マジック・フルート

クリシュナ神はインドでとても人気のある神さまです。ヴリンダーヴァンの森の中でゴーピー(牧女)たちと戯れた物語が聖典に記されていますが、その中に、クリシュナが森の中で歌をうたったり、笛を吹くと、それに誘われるようにゴーピーたちが集まってくるシーンがあります。英語ではマジック・フルートと訳されることもありますが、その笛の音には神秘的な力があって、それを聴くとゴーピーたちはあらゆる世事を忘れ、真実の世界に入っていくのです。

マジックフルート

この細密画は、クリシュナがヴリンダーヴァンの森の中で笛を吹くと、その音に誘われて牛たちが集まってきている絵です。皆うっとりとした表情で、クリシュナを見つめ、ヤムナー河を泳ぎ渡り、森の中から集まって来ています。ゴーピーたちだけでなく、牛や鳥など動物たちも集まって来たのですね。ブッダの教えを聞こうといろんな動物たちも我を忘れて仲良く座ったという逸話もありますが、それを彷彿とさせる絵です。

ところで、この絵を見た時、『ヨーガとヒンドゥー神秘主義』の最後に記されている著者ダスグプタの言葉を思い出しました。おおよそ20年前に公演した神性舞踏演劇『プレーマ・真の愛』の冒頭の詩人の言葉として師が一部を抜粋されたものでもありました。

もしもお前が自己放棄の喜びを味わったことがないのなら、もし最高の楽人、主クリシュナの手の中の笛になりたいとお前の心が切望したことがないのなら、もしお前があらゆるみじめさを神の一触れによって甘美なものにすることができなかったのなら、お前は何を得たといえるのだ。

この言葉は、常に私をハートの奥の消えることのない刻印に引き戻します。神の一触れによって、あらゆるみじめさは甘美な愛の中に溶け去る・・・あらゆる苦労も後悔も、努力や知識や記憶も蜃気楼のように消え去り、ただ愛だけがある!・・・クリシュナの笛の音、もしその音が聴こえて来たなら、誰もが我を忘れて引き寄せられるはず!その笛は永遠にハートの奥で吹かれているのだから、耳を澄ませればきっと聴こえてくることでしょう!

サーナンダ


長岡京メンズヨーガクラス

長岡京クラスは、JR長岡京駅に隣接した公共施設の部屋をお借りしてクラスを行なっています。長岡京市は高い建物も少なく、空がとてもよく見えます。

長岡京
今日はうろこ雲でした。右の建物が会場バンビオです。

クラスでは、細長い部屋で女性と男性に分かれてアーサナをしています。12月9日のメンズクラスには、東京からヨーガを学びに京都に来られている男性も参加し、6名のメンズが修練しました!

メンズクラス

開脚のポーズ。皆真剣に黙々とアーサナを実践していました。ヨーガ・瞑想クラスでは、どちらかと言えば女性の方が多いのですが、長岡京クラスでは男性も多く通われています。皆さん、仕事が終わってからクラスに参加されるので、最初は身体も少し硬いのですが、時間とともに少しずつ呼吸が変化し、終わりの頃になると本当に深い静かな呼吸に変わります。隅々までプラーナ(気)が行き渡っている感じがします。

アーサナが終わると少し瞑想し、質疑応答の時間もあります。この日は、どうすれば自分に自信が持てるのかという話になり、少なくとも自分で自分自身が信じられる行為をしていくことが大事だという話がありました。思っていることと、言うことややることが違っている自分は信じられませんものね。心は本当に真逆のことを平気でしてしまいます。好きな人に会うと本当に優しく笑顔で接し、必要ならば骨身を惜しまず献身しますが、振返って嫌いな人を目にしたら平気で罵詈雑言をついてしまうことがあります。一瞬で心は様相を変えてしまうのですから、そんな心は信じられるものではありません。原因はカルマですが、意識してしっかりと心を躾けて振る舞いを変えていくことが肝心だと思います。

こんなふうにメンズが集まって楽しく真剣にやっていますので、ご興味がある男性の方、お気軽にご参加ください。申込はこちらまで→(長岡京クラス)来週12月16日の夜クラスは「ラージャ・ヨーガ10回コース」最終回の「瞑想を深める!」です。お待ちしています。

サーナンダ

 

 

 


バクティ・サンガム(キールタン)

バクティ・サンガム ミラバイ

バクティ サラニーバクティ リン ヴィヴィ

バクティ キンカラ

師走となり、寒さが増しましたが、みなさんいかがお過ごしですか。

12月5日 今年最後のバクティ・サンガムが大阪・プリヤメーラさんで開催されました。会場に入ると、すでにハルモニウムの音色と共にミラバイの歌声が響いています。外の寒さが一気に吹き飛ぶようなバクティ(神の愛)がそこにすでに充満していました!

今年に入ってからは中世の聖女ミーラーバーイーの生き方と彼女が詠んだ詩を学んでいます。今日は彼女の最後、神との合一についてでした。城を出たミーラーのところに国のために戻って欲しいと使者がやってきます。もはや俗世に戻る気持ちはないミーラー、しかし彼女が戻らないと使者は断食をして命を断つという。ミーラーは部屋に入りクリシュナ神に祈ります。翌日ミーラーの姿は消え、ただ彼女のベールだけがクリシュナの神像に巻き付き残されていた。部屋からミーラーが出た形跡はなく、捜索もされたが、ミーラーは見つかりませんでした。ミーラーは身体もすべて愛するクリシュナの中に飲み込まれ、永遠に離れることのない合一へと溶け込んだそうです。

生涯を通して、神だけを愛し続けた聖女の生き方に、「すごいなぁー」とただただ圧倒されるばかりですが、現代のミーラー(ミラバイ)は、そんな私に助け舟をだしてくれます。神を愛していくことは、最初は真似事でもいい、そして心を神に注いでいくようにしたらいいと話されました。私は「心を注いでいく」という言葉が、とてもわかりやすく、その言葉を聞いた瞬間に安心を与えられました。水やお茶を、コップに注ぐときには、注ぎ入れる手元をみて、こぼさないよう、溢れないように、余計なことを考えずに注ぎ入れる。そのように神に心を注いでいく。そう考えると、自分の日々の行為を丁寧に神に注いでいく、捧げていけるような勇気が湧いてきました。聖女ミーラーの前に圧倒されていた心が溶けて、生涯にわたり、クリシュナに愛を注ぎ続けたミーラーが愛しく感じられてきました。

今日教えてもらったキールタンは「Charana Kamala Bando」。

中世のミーラーが広大な砂漠の中をクリシュナを呼び、歩き続けているような風景が思い起こされる、情熱的なメロディーです。(私だけかもしれませんが、テレビ番組「プロフェッショナル」のテーマソング風にも聞こえる・・)

 「主の蓮の御足にひれ伏します

 光のように輝く、いとおしいアムリタの御足 

 わたしたちの命は貴方から与えられた至福に満ち溢れている」

なんと美しい、力強いキールタンでしょう!ミラバイの力強い歌声とハルモニウムの音色に導かれながら、神の御名を唱え続けていると、動いていた心が静まり、一方では底から力が湧いてきます。次第に、歌っているみんなの心も一つのところに向かっていくようです。

最後は、参加者からの暗黙のリクエストがあり(!?)、「ハレー・クリシュナ」、「トーヴァ・メーヴァー」を唱えました。みんなの熱い神への思いが

溢れ出すような、大合唱となりました。神を愛するバクタたちと共に過ごした夕べ。ありがとうございました!

京都のバクティ・サンガムは12月27日(日)16時45分から民族楽器コイズミさんで開催されます。ぜひ神を愛するバクタの夕べにお越し下さい!!!

バクティ 集合写真

サラニー


生きるということ

昨日は夜勤でした。(私はヘルパーとして在宅障がい者の支援をしています)朝食のコーヒーを煎れて飲んでもらっているとき、利用者さんRさんがぽろりと言われました。

「私がやってきたことは何の意味もなかった」

彼女は60近い年齢ですが、生まれた時から先天性の障がいがあります。昔は座ったり、膝を使って歩いたり、パソコンを打ったりできたようですが、年とともに障がいが重くなり、今は手も足も自由には動かせません。それでも30年以上一人暮らしをされています。障がい者運動が盛んな時代を生きてこられたので、とても独立心が強く、何でも自分でされます。

たとえば料理は、使う材料から切り方、炒める時間など調理の細かなことにも指示を出されます。調味料の分量も指示されます。味見をして味を整えることはほとんどなく、たいていは言われた分量を入れると美味しくし上がっています。私が手や目を通じてつかんでいる感覚を何も見ず、さわらずつかんでいるのだと思います。

料理だけでなく、自分の生活は自分で責任をもって行うことを心がけて生きてきた彼女は、後輩の障がい者が自立して生きる手助けをするため、いろいろと行動されていました。しかし、彼女が若かった頃と時代は変わり、世の中は便利になり、食事は気軽にお弁当が買えたり、宅配があったり、ヘルパー制度が充実したことで、ヘルパーに頼ることが当たり前になったと言われていました。

自分が後輩に伝えたくても、後輩はそれを望んではいない、それで冒頭に言われていた彼女の言葉が出てきたようです。

今さら便利になったさまざまなものを無くすことはできないでしょうし、ヘルパー制度を変えることもできません。彼女がしてきた通りの自立という姿をとるころは今の時代では難しいこともあります。いつもは元気な彼女も少し寂しそうに見えました。

確かに彼女が教えたかったことは教えたかった人には伝わらなかったかもしれませんが、少なからずヘルパーである私にはとても大きな影響力がありました。

障がいがあり、肉体的には思うように動けなくても誇りをもって自立して生きることができるということ、ヘルパーの仕事は手となり足に徹すること「私ならこうしたい」という思いを持たずにできるだけ相手の思うように動くこと、これは何度も怒られながら徹底されました。でもその態度は他の利用者さんに入るときにも気をつけることができ、仕事が続けられています。またお料理のレパートリーも教えてもらい家で作ることがあります。質素な生活スタイルから自分が余計なものを買っていたことに気付かされたこともあります。彼女の本意からはずれているかもしれませんが、少なくとも私を含め、関わっているヘルパーには大きな学びがあったと思ったのです。それで、思わず!

「何の意味もないことなんてないですよ!!!!!」と力説してしまいました。

彼女は私の話を聞いて少し嬉しそうにされていましたし、私もほっとしました。

「これからどうしていけばいいかなぁ」

と言われるので、

「ただこのまま生きてください。それこそが意味のあることです」

と言いました。

人が生きるってすごいことだと思いました。それは外側ではなく、ただその人の内にある信念だけがその人を作るのだと思ったし、それが他の人への影響になるのだと思いました。

お出かけしたときにRさんと見た美しい空

お出かけしたときにRさんと見た美しい空

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下鴨ヨーガ・瞑想  イキイキクラス開講中

下鴨本通りの近く、下鴨クラスでは、身も心もイキイキとするイキイキクラス開催中です。
http://www.mahayogi.org/class/kyoto.html

このクラスでは、身体と心と呼吸の関係をじっくりと学んでいけるように、アーサナの実修以外に、ワンポイント・アーサナとヨーガの知恵を学ぶ機会を設けています。
イキイキクラス 瞑想

ワンポイント・アーサナ

アーサナの後、重点的に一つのアーサナを取り上げ、ポイントや効果をお伝えしています。ずっと通って来ている方からは、もう一度しっかりとアーサナのポイントを教えてもらうことによって、新たな気持ちでアーサナを行えるようになったとか、新しい方からは気を付けるところが分りやすいとか、いろいろな感想をいただいています。

ヨーガの知恵

チャクラ図を見ながら、次のような基本的なヨーガの生理学や知恵をみんなで学んでいます。

  • アーサナにはどんな効果があるのか
  • なぜ鼻で呼吸するのか
  • アーサナで呼吸を吐ききることによって、身体の中でどのようなことが起こっているのか
  • プラーナの集中とはどのようなことなのか

自分たちの身体の神秘を知ることは、本当の自分を知るための一つのステップになっていっていると思います。受講されている方からは、心がざわついているのを感じるようになったとか、慌てている時には呼吸や身体が緊張しているから深呼吸するようにしているという声もあり、このクラスを通して日常の中にヨーガが徐々に浸透してきているのを感じて、とても嬉しく思います。

また、アーサナの基本である、吐ききる呼吸を意識することが、少しずつ、少しずつできていって、クラスの集中につがなっているように感じています。

クラスは、シャチーさんと一緒に楽しく進めています。
あと残すところ三回になってしまいました。ぜひこの機会に、下鴨クラスにお立ち寄りください。お待ちしています。

ダルミニー


お料理初心者さんのためのココロとからだが喜ぶごはん

昨日は、お料理初心者さんのためのお料理教室が大阪でありました。
まずは、今の季節、何が旬か知っていますか?というところから。
みなさん少し考えて……「鍋を食べるから、白菜?」と冬になったら食べる料理を想像して答えてくださいました。そうです!今の旬は根菜や葉ものになります。
今回調理で使った野菜も今が旬の野菜です。

初心者 出来上がり

参加者の方はお料理がまったくの初心者という訳ではなかったのですが、ひとつずつ丁寧に説明しながら進めていきました。たとえば、

お野菜は洗うものと洗わないものがありますが、知っていますか〜?

玉ねぎは皮を剥いたあとは洗わなくても大丈夫、きのこは風味を損なうので洗いません、キャベツも水溶性の栄養素は洗うと流れてしまうので洗いません。もちろん、汚れていたり、農薬など気になる方は洗ってもらったらいいです。
その他、きのこは手で割くと良いことや、葉物は根っこの部分に土がついているので、ボールに水を張って振り洗いすると良いことなどの食材の扱い方。野菜を炒める時は少々塩を入れることで野菜から水が出て、早く炒められるということなど、ちょっとしたことですが、お料理をするときに知っていると得するあれこれを紹介しました。

和気あいあいと、とても楽しいひとときでした。「簡単で美味しかった!」「スープの甘さに驚きました」「大切な人に食べさせてあげたい」など感想をいただきました。

初心者

次回の予定はまだ決まっていませんが、これからもクラスを続けていければと思っています。


歓喜のジャヤンティ!!!

毎年11月23日は、マハーヨーギー・ヨーガ・ミッションにとっては特別な一日となります。最愛の師シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサが御聖誕されたとても大切な日です。私たちが、自らの本性である歓びに目覚めるように絶え間なく導いてくださる師に、感謝と歓びを捧げることができる吉祥な機会になるのです。今年も、師のジャヤンティ(御聖誕祭)に、京都、大阪、東京、松山など日本各地から、そして海外は台湾から、たくさんの弟子が京都にあるマハーヨーギー・アーシュラマに集い、また世界各地から歓びのメッセージが届きました。

何という素晴しい祝福と歓喜に満ち溢れた祝祭だったことでしょう!小さなアーシュラマは、まるで無限の歓喜が渦巻く大宇宙になったかのようでした!

漆黒の闇の中に浮かび上がる真実在の御姿に圧倒され、かけがえのない師の存在の御足下に礼拝し、言葉には尽くせない感謝の思いを精一杯祝辞に捧げ、歓びの宴の中、聖劇を奉納し、師への讃歌を捧げさせていただきました。3時間半があっという間に過ぎ去り、終わりの時間が来なければいいのにと思うくらい歓喜だけがありました!

詳細は、機関誌『パラマハンサ』1月号に譲るとして、ブログではジャヤンティの様子を写真を通して少しだけになりますが、ご紹介したいと思います。なお、ジャヤンティでの師のお写真は『パラマハンサ』にて掲載させていただく予定です。

jayanti flower
ジャヤンティでは毎年カサブランカが飾られます。極楽鳥花がまるで遊んでいるかのように歓びの祝祭を表しています。

jayanti music2
シタールとタブラーの生演奏で来場者を迎えます。

jayanti entrance
今年は台湾から6名のヨーギニーたちが参加しました。笑顔が輝いています。

jayanti puja2
師をお迎えし、プージャー(礼拝)が始まります。

jayanti speech4
京都ミッション、NYミッション、そして台湾や日本の弟子から祝辞が述べられました。また、この日に参加できなかった世界各地の弟子からたくさんのメッセージが届けられました。

アーシュラマ1階では、聖劇「クリシュナとスダーマ」を奉納。聖者スダーマの主クリシュナへの純粋な信仰を描いた物語です。

jayanti play sdama
険しい長旅を終え、とうとうクリシュナのいる国へ到達するスダーマ。

jayanti KR
美しすぎる!クリシュナと奥方ルクミニーの登場に会場が沸きます!

jayanti prasada
プラサードもいただきました。もちろん「さまらさ料理」です!本当に美味しくいただきました。

少しは御聖誕祭の様子をお伝えすることができましたでしょうか?

最後になりますが、このような歓びの機会を与えてくださった師シュリー・マハーヨーギーに心より感謝を捧げます!本当にありがとうございました!

*ジャヤンティでの師の御姿やプージャー、祝辞、プラサードなどの詳しい内容は、『パラマハンサ』1月号に掲載する予定ですので、パラマハンサ会員の方は楽しみにお待ちください。

サーナンダ拝

 


笑い、泣き、踊り、歌う!

 

聖愛[あい]の山の 洞穴に

われ ヨーギーとなりて住み

歓喜[よろこび]の 泉の ほとり

深きヨーガの 瞑想[おもい]に入る

真理の木の実を たべて

智慧の飢えを 満たし

離欲の花を ささげて

主なる神の御足を拝す

思い[こころ]は高く 峰の白雪

清き御足の 甘露をのみて

笑い 泣き 踊り 歌う

以前にも紹介した『インドの光』の「ラーマクリシュナの愛唱歌」に記されているとても大好きな詩です。古代のヨーギーたちはヒマラヤの奥地の洞窟に住み、修行に勤しんだと言われていますが、たとえヒマラヤの奥地に行かなくても、誰ものハートの奥には聖愛の洞穴があるのでしょう。

もうすぐ、最愛の師の御聖誕祭です!

その日(11/23)は皆、清き御足の甘露をのみ、おおいに、笑い、泣き、踊り、歌うことでしょう!!!

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オーム・タット・サット オーム!

サーナンダ

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2015松山瞑想特別クラス入門・実践編 第2回目

11月14日、15日と松山瞑想特別クラスのため松山に行ってきました〜。

雨が心配でしたが、天候にも恵まれ、本当によい機会になりました。

講座の方は、41名の方が参加され、初めての会場となる松山市総合コミュニティーセンターで行ないました。テーマは「自分を信じる/自分自身を知る」ということで、真実の自己を探求するという瞑想法について学びました。

松山瞑想

これまでも本当の私は肉体でも心でもなく、さらにその奥にある純粋な意識という教えは学んできていたので、今回は、入門・実践編ということもあって、一歩進んで具体的な瞑想の手がかりをつかんでいただこうと思いました。それで、いつもどうにかしたいと思っている悩みや苦しみ、あるいは執らわれといった「私の何か(悩み、執らわれ)」ではなく、「私」自身に話をフォーカスしていきました。

心は本当に悩むことが好きで「何か」にかかりっきりですが、「私」そのものにはあまり関心がありません。「そんなことない!自分がどう生きていけばいいのか、何をしたいのか知りたい」という声はよく聞きますが、よくよく考えてみたら、関心があるのは「人生」や「やりたいこと」であって、「私」自身ではないのですよね〜。

今回はそうではなくて、純粋な「私」そのものを探求することに焦点を当てたわけです。そこにすべての答えがあると言われていますし、何より自分自身の本性を知らないからこそ心はいつまでたっても安心できないのだと思います。心自身に「私」を探求させることによって、だんだんと「何か」への関心は薄れ、自己の真実にたどり着くと教えられています。

真実の自己=真我の探求は、「私は誰か!?」という問いを手がかりに真我を探し求めていく古代からある瞑想法です。「私」は瞑想者自身ですから、瞑想の対象ではなく、どこまでいっても主体であり、客体にはならないのです。いつもは苦しみや悩みという客体と「私」は同一化してしまっていますが、苦しみや悩みは「私」ではありませんから、つねに主体である「私」に留まり集中していきます。

そういうお話をしたので、なかなか感触がつかみにくかったかなとも思いますが、手がかりになったという感想もあり、嬉しいです。

  • 私は誰かということは本当にふと出てくる疑問であり、探求していくことで真理に少しでも近づけると思うと、すぐにでもやっていきたい!という気持ちになりました。
  • 今まで真我の探求はよくわからなかったけれど、講座を受けてみて、やってみてもいいかなと思いました。
  • 講座中の瞑想の中で、自己同一化しているものを観察していくと、それ自体が変化して小さくなっていくようでした。瞑想を続けていく力をいただきました。

答えは自分の中に既にあるはずですから、後は実践あるのみですね。

二日目のサットサンガは、20名の方が参加されました。

松山サットサンガ

今回は質問の内容が実践的で、またサットサンガ初参加の方も多くて以下のようないろんな質問があり、一層充実してきたような気がしました。笑いと涙と真剣さが溢れるサットサンガとなりました。

  • 自分の心をどのように日常(家族)の中で制御していけばいいか真剣な悩みや、正直の実践方法、スイーツの断ち方やお肉の減らし方、日々のヨーガのありかた等
  • 真我の探求とバクティ瞑想、識別瞑想の具体的な進め方
  • 真理とは何か、正しいとは何か
  • アーサナや呼吸、プラティヤーハーラ(感官の制御)
  • 死、輪廻転生、カルマの法則
  • 師のダルシャン

松山サットサンガ2

素晴しい学びの機会をいただいて、ありがとうございました!

次回は、12月12日、13日になり、講座の方は「愛の力で瞑想する」になります。具体的なバクティ瞑想について学んでいきたいと思います。

サーナンダ

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無執着ということ

蟻塚(ありづか)ってご存じですか?

蟻が地中に巣を作るとき、運び出した土や砂が盛り上げられてできる柱状、円錐状の山、また落ち葉や枯れ木で作られる蟻の巣だそうです。私は見たことがないのですが、インドの伝説には、蟻の巣が身体を覆ってしまうぐらい長い間瞑想に没入するヨーガ行者がでてきます。蟻が巣を作っても気が付かないなんて、どれほどの集中なんでしょう。すごいですよね。

今日はそんな蟻塚もでてくる一つの教えをご紹介したいと思います。
————————————————————————————————————————————-ナーダラという偉大な賢者がいました。彼はいたるところ旅をしました。そこで、ヨーガを実践している二人の男に出会いました。

 一人目の男は、白蟻が巨大な蟻塚で周りを囲んでしまうほど長いこと座り続け、瞑想をしていました。彼はナーダラに聞きます。

「あなたはどこにいらっしゃるのですか」

「私は天国に行くところです」

「では、彼はいつ私にお慈悲をくださるのか、いつ私はヨーガを成就するのか、神様にうかがってみてください」

 二人目の男は、飛び回って歌ったり踊ったりしています。彼は粗野な声と身振りでナーダラに聞きます。

「あなたはどこにいらっしゃるのですか」

「私は天国に行くところです」

「では、わたしがいつヨーガを成就するのか、たずねて下さい」

 やがて……

ナーダラはまたあの蟻塚に囲まれて瞑想をしている男の前を通りかかりました。

「おおナーダラ様、あなたは主にうかがって下さいましたか」

「ええ、うかがいました。主は私に、彼はあと四回の誕生のうちにヨーガを成就する、とおっしゃった」

その男は泣き出して、こう叫びました。

「私は蟻塚に囲まれるまで瞑想をしました。それでもまだ四回も生まれなければならないとは」

 ナーダラはもう一人の男にところに行きました。

「私のことを尋ねてくださいましたか」

「ええ、お尋ねしました。ここにタマリンドの木があるでしょう。実は、まだこの木の葉の数だけ生まれなければならない。それからヨーガを成就することができるそうです」

男は喜びに踊りはじめました。

「そんなに早く、自由になれるとは」

 その時、声が聞こえました。

「我が子よ、おまえは今、自由になれるぞ」

無限時間を待ち続ける男の忍耐、その覚悟が最高の結果をもたらしたのです。
—————————————————————————————————————————————-
この話を読んで、私は二人の違いは何なのかを考えました。蟻塚ができるほど瞑想していた男は、誰の目から見ても真剣にヨーガを実践しているように見えます。かたや踊り狂い歌っている男が、真剣にヨーガを実践しているようには見えません。その人がどのような思いで一途にヨーガの成就を求めているのか、端からは全く分からないことのなのだと思いました。でももしかしたら自分自身ですら分からないことなのかもしれません。自分はヨーガを真剣に実践している、そのような思いも邪魔になるのだと思いました。

師は説かれます。

 行為の結果に一喜一憂せず、結果を受け取らないようにしなさい。

蟻塚に囲まれていた男は結果を期待していたのでしょう。踊り狂っていた男のように、私たちはただ一心に結果を気にせず、ヨーガを深めていくだけなのだと思いました。そしてヨーガへの思いが真剣であれば、必ずその思いは神様に通じるのだと思いました。

 ダルミニー