投稿者「サーナンダ」のアーカイブ

魂から魂へ

突然ですが、先週末に師を追いかけて台湾に行ってきました。
師は5月に続いて二度目の訪台となりました。そして今回も台湾の活動をサポートしてきたミラバイさんが師に同行されていました。私は初日のサットサンガに出席させて頂きましたので、今回一番感じた事を少しお話しさせて下さい。

今やインターネットが世界中を駆け巡り、まるでその場にいるかの様に世界中の情報を瞬時に手に入れる事ができます。本当に便利ですね。私もマハーヨーギー・ミッションのクラスに通うきっかけはネット検索でした。

でも、それだけではだめなんです。
『いちばん大切なものは目に見えないんだよ』
星の王子様でも言われていたことです。

今回、師と台湾の方達が会場のジョイフルリビングという素敵な空間で対面している様子を、後ろから見させていただきました。人生の目的。この世の理。生まれてきた意味。参加者それぞれが胸に秘めた普遍的な疑問は、洋の東西・時代を問わず同じでした。それぞれの想いがとつとつと語られ始め、それに対して真理を実現した覚者から直接発せられたその息吹は、会場を瞬く間に神聖な教えの場に変えてしまいました。無知を射抜く真智の瞳から発せられた祝福は参加者のハートを沸騰させ、高揚した表情で誰もが視線を外せずにいました。
ブッダが民衆に説法した際も、古のヨーガ行者が師から洞窟で教えを授かった時も、きっとこんな感じだったに違いないと感じました。
それはネットの情報や書物からでは決して感じ得ない、直接的に届けられる体験でした。私も何度も師のサットサンガで魂を鷲掴みにされる様な体験をしていますが、正に今、この瞬間、この方達は凄い体感をしているんだなと背後からみて感じました。

日本に来たことのある台湾の仲間が「私は5月にヨギさんから沢山の種子を心に植えて貰った。今でも日常で自分の習性を変えて行く力となってその種子は育っている」という話をしてくれたのがとても印象的でした。

国境を超え、言語を超え、人種を超え、魂から魂へ。
正にそんな言葉がぴったりくるサットサンガでした。
師は真理を求める人がいるなら何処へでも出向くと仰っています。御自身の肉体をすり減らしてでも、真理を求める人の心に直接種子を植えつけるために。真理の問答・サットサンガを通して。

私は師の為さる働きが、本当に尊いお仕事だと心から敬服しました。

チャイタニヤ


私が感じたシュリー・マハーヨーギー

2017年5月に、シュリー・マハーヨーギーは初めて台湾を訪問され、4回の特別サットサンガが開催されました。その際の様子については、以前に師の台北の弟子プリヤーさんが報告してくれています。(→以前のブログ記事
今回、同じく台北で熱心にヨーガに励んでおられるパンパンさんが、師の2度目の訪台に想いを寄せてくださいましたので、ご紹介したいと思います。師は10月19日〜10月27日まで今年2度目の台湾訪問をされます。このパンパンさんの経験のように、素晴らしい出会いが待っていることでしょう!楽しみです!


2017年の5月にシュリー・マハーヨーギーが初めて台湾に来訪されて、4回の特別サットサンガが行なわれました。

1回目のサットサンガの時、ヨギさんが会場に入るやいなや、私の眼から壊れた蛇口のように涙が溢れ出してきました。心が苦しわけでも悲しいわけでもないのに、なぜ涙を止められないのかが全然分かりませんでした。これまで、そのような経験をしたことがなく、今でもその理由が分かりません。

5月13日の午後に3回目のサットサンガ行なわれました。
毎回サットサンガの前に、紙の上にたくさん質問を書きました。でも、参加者たちの未知のものへの渇望は同じものが多いので、私の質問は他の方たちの問答で一つずつ解決されました。ヨギさんが、どれほど揺るぎなく真面目にみんなの質問に対応されたことでしょう。そして、“それ”だけがあること、真理は手が届かないものではないということを分かりやすいお答えでみんなに説き明かしてくださいました。しかし、一つの疑問が心に浮かびました…

その時、ヨギさんが一人の参加者の質問に答えられてから、少し間ができました。私はその隙を狙って手を挙げようとしたのですが、ヨギさんはまだそのお答えを続けられました。私は真剣に聞いていたので、手を挙げることを忘れてしまい、その後も他の参加者がどんどん質問をしました。ですが、私が抱いた疑問については誰も質問しませんでした。その疑問はまだ私の心に引っかかっていました。いくつかの問答の後、やっと質問できるチャンスがやって来ました!

私が手を挙げると、ヨギさんは私をしっかりと見られました。その眼差しは、まるで次のようにおしゃっていました。「Hi、パンパン。あなたのことを知っているよ。やっと手を挙げられたね。あなたの聞きたいことをもう知っていますが、まぁ、言ってくださいね」

私:「グルと弟子の関係は何でしょうか。今の私の理解では、たとえば子供の頃は先生はいつも私たちの傍にいます。ヨギさんのような御方は、きっとたくさんの弟子がヨギさんの傍についていると思います。でも、多くの弟子はいつもヨギさんと共にいることはできません。ヨギさんの傍にいることができない弟子は、どのようにして学んだらいいですか」

通訳を聞いてから、ヨギさんはうなずかれて言われました:「ブッダは、死ぬ間際にこう言い残しています、『私の体を見る者が本当の弟子ではなく、私の教えに生きる者が本当の弟子である』」

どんなに強烈で力強い答えでしょう!瞬く間に目が涙でいっぱいになりました。
そして、ヨギさんはグルと弟子の関係を光と闇を例えられ、以下のように説明されました:「闇とは無知であり、無知を消すために光が必要です。元々弟子も光ですが、今隠されています。グルの助けで弟子の無知が払われたら、本来の光が現れます。最後、グルの光と弟子の光は一つになります。もともと一つですから」

ちょうどその時、曇っている空からひとすじの光が窓を通して射してきました。ヨギさんのお身体がきらきら輝いて、お顔が光を放ちました。ヨギさんは微笑みをたたえられました。時間はまるで静止したようで、会場は静けさに包まれました。

ヨギさんはさらに続けて言われました:「安心して学び、ヨーガを続けてください。できる限りこの体も皆んなに見られるようにしますから」

それを聞くと、涙でぼやけたヨギさんの御姿がもう一度はっきり見えるようになりました。私はうなずいて、満足して、泣き笑いしました。

ヨギさんからいただいた答えは私の宝物になりました。今瞑想する時、いつもそのかけがえのない祝福された時間を思い出します。

別のサットサンガで、とても印象に残ったもう一つの問答があります。同じようにスタッフを担当した一人の参加者が、「私たちはどういうふうにヨギさんのことを見ればいいですか」とヨギさんにお聞きしました。
ヨギさんは微笑まれながら、こう言われました:「あなたは、私を自分だと思ってください」

ヨギさんはヨーガの教えを実践すべきだと言われました。それからの4カ月、そのお言葉を思うと、心の中に力と光が満ち溢れます。古い生活パターンを少しずつ変えました。残業でどんなに遅くになっても、生活をしていく上でやるべきことはちゃんとやろうとしています。例えば、朝早く起きて、朝食と昼食のお弁当を作り、食事量を抑えて、古い習慣を変える。エコの容器を使う。できるかぎり毎日アーサナをする(時々疲れすぎて、深夜にあくびが止まらなくても、限界まで精一杯やります)。朝会社に行く時もう遅刻しない(単に皆勤手当をもらうためです。その手当をもらえば、ヨギさんの来台訪問の資金にドネーションできるからです。)。仕事や生活の中で好きなことにも嫌いなことにも影響されないように練習している…などなど。

この間、自分の心が安らかになってきたと感じました。将来のことにも、多くの恐怖や疑いをだんだん持たないようになりました。
10月にヨギさんがもう一度台湾に訪問されると聞くと、本当に嬉しくてたまらないです。すごく楽しみにしています。もっと人々がヨギさんに会えて、私のように自分を支える力をもらえるように、心の中で祈っています。

パンパン


松山にシヴァ神到来!?

先週の9月16日(土)、9月17日(日)にサーナンダさんが瞑想特別クラスとサットサンガのため、松山ヨーガ・サークルに来てくださいました!ちょうどその週末に大型台風到来という情報がありましたが、有難いことに予定通り無事に開催することができました。

初日の瞑想特別クラスでは「布施について考える」というテーマでお金への執着がなくなったらどうなるか、ヨーギーを見倣う生き方を学びました。私自身が最も印象に残ったサーナンダさんの言葉は「ヨーガの極意は執らわれないことです」という力強い一言です。サーナンダさんは具体的に私たちが何に執らわれているか、どうすればいいのか?を丁寧に説いてくださいました。ヨーギーの生き方の何と清々しいことか!憧れずにいられなくなるような内容でした。

講座後の感想をご紹介します。
「お金に対しての教えでしたが、教えていただき自分のカルマ(因果応報の法則)を取り除けてないこと、欲望の生活を送っているのがたくさん見えました。聖者の生き方からお金に対する無執着を教えていただき、お布施の本来の意味を知り熱い思いが常に自分を奮い立たせることだとわかり魂を感じる会でした。実践していきます」
「生活、生き方を志の実現のために整え、行為していくということを教わり、布施ということに限らず、一瞬一瞬の言葉や思い、選択をどれだけこの意識に向けられているだろうと反省します。もっと情熱をもって真剣にもっと精一杯整え、行動していきたいです」
そして、長年ヨーガを実践している方は「最近、お金をあまり使わなくなったのでなるほどと思いました」という感想もありました。


台風にも関わらず30名以上の方が参加されました。

2日目のサットサンガの中で印象に残った話をご紹介します。

上司との関係に悩むMさんは、上司に認められたいという思いを棄てるにはどうすればいいのか質問しました。
サーナンダさん「輪廻転生と言いますが、昨日が前世、今日が今生、明日が来世と、毎日に例えられます。すると、今日考えたり悩んだりしていることは、だいたい昨日も同じことを考えたり悩んだりしていたと思いますし、たぶん明日も同じことで悩んでいるでしょう。それと同じように、今生で直面している問題や悩みですが、多分前世でも同じ問題で悩んでいたでしょうし、このまま行けば必ず来世でも同じことを繰り返すに違いない、と私は思うのです。そうすると、それは嫌だから今生で何とかしないといけない、それならば今を真剣によりよくしていくしかないと思うのです。

Mさんの場合も、このまま行けばまた来世でも同じようなことを繰り返してしまうでしょう。それは嫌でしょう!それが嫌なら、真剣にヨーガをやっていくしかないです。ヨーガをやっていくことで心が変容します。心が変容すれば必ずそれに接する人の反応が変わります。それによって状況も変わっていきます。具体的に言えば、余計なことを考えず、淡々と仕事に励むこと。そして、ヤマ(禁戒)、二ヤマ(勧戒)で行為を整え、アーサナによって呼吸を調え、聖典の学習や瞑想によって心を調えていけばいいです。そうすれば思いも状況も必ず変わっていきます!

生きていればいろんなことが起こります。子供の頃、嫌なことに出会った時、なぜ出会ったのか原因を一所懸命考えたことがありました。すると、一つの答えが出てきました。それは、生まれてきたからだと思ったのです!様々な原因があるかもしれないけれど、その時そこに自分がいたことにも確実に責任があるのですから!生まれてこなかったらそこにはいなかったし、嫌なことも起こらなかった。しかし、生まれてきた以上、どこでどんな目に遭ったとしても仕方がない、自分にも責任があると思うようになりました。ではなぜ生まれてきたのか?自分とは一体なんなのかが肝心なのです。小手先で逃れようとするのではなく、覚悟を決めて今の状況を受け入れて、そうしてやって行けば、いつか転機がやってくるかもしれません。

実際的には、職場の改善を働きかけたり、自分自身についても改善していけばいいと思います。自分にも改善すべきたくさんのことがあるかもしれない。言葉遣いとか行動とか。そうやって実際的に改善していけばよりよくなっていくと思います」

サーナンダさんの気迫のこもった言葉がその場にいた皆さんに、「人や状況のせいにせず、より良く改善していきたい」という情熱が注がれたかのようでした!
その証拠に今回の講座とサットサンガの後日、クラスに来られる方の話す言葉が別人のように変わっていっているのです。
「すごく落ち込んでいたけど、もう後戻りしたくない!身体のことをくよくよ思い悩むよりも、もっと純粋にヨーガだけに邁進していきたい!」
「人に依存していたことに気が付いたので依存をなくしていきたい」

台風が去った翌日、空気がとっても澄んでいて本当に清々しかったです。先日からこのブログでもシヴァ神のお話しが出ていますが、シヴァ神のルーツは暴風雨の神様。そしてシヴァ神は破壊と再生の神様です。サーナンダさんと一緒にシヴァ神が来てくださって私たちのこだわりを破壊し自由にしてくださったのかというくらいクラスに来られる皆さんの表情が変容したのです。しかし、まだまだこれからです。完全な自由に至るまで力強く前進し今までの癖や傾向を破壊し真理とひとつになって新しい命を生きることができますように。

サーナンダさん、シヴァ神とともに来てくださって本当にありがとうございました!
サーナンダさんのハートはヨギさんでいっぱいです。
最愛の師、ヨギさんに心からの感謝を込めて。

アーナンディー


第四の意識

まだまだ残暑が厳しい日が続いていますが、それでも少しずつ朝夕はしのぎやすくなってきているのでしょうか。皆さま、よく眠れていますか。

私は睡眠時にあまり夢を見ない、あるいは夢を見たことをほとんど覚えていないし、一度寝ると途中で目覚めることは滅多にないくらいの睡眠なのですが、先日のサットサンガで師が、誰もが毎日三つの心の状態を経験していると教えてくださいました。

  1. 起きている時の心の状態
  2. 睡眠中、夢を見ている時の心の状態
  3. 夢も見ない深い熟眠の心の状態

起きている時は、心は、それはそれは色々な経験をして、「あ〜楽しい!」とか「あぁしんどい・・・」とか印象を刻んでいます。夢の中では、起きている時の印象を反映しつつも、全く違った不思議な世界ー空を飛んだり、海に潜ったり・・・が展開されます。熟眠中は、一切の心の活動が停止し、ただ「空無」という思いがあるだけの状態になってしまいます。同じ心なのですが、この三つの心の状態は驚くほど違っているのですね。

毎日経験しているものだから、誰も不思議にも思わないのですが、よく考えてみれば、同じ心が劇的に異なる世界を経験していることはとても不思議です。もっとも大切な自分の心が、不思議なことに強制的に夢見の状態に陥り、さらには何もわからない状態になっているのに、誰も嫌だとは思いませんものね。

どれほど起きている時に心が苦しんだり悲しんでいても、あるいは喜び楽しんでいても、睡眠中はそれらを忘れて、夢の中で全く違う世界に行ったり、あるいはそれらもなく、心自体が眠ってしまう状態になってしまうのです。

睡眠は、知性や能力に関係なく誰もに等しく訪れ、熟眠中は、どれほど賢い人も愚かな人も、善き人も悪人も、同じような状態になってしまいます。

起きている時に心に刻まれる経験の印象の力が大きいので、あたかも起きている時の心の状態が全てと思われがちですが、現実的に1日の3分の1の時間程度は、全く違う世界に行っているわけですね。そして大方の場合、睡眠は心に安らぎをもたらす大切な時間になっています。要は、心というものはダイナミックに常に変化しているということであり、起きている時の心の経験も、夢見も、熟眠も、等しく心に現れた一つの状態であるわけです。

そして師は、さらにもう一つの意識状態があると教えてくださいました。これら三つの心の状態を見ている第四の意識があるというのです。だからこそ、これら三つの状態を心が経験していることが知られているのですね。その第四の意識=トゥリヤーこそが、真実の自己であると教えられています。

ヨーガや瞑想の目的は、第四の意識に覚醒することです。

起きている時の様々な思い煩いに翻弄され、睡眠で癒されて、また起きて翻弄され、癒されるということを心は繰り返しているわけですが、それらの背後にあって黙って見ている第四の意識に心を集中していくことによって、心は思い煩いから解放されていくのです。

まあ実際のところ、いかほどの苦しみも、どれほどの喜びも、熟眠中は消えて無くなっているわけですから、そう考えれば大したことでもないのかもしれないと思う時があります。あったり、なかったり、変化するものに翻弄されないようにし、常に実在する第四の意識に心を向けていけばいいのですね。

さて、京都の瞑想専科は、現在第2期を行なっていますが、第3期が10月から始まります。第3期では、第四の意識を探求していきたいと思います。

また、それに先立ち、9月24日(日)には瞑想1日ワークショップを行ないます。

大阪の瞑想専科でも同日時に瞑想一日体験会があります。

ご関心のある方は、是非ご参加ください。

サーナンダ


真夏の王宮ーインド細密画

夏本番ですね!京都の夏は今年も暑いです!

昨年もお届けしましたが(細密画)、暑い夏に涼しそうなグレール派細密画です。

今日はちょっとインドの細密画について解説してみましょう。

インドの細密画は大きくは4つに大別されるそうです。

A. ラージャスターン派細密画(西北インド)
B. パハーリー派細密画(西ヒマラヤ丘陵地帯)
C. デカン派細密画(デカン高原地方)
D. ムガール派細密画(東北インド)

A, Bはインドの伝統的ヒンドゥー教系の細密画で、ラージプート派細密画と呼ばれ、16世紀頃〜19世紀初めまで盛んに描かれました。ラージプート族は武士階級なので、宮廷生活を描くとともにヒンドゥ教の多くの神話や文学をテーマに描かれています。
C, Dはペルシャの影響を受けたイスラム教系の細密画です。

インドの細密画は、当時の藩王国の盛衰と大きく関係しており、藩王の庇護の下で発展してきましたが、衰えた藩王国お抱えの画家は次なる藩王国に雇われ、その技法が融合しながら発展してきたと言われています。そして細密画のテーマや画風も当時の藩王の影響を大きく受けています。

ブログで時折紹介している、カーングラ派細密画(1780〜1825)やグレール派細密画(1720〜1800)は、Bのパハーリー派細密画になります。パハーリーとは、山地という意味です。

カーングラとグレールの細密画は密接で、場所もすぐ近くなのですが、優れたムガール画家の影響を受けてグレールで美しく花開いた優雅で繊細な写実主義的な技法がカーングラ派細密画に引き継がれ、カーングラでは藩王の手厚い庇護の下で特にクリシュナとラーダーの愛の物語の数々の傑作が生まれています。

両派の細密画のテーマは、「愛」です。今回紹介するグレール派細密画に見られるように、何と言っても際立っているのは女性の美しさです。女性の体や仕草を見事なラインで描いています。繊細な筆致と豊かな色使い、そして構図が素晴らしい!見事に愛というテーマを表現しています。

真夏の王宮のプールで王女が水浴びをしている様子が描かれていますが、濡れた長い黒髪、ゆったりとした涼しそうな衣服を巻きつけた王女が、暑い夏の日に左手を噴水に入れながら水タバコを吸ってくつろいでいます。侍女が楽器を演奏し、奥の寝室ではベッドを整えている様子まで描かれています。美しい絵ですが、それでもこの絵は、ひたすらいつ来るとも知れない愛人(神)の到着を待っている、恋する乙女(バクタ=神の愛人)の切ない心情が描かれているのです。

バクタは神に恋い焦がれ、その愛はとめどなく大きくなっていきます。ヨーギーの真理への思いも同じように果てしなく大きく大きくなっていきます。その衝動と愛の衝動は同じようなものなのでしょう。

愛をテーマとした美しい細密画をみると、ただちに心に愛の振動が起こります。神と魂の愛の物語は、このようにして人間の愛の形を通して詩や細密画に表されてきたのですね。

暑い夏に少しでも涼が取れますように!そして神への愛の振動が伝わりますように!

王宮も 牧場も 森も 戦場も

この人の世も 天国も

すべては 愛が支配する

愛は主にして 主は愛なれば

サーナンダ


夏の松山瞑想特別クラス

また7月も行ってきました夏の松山に!サーナンダです。
瞑想特別クラスでは累計14回目の訪問になり、随分と松山にも行き慣れてきました。松山のたくさんのヨーガを学ばれている皆さんともすごく顔なじみになってきて、顔を見かけると嬉しくなります。
さて、そんな瞑想特別クラスの感想が松山のアミティさんから届いたので、掲載させていただきます。相変わらずヨーガに熱い松山の皆さまでした!


今年2月から7回シリーズで始まった松山瞑想特別クラスとサットサンガ。その4回目が7月15日(土)16日(日)に開催されました。講師のサーナンダさんは、松山ではすっかり顔なじみになり、いつも多くの人が心待ちにしています。サーナンダさんが定期的に来てくださることで、その度毎にインスパイヤされ、ますます皆さんのヨーガの熱が高まってきています!

今回のテーマは「食と言葉を調える」でした。「食」も「言葉」も私たちの日常生活と切り離す事ができないとても身近なテーマです。具体的な実践のヒントをたくさん頂いて、さっそく日常の中で実践していきたいという声が多く聞かれました。

この2日間で私が感じたことは、真実を悟った人は、どのように行為をするのだろうかということでした。その行為を学び、日常で実践していくことによって心が調えられ、真実を悟ることへとつながっていくということです。

食事について言えば、「すべての存在は等しく尊い存在である」ことが本当にわかったならば、自分の体を維持するための食事は、食物の尊い命を頂くわけだから、旬のみずみずしい良質のものを必要最低限の量で十分だということになり、食材やそれを育てた人や自然に対する感謝の気持は自ずと起こり、他者を思いやり集中して調理するということも自然な行為として行われることになるでしょう。

言葉についても、心の波がなくなったときに真実の自己が輝き出ると教えられるように、真実を悟ったならば、心の思いがないのだから、愚痴や不平不満などあるはずがないし、すべてが等しく尊い存在であるとわかったなら、相手を傷つける言葉を発することなどあり得ない。常に心は沈黙しているだろうから、自分が話したいから話すということもなくなるでしょう。言葉はただ他者のためにあり、相手の話をよく聞き、相手の必要としていることを話し、時には、相手の心を解きほぐすために会話を楽しむこともあるでしょう。

2日目のサットサンガでは、「傲慢な自分を直したい。謙虚さについて教えてください」という質問があり、サーナンダさんは次のように答えられました。
「ヨーガをやって行くと、自分がどれだけ偉いのかということを考えた時に、自分が人より優れていることとか、傲慢になったり、威張ったりする理由が見つからなくなる。この自分の命、生きているっていうことそのものが、自分の力で支えているわけではないから、謙虚にならざるをえない。
才能や、社会的な地位や人より知識があるとかないとか、それで優劣をつけるとかは、本当に些細な事。原点に立ち返って、ここにこうして尊い一個の命をもって存在している、生きていることの神聖な意味を感じることができたなら、自然に傲慢さがなりをひそめて謙虚な思いになって来ると思う。
訓練としてやる時は、徹底してへりくだるということを実践して行くべき。態度、言葉遣い、姿勢、徹底してへりくだる。行動も常に相手を尊重、敬うような行為を無条件にやって行く。」

真実を悟り、真実に生きているヨーギーの生活のあり方はどのようであるのか?それを学び、理想、目標とすること。そして、日常の食事を気をつけたり、言葉に気をつけたり、徹底してへりくだる実践も、何のためにやるのかと言えば、その理想に向かっていくため。
サーナンダさんは、真実、真理は自分の一番身近にあるもの。目の前にある日常にこそそれがある。だから日常が大事、と言われていました。
理想を見失わないようにしっかりと見据えて、目の前の日常を調えていくこと。
ヨーギーは、いつも軽快で大らか。私たちは、その理想の姿になろうとしているのだから、細かいことにこだわりすぎることなく、大らかに軽快に実践して行けたらいいなと思います。

アミティ


瞑想でヨーガにダイブする!

何だか皆さん、とても熱心で、仲がいい・・・!

というのが、最近の京都瞑想専科の印象です。クラス中は皆とても真剣に話を聞いたり、質問したり、瞑想の実習をしているのですが、クラスが終わると、皆さんそれぞれ互いに話し合ったり、延長で問答したりして、話が弾みます。よい仲間、あるいは同志みたいですね。

京都駅前にあるキャンパスプラザ京都では、毎週木曜夜に瞑想専科のクラスを行なっています。


京都瞑想専科は、サーナンダとゴパーラが担当しています。
だいたい絵のような感じの二人です。

第2期「瞑想で日常を変えていく6カ月コース」が5月から始まり、瞑想に関心があるたくさんの方が熱心に通われています。
毎回、

 ①ためになる瞑想を深めるためのワンポイントレッスン
 ②集中力を鍛える行法トラータカの実習(目の浄化法)
 ③瞑想実習1
 ④瞑想を学ぶレクチャー
 ⑤Q&A
 ④瞑想実習2

という90分のプログラムで瞑想について学び、実習しています。
7月6日は「仕事の秘訣」がテーマでした。瞑想を深めるには、まず真理の教えを学ぶ必要がありますが、マハーヨーギー・ミッションから発行している書籍を購入して読まれている方も多く、この日はレクチャーや書籍で学び、それを日常で実践しながら格闘している様子が伺え、とても頼もしく思いました。

真理の教えは誰もが共感できるものですが、いざ実践しようとするとなぜだかうまくいかないこともしばしば。「結果に執らわれない」という仕事の秘訣も、理屈はわかっていても、なぜだか執らわれてしまう自分がいて、どうすればいいのかと考え込みます。そういう葛藤がもう一度教えの真意について熟考することにつながり、理解を育み、瞑想のテーマになっていくのですね。

多くの方が、無心になりたい、静かになりたいと願い、瞑想を始められます。渦巻くように収まらない心のざわめきから解放され、静けさを味わいたいのです。その願いは、毎日熱心に瞑想を続けていけば、いつの間にか叶えられていることに気づくでしょう。一体何に心はざわめいていたのだろうと、不思議に思う日が来るに違いありません。熱心に取り組まれている皆さんの姿を見ていると、ふとそんなふうに思いました。

一緒にクラスを担当しているこのブログでもお馴染みのゴパーラさんも、話の輪の中でいつも皆との交流を楽しんでいます。そんなゴパーラさんが、来週からNYを訪問されている師の下にヨーガを学びにいくと発表すると、皆さん興味津々。彼の今年のテーマは、「神にダイブする!」です。四の五の言わず、ヨーガに飛び込むゴパーラさんの姿勢は、見ていて清々しいものを感じます。NYにダイブするゴパーラさんとの一月後の再会が楽しみです!

第2期も7月20日からは、いよいよステップ2「生き方を変えていく」に入っていきます。
瞑想は自分自身へのダイブです!思いっきりダイブしますよ〜!

サーナンダ


ヨーガの熱が高まる松山!

先日松山の瞑想特別クラスに行ってまいりました。
「ヨーギーの生き方に学ぶ7回シリーズ」の3回目「働きの秘訣」がテーマでした。3カ月ぶりだったので、皆さん覚えているかなと思っていたのですが、44名が参加され、新しい方も多く、凄い熱気で驚きました。その理由について、アーナンディーさんが寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。(サーナンダ)


松山のアーナンディーです。
ジメジメした梅雨の湿度も逃げてしまうような勢いで、最近の松山のクラスはヨーガへの情熱が高まり続けています!
今回はそんな松山のクラスからご報告したいと思います。

それもこれも5月のヨギさんの特別サットサンガの後からのことです!

5月の特別サットサンガでは、松山ヨーガ・サークルの空間は喜びでいっぱいになりました!
その後、クラスの参加者の皆さんからヨギさんのお名前を聞かない日がないほど、ヨギさんへの感謝の声が続き、皆さんの笑顔が朗らかでハッとするほど美しくなっています!
特別サットサンガ初参加の方からこんな感想をいただきました。

「サットサンガに参加して、私は今幸せだなと思って帰ってきました。サットサンガの翌日によく行くお店の店員さんに『顔がスッキリしてますね!何か悪いものがすべて取れたような顔つきです』と言われました。そしてサットサンガから1週間経った今、私のたいしたことない1週間前の悩みは何もしてないのに解決しました。不思議です。今日のクラスに行く予定です!」

と今まで以上に熱心に通い続けてくださっています。他にも「誰もの中に真実があるという教えが腑に落ちて希望を感じました」「ヨギさんへの感謝の思いから実践する力をいただいています」などなど特別サットサンガの醍醐味を味わったという喜びいっぱいの感想をいただき、多くの方とヨギさんへの感謝を話し分かち合えるのが嬉しくてたまりません。

そんな楽しそうな熱気が伝わったのでしょうか。新しくクラスに定期的に通い続ける方が1人、2人と増え始め、先日はスタジオが一杯になるほどになりました!
また長年通っている方がヨギさんを見倣って本当に優しく誠実に皆さんに接してくださっていて、すごくいい雰囲気です。
新たな参加者の皆さんにも改めて感想をお聞きすると、「ヨーガって楽しい!」「1週間に1度のクラスが楽しみ」「クラスに参加するか迷うほど心と身体が重かったのに、ヨーガの後、心も身体も軽くなって驚きました!ヨーガに出会えてよかった!」「(マハーヨーギー・ミッションのブログを読んで)心に響くものがありました。次回はヨギさんにお会いしたいです」とそれぞれの方が嬉しそうに答えてくださいました。


木曜の夜のクラスの皆さん。笑顔が美しい証拠写真がこちらです!

しかし、まだまだこれからです!なぜなら、誰もが本当の喜び、本当の自由を求めているのに、ヨーガに出会えてない人がたくさんいらっしゃるはずだからです!!!1年ぶりにサットサンガに参加されたWさんがこんな感想を寄せてくださいました。「先日家族に『ヨーガを始めて優しくなった。世の中には色々なヨガがあるけど、お母さんがやっているヨーガは本物だと思う』と言われました。嬉しかったです!」

この感想のように私たち1人ひとりが真のヨーギー、ヨーギニーになることで本物のヨーガをもっと多くの方と分かち合えるようになりたいです。ヨーギー、ヨーギニーは一日にして成らず!でも私たちは着実に前進しています!ヨギさんを知りたければあの人をみればいいよ!と私たち1人ひとりがそんな存在になるよう精進していきます!
いつも、どこにいても私たちを至福へと導いてくださるシュリー・マハーヨーギーに心からの感謝を込めて。

アーナンディー


ヨーガの秘訣・北海道編 神は私を待っておられる!

シュリー・マハーヨーギーの弟子には、遠方に住んでいて、容易に師に会えない方もいます。京都に住む弟子たちは、直伝クラスに通ったり、サットサンガなどで、よく師にお会いすることができますし、ブログでもご紹介させていただいているように、昨年からは台湾や松山、京都など各地で特別サットサンガも開催していますが、それでもなかなか会えない人はどのようにヨーガへの思いを高め、日々実践していけばいいのでしょう。

それについて、遠く北海道に住んでおられる三井さんが、ご自身の思いと日々の実践について投稿してくださいました。北海道から京都まで容易く来られませんから、三井さんはブログやパラマハンサに掲載される師のお言葉を何回も読まれているそうです。そして、年に一度ヨギさんに会いに来られた時の三井さんの、実に濃密な師との交流シーンが目に焼き付いている方も多いと思いますが、この記事を読むと、物理的な距離や回数ではないということが実証されているように感じます。


まだヨーガに出会っていない頃、よく見る夢がありました。
夢の中で私は、とっても大事なことをしていないことに気づき、これをちゃんと覚えておいて毎日やらなきゃ!と決意するのですが、目覚めた時には、その大事なことが何だったのか全く思い出せないのです。
私は何か、とても大事なことをしていない・・・・・。
そこで、今までよりも注意深く意識しながら生活してみることにしました。大事なことをしていないはずなのに、日々の生活は何の支障もなく過ぎていきました。そしてまた同じ夢を見るという繰り返し。

私は一体何をしていないのだろう?

ヨギさんの下に導かれ、ヨーガを学び、毎日アーサナと瞑想をするようにな ってから、あの夢を見ることはなくなりました。
毎日続けるに値する確かなものを得て、心はようやく安堵しました。私の魂は、ヨーガを渇望していたのだと思います。
ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、歯を磨いたりするのと同じようにアーサナと瞑想も当たり前の習慣になり、何をしていても時間になれば2階の修行部屋へ向かいます。階段を上りながら思うことはただ一つ。

「神は私を待っておられる。もっともっと深い瞑想を捧げよう!」

どんなに離れていても、どんなに会えなくても、心から尊敬できる師と、同じ志を持つ仲間に巡り会えたことは大きな喜びです。
京都に伺い、ヨギさんにお会いした時に伝わってくる神聖なバイブレーションや、慈愛 に溢れた眼差しや、とろけるような笑顔や、ぬくもりのある声は、言葉や文章ではとても伝えられず、実際に味わってみなければ決してわからないことです。
そして、謙虚で穏やかで親切なお弟子さんたちに接すると、頭が下がる思いになります。ヨギさんの教えが深く浸透し、ヨギさんの存在が心にも身体にも染み渡っていると感じます。ヨギさんのお側にいるということは、こういうことかと思わずにはいられません。
ヨギさんのお側でグルバイと一緒にヨーガを学べたらどんなにいいだろうと思う時、頭に浮かぶのはパラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』の中の一節です。

私はカラ・パトリに、彼の放浪生活について尋ねてみた。
「あなたは冬でも、ほかに着物を着ないのですか」
「着ません。これで充分です」
「あなたは本をお持ちですか」
「いいえ、ひとに物を尋ねられたときは、記憶の中から答えます」
「ほかにはどんなことをなさいますか」
「ガンジス河のほとりを散歩します」
この淡々たる答えを聞いたとき、私の心に、彼の素朴な生活に対するあこがれが強く湧いてきた。私は、アメリカと自分に負わされた重い責任の数々を思い起こした。『いけない!ヨガナンダ』私は一瞬さびしく自分に言いきかせた。『この生涯では、ガンジス河の散歩はお前には許されていないのだ』

この生涯では、ヨギさんのお側でグルバイと一緒にヨーガを学ぶことは私には許されていない・・・・・。
パラマハンサ・ヨガナンダの崇高な使命とは比較にならないとわかっていても、そんなことを考えて寂しくなる時、私を励まし力づけてくれるのは、機関誌『パラマハンサ』に掲載されているサーナンダさんの文章です。

インドの山奥で瞑想行に勤しむヨーギーたちも、社会において多忙な仕事に勤しむ世俗人も、等しく神の思し召しによってその境遇が与えられている。私たちを神の御下に導くための道筋がその境遇にある。
今ある状況は、カルマが要請したものであると同時に、カルマを果たすためにはなくてはならないものであると理解できる。
自分の前にやってくる状況は、すべて神が私たちに与えられる素晴らしい導きなのかもしれない。
肝要なことは、現状に不満を言わず、知足し、淡々とヨーガを実践していくことである。
私たちの真剣なヨーガの実践は必ず神に届き、神はそれを見て慈悲深くもヨーガの道を歩むに必要な熱意と力を与えて下さる。これは真実である。

振り返ってみれば私はずっと、本当のことだけが知りたいと願い、探し求め、これも違う、これも違う・・・と彷徨っていました。もう探し回らなくていいと思うと、深い安心感に包まれます。
お導きくださったヨギさんには、感謝の気持ちでいっぱいです。

サーナンダさんは、「私たちには、戻ることのない長い旅路の覚悟が必要です。」と書いておられます。途中下車することなく最終目的地だけを目指し、風景を楽しみながら長い旅を続けていこうと思っています。

三井


ヨーガはライフワーク

シュリー・マハーヨーギーは昨日台湾からご帰国されました!初めての師の台湾ご訪問でしたが、実にたくさんの道を求める台湾の人々が真実の師に巡り会えたことに歓喜し、師の存在と教えに魅了され、ヨーガの道に一歩足を踏み出そうとしているようです!彼の地に新しいたくさんの仲間が増えることを、心から嬉しく思いますし、これからが本当に楽しみですね!師との吉祥な縁によってヨーガが一層台湾に根付いていくことでしょう!すぐにブログでもご紹介できればと思います。

そして、師は今週末は松山での特別サットサンガに向かわれます。松山ヨーガ・サークルにて、5月20日(土)14:00〜16:00、5月21日(日)14:00〜16:00の2回行なわれます。とても貴重な機会ですので、皆さん、ぜひご参加ください!

さて、その松山に17年前に師と共に初めて訪問した際、師から「ヨーガはライフワークです」と言われたことを鮮明に覚えています。実はその時はよくわからなかったのですが、最近はその意味を実感します。今日はそのことについて書いてみたいと思います。

ライフワークとは、生涯をかけて成し遂げる仕事という意味です。畢生(ひっせい)の事業です。師はヨーガを成そうとすることは大事業だと言われます。

この社会のどんな事業も人の心が欲して成し遂げられ、人々に影響を与えますが、その心そのものを浄化し、人間を完成させるヨーガは、時を越えて多くの人々に恩恵をもたらす大事業になるということです。ブッダが成し遂げられたことは2500年経った今なお人々に恩恵をもたらし続けています。

それに気づいたのは、ナーグ・マハーシャヤというシュリー・ラーマクリシュナの直弟子の生涯を記した伝記『謙虚な心』を読んでいる時でした。ナーグ・マハーシャヤの生涯は、神への信仰とはどういうものなのか、そして謙虚さとはどういうことなのかを、人々に伝えるために捧げられたものだと思いました。神への純粋な信仰に生き切ったナーグ・マハーシャヤの生涯は、不滅の力をもって、私たちに真理を伝える力を持っています。その力は衰えることなく、未来に渡って道を求める多くの人間の魂を呼び起こし、心を変容させる力を持ちます。


ナーグ・マハーシャヤ

誰でもが、神への信仰や謙虚さを語ることはできるし、パートタイム的に行動することもできるけれど、その本当の意味は、生涯をかけて生きることで初めて伝えられることなのだと思いました。思いや言葉、行動の全てが100%それになって初めて、存在そのものが純粋な信仰となり、謙虚さそのものとなり得るのでしょう。それは生涯を捧げることによってしか成し遂げられないことなのだと思いました。それまではどれほど言葉巧みに語ろうと、単なる戯言に過ぎないのかもしれません。

ナーグ・マハーシャヤの生涯は、どこまでも神の僕であり、謙虚さが人の姿をとって顕れた存在だったのです。何の説明がなくとも、人は彼に会っただけでそれを感じざるを得なかったのです。

聖者と呼ばれる方々の生涯は、まさに真理の中に、神の中に生きた生涯であり、その尊い足跡は、永遠に輝き続けるのだろうと思います。ヨーガとはそのようなものであり、ライフワークとして、生涯をかけてやり遂げる理想と志を持つことがとても大切なことだと思いました。

サーナンダ