時間も空間も超える存在

昨年までは、ヨーガの学びを深めるために月に1回ほど東京から京都に通う生活でしたが、今年はそれが叶わない状況が続いています。
クラス休講中はオンラインでのクラスや瞑想会でグルバイ(兄弟姉妹弟子)と繋がり続けられたことが支えとなっていましたが、クラスが再開されてからは東京のグルバイとは会えるようになりました。短い時間であっても、直接顔を見て話せること、クラスで共に集中を高め合えることに、これまで以上に喜びを感じています。
ただ、東京以外のグルバイとはまだしばらくは会うことができそうにありません。このブログ『ヨーガを生きる』で各地域のグルバイの実践の様子に触れられることが楽しみの一つとなっています。

ヨーガを学んでいるという大きな共通点はあるものの、性質や傾向は人それぞれ違うので、共感し鼓舞されるところもそれぞれ異なります。また、一人一人の環境や状況も違うので、ヨーガの実践の仕方や体感の内容も様々です。ブログからはそれらが垣間見られて、力をもらったり、気付きがあったりします。

最近、野口美香さんの書いたブログ記事『何のためのお金』を読んでいて感じたのですが、生活していく中での気付きの過程が、一つ一つ丁寧に自分自身の視点で描かれていて、美香さんがかつて聞いた師の教えを着実に実践していっている様子が伝わってきて、私ももっと丁寧に確実に実践していきたい!と鼓舞されました。
ブログの締めくくりには、
野菜を油で揚げる音が、まるで水琴窟(すいきんくつ)と雨音のように澄んでいて美しかった。瞑想的な、さまらさな音色。
と「さまらさの台所」Webクラスの感想があり、とっても素敵な表現に、日々の慌ただしさが一瞬静止してリセットできたような感覚にもなりました。

そして読み終わった後、思い出したことがあります。
美香さんと初めてお話したのは、京都に通い始めたばかりの頃。美香さんがまっすぐとこちらを見て、時折うなずきながら私の話に耳を傾けてくれたことは、今でもはっきりと覚えています。
美香さんご自身は決して多くを語られませんでしたが、彼女の話した言葉の中で特に印象に残っているものがあります。(言い回しは正確ではないことをご了承下さい。)
「ヨギさんはこちらが近づいた分だけ、近づいて来てくださる。自分をさらけ出すほど、こちらが近づいた以上にもっともっと来てくださる。」
美香さんがまっすぐ前を見据えて話してくれたその姿を見て、私もそうしていきたい!と憧れのような想いを持ちました。
もっとヨーガのことを学んでから質問しないと、とか、こんなこと質問しても、とか、余計なことばかり考えて足踏みしていたのですが、何でも質問してしまえ!と背中を押されたようで、これを機に少しずつ質問ができるようになりました。

こんなふうに、グルバイとの交流では、ほんのちょっとした会話やメールのやりとりの中であっても、大きな気付きやインスパイアを受けることがあります。それは時に自分を省みるきっかけとなったり、背中を押してもらうきっかけとなったり。もしグルバイの存在がなければ、ヨーガの道を歩むスピードはもっと遅くなっていたのかもしれないと思うことが多々あります。
少し前のシャルミニーさんが書いたブログにありましたが、「ガンジス河の砂の数ほどもあるこの世すべての命の中で、人として生を受けるということはそのガンジス河の砂を手ですくったほどであり、たくさんのご縁が重なって成る稀有なことである。さらにそこから親指の爪の上に乗る砂の数ほどの人が、人として生まれてきた本当の大切さに気づき、喜ぶことができる」、というこの教えの通り、グルバイとは稀有な縁で繋がっていて、共に喜びを分かち合える存在だと思います。
離れた場所にいて会えなかったとしても、互いの存在に支えられていると、確かに感じることがあります。

東京代々木クラスにてヨーガの仲間と共に!新しいトートバッグと。

“ヨーギーは時間と空間を超えている”と言われていますが、師はもちろんのこと、ヨーギー・ヨーギニーとして道を歩んでいるグルバイもそうであると思います。
現在のような状況下で様々な葛藤や迷いが生じることもありますが、いつどこにいても常に師やグルバイと共にあるということを忘れずに、実践を続けていきたいです。

ハルシャニー


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