平和にあるということ

在るのは平和である。
私たちに必要なのはただ静謐(せいひつ)だけだ。
平和が私たちの真の性質なのだ。
                       ラマナ・マハリシ

ヨーガを学び始めた頃、心は、身体のように目に見える物質ではないけれど、微妙な物質であると聞いてびっくりした覚えがあります。物質なのだと思ったとたん、心が自分から少し離れていったように感じました。心はいつも何かを考え、片時も静かにしていません。そのように客観的に「心」を眺めたことは今までにはなかったことでした。

師は心についてこう説かれています。

「心は自立できません。そのために常に何かを所有したがっている。『私は何々である、誰々である』『これを持っている、あれを持っている』『これができる、あれができる』『知恵がある、力がある』。何であれ心はそういうものであってしか成立しないのです」

師は、心は常に何かに依存しているものであると教えてくださいました。そしてそういう一切の依存関係、執着関係を離れた状態に心があるとき、それが静謐というものであり、その静謐を得る方法がヨーガにあると教えてくださっています。

ある時の問答で、この地球上での戦争や環境破壊、さまざまな理不尽なこととどう向き合っていけばいいのかという質問に、師は、人として苦しんでいる人たちにできることをしていくべきだとも教えてくださいましたが、それよりも自分自身をより良くしてくことが先決だと教えてくださいました。

「第一には自分自身の器、心とか身体とか状況とか、そういうものをより良くしていく。これは心が作り出す間違った欲望とか執着をなくしていくということに他ならないと思いますし、そうして普遍的な愛や慈悲あるいは平和を望む心、そういうものを培って、それを具体的な行為に移していくことができればいいと思います。ともあれ、まずすべきは自分自身の中の平和を確立すること、真実を確立すること、それによって外への働きは有意義に行なわれると思います」

自分自身をまずより良くしていくこと、それがこの世界をより良くしていく第一歩となる、この意味はヨーガの教えを学び、実践していくと実に良く分かります。なぜならヨーガを実践していくと家庭や職場の中で、次第に自分と人と人との間に調和というものが生まれてくるのを感じることができるからです。平和が私たちの真の性質であるからこそ、私たちは平和を強く望んでいるのだと思います。
ヨーガを実践し、もともとの性質である平和な自分自身に戻ろうではありませんか。
それが、世界の平和に貢献することになるのですから。

ダルミニー

シュリー ラナマ マハリシ

シュリー ラマナ マハリシ

 


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