ヨーガって面白い!②そもそもヨガって何?

前回のブログで、私がヨーガを始めたきっかけについて少しお話ししました。
当時の私は、ヨーガはインドの伝統的な健康法だと思っていました。
ですが、ヨーガの良さを実際に体験したり、習ったヨーガの智慧を実生活で生かしながら楽しく続けているうちに、だんだん「ヨーガ」というものに対して興味が湧いてきたのです。
「そもそもヨーガって一体なんだろう?」
身体や心の仕組みなどを入り口に自分で調べたり学んでいくうちに、わたしがヨーガと思っていたものは大きなヨーガの体系のほんの一部だということを知ってとても驚き、ますます興味が湧いたのでした。

そこで、今回はまず「yoga」という言葉そのものから見てみたいと思います。
日本では「ヨガ」という呼び方が定着していますね。
『マハーヨーギーの真理のことば』の中に「yoga」の語源や「yoga」とはなんであるかについてはっきりと書かれていますので、文中のシュリー・マハーヨーギーのお言葉を一部お借りしてご紹介させていただきます。

ヨーガの語源

ヨーガの言葉の語源はユジュ(yuj)という言葉から由来しています。このユジュは繋げるという意味です。昔の農作業では、牛の首のところに掛けるヨーク(頸木/くびき)によって牛を制御するわけですが、そういうところから来ています。
そして紀元前後に、ヨーガの今日でも権威ある、信頼のできる聖典が編まれました。『ヨーガ・スートラ』といいます。その最初に「心の様々な働きを制御することがヨーガである」。続いて次のスートラでは、「その時、見る者は自ら本来の状態に留まる」。見る者とは、後にヴェーダーンタ(ヴェーダ聖典の最終部分)ではアートマン、今日(こんにち)の言葉では真実(ほんとう)の自己というふうに言われているものです。そして続いてのスートラでは、「その他の場合にあっては、見る者は心の働きに巻き込まれたように見える」。その心の働きというのは、エゴなどを中心とした通常の心の世界のことです。この『ヨーガ・スートラ』の冒頭の僅かのスートラの中に、ヨーガの本質を見ることができます。つまり心を完全に制御すること、そして同時に見る者としての真実に目覚めること、その状態のことをヨーガというわけです」(後略)

『マハーヨーギーの真理のことば』第四章ヨーガの道 第一節ヨーガの道/ヨーガの語源より

もしかすると「どういうこと?」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。かく言う私もそうでした。何となく分かるような、分らないような…?😅
実のところそれから年月が経ち、師シュリー・マハーヨーギーに出会って私はやっと本当の意味を理解することができたのでした。

ヨーガを学ぶ前の私は、「心」=「私」であると疑うことなく生きていました。日々起こる出来事に喜んだり悲しんだり怒ったり。毎日楽しいことばかりならよいのですが、ストレスを感じたり苦しいこともあります。でも、それは普通のことだと思っていたのです。
ところが、「心は本当の自分ではなく、常に真実の自己に見られているもの」だと知った時、本当に驚きました。
師の下でヨーガを実践するようになってから、私はそれが本当かどうかを確かめようと、用心深く自分の心を観察するようにしてみたのです。

しばらく続けていると、さまざまに変化する自分の感情をただ見ている意識が本当にあることに気が付いたのです!
そうなると俄然面白くなり、更に観察を続けました。
すると、もっとはっきりとそれを感じるようになってきたのです。
私にとって、まさに目から鱗が落ちる体験でした。

ヨーガとは本当の自分に目覚めること―

私はまだヨーガの道半ばで、この「心の働き」を完全には制御できてはいませんが、少なくとも自分の無駄な感情に振り回されたりそのせいで悩むことがだんだん減って、心穏やかに楽しく過ごせることが増えました。
それと同時に自分の心に煩わされなくなったことで、よりヨーガへの目的意識がクリアになってきたのでした。

私がこのように実践できたのは、師が様々な表現や言葉を駆使して私たちに「ヨーガ」とは何か、ということを繰り返し教え続けてくださったからに他なりません。
『マハーヨーギーの真理のことば』を読むと、それがありありと伝わってきます。

確かに「心の働き」を制御するのは簡単だとは言い難いのが正直なところです。が!諦めるのはまだ早いです。ヨーガの面白さは「心の働き」を制御する方法がひとつではないところにあります。
そこで次回は、ヨーガのアーサナ(ポーズ)は何のためにするのか。自分の身体なのに意外と知らない身体と呼吸と心の関係についてヨーガが教える私たちの身体の仕組みに触れながらお話したいと思います。お楽しみに!

シャルミニー
 


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