明日はパラマハンサ発刊日

隔月奇数月10日は機関誌『パラマハンサ』の発刊日です。『パラマハンサ』はMYM会員として年会費を払われた方に無料配布している会報誌になります。

パラマハンサ表紙
1997年から発刊されているので今年で19年になります。

『パラマハンサ』は現代の聖典、真理の教えが書かれています。内容はサットサンガ(真理の集い)での質疑応答、ヨーガの教え、ヨーガを学ぶ者の実践談などが書かれています。何度も読み返すことで学びは深まります。

ヨーガを始めた頃、いくつかある『聖典』は時代背景が違ったり、国や文化が違うことで読んでいてもどこかのおとぎ話を読んでいるかのような感覚がありました。パラマハンサを読むことで、ヨーガの教えをもっと具体的に自分のこととしてとらえることができたと思います。

自分も同じ悩みや苦しみがあると質問者に同調し、それに対する教えを読むと、まるで自分が教えを授かっているかのような気持ちになりました。先輩方の具体的なヨーガの歩みを知ることで、日常の中に実践するヒントを見つけ、真似をすることで少しずつヨーガを理解していったところがあります。

ヨーガを始めた年の夏、かじりつくように過去の『パラマハンサ』を読みふけったことを覚えています。軽く持ち運びができるので肌身離さず持ち歩き、少しでも時間があるとどこででも読んでいました。それはまるで乾いたスポンジが水を吸収するかのように真理の教えは私の身体と心に染み渡り、どこにいても何をしていてもヨーガの教えに浸っていたことを覚えています。とても幸せで忘れがたい夏です。

会員の方は明日を楽しみにお待ちください。そして、まだ読んだことがない方はクラスでもお見せしますのでぜひ声をかけてくださいね。きっとあなたがヨーガを深めるヒントがそこにあると思います。

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バガヴァッド・ギーター

バガヴァッド・ギーター ハヌマーン

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年は申年ですね、ということでハヌマーンが描かれたカードを選んでみました。ハヌマーンはしっかりと前を見据え、ラーマから大切な教えを授かっているように見えます。

 

「わたしも きみも ここにいる すべての人々も
かつて存在しなかったことはなく
将来 存在しなくなることもない
始めなく終わりなく永遠に存在しているのだ」

「永遠」も「存在」も言葉としては理解できますが、本当のところどういうことなんでしょう。やっぱりまだまだ感じることができません。自分が感じるのは変わりゆくものばかり。たとえば自分の肉体のこと、仕事や日常の諸々のこと、自分の考えや思い……。そういったころころ変わっていくものに存在を感じ、いつも永遠でないものに心が奪われているような気がします。いったいいつになったら私が私だと思っているものの化けの皮がはがれて永遠の存在だと気がつくことができるのでしょうか。この言葉を読みながらそう思わずにはいられませんでした。

ヨーガでは「神」や「真我」「真理」を永遠の存在だと教えます。まだ分からない、だけど分からないと思っている心を見ずに永遠である存在を思い続けることだけ、それだけをしていこうと思いました。教えを素直に聞く、信仰深く働き者ののハヌマーンのようにそうありたいと思いました。


New Year 2016

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い致します。

新しい年、2016年をむかえましたね〜!
大晦日は、年越し瞑想会をされた方もいると聞きましたが、本当に熱心ですね!

今年は、マハーヨーギー・アーシュラマ40周年になります。私たちの最愛の師が京都にアーシュラマを開かれてから40年になります!変わることなく、そして絶え間なく限りない愛と叡智をもって私たちを導いてくださる師に、改めて感謝を申し上げるとともに、この吉祥な年を迎えられた喜びに深く感謝いたします。
この40年という月日の間に、日本だけでなく世界中に師の存在と教えを拠り所としてヨーガに生きる真のヨーギー、ヨーギニーたちが増えてきて本当に嬉しく思います!

さて、今年はどういう年になるか、非常に楽しみです!マハーヨーギー・ヨーガ・ミッションでは今年も一層いろいろな活動を推進していきますので、このブログでもその様子をお届けできればと思っています。

そして今年は申年!ハヌマーンのように純粋な信仰をハートに抱き、弛まず邁進していきたいと思います!ハヌマーンがランカ島までひとっ飛びしたように、恐れることなく勇気をもって爆進するぞー!

最後に初日の出を写真と映像でお届けいたします。今年を占うかのような稀に見る美しい御来光でした!
2016初日の出

徳島県松原海岸での初日の出です。YouTube映像はこちらから→まさに御来光!(高画質にバージョンアップしました)

サーナンダ拝


愛と明け渡し

今年も暮れて参りました。皆さんにとってはよい一年でしたか?

私の今年のテーマは「愛」でしたから、最後にバクティにまつわるお話をしたいと思います。

私が好きなラマナ・マハリシという19世紀の賢者がいます。マハリシは「私は誰か!?」という真我の探求を教えたギャーナ・ヨーギーとしてよく知られていますが、彼自身が書いた詩を目にした時に、私は、まるでラマナ・マハリシは、聖なるかがり火の山アルナーチャラに魅せられ、捕われたバクタではないかと思いました。アルナーチャラをクリシュナと読み替えれば、ラーダーそのものだと思ったのです。

アルナーチャラ

アルナーチャラという山はとても古い山で、地質学的には36億年前にできた山だそうです。山の起源について語られた古代の伝説によると、ヴィシュヌ神とブラフマー神の争いを仲裁するために光の柱になったシヴァ神は、そのままでは人々にはあまりにも眩しすぎるため、代わりにアルナーチャラの山に姿を変えたとされています。

ラマナ・マハリシ自身がアルナーチャラへの自らの想いをしたためた詩はいくつかあるのですが、私が好きな詩に「アルナーチャラに捧げる十一連の詩」があります。何だかとても狂っている表現に惹かれるのですが、今回はその中から四つを抜粋して紹介したいと思います。(全部読みたい方は『アルナーチャラ・ラマナ 愛と明け渡し』をお読みください)

アルナーチャラに捧げる十一連の詩より(抜粋)

ああ、アルナーチャラの姿をした愛よ!恩寵によって、私を求めたのはあなたなのに、あなた自身が姿を現さないなら、私はどうなってしまうのか? あなたに切なく恋焦がれながらも、世俗の闇に疲れ果て、途方に暮れるのか?太陽を見ずして蓮華が咲くだろうか?あなたは太陽の中の太陽。溢れんばかりの恩寵を湧き起こし、その流れを注ぎ込むのはあなたなのだ!

この世で成功するための能力を打ち壊し、あなたは私を役立たずのろくでなしにした。こんな惨めな状態で幸せになれる人などいない。こうして生きるよりは死ぬ方がましだ。ああ、世俗の狂喜を癒す山の姿をした超越的真我よ!あなたに夢中になった私に、あなたの御足にしがみつくという最高の薬を授けたまえ!

私は新たな発見をした!魂を磁石のように引きつけるこの丘は、それに想いを寄せる人の活動を止めて、丘に向かわせ、丘そのもののように彼を不動にし、その成熟した魂を食べてしまうのだ。何ということか!ああ、人々よ!気をつけなさい。これが偉大なるアルナーチャラ、ハートの中で輝く生命の破壊者である!

この丘を至高の存在とみなしたために破壊された人がいかに多いことか!ああ、悲惨なこの生に愛想をつかし、身体を棄て去る手段を探し求める者たちよ。この地上には、誰であれそれに想いを寄せただけで、その人を実際に殺すことなく殺す妙薬があるのだ。その妙薬こそ、この偉大なるアルナーチャラに他ならない!

ラマナ・マハリシ

マハリシ

マハリシにとって、アルナーチャラとは真我そのものであると同時に、父でありグルでした。マハリシはアルナーチャラに一切を明け渡し、生涯その御足下から離れることはありませんでした。真理においては二人は一つですが、この世界に顕現し、名前と形をもった「個」としての二人のリーラーの中での関係は、サットグルと弟子、父と子、花婿と花嫁だったと言われています。

今日12月30日は、偉大な賢者ラマナ・マハリシの御聖誕日です。

では、今年一年ブログを愛読していただき、ありがとうございました。皆さま、よいお年をお迎えください。来年が輝きに満ちた素晴しい一年となりますように!

サーナンダ

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バクティ・サンガム(キールタン)

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昨日は今年最後のマハーヨーギーヨーガミッションのクラス、バクティ・サンガムがありました。 新しい方が10人も来られ、全員でなんと25人!キールタンの大合唱はとても華やかで盛大でした。

その中には11月3日のThe Etrenal Quest(国際交流センターでのイベント)を見て参加してくださった方もいらっしゃいました!!!「今まで聞いたことのない歌と幸せな空気に触れたような感じがして、興味がわいた」「すごく楽しそうだった」

私たちのパフォーマンスを見て、そう感じてご参加くださったようです。とても嬉しいことです。

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昨日新しく習ったキールタンの歌詞を紹介します。キールタンは神の御名だけを繰り返すものが多いですが、今回は少し違い歌詞に意味があるものでした。本当にその通りだなぁ〜と歌詞の内容をを噛み締めながら歌いました。

 Charana Kamala Bando

Charana Kamala Bando Hari Natha ki

Charana Kamala Bando

Jyoti Shamanta Priya Charanamrita

Jivana Me Pave Ananda

 

主の蓮の御足にひれ伏します。光のように輝く 愛おしいアムリタの御足
私たちの命は あなたから与えられた至福に満ち溢れている

 

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 主の前にひれ伏す時、止めどない歓びがわき起こります。私はどこに行ってしまうのだろう、一瞬よぎる思いも歓びにかき消され、ただただ歓びの中にとけ込みます。永遠に続けば……そう思わずにはいられないものです。

それは何かを得て喜んだり、面白いことがあってウキウキしたり、そういったこととはまったく違う、私の細胞すべて、魂が歓びに震えているとでも言うのでしょうか、嬉しくて嬉しくて、飛び上がり踊りだしそうになります。この歓びがずーっとずーっと続いていくように、これからもヨーガを精進していこうと思います。いつでも、どこにいても主の御足に礼拝していられますように。

今年もあと少しですね。みなさまにとって今年はどのような年でしたか。

サティヤー


聖人

お久しぶりです、皆さんお変わりありませんか?私は南相馬に来て3回目の冬を迎えています。私は変わりないですが、私の周りで変わったことと言えば、職場の定年がまた一年延びたことです。新しい人が入らないので、今いる人に長く働いてもらうしかないのです。去年も一年延びたので、今定年は62歳です。この地域の施設も同じような感じで、定年が65歳という所や70歳という所もあると聞きます。今の仕事を70歳までやるって…ちょっと想像できないですね。

ところで、タイトルに書いた聖人についてですが、カソリックの中でマザーテレサが聖人に認定されることになったそうですね。認定されるにはその人にまつわる2回の奇跡が必要だとか。もっとも、そういうことには本人が一番関心がないのかも知れませんけど。

そのマザーテレサですが、私は昔から彼女が好きで、ヨーガを始めてからずっと瞑想の対象にしていました。でもある時ふと疑問を持ったんです。紹介されたヨーガの聖者なら私の魂を導く確かな人だと信頼できるけれど、マザーはどうなのかと。確かに彼女は多くのシスターを導き、素晴らしい業績を残し宗教を越えて多くの人から讃えられている。私には一点の曇りもないくらい純粋に見える。でも、本当に純粋かどうかは人間の目ではなく、もっとずっと厳しい神の判断が必要だと言われます。瞑想の対象にするということは、私自身の霊性がそこに向かうということです。これはマザーテレサの問題ではなくて、私自身の魂の問題であり、私がこの世に生きる上で最大にしてたった一つの問題です。

そこで私は師であるヨギさんに聞きました。もう何年も前のことです。「私はマザーテレサを瞑想して大丈夫なんでしょうか」と。とても失礼な質問にも思えますが、私は0.01%の疑いも残したくはなかったんです。ヨギさんはすぐに「大丈夫です。彼女は本物です」と答えられました。そしてその後続けて理由を言われたのですが、それがちょっと意外に感じたのを覚えています。「なぜなら、彼女には矛盾がない」と。〝矛盾″だったか〝ぶれ″だったか〝揺るぎ″だったか忘れてしまいましたが、一本筋が通っている、変わらないそんなことだったように記憶しています。本物かどうかの基準っていうのは、そういう所にあるのかとその時思ったんですね。彼女はこれこれこういう境地にあるとか、私のような凡人には見ることも想像もできない霊的なことを言われると思ったからです。

考えてみれば、神は普遍で永遠ですから、神だけを見ていればすべて基準はそこにあり、その人は変わることもぶれることも矛盾が起こることもないんですよね。ヨギさんが今も昔もずっと同じであるように。本当にシンプルなこと。でもそれを実現している人は本当に稀。

そう言えば、もうすぐクリスマスですね。(なんだか取って付けたみたいですけど)マザーが最も愛したイエスキリストのご聖誕日だ…と私も思ってたんですが、実は12月25日は後からキリストを祝う日にと定められたもので、実際にお生まれになった日は新約聖書にも書かれていないんです。つまりいつなのか誰にも分からないと言うことです。それについて調べてみると、色々な根拠が書かれていました。「パレスチナでは12月は雨期でかなり寒く、聖母マリアの馬小屋での出産はかなり危険な行為となる。12月の誕生はありえません」ふんふん、なるほど。納得できる科学的な根拠ですね。でもイエスは奇跡の人。生まれる時からそんな奇跡を起こしていたのかも知れませんよ。

12月に毎年仙台で行われるイルミネーションイベント、「光のページェント」とっても綺麗です☆

12月に毎年仙台で行われるイルミネーションイベント、「光のページェント」とっても綺麗です☆

 ユクティー

 


生きるということ 2

「なぜミッションの仕事をするのですか?」

先日台湾のグルバイと話をしていた時、そう聞かれました。

どういった話の流れだったか、なぜそれが聞きたかったのかは思い出せないのですが、聞いている人の真剣なまなざしを覚えています。

「……なぜと言われても」

いくら考えても答えは見つかりませんでした。

「理由はないです。それだけがやりたいことだからです」と答えました。

私は日常の仕事(介護職)とミッションの仕事、2つの仕事を持っています。日常の仕事は、時々このブログにも書いている通り、障がいの方の生活援助をしています。ミッションの仕事は、さまらさの台所やアーサナ瞑想クラスのお手伝いをしています。私の答えを聞いて、他の方が聞きました。

「では、ミッションの仕事を禁止されたらどうしますか」

面白い質問だと思いました。
以前の私は、とにかくミッションの仕事をすることに燃えていました。今ももちろん燃えていますが、少し違う気がします。

ミッションの仕事をしているとき、「生きている」という充実感がありとても幸せでした。でも介護の仕事をしている時は「死んでいる?」そこまで言ったら言い過ぎかもしれませんが(相手にも失礼ですね)、充実感を求めるこはもなく、ただ生活の糧を稼ぐため、仕事の内容をこなすというように2つは完全に分かれていました。

彼女の質問を聞いたとき、その時のことを思い出すと同時に、今はそうではなくなったなぁ〜としみじみ感じました。

「結果にとらわれず、目の前のことがより良くなるように集中して、ベストを尽くす」というヨーガの教えがあります。

仕事をするとき、集中し精一杯行うという点においてはそれが介護の仕事であっても、ミッションの仕事であっても違いはありません。私を貫いているヨーガの理想の姿はどのようなことをしていようと同じ。だから行為の種類を分けることはなくなってきたのだと思います。

私は

「もちろん、ミッションの仕事を禁止されたら、とても悲しいと思うけれど、どんな仕事をしていてもヨーガを実践することができることを知っているから、それを続けるだけです」

そう答えました。

台湾のグルバイとのお食事会

台湾のグルバイとのお食事会

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何を思いどう生きるのか

 

「行動と思いをより良くしていってください。常により良い理想に心が向けられていくようヨーガを学んでいってください。ヨーガを学び深めることが、カルマを超越する道です」

これは、私が最初に師からいただいたヨーガの教えです。カルマとは過去の自分の思いや行為が原因となって生じた結果のことです。ヨーガを実践すれば、そのカルマを超えることができると師は教えてくださいました。シンプルな教えですが、常により良い思いをもつということを、最初は意識してやっていかなければなりませんでした。心は何かあるとすぐに人のせいにしたり、消極的な思いに執われたりしてしまいがちだったからです。

最近、「シュリ・アーナンダマイ・マーの生涯と教え」という本を手にすることができました。シュリ・アーナンダマイ・マーは「あるヨギの自叙伝」でも至福に浸る聖女として紹介されています。ここにどきっとするような教えが載っていましたので、ご紹介したいと思います。

ある油売りの老女が死の床に就いていた。その老女は生涯バザール(市場)で油を売ってきた。彼女はツケで油を売ったことは一度もなく、ごくわずかな油でさえも決してただでは渡さなかった。乞食が油をくれと頼んできても、彼女はいつも、「一滴もやらないよ、一滴も」と答えていた。老女が死の間際にあった時、彼女の霊的な幸せを心配した親族は、彼女に「ラーマ」か「クリシュナ」を復唱させようとしたのだが、彼女が口に出せた言葉は「一滴もやらないよ、一滴も」だけだった。これが彼女のマントラになっていたのだ。人の生涯を通じての日々の考えと行為が、その人の意識状態と魂の運命を決定するということを示している。

とありました。
油は人間の生活にとってなくてはならないものです。それを売っている老女は他者の幸せを願いながら、それを売ることもできたのだと思います。でもこの老女はお金に執着をして、そんなことも忘れてしまっていたのでしょう。臨終の思いは大切で心が執着をしている思いの下に、また生まれ変わるといわれています。日々繰り返し、心に唱えさせているその言葉が深く印象として心に刻み込まれ、それが彼女の一部となっていたのでした。

 

さて私たちは日々、何を思い、どう行為しているのでしょうか。それが魂の運命を決定するということになれば、日々の思いはとても重要です。私は、より良い思いをもつということを意識すると、それは常に他者のために良き思いをもつということになり、次第に自分のことが後回しになっていくのだということに気がつかされました。常に他者の幸せを願い、他者のためだけに行為する。ヨーガの実践によって、自分自身の心を制御していくことが、自分のもっているさまざまな煩悩をなくしていくことになり、カルマを超越することになるのだということも次第に分かってきたのでした。

心の変革は一足飛びにはいきません。繰り返し、繰り返し、心に良き印象を与えていくことは、日々のヨーガの実践を続けていくことによってもまた刻まれていくのだと改めて感じたのでした。

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常に神とともにある聖女 アーナンダマイ・マー

ダルミニー

 

 

 

 

 


松山瞑想特別クラス―神への愛!

今年4月から始まった松山瞑想特別クラスも、12月12日で今年計画した6回目を終えました。10月からの3回シリーズ入門・実践編では、瞑想の三つの対象について講座を行いました。今回のテーマは愛の力で瞑想を深める!」ということで、バクティ瞑想について学び、38名の方が参加されました。

愛は語るものではないのですけれど、瞑想を深めるために一から愛について学んでみました。ちょっとラブリーなレジュメを見ていただきましょう!

第3回目レジュメ2

今回は私自身も、愛に浸りながら(?)講座をすることができて、とっても楽しかったです!講座では愛について少し整理してみたのですが、愛は理屈ではありませんし、ハートの奥の泉の扉を開けば溢れ出るのだろうと思います。好きな人に近づいていくように、自分なりのやり方で実践あるのみですね〜!こんな感じで講座をしていって、その後20分ほどしっかりと瞑想し、それから質疑応答がありました。

松山瞑想

3カ月間、①識別瞑想②真我の探求③神への愛と学んで来たわけですが、皆さんどうだったんだろうなあと講座終了後思っていました。すると、熱心に学んで来られた方が、「とても感動して、胸の中から歓びが溢れて涙が出てきました。こんな体験初めてです」ということを戸惑いながら話してくださったことがとても印象的でした。また、「三つの瞑想について丁寧に学んで来たことがとてもよかったです。瞑想についてよく整理することができ、瞑想の手がかりができました」と言ってくださった方も何人かいて、とても嬉しかったです!

受講された皆さんのアンケートに目を通していて感じたことは、やっぱりバクティ瞑想の方がやりやすいんだなあということでした。神への愛と聞くと最初は難しく感じるのかもしれませんが、愛とは何か、神とは何か、どのように進めていくのかをきちんと学べば、自分なりのやり方で進めていけそうだと感じたのでしょうね。愛は誰もの中に備わっている生来のものですし、誰しも人生の中で少なからず愛を経験して来ていますから、師がいつも言われているように実践しやすいと思うのです。それと、三つの瞑想の対象について学んでいくことで、真理や真我、神についての理解が深まり、瞑想を進めていきやすくなるんだなあと感じました。

さて、二日目のサットサンガは、19名の方が参加され、今回も2時間半充実した問答があり、サットサンガ後も1時間くらい続きがありました。

サットサンガ1サットサンガ2

今回は皆さんの一層真剣な問答に圧倒されました!真理に生きるということや、真理の教えを具体的に行為していく純粋な信仰のあり方、行為のあり方に関心が深まってきているように感じ、とても嬉しく思いました。さっそく12月23日と31日に「キールタンと瞑想の会」をされるとお聞きしましたが、学んだことを実践していくことはとってもいいですね!ぜひ神への愛を深め、味わってください!

私自身も今年一年間は、松山瞑想特別クラスやサットサンガを通じて、たくさんのことを学びました。毎回松山に行って顔見知りの方にお会いするたびにヨーガが深まってきている様子を感じることができて、とてもインスパイアされました。これからも共に実践していきましょうね。再会を楽しみにしています!

そして一年間本当にありがとうございました。師の祝福と導き、そして松山の皆さまの熱心な取り組みに感謝申し上げます。来年もさらに充実した年となりますように!

サーナンダ

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さまらさの台所 12月

昨日は月に一度のさまらさの台所の日でした。今回の主役は大根です。
大根
ちょっと見えにくいですが、まな板の上に乗せています。でも完全にはみ出していますね。近所の八百屋さんで大きくて葉がいきいきした大根を見つけました。ちなみに130円、さすが旬!安い!!!
大根は部位によって味わいが変わることをご存知ですか?大まかに3つの部位に分けることができます。上の部分は一番甘く硬いので、甘い大根おろしやサラダ、なますなど生食用にむいています。真ん中の部分は柔らかく甘いので、おでんや煮物に。下の部分は水分が少なく辛みがあるので、薬味としての大根おろしやお味噌汁、お漬け物にむいています。

まず3つの部位に分けてから、今回紹介するレシピがどこの部位に適しているかを考えて料理をスタートしました。ちなみに、みぞれ豆腐は上部、大根飯、大根のごま和えは中央部、大根とごぼうの白みそ仕立ては下部を使用しました。いきいきした大根葉は細かく刻んでから煎りし、炊きたての大根飯に混ぜ込み、美味しくいただきました。葉っぱ付きの大根を見つけることは難しいかもしれませんが、見つけた時はぜひとも購入してください!大根葉は栄養の宝庫といわれています。
大根色々
今回は男性率が高かったです、ヨーガ男子はお料理上手さんが多いですね。

隆史、嶋田

先ちゃん

洋平君
食事の後には、「食生活で気をつけていること」をみんなで出し合い、話をしました。
食べ過ぎに気をつけている人、味付けが濃くならないように淡味を意識している人、反対に薄くならないように素材の味を引き立つ味付けを心がけている人、いろいろな話が出ました。さまらさの台所に参加することで、どの程度食べるのが適量か、どんな味が淡味なのかを実際に体験することで、日常の食事も意識することができているのかなと思いました。私もさまらさを通じて、少しずつ量や味付けが変化していったと思います。実際に体験することはとても大切です。
今年のさまらさの台所は終了しましたが、来年も1月17日(日)から毎月一回のペースで開催していきます。ぜひみなさまお越し下さい。