ヨーガとインド神話~PREMA(真の愛)『ギータ・ゴーヴィンダ』①

桜が美しく咲く4月4日・5日、京都でマハーヨーギー・ミッションの春の祝祭が開催されました。
今年のテーマは「PREMA(プレーマ)真の愛」。
PREMA(プレーマ)とは、サンスクリット語で「純粋な愛」や「無条件の愛」「真の愛」を意味します。
誰にとっても身近で大切な「愛」。それを日常の中でどのようにして「PREMA(プレーマ)真の愛」へと近づけていけるのか――。聖劇やお話、キールタンの体験を通して共に感じ、考えることができる素晴らしい時間でした!会場のリーラー・ヨーガ・スタジオは立ち見が出るほどの大盛況。祝祭に初参加だった長女も「すごく楽しかった!」と感想を話してくれ、私にとっても印象深い嬉しい一日となりました。

春の祝祭の様子。マハーヨーギー・ミッション公式Instagramより。

そこで今回は、祝祭のテーマPREMA(プレーマ)が描かれた『ギータ・ゴーヴィンダ』について触れてみたいと思います。
“ギータ”は詩、“ゴーヴィンダ”は牛飼いを意味し、牛飼いの子として顕現したクリシュナ神の異名の一つです。正確には『ギータ・ゴーヴィンダ』は神話ではなく、12世紀にインドの詩人ジャヤデーヴァによって書かれた古典抒情詩です。
この作品はクリシュナ神話を背景に持ち、クリシュナ神に捧げる詩であると同時に高い芸術性を備えた作品として知られています。絵画や彫刻、音楽、舞踏など多くの芸術に影響を与え、現代まで受け継がれてきました。
そして、バクティ(神への愛)の極致であるプレーマを表しているといわれ、ヨーガと深いつながりがあります。
ヨーガでは、真理、神、本当の自分、真の愛、それらはすべて同一のものであると教えられますが、ヨーガの道の一つであるバクティ・ヨーガ(信愛のヨーガ)では、神を愛することによって神と一つになりプレーマの実現を目指すのです。
マハーヨーギー・ミッションのバクティ・ヨーガのクラス「バクティ・サンガム」で歌われるキールタンにも、この作品を背景とするものがいくつもあります。
私自身も「バクティ・サンガム」を受講したことが『ギータ・ゴーヴィンダ』を読むきっかけとなりました。

東洋文庫677 『ヒンドゥー教の聖典 二篇 ギータ・ゴーヴィンダ/デーヴィー・マハートミャ』

以前のブログでもご紹介したように、神を遠い存在ではなく、まるで人を愛するように身近な存在として愛していく―それがバクティ・ヨーガですが、最初は漠然としてよく分からないと感じる方が多いと思います。どのようにして神を愛せばよいのでしょうか?具体的に神を愛するバクティの態度として、5つの態度があるといわれています。

1.シャーンタといわれる静かで歓びに満ちた平和な、平安な心の態度。
2.ダースィヤといわれる心から愛する主人に仕えるような召使の態度。
3.サキヤといわれる親友のように噓や取計らいのない対等で親しい態度。
4.ヴァーッツァリヤといわれる神を愛しい幼子のように見立てる態度。
5.マドゥラといわれるただ愛だけで結ばれている愛人の態度。
※これらに優劣はなく、その人の資質によって自然に定まっていくといわれています。

その中で『ギータ・ゴーヴィンダ』は5つ目のマドゥラが表現された作品だといわれています。
一般的な婚姻関係が社会的に保証された関係であるのに対し、マドゥラ(愛人)の関係は何の保証もなく、ただ情熱と真剣な愛によって結ばれている関係であるとみることができます。ここで重要なのは、それが「神への純粋な愛」であるということです。つまり「神だけを見る」ということです。

私がとても好きなカングラ派(A.C.18後半~19初頭)のミニアチュールの1つ。見つめ合うクリシュナとラーダー。

時代を超え、多くの人にインスピレーションを与え続けてきた『ギータ・ゴーヴィンダ』。
次回はその愛の物語と、そこに謳われる究極の愛―プレーマについて触れながら、日常の中で私たちはどのように「真の愛」を見出し、実現していけるのかを考えていきたいと思います。

シャルミニー


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