執着なき、純粋な働き

自粛要請が続き、ヨギさんや先輩グルバイにもお会いできない中、昨年の春の祝祭の動画を視聴させていただき、とても大きな励みになりました。(昨春祝祭のブログはこちら→2019春の祝祭
ヨギさんの慈愛に満ちた優しい眼差しや参加者の皆さんの喜びの熱を感じ、私自身もまさに会場にいるような、至福の時間を過ごすことができました。

昨年2019年4月7日(日)、満開の桜が咲き誇る中で開催された春の祝祭サナータナ・ダルマ アヴァターラ  メーラー。今年は残念ながら中止になってしまったのですが、祝祭参加者に向けて昨年の祝祭の模様が全編映像配信されました。私は祝祭の式典には参加できなかったため、このような機会をいただき、本当にうれしかったです。(動画の一場面)

昨年の祝祭では、19世紀後半の神の化身シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの悟りと生きざまに焦点を当て、8名のグルバイ(兄弟姉妹弟子)たちからスピーチが捧げられました。ラーマクリシュナの魂に触れ、その存在すら感じられるような熱い思いが迸るスピーチでした!

今回の祝祭の動画から強く感じたのは、ヨギさんの決して変わることのない確かな導きとグルバイの皆さんの神への信仰と愛、そして悟りへの強い決意でした。

ヨギさんから多くの教えをいただきながら、なぜ私は皆さんのように、真理の道に邁進することができていないのか?自分の未熟さが情けなくもありましたが、動画の中で目標とする姿を目の当たりにし、もっと自分のエゴと向き合い、純粋になっていきたいと志を新たにすることができました。

また最近では、新型コロナウイルスの問題を機に、自分自身が果たすべき義務や働きは何なのかということを真剣に考えるようになっていました。
今までは、母として妻として家庭を大切にし、家族のためにより良い家庭環境を作ることが自分の義務であり、それを愛をもって遂行することこそが、何よりのサーダナ(修練)になると考え、その義務以上の働きに対しては、なかなか積極的になることができませんでした。

しかし、先輩グルバイが熱く語られるシュリー・ラーマクリシュナの生涯や生き様、その教えに触れる中で、私は自分の果たすべき義務を、小さな心の領域の中でばかり考えてきたのではないかと、自問せずにはいられませんでした。

シュリー・ラーマクリシュナのあまりにも純粋な働き。
休むことなく、他者のために身を尽くし、働き続けるその無私の行為に、ただただ圧倒されるばかりで、自分がいかに働きの結果に執らわれ、他者に奉仕できる最良の機会を逃し続けてきたのかということが、はっきりと理解できるような気がしました。

スワミ・ヴィヴェーカーナンダは『カルマ・ヨーガ』の中で「筋肉と頭脳から巨大な活動を起こさせよ。しかしそれらをして、魂にいかなる深い印象も刻ませてはならない」と言われています。

世の中は、先の見えない不安や緊張に包まれ、今後ますます、多くの人々が本当の安心を求め、人生の目的や命の意味に立ち返っていかれることでしょう。
そうした方々のために、自分のできる最善を尽くすこと。自らの働きを通して、少しでも多くの方にヨギさんの教えをお伝えしていくことが、弟子としての私の新たな義務ではないだろうかと考えています。

最後に師シュリー・マハーヨーギーよりお言葉がありました。『それぞれの人がそれぞれの状況の中で、真実を悟ることができる。なぜなら、真実はもうすでにそこにあるから。』優しく力強い言葉に胸が熱くなりました。                                                    オーム・タット・サット オーム!

計らいのない純粋な働きによって、多くの善いことを行なえますように。
内なる神に礼拝し、日々精進していきたいと思います。

 

 

田原由美+子供たち/大阪  


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