投稿者「サティヤー」のアーカイブ

さまらさの台所

今日は2月のさまらさの台所の日です!
今月からは第二日曜日に変更になりましたので1月の台所からあっ!という間でした。

今日のメニューは「豆腐いろいろ」ということで、豆腐を使ったメニューを4品ご紹介しました。
10人分の食事ですが、豆腐がたくさんあります。また旬のお野菜もいただきましたよ。
お野菜はいきいきしています!まさに「旬」ですね。

 さまらさ2月とうふいろいろ

さまらさでは、旬の野菜(食材)を中心に、良質な食材を使って毎日の食事をしていくことを提案しています。それらをいただくことによって身体は清浄に保たれ、同時に心にも良い影響が与えられるのです。今回は具体的に良質な食材とは何か?をみんなで学びました。豆腐のステーキ、白和え、豆腐のサラダ、ひじきの甘酢漬け
豆腐のステーキ、白和え、豆腐のサラダ、ひじきの甘酢漬け

今回のメニューもとっても簡単!すぐにに出来上がるものばかりでした。ぜひ日常のレパートリーに加えていただければと思います。

食後はゆったりとした雰囲気の中、みんなでしばらく談笑をして過ごしました。
とても和やかな時間を過ごせて幸せでした。

今回の参加者から感想をいただいているのでご紹介しますね。

「本当に美味しかったです。レパートリーとしてよく作るようになるのではないかと思います。」

「毎回新しい発見がや驚きがあり新鮮な気持ちにさせてもらっています。
家に帰って料理を作る楽しみもあり、自分の生活を丁寧に送っていくヒントをたくさんいただいているように思います。」

「旬のものを使って手早く作り、余分なものは入らず出来上がる。料理本来の意味を考えさせられました。」

みなさまありがとうございました〜!
次回は3月8日(日)11:00〜、ヨーガ・ヴィハーラで
メニューはサモサ(インドの包み揚げ)とチャイ(インドのミルクティー)です!

サティヤー

 


シッダ・マールガ

シッダ・マールが1

こんにちは、写真は日曜日に行われたシッダ・マールガでの様子です。
総勢40名ほどが集まりました 😀 このクラスは3年以上ヨーガを実践して来た人が参加できるクラスで、クラスの名前の通り、シッダ(成就者)への道を進むものが参加しています!
今回は3人の方が、それぞれに憧れる聖者を選び、その聖者がどのようにして成就したのか、成就した後どのように生涯を生きたかということを話してくれました。

聖者に瞑想していく中で、それぞれの人にはその聖者との親密な関係が出来ていったように思いました。ある発表者のときです、彼女が選んだ聖者の名前を口にした瞬間、「あー!この二人の間には、何か親密な交換があったんだな〜」ということを感じました。それを感じ、それだけで感動して泣いてしまいました。心の思いが言葉となるのなら、心の中での親密な関係性は発する言葉ですぐに分かるものだな〜と思いました。
聖者との親密な関係って、本当に素敵ですよね。これからも楽しみです!

サティヤー

 


さまらさの台所

今日は毎月一回のさまらさの台所でした!

2月3日の節分にいただく、精進太巻きといなり寿司を作りました。
2月4日は立春です!その前日の節分は今で言う大晦日みたいなものなんですね。

巻き寿司 材料
精進巻きに入れる具材は七福にちなんで七種の具を入れるようです。

巻き寿司1
たくさんの具材をきれいに巻くにはちょっとしたポイントがあります。
みなさん手元を凝視!!真剣そのものです!

いなり寿司
精進巻き寿司もいなり寿司もたくさん出来上がりました。
2月3日には、今年の恵方(方角)の西南西を向いていただいてくださいね〜。

来月からは毎月第2日曜日に開催されます。
2月8日(日)11時〜 ヨーガ・ヴィハーラにて、
豆腐を使った料理いろいろ(ステーキ、スープ、サラダ、白和え)

サティヤー


ヨーガ・瞑想クラス

こんばんは、サティヤーです。今日のクラスのひとこま(ウイングス京都)
このクラスが始まって1年と3ヶ月。始まった初日から続けてクラスに通ってくださっているお二人です。とても静かに瞑想されています。最近では瞑想をする時間も少しずつ増えてきています!
「継続は力なり〜!」

クラス瞑想

 

 


聖典

サティヤーです。

あけましておめでとうございます!今年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、突然ですが「聖典」読んでます?

聖典の学習というのはヨーガの実践の中でとても大切だと言われます。ニヤマ(勧戒)の中にあり、毎日実践するクリヤー・ヨーガの中にも数えられます。2012年の夏、ヤマ・ニヤマの項目を一つずつとりあげ、ヨーガの仲間と学びました。そのとき、私はニヤマの「聖典の学習」を担当しました。(参加者は、どれか自分が気になるものを担当し、学びを深めました。)その時に書き留めたメモが年末のお掃除をしていたら出てきました。

そこには、まず聖典とは読書とは違うとあります。

心を動かすための本=読書

心を止滅させるための本=聖典

自分勝手に理解しない→聞く耳を養う。素直さ謙虚さが大切。

久しぶりに自分の書いたメモを見て、なるほど〜と感心していました。私はもともと読書が好きだったので、ヨーガを始めた頃は聖典を片っ端から読みまくりました。どれも面白かったのですが、何となく「聖典ってこういう風に読んでていいのかな?」という疑問がありました。読み終えたら終わり。それで終わりでいいのかな?どこか私の知らない世界のお話を読んでいるような、どこか他人事のような……。そんな思いが募っていた時の学びの会だったことを思い出しました。

メモは続きます。どのように読めばいいのか、

「どれだけ自分に関連付けているか」

「感じ取ることが大切」

そして最後のラインには大きな字でこのように書かれていました。
(だいぶ興奮しているような大きな字でした!)

「イシュタ(理想とする聖者)に会える!!」
これは聖典の学習の結果として起こるようです。

さて、先日不思議なことがありました。お昼にこたつの中でぼんやりしていたのですが、突然あるヴィジョンが表れました。気がつけば私の心には、ある聖者との交流が残っていたのです、確実なものとして、夢でも想像でもなく、それは事実として心に残っていたのでした。不思議な経験でしたが、その聖者は私が今読んでいる聖典に出てくる聖者だったとはっきりと分かりました。

メモにあった「イシュタ(理想とする聖者)に会える」というのは、夢で会えるのでも、本の中で出会えるのでもなく、実際に会えるのだということ、彼の身体を見て、彼と会話する、それはそれはとても不思議なことですが、聖典にはそういう力があるのです。3年越しに自分の書いたメモを理解したな〜と思いました。少しぐらいは進歩してて良かった〜。

サティヤー


プラサード

先日、私たちの師マハーヨーギーの御聖誕祭がありました。

毎年11月23日は愛する師の御聖誕をお祝いするために式典をさせていただいています。今年もプージャ(礼拝)祝辞、聖歌や聖劇などいろいろな形で、日々の導きに感謝を捧げさせていただきました。思えば、私の生きているこの人生も、ヨーガと出会うことで大きく変わりました。人生に不安を抱え、何のために生きているのかが分からない、どのように生きたらいいのか誰も教えてくれない……そんな苦悩に光を照らし、すべての疑問に答え、生きる方向性を教えてくれたのはヨーガです。それを教えてくださったのは師であるヨギさんです。ですので、ヨギさんの御聖誕は私にはとてもとても貴重で大切な日であり、感謝を捧げる日です。
毎年御聖誕際に参加すると、ヨーガでいつも教えられている、「私はこの肉体でも心でもなく、その奥にある純粋な魂」だと素直に感じることができます。

さて、タイトルの言葉「プラサード」はサンスクリット語で神に捧げられたもの(お供え物)のお下がりを意味します。インドではプラサードといえば通常、寺院等で儀式(礼拝)前かその間に食べ物をお供えし、神様の祝福や聖なる波動を受けたお下がりを、参拝者がいただきます。プラサードは、神様に捧げて神聖化されたお供え物なのです。毎年会の最後に私たちもこのプラサードをお配りしています。今回は精進巻き寿司といなり寿司を用意しました。

歓びに満ちあふれて帰路につき、プラサードをいただくと、もう一度そのときの歓びを味わうことができます。今回プラサードをいただいているとき、ただお腹の空腹を満たす食事とはまったく違う味わいがあると感じました。

――それは私の身体ではなく純粋な魂を生かす――

魂にはもちろん食事などなくてもいいのですが、その純粋な魂が活動をするためには身体という器が必要です!その器に滋養を与え、清らかな行為をしていくことが出来るように、息吹を与えられたと感じました。
このプラサードがこの日からまた来年の御聖誕祭までの一年を支えてくれる、その最初の食事として特別なものを感じました。プラサードとは、神の神聖そのもの――だからこそ、私の中にある神聖が生かされることに気が付いたのでしょう。

本来はすべての食事はプラサードだと言われます。そもそも空腹感を満たすためだけの食事というものは存在しないということでしょうね。大切な日に、自分自身の純粋な魂が生かされていることを改めて感じ、これからの一年もヨーガに邁進していこうと心に誓いました。

サティヤー


さまらさの台所 10月

こんにちは、サティヤーです。

昨日はさまらさの台所がありました。今回は飛龍頭に挑戦!飛龍頭って手作りできることを知っていましたか〜?スーパーやお豆腐屋さんで簡単に購入することができますが、手作りの飛龍頭の味は絶品です。出来立ては特にその違いは明らか!参加してくださった方もとても喜ばれていました。(11月3日(月祝)にもウイングス京都にて同じメニューで開催します。参加受付中です〜)

飛龍頭 さまらさ10月

さまらさの台所では最後にヨーガのお話をしています。以前さまらさの食事を食べた方から感想をいただきました。彼女は小さいお子さんがいるお母さんで、熱心にヨーガを学んでいる方です。今回はその感想を通じて参加者とともに学ばせていただきました。素敵な感想なのでその一部を紹介させていただきます。

「ヨーガでは、食は“プラーナ”をいただいているのだ、と教えていただきます。この“プラーナ”とは“気”のことで、エネルギーや力と呼ぶものは全てこの“プラーナ”によるものです。

 …と今まで知識では知っていましたが、実際どれほどプラーナを実感して食べていたかは自信がありません。しかし、今回さまらさの食事をいただいてから、何日間は明らかに“元気”なのです。

 ヨーガの先生にアーサナや瞑想は気を元に戻す=元気になることでもある、と教えていただいたことがありますが、まさしく気が元通りになったような清々しさがありました。なぜだかわかりませんでしたが、さまらさの食事をいただいたからだという直観だけがありました。生まれてから今まで何度の食事をしてきたかわかりません。しかし、この一度の食事でこれだけ元気になったことに、正直びっくりしたのです。

そして次に感じたことは、私は大変重要な役割を毎日任されていたんだ!ということに改めて実感したのでした。家族の元気は食から。余計な思いは持ち込まず、ただ目の前の食材に感謝し、食べる人のことを考え丁寧に作る。二人の甘え盛りの子供を見ながらの作業になるので、料理にだけ集中することはできませんが、余計な思いを持ち込まないことは続けて行えます。一つ一つの積み重ねを大事に、家族の元気を担ってるんだ!と誇りを持って、毎日の料理を楽しみたいと思います。」

とてもとても嬉しい感想ですので紹介させていただきました。毎回、気持ちを切り替えて、目の前の調理に集中するはとても大切です。それは調理以外の場面でも余計な思いにとらわれず淡々と行為していく練習につながると思います。調理は心の制御の訓練にもなりますが、もうひとつは、愛を行為で現す絶好の機会でもあります。作る人への純粋な気持ちは、食事を通じてプラーナで伝わっていくと思います。

食事は毎日のことになるので、なかなか新鮮味をもって行うことは難しい時もあるかもしれません。でもこのような気付きによって、きっと毎日の調理が変わっていくと思いました。

素敵な感想をありがとうございました!

 

 


インディア・メーラ中止

こんばんは、3つ前の記事に、10月13日(月祝)神戸のメリケンパークで行われるインディア・メーラというイベントに参加すると書きましたが、台風19号の影響があり13日(月祝)はイベントが中止と決定しました。予定を立ててくださったみなさま、残念ですがまたの機会にお会いしましょう!
キールタンは、定期的に京都・大阪で「バクティ・サンガム」をしていますので、そちらでご参加いただけます。

次回の予定
「Bolo Bolo Sambila Bolo」 シヴァ・根源なる神よ!

神と魂が結ばれるとき、恍惚が生まれる 唱えよ オーム・ナマ・シヴァーヤ!

京都
11月30日(日)
ギャラリーju:彩
京都市東山区松原町291-2F  14:00~16:00(13:45開場)

大阪
12月5日(金)
プリヤメーラ
大阪市西区土佐堀2-1-2 西村ビル2F  19:00~21:00(18:45開場)

参加費:2700円

 

 


インディアメーラー2014

インディアンメーラ

10月11日(土)〜13日(月祝)まで、神戸市メリケンパークでインディアメーラーというイベントがあり、そこにキールタンとアーサナのデモンストレーションで参加することになりました。

インディアメーラーの会場は無料で入場していただけます。インド料理やインド雑貨などたくさんのブースが出るようです。お祭りの詳しい内容は:http://indiamela.so-good.jp

「青空広場 de インド体験」のコーナーでは、マハーヨーギー・ヨーガミッション主催による
キールタンの体験をしていただけます。
キールタンとは、インドで古くから民衆の間で歌い継がれてきた信仰の歌、シンプルなフレーズですので、だれでもすぐに歌っていただけますよ。このブログ内でもたくさん紹介しています!ぜひこの機会に参加してくださいね。

10月13日(月祝) 15:00〜16:00
参加費:1,500円

アーサナのデモンストレーションは会場内にあるストリートパフォーマンス場所で行います。(当日パンフレットの会場レイアウトをご覧ください)こちらは無料で見ていただけます。
以前、京の鴨川というお祭りでもしたのですが、シタールの音色とともに集中感のあるアーサナをご覧いただけます(たぶん 🙄 )

10月13日(月祝) 14:00 〜、15:30〜 2回 (各15〜25分)

3連休中!インドを満喫してみてはいかがでしょうか!

 

 

 


自業自得

こんにちは、サティヤーです!
最近、自分の周りの人の悩み事を聞く機会が多くなったような気がします。
そのほとんどが人間関係の悩み 😥 悩んでいる人は本当に苦しそうで、何とかしたい!!と思っていることが伝わります。ほとんどは相手の話をじーーーーっと聞き、相手が落ち着き、思いが整理できるのを待つというぐらいしかできないなぁといつも思います。

話を聞き終わり、一人になって思ったのは、私はヨーガを始めてから7年ほど経ちますが、こういう悩みは本当になくなってきたなぁということ。でもヨーガを始めて何が変わったんだろう、ヨーガの何によって変わったんだろうと思いを巡らしていました。

以前の私は、仕事にも、人間関係にも悩みがありました。それが大きいときもあれば気にならない程度のときもありましたが、何か問題があるときは気晴らしをしたり、気の合う友達に愚痴を聞いてもらったりして何とか苦しい状況をなくそうとしていたと思います。ヨーガを始めたからといって、それがすぐに改善されたわけではなく、しばらくの間は続いていたと思います。何がきっかけでそれが変わったのか、そこには一つの経験がありました。

ヨーガを始めたことにより、サットサンガやクラスで真理の言葉を聞いていましたが、それはまだ「聞いている」という段階で、理解しているとはいえないときだったと思います。ある人との関係性に悩んでいた私は、とにかく相手を責めていました。「こんな関係性になったのはすべて相手が悪い、私はこんなにも努力しているのに、理解できない人が悪い 😡 」と心の中で悪態をついていました。思えば思うほど、その人に会うのが嫌になり、会わないといけない状況になると憂鬱で、そのような気持ちにさせられることでまた相手への怒りが込み上げてくるという、何とも最悪の状態だったと思います。

ただ、相手を責める気持ちが強くなればなるほど、心のどこかで「嫌気」のような後味の悪い感触があることも感じていました。本当はこんなことを思いたくない、こんな気持ちを持っている自分は嫌だという思いもあったのです。

ある日、ぼんやりと座っているときに、自然とこの相手との関係性について考え始めました。結局のところ、何が原因でこんなことになってしまったのか……。始めは相手を責める気持ちが出てきました。出るだけ出し尽くした後に、そのままじーっと考えました。「で、私はどうなのだろう……」私は本当に本当に1ミリも悪くないのか?そうすると時間はかかりましたが、自分の本当の気持ちが浮かび上がって来るのを感じました。相手にも問題はあるけれど、相手だけが悪い訳ではない、この悪い関係性になった原因の一端は私にもある。少し自分に素直になったのでしょうか。

そのまま考えを続けていく中で、いつの間にか考えはこの問題を通り越していきました。すなわち今、目の前にしている問題だけではなく、あらゆる自分にかかわることの原因は「私」にあるということ。それは良いことも、そして悪いこともです。私がこうして生きているということ、すべてはそこから始まったのだと思ったのです。

しばらく経って、自分の中で浮かんできが言葉は「自業自得」

自業自得を認めた瞬間、なぜかホッとしたのを覚えています。なぜホッとしたのか?
想像すると真反対の気持ちがこみ上げてきそうな気がするかもしれませんが、私の中では道が定まった瞬間でした。

自分に起こるあらゆることの原因が自分にあるなら、裏を返せば自分自身でなんとでもしていけるということ。誰かに性格を変えてもらう必要もないし、居づらくなって仕事を変える必要もない。自分にできることは、自分自身を変えていくことだけ。ある意味覚悟というか、自分が生きているということを受け入れた瞬間でした。

その後は、ビックリするような展開がありました。その相手と会ってももう何も感じるところはありませんでした。同じ状況、同じ相手なのに、私の心が完全に変化してしまったのか、昨日のような感情は湧いてこなくなったのです。初めての経験に、何とも不思議な気がしたことを覚えています。

私たちの師は言われます。

「心は苦しみや束縛を感じ、自由になろうともがいているのです、もとより真実という自由が在るにもかかわらず。このように見ると、心は自分で一人芝居をしているかのようです。そう、自分で縛って苦しんで、そして自分で解いて自由になる、という」
(『悟り』心と至福より)

私はまさに一人芝居をしていたのだと思います。

師は言われます。

「心がその過ちに気付いた時が真実に回帰するポイントです」

この経験があった時から、私が自由になるための本当のこと(真理)を教えてくれるヨーガへの信頼は増していきました。

誰もが同じ心の構造を持っています。思いは違えど、その思いが浮かんでくる仕組みは同じ。だとすれば、私が悩みを聞いている人たちもヨーガによって、同じように悩みを解決することができるはず!何かきっかけがあれば……。その人の中に必ず解決の糸口があるはず。根気よくつきあっていこうと思いました。