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台湾特別サットサンガより 〜歓びの声〜

先日、シュリー・マハーヨーギーが初訪台された時のサットサンガの様子を、台湾のグルバイ、プリヤーが素晴らしい筆致で寄稿してくださいました。(詳細はこちら

今回は引き続き、その台湾特別サットサンガに参加した方から寄せられた感想の一部をご紹介したいと思います。いただいた感想はここに書ききれないくらい、本当に本当に本当〜に!!!たくさんあり、そのほとんどが歓びと感動と感謝の声で埋め尽くされていました。

 

「覚者に会えて感動しました」

「ヨギさんは何でも答えられます。すごい! Cool!」

「時間が経つのが早すぎて、足りない〜」

「いつか、ヨギさんのように柔らかく温かく平安な顔をもてるようになりたいです」

「ヨギさんはニコニコして可愛くて慈悲深いです。どんなに難しい質問や苦悩に対しても、ヨギさんはまるでみんなの傍に来てくれるかのようにお答えを与えられます。その力は揺るぎなく強いですが、同時にすごく優しいです」

「ヨーガの理解はずっとアーサナだけに留まっていました。でも今日いただいた教えを通じて、ヨーガの意味と今後の目標をもっと理解できるようになりました」

「心の迷いや疑いが、突然消えました」

「今日はまるで深い深い闇の中で、光が見えるように感じました」

「とても感動しました。シュリー・マハーヨーギーの優しさ、不動と愛を感じました」

「ヨギさんはとても慈悲深く、落ち着いていて、仕草が愛に満ちています。真理を愛する人たちが一緒に集まって、素晴らしいです」

「貴方の悟りに感謝します。マスターの丁寧な答えはみんなの心に浸透していきました」

「どうしてグルが必要なのか、自分は理解できませんでした。でもヨギさんに会って、二回のサットサンガの後で、このような疑いは消えました。もちろんグルが必要だと信じられるようになりました。もしグルがいなければ、私の山ほどの疑問や悩みの答えは誰からいただくことができるでしょうか! もちろんヨギさんです! やっと会えました。私の力は有限です。ヨギさんのような存在が私の周りの人を助けてくれて、本当に感謝しています」

「ヨギさんはたくさんの物語や例えをご存知で、優れた智慧をおもちです。それで、自分の小ささと無知に気付きました。これまでの二十年間、仕事の専門知識をもっと吸収して上に上がればきっと人生のピークに達せられると思い込んでいました。そしてそれらに満足していました。でも今考えると、他の人より収入があったり貯金があること以外、実は、私は真実をほどんと分かってないし、性格にもたくさん欠点があることに気付きました。もっと頑張って勉強して変わらなければならないと思います」

「シュリー・マハーヨーギーに感謝しています。恥ずかしいので、直接言葉にして感謝を言うことができません。三回のサットサンガに参加し、私はヨーガへ、真実へ、信仰へもっと自信がもてるようになりました。同時に、愛の具体なあり方が見えました」

「近いうちにまた台湾に来てくださいませんか? 祝福を与えてくださいませんか? そうすれば、私たちの瞑想はもっと進歩できるでしょう。お父さんに飴が欲しいとねだる子供のようかもしれませんが、もしヨギさんにお会いできれば、その時間が短くても歓びが続き、私たちをずっと励ましてくれることと思います」

「真理への学びや真実の神を信じることはやや非現実的だと思っていましたが、ヨギさんに実際に会って、まるで真理は実在しているように感じました。台湾に来てくださってありがとうございます」

「今日とても感動しました。真理を求める人々の流した涙は幸せであり、感動です」

「最初プラサーディニーからヨギさんの教えを聞いて、それこそが自分が求めているものだと思いました。そして、『悟り』を読んでさらにそう思いました。ヨギさんに会って、ヨギさんのお言葉を聞いて、全く疑いはなく、確信しています」

「シュリー・マハーヨーギーの開示と解答にとても感謝します。貴方の言葉と行動から、智者の慈悲と叡智を深く感じました。貴方のおかげで、真理への探求の大切さをとても感じました。本当にありがとうございます。先生のシンプルで、直接で、深いお話が好きです」

その他、「ヨギさんの下でもっと学んでいきたい」「インスパイアを受けた」「もっとサットサンガを行なってほしい」「歓びと平安を感じました」などなど、数多くの素晴らしい感想が届けられました。

 

 

私は幸運にも、師の初訪台に同行させていただきました。ヨギさんがご訪問されるこの日をずっと待ち望んできた、プラサーディニーら台湾の仲間たち。そしてヨギさんの教えを学びながら、いまだヨギさんに会えず、そして今回初めてお会いできることを夢見てきた、台湾の多くの魂たち。

サットサンガが始まる際、ヨギさんがご入場されるそのお姿を見るや否や、涙を流す台湾の方の姿を見ました。ヨギさんがお言葉を発せられる前からです。そして多くの方がヨギさんの存在にぐんぐん引き込まれていきました。

サットサンガが始まり、ヨギさんはヨーガそのものを一直線に、またダイナミックに説かれていきました。ヨギさんの存在そのものに、そしてヨギさんから溢れ出る真理の言葉と叡智に、またいまだかつて誰も経験したことのない圧倒的な悟りのプラーナに、参加者たちは酔いしれ、夢中になり、熱狂していました。台湾に真実そのものが降り立った歴史的瞬間!! ヨギさんはすべてを優しく受け止められ、そしてすべてを注ぎ込まれていました。途切れることなく真剣な問答が続き、多くの方が生きる悩みを打ち明け、そして癒やされ、また笑い、涙し、励まされ、安堵し、そして歓びに輝いていました。

私はこれまで二年間ほど台湾でクラスやキールタンをする機会をいただいてきました。参加者の中には、二年前から知っている顔触れも多々あります。彼らが初めてヨギさんに出会った瞬間、またこの四回のサットサンガを通じて、どれほど変化したことか!! 心の闇が取り払われ、そして生きる歓びを見いだし、まさに新たな命が吹き込まれていく瞬間がそこにあったのです。

——これがヨーガ、これこそが、ヨーガ!!

それは、人をその本質に目覚めさせるという、人知では決して計り知ることのできない大仕事でした。

サットサンガに参加された方からは、今なおその時の感動が続いているという声も届けられています。きっとこれから、ますます多くの方がヨギさんの聖光の下、ヨーガを志し、その道を歩んでいくことでしょう! ヨーガの仲間が増えていくことは、本当に喜ばしいことです!!

ヨギさんのご訪問に際しての準備から、また滞在中も常に献身的な働きで尽力してくれた台湾スタッフの皆さま、本当にありがとうございました!! そして最愛なる私たちの師、ヨギさんに心から感謝致します!!!

そして最後に・・・、台湾の皆さま、またヨギさんを台北にお呼びしましょうね〜!!!

ミラバイ

 

 

 

 


シュリー・マハーヨーギー初訪台!!!

先週シュリー・マハーヨーギーは、これまで台湾で師の教えを広めようと活動を続けてきたプラサーディニーら弟子たちの熱望に応えられ、初めて台湾をご訪問されました! 台湾では本当に数多くの方がシュリー・マハーヨーギーに出会い、素晴らしく充実したサットサンガが連日行なわれました!! 日本語と中国語の通訳というたいへんな役割を見事な集中力でこなしてくれたプリヤーが感想を寄稿してくださいましたので、皆様にご紹介したいと思います!!

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2017年5月10日から5月16日まで、初めてヨギさんを台北にご招待しました。滞在期間は一週間だけでしたが、4日間連続して4回のサットサンガが行なわれ、100名以上の方がヨギさんにお会いしました。

いずれのサットサンガも、参加者たちは奮って質問して、真剣にヨギさんの答えを聞きました。でももっと詳しく言えば、毎回のサットサンガの雰囲気は異なり、もしすべての会に参加した方に感想を聞いたら、きっと誰もが同じコメントを言うでしょう:いずれもすべて素晴らしかったです!

今記事を読んでいるみなさん、この四回のサットサンガが一体どういう内容なのかが気になってきましたか? 今から簡単な記録を述べさせていただきます。

 

一回目のサットサンガは多くの方が集まりました。56名も参加して、会場はパンパンになりました。初めてヨギさんにお会いするため、みんなはすごく興味津々で、レジェンドの覚者に会えるのをとても楽しみにしていました。サットサンガが始まると、クイズ番組のように問答が盛り上がって、ヨギさんのお答えが終わるや否や、すぐ二、三人が同時に手をあげました。話題は宇宙の起源やビッグバンから、ヨギさんが八歳の時サマーディに入ったことや人間のカルマのこと、どのようにしたら自分の怠け癖を退治できるかなどの日常的な質問まで、いろんなクエスチョンが出てきました。どんな質問に対しても、ヨギさんは分かりやすい言葉で軽快に答えられました。みんなはヨギさんの叡智溢れる言葉に引き込まれて、また時々ヨギさんのユーモアによって大笑いの渦が湧き起こりました。後に聞いたみんなの話やアンケートからは、「ヨギさんはとても親しみやすかった!」「ヨギさんの笑顔がかわいい!」などの声がとても多かったです。(それまで多くの方は、覚者というのはとても厳かで親しみにくいというイメージをもっていたようです。なので、ヨギさんご本人にお会いして、そのギャップに驚いたそうです。笑)

二回目のサットサンガでは、参加者たちは早めに着席して静かに座っており、ヨギさんの到来を待っていました。それで、静かで穏やかな雰囲気でサットサンガが始まりました。いくつかの問答の後、一人の女性が質問をしました。ヨギさんの優しい眼差しを浴びながら、彼女は涙ぐみながら長年もっていた恐怖を語りました。その女性の勇敢な告白に励まされて、その後、他の質問者は勇気をもってそれまで秘めていた苦悩を打ち明けました。この世の中にどれほどの人々が苦痛を抱きながら、闇の中でもがいているのでしょうか。ヨギさんはこの上ない愛と慈悲をもって何でも受け入れて、優しく私たちを慰めてくださいます:私というものの本質は尊い、永遠の、不滅の存在です。どんな状況にあっても自分を軽蔑する必要はない。ヨーガへの学びや実践をし続ければ、誰もが本当の歓びと自由に到達できます。それは難しいことではない。なぜかというと、それはすでに心の奥にあるから:ヨギさんから優しいお言葉をいただき、みんなの心の中に重く、硬くなってしまっていたものが、まるで太陽に照らされたように融けて水になって、涸れた心が潤されました。あぁ、この世界はどれほど真理の言葉を熱望していたでしょう! みんなはどれほどヨギさんのご来臨を待っていたでしょう!と、私はそう思ってしまいました。

三回目のサットサンガはまた全く違った雰囲気でした。途中、雨がしとしとと降り始めて世界を洗い浄め、私たちの心も浄化されたようです。なぜかは分かりませんが、外からは雨音が聞こえ、室内にはヨギさんの魅力的なハスキーボイスが響いて、その空間はだんだんロマンチックな雰囲気が醸し出されていきました。一人の参加者が問いました:もし弟子がグルから離れたところにいるなら、どのようにして学び続ければいいのですか? 最初、ヨギさんはブッダの生前の教えを告げられ、そしてグルと弟子との関係を説明されました。最後には、何と次の一言を添えられました:できる限りこの身体をみんなに見えるようにします(笑):うわー! その瞬間、みんなの心は奪われ、すっかりヨギさんの魅力に陶酔してしまいました! 心を盗む人と心を盗まれた人たちの間で交わされる甘美なムードというのは、まさにクリシュナとゴーピーたちの美しい愛の物語ではありませんか!

 

四回目のサットサンガは日曜日に行なわれ、その日はちょうど母の日で、それにとてもふさわしく素晴らしい問答が起こりました。一人の参加者のお母さんも一緒に参加しました。会が始まると、彼女は前触れもなく、いきなり娘の最近のヨーガへの思い入れと信念について認めることができないということ、また同時に、母親として娘の将来を案じ、彼女にはもっとより良い人生を送ってほしいと、彼女への愛を示しました。挑むほどの強い態度に臨んでも、ヨギさんは全く揺るぎなく、力強く、毅然とした態度で説かれました:この世の幸福はすぐ消えていくものです。むしろ物質的な幸福をもてばもつほど、もっと大きな苦しみを抱えるでしょう。ヨーガは中庸の道です。偏ったものではありません。ヨーガは、周りの人に優しい態度で接すべき、目の前に来た物事を自分のベストを尽くすべきであり、永遠で変わらない本当の幸せを求めるべきだと教えています。それは一番理想的な生き方ではないでしょうか:ちょうどその時、太陽の光が窓から差し込んで、ヨギさんを照らしました。ヨギさんは光のように輝いて、同時にパワフルな口調で真理を説き明かされ、その言葉がみんなの心にぱっと突き当たりました。そのような大胆で不動の態度、パワフルであり、共に計り知れない優しさを示されたヨギさんのお姿は、どれほどかっこよかったことでしょう!!(付記:この後、そのお母さんは娘に、自分がヨーガのことを全く誤解していたこと、そしてこれからヨーガを学んでいきたいと言ったそうです。なんと不思議なシュリー・マハーヨーギー・パワー!)

 

サットサンガの後、ヨギさんから大きな力をいただいた、もっと勇気を出して自信をもってヨーガの道を歩み続けられると、多くの参加者が言いました。

田を作る前には、田植えの準備をしなければいけないといわれます。それは、雑草や石を除いて土を耕してから、植物を栽培し始められるということです。これまでプラサーディニーが台湾でやってきたことは、まるで整地の作業のようで、少しずつ人がその作業に加わり始め、やっと田植えの準備が整ってきました。そして、今回ヨギさんは台湾に訪問され、みんなの心の中に真理の種を蒔いてくださいました。いつその種が芽生えるのか? 芽生えてどのように成長できるのか? これからは台湾にいる私たちが、与えていただいたその大きな祝福をもって、その作業にも自分の実践にも努め続けなければなりません。

 

参加者たちとスタッフたちに本当に感謝しています。そしてこの滞在の間、ミラバイさんがさまざまなことをサポートしてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。

最後に、ヨギさんに最も大きな謝意と敬意を捧げたいです。ヨギさんがここにいてくださるので、私たちは歓びの中に集うことができました。どうかまた貴方が、再び台湾をご訪問してくださいますように!

プリヤー

シュリー・マハーヨーギーご訪問に際し、尽力してくれた台湾スタッフのみんな。前列向かって左から二人目がプリヤー、その隣中央が、プラサーディニー。

 

 

 


バクティ・サンガム始まりました!

こんにちは、ミラバイです。ブログ、久しぶりに書かせていただいています〜。

さて、この4月から京都・大阪でのバクティ・サンガムが始まりました。今年のテーマは、「何度も何度も繰り返し歌い込む!」ということです。

昨年はいろんな聖者の物語を取り上げ、毎月いろんなキールタンを歌ってきました。たくさんのキールタンを歌えることはそれはそれでとてもいいのですが、せっかく覚えたキールタンなのに、歌が十分に深まらないまま次の曲に移行していくのがもったいない。キールタン自体、神の御名を繰り返し唱えていくものですが、その一曲のキールタンをまた何度も繰り返し歌い、その歌に慣れ親しんでいくことによって、私たちはよりそのキールタンの世界に入り込んでいくことができます。キールタンの世界とは、神との戯れの世界そのもの。だから、今年は参加してくださっているみなさまに、もっともっとキールタンを深め、その味わいを存分に味わってもらいたい! そのような思いで、今年はこういったことをテーマに、3カ月ほど同じ曲を歌い込んでいくことにしました。

次回大阪は5月5日(金)、京都は5/28(日)です。第2回目、さて、どのようにしてみんなでともに深めていけるのか、私もとても楽しみにしています〜。

 

 


聖者の生き方に倣う

京都と大阪で春から行なってきたバクティ・サンガム。今シリーズは毎回一人の聖者を取り上げ、その生涯やエピソードを紹介しながら、彼らにまつわるキールタンを歌ってきました。そして、先週の金曜日に行なった会はそのシリーズの最後の会となりました。取り上げた聖者は、中世に実在した神人、シュリー・チャイタニヤ。そう、キールタンを始めた方だといわれています。

小さな頃から聡明で、大人になってからは論理学者になり、学識のある者を見つけては論破することばかり繰り返していたようですが、ある日突然、神への愛に目覚めてしまいます。それ以降、学問には全く興味をもつことができず、「クリシュナ」という神の御名だけに魅了されてしまいました。やがて、神の御名を歌として町を練り歩くようになり、多くの方がそれに付き従ったといわれています。
——シュリー・チャイタニヤはいったい何に触れたのでしょうか。彼はなぜその歓びの中に一人留まらず、人々を導いたのでしょうか。どんな約束が彼とクリシュナとの間で交わされたのでしょうか。そして彼が見ていた世界はどのようなものだったのでしょうか。

会の中では、シュリー・チャイタニヤが残した詩の一部をご紹介しました。私自身これまで何度も読んで知っていたはずなのに、この日、突然とっても心打たれました。

「神の御名を唱えなさい
神の御名を唱えることで 誰もが神に近づくことができる
おお 心よ
一枚の草の葉よりも謙虚で 木のように忍耐強く 逆風に耐えるものであれ
人から名誉を受けることを拒み
すべての人を 心から敬うものであれ」

朗々と、堂々と大勢の人々に囲まれながら主の御名を唱えるその一方で、内面は、神に、真実に、人に、あらゆるものに常にこうべを垂れ続けた彼の謙虚さと姿勢が私の中に突然飛び込んでくるような感触がしました。そして同時に、まさにその境地を生き、私たちに人としてあるべき理想の生き方を示されている最愛の師のお姿が私の胸の中に蘇りました。

今年は、シュリー・チャイタニヤだけでなく、聖女ミーラー・バーイー、シュリー・ラーマクリシュナなど、さまざまな聖者、覚者をご紹介してきました。私たちも今一度聖者たちの残した言葉や生きざまに触れ、それを拠り所にしながら、また自らがその境地を生きていけるよう、見倣っていきたいと思います。

また来年のバクティ・サンガムも春頃から開催したいと思います。決まりましたらウェブでご案内致しますね。どうぞお楽しみに!


ミーラー・バーイーの歌に挑戦!

こんにちは、ミラバイです! 今日は久しぶりにバクティ・サンガムのご報告を致します。

春から京都・大阪で毎月行なっているバクティ・サンガムの今シリーズは、毎回一人ずつ聖者を取り上げ、彼らが愛した神にまつわるキールタンを歌ってきました。今回はインド中世に生きたバクタ(神を愛する人)、ミーラー・バーイーをテーマに、彼女が残したといわれている歌に挑戦しました。

私たちがこれまで歌ってきたキールタンは、神の御名だけを繰り返す簡単なもの。しかし今回の歌は歌詞もどんどん変わり、またメロディーも複雑で、リズムにも変化があります。実はこの歌、私は大好きな曲で、初めてこの曲を聞いた時、彼女の人生は苦難に満ちたものであったけれど、彼女はどんな時も神だけを見つめていたこと、そして神とともに多くの歓びの時間を過ごしたということが強く伝わってきて、歌詞の意味は分からなかったけど、とても感動したことを覚えています。ということで、いつかみんなで歌えたらいいなぁと思っていた曲の一つでもあり、しかもこういったタイプの歌は初めての挑戦だったので、どんな会になるかなぁと、私自身も楽しみでした。さぁ、早速チャレンジしていきます!

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最初はみんな気持ちを込めて歌うどころか、歌詞とにらめっこしながら一所懸命挑戦しておられました。でも、なんのなんの! 驚くほど早く歌が歌えるようになり、聞いていた私の方がとても驚きました。最後はみんなで大合唱になり、笑顔もこぼれ始めてよかったです。

「とても楽しかった」「歌詞に思いを馳せながら歌えました」「ミーラー・バーイーの生きざまや熱が伝わってくるようだった」といった感想もいただきました。また後日、「あの夜、夢の中でクリシュナとラーダーの絵とともに歌のメロディーが聞こえてきて、ずっと心に引っかかっていたものが消えた感触があり、純粋な意識だけが残る体験をしました。素敵なギフトをありがとうございました」という感動も寄せられ、とても嬉しく思いました。バクタ、ミーラー・バーイーのハートに、私たちも少し触れることができたのでしょうか。

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次回は、京都は11月27日(日)、大阪は12月9日(金)に行ないます(詳しくはこちら)。取り上げる聖者は、シュリー・チャイタニア。キールタンを歌いながら民衆の中を練り歩き、「神の御名を唱えるだけで、誰もが神に近づくことができる」と、インドに大きなバクティの波を引き起こした神人です。今シリーズはこれで最後の会となりますので、ぜひご参加くださいね! お待ち致しております。

ミラバイ


バクティ・サンガム始まりました!

こんにちは! ミラバイです! お久しぶりです〜。皆さまお元気にされてますか?

さて、今年のバクティ・サンガムが京都は3月末から、大阪は先週の4月8日から開始しました!早速ご報告させていただきたいと思います〜。

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今年のシリーズは、毎回いろんな聖者を取り上げ、その方にちなんだキールタンを歌っていきます。初回は、ラーマ神を愛した、名もなきある機織りの聖者をご紹介しました。

「彼はとても敬虔な人で、誰からも信用し、愛されていたそうです。いつもは市場で品物を売っていて、人々からの信頼もあつく、お客はすぐにお金を払って彼の売る布を購入していきました。

ある日、機織りが夜更けに礼拝堂に座ってたばこをふかしていると、盗賊たちが前の通りを通りかかりました。盗賊たちは盗品を運ぶ男が欲しかったので、彼を引っ張っていきました。機織りは言われるがまま盗品を頭に乗せて運んでいると、そこに突然警官がやってきたのです! 盗賊たちは逃げ去り、機織りはなんと捕まってしまったのです。

彼は取り調べの際、長官に言いました。『私はラーマの思し召しによって、夜の食事を済ませました。それからラーマの思し召しによって礼拝堂に座っておりました。その時、ラーマの思し召しによって盗賊が通りかかりました。ラーマの思し召しによって、彼らは私の頭の上に盗品を置きました。ちょうどその時ラーマの思し召しによって警官が到着し、ラーマの思し召しによって、私は捕らえられました・・・』

長官は、機織りがとても信心深い男であることを知り、釈放を命じました」

この物語が大好きな人がおられて、ぜひ紹介したい!という声がありました。それがこの方、ヨーガダンダさん。

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いい笑顔ですね〜。今回からバクティ・サンガムを一緒に行なっていくことになりました。(よろしくお願いします 😀 )。ヨーガダンダさんはこの物語を読んで、ラーマ神だけを思い続けるという単純さにとても惹かれたそうです。常に神を思い続けるって、とっても難しい。機織りは素朴な人だけれども、いつも身近に神を感じ、至福に満ちた高い境地におられるということを感じたと話されていました。

常に平安な心境でいること、神に満たされた状態のことをシャーンタというそうです。すべては神の思し召し。いいことがきても、悪いことがきても、何がきても、すべては神からやってきたこと。愚痴を言わず、自分のところにやってきたことすべてを受け入れ、その思いに徹することができれば、全く動揺など起こらず、いつも平安なのでしょうね。また、そのように思うことは、最初は心の訓練のように感じるかもしれませんが、それこそが——すべては神から与えられているということが——この世界の真実の姿なのだなと思いました。

「すべては神の思し召し」

さーて。

私たちも、今一度、自分の心に問いかけてみましょうか。

 

次回はどんな聖者のお話が飛び出すのでしょうか。どうぞ、お楽しみに〜!

 

 


『ラーマーヤナ』御礼

水の上に住む家なく
地の上にも住む家なく
空の中にも住む家なし
霊魂よ けがれなき神の道をすすみ
神の御前に辿りゆけ
永遠の光 神の御前に輝く

(レグルス文庫『ラーマーヤナ』より)

こんにちは。ミラバイです。昨日、大阪での『ラーマーヤナ』の語り芝居&キールタンWSが、おかげさまで無事に終わりました。初めての方やヨーガ・瞑想クラスに来られている方、久しぶりの方なども参加してくださり、年明けにふさわさしく新鮮で楽しい会となりました。

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『ラーマーヤナ』の語り芝居は約3年ぶりです。今回改めて私自身も久しぶりに物語に目を通したのですが、気付くとまた子供のようにわくわくしながら本を読んでしまっていました。初めて物語を読んだ時にいちばん心打たれたのは、ハヌマーンという猿の神様が、主ラーマのために命懸けで海を渡るシーンでした。しかし、聖典は読むたびに違った発見があります。今回ももちろんそのシーンにも引き込まれましたが、実はいちばん印象に残ったのは、敵であった悪魔でさえも、その本性は神なる魂をもっているというくだりでした。

通常の映画や漫画なら、悪魔を倒してそれでハッピーエンドとなるのかもしれません。けれども『ラーマーヤナ』の中では、ラーマたちが敵を倒しても、その死を悼み、葬送を行ないます。そのとき、その魂は悪魔という肉体を捨て去って、この地上の世界から無限なる神の世界へと飛び立っていくのです。その際にどこからともなく聞こえてきたお祈りの歌が、冒頭に紹介した詩でした。

私たちが本当に心の拠り所とすべきは、神の御足下である。
そこにこそ、本当の幸せがある。
そして、その神は私たち誰もの中にあって、誰もが聖なる存在であるーーーいつも師から教わっているヨーガの教えを、また改めて説かれたような気がしました。

 

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さて、その後は、『ラーマーヤナ』の物語を紹介しながら、みんなでキールタンを歌いました。2時間があっという間に終わりました。最後に皆さまからいただいたご感想を紹介します。

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「物語をお話しされている時にすごく思いを込められていて、その姿の後ろに、まさに情景が思い浮かびました。海を渡ったお猿さんや、(シーターを助けるために)一緒に橋を作った動物たちやお月さんのようになれたらと思いました」

「ハヌマーンの心の純粋さに圧倒されました」

「演技力がすばらしく感動した。キールタンは単語が覚えにくかったけれど、繰り返せば慣れるのかなと思いました。仕事終わりに、神話はほっとひと息つけてうれしい。どうしたらあんなにすてきな笑顔で唄えるのだろうか。興味しんしん」

「前回一度見ましたが、今日の語り芝居は全く新鮮でした。変わったりしていませんよね……、私が変わったのかな? 『ラーマーヤナ』を読みたくなってきました。胸がいっぱいです。よい年明けの企画で楽しかったです」

「とてもとてもすばらしかったです。感動しました。いつも最高です」

「ラーマのお話、よかったです。ハヌマーンのラーマを思う気持ちが、人が神を思う気持ちなんですね〜。またよろしくお願いします」

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お越しくださいました皆さま、ありがとうございました! 私たちにもハヌマーンのような純粋な信仰心が芽生えますように〜!

ミラバイ


礼拝

2015-01-03 15.15.20

明けましておめでとうございます。今年のお正月は本当に寒いですね! 各地では元旦から雪が降り積もっていたようでしたが、皆さまはいかがお過ごしですか?

あ、ご挨拶が遅れました。年末に引き続き、またまたミラバイです。私は今日、アーシュラマ(ヨーガの道場)のすぐ近くにある、北野天満宮に初詣に行ってきました。天神さん(北野天満宮のことを、こういうふうに呼ぶんです)はとても近くのため、実はこの三が日にお参りに行ったことはこれまでなかったのですが、今日初めて行って、あまりにもの人の多さに本当にびっくりしました! 本殿から神社の入り口のある今出川通りまでずら〜っと人が並んでて、なかなか前に進めない! ゆっくりゆっくり歩いて、何十分もかかって、ようやく本殿に辿り着きました。お賽銭箱の前に来て、えいっとお賽銭を投げて、パンパンと手を叩いた次の瞬間、いったい何をお願いしたらいいのだろう……と、はたと困ってしまいました。特に、何もお願いすることがなかったからです。そして、ふと昔のことを思い出しました。

ヨーガを始める前は、年末年始の時だけお寺や神社に行ってはお参りをし、一年間の感謝をしたり、またこれから先のことを祈ったりということを普通にしていました。信仰心なんてなかったけれども、お参りは普通のことだと思っていました。でも、ヨーガを始めて数年間、実はお参りに行っても手を合わせることができなくなった時期がありました。神様は本当にここにいるのか、自分は誰に祈りを捧げようとしているのか、私が本当に信じるべきものは何なのか、祈るということはどういうことなのか、そういったことをずっと考えていたのだと思います。
そうしてそれから、はや数年……。今ではそれらの疑問も解消し、以前に抱いていた抵抗感も、もうすっかりなくなってしまいました。神は自らの中にあって、また誰もの中にもある、そして本当に祈るということは、あれが欲しい、これが欲しいと願うということではなく、心をしっかりと神に結び付けて口を閉ざし、黙って行為すること。……なのかな。今はそのように理解しています。皆さまはどうですか〜? きっといろいろ考えておられることと思います。

ともあれ、おかげさまで無事にお参りは済みました!
皆さまにとって、幸多き年になりますように。どうぞ今年もよろしくお願い致します〜。

ミラバイ

 


新春特別企画/語り芝居『ラーマーヤナ』&キールタンWS @大阪

ramayana7 ブログ

こんにちは!ミラバイです!
いよいよ今年も後少しとなってきましたね〜。皆さまいかがお過ごしでしょうか?

さて、突然ですが、来年の1月14日(水)に、インド神話『ラーマーヤナ』の語り芝居とキールタンのWSを行なうことになりました! 『ラーマーヤナ』とは、このMYMブログでもダルミニーが連載の記事を書いてくださっていますが、主ラーマの武勇伝などが書かれたインドの古典の物語です。2年前に大阪と松山で公演を行なったことがあるのですが、この1月に急遽再演が決定しました!
私はこの物語の中に出てくる猿の神様、ハヌマーンが大好きです。愛する主ラーマのために自らの命でさえもなげうち、主のために尽くそうとするハヌマーン。その愛の純粋さと強さ、そして彼のひたむきさに、とっても憧れます。
愛と信仰に満ちた心で、来年一年を力強く生きていきたいと願うあなた! 新年の幕開けにぜひハヌマーンのハートに触れに来てください! お待ちしています〜。

〇日時:2015年1月14日(水) 19時から21時(開場18:45)
〇会場:大阪中央公会堂
〇参加費:2700円(税込)
★マットなどの何か敷物をご持参ください。

ミラバイ


マーラー

こんにちは! ミラバイです。昨日からぐんと寒くなりましたね。今日の京都は朝から雪が降り積もっています〜。皆さまお変わりありませんか?
さて、今日はマーラー(数珠)について書こうかなと思います。

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これは私のマーラーなんですが、もう10年以上も前になるけれど、私がヨーガを始めて間もない頃、師からいただいたものです。その時のことはとっても印象的で、今でも私の心の中に強く残っているのですが、それは、ある日のサットサンガ(師から教えを請う問答の場)が終わった時のことでした。呼ばれて師の下に行くと、両手で大切に包み込むように持っておられたものを、私の目の前にすっと差し出されたのです。「ええっ! もしかしてマーラー?!」。当時先輩たちがマーラーを首に掛けているのは目にしていて、それが何を意味しているのかは分からなかったのですが、なんとなくかっこよく見えて、私も欲しいなぁ〜、でもきっと自分にはまだまだなんだろうなぁ〜と思っていたところでした。あまりにも驚きすぎたため、せっかく師が渡そうとしてくださっているのに、私はそれを受け取らないまま、ものすごい勢いで部屋の隅っこまで後ずさりして、そのまま座り込んでしまいました(笑)。
もちろんしばらくして、気持ちが落ち着いた後にいただいたのですが、その時に言われたことは「これは、信仰の印です」ということ。

信仰の印……。

その頃、私は正直、信仰心なんて全くもっていませんでしたし、信仰が何かもよく分かりませんでした。でもこのマーラーが、師と私をつなげるもの、ヨーガと私をつなげるもの、そしてこれから先、自分がヨーガの道を歩んでいく上での希望が込められているような気がして、本当に嬉しかったのを覚えています。その日の夜は首に掛けたまま眠り、次の日からも毎朝会社につけていき、肌身離さず持ち歩いていました。

そんなマーラーですが、実は一度紛失しかけた(笑)ことがあります。
ない! ない! どこを探してもない! 何日も何日も探し回り、歩き回り、いろんな人にも尋ねましたが、全く出てきません。あぁ、どうしよう〜(ToT)
あまりにも「私のマーラー」をなくして落ち込み、食事も喉を通らない様子の私を見て、心配した先輩は、「もしそれが自分のマーラーではなく、誰か他の人のものだったら、それほどにまで動揺するかな?」と、私に識別を促そうとアドヴァイスをくださったこともあります。確かにヨーガの中でよくいわれる「私」と「私のもの」という思いが自分の中にあるのか……。それが苦しみを生んでいる? もしそんな思いがなかったり、やっぱり誰か他の人のものだったらそんなに落ち込まないかも……と思い、瞑想や識別をしようとしてみましたが、そう、ご想像の通り、全くできませんでした。これまでキールタンの活動をしてくる中で、私は必ずマーラーを首に掛けてきましたが、そのときはいつも師が私の傍におられるように感じていました。きっと私はいつの間にかこのマーラーに、師とのつながりや師の存在、また自分自身の信仰の印を見いだそうとしていたのだと思います。何より、師がマーラーを手渡してくださった時、手のひらの中であたためてくださっていたその温もりをずっと感じていたのかもしれません。私の信仰はいったいどこにあるのか。主はどこにおられるのか。猿の神様ハヌマーンが自分の胸を切り裂き、主、ラーマはここにおられる!と叫んだように、私の主は私の胸の内におられるのか。
いつの頃からかはもう忘れましたが、私は自分自身の内側にもっと確かなものを見いだしたいと願うようになったと思います。

結局、マーラーは本当に思いがけない(!)ところから出てきて、おかげさまで一件落着しました(それも神のご加護としか思えない〜〜!)。この一件を通じて、私はマーラーの意味や信仰について改めて考える機会になったなぁと思います。
今は毎日身に着けることは少なくなくなりましたが、大切に部屋の祭壇に置いています。そしてサットサンガに参加する時は、できるだけ身に着けていくようにしています。ここが私の信仰の原点だと感じているのです。

ミラバイ