日常のヨーガ」カテゴリーアーカイブ

東京での再会、そして横浜ドヤ街での瞑想

先日、日帰りで横浜の勉強会に参加する予定だったが、ある人に会うために急遽前日から東京へ行くことにした。その人は、南相馬で知り合ったシスターで、時々会っては宗教的なことを教えてもらっていた。でも、今年の春に10万人に1人という難病を発症し、治療のために東京の病院に入院、その後は東京の修道院に移られた。南相馬の修道院には彼女の代わりに、アフリカに30年いたというパワフルな新しいシスターが来られた。

シスターは、目白のキリスト教系の病院の入口で私を待ってくださっていた。この病院は修道院の近くにあり、治療が終わってリハビリのために一時期シスターも入院していたそうだ。私の姿を見るなり笑顔で右手を出して近づいて来られた。「遠くからよく来てくださいました。まさか来てくださるとは思っていなかったから、とても嬉しい。どうぞ、病院の最上階にとても眺めの良い食堂があるから、そこでお話しましょう」と言われた。せっかくだからと病棟と院内の聖堂にも案内してくださった。キリスト教系の病院らしく、病棟に祈りの部屋というのがあった。入口にはマリア様の像、中庭にはフランチェスコの像もあった。

マリア様

「マリア様」

フランチェスコ

「フランチェスコ」

食堂ではシスターと二人きりで、色んな話ができた。「病気になってどんな風に祈ったか」、「シスターになる時に神からの呼びかけはあったのか」など結構踏み込んだことを聞いてしまったけれど、シスターはどの質問に対しても快く丁寧に答えてくれた。

シスターの南相馬での仕事はやむなく終わったけれど、それは決して志が挫かれたわけではない。神に仕える者にとっては、忠実に神に仕えることこそが志であって、仕事が何に変わっても落ちこんだり悲しんだりすることはないのだ。だから、シスターは前と同じようにとても落ち着いていてイキイキしていた。神に仕える、神のために生涯を捧げる、それがどういう意味なのか、もう一度考えさせられた再会だった。

その後、私は横浜に向かった。宿泊先は石川町という駅が最寄りで、個室で一泊素泊まり2800円。勉強会のある場所から一駅で、寝るだけだからいいと思ってたし、土地勘もなかったのでどんな所か深く考えなかった。日本には、東京の山谷、大阪のあいりん地区、横浜の寿町という三大スラムと呼ばれる日雇い労働者の街がある。しかし今はどこも高齢化が進み、日雇い労働者の街から生活保護者の多い福祉の街に変わってきたそうだ。こういう町をドヤ街と呼ぶのは、安宿街の略で、ヤドをひっくり返して言っただけらしい。横浜の寿町の最寄り駅が石川町であり、私が泊まる宿がそのドヤ街の一角にあることを、横浜に行く道中で知った。駅を降りて地図を見ながら進むと、酔っ払いのオジサンたちがたむろしているし、路中に座っている。歩き方もなんだかおかしい。でも、以前大阪のあいりん地区を知人に案内してもらったことがあるけど、大阪よりきれい(??)だし悪臭も少なく(?)こじんまりしてるように思えた。○○会館、○○荘、といった安宿が並んでいるのを見ると、ああ、どこのドヤ街も同じなんだなと思った。あいりん地区は普通の世界と隔絶されているような印象があったが、ここは世間と共存してる、溶け込んでいる、という感じがした。横浜の人にとってはそうでもないのかな。
中華街㈮
中華街もごく近くにあって、私は夕食のために中華街をブラブラした。飛び交う中国語に興奮して店員さんに中国語で話しかけ、会話を楽しんだ。懐かしい…。久しぶりに別世界に飛び込んだような感覚だった。

「ここが私の泊まった宿」

「ここが私の泊まった宿」

「廊下はこんな感じでアジアの宿泊所っぽい」

「廊下はこんな感じでアジアの宿泊所っぽい」

「部屋は2畳?3畳くらいかな」

「部屋は2畳?3畳くらいかな」

近年この辺は、ドヤ街のイメージを払拭するために、バックパッカー向けに安宿を改造するなどの試みをしているそうだ。だから、改築してやや綺麗めの宿もあり(注:個人の価値観による)、時代と共に旅行者の町に変わりつつあるようだ。ここで眠れるか心配したけど、夜中に自分の寝言で一度起きた以外熟睡した。インドなどの安宿に比べたら比べ物にならないくらいきれいだし、南京虫もいなかった。

今日はこの小さな空間からから出られないんだな、そう思ったら特にやることもなくて8時過ぎに寝た。そして一度夜中に起きた時、なんとなく瞑想してみた。誰も来ないしやることもない。いらないことを考えないせいか、ずっと求めていた問題に対しインスピレーションがあった!!「ああ、ありがとう!」と今日の日に感謝した。

もしかしたら余計なものがないドヤ街って、瞑想にいいのかもしれない。(注:女性一人はあまりお勧めしません)

ユクティー


あなたはそれです

ああ

この世界を正しく理解することが必要です。つまりこの世界は絶えず変化するものだということを正しく理解するということです。

わたしもあなたも、そして様々な動物、植物も生まれては消え、また生まれては消えていきます。それは永遠の繰り返しです。

その背後に決して変わることのない唯一の意識があります。

あなたはそれです!

あなたは本当にそれなのです!!!

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

これを言われたときの師の眼差しと恩寵を忘れることができません。

まるですべてのヴェールが師の光り輝く恩寵によって取り除かれたかのように、歓喜が溢れ出し、私のハートははち切れんばかりに喜びに満たされました。その〝それ〟というものが理性を超えてありありと感じられるような気がしました。その喜びの奥に〝それ〟があるっていう感じでした。

それ以来、私は自分自身が〝それ〟であることを疑うことができなくなりました。師とともにいることの恩恵とは、まさにこのようなことだと思います! 師と弟子
古代インドの師と弟子のサットサンガの様子 

しかし、疑うことはできなくなったとしても、まだ私自身がそれであることに目覚めたわけではないから、これだけでは不十分でした。師が教えられるように、この世界を正しく理解していくことが必要だったのです。最初はその必要性がよくわかりませんでした。〝それ〟を悟ることが大事なのに、なぜ〝それ〟を覆い隠す世界を理解していかなければならないんだろうと思ったのです。でも、師と共にいる時には追い払われたかのように見えたヴェールも、日常に帰ればまるで月にかかる雲のように絶えず現れました。

世界を理解する――諸行無常やカルマの法則の理を正しく理解していくことが、ヴェールを取り除き、光り輝く自らの本性に目覚めていくことにつながるということを実感していったのは、ずいぶん経ってからでした。心はあらゆる変化するものに執らわれ、その思いに翻弄され、世界を正しく見られていないことに少しずつ気付いていきました。

今この瞬間と次の瞬間の世界は違っています。自分の心も絶えず異なる思いや感情がやってきては去っていきます。この世界には変わらない確かなものは何一つありません。あらゆるものがそれぞれのやり方で瞬間瞬間変化していきます。観察してみれば、自分の心も他者の心も、恋人や友人や家族や同僚との関係も、仕事の状況や家族の状況、社会や世界の状況も、大自然も大宇宙も刻々と因果律に従って変化していっているということに気付かされます。

でも、心は連続性をもって世界を見るからそれを「変化」と捉えますが、今この瞬間しか存在しないのであれば、過ぎ去った一秒前の世界は消滅しているのですから、瞬間瞬間新たな世界が生まれているようなものかもしれません。心は世界の中に幸福を見つけようとしますが、すべてが変わっていくこの世界の中で、変わらない幸福を求めること自体が矛盾しています。手に入れた瞬間からその幸福は消滅していくのですから。にも関わらず心は、幻のような幸福を世界に追い求めます。

そんなふうに識別しながら、自らの心と経験を通して丹念に世界に向き合っていった結果、ヨーガの「何事にも執らわれない」という教えは、実に理にかなった教えだと思うに当たりました。人は常に何かに執らわれ、妄執し、苦しみを生み出して世界は狂っているというけれど、執らわれを離れ、この世界を正しくありのままに見ることができれば、世界と見ていたものはそのまま、喜びに満ちた〝それ〟であることを悟るのかもしれないと思うに至りました。

心が世界に幸福を求めれば苦しみを生み出すけれど、心が世界に幸福を求めなければ至福を実現する。実に不思議です!

一つ一つ丁寧に自分の執らわれをなくしていく作業は根気のいる作業かも知れないけれど、覆いが一枚一枚取り外されていくたびに、真実の世界が現れ、喜びが内から放たれるのはおかしなことです。

師によって最初に押された歓喜の刻印は、私のハートに消えることのない印象をもたらしました。その聖なる印象の力によって、私は根気のいる作業を続けていけるのです。傍らから見れば地味な面白みのない作業に見えるかも知れないけれど、本人から見ればそれは栄光に満ちた輝かしい仕事であり、まさにあの時師によって垣間見させていただいた、歓喜の源に回帰する歩を進めているのだと実感するのです。

サーナンダ

 

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ひと夏の経験

今年の夏は本当に暑かったですねっと何度もブログに書いたような……。そのぐらい私にとって今年の夏は暑さとの戦いでした。

私は介護の仕事をしています。障害のある方の家に訪問し、一日を一緒に過ごします。一日のスケジュールは相手の方が決めるので、行ってみないと分からないことが多く、一日中外出することもあれば、大掃除をする日があれば、何もせず、ずっと一緒にテレビを見ていることもあります。

私がよく訪問する家は今年のような夏でもクーラーをつけずに過ごすという方針の家だったので、まさに熱中症との戦いでした。平屋のお家は、日中ものすごい温度になります。暑くなる12時から14時頃に外出し、歩いて20分ほどにある小さなスーパーに避難します。ただ、スーパーなのでじっとしているわけにもいかず、1〜2時間スーパーの中を歩き、もうさすがにいれないだろうという空気が漂ってきたら炎天下の中を歩いて家に帰ります。帰ると恐ろしい熱気が充満した部屋に入り、もちろんクーラーもつけずに夜まで過ごします。

何度か熱中症気味?になり、気が遠くなることがありました。大げさかもしれませんが、初めて自分の生命の危機を感じました。

でも当然ですが、介護者として入っているので自分の気が遠くなっている場合ではないのです。それに体調を崩してしまった場合、常に人員不足の現場で穴をあける訳にはいきません。私が休めば、その分誰かがあの過酷な現場で2倍働くのかと思うだけで「それだけは阻止したい」と思いました。

それで今年の夏、私はとにかく「生きる」ことだけに専念しようと決めたのです。とにかく生きると言っても、ただ息をしていればいいという訳ではなく、自分に課せられていることが行えるように常に自分を調えておくこと、それだけに専念するということです。

まず、自分の生命の危機(大げさかもしれませんが)を感じたので、仕事に行く恐怖感がありました。それをぬぐい去るためにあらゆる暑さ対策をしました。肌を出さない、目から入る紫外線をカットする、首を冷やす、梅干しと塩あめをもつなど。それらを調えることで、仕事中に倒れるかもしれないという恐怖感からは開放されましたが、あとは休息です。

「仕事から帰ったら、必要最低限のやるべきことを素早く済ませ、速やかに寝る。起きたら仕事に行く、休みの日は休む」

と字にしたら何のことはない当たりませのことなのですが、約一ヶ月間はそれしかしなかったのです。

秋の虫の声が聞こえるようになった頃、それを聞きながらふと思ったのです。「なんて穏やかなんだろう」と。よくヨーガでは淡々と仕事をするというように、「淡々と」という言葉が出てきます。それは、目の前のことを行うという時には、そのことだけに集中し、必要以上に心が動かない状態を現す言葉だと思うのですが、この夏の生き方はこの「淡々」だったのではないかと思いました。

そんな生き方の何が楽しいんだと言われるかもしれませんが、今思うととても静かな毎日でした。夜は何の思いも残さず幕が下り、朝とともに新しい一日が始まる。一日一日がまるでこんな感じ、持ち越すような思いは何もなかった。

言葉にするとさらに、「だからそれの何が良いのですか?」と言われそうなのですが、外側だけでなく、内側も静かな毎日ってちょっと想像して見てください。かなり楽!!!とてもシンプルでした。

暑さによって一時期はどうなることかと思った夏ですが、そのおかげでとても良い体験をしました。生きるということだけに焦点を当てたことで、その焦点に合わない行動や思いは自動的に選別され、無意識にですが、落とされていったのでしょう。余裕があると、ついつい余計なことをしたり、考えたり、それが発端になって、さらなる行動を生んだり、思い悩んだり……。ほとんどはそういう状態だと思います。まぁ、それだけ私は切迫していたのでしょうね。

夏の経験を通して、これからもちょっと肩の力を抜いて淡々と生活していこうと思いました。終わってみれば、猛暑の夏に感謝です。

秋の夕暮れは燃えるような赤でした。
秋の空

 

 

 


たくさんヨーガができるようになります

..

10年前の過去も、1秒前の過去も、同じ過去であり、

くよくよと思い煩ったり、気にしたりする価値はありません。

常に今、善くあれ、善くせよ。

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

本当に心って過ぎ去った出来事をクヨクヨと思い悩んだり、さらに発展して妄想の世界に行ってしまったりしませんか〜えっ、一日の大半をそうしている!?過去のことばっかり考えているとそれが習慣化してしまって、ついには性格にまでなってしまうそうです。

この教えを初めて聞いたとき、本当にその通りだと思い、目から鱗が落ちた気分でした。そして何だか心が軽やかになって、ただ今に生きればいいんだと思ってやってみました。ところが、できないんです。一枚や二枚目から鱗(ウロコ)が落ちても、まだ何枚もついているみたいです。ふと気がついたら心は昨日の出来事を気にしたりしています。

たった三行の短い教えですが、真実の言葉は奥が深いと思います。ちょっとばかし気分がよくなっても、まだまだ教えの真意までたどり着けていません。

私はわりと七面倒くさい性格のところもあって、いちいち言葉の意味を考えたりします。

  • 過去って何なんだろう
  • なんで思い煩ったり、気にしたりするんだろう
  • 価値はないってどういう意味なんだろう
  • 価値があることってなんだろう
  • 今って何なんだろう
  • 善いとはどういうことなんだろう

結構人間って、言葉の意味を曖昧に捉えているように思います。だから、真実の言葉に触れても、すごく表面的に、感覚的にしか理解できていないことに気付かされます。だから私は、言葉の深意を確かめようとじっくり考えることがあります。そうしていくと不思議なことに、例えば、過去というものを自分はどう捉えているのか、感じているのかがわかってくるし、それとともに、ヨーガの教えはどういっているのかをあてがうことで、自分の捉え方が真実に沿っているのかどうか、どのように捉えるのが正しいのかが、単なる知識ではなく具体的にわかってくると思います。

ポイントは、単に自分の感覚や経験だけで進めるのではなく、ヨーガの教えをあてがって具体的に自分がどう感じているのかを確認しながら進めていくことです。その時に、どうしてもわからないことや確認が必要なことが出てくるはずです。私は「今」を考えていった時に、どうしても「今」を捉えることができなくて、「心は今この瞬間を捉えることが果たしてできるのだろうか?」ということがわかりませんでした。考えてもわからなかったら、師に質問すればいいと思います。

そうしていけば教えが少しずつ心に浸透し、根を張っていくようになります。

次に大事なことは日常での実践です。ちょっとやそっと教えの理解が育まれても、上司に叱られたら一瞬で吹き飛んでしまいます。悶々と失敗を気にして思い煩い、ほとほと疲れ切るまで続くわけです。その時こそ最大のチャンスです。自分が熟考してきた教えを実践してみるのです。そうすれば、まだ自分が出来ない原因が見えてきます。

悶々と思い煩う方が心はむしろ楽なのですが、そこで思考ループを断ち切って、もう一度日頃理解を深めてきた真実の教えをその状況にあてがって、原因を突き止めていくわけです。それほどのしんどい状況なんだけれど、だからこそ集中感が生まれ、成功するのだと思います。でも日頃やっていないとその力は生まれません。

今はネットで何でも手軽に情報が手に入りますが、ヨーガの教えは、自分自身でしっかりと考え、実行していかない限り、ちっとも心は変わりません。でもやっていけばいつの間にか心は過去を彷徨い歩かなくなっているんだろうなと思います。

もし心が過去を彷徨い歩かなくなると、どれだけ楽になるのだろうと思いませんか。多分心はすることがなくなって、すごく時間が余ってくると思います。そしたら、たくさんヨーガができるようになって、ヨーギーになれると思います。

ヨーギニー
ヨーガに没頭するヨーギニー。1660年頃。何か凄みを感じる。

サーナンダ


夕暮れの礼拝

ガネーシャ庵には、ガネーシャ神のような風貌の友人が住んでいます。

京町屋の昔ながらの長屋のような建物で、三軒がつながっていて、その真ん中にガネーシャ庵はあります。よくお邪魔してヨーガの話をしたり、打合せに使わせていただいたりしています。

imageガネーシャ庵の入り口を飾るガネーシャ神

先日、いつもバクティ・サンガムをしているミラバイとガネーシャ庵に伺った時に、少しだけキールタンを歌う機会がありました。

ゆったりとした夕暮れのひと時の中でミラバイが歌うキールタンを聴きながら、ふとずいぶん昔に訪れたエジプトを思い出しました。

夕暮れ、礼拝の時間にイスラムの音楽が朗々と街に流れるのを聴いて、あぁ、こうやって忙しい生活の中でも神への讃歌を耳にすることで心は神に戻されるのだなあと思いました。あるインドの日常の映像の中で、キールタンを歌う素朴な歌声を聴いた時にも同じ印象を持ちました。

本当に日常の中に神があり、神への信仰とともに生きているのだなあという印象です。

次の日、隣の住人の方から、「美しい歌声が聴こえていました〜突然のプレゼントに癒されました」との感想がありました。長屋ならではのプレゼントですね〜 ヾ(=^▽^=)ノ

京町屋の日常の風景の中で、普段着で歌うミラバイのキールタンを聴いていると、心は日常の喧噪から引き戻され、私たち自身の原点である神の下へ駆け寄るような気がしました。ずっと聴いていたいなあと思いました。そして、毎日夕暮れにほんのひと時でもいいから聴きたいと思いました。そうすれば、忙しい生活の中でも、心は神への愛を忘れることはないでしょう。以来、家でもキールタンをよく聴き、歌うようになりました。

来月は、大阪10月2日(金)、京都10月25日(日)にバクティ・サンガムがあるようです。キールタンを学んで、日常の中で歌い、神への愛を思い起こし、心を常に原点にリセットしたいですね。

それでは、ミラバイが弾いてくれたハルモニウムの音色をほんの少しだけお届けします。ハルモニウムって今回初めてじっくり見たのですが、素朴な作りながらもとても綺麗な楽器で、さまざまな音が重なった素敵な音色だと思いました。結構大きな音ですが、すごく瞑想的だなあという印象を持ちました。今回はハルモニウムの音色だけになりますが、ミラバイのキールタンを聴きたい方はぜひバクティ・サンガムに参加してお楽しみくださいね。

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サーナンダ

 

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ヨーギーになりたいんです

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いつでも、

どんな場所でも、

どんな人に対しても

心は常に真理のもとになければなりません。

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

ずいぶん昔(1990年頃)に師から授かった教えです。その頃の私は、日誌をつけていました。先日昔の日誌を見ていたら、印象に残った師の教えがいくつか記されていました。それをご紹介したいと思います。
その頃は、サットサンガで心に留まった教えを必死で記憶し、家に帰って書き留めていました。サットサンガ中は師の言葉に集中していたのでメモをとってなくて、サットサンガが終わると必死で教えを頭の中で繰り返して記憶に定着しようとしていたことを思い出しました。

私はこの教えが大好きです。(教えに好き嫌いがあるわけではありませんよ)どこが好きかというと、「いつでも、どんな場所でも、どんな人に対しても」という無条件、無限定なところなんです。限定付きならできるかもしれませんが、無限定という限定解除されているところがヨーギーなのです!

ところが、今回この教えをずっと見ていたら、この教え、とてつもなく深いなあと思いました。ものすごくシンプルなんですけど、今更ながらその無限定の意味を感じてしまい、姿勢を正してしまいました。これができて初めてヨーギーなんだと真剣に考え込んでしまいました。

真理をアートマン(本当の自分)や神、真の愛に言い換えてもいいかもしれませんけれど、心の側から見れば、単純に言えば、私心がなく、平静だということです。自分を振返れば、まだまだまだら模様で無条件、無限定ではないと言わざるを得ません。条件付きです。

これは生活全般、言動全般、思考全般を総点検し、調えていかんと到底無理だと思いました。思い浮かんだのは、師の御姿でした。いつでも、どんな場所でも、どんな人に対しても、無条件の行為と無限定の喜びにある御姿が浮かんできました。

やっていこう!ヨーギーになりたいから!

その昔、記録したのは何か自分の印象に残ったからなんだと思います。短い言葉ですが、私がこの教えの向こうに見たのは、真のヨーギーの御姿でした。

サーナンダ


それがヨーガです!

さて、前回のギーターカードの続きです。あのカードを見て何を思い出したのか、それを書きますね。読んでいない方は前の記事をご覧ください。

私がヨーガを始めて京都の千本丸太町にあるヨーガ・ヴィハーラという一軒家でに引っ越して来たときのことです。そこはヨーガのクラスをしたり、ヨーガをしている人が集まるお家で、そのころは先輩3人との4人の共同生活でした。

これは昔カフェをしていた時のものです。オレンジの扉がシンボルです!

これは昔カフェをしていた時のものです。オレンジの扉がシンボルです!

ちょうど『悟り』の出版記念イベントが間近にあり、ヨーガ・ヴィハーラではそのイベントに向けて毎日準備が行われていました。キールタンの練習や聖劇の練習、会の進行のミーティングなど、家に帰るとたくさんの人がいるという毎日、私は縁あってこの家に引っ越してきたのですが、仕事先が遠く、毎朝6時に家を出て、夜の7時か8時頃に帰宅していました。私の部屋は玄関のすぐ横だったこともあり、みんなの荷物置きに使っていたので、帰宅して部屋に入るとたくさんの荷物が置かれていたことを覚えています。

2008年に出版された『悟り』

2008年に出版された『悟り』

ヨーガに邁進しようと思い、この家に引っ越してきたのだから、毎日アーサナをしたいと思っていた私は、帰宅してすぐにアーサナがしたかったのです。(ご飯を食べてしまうとアーサナができないし、朝が早いので、さっさとアーサナをして寝たかったのです)でも、私の部屋には荷物があり、アーサナをするスペースはなく、家にたくさんの人が出入りすることも相まって落ち着かずにいました。「こんな状態ではアーサナも瞑想もできない」と思っていても、クラスに行けば「アーサナや瞑想は毎日する方が良い」と言われます。

絶対の絶対にできないという訳ではないのです。例えば荷物を部屋の端にまとめてスペースを作るとか、時間が遅くなってもみんなが帰るまで辛抱強く待つとか。でもスペースを作ってアーサナを始めると、その荷物を取りに人が出入りし、その度にアーサナは中断します。また私がアーサナをしていることで、邪魔してしまったという思いを相手に持たせてしまい「ごめんね!」と言われるたびに、謝らせてしまったという思いがありました。自分の意志を通そうとすればするほど上手く行かないような気がする……だけどアーサナはしないといけないと言われている。私はその狭間でとても窮屈になり、イライラする日々が続いていました。

ある日、何気に話をしていたヨーガの仲間が「忙しくてもアーサナや瞑想は毎日しないといけない」と言われたことに端を発し、私の思いは爆発します!

もう限界だと思った私は、ヨーガの先生に質問に行きました。今の自分の状況を話し、「毎日アーサナや瞑想をしなくちゃいけないことは十分かっているけれど、今の状態ではできない!それでもヨーガをするにはアーサナをしなければいけないのですか?」と尋ねました。

先生は言われました。

 

「そんなときにはアーサナや瞑想はしなくてもいい。それよりも家に来ている人たちが気持ちよく家を使えるようにして上げなさい。それがヨーガです

 

その言葉は本当に目からウロコでした。

その瞬間、心がホッと落ち着き「それがヨーガなら、私はヨーガを続けることができる」そう思ったことをよく覚えています。先生の言葉を聞いて、ヨーガは自分のことを優先するのではなく、常に相手を優先することなのだと分かりました。たとえヨーガを深めるために必要だと言われているアーサナや瞑想であっても、例外ではないということです。

先生はホッとした私を見て「アーサナや瞑想はまたできる時が来るから、そのときにしたらいいよ」と優しく言われました。

そのとき言われた「それがヨーガです」という言葉、私はそれによってヨーガというものを理解していきました。それはまったく複雑ではなく、落ち着いて考えたら当たり前のことだと思いました。動揺すると、すぐに真実が見えなくなってしまいますが、そういうところを変えていくことがヨーガだと知りました。自分にとって指針となり、いつも心にとどめている言葉です。前回紹介したギーターのカードを見ながら、その時のことを思い出しました。

 

 


バガヴァッド・ギーター

久しぶりにギーターのカードシリーズです。バガヴァッド・ギーターの教えが書かれている美しいカードを1枚選んで、その教えを紹介しています。今回選んだカードには、

ギーターカード4

「アルジュナよ 義務を忠実に行え 

そして成功と失敗を等しいものと見て

あらゆる執着を捨てよ 

このような心の平静をヨーガという」

 下のタイトルがいいですね。「SUCCESS in YOGA」この絵はヨーガが成功した状態を現しているのでしょうか。私がこの絵から受ける印象は「平安、静寂」です。

ヨーガとは何ですか?と言われたとき、たくさん答え方がありますが、ここでクリシュナは「あらゆる執着を捨てた心の平静がヨーガである」と言っていますね。執着しているものって、分かりやすいものありますが、時には見えないものもあります。このカードを見たときに思い出したことがありましたので、それはまた次回に書きますね。


その環境に適した人間に生まれ変わる

仕事の帰り、オッチャンに道を聞かれた。オッチャンの一言二言で、その人が関西人であることが分かり、「ごめんなさい。私も関西人なんで分からないです」と言った。オッチャンはまるで相方を見つけたように嬉しそうに目を輝かせて話し始めた。「そうか、関西から来たんか。ここら辺の人はどうや?」と聞いてくるので、「皆いい人ですよ」と答えた。

それを聞いたオッチャンは、「ふーん」と何か言いたげな様子だった。除染の仕事のためにやって来て、浪江は線量が高くて半袖を着られないとか、色んな状況を説明してくれた。そしてその後、「でももう再来月くらいで帰ろうかと思ってる」と力なく言った。「何か問題がありました?」と聞くと、「人間関係や」との返事。オッチャンは東北の人の仕事のやり方が粗くて嫌なのだそうだ。仕事のやり方が合わないと相手の人間性まで否定したくなる。

人間関係。人は、いつでもどこでもこの問題に悩まされる。この地域の看護師の仕事のやり方が雑で合わないとか、看護のレベルが低いと言って怒っていた人、そう言って帰って行った支援の人を私は一体何人見てきただろう。人はどんなに大きな志をもってやって来ても、こんなちっぽけなことで挫折する。ちっぽけだけれど、かなり手ごわい。むしろ情熱が大きければ大きいほど思い通りに行かなかった時の怒りは大きいのかもしれない。私自身も当初はこの地域の人の仕事のやり方や独特の性質に戸惑ったしよく悩んだ。(たぶん外から京都に来た人も京都人の独特の気質に困ってるんだろうなと時々考えるようになった)でも、そのことは今ではほとんど問題ではなくなり、仕事をする上で障害にはなっていない。オッチャンには「地域性もあるかも知れないです。でも、時間が経てば慣れますよ」とたいした助言もできなかった。

ここに私が来た時、最初はただじっと耐えた。毎日言いたいことも怒りたいこともいっぱいあった。でも、きっと周りも私に対して色々思うことはあったはずだ。実際によく周りは私のやり方をじっと見ていたと思う。でも、人間って時間が経てば慣れてくる。ああ、ここはこういう所なんだと知ると受け入れられるようになってくる。もしかしたら、これができるようになったのもヨーガの効果なのかも知れない。執念深かった私は、そういう風に周りをすんなり受け入れることのできる人間ではなかったから。そして慣れると言っても、全くそこに染まって同じようにするわけではない。ただ、正しいからこうしよう、そう思うことがあっても、周りの状況に合わせながら進めていくことが大切なのだとここで学んだ。今こういう状況で自分がどういう立場を求められているのかをいつも考えるようになった。それにしても沈黙と忍耐、私はもっともっとこれが欲しい。

一昨年、私がここに来てから数か月後、ヴィハーラのブログを見てSさんと言う人が連絡をくれた。Sさんも近くの病院に支援看護師としてやってきていた。初めてSさんを見た時、なんて暗そうな人だろうと驚いた(Sさん、ごめんなさい!)。でも話しているうちに、彼女は行動力があってとても頭のいい、自分の意見をしっかり持った人なのだと分かった。そして彼女が直面していたある問題が彼女の精神を疲弊させていたことを知った。外から来た看護師と中の看護師の関係がうまくいかない、外の人間が集まればここの悪口になり、辛いと打ち明けてくれた。そして「違う空気が吸いたかった」と私に連絡をくれた理由を語ってくれた。

一か月後彼女はまた連絡をくれた。「あなたが言ったように、周囲の状況は変わっていくものだと最近思います」そうメールに書かれていた。そんなことを私は言ったのか。食事に誘ってくれて、しばらくぶりに会った時、彼女の表情は変わっていた。

Sさんはその病院のスタッフからはあまり好まれない部署に置かれていたが(優秀な人しか働けない部署ですが)その病院でそれまでで一番長く支援看護師として勤め、期限が来て帰って行った。そして今年から救急医療体制の充実を図ろうとしている福島県内のいわき市にある病院を支援するために就職した。原発近辺の地域は人が流出したが、逆に仙台やいわきなど周りの地区は人口が急増。しかし救急患者を受け入れるいわきの中核病院では医師や看護師の数は減ったため、人口増加に見合う病院の機能が整っていないのだ。「これからの人生を考えると、いわきの病院に行くとしたら、骨を埋める覚悟で行かないといけない」と言って彼女は悩んでいたが、結果的に行くことを決心したようだった。

そういえば、観葉植物界のエキスパートが言っていた。「植物は環境の変化にとても弱いけれど、半年間枯れないで葉を出し続けるとその場の環境に適した植物に生まれ変わる」と。

人間も同じなのだと思った。Sさんは今また新しく生まれ変わろうとしている。あのオッチャンにも是非頑張ってほしいと思う。

ユクティー
SI Exif

 

 

 

 

 

 


   ジャイ!グル・プールニマ 7/31

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グルの言葉は何と偉大だろう!

心の不安を取り除き、喜びへと導く。

幾百万人の意見よりも、

グルの一言の方が完全なる安心を心にもたらす!

その言葉は何ということは無いかもしれない。

しかし、

グルとともにあるひと時の中で授けられた言葉は、

息吹となって肉体と心に活きる力を与える!

ヨーギーの命は、

食物によって養われるのではなく、

グルの言葉によって養われるのである!

永きに渡る困苦も、

グルの一言で霧消する!

ジャイ!サットグル!

ジャイ!グル・プールニマ!!!

※毎年7月の満月の日はグル・プールニマと呼ばれ、満月がサットグル(真実の師)の完全円満な悟りの境地を表わしていることから、インドでは満月祭が行なわれるそうです。サットグルの存在を讃え、感謝を捧げる吉祥な日となります。プールは“完全な”、ニマは“月”という意味です。元々は聖者ヴィヤーサの誕生を祝うことから、ヴィヤーサ・プールニマとも呼ばれます。満月が2回ある月は後の満月をブルームーンと呼ぶようですが、今年の7月は満月が2回あり、そのブルームーンの明日7月31日にグル・プールニマが行なわれるようです!

最愛の師の存在に思いを馳せ、心からその御足下に感謝を捧げるとともに、自らのヨーガの成就を誓う日となりますように!

サーナンダ

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