何のためのお金?

コロナ禍で仕事が減り、お金について考えた。
すると、どのように生きるか、そしてこの命をどう使うか、という命題につながっていった――。

ステイホーム期間中、静かに咲いた花。小さな蕾が次々と咲き、ずっと楽しませてくれた

振り返ってみると、私自身は、何でも手に入るような贅沢さにはあまり憧れたことがなかったことに気が付いた。たぶん負け惜しみでもなく(笑)、たくさん貯め込むということに不幸せなイメージがあったからだと思う。
子供の頃、日本昔話や童話が好きで毎日のように話を聞いた。昔話にはたいてい、欲のない正直者のお爺さんお婆さんと、欲張りで意地悪なお爺さんお婆さんが出てきた。欲張り夫婦は、最初はお金や欲しいものを手に入れ喜んでいても、最後には苦い結末。正直夫婦は、山へ芝刈りに川へ洗濯に…と真面目に働くが暮らしは質素、すきま風が吹き込むような家で、わずかなご飯を仲良く分け合い食べていたりした。なくなりそうなご飯やお金を、他人にはあっさりと全部あげてしまったり、なくなったのに笑いあったりしているシーンとかに、何かさっぱりした感じや欲張らない方が幸せそう~と子供なりに感じていたのだと思う。大人になりヨーガを学ぶ中で、貧しさってお金がないことではなく、貪るということが貧しさだと思った。

師が「人が一人生きていくのにそんなにお金はかかりません」とおっしゃったと聞いた。何にお金がかかるのかというと、外食と娯楽ということ。生きていく、それだけをシンプルに考えれば、本当はそんなにたくさんのお金は必要ないのかもしれない。現にステイホームに徹していたら、あまりお金がかからなかったので、師の言葉を思い出していた。
仕事や外出に伴う交通費、季節に応じた仕事がしやすい服や靴など、外出に纏わる費用がゼロだった。外食、テイクアウトの類いも一切やめ、無駄に外出しないことによって五感に訴えかける刺激も誘惑もなく、食料と日用品以外お金を使う原因がなくなり静かな生活だった。環境のおかげで静まったマジックみたいなものだけれど、そのおかげで本当はこういう生活を望んでいたと気付けた。いかに外の情報に影響されていたか、ますます精進あるのみ!と分かった。

久しぶりの買い出しで外へ出た時に咲いていた、真っ白でまんまるな紫陽花。

そういえば、こんな映像を見た。オシャレな家に住む忙しい共働き夫婦が帰宅すると、炊事洗濯が最新家電によってハイクオリティかつ時短で行なわれ、その分家族との時間も充実、幸せな日常、というストーリーだった。こういう生活スタイルもステータスで、そのために頑張ろう!と思える原動力があるのも知っている。でも、これは幸せなのか不幸なのか?何のためのお金?という疑問が頭をよぎった。
忙しく働いて時間が全然なくて、対価として高額なお給料を手にしても、この家電を買わないと幸せに暮らしていけない生活。一方、昔話のお爺さんお婆さんは、山へ芝刈りに川へ洗濯に…貧乏に見えたけど幸せそうだった。本当の豊かさって? モノを持たない暮らし自体に憧れている訳じゃない。環境は各状況に応じたものがあるだけで肝心なのは、お金・モノのあるなし関わらず、どんな状況にも影響を受けない内面だし、どっちの生活が正しい・幸せというのはないと思う。でもあえて選べるなら私は昔話の生活の方がいいな。

本当の豊かさというのは、何もなくても満ち足りている円満な内面をもっていることだと思う。それはヨーガで学んできた。これがないと豊かな暮らしができない、あれがないと幸せになれない、という観念が何もない方が豊かに思えるし、その豊かさにこそ憧れている。きっとそれは子供心に昔話から感じていたものとも一致すると思う。

悟りとは、完全に円満な状態だという。悟りと聞くと、ほど遠い境地のように感じてしまうこともあるけれど、いつも円満な状態でいることだと考えれば、目指したいのはそれだ!とすぐに思える。
身体はその悟りに向かうための乗り物だというし、目的地に到達できるためには乗り物を良い状態で進めていかなければいけない。と考えていくと、なぜ食べるのか、なぜ働くのか、寝ること、服を着ること、家に住むこと、お金を使うこと、が深く意味をなしてきて自分の中で整理できる。
例えば野菜を買うためにお金を使うことも、源を辿っていけば人生の目的のためということになる。かっこよすぎるが、悟りのため、ということになってくる。だからこそ小さなことから大きなことまで、目的をはっきりと意識してその下でお金を使いたい。それが生き方、命の使い方につながっている。人生の目的地に向かうために、当然お金に関する行為も含まれてくる。それを避けることはできないと思う。

「さまらさの台所」の一場面。野菜を油で揚げる音が、まるで水琴窟(すいきんくつ)と雨音のように澄んでいて美しかった。瞑想的な、さまらさな音色。動画ならではの味わいだった。

最近私がお金を使った「さまらさの台所」のWebクラスで、「野菜を切る時は、初めに盛り付ける時のイメージをして、その上で切り方を考える」と言われていた。人生も、出来上がり(悟り)をイメージして、その上でまな板の上の出来事のさばき方を考えるといいなと思った。そういうふうにして命を使っていきたい。

野口美香


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