました。また、シヴァのルーツはルドラという暴風雨の神です。私たちが生きていく上で欠かせない水が、天から降ってくる雨によってもたらされているということ自体、とても貴重なシヴァの恵みだと改めて感じました。

いちばん好きなシヴァの絵!

水道をひねればすぐに出てくる水、それを当たり前に使ってきたことに気付かされます。水がなければ作物も育たず、飲み水がなければ私たちの肉体を維持することもできなくなります。また身体や身の回りを清潔に保つためにも、水は欠かせません。手や身体を洗うのに水を使う時、神に会う前に沐浴を行なうように心掛けると、穏やかで平安な気持ちになります。

嗚呼、でもそれ以上に私は心清らかになって、本当のことが知りたい!!
しかし心と身体を自分だと思い、食べることを楽しんで夜眠気に負けぐーぐー寝ていては、本当のことが分からず人生が終わってしまうーー

真実を知るためには、月の時間に瞑想を行ない、シヴァの如き存在である師を思うことで、そこに近づいていけるのだと感じています。
今私は、日常は感謝の心を忘れず、清らかな思いで過ごし、月の時間を大切にすることを行なっています。

りょうこ


オンラインで「理想の聖者」について語らう!

6月に入りましたが、皆さま、いかがお過ごしですか?
こちら京都は緊急事態宣言が再々延長され、私の住む嵐山は観光客も少ない状況です。
そんな中ですが、5月は多くのグルバイ(仲間)とオンライン交流をしました!

「フォカッチャの会」では愛媛、金沢、和歌山、また台北のグルバイと楽しく有意義な時間を共有しました。

また、ニューヨーク・ミッションで行なわれている「Study In Practice (SIP)」にも3回続けて参加させていただきました。

「学ぶことを学ぶ」がテーマのSIPは、余談なしの真剣な勉強会で、終始ヨーガの話が展開されます。
「ヨーガは知識ではなく実践、そして体得」
そう師は教えられますが、「どうしたら知識ではない学びができるのか?」「自分の偏った考えに陥らずに学べるのか?」「どのようにヨーガの教えを日常に結び付けられるのか?」といったことを話していきます。
会に参加する中で、私自身改めて感じたのは、やはり「学ぶ」には「理想の存在」が必要不可欠だということです。
「こうなりたい」「こう生きたい」「こうすればいいんだ」という気付きや道標が、理想の存在を見つけることでより明確になるーー
つまり、理想の存在を持つことで、学び、見倣うことがより実際的になされ、修行者の大いなる助けになると思ったのです。

SIPに参加した数日後、フォカッチャの会のヨーガ・トークスの時間には、皆さんと理想について話をしました。

参加したグルバイたちは、それぞれ理想の聖者をもっておられ、そこに近づく努力をされていました。
以下、要約したものをご紹介します!

神に対してひたむきで真っすぐなスワーミー・アドブターナンダが大好きで理想としていますが、私は以前、人間関係に悩み、部屋で声を押し殺してよく泣いていました。そんな時、アドブターナンダのエピソードを読みました。「人気のないところに行き、泣いて神に祈らなければならない。その時に初めて、彼はご自身をお示しくださるだろう」というシュリー・ラーマクリシュナの教えを実践していたこと、「彼はこの世の何事にも頓着せず、人生の唯一つの関心ごとは師にどのように忠実にお仕えするかということだった」、これらに衝撃を受けました。「私は自分のことばかり考えて自分のために泣いている。こんなばかばかしいことは、もうしたくない!神を求めて泣きたい!神に対して誠実に真摯に生きたアドブターナンダのようになりたい!」苦しい時だったからこそ、真逆の生き方をしていたことに気付き、より深く心に響き、理想に生きたいと心底思うことができました。

・昔から闘う女性に憧れている自分がいて、その性質を棄てるのではなく、ある時から生かそうと思い、闘う女性の究極に女神カーリーを見出しました。また理想の聖者は、煉瓦に頭をぶつけるぐらい狂っているナーグ・マハーシャヤ、それしかないと思っています。

・以前、理想(の聖者)を決めかねていた時、先輩弟子から「気楽に決めていいよ」とアドヴァイスをもらいました。理想って気楽に決めてええの?と戸惑いつつ再考……スワーミー・プレーマーナンダの伝記の一節「彼は骨の髄まで清らかだった」に触れた時、「私には無理だ」とすぐに自分でもびっくりするほどの拒否反応が出た事を思い出しました。そして、なぜそれほどまでに拒否したのだろうとその原因を探っていく中で、逆に清らかさに憧れをもっている自分に気付き、プレーマーナンダを理想としました。彼に近づきたいけれど近づけない。壁を感じていたのですが、つい最近、どうにかしたいと七転八倒していると、「プレーマーナンダ」という「名前と姿」を超えた言葉では表せない『何か』が理想であり、更にその先に師のヨギさんがおられるのを感じました。
プレーマーナンダの言葉、「まずはじめに全身全霊でひるむことなく誠実であるように試みることだ。過去、現在、未来におけるいかなる時も、真理は必ず勝利する」が大好きです。

・最近、ブラザー・ローレンスの『敬虔な生涯』を読んで、とても感銘を受けました。この人生を彼のように神への礼拝に生きたいです!

理想について話すのは、本当にいいですね。
とってもポジティブになれます!!

最後に、私の理想の聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの最高に力強い言葉を紹介させていただきます。

皆さん自身の心にむかって、「私は彼である、私は彼である」とおっしゃい。歌のように、それを昼夜、心の中に響かせなさい。そして死の時には、「私は彼である」と宣言しなさい。それが真理です。世界の無限の力は皆さんのものです。皆さんの心を覆っている迷信を追い払いなさい。勇敢になろうではありませんか。真理を知り、真理を実践せよ。ゴールは遠いかもしれない、しかし目覚め、立ち上がり、ゴールに達するまで止まるな!

今こそ、内面へのヨーガを深める時ーー理想を見つけ、学び、近づき、一つになる時だと感じます!!

誰かが間違ったボタンを押したら、こんな画面になりました。

ゴーパーラ


『あるヨギの自叙伝』を読んで(9)ーーブラザー・ローレンス

ブラザー・ローレンスという聖者をご存知でしょうか?
『あるヨギの自叙伝』に、彼のことがほんの少しだけ紹介されています。

「17世紀のキリスト教徒の神秘家であったブラザー・ローレンスは、自分が初めて神の直接認識の境地をかいま見たのは一本の木を眺めているときであったと語っている。人はみな木を見ているが、木を見て木の造り主まで見た人はまれであろう」

たったこれだけの紹介でしたが、私は不思議とこの聖者に惹かれて、彼について調べてみました。
すると、「修道院の調理場や靴修理という身分の低い仕事をしながら、常に神と共にあった」ということが書かれていました。
私はそれを知った時、「私も仕事をしながらどんな時でもヨーガ(神)の境地に留まりたいのだ! 彼がどのような実践をして生涯を送ったのか、もっと知りたい!」と強く感じ、彼の談話と書簡が収められた聖典『敬虔な生涯』をすぐに購入しました。


100ページほどの聖典でしたが、ブラザー・ローレンスの素朴な言葉で語られる神への純粋な信仰に、私はただただ胸を打たれました。
以下、その彼の言葉を抜粋して紹介します。

「私たちが疑いの中にあるときにも、私たちが神をあがめ、神への愛をもって行動するという以外に何の野心も持っていないなら、神は必ず光を与えて下さいます。私たちの聖化は、私たちがすることを変えることによるのではなく、ふつう私たちが自分のためにしていることを、神のためにすることによるのです。多くの人々が、ある特定のことをしなければならないという思いに駆られつつも、さまざまな思い込みによってなすために、結局は不完全なことしかできず、それも、きまって手段を目的ととりちがえているのは悲しむべきことです。私の発見した神に近づく最上の方法は、神に従う生活の中で与えられた普通の仕事を、私たちのうちにひそむ人間的な要素から遠ざけつつ、できる限りを尽くして純粋に神を愛するために行なうことです」

「私たちの務めはただ神を知ることです。神を深く知れば知るほど、ますます神を知りたいという飢え渇きを覚えるものです」

「もし神が私を一瞬たりとも見放されるなら、私ほど哀れな者はありません。でも神は決して私を見放されないお方であることをよく知っています。私には信仰によって肌に感じるほどに強い確信があります。それは、私たちが神を捨てないかぎり、神が私たちをお見捨てになることは決してないということです。私たちは神と共にある者となりましょう。神と共に生き、また死ぬ者でありましょう」

神のご臨在と確信に満ちたブラザー・ローレンスの信仰心がありありと感じられる、なんと力強い言葉でしょうか!
私はこの『敬虔な生涯』を何度も読みましたが、その度に新しい発見と新鮮な歓びに満たされるのです。

では、ブラザー・ローレンスがどんな生涯を送ったのか、彼の言葉を軸に少し紹介したいと思います。

ブラザー・ローレンスは1614年にフランスで生まれ、キリスト教信者であった両親に育てられます。軍職に身を投じたローレンスでしたが21歳の時に負傷し、その時から神に身を捧げることを考えるようになります。正確な年代は不明ですが、おそらくこの頃に神の直接認識の境地を体験したようです。彼自身はこの体験を次のように振り返っています。

「ある冬の日、私は落葉して見るかげもない一本の木を見ながら、やがて春が来ると、その木に芽が出て、花が咲き、実を結ぶ……、と思いめぐらしているうちに、いと高き神の摂理と力とを魂にはっきりと映され、深く刻みつけられました。そしてこの世のことはすっかり心から消え去りました。この恵みを受けてから、もう40年たちますが、その時ほど、神への愛を強く感じたことはないと言えるかもしれません」

26歳の時、パリのカルメル会に助修士として入会し、その2年後に修道誓願を立てます。ローレンスは「自らを全く神に捧げ、神への愛ゆえに、神とかかわりのないものはすべて捨てる決意を固めた」のです。ただ、最初の10年は辛い時期を過ごします。苦手な台所の仕事を与えられ、仲間が彼を修道院から追い出そうとしたり、また内的な葛藤が彼を苦しめます。「自分が願っているように神のものとなっていないかという心配」、「いつでも目の前をちらちらする過去の罪」、また「神のいつくしみ」までもが嘆きの源であり(※神が与えてくれるもの、それは神そのものではないと拒んでしまう)、人間も理性も神すらも対抗しているように感じられるのでした。しかし、ローレンスはつまずき倒れてはすぐにまた立ち上がるという、「一度も神から離れたことのない者のように神の臨在を思う訓練」を繰り返し続けます。神への信仰だけが彼の側にあり、苦しめば苦しむほどますますその信仰が増し加わっていき、ついにその魂は神と結ばれる日がやってきます。

「私はさまざまな悩みと思い煩いで一生を終えるしかないと考えていた時、突如として私は、自分が変えられたことに気づきました。その時までずっと悩みの淵におかれていた私の魂は、奥深くに内なる安らぎを味わいました。それからは、単純に信仰により、謙遜と愛をもって神の御前に働くことができるようになり、神を悲しませるようなことは一つとして考えたり、言ったりしないようにしています」

ローレンスがこのように聖化されたのは神の愛はもちろんのこと、神以外のことを放棄する決意と不断の実践、その賜物だということは明らかです。
その後ローレンスは常に神のご臨在の中で生きることになりますが、彼の言葉を借りれば、それは「王よりも幸福な気持ち」であったそうです。

「私は神への愛ゆえに、フライパンの小さなオムレツをうらがえします。それが終わって、何もすることがなければ、私は床にふして私の神を礼拝し、オムレツを作る恵みを与えて下さったことを感謝し、それから、王よりも幸福な気持ちで立ち上がります。他に何もすることができない時、神への愛のためには、一本のわらを拾い上げることでも十分です。人々はどのようにして神を愛するかと学ぶ方法をさがしています。その人たちは、私の知らないいろいろな実際的方法を実行することによって、神への愛を得たいと願っています。さまざまな手段によって神の臨在の下に留まろうと苦労しています。それよりも、すべてのことを神を愛する愛のためになし、生活の必要の中ですべき自分のあらゆる務めを通して、その愛を神に示し、神と心を通わせることによって自分の内に神の臨在を保つことの方がもっと近道ではないでしょうか。複雑なことは何もありません。率直に、単純に、それに向かって行きさえすればいいのです」

さらに驚くことに、ローレンスは病の苦痛が最も烈しいときでさえ、一瞬たりとも辛そうな様子は見せず、喜びに溢れていたそうです。「痛みはないのですか?」と見舞いに来た修道会のメンバーが思わず尋ねると、「すいません。痛みはあるのです。わきが痛いのです。でも魂は満たされています」と答えるのでした。
そして最後に次の言葉を残し、ローレンスは神の身許へ召されたのでした。

「私は今、永遠になしつづけることをしています。神を誉め、賛美し、礼拝し、心を尽くして神を愛しています。他の何ものにも心を煩わされないで、神を礼拝し、神を愛すること、これが私たちのなすべき仕事のすべてですよ。兄弟たち」

私は今回、『あるヨギの自叙伝』を通して本当に素晴らしい聖者にお会いできたと実感しています。
宗教的偏見などは全くありませんでしたが、ブラザー・ローレンスによって初めて、私はキリスト教の信仰がすごく身近に感じられました。
またバクティ・ヨーガでは「神の御名を唱え、ただ神を愛する」ということが説かれていますが、バクティ(神への信愛)の思いもまた同時に身近に感じられました。

私の師であるシュリー・マハーヨーギーはよく次の言葉を言われます。

「愛とは捧げること、自らを他者の幸せのために与えることです」

ブラザー・ローレンスのように日々の生活の中で常に神を礼拝し、愛し、そして他者に奉仕することをしていきたいと私は今、強く思っています。

ローレンスの死後、霊的低迷期の時代にあって宝石のように光を放つ彼の生き方に深い感銘を受けていた修道院長のヨセフ・ド・ボーフォールが彼の談話と書簡を集め、本にまとめます。彼の存在はフランスでは忘れ去られますが、イギリスの地で本の出版が少しずつ重ねられ、世に知られることになったそうです。そして、ヒンドゥ教の多くの修行者もローレンスの本を読んで非常に感嘆しているという報告もあるそうです。こちらの本には、そのことが触れられています。

ゴーパーラ


フォカッチャの会は『Automatic(オートマチック)』

ゴールデンウィークですが、どこにも行けないですね。。
でも暗くなっていても仕方がないので、今回のブログは「ポップ」にいきたいと思います〜☘

最近、宇多田ヒカルの『Automatic』という曲を思い出しました。
私が中学生の頃、流行った曲です💿
特に好きな曲でもなかったのですが、あることがきっかけでその心に眠っていた曲の再生ボタンが押されました。
「心のサンスカーラ(潜在的な残存印象)が克服されていないのでは?」と指摘されたら本当に何も言えないのですが……😓、以下その経緯を説明させていただきます。

3月のブログで紹介された「フォカッチャの会」ですが、一応私は主催者でありまして、4月は要望も多く、2週連続で開催させていただきました。
このフォカッチャの会は、オンラインでの宿泊・交流会で、以下のプログラムで行なっています。

🌃土曜の夜:フォカッチャ生地の仕込み(15分)&ヨーガトークス
🌅日曜の朝:瞑想(45分)&フォカッチャ焼き(30分)&朝食・ヨーガトークス

私自身、当初はオンラインというツールには抵抗があり、巷で「オンライン飲み会」というものが出てきた時には、「そこまでして、誰かとお酒飲みたいか?」と思っていました。
しかし、このフォカッチャの会でオンライン交流してみると、師が毎日好んで召し上がっているフォカッチャを皆で作り、いただき、そしてヨーガについて語らうーー「これ、こんなに楽しくていいの?」と思うほど、毎回笑いの絶えない楽しい会になっています。

また朝の瞑想もオンラインで皆でする方が集中感が増し、清々しい気持ちになれます。
前回参加した松山のグルバイ(仲間)の方からは、「オンラインの特徴として、ヨーガが自分の生活に入り込む感じがいい」という感想をいただきました。
確かに、私自身もそうだと思いました。
コロナ禍でグルバイとなかなか交流できない日常生活にヨーガのプラーナが入り込んで、その集中や喜びに満たされるーー
オンライン上ですが、グルバイと密な時間を過ごすことで、「自動的にヨーガの状態になる」という感覚がありました。
それを思った時、自動的➡︎オートマチック、はい、それで宇多田ヒカルの『Automatic』が流れ出しました。
そして断片的ですが「君とパラダイスにいるみたい♪」という歌詞が出てきました。

「なんや、そのオチは!」と言われたら、「私は関西人ではないので」と言わせていただきます✋

話を戻します↩️、師は「フォカッチャはただ単純に美味しい」とおっしゃられているそうです。
そのようにフォカッチャを単純に美味しいから毎日いただくように、いつもただ「神だけを愛する」ことができたら、心は自動的にパラダイスになると思いました🏖

美味しいフォカッチャもいただけ、親交(神交)も深められるフォカッチャの会の参加申し込み、ぜひお待ちしております🙋‍♂️

ゴーパーラ


「私の軛(くびき)を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」

季節は春になり、厚着していた洋服もだんだんと薄くなって身軽になっていきますね🌸🌿
先週の日曜は日差しが強くて私は日中、半袖で過ごしました💦

私は春の身軽になっていく感じがとても好きなのですが、少し前まで心はちょっと重〜い感じがありました😓
識別しても解決されず、どうしようかと思っていた時、瞑想の中で神にそのことを相談してみました。
もうただ、その起こっている事実を神に聞いてもらいました。

するとその瞑想中、2つのリュックサックのヴィジョンが見えました。
一つは重いリュックサック、もう一つは空っぽのリュックサックでした。

瞑想から覚めた時、「あぁ、私は余計な荷物を背負い込んで、思い煩わされていただけなんだ」と思い、それに気付かされたら自然と気持ちが軽くなりました。
そして、次のイエス・キリストのお言葉が思い起こされました。

「疲れた者、荷物を背負う者は、誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」

その翌日、期せずしてその煩っていた物事に大きな進展があり、とても驚きました。
その後、上記のイエスのお言葉について調べてみると、続けて次のことが書かれてありました。

「私は柔和で謙遜な者だから、私の軛(くびき)を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、私の荷物は軽いからである」ーーマタイによる福音書11章

このイエスのお言葉に「軛(くびき)」とあります。
軛とは「牛馬の首の後ろにかける横木」のことで、牛馬を制御する道具のことです。
私は軛と聞いてすぐに連想するのが「ヨーガ」という言葉です。
ヨーガの語源は「ユジュ(軛をかける)」だといわれ、ヨーガは「心を制御して真理(神)を実現すること」を説いています。
上記のイエス・キリストのお言葉「私の軛を負い、私に学びなさい」は、「神の教えである心の制御を実践し、神を見倣いなさい」と読むことができると思います。

心に背負うリュックサックは、やっぱり神のリュックサック(軛)がいいですね。
それはとっても軽く、空っぽだと感じるからです。
そしてその中身は至福のプラーナで満ち満ちていると感じます😇🎒

新緑の嵐山

ゴーパーラ


神のかくれんぼ

「もういいかい?」「まーだだよ」

私は小さい頃、ときどきですが、『かくれんぼ』をして遊んでいました。
鬼になった人が目をふさぎ、「もういいよ」の声で、隠れん坊を探し出す遊びです。
今の子供たちもしているのでしょうか👀?

今回のブログは、『神のかくれんぼ』についての物語をご紹介させていただきます。

あるとき、裕福な商人が商用で旅に出た。
実業家に変装した泥棒が彼の道連れになり、チャンスがあり次第、彼からお金を盗もうと狙っていた。
毎朝、彼らが泊まっていた行きずりの宿屋を出る前に、商人は決まって明けっ広げに彼のお金を数えてからポケットに入れた。
そして夜になると商人は、見たところ怪しむ様子もなく眠りについた。
商人が眠っている間に、泥棒はいつも必死に商人の持ち物すべてを調べるのだが、お金を見つけることはできなかった。
失望に終わる宝探しの夜を何度か味わった泥棒は、結局諦めて彼の本当の意図を商人に白状した。
そして、どうしてそんなに上手くお金を隠せたのかを教えてもらうように懇願した。
すると商人は、何気なく答えた。
「私は、最初からあなたの企みを知っていました。ですから毎晩、あなたの枕の下にお金を置いたのです。あなたが決して見ようとしない、唯一の場所がそこだと十分承知していたので、私は安心して眠れました」

泥棒(心)は外の世界に財宝があると思って探し求めます。
しかし、至高の財宝(神・真実)は泥棒が決して見ようとしない唯一の場所、心の内奥に神ご自身が隠されたという、何ともトリッキーな神のお遊びをこの物語は隠喩しています。

私はこの物語を読んだ時、「今、ここに、この瞬間に、神(真実)は在る!」そう思い、ハッとさせられ、心の内側に意識がグッと引き戻されたのでしたーー

「もういいかい?」「もういいよ」

私、大人になっても、かくれんぼやってるなと感じます。

心は目隠しされた鬼ーー
「もういいよ」の神の呼び声で心の目を開いて瞑想し、神を探求しているのだと思いました👹💨

そして、「みーつけた!」と言って笑いたいです、無邪気な子供のように😄

愛するクリシュナが突然お隠れになり、クリシュナを探し求めるゴーピーたち。 再び彼女たちの前に顕れたクリシュナは、次の弁明をします。 「手に入れた財が失われたとき、財をなくしたその人は、それのことばかり考えて、他のことは気にもとめないように、それと同じように、女たちよ、私のために世の常識も、ヴェーダの規定も、自分の身内も、放擲し去ったあなた方を、私に信順させるために、私は眼に見えぬ姿をとって、密かに隠れてしまったのだ」

ゴーパーラ


フォカッチャの会

先日、京都と松山の数名でオンラインでの勉強会をしました。私は松山に住んでいますが、京都へ通うことができていた時には、毎月先輩グルバイが住む庵に滞在させていただいていました。その時に過ごした時間のように、気軽にヨーガの疑問を聞いたり、皆で師に思いを寄せて語り合ったりできるような交流を、ということで、先輩方が実現してくださったのです。私たちはこの勉強会を「フォカッチャの会」と呼んでいます。なぜこのようなネーミングなのかは後ほど触れるとして、まずはその様子をご報告したいと思います!

日ごろ感じていた些細な疑問を先輩にたくさんお聞きしたのですが、中でも強く印象に残っているものがあります。質問したのは、<日常生活で何を大切にしているか>ということです。
私は食材などの買い物をする時に、同じものを買えるならできるだけ安く買いたいという思いを持っていました。少し遠いお店へ行けば安く買えるけれど、時間がなくて近いお店で高く買った場合、「時間がかかっても睡眠時間を減らせば遠くのお店へ行けたのに、ベストを尽くしていないのではないか」といったことを考えてしまっていました。
ベストを尽くすことは大切だけれど、この場合<安く買うこと>に執らわれているようにも感じていて、先輩たちは普段どのようなことを大切にして日常生活を送っているのかを尋ねました。

この質問に対して先輩は、八正道 の中の『正命』について話してくださいました。以前先輩は師に、「正命とは生活を整えることですか?」と質問されたそうです。師は力強い口調で、
「正命とは生活を整えるとか、そんなこと小さなことではない。どう生きるかということだ 」
と教えてくださったそうです。そのお話を聞いて私は、「ヨーガを中心に生きたい」と思いました。今の私にはアーサナ、瞑想、聖典の学習が必須です。その時間を確保し、かつ疲れて集中できないといった事態は避けたい。ではそのためにはどうすることがベストなのかと考えれば、答えは自然と出てきます。
(※ここで言う『どう生きるか』ということは理想と同義です。私は咄嗟に『ヨーガを中心に生きたい』と感じたためそのままお伝えしましたが、もっと考えれば、理想を掲げ、それを実現するためにはどう生活するのか、と落とし込んでいくことになると思います。)

加えて、思いを残さないということも教えてくださいました。こう、と決めて行動したなら、思いを残さない。例えば、日々の料理は大切だと教えられていますが、「今日は時間が限られているから、料理は簡単なもので済ませよう」という日があってもいい。もしそう決めたら、それ以上料理のことについては思わない。当たり前のようですが、ベストを尽くせているのか?と悶々と考えていた私にとってはとてもクリアな答えでした 。

実は、この勉強会は二日間にわたって行われました。このようなやり取りに加えて、一日目の夜にフォカッチャ(イタリア発祥の平たいパン)の生地を仕込み、二日目の朝には瞑想会をした後、仕込んでいた生地を焼いて朝食を共にするという何とも贅沢なプログラムだったのです!!ここでフォカッチャの登場です!最近、師が好んで召し上がられているフォカッチャのレシピを、一緒にお住まいのシャーンティマイーさんが先輩に伝授され、それをさらに私たちが教えていただいたのでした。このフォカッチャは簡単に作ることができるのに、とっても美味しいんです。何より、師を思いながら同じものをいただき、味わえる歓びを毎日感じることができます。


そのフォカッチャのレシピをブログにも掲載させていただけるということで、ご紹介いたします!

<材料>
(A)強力粉 200~240g
(A)ドライイースト 小さじ1
(A)砂糖 小さじ1
(A)塩 小さじ1/4
(A)ぬるま湯(40度くらい) 200ml
(A)オリーヴオイル 大さじ1
オリーヴの実・乾燥バジル 適量
岩塩 少々

1.(A)を大きめのタッパーに入れて混ぜ、ひとかたまりにして冷蔵庫で一晩寝かす
2.翌朝タッパーを冷蔵庫から出し、常温で30分~1時間ほど放置
3.バットのようなものにクッキングシートを敷き、生地を平らに広げる
4.種を除いてスライスしたオリーヴを表面に押し込み、乾燥バジルとオリーヴオイル(分量外)、岩塩を全体に馴染ませ、フォークで生地を何か所か刺す
5.オーブンまたは魚焼きグリルで加熱
 加熱の目安…オーブンなら220度で予熱後、15分程度焼く。魚焼きグリルなら始めはアルミホイルをかぶせるなどした後、焼き色がつくまで焼く。
※ご家庭の調理器具によって分量や加熱方法などは微調整していただければと思います。
6.食べる前に好みでオリーヴオイルをかける

二日間の交流を終えた後は、まるで京都から帰ってきた時のようなすがすがしい気持ちで一日を過ごすことができました。シッディ(ヨーガの修練の副産物として現れる超自然力)を使って同時に二か所に姿を現した聖者がいましたが、私たちはオンラインという現代のテクノロジーを利用して、離れていても空間を超えることができます。 そして、グルバイとの交流によって前に進む力を与えていただいているということ、それは何にも代えがたいほど力強いということを、あらためて実感しました。
このような機会を与えてくださった先輩方、そしてすべてを導いてくださっている師への感謝を胸に、今日も理想を見つめて生活しています。

3月に入って行なわれた第3回目のフォカッチャの会。この日は東京のグルバイの方も参加されました! (写真のフォカッチャはオーリブの実がなかったので、ブルーチーズと粉チーズで代用しています)

大森みさと


シヴァと三日月🌙

ヨーガの第一修行者であり、グル(師)であり、守護神であられるシヴァーー
シヴァはヨーギー(ヨーガ行者)にとって憧れの存在です。


大学生の頃、インドを旅行していた時からシヴァを目にしていて、「シヴァ、カッコいいな〜!」と思っていました。
でも意外と知らないことも多く、

「シヴァの頭に付いている三日月は何なのか?」

とグルバイ(ヨーガの仲間)とオンラインで話している中で話題に上がり、「うーん…」となり、調べることに。
ネットや書籍で調べるのはどうかと思い、いちばん信頼のおける師シュリー・マハーヨーギーのシヴァと三日月について説かれた教えを兄弟子から教えていただきましたので、以下たっぷりとご紹介させていただきます!

「三日月そのものはーーナンディーという牛がいるでしょう、ナンディーのシンボルなの。ナンディーは牛で、シヴァの本当に親しい仲間ですけれど、やっぱりアジア――インド、日本もそうだけれども、農耕民族に牛というのは欠かせないものですし、その欠かせない牛を使って農業、作物を恵みとしていただいてきたわけです。そこに必要なのは雨ですよね、雨。あまりに降り過ぎるとそれこそ山崩れになるから、度が過ぎるとだめだけれども、やっぱり水が不可欠です。その水というのは、もちろん天から降りてくるわけだし、シヴァは暴風雨の神として――前身はルドラーという神であったということも言われているしーーそういう土着的なシンボルとして神格化されているのがこのルドラーでありシヴァであり、またナンディーもそういうふうにして神格化されている。だからシヴァが三日月を戴いているというのは、やっぱりそこにその重要性を象徴しているんじゃないかと思います。
もちろんアムリタとも関係をしていて、アムリタというのは直訳すれば不死ということです。これが霊的な甘露という味わいを指すことにもなっていくのですけれども、この自然界を見てみれば、朝に草木に夜露がくっ付いているのが見られますよね。あれは天から降りてきたアムリタというふうに理解されるわけです。夜の間に、月の時間の中においてアムリタが滴り落ちている。だからシヴァも、月というナンディーを象徴する三日月というのは、夜の象徴なんです」

ーーシュリー・マハーヨーギー

なんとシヴァの三日月は傍にいるナンディー(牛)の象徴であり、それは農業や雨、夜露(アムリタ)と密接に関係していることを意味していたのですね!

ではなぜ、形が半月や満月ではなく、三日月なのでしょうか?
その意味も師はお答えになっていました。

「シヴァの三日月は月を表していますけれどもーー月も本来は丸なんですけれどもね、三日月で表されていることの意味は、月の満ち欠けという活動性。よくインドの代表的な三神を創造、維持、破壊というふうに呼ばれることがあります。ヴィシュヌは維持を司り、シヴァが破壊を司る。破壊は破壊で終わるわけではなく、そこには再生という意味がもたされていますから、ここでも命のダイナミックな活動性が見えています。月もそのように、同じように理解できると思います。だから、シヴァの三日月は自然界における変化のあるダイナミックな活動性、そして死と再生、そういうものも象徴的に描かれている。それが三日月という形になっているということです」

ーーシュリー・マハーヨーギー

三日月の形は、月の満ち欠けという活動性を表していて、それは死と再生のシヴァのダイナミックな性質を象徴しているということーー
なるほど、謎が解けました!

この他にも師は、毎年作っているマハーヨーギー・ミッションのカレンダーに満月と新月の印があることーー月の暦の太陰暦にも言及されていました。

「最近は、なかなか夜空を見上げるという機会はめっきり減りましたよね。だから、今夜の月の形がどんなのかというのは知らないままに、一年一年が過ぎ去っていっているような気がします。でも自然界の働きというのは、太陽より、むしろ月の満ち欠けによって運行している。例えば、潮の満ち引きであるとか、作物の成長であるとか、あるいは四季折々の自然の命であるとか。そういうものを少し思い起こすことができたらということと、現代私たちが使っているカレンダーというのは太陽暦ですけれども、その昔は太陰暦といって、月の満ち欠けによる暦、カレンダーを使っていたそうで、いまだにアジアの地域ではそういうものも併用して使っていることが多いです。太陽と同じぐらいに月の神秘性というか、その存在というものも時には思い出して、美しい月を眺めることができたらといったヒントにもなればと思いまして、満月と新月を入れているんです。
ヨーガをやっていれば、シヴァ神の髪のところ、あるいは額に三日月が描かれているのをよく見つけていると思うのですけれど、あれはシヴァという神格がこの自然というものに深くかかわっている――月というのはシャクティ(根元力・女神)ですよね――それと一体になっているという象徴が込められています」

ーーシュリー・マハーヨーギー

月の満ち欠けが潮の満ち引きなどの自然界の働きに影響しているということは知ってはいたのですが、こうやってしっかりと教えていただくと納得というか、月はシャクティー(自然・女神)の象徴でもあるということで、もう唸るしかできないシュリー・マハーヨーギーのシヴァと月についての教えです。
これら師の象徴を読み解く深遠な力に、私自身はシヴァの如き瞑想力を感じずにはいられませんでした。

リシケーシュのシヴァ像

ちょっと余談になりますが、私は約4カ月前から職場のある嵐山に引っ越しました。
昨年までの6年間くらいは北野天満宮近くにあった自宅から嵐山まで、テレビでよく映る渡月橋を渡って自転車通勤していました。
嵐山は洪水や河川の氾濫が数年前にあるなど、水害も多い地域です。
嵐山近くのだいたい車折神社辺りになると急に雨が降ってきたり、スコールのような凄まじい大雨と雷に襲われたこともあり、山と川が隣接している地形から雲が発生しやすく、大雨や嵐に見舞われることが多い場所なのかなと感じていました。
ただその反面、嵐山は本当に自然豊かな表情を見せてくれる景勝地でもあります。
桜や紅葉はもちろんのこと、新緑もきれいですし、秋の夕暮れも美しい。
渡月橋に奇跡のような虹のアーチがかかっていたこともありました。
大雨の後は川の流れる音が「オーム」に聞こえるほどダイナミックな流れになり、心が一瞬にしてその轟音に奪われる体験もありました。
そして夜は、「渡月橋」という名が示すように、橋から見える月が本当にきれいなのです。

嵐山を南に下がった松尾大社のすぐそばには、古くから月の神様を祀る月読神社というものもありますし、遥か昔からここに住んでいた人たちは月への感謝の念を感じていたのだろうと想起させます。
月、雨、雷、川、山という自然のダイナミックな運行が凝縮されている嵐山ーー日本でシヴァを感じられるスポットなのでは👀、と私は思います!

 

過去のブログにはシヴァのことを紹介しているブログがいくつかあります。
久しぶりに読むと、とても面白かったです!!
皆さまもぜひ読み返してみてください。

「シヴァ神」
「神と魂を結ぶ愛の歌ーーキールタン」
「不滅なる主ーーキールタンの味わい」
「ブラヨーヘイ」vol.7 北野天満宮編

リシケーシュのシヴァとガンジス河

 

ゴーパーラ


『あるヨギの自叙伝』を読んで(8)ーーマハートマー・ガンディー

マハートマー・ガンディー
イギリス植民地支配からの独立を非暴力運動で勝ち取り、「インド独立の父」と称される彼の名を、誰もが一度は聞いたことがあると思います。

「剣を取るものは剣で滅びる」ーーこの聖書の格言が『あるヨギの自叙伝』のガンディーの章で引用されていますが、ガンディーは武器を取らず、掴んだのはインドの聖賢たちが太古より発見し培ってきた「偉大な叡智」非暴力でした。
ガンディーが生きた2度の世界大戦のあった激動の20世紀インドにおいて、イギリスの圧政・暴力は想像を越える厳しさだったと思います。
その過酷な状況下において、非暴力を実行に移すことは容易でなかったにもかかわらず、なぜガンディーはそれを貫き通せたのでしょうか?

今回『あるヨギの自叙伝』を読み返すと、ガンディーの揺るぎない非暴力の信念・信仰の根底には「ヨーガの教えと日々の実践」があったことがはっきりと分かりました。
『あるヨギの自叙伝』には、1935年にガンディーとその信奉者の住むアーシュラマにヨーガーナンダが数日間滞在したことが記されています。
そこではガンディーがヨーガを実践していたとは明記されていませんが、ガンディーの熱心な信奉者たちが立てたサティヤグラハ(真理を順法する)の11の誓いが紹介されており、それを読むと最初の5つがヨーガの基礎を成すヤマ(禁戒)そのものであることは明らかです。

「暴力を用いぬこと、真理に従うこと、盗みをせぬこと、禁欲を守ること、何物も所有せぬこと、労働をいとわぬこと、嗜好品をつつしむこと、何物をも恐れぬこと、いかなる宗教をも平等に尊敬すること、スワデーシ(自家製品または国産品)を用いること、非賎民を解放することーーこれら11か条の誓いを、謙譲の精神をもって守ること」

ヤマの教えを基本に、残りの6つの条項が加えられ、ガンディーとその信奉者たちが日々この教えを実践しているのでした。
アーシュラマでのガンディーの暮らしは至極シンプルです。
常に下帯一枚しか身に付けていない衣服、味覚と密接に関わっている性エネルギーの禁欲を実行に移すために嗜好品を排した菜食の食生活、また宿泊したヨーガーナンダの部屋は最小限度の手作りのロープ製のベッドが一つ置いてあるだけーーしかし、窓の外からは保護している牛の鳴き声や鳥のさえずりという牧歌的な豊かな自然の響きが調べを奏でていたことが記されています。
ヨーガーナンダ自身、「至るところに現れているガンジーの徹底した質素と自己犠牲の精神に心を打たれた」と述べているほどです。

「もし真の政治家になりたいのならガンディーを見よ」

現代の日本の老獪な政治家に対して私はそう言いたい。
国民に自粛を要請している中での高級クラブ訪問やステーキ会食、また女性蔑視発言などガンディーには無縁であります。

ガンディー(右)とヨーガーナンダ(左)。

余談はさておき、ガンジーはヨーガの実践によって自らを律し、真実という愛をインドの民衆、とりわけパリヤ(不可触民)に分け与え、カースト差別撤廃と宗教間の壁も取り払い、インド国民のみならずすべての人を平等に見ていました。
そんな母国とすべての人を愛したガンディーですが、その彼に多大なる影響を与えたのが真正のヨーギーであったスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)です。
ヴィヴェーカーナンダはインド放浪中、イギリスの支配により自信を喪失し怠惰に陥っていた民衆とその貧困の惨状に胸が張り裂け、インドに必要なのは「宗教でなくパンだ」と言い、西洋の物質科学を自国に持ち帰るべく海を渡り、西洋世界にはインドが古来より培ってきた真実の叡智を与え、インドのみならず世界をヨーガによって救おうと行動し、人類への奉仕に身を捧げました。
さらに、すべての宗教の平等ーー「それに至る道はさまざまだが、真実は一つ」という宣言を大胆にもキリスト教優位の西洋世界で臆することなく高らかに叫びました。
ガンディーはヴィヴェーカーナンダのすべての著作を読んだ後、「私の祖国に対する愛が何千倍も深くなった」と語っているほどヴィヴェーカーナンダから大きなインスパイアを受けています。

そしてこのインドの英雄ヴィヴェーカーナンダを生み出したのが、とりもなおさず彼の最愛の師シュリー・ラーマクリシュナでありました。
ヴィヴェーカーナンダは師を「ブラーミンの中のブラーミン」と讃え、自らが最上カーストのブラーミンであるという奢りを拭い去るために、夜中にこっそりとパリヤの家に忍び込み、自らの長い髪でトイレ掃除をしていたシュリー・ラーマクリシュナのその謙虚な生き様を「真似したい」「私のヒーロー」とまで言っています。

「もし神を実現したいのなら、謙虚な掃除人であれ!」

この言葉は政治家ではなく、自らに言いたい。
シュリー・ラーマクリシュナのこのトイレ掃除の驚愕のエピソードは、謙りの極みだと痛感します。
そしてまたガンディーのサティヤグラヒスの誓いが「すべて謙譲の精神でもって守ること」と記されているように、何を行なうにも謙虚さが最も大切であると教えてくれます。
『あるヨギの自叙伝』には、ガンディーは毎朝4時に起床し、神に祈りを捧げていたことが記されています。
以下、ガンディーの祈りと謙譲についての言葉です。

「祈りはわれわれに、もし神の支えがなかったらわれわれは全く無力である、ということを思い出させてくれる。どんなに努力しても、もし祈りを怠ったら、もし自分の背後にある神の恵みなしにはどんな努力も役に立たぬという明確な認識を忘れたら、その努力は完全とは言えない。祈りは謙譲への呼びかけであり、また、自己純化や内的探求の呼びかけである」

インド独立は、真理・神への不屈の信仰と謙譲の精神の持ち主であったガンディーの大いなるリーダーシップにより成し遂げられました。
そのガンディーの偉大な思想・働きは日々のヨーガの実践とヴィヴェーカーナンダの強力なインスパイアリング、そしてヴィヴェーカーナンダを育てたシュリー・ラーマクリシュナの存在によって生み出されたと言っても過言ではないと思います。
マハートマー・ガンディーの「マハートマー」とは「偉大な魂」という称号で、民衆が進んで彼に捧げたものであるそうです。
ガンディーという偉大な魂は、ヴィヴェーカーナンダとシュリー・ラーマクリシュナから受け継いだ魂であったのだと私は感じます!!!

最後に一言、ガンディーがヨーガを実践していたことは『あるヨギの自叙伝』を読んで再確認しましたが、私がそのことを初めて知ったのは、わが師シュリー・マハーヨーギーからであります。
またヨーガーナンダが1952年にロスアンゼルスでインド大使ビナイ・セン氏のために開いた晩餐会で演説した後にマハー・サマーディに入ったのは、「インド独立を見届けたから」という大変深い意味があってのことで、そのことも師から教えていただきました。

1998年10月のマハーヨーギー・ミッションのカレンダー。

※マハートマー・ガンディー
(1869年10月2日ー1948年1月30日)
イギリスで教育を受け弁護士となって赴任した南アフリカで、彼は人種差別を受ける。傷心の彼が故国で発見したものは聖賢の偉大な叡智だった。彼はそれまでの西洋思考や価値観、生活態度の全てを改め、ヨーガを実践する。その頃インドではイギリスからの独立運動が高まり、人々は彼をリーダーに推し上げた。彼が提唱したサティヤ・グラハ(真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力)、スワデーシ(自力生産)、塩の行進等は民衆の心を動かしめ、遂にはインドを独立へと導いた。

ゴーパーラ


『あるヨギの自叙伝』を読んで(7)ーーヴィヴェーカーナンダのシッディ

突然ですが、皆さんは「シッディ」という言葉を聞いたことがありますか?
シッディとは、ヨーガ修練の副産物として現れる成果で、「超自然力」のことです。
四章から成る『ヨーガ・スートラ』の第三章にはシッディの章が設けられ、ヨーギーたちが発見・感得してきたシッディの数々が記されています。
しかし、『ヨーガ・スートラ』の冒頭の文句にあるように、ヨーガの真の目的は「心の作用を止滅させ、本来の自己(神)に留まること」です。
『あるヨギの自叙伝』では「シッディとは、神の探求の途上に咲く路傍の花にすぎない」と述べていて、このシッディの超自然力を得て傲慢になり、過ちを犯した修行者のことにも触れています。
この『あるヨギの自叙伝』には、そういう間違ったシッディの使い方を教訓として示している一方で、聖者の無為自然なシッディの奇跡の数々も紹介されています。
病気治癒、肉体分離、空中浮遊、透視能力、未来の予言などなど、まさにシッディのオンパレードなんですね!
「これって、本当ですか……」というようなシッディのエピソードと、まるで好奇心旺盛な少年が物語を楽しく話すようなヨーガーナンダの軽快な文章とが相まって、とても魅力に溢れた聖典となっていると感じます。

そして私は今回、『あるヨギの自叙伝』を読み返す中で特に印象に残ったのは、「ヴィヴェーカーナンダのシッディ」のエピソードです。
以下、その内容を要約した形でご紹介させていただきます。

1893年、シカゴで第一回世界宗教会議が開催され、ヴィヴェーカーナンダはヒンドゥ教代表で講演をし、連日にわたって大反響を呼んでいました。
ちょうどその頃、17歳のディキンソンというアメリカ人の青年が、母とシカゴの大通りを歩いていました。
すると突如、「まばゆい光」が見えます。
そして、その二、三歩前をゆっくりした足取りで歩いて大公会堂に入っていくヴィヴェーカーナンダを見て彼は叫びます、「お母さん! あの人は、僕が溺れそうになったとき、幻に現れた人です!」
ディキンソンは5歳の時、池で溺れて死にそうになった時、まばゆい光の中で優しい微笑をした男性が助けてくれたヴィジョンを見ていました。
それがヴィヴェーカーナンダだと直観したディキンソンは大公会堂に入り、ヴィヴェーカーナンダの魂を震わす講演を聴きます。
講演後、彼は面会を求め近づくと、ヴィヴェーカーナンダはまるで昔からの友達のように微笑み、なんと驚くことに「やあ、水の中から出られてよかったね!」と言います。
そして「私の師であると名乗ってほしい」というディキンソンの心の声を読み取って、ヴィヴェーカーナンダは美しい射るような眼差しで次の予言を言います、「あなたの先生は、あとで来ます。その人は、あなたに銀のコップをくれるでしょう」
その後ディキンソンは、ヴィヴェーカーナンダに会うことがなく、また師と出会うこともなく、長い歳月が過ぎていきました。
しかし1925年のある夜、ディキンソンは、神に「どうぞ師をあたえたまえ」と熱心に祈り、その夜眠りに就いた時に天使のヴィジョンと神々しい音楽を聴く恩恵を得て、そしてその翌晩にロスアンゼルスで生涯の師となるヨーガーナンダと出会います。
ただ、その師であるヨーガーナンダから銀のコップが渡されることもなく11年の月日が流れ、その間ディキンソンもヴィヴェーカーナンダの予言を時々思い出すも、次第にあの言葉は何かの比喩に過ぎなかったと言い聞かせるようになっていきました。

しかし、予言の日はやってきます。
1936年の聖なるクリスマスの日、インドからアメリカに再び戻ったヨーガーナンダは、ロスアンゼルスでアメリカの弟子一人一人にお土産のプレゼントを渡していきます。
「これはきっとディキンソン氏が気に入るに違いない」と、そうヨーガーナンダは思って買った包みを彼に渡し、そしてディキンソンは包みのリボンを解いて叫んだそうです、
「銀のコップだ!」
この時、彼は人生で三度目のまばゆい光を見たのでした。

シカゴでのヴィヴェーカーナンダの予言から43年後の奇跡のこのストーリーを読み、私は思わず「う〜ん!!」と唸ってしまいました。
また同時に、「あなたに銀のコップをくれるでしょう」と言ったヴィヴェーカーナンダの無為自然なユーモアというか遊び心というか、本当にシッディを他者の歓びのために有益に使っている、最高にサプライズなクリスマス・プレゼントだと感嘆しました。

ヴィヴェーカーナンダは師であるシュリー・ラーマクリシュナに出会って修行を始めた頃、師から「将来、霊性の師として働く時は、役に立つだろう」と言われシッディを授かる機会がありましたが、次のように答えます。

「まず神を悟らせてください。そうすれば、超自然力が必要か否か、おそらく分かることでしょう。今そうした力を頂いたなら、神を忘れて利己的に利用してしまって、自滅するかもしれません」

そしてその後、ヴィヴェーカーナンダは悟り、またシッディの力を持っていたことは、『あるヨギの自叙伝』の「銀のコップ」のエピソードを読むと明らかです。

シュリー・ラーマクリシュナは晩年、ヴィヴェーカーナンダを傍らに呼び寄せて、じっと彼に視線を注いだまま、深い瞑想にお入りになり、その後泣きながら次の言葉をお話になられたそうです。

「今日、私は自分が持つすべてをお前に与えた。私は一介のファキール、無一物の乞食にすぎない。お前に授けた力によって、お前は世界で偉業を成し遂げるだろう」

このシュリー・ラーマクリシュナのお言葉がすべてだと思います。
悟りもシッディも、師のすべてがヴィヴェーカーナンダに引き継がれています!!!

2月18日は偉大なる覚者シュリー・ラーマクリシュナの御聖誕日です。
2月はもう1回、『あるヨギの自叙伝』からシュリー・ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダに関連する記事を書きたいと思っています😄📝

 

ゴーパーラ