正気の沙汰

ステイホームだった年末年始は、おせち料理に使うハレの日の野菜の飾り切りに初挑戦した。吉祥な亀の甲羅に見立てられた六方むきが、シンプルなだけにバランスが難しかった。

元旦。夜明け前の静寂。近くの川辺にて。

亀の甲羅といえば、いつだったか車の行き交う道路を、大きな亀が横断していたことがあった。とっさに駆け寄り亀を抱きかかえると、亀は顔と手足を甲羅に引っ込め岩のようになった。そして川辺の道に置くとニョキっと手足を出し、何事もなかったかのように歩いていく。が、なぜか道路に戻ってくるので、慌ててまた抱き上げ、もっと奥の川辺に置くと、亀はようやく茂みへ静かに姿を消していった。この話を当時は小さかった甥っ子と姪っ子に話した時、二人は即座に「ありがとう言いに戻ってきたんちゃう? 恩返しに竜宮城に連れて行ってもらえるんちゃう!」と目をキラキラさせて喜んでいた。

ところで、その亀に纏わるあるヨーガの境地に密かに憧れている。亀が手足を甲羅の中に引っ込めるように、人間の感覚器官の働きを制御するというもの。例えば、寒い暑い、痛い心地よい、苦い甘い、といった反射的な反応を意識して自分でコントロールする。深い段階では、五感の影響を全く受けない境地があるという。一見、人間離れしているような凄い境地になぜ私が惹かれるのか??
絶えず見、聞き、匂ぎ、味わい、感じている、この眼や耳や鼻や舌や皮膚という五官は、心に情報を伝える大切な役割がある。ただ問題は、五官からの情報に、心は瞬時に反応し、各人の記憶や経験に基づき様々な感情へと結び付くそうで、私はそういう感情に翻弄されてきた。良くも悪くも、見るもの聞くものに影響を受け過ぎるので対象を厳選しないと、と思ってきた。でも本当は、何を見ようが聞こうが、あの亀のように自分の意志で自由自在に手足(感覚器官)を甲羅に引き戻し、何にも影響を受けない堅固な岩のように強くなりたい。だから、反応から解き放たれて自由になる! というその状態に惹かれる。

初日。眩い光明に照らされる世界。

さて、ここからが本題。生活をさらけ出すことになるが、私はお菓子を食べることや作ることが好きだったが、それほど執着している自覚はなく、これまで特に意識して制御しようとしてこなかった。むしろ大したことはないと、執着は消える寸前だと思い込んで、心底やめる必要性を感じていなかった。ところがこのステイホームの一年、まるで「灯滅せんとして光を増す」ということなのか(笑)、気付けばお菓子がますます楽しみの一つとなり、お菓子好きが爆発した。思えば、9月に開催されたさまらさの台所のオンラインクラスが、灯滅のとどめを刺す出来事に繋がる予兆だった。そこでのテーマは舌の制御で、私にも話を振られた時、ちょうど爆発ピーク時だったので正直に、お菓子を食べ過ぎていること、自分にはこの教えが課題だと思う、というようなことを話してしまった。クラスが終わった後、自分の言ってる事、やってる事、思ってる事がバラバラ…と、何とも後味の悪い感じが続いた。そして、動画クラスの瞑想専科で、ヨーガの仲間の一人がお菓子を完全に止められたという話を聞いた時、初めて聞いた話ではなかったのに、妙に心に浸透したのも予兆だったのかもしれない。何の??

そう、私は歯の試練に見舞われた(笑)。突然、歯の詰め物が取れてしまい、歯医者が苦手な私だったが、何とか決心して、それでも痛いのが嫌なので無痛治療の医院を探して治療に行った。ところが、詰め物を元通りに詰めてほしいだけなのに、歯をたくさん削られ痛みが走りショックを受けてしまった。そして、本当に大バカなのだが、治療の帰りに、あろうことか、気持ちを紛らわすためにお菓子を買った。なんとも破茶滅茶でお粗末な行動。そして麻酔が切れるとさらなる激痛に襲われ続けた。それから紆余曲折あり、昔から信頼する別の医院に変えた。初めからそこへ行けなかったのは、そこで昔アルバイトをしていたため、その先生には虫歯だらけの自分の実態を知られたくなかったから。20年ぶりくらいに会ったその先生は、私が別の医院へ行った経緯を話しても嫌な顔などされず、とても繊細な治療を、麻酔なしで様子を見ながら時間をかけてしてくださった。麻酔で感覚を麻痺させないということは、患者がギリギリ痛さに耐えられるような技術が求められたり、時間もきっと余分にかかると思う。先生は口の中を見れば私の食生活の実態が分かられたに違いない。口の中は、普段は人に見せないがその人の現状が表れているところだと思う。師が、家の押し入れの中は心の中。どれだけ見えないところに押し込んでいてもすぐにバレてしまう、という真意を突くユーモアを言われた記憶があるが、口の中も似ていると思う。
先生は黙々と治療を尽くされた後、最後に一言だけ言われた。
「甘いものをやめなさい」
「……」
「分かりました」と私は言った。まるで師から言われたようだった。虫歯のことだけではなく、生き方への指摘を受けた感覚だった。十数年余りたくさんの虫歯を自覚しながら、痛い治療が嫌だからと放置し、だましだましにやってきたツケでもあり、そういう自分の甘い習性が外側に表れた現象だと思えた。
帰り道、もうお菓子なんて買ってる場合じゃない。原因は砂糖、甘いもの、つまりは舌の制御……、そしてそれは心の制御だ、とようやく身に染みた・・・まるでヨーガクラスからの帰り道。先生や歯科衛生士さんがあまりにも淡々と黙々とケアをされる姿から、治す・浄化という意味において、ヨーガと歯科治療が重なって仕方なかった。これほど丁寧に修正を施され指導されたのだから、もう自分の間違った習慣に従ってはいけない、と誓った。虫歯の治療は、まさに師が間違ったものを取り除きいつも修正してくださっていることを私に思い起こさせた。師がしてくださっていることは目には見えないけれど、もし目に見えるとしたら、繊細な治療を休みなく丁寧に、来る人来る人に行ない続ける医師のような、きっとこういうことだと思えた。だから、それからは治療の帰り道には毎回、万感の思いで涙が滲んだ(痛みではない)。歯は悪い部分を削って詰め物をすれば治るのではなく、虫歯を作ってきた悪い習慣そのものを断ち切り、新しい良い習慣に変えない限り、根本的には解決しない。これってヨーガの教えそのものじゃないか!!
無痛治療を優先した私は、結果的に激痛を受け取った気がする。最初から物差しが間違っていた。逃げたらいけなかった。ましてや苦痛感を紛らわすために、帰り道にその苦痛の原因たるお菓子を買うなんて正気の沙汰じゃない(涙)。狂気だ。嫌なことから逃げて快楽だけを味わいたいという、煩悩の極み。しかし、こんな正気の沙汰ではないことを私は、他にも同じようにやってきてないか? と真剣に考えた。問題が起こった時、何かひと時の楽しいことで誤魔化して、見ないふりをしてなかったか。
歯科医院の先生は、対処療法ではなく、根源の原因を取り除くことを教えてくださった。その日からお菓子をやめ料理にも砂糖をやめた。舌の制御は“心”の制御。狂気から正気への道。これは真の目的――何にも執らわれない本当の自由への道のりなんだと思う。

相変わらず、お店や様々なメディアから甘いものへの誘惑が五感を通って飛び込んでくるが、今は、それらを見ても聞いても、私には必要ない、無い方が自由、と思うようになった。甘いものという名の毒が抜け始めたことで、正気を失っていた心身が元の元気へと、また麻痺していた判断力も働きだそうとしているのかもしれない。まだまだこれからだけど、五官からの刺激が感情の回路と結び付いても、それ以上は膨らませないように繰り返し意識する。甘いもの=甘い誘惑は、ひと時の間の幸福感を味わわせてくれるが、それを継続させようと貪ると、その結末は……。そういうものは、本当の幸せじゃない、真実じゃない、私にはもう要らない―そう思うと、亀の手足のようにシュッと何かが引っ込む感じがする。これは亀からの恩返しだろうか?(笑)

気付いたことは訓練していく、と師に教わった。外部との接触が減ると内面をコントロールしやすいといわれる、そういう意味では今はまさにチャンスかもしれない。
ヨーガはいつも新鮮な気付きを与えてくれる。これから一つ一つ扉を開いていきたいな。どうぞよろしくお願いいたします!

光のように輝く花!

野口美香


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