投稿者「サーナンダ」のアーカイブ

真実に心を尽くす <サットサンガより>

3月9日(土)、ニューヨークご布教から戻られたばかりにもかかわらず、師シュリー・マハーヨーギーは直伝クラスの最終回とサットサンガを行なってくださいました。

まず、2年4か月にわたり、師自らヨーガの真髄を私たちに伝授してくださったことに、心からの感謝を捧げさせてください。毎回、自分でも驚くほど集中することができました。アーサナ前、師のそばに座っただけで涙が溢れることもありました。師の導きにより心の波を静めることで、思考や理屈を超えて、真実在を体感させていただきました。本当にありがとうございました。この感謝の気持ちは、ヨーガを深めていくことでお返ししていきます。

さて、この日の直伝クラス・サットサンガとも、日本各地から多くの方が師の下に集いました。師に初めて会われる方もたくさんいて、サットサンガで質問が途切れることはありませんでした。

その中で私が最も印象に残ったのは、真理以外のことに思いを巡らせる弟子に対してのお言葉です。

「そんなくだらないことにどうして心は囚われるの?どうでもいいじゃない、そんなことは。それよりももっと大事なことに、心を尽くしなさい。」

それは、日常生活においてこの世のいろいろなことに目を向ける私自身への言葉でもありました。京都から東京に戻った私は、自宅や会社で「これはどうでもいいことではないのか?」と自らに問いかけていることに気付きました。それほどその言葉は、私の心に深く残っています。

師は直伝クラスの最後に、こうおっしゃっています。

「どんな分野であっても、懸命に努力をした人だけが成功します。いわんやヨーガにおいては当然そうです。数え切れない輪廻転生をしてきた苦しみの生涯に終止符を打つという、偉大なる作業なのですから。この生涯において、吉祥なヨーガに縁を持ったということだけでも本当に恵まれた素晴らしいことです。この吉祥な縁をさらに実りあるものとして、この生涯のうちに自由に、悟りを実現してください。」

仕事や日常生活は適切に対処しつつも、常に真実に心を尽くすこと。気付けば神を手放していた…なんてことでは、この偉大なる作業をやり遂げることはできないのです。「真実に心を尽くしているか、これはどうでもいいことではないのか」を常に自らに問い続けていく。4月のサットサンガで師に再びお会いする日まで、必ず続けたいと思います。

ターリカー


真実に導かれる <直伝クラスに参加して>

2年前に、ヨギさんのアーサナ直伝クラスが始まる!、と聞いたとき、
「このクラスに参加するからには、絶対にヨギさんにアーサナを正されることが無いようにしよう。何年もアーサナのクラスに通っているのだから、正しくできて当たり前、今さら直してもらうなんて、ヨギさんに失礼だ。」
と、思ったものです。

私は、アーサナ直伝クラスが大好きです。
ヨギさんがその美しい全身を使い、はっきりとした目的を持ち、働いていらっしゃるところを見ることができるのが、何より嬉しいことだったのです。
誰にでも、必要な人に対して丁寧に、解りやすい言葉をかけ、手を添えサポートされるヨギさんの様子を、自分でアーサナをしながら、五感をフル活動させて追いかけていました。
今思い返すと、アーサナ中は呼吸に集中するよりも、ほとんどヨギさんに集中していたような気がします。
そしてクラスの後半、瞑想に座るころにはもう時間も場所も意識することがなくなり、ただこの時がずっと続いたらいいのにと思う。この思いも雑念だと気づきながら、そう願わずにはいられない。この感覚は、いつでもどんな場所でも瞑想できるようになる、手掛かりのような感覚になってきました。

直伝クラスでの瞑想

真実が人の姿となってこの世に顕れることの有り難さ、ということをなかなか理解できずにいましたが、直伝クラスでヨギさんと共に過ごすことで、少しずつ身に染みてきたように思います。
ヨギさんと共にいるときだけではなく、どんなときも同じように、かけがえのない大切なときであるということも。

直伝クラスには大勢の仲間が参加しており、一人一人、クラスでの体感は違うでしょう。けれど、皆、間違いなく真実の存在の方へ導かれている、それが直伝クラスであるのだと感じます。
ヨギさん、この機会を与えてくださって本当にありがとうございました。

正されまいと覚悟していたアーサナでしたが、そんなに甘くはありませんでした。
いつだったか、予想外の力強さで正された逆立ちに思わず声が出そうになり、私の覚悟も必要のない拘りだったのだと気づきました。

マイトリー


一歩ずつ進む! <クラスインタビュー>

3月に入り、少しずつ春の芽生えを感じる今日この頃ですね。プラーナ(気)が変わってきました!

さて、長岡京のヨーガ・瞑想クラスに通い始めて7年目になる篠田さんは、昨年から瞑想専科などにも熱心に参加されています。今回、どのようにヨーガに向き合われているのかお話しを聞く機会がありましたので、インタビュー形式でご紹介させていただきます。


——ヨーガを始めたきっかけはなんですか。

すぐ怒る性格を直したいと思ったからです。ある人から、「もし猿が怒った時に木に登るのだとしたら、あなたは一瞬で一番高い木のてっぺんまで登ってしまう猿だね。」と例えられるほど短気でした。当時は怒っている自分にも正しい理由があると信じていて、なぜ怒ってしまうのかが分かっていませんでした。でも今思えば、自尊心とか執着とかが強くて、自分にとってすごく大事にしていることを傷つけられると、それを守るために怒ってしまっていたのだと思います。

瞑想をすると怒らなくなると聞いて、「ヨーガ・瞑想クラス」に行ってみました。でもアーサナはとてもきつくて、ハードルが高いと思い、1回受講して足が遠のいていました。それでもまた行かなければと思っていた時に、ちょうど初心者向け体験クラスが始まって、初心者クラスならついていけるのではと思って受講しました。最初は5つのアーサナだけだったので、これなら続けられると思いました。その体験クラスにはレクチャーや宿題もついていて、愚痴を言わないという宿題をしたり、エゴについて学んだり、その中に怒りについての話もあり、それを通して、自分の心を客観的に見るということができました。私は理屈で理解するタイプだったので、それがとてもよかったです。2013年の新春でした。

——ある時期から、すごくアーサナの集中感が出てきましたよね。

クラスに通う中で毎日アーサナをしなくてはと思っていてもなかなかできていなかったのですが、ある時1ヶ月以上毎日集中してアーサナをしたことがありました。その時期に、それまで全然できなかったパシュチモーッターナ・アーサナ(前屈のポーズ)が急にできるようになったんです。それを機会に連鎖的に他のポーズも深くできるようになり、それぞれのアーサナがリンクしていることを体感して、アーサナがとても面白くなっていきました。

——ヨーガをする目的は、人間として成長したいからと以前お聞きしたのですが、それはどういう意味ですか。

それは自分自身が未熟、稚拙だと思っているので、大人になりたいと思ったんです。大人の意味は、常に周りを気遣える、優しさとかゆとりのある人間という意味です。いつも自分のことしか見えていなくて、後で反省することが色々あり、そういうことが自然にできる、身についている人間になりたいと思いました。

それで、クラスでプラーナーヤーマ(呼吸法)の実習が始まって2、3日した後、いつも嫌な人のことを考えるとその思考から抜け出せなかったのが、「この人にもいいところがあるかも」という思いが自分の心から自然に出てきてとても驚いたんです。そういう視点は今まで持ったことがなかったので、偶然かもしれませんが、「これはプラーナーヤーマの効果かも」と思って、もっといろんなものを変えてみようと思い、それまで気を払っていなかった食事をさまらさ風に変えていってみました。そういうふうに、自分の中で何かのチャンネルが切り替わっていったのです。

——昨年から、瞑想専科にも毎週通われていますし、さまらさの台所にも参加されましたものね。ヨーガをしていると、目から鱗が剥がれるように感じることがありますが、チャンネルが切り替わったのですね!最近バクティ・サンガムにも毎回参加されていますが、キールタンはどうですか。

キールタンは、数年前に一度聴いた時、なんて退屈な歌なんだ、最後まで聴いていられないと思ったのですけど、ある時ミッションから動画が配信されたので聴いてみると、とても心地よく感じたのです。やはり何かが自分の中で切り替わったのだと思います。今は本当に楽しくクラスで歌っています。台湾の方が参加されていた時に一緒に歌ったのですが、とてもパワフルで、キールタンには国境はないんだと思いました。

またバクティ・サンガムでは聖者の物語の紹介があって、以前は、聖者とか言っても全然知らない人だし関心ないのだけど、とか思っていたのですが、今は是非とも知りたいと思うようになったので、その物語が聞けるのが楽しいです。

バクティ・サンガム。一番奥が篠田さん。

——それで目標としていた大人に近づいていっていますか。

そう感じることがあります。例えば、悔しい出来事があった時は、それまでは自分視点でしか考えられず、相手を言い負かすことがメインの目的だったのが、そんなことはどうでもいいことだと思えるようになってきました。その時に一歩下がってこの問題を解決するにはどうしたらいいのかと考えられるようになりました。まだ毎回できるわけではないですが。

——ヨーガのこれからの目標などはありますか。

私には悟りという大きな目標はまだ霞の向こうにあるような感じなのですが、クラスに通っていると、いつもサーナンダさんやマードゥリーさんから次の目標が用意されるから、一歩ずつ階段を上ることができるように感じているので、それがとてもいいです。だから、今はクラスにさえ通っていれば次の目標が与えられるんだと思っているので、よろしくお願いします。


長岡京バンビオクラスにて。左から、サーナンダ、篠田さん、マードゥリー。

篠田さんは、本当にある時から見違えるほどアーサナの集中感が増してきたことをよく覚えていますが、やはりヨーガはやっただけ自分に良い変化をもたらすのですね!話を伺っていて、その背後に呼吸の変化やプラーナの集中、そして心の変容があるように感じました。実に科学的で普遍的!熱心にやっていけば、誰もが恩恵を授かることができるんだと思いました。傍から見ていて明らかに何か余分なものを脱ぎ捨てていっているような感じで、その充実感がよく伝わってきます。

こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします。(サーナンダ)


ラーマクリシュナの直弟子―トゥリヤーナンダに導かれて

先週末の日本列島に寒気が訪れた2月9日(土)、師シュリー・マハーヨーギーはNYご布教のためご不在でしたが、たくさんの熱心な弟子たちがマハーヨーギー・アーシュラマに集まり、弟子たちによるサットサンガが行なわれました。

2月9日の弟子たちによるサットサンガ

この日は、19世紀の大聖者シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの直弟子たちに焦点を当て、4人のスピーカーがそれぞれの理想とする直弟子のエピソードや教えを紹介しながら、自分自身の実践と理想について熱く語り、皆で思いを高めていきました。

今回そのうちの一人である、野口美香さんのお話を、追記抜粋編集してご紹介したいと思います。本当に寒気を吹き飛ばすかのような迫力のある熱を感じるお話でした。


私はトゥリヤーナンダの強い信念と、神への信仰心、師への信仰心に憧れています。

トゥリヤーナンダは、すべての行為を母なる神への礼拝としなさい、母を思いなさい、ということを強調されています。生涯師の教えに従って、母なる神を思い生きていかれました。そしてご自身が実践してきたからこそ、人々にも常に母を思いなさい、母だけを頼りなさい、行為を母への礼拝としなさいというふうに伝えていかれました。

スワーミー・トゥリヤーナンダ

どのようにすれば自分の生活の中の行為を、トゥリヤーナンダのようにできるのでしょうか。花も虫も、動物も人もすべてを同じように本当の意味で大切にしていけるようになりたい!と私は思うのです。

トゥリヤーナンダの生涯が書かれている『神を求めて』の本の中で、とても印象に残っているシーンがあります。

トゥリヤーナンダが、ベルル僧院に住んでいた時、若い修行僧たちを訓練するために、常に一緒にご自分自らが、いろんな仕事をこなしていかれていました。
ある時、調理できるように処理されなければならないたくさんの野菜があったので、見習い僧たちと一緒にその仕事をされます。その仕事の途中で、朝食を知らせるベルが鳴りました。もう少しで仕事が終わるから、この仕事が終わってから朝食を摂ろうとトゥリヤーナンダは言われます。そして仕事が終わってから、食堂へ行くと食べ物は何も残っていませんでした。普通は、後から来る者たちの分はとっておかれることになっています。
それで、トゥリヤーナンダは係りの見習い僧に、「われわれの食事はどこにあるか?」と尋ねます。その見習い僧は、「皆さんにとっておいた分は、プレマーナンダが不意に来た信者に上げてしまわれました」と答えます。プレマーナンダも、ラーマクリシュナの直弟子である方です。
トゥリヤーナンダは、「なぜそれが私たちの分であることをプレマーナンダに話さなかったのか」と尋ねると、
見習い僧は「どうして、私が非常に偉いスワミにそんなことが申し上げられましょう」と言います。
トゥリヤーナンダは、「なぜできないのか。もし君が彼を本当に愛しているのなら、彼が知らないことを知らせてあげることをなぜ躊躇するのだ。愛している者に向かっては、何でも話すことができるはずだ。人を愛する時、どうしてそこに恐れなどがあり得よう」と言いました。

このエピソードを初めて読んだ時、本当にそうだと思いました。トゥリヤーナンダの一点の曇りもない、真っ正直な言葉が自分の中に広がっていきました。見習い僧のとった行動が自分の傾向と似ているように思え、「なぜできないのか?」というそのトゥリヤーナンダの言葉に、私自身の問題に対しても、「なぜできないのか?」と考えさせられ、この言葉が胸に突き刺さりました。

このエピソードがずっと私の心に刻まれていて、こういう場面に自分が出くわすと、この教えが自然に浮かび、力を与えてくれるようになりました。

もし自分の役割に徹するならば、その食事は後から来る人たちのために取ってあることを伝える必要があったし、そこに何の計らいも必要ありません。相手がどういう立場の人であっても、遠慮したり、気付いているけれどしない、というのは、どこかに自分を守ろうとしている弱さがあるからです。誠実とは真逆のことになります。そんな行為は、神に捧げられないと思います。

トゥリヤーナンダは、「礼拝の精神で行なわれる仕事は、現代に相応しいたった一つの霊性の修行である。すべてを母なる神への礼拝として、母に捧げなさい、そしてただ誠実であれ」というふうに言われています。
誠実であるためには、些細なことですが、自分の弱さや余計な計らいがたとえあったとしても、それに気付いたなら、すぐさま無視して、自分の中の真理への信念を貫くという強い意志が必要になるのだと思います。
毎日の中の小さな仕事を礼拝として行なうためには、その些細な矛盾をなくしていかないといけないと思っています。自分に与えられた役割に全注意力を向けて、少しの計らいも入らないほど集中する訓練を繰り返ししていこうと思います。
トゥリヤーナンダがラーマクリシュナの教えに従って信仰を貫いて生きていかれたように、私も師であるヨギさんからいただいた教えを貫いて生きていきたいです!!!

今の私に最も響くトゥリヤーナンダの言葉を紹介します。トゥリヤーナンダはこの言葉をたびたび繰り返されたそうです。

あなた自身であれ、強くあれ。悟りは強く、純粋で、真っ正直な者だけに与えられる。自分はアートマン(真の自己)である、ということを忘れるな。このことはあなたに最大の力と勇気を与える。勇敢であれ。マーヤー(無知)の束縛を断ち切れ。ライオンのようであれ。何事にあってもびくびくするな!スワミジ―(スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ)はあなたに、あらゆる魂は内に神性をひそませている、と教えたであろう。自己の神性を悟れ。そのときにあなたは、すべての魂は神である、ということを悟るであろう

野口美香

サットサンガにて話をする野口さん。


日常が真剣勝負!

アーサナや瞑想は練習問題のようなもので、日常こそが真剣勝負だと師は教えられます。

今回、師の直伝クラスやサットサンガにも熱心に通われ、真剣にヨーガに励んでおられる藤原さんが、ご自身の体験を寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


昨年末のサットサンガで、ヨギさんに識別についてお聞きすると、エゴに気づいたら、それが出てくる前に忍耐して制御していくように。そして、他者にはやさしく行為するようにと教えてくださいました。

ところが、年明け早々に久しぶりに夫と大喧嘩をしてしまいました。
その引き金を引いたのも、この喧嘩を招いたのも“私は正しい”というエゴ的な思いから生まれた日常の私の言動だったのです。私は今まで一体何をしてきたんだろう…と何もかもが崩れ去っていくように感じ激しく動揺しました。
その一方で、いつもと変わらず動じることもなくその様子を見ていた息子は、私の肩をやさしく撫でてそっと寄り添ってくれました。その姿にヨギさんを見たように感じました。

その時にやっと私は、ヨギさんから授かったこの教えが、自分にとってどれほど必要なことなのかを思い知るに至りました。
私はヨーガを学び実践が大切だと日常を過ごしていたつもりでした。そして、少しずつですがその日常に良い変化も感じていました。でも、いつの間にかその結果に執らわれてしまい、自分のエゴに気づかずにいたことに気づきました。

この激しい動揺をしずめてもう一度やり直さないといけないと思いました。
ヨギさんのようにいつも変わらず同じで在りたい。その為には、徹底的にエゴをなくしていかないといけない!

以前、クラスでラーマクリシュナが教えられている6匹のワニのお話があったことを思い出しました。
人の心にある怒り、嫌悪、色欲、欺き、高慢、羨望という6つの欲情をワニに、心を池に例えて、池に棲んでいる6匹のワニが時々出てきて心をざわつかせるというお話でした。
何事も自分の思いどおりにはならない、諸行無常、カルマの法則、この世の中の道理を正しく理解して、このようなネガティブな感情が湧いた時には、エゴが思いどおりにしようとして暴れているのだから、即座にその反対のポジティブな思いを起こすのがいい。怒りには寛容を、嫌悪には愛を、色欲には清浄を、欺きには誠実を、高慢には謙虚を、羨望には賞賛を。そして、その時のポイントは、条件付きではなく、いついかなる時も、誰にでも無条件に行なうことだと教えてくださっていました。

これからも何度も何度も心に言い聞かせ、忍耐強くエゴとの真剣勝負に挑み続けたいと思います。

藤原 里美

MAMA YOGA lilāは、篠山市、丹波市で活動しているヨーガのサークルです。藤原さんがアーサナをリードしています。下、写真右端が藤原さん。


計り知れない導き! サットサンガより

1月12日、今年最初のサットサンガが行なわれました。師がご布教のため16日よりニューヨークに渡米されることもあり、たくさんの弟子が集いました。
その中で、質問者だけでなくその場にいた全員に向かって、力強く、熱を込めて話された教えを、抜粋してご紹介させていただきます。

「誰もが1日の中で三分の一は眠っているでしょう。その中できっと夢も見ているはず。夢の世界とこの昼間の世界とは全く違うでしょう。どちらが本当ですか?どちらも同じなのです。夢は、心の奥深いところから現れてくるある種のストーリーです。昼間の世界は、心の表面の部分が活動して出来上がった世界です。どちらも、心が作りだした世界ということで同じなのです。どちらも夢のようなものです。
一方で悟りの世界というのは、確実なリアリティーの世界です。それだけが真実です。そこから見れば、この世の中は実に儚い、朝の露のように一瞬の煌めきを持っていてもすぐさま消えていく。
誰もが肉体を持っていて、肉体は食べ物によって養われていますから、何らかの仕事もしなければいけない。また、家庭生活も必要でしょう。様々な付随する用事も多々あると思います。でもそれはそれだけのことです。それが目的ではないのです」

「心が何を思おうが全く値打ちのないものです。いささかの値打ちもない。真理というのは確実にあります。それを体感することがヨーガの目的なのです。過程の神秘体験とか快感とか、そんなものを目指しているものではないです。心はいつまでたっても真理を知ることはできません。なぜなら、心と真理とは別物なのですから。やるべきことは心をなくすことなのです。心を空っぽにして、なくすことなのです。そうすれば、自らの内にある真理そのものが現れます。これは、単純な真理です」

この二つの教えは、何度も何度も繰り返し、師の口から言葉となって発せられ、これまでも幾度も聞かされてきました。初めは、よくわからなかったのですが、耳にすると自然に涙が溢れることがあったり、次第に「確かにそうだ」と思うようになり、そして「本当にそうだ」と感じるようになってきました。師から直接聞く真理の言葉には、計り知れない導きがあると感じています。
この真理の教えが土台となって、日常の様々な事柄を見て、心を識別していくことによって、「何が大切で、これからどう生きていくのか」という私自身の理想が具体的になっていきました。これからも、その目標に向かって、さらにヨーガを深めていきたいです。その決意が胸いっぱいになったサットサンガでした。

山口正美


思い一つですべてが変わる!

2019年が始まりましたが、どのような一年になるのでしょうか?皆さんの今年の抱負はいかがですか。熱い思いが力強い行動を生み出し、未来を作っていきますから、素晴らしい一年となる思いを抱きたいですね!
さて、マハーヨーギー・ミッションのヨーガ・瞑想クラスも今日から始まりますが、今回、師の直伝クラスや京都のクラスに熱心に参加しながら、ヨーガに励んでいる桜井さんが、クラスを通した気づきと実践、そして決意について寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


ミッションのクラスを受講し始めて2年が経った昨年の3月、アーサナや瞑想の実践を深めていきたいという思いとは逆に、私はそれまでの職場から勤務時間が大幅に増える職場に異動が決まりました。
悩んでいた私にクラスで指導してくださっているシャーンティマイーさんが「思い一つ、社会で求められていることには応えていかなければいけない。」という言葉をかけてくださり、アーサナや瞑想は手段であり目的ではなく、仕事をする時間が前より増えてもヨーガを深めていくことはできること、また、社会で求められている役割を果たしていくことも大切だということを教えていただきました。前向きに今ある状況でやっていくしかないという気持ちに変わっていきました。

新しい人間関係、新しいルール・・・その中でも、
日々淡々とできる限りアーサナや瞑想をする
職場では、頼まれたことやしなければいけないことは余計な感情なしに、すぐに動く
結果には執らわれず終わったことは捨てていく
ふとした瞬間に自分の中の神に意識を向ける

そんなことを心がけながら、土曜日は変わらずシャーンティマイーさんのクラスに参加していました。
それから2カ月が経った6月のクラスで、以前はアーサナをしていても身体という一つの器で呼吸とアーサナの形を作っていくことは別々のものとしか感じられませんでしたが、呼吸とアーサナの形を作っていくことが身体の中で重なったという感覚があり、マットに寝られないくらい身体中が燃えるように熱くなることがありました。この時に、やっとシャーンティマイーさんが繰り返しクラスで言われていた「アーサナはプラーナによって作られる。」ということが、ありありと実感できました。
その時からそれまで以上にプラーナを身体の中で意識できるようになり、少しずつ集中感も増してきたと感じられるようになりました。

これからも、師のお導きの下、シャーンティマイーさんから言われた「アーサナは基本に始まり基本に終わる。丁寧に呼吸を見つめて今の中に生きていく。」という言葉、きっとこの先何十年アーサナをしていっても「吐く息をできるだけ長く丁寧にし吐ききること、それとともに一つ一つの段階を追って完成ポーズにもっていくこと」は変わることなく大切で、それが日常生活では今という瞬間に生きていくことに繋がるんだなと思っています。しっかり心がけこれからも精進していきたいです!

桜井みき


誰ヨガの夏 ☀︎ ヨーガを歩む!

今年の夏はいろいろありましたけれど、少しずつ季節は移り変わるものですね。いつの間にか朝夕は秋の気配を感じるようになって来ました。

さて、誰もが実践できるヨーガ・夏の特別3回シリーズを、長岡京市で7/1, 8/5, 9/2に行ないました。各回ともに20名前後の方が参加されました。毎回アーサナをして呼吸を調え、講座や実習を行ない、ヨーガの実践的な歩み方を学びました。

  1. 心を知る(7/1)
  2. 理想を育む(8/5)
  3. 確かな道を見つける(9/2)*9/1 補講を実施

今回、1回目と3回目に参加された東京の早川さんが感想を寄せてくださいましたので、ご紹介したいと思います。早川さん、ありがとうございました。       (サーナンダ&シャチー)


この夏、 誰もが実践できるヨーガ・夏の特別3回シリーズ(通称誰ヨガ)を受講しようと思ったきっかけは、以前から伝説のように「誰ヨガで〇〇と言っていた」とか、「誰ヨガでは、、、」とか「あれは本当に良かった」と言う先輩方の話を耳にしていたからです。また、色々なヨーガの本を読むものの、言葉を覚えているだけのような気がしてなかなか実感が伴わずにいました。知識に囚われてしまって、知識に行為を当てはめて納得するような、何とも言えないつまらない苦しい感じがありました。そこで、「誰もが実践できる」と言うタイトルにすがるような思いもありました。

1回目の講座は、講師であるサーナンダさんとシャチーさんのお二人のヨーガの実践体験談を交えながら、ヨーガの教えを学び、実習しました。その中で、どのようにしてこれまでヨーガの道を歩み今日に至ったかを聞くことができ、自分と照らし合わせて考える事ができました。例えば、ヨーガに出会って3ヶ月くらいの時はこうだった、1年半後にはこうなった、と具体的なエピソードを伺うことができ「今の私はこんな感じ」と共感したり、「もう少ししたらそれを体験できるのかな」と期待をもったりしました。

中でも印象に残ったのは、ヨーガを始めてから1年半後のエピソードです。
まだまだ心と闘っていたということ。原因を考えてみると、どうやら「私」を認めてほしい、「私」を愛してほしい、と、エゴなる「私」があることで苦しむのだと気付き、「真理の教えを心に言い聞かせる」作戦をとったそうです。
「この心や肉体は私ではない。ではなぜこの私を認めてもらわないといけないのか。本当の私はすでに喜びに満ち溢れた存在だ」
最初は全く理解しなかった心も、何度も何度も言い聞かせていくことで、ある日「そうかもな」と言い始め、心は少しずつ楽になっていったそうです。
また何年か後には、他者の評価を受け取らないように意識していった、悪い評価はもちろん、良いことも受け取らないようにすることで、心は振り回されることが少なくなっていったとのこと。「ヨーガは自立」という師の教えも紹介されました。今の私はまだ、手放せない観念や頼りにしているものがあり、それらを失うことに不安を感じています。ヨーガの実践は、その頼りにしているものを怖いけれど手放して、立っていられるようになることなんだなと、深くうなづくことができました。

3回目の講座では、4つのヨーガの実際的な歩み方について学びました。実は私は、そのあたりの区別がごっちゃりとしていたのですが、それぞれについての参考図書も紹介され、分かり易く理解できました。
どのヨーガにしても、やったことがないから難しいと思うだけで、実践していけば、誰もが真実を実感できるようになると話されていました。今、目の前で、手の届く人がそう言っているのだから、これは実際のことなんだな、私も実感できるようになれるんだなと思いました。
ただし…バターができるまでヨーグルトを混ぜ続けるような(生クリームとヨーグルトで発酵バターを作る時、バターができるまで根気よく混ぜなければならないという、シュリー・ラーマクリシュナの例えから)、根気と忍耐が必要ですよ、とにこやかに話されていた顔が真剣な鋭い眼差しとなり、じっと眼が合いました。その時、「誰もが実践できる」のだけれど、それには目標をもって、根気良く歩み続ける忍耐が必要なんだと、この誰ヨガの本当の意味を知りました。
すると、ここ最近のもやもやしたつまらなさはすっきりと晴れ、簡単なことだったんだなと思うと同時に、やり続けられる忍耐はあるのかな、いや、続けるしかないだろうと思いました。

初めて参加した誰ヨガは、お笑いもたくさんあり、本当に楽しかったです!

早川千茶


カーリー・ヤントラに瞑想する!

今回発売されたNewTシャツとトートバッグにデザインされているカーリー・ヤントラは、瞑想に使用されるものでもあるのですが、シンプルなデザインを見て、本当に瞑想で集中しやすいと思いました。

それで、6月23日にあった松山での瞑想特別クラスでは、集中力を養っていくというテーマだったので、カーリー・ヤントラを用いて、それを凝視しながら実際に集中してみようと思いました。

ところが、人数が多いのでどうやろうかなあと思っていたところ、ヨギさんから、大きなカーリー・ヤントラを書いて前に貼ったらいいというアドヴァイスをいただき、早速松山のスタッフに依頼したところ、Tシャツのデザインを参考に、大きなカーリー・ヤントラを書いてくれました。見た瞬間、「大きいなあ〜!!!」と思いました。

当日は39名の方が参加されましたが、後ろから横からでもよく見えたようです。

今回の瞑想特別クラス3回目は、3月から三ヶ月空いたのですけれど、前回感想を寄稿してくださった若狭さんが(→前回のブログ)、続きを寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。ありがとうございました。           (サーナンダ)


毎日牛のポーズと呼吸法そして瞑想を5分でも10分でも座ろうと決めました。瞑想セミナー2回目の宿題です。

牛のポーズと呼吸法、詰まった鼻がピリッと通って呼吸が体の中を巡ります。心が静まって心地がいい!肩の力を抜いて背骨を真っ直ぐと言い聞かせます。
睡魔と戦いながら、なんとか3日坊主は乗り越えました。1週目2週目も大丈夫、雑念は浮かんできますが、捨てる捨てるとにかく捨てるを繰り返していると、少しずつですが集中が長くなります。順調だ!なんかいけそうな気がする!

ところが一ヶ月を過ぎた頃大きな変化に気づきます。
自分で努力をしている感じがしないのです。なにか大きな力が働いて私を動かしている。何かに包まれ導かれるように。気負いも緊張もなくなって、ただ毎日淡々と瞑想をするという不思議な変化です。
その大きな力に身を委ねて、気がつけば3ヶ月が過ぎていました。

「大きな力」あれはなんだったんだろう? 今はよく分からない。
でもきっと誰もの中にあるにちがいない!それは分かります。

三回目の瞑想セミナーのテーマは「集中」でした。

心は分散しているから弱い。集中すれば強くなるとサーナンダさんが教えてくれます。強くなりた~い!!!

参加者全員で大きなカーリー・ヤントラに集中します。
カーリー・ヤントラへの集中は、ただ見て、目を閉じて残像に集中します。ぼやけてきたら目を開けて見る。その繰り返しだけ。メガネをしてもよい、瞬きも気にしない。何の努力も要らな~い、超簡単~です。

二日目のアーサナクラスの瞑想の時、目を閉じたとたんカーリー・ヤントラが前にありました。どうして、なんで~と心の中で大騒ぎ。いやいや騒いでる場合じゃない集中!集中!
最後はカーリー・ヤントラと私が重なって、喜びが満ちていきました。

ヨギさんの恩寵ですね、ありがとうございます。
次の宿題はこれだと決めました!

若狭多美子

 


歓喜の春の祝祭! サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー!

2018年4月8日(日)、偉大な主ブッダのご聖誕日に、マハーヨーギー・ミッション主催、
第2回 サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー -神性示現大祭-
が開催されました。

今年は全国的に3月末に初夏の日和が続き、桜も驚いたのか一斉に咲き始め、春の祝祭は若芽の緑が春光に映える中で行なわれました。全国各地から、そしてニューヨークから、また先月末に師がご訪問された台湾からは想いによって、プレーマ・アーシュラマにはたくさんの弟子たちが集いました。祝祭会場には、溢れんばかりの喜びの笑顔が輝きました。

今年も祝祭前に仁和寺ツアーが開催されました。ツアーコンダクターはターバンを巻いたゴーパーラと、残念ながら写真に写っていませんが、着物姿の高橋さんが担ってくれました。

サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラーは、永遠普遍の真理サナータナ・ダルマとそれを100%純粋な形で具現されたアヴァターラ(神の化身)の顕現に感謝を捧げ、私たち自身アヴァターラが示された道を歩み、サナータナ・ダルマの実現を誓願する、喜びの祝祭です。

続々と参加者が美しい笑顔をまとってやってきます!

昨年は第1回目ということで、古来全てのアヴァターラに感謝を捧げる祝祭となりましたが、2回目となる今年の春の祝祭では、アヴァターラたちの中でも特にブッダにフォーカスし、ブッダの存在と息吹に迫ることで、私たち自身がまさにブッダが発見された古道、すなわちサナータナ・ダルマの道の途上にあることを再認識する素晴らしい機会になりました。

詳細は、機関誌『パラマハンサ』5月号に譲るとして、ブログでは当日の写真を中心に祝祭の模様をお伝えしようと思います。

会場のプレーマ・アーシュラマにサハスラーラの旗が翻ります。

玄関を飾る色とりどりの花々が喜びとともに参加者を出迎えてくれます。

ブッダの存在とサナータナ・ダルマに迫った七人の真剣でいながらもユニークなスピーチに、師も参加者も全員が聞き入り、笑い、涙し、歓喜に沸き立ちました!3月末に師が訪問された台湾からも喜びのメッセージが届きました。

吉祥なこの日に3月末にニューヨークで発行された『Seeking Truth』(『真実を求めて』の英語版)のお披露目があり、ニューヨーク・ミッションから参加したエーカーンタ(左)とアーナンダマーリー(右)がそれぞれ本を読んだ感想と出版への思いについて話されました。

一言で言うと、なんと素晴らしい歓喜を味わえたことでしょう!素晴らしいスピーチの数々!それぞれがブッダの清らかな魂に触れ、その振動がその人の生き様、実際の体験を通して溢れ出しました。その喜びの奔流、歓喜の大海に溺れてしまいそうでした。アヴァターラという存在がもたらす永遠の歓喜に触れた魂は、一瞬でみずみずしい命の歓びに蘇りました!

春と秋の二つの祝祭!その歓びの輪が大きく大きく広がっていきますように!

師とすべてのアヴァターラに心より感謝を捧げます。

ジャイ・サナータナ・ダルマ ジャイ・アヴァターラ!

サーナンダ