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ブロッコリーのペンネの思い出

4月のさまらさの台所で紹介するブロッコリーのペンネ、12日に向けて試作を重ねています。
このメニュー、実はとても思い入れ?思い出があります。各月で発刊しているパラマハンサにはさまらさのコーナーがありますが、初めて私がそのコーナーを担当した時のメニューがブロッコリーのペンネでした。そのころは紙面作りのためにメインの担当者+先輩と二人で組み、旬の食材を使ったレシピを考えていました。どのようにしてブロッコリーのペンネに決まったのかは記憶にないのですが、まずは試作してみようという流れから買い物を私が担当したことを覚えています。
ブロッコリーのペンネと言えば……。私が食べたこと、見たことがあるものは、ブロッコリーをゆがいたものにアンチョビを加えたり、ナッツ類をミキサーにかけたり、生クリームを加えたり、他の野菜を加えたり……さまらさではどうするかは分からないけれど、自分の想定している範囲でとりあえず足りなかったらいけないからといろいろ買った記憶があります。

試作の日、結局使ったのは、ブロッコリー、オリーブオイル、塩、鷹の爪、以上!!

私「これだけしか使わないんですか?けっこういろんなレシピを見ているとナッツとか生クリームとか入っていますよ」

先輩「入れなくても美味しいんじゃない?」

私「ミキサーも用意しましたけど」

先輩「ミキサー使わなくてもできるよ」

私「……」

私の想定していたものとまったく違うものが出来上がりましたが一口食べてビックリ!!めちゃくちゃ美味しかったんです。作り方といい、味といい、人って想定していることが裏切られるとこんなにもビックリするものなのですね。とにかくビックリしている間に試作は終了し、先輩達は帰っていかれました。でもこの経験が、いろんな意味で本当に学びになったのです。

まず、執らわれがないということ、そして余計なものを足さない、あるがままの良さをいかすという姿勢。それは料理を通り越し、生き方の「姿勢」を学んだと思います。

「こういうことが観念の破壊っていうんじゃないの!!」(無意識にでも執らわれている観念に縛られていると不自由なので、それを破壊していくこと)

観念ってこういうちょっとしたことにもあるんやなぁと初めて「観念」というものを感じた瞬間でした。その経験から、さまらさってめっちゃ面白い!!と思うようになり、私にとってとても良いヨーガの実践の場に変わっていきました。

そんなことを思い出しながらの試作でした。12日の台所ではその時の驚きが伝わればいいなぁと思っています。

サティヤー


新年度スタート!

今日は4月1日で、新年度のスタートです!
桜ももう満開ですね〜!
桜2

お久しぶりです、サーナンダです。
ユクティーが前回「出会いとお別れ」を書いてくれましたが、新年度の始まりはまさに「出会いとお別れ」の季節ですね。
MYM(マハーヨーギー・ヨーガ・ミッション)でも、京都から東京にサナータナとジャヤデーヴィーが移住し、ちょっとばかしのお別れがありました。といっても、またシッダ・マールガですぐに会えるのですが、少し寂しさもありますね〜。もちろん東京のヨーガの仲間にとっては、新しい活動が始まりますし、新しい出会いもたくさん始まることでしょうね!楽しみです。お互い、頑張りましょう!   \(^o^)/

さて、今日のお話はユクティーです。
毎度このブログにもたくさんの記事をアップしてくれているユクティーですが、MYM機関誌『パラマハンサ』にもマザー・テレサや聖テレーズの連載記事をずっと執筆してくれました。神の愛とは何か!を彼女自身の実践を通して絶え間なく探求し続けた姿に、本当に勇気と喜びをいただきました!マザー・テレサの魂に間近まで迫ることなど、ユクティーを通してでなければなかっただろうなあと思います。ありがとうございました〜!まだ読まれていない方は是非この機会に読んでみてください。
私はパラマハンサ編集部で彼女の記事を担当してきたので、2年半の間彼女の取り組みをちょっと近くで見てきたのです。それで、先月発行された108号の3月号で最終回となり、そういう意味では彼女の記事ともしばしのお別れなので、少し気付いたことを述べたいと思います。

今から16年ほど前の1999年、ユクティーは師であるヨギさんに「なぜ最も貧しい人は神なのですか?」とマザー・テレサの言葉から質問しています。その時彼女はヨギさんに教えを授かっているのですが、ユクティーの今回の連載のすべてが、そのときの自らの質問への答え、すなわち、ヨギさんの教えの実践と体現になっているということに気づきました。
「一念岩をも通す」という諺(ことわざ)がありますが、彼女の記事はとても力強く、実践的で、生き生きとしていますけれど、それは長年のたゆまない理想の探求と実践によって成し遂げられたものなんだなあと、改めて感じ入りました。
16年という歳月をかけて、彼女は師の教えを探求し、具現し、そしてその教えに生きる道を歩んできたのですね!
そして師は、懸命に生きる彼女を変わらず導き続けてこられたのだと思い、師の存在の有り難さとヨーガの道の厳しさとおおらかさ、そして豊かさと確かさを感じたのでした。
このことが私にとってはとっても印象的な出来事でした。

新年度、また一息ついたら、連載書いてね〜ユクティー \(^o^)/

yukti
編集ミーティングが終わってホッと一息?のユクティーと

サーナンダ


出会いとお別れ

卒業・入学シーズンです。南相馬のこの地域では、小学校を最後にすべての卒業式は終わったようです。私の職場にも、辞めていく人、入ってくる人がいます。辞めていく人の方が圧倒的に多いんですけどね。嬉しいことに、今日新しい看護師さんがうちの病棟に来られました。私は夜勤明けだったので、軽く挨拶程度しかできませんでしたが、ずっと別の仕事をされていたそうで、看護師復帰は7年ぶりだとか。また来月からは、以前私が教育担当していた看護師くんが異動でうちの病棟に戻ってきます。これからまた一緒に成長したいです。

そして去って行く人。私がこの病院に面接に来て、初めて話をした人。面接の時は看護部長でしたが、翌年私が入職した時は部長の座を他の人に譲り、全体の運営や教育に関わっておられました。定年後も人不足のため引き続いて働いておられましたが、キリがないと今月で辞めることを決意されたようでした。実は、この地域には同じくらいの規模の病院がもう一つあり、3年前に面接でここに来た時電車から見えるその病院の雰囲気がとても明るくて爽やかで、逆に私の就職した病院はなんだか薄暗くて「病院の選択を誤った!!」と一瞬後悔したことを思い出します。でも、その後看護部長に会った時、原発の危険や遠くに移り住むこと、独特の地域性など私の中にあった全ての不安が消えていったんですね。穏やかでもの静かな、母親のような優しさがにじみ出てる人。この人の前にいると、自分の心の狭さが浮き彫りになり、恥ずかしくなってしまう。この人の下でなら働ける、あの時そう思わせてくださった人ですから、やっぱりそういう特別な思いがある人との別れは本当に悲しいものなのです。

先日「退職されるんですね」と声をかけると、「そうなの…」と言って、しばらく私を見ておられましたが、「一番大変な時に来てくれて…。先に辞めてごめんね」と申し訳なさそうな顔をして言われました。先に辞めてごめんね???私は最初その言葉の意味がよく分からなかった。どうして「ごめんね」なんだろうと頭の中をぐるぐるとその言葉を巡らせていました。でも、後からじわじわとその人の思いやりが感じられて、別れの寂しさがこみ上げてきました。

あの原発事故の後もここに残った人は、一人、また一人と去って行くのをこんな風に見送っていたんだろうなと思いました。事故があってもここに残った人と、それが原因で去って行った人がいる。それぞれの状況があって、それぞれが選んだ道がある。一部では残った人と去って行った人の間の確執が根強く残り、それが帰って来ることの妨げになっているとも伝えられています。私には実際のところは分からないけれど、ここは都会と違って地域住民同士の間に家族のような密接な関わり合いがある。いつの日か、そんな関係性がまた戻ってくればいいなと思います。

夏には病院のある部署が閉鎖されます。これからさらに大きな変革期を迎えます。私もこの先はどうなるか分からない。年度末のこの時期になると、私がここからそろそろ去って行くんじゃないかと、皆が入れ代わり立ち代わり、それとなく偵察してくるのが分かります。これ、結構可笑しい。ここに来て二年経った今も、関西弁しか話せない私を「すっかり原町(この地域の名前)の子になったね」と言って受け入れてくれる寛大な人たちに囲まれながら、今年も色々な役割を与えていただいて、悔いのないように、しっかりその役割を果たしていきたいと思っています。

少し車で走ったところにある癒しの森。近づくともっと眺めがいいんです。

少し車で走ったところにある癒しの森。近づくともっと眺めがいいんです。

ユクティー


ヨーガの実践 「ヨーガ・アーサナ」

皆さん、こんにちは ダルミニーです。
今日、ご紹介するのは「ヴリクシャ・アーサナ」立木のポーズです。簡単なポーズなのですが、ものすごく集中力がいります。何に集中するのか、真っ直ぐに立ち続けるということ、それだけなのですが、結構難しいですよね。

立木のポーズ
大切な要領は二つあります。それは軸足の親指に重心を置き、視線を前方の一点に固定させるということです。この要領と集中によって、手足を移動する際にも真っ直ぐに立ち続けることができます。やってみてください。

視線はどのアーサナにおいても、とても重要です。船でいうところの舵と同じ働きがあって、身体を曲げたり、反ったり、伸ばしたりしますが、その身体を一定の方向に進ませ、深める役割を果たします。

日常の中でも視線は大切ですよね。私たちは視線の先に何を見ているのでしょうか。自分に正直に真っ直ぐ前を向いて、目標を定めてしっかりと生きていきたいものです。

ヨーガは、私たちが何のために生きているのか、そのことを教えてくれます。アーサナも日常も、真剣に、悔いのないよう、やりきりたいものですね。

またクラスでお会いしましょう。

 ダルミニー


次の瞬間に死んでもいいという生き方3

昨日の夜勤で、ある患者さんの家族に伝えました。「主治医も言った通り状態はとても悪く、意識がなくなってきています。今日、もしかしたら夜中にということもあります。何かあれば連絡します」。バッドニュースって、とかく遠回しに伝えがちですが、あまり伝え方に神経質になるときちんと伝わらず、死が近いことを家族が実感しにくくなってしまう。でも、うちの病棟の患者さん家族は、頻繁に足を運ばれる方も結構おられ、本人の様子から気づかれることも多いのです。今日はいつもと違うと。

本人はというと、ほとんど話すこともできないその人は、スタッフが近づくとものすごい苦痛の表情を浮かべていましたが、意識レベルの低下に伴い、それも見られなくなっていきました。一般の病院で入院している人は、とても忙しい。やれ痰の吸引だ、オムツ交換だ、床ずれの処置だ、点滴の針の差し替えだ、とスタッフが代わる代わるやってきてはそれぞれの業務をこなしていきます。その処置の多くが苦痛を伴います。患者さんはただじっと耐えるだけです。ほとんど処置のない人は別ですが、私が患者さんの表情で最もよく思い浮かべるのは苦痛に満ちた表情です。何もできない自分に対する情けなさ、さまざまな苦痛に耐え続けなければならないやり切れなさ、死ぬ事もできない苦悩が、その表情から感じられます。

理想的な死を迎えることは、どう生きるかということと深く関係しているといわれます。つまり、どう生きたかで満足感に包まれて死ねるかどうかが決まるということです。多くの研究で、その生き方に共通する結果が残されています。その一つは他者のために生きるということです。最期をそのように生き抜くことが出来た時、たとえ死が迫りくる中でも、人は生きがいを持てるといいます。では、上に書いたような患者さんはどうしたらいいのか。その人が生き続けること自体、存在そのものが家族のためになるという考えもあります。確かにそうだと思いますが、本人の苦痛を考えれば、特に入院が長期にわたると残酷な気もします。

聖書やコーランなど、多くの宗教書は死後の生命について述べられ、世界各地の埋葬礼儀も、来生を前提として行われるものがたくさんあると聞きます。死んだ後も自分の霊魂は生き続けると信じることは、その人に希望を与え死への不安が軽減されることに繋がるといわれる。でも、そこで論じられているのは、それを信じるかどうかという問題です。なぜなら、それを証明できる人がいないからです。誰も永遠の生命があるかどうかを知らないからです。たとえそれが真実ではなかったとしても、それを信じることによって希望を持ったまま死んでいけるなら、その人に不利益はないわけです。だから、信じるということに懸けるのです。

私たちのヨーガの先生は、それは真実であり、生きながらにして実現できるのだと言われます。本当の自分は滅びゆく体ではなく、移ろいやすい心でもなく、心の奥にある永遠の存在である、そのことを自分で証明することこそ、私たちが生まれた本当の目的であると。そしてヨーガはそれを実現するための方法を教えてくれます。

もし死に近づいている人が、真実を知る人に出会い、残された時間をその実現に向けてひたすら努力することができるなら、その人の最期はどうなるでしょう。もし達成されないままに命が尽きたとしても、たとえ誰にも看取られずにたった一人で死んでいったとしても、他のどんな生き方を選ぶより満足して死んでいくに違いない。もう、満足かどうかなど問題ではなくなるかもしれない。そして死ぬ間際にこう願うはずです。必ず、また次の生も出会えますようにと。

どんなに苦しい時も真実をひたすら求め、心は晴れ渡る青空のようでいたいと思います

どんなに苦しい時も真実をひたすら求め、心は晴れ渡る青空のようでいたいと思います

 そしてさらにつづく


さまらさの台所

今日は月に一度のさまらさの台所でした。

今回のメニューは、サモサ(インドの包み揚げ)とチャイ(インドのミルクティー)です。
レストランで食べたこと(飲んだこと)があっても作ったことがない、また作れると思っていなかったという方が多く、初挑戦のお料理を楽しみに来てくださった方が多かったです!

サモサ作り satya
サモサ作り みんなで

特にサモサの形を作るときは、みなさんとっても真剣に、そして独自の形を追求して!?みんなで和気あいあい、盛り上がっていました。

カレー盛りつけ

食事はサモサと相性抜群!ほうれん草カレーを用意し一緒にいただきました。
これも以前さまらさで紹介しましたね〜。

今回の参加者の方からとても嬉しいお話を聞きしました。
その方は3週間ほど前のヨーガ・瞑想クラスに初参加されました。その時の感想は、仕事帰りだったこともあり、クラス中に身体がとてもしんどく、くたくたになったと言われました。
実は私もそのクラスにいたのですが、とても集中してアーサナをされていたことを覚えています。そして、見本通りの形を作ろうとされているのが伝わりました。クラスの後には「しんどかった・・・」と言われていたので、ちょっときつかったのかな……と心配していました。

しかし!!帰る途中から変化があったのだそうです。背骨がしっかりとのびていき、翌日にはとても元気になったと話してくださいました。その身体の変化は3週間ずっと続いていると言われるのです  😛 たった一回のクラスでこんなにも効果があるなんて本当に驚きだし、これからも続けたい。身体の調子が良いことが精神面にも影響していると生き生きとお話しくださいました。

きっと、正しくアーサナの形を作られていたので、チャクラ(背骨にある7つの気のセンター)が活性化され、身体の隅々にまで気(プラーナ)が行きわたり、元の気の状態「元気」になったのだと思います。お話を聞いて、改めてアーサナのすごさを実感しました。

アーサナと同時に、日々の食生活に気をつけていいただくと、より一層の効果を感じていただけると思います。またさまらさの台所にもみなさまお越し下さい!

サティヤー

 


聖地を巡る

パワースポットなるものが人気ですね。
(今でも人気があるのかな? もう下火なのでしょうか?)
われわれ日本人は宗教を毛嫌いしていると自分たちでは思っているのですが、世界でもまれに見る宗教的な民族だと思います。
どうしてパワーがあるのか知らなくても信じることができるわけですから。(感じる能力が精細とも言えるし、ある意味では迷信的とも言える)
それが良いところであり、悪いところでもあると思います。

パワースポットというのは、昔の言葉で言えば「聖地」ということなのだと思います。
聖地はどうして聖地なのか?
そこで聖なることが行われたからです。

そこを訪れる人が皆、聖なる気持ちをもって歩くだけでも、その思いが土地のプラーナ(生命)として蓄積されて、現代的に言えば「パワー」として感じられるのでしょうね。
特に、聖なる人がかつて住んでいた場合には、特別な聖地になります。
聖者の純粋な思いと行為がその地に染みつき、人々にそれを思い出させ、また無意識のうちにもそれに影響されます。
インドにおける聖地というのは、そういうものです。
インドの人はそうした聖地を巡って、かつてそこに生きた聖者たちの思いや息吹を浴び、祝福を受けようとします。

シッダ・マールガでは今、そういう試みをしています。
かつてこの地上を生きた聖者たちの生命(いのち)、息吹を感じ、清純な思いと憧れで、その生命の中に入っていこうとしています。
手がかりは彼らの生きざま、その行為と言葉です。
残された手がかりを頼りに、彼らの思いそしてハートへと入り込んでいきます。
どのような決意をもって彼らは悟りを目指す旅に立ったのか? 日々を淡々と過ごしながらも、その無執着とは対称的な燃える信仰をいかに生きたのか? 彼らの人々を見つめる眼差しはいかなるものだったか?
残された情報は多くはありません。
それでもその行間に彼らの魂を感じることができます。

今週日曜日のシッダ・マールガでは、佐野さんが素晴らしい発表をしてくれました。
近代の覚者シュリー・ラーマクリシュナの直弟子、スワーミー・ラーマクリシュナーナンダについて本を読み、彼の生きざまについてじっくり考えて、瞑想をしてくれました。
じっくりとはいっても、考えて瞑想していたのは実質3日だったそうです。
時間・期間の長さではなく、やはり瞑想は集中の強度が大事だということが改めて分かりました。
インドの地図を買ってきて、スワーミーが歩いた足跡を丹念に辿りながら、まるで聖地を歩むように、彼の魂の足跡を辿っていったようです。
その地を歩き、修行に情熱を傾け、そして人のために働いたスワーミーの短い生涯が、佐野さんの言葉を通して伝わってきました。
特に、師であるシュリー・ラーマクリシュナに捧げられた思いが格別で、それが彼を愛と無恐怖の境地に導いたことが印象的でした。

聖地を巡ってパワーをもらうというのも、その根源の真実を知って、むしろダイレクトにその聖なる生命の源に入っていけば、単なる迷信に終わらない、確かな祝福があると思います。
そういう意味で、聖者たちのハートこそが詣でるべき真実の聖地であり、またその息吹を感じられれば、われわれの心もまた聖地にすることができるのだと思います。

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ヨーガの実践「他者だけのために行為する」

皆さん、こんにちは、ダルミニーです。

先日職場で、上司から注意を受けました。

「もっと相手の立場に立って、仕事をするように」

なんということでしょう。このエゴと無知を無くすためヨーガを実践しているはずなのに、相手の立場に立って仕事をするように心掛けていたはずなのに、この言葉は私の師からいただいた教えのように私の心に響きました。

エゴとは自分中心に物事を考えることです。自分がいちばん心地良いように行為することです。無知とは以前にも言いましたが、この世の中に対する誤った見方です。永遠でないものに永遠を見ること、浄らかでないものに浄を見ること、幸福でないものに幸福を見ること、私でないものに私を見ることです。

私は素直に反省し、今後も気を付けますと伝えました。すると上司は言いました。

「これはとてもいいことなのだ。これを機会に改善できればいいことだし、これはあなただけのことではなくて、みんなの意識がもっと高くなっていってくれれば嬉しい」

なんと、これも私の師から教えられたような気がしました。それから上司は引き続き、

「あんまり相手の言うことを聞きすぎると、大変なことになることもあるから、その点は注意して」

なんとも、そのへんの境界が難しいものです。しかしインドの聖者の方々は、一切の自分というものを無くして、他者だけのために行為されています。本当に高い境地におられるのですね。自分というエゴ意識が全くない状態、それが本来の理想の人間の姿なのでしょう。

『ヨーガ・スートラ』に「心の作用を止滅することがヨーガである」とあります。心はいつも外界の刺激にさらされて、ああでもない、こうでもないと右往左往しています。そしてこの心と身体を私だと思い、その私を満足させるために心を働かせています。心の作用を止滅させるということは、そういった心の動揺を少しずつ静めていって、そうして不動の状態に留めておこうとするものです。

しかしそれは並大抵のことではありません。私たちは本当に大きな仕事に立ち向かっています。この困難な仕事を推し進めるためには、日々の実践と大いなるものへの憧れ、具体的に思い描く理想の姿への憧れが大切なのだと思いました。どうありたいのか、どうなりたいのか、自分の未来の具体的な姿をイメージし、その姿に近づいていけるよう努力することが大切なのだと思いました。

その話のあとには続きがあります。私はその日、上司から注意を受けたのでちょっと元気がありませんでした。しかしその夜、私は大いに人から感謝される夢を見たのです。

師から、「この世の出来事は夢のようなもの、早く夢から覚めなさい」と教えられています。全く真反対のその夢を見た時、本当は何が現実なのだろうと思いました。本当のこと、真実ってどこにあるのだろうと思いました。でもその時に一条の光のように差し込んでくるのが師のお言葉です。

「誰もの中に真実があります。それこそがリアリティです」

師の教え、ヨーガの教えが私の生きる支えです。今日もまたむくむくと勇気がわき起こり、本当の自分、真実のために生きて行こうと元気いっぱいになる私なのでした。

みなさん、日々お仕事大変でしょう。ご苦労様です。日常生活の中にこそ、ヨーガを実践する場所があります。ヨーガの教えにそって日々の生活を送ることこそが、この世間という大海の荒波を渡っていく大切な智慧と力になります。ヨーガという大船に乗って、みんなでこの大海を渡りきりましょう。

またクラスに来てくださいね。待っています。

 ダルミニー


シッダ・マールガ

シッダ・マールが1

こんにちは、写真は日曜日に行われたシッダ・マールガでの様子です。
総勢40名ほどが集まりました 😀 このクラスは3年以上ヨーガを実践して来た人が参加できるクラスで、クラスの名前の通り、シッダ(成就者)への道を進むものが参加しています!
今回は3人の方が、それぞれに憧れる聖者を選び、その聖者がどのようにして成就したのか、成就した後どのように生涯を生きたかということを話してくれました。

聖者に瞑想していく中で、それぞれの人にはその聖者との親密な関係が出来ていったように思いました。ある発表者のときです、彼女が選んだ聖者の名前を口にした瞬間、「あー!この二人の間には、何か親密な交換があったんだな〜」ということを感じました。それを感じ、それだけで感動して泣いてしまいました。心の思いが言葉となるのなら、心の中での親密な関係性は発する言葉ですぐに分かるものだな〜と思いました。
聖者との親密な関係って、本当に素敵ですよね。これからも楽しみです!

サティヤー

 


次の瞬間に死んでもいいという生き方

この間は年末のことについて書きましたが、今日は年始のことについて書きたいと思います。みなさんはお正月、家族や親戚の方たちと賑やかに過ごされたのでしょうか。私は、元旦から仕事でした。正月だからって患者さんはおられるので、休むわけにはいきません。そして、死は正月だからって遅れてきてはくれないんですよね。元旦から急死、急変、看取り、さまざまなことがありました。年末年始に亡くなる人って、結構多いんです。

その日、私はサブリーダーといって、患者さんを担当しているスタッフの補佐をする役割でした。血圧を測ったり、医師の指示を聞いて書類を作成したり(これがまた都会のようにパソコン一つですべて処理できるのと違ってやり方がアナログ!すごい面倒×××)、薬を準備したり、医師の処置の介助をしたり、やることが多くて結構スピードが問われます。

うちの病棟にMさんという高齢の男性患者さんがおられまして、朝9時過ぎに私が血圧を測りに部屋に入ると、「おぉっ!下顎呼吸になっている!」。これは、死が近い兆候です。死の間際に置かれた患者さんは、血圧が低下した後、胸郭を使った呼吸から下顎を使った呼吸に変わり、呼吸回数が極端に減少します。その後、心拍数が低下し始めます。もともとMさんの状態は良くはなかったのですが、これは明らかに家族や主治医を呼ばないといけないレベル。そんな申し送りもなかったので、慌てて大声でスタッフを呼びました。でも…、あれれ?誰も来ない…。ここにはスタッフコールとか、病院なら普通にある気の利いた設備がありません。(注:スタッフコールとは、緊急事態にスタッフが他のスタッフを呼ぶコールで、患者が押すナースコールとは別にある)。仕方なくナースコールを押してみた。うぅっ!誰も出ない…。なんでやねん!(←つっこみではない)。本当はこういう場合、患者から離れてはいけないんですが、仕方なくあたふたと部屋のドアを開けに行って、大声で人を呼びました。それで何とか、その日のMさんの担当看護師と二人で看取る体制を整えたんです。

でも結局、家族が到着する前にMさんの心臓は止まってしまったんですね。亡くなったのは、私が発見してから30分後のことでした。家族はすごく悲しまれていました。毎日病院に来ては食事介助したり優しく話しかけたりされるような熱心な家族でしたから、見ていられないくらい泣いておられました。Mさんにはとてもしっかりしたお孫さんがおられて、その方が詰所に来て言われたんですね。まったく何の準備もできていないので、しばらく置いておいて欲しいと。Mさんが亡くなることを家族は誰も想像してなかったということなんです。師長が15時までならということで許可したのですが、急死ならともかく、Mさんは長い間重症の肺炎を患っていて、ずっと治療してきたし、何度も主治医から覚悟するようにと言われてきたんですよね。なのに死ぬと思っていなかったって…とスタッフはみんな驚いていました。

でも、きっと人間って皆そうなんですね。特にMさんのように何度も肺炎にかかり、何度も死ぬような状況を乗り越えてくると、また今度も大丈夫だろうと思ってしまう。いつか医者のいうこともお決まり文句だくらいに思ってしまって、死が間近に迫っているという実感がわかなくなっていく。

Mさんの家族を見て、あぁ、私もそうなんだなと思いました。私だって明日死ぬなんて思ってもいないけど、そうならないとは限らない。いつか自分が、身近な人が死ぬという実感がない。どれほどたくさんの患者さんを看取ったとしても、その経験によって自分の死を実感することはないんです。

そんなことを感じながら思い出すのは、やはり聖者たちの言葉です。聖者たちの言葉を見ますと、一瞬一瞬を、その時その時を生きなさいというのをよく目にします。聖者たちがそのように生きたということですね。私たちのヨーガの先生も言われます。次の瞬間に死んでもいいという生き方をしなさいと。では、次の瞬間に死を感じれば、そういう生き方ができるかと言えば、そうではないです。次の瞬間に死ぬって感覚、本当に私たちは持つことができるのでしょうか。

私は過去に自分の死を予感したことがあります。私の場合は病気でしたが、症状が日に日に重くなり、死を自ら感じるというより、いくら拒んでもいやおうなく感じさせられるという言い方のほうが的確です。症状による苦痛はひどく、言葉に表せませんが、何と言っても孤独感がひどい。次の日目覚めなかったらどうしようと思って布団に入り、体は重くてくたくたなのに、怖くて眠れないんですね。でも一方で、このままずっとこの苦痛が続くのかと、苦悩し続ける自分もいる。この時、私は生まれて初めて、誰でもない自分がもうすぐ死ぬんだと感じるようになっていたんですね。毎日、恐怖と不安でビクビクしていた。だから、次の瞬間に死ぬかも知れないとは思っているけれど、死んでもいいという生き方をしていたわけではない。

しかし、やがて、ほんの少しずつ死を受け入れ始める日がやってきます。

あの時は、こんな風にコンクリートの隙間に咲き続ける花からよく勇気をもらっていました

あの時は、こんな風にコンクリートの隙間に咲き続ける花からよく勇気をもらっていました

 長くなったので、つづく
ユクティー