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アーサナができた!!! 継続は力なり!

アーサナを始めたばかりの頃は、呼吸がままならない、難しい、力みがある、柔軟性がない・・・そんな気持ちに覆われていても、続けていくことで変わってくる。その素晴らしさは、続けた人にしか分からないものだと思う。

今日は大阪は中央公会堂クラスに通ってくださっている方のお声をご紹介。

始めてから2年ほどのNさんは、他の方よりも少し年が上の方。
「昨年はしんどかった〜」とおっしゃった。そして、「続けることにくじけそうになりながら来ていました。今年はもうがんばりません」
なのにアーサナを始めると、人一倍がんばってしまう。そして気付いた時にはできなかったアーサナがぐんとできるようになっている。そして今年、ようやくアーサナや瞑想の良さ、効果を感じられるようになったとのこと……。素晴らしい! まさに、

継続は力なり!

そのほかにも、「アーサナができた!」と、喜びを言葉にしてくださったお二人がいます。

お一人目はTさん、シルシ・アーサナの練習を始めて半年ほど。頭と両肘の3点を床に置いて逆さまに立つアーサナです。
こんなコメントをいただきました。
「一人で立つことができるようになり、やっと形になってきました。練習していくことで、体と心の調和が動きに繋がっていくことを教わりました」

Tさんは最初、肘が床につかない。背中が伸びない、足を上げる点が全く分からない、と、体が動いていなかったことに気付かされたようです。そして、猫の3番目の形を重点的に続けたり、コブラ、チャクラなど、良いといわれるものをやってみたということ。けれど………、

「肘が(床から)浮き、バランスを崩してこける、の繰り返しが続く。もっと簡単にできるもの、という思いはガラガラと崩れ、「何でできないの?」と落ち込むほど上手くいきませんでした。そんな時、ある日のクラスで「その気持ちがあかん。できるんだから。あせらないこと」という言葉をかけていただき、また、クラスの皆さんが、アーサナができるできないにこだわらず、新たなアーサナにチャレンジしていくことがただ楽しい!と、向き合っている姿に気持ちが動かされました。

気持ちの方向を変えたらいいのかも、落ち込んだりせずに、私もそうやってみよう、と思いました。そこからシルシ・アーサナが形になってきたように思います。実際にできた時には、『あ、できた』と、気が抜けたような感覚で、自分よりも周りの人が喜んでくれたことに、嬉しさと感謝があふれてきたのを覚えています。まだ立てたばかりのひよっこですが、これからも形を深めていけるように、チャレンジを続けていきたいです」

 

 

お二方目はもう一人のNさん。クラスに来たきっかけは、瞑想に興味があり、感情に左右される自分なので心の平和を欲していたように思う、とのこと。初めは「瞑想専科」に参加。その後「中央公会堂クラス」でアーサナを体験しました。以下、Nさんからのコメントです。

「体験後、疲れたものの、全身がくまなくのび、マッサージされたような感覚があり、体も心も軽くなっていたように思う。それから週一で通うようになった。
ヨーガを始めて1年が経った。最近は、集中を深めることと息を吐き切ることだけに集中してアーサナをしている。そして、先日ついに念願だった「チャクラ・アーサナ」ができたのだ!
ずーとしたかったけどできなかった「チャクラ・アーサナ」 どんなに嬉しかったか!
チャクラアーサナはいつか絶対できると思いながらも苦しんできたハードルの高いアーサナだった。自分を励ましながらも「なんか全然でけへんな」と時々落ち込んでたアーサナ。
息を吸いながら、一気にヒップを上げるんや!と念じながら何回かやっていると、すっとスムーズに上がるようになった。まだまだ、上がったばかりで形はおそらく無様だと思うので整えていきたい。今は上がるだけで必死。(笑)

アーサナは、意識の持ち方でどんどん深まっていく感じがする。都度都度の先生のちょっとしたアドバイスがすごく参考になる。家では、毎日寝る前にベーシックなアーサナを30分程するのが日課になっている。すると深くよく眠れる日が増えた。

クラスに参加していく中で、アーサナや瞑想は、それ自体が目的ではなく、本当の自分「真我=アートマン」と出会い一体になるための道筋なのだと思うようになった。
「動き回る心は本当の自分ではない。その奥に永遠の本当の自分が在る。」と知るだけで、いろんな意味で楽になった。自分の中に揺るがない「芯」ができたような感じ。日常生活でも、相変わらず心は外界に影響され動き回る時もあるが、その中で溺れるのではなく、少し離れたところで観察する余裕もでてきた。

少しずつ、少しずつ自分が変化していて心も安定してきていることを実感する毎日。
これもマーハーヨーギーのヨーガのおかげです。知り合えて本当によかった!」

*   *   *

昨日のクラスもチャクラやシルシ・アーサナをがんばる姿が見られました。なかなか思うようにできない中で「Tさん、やってみせて〜」と声が上がり見本を見せてもらう。きれいに立てた姿に拍手! 「私もがんばりたくなる!」とまた次に向かう気持ちが芽生えてくる。
お互いに声をかけ合い進んでいく様子がとても微笑ましく、真剣ながらもリラックスした雰囲気がある中央公会堂クラスの皆は元気いっぱい。
思いやりのあるクラスにいられることがとても嬉しい! みんなありがとう〜。これからも一緒に進んでいきましょう!

シャチー


理髪師と貴公子

久しぶりに本願寺出版社の「ブッダ」より、その教えをご紹介しています。

理髪師ウパーリが最後の王子の髪を剃り落とすと、七人の王子たちは互いに笑顔を見せ合い、身につけていた宝石の指輪や腕飾りを外し、きらびやかな衣服を脱いで修行者の衣を着た。

 

アーナンダやデーヴァダッタ、アニルッダら、シャカ族の王子たちは髪を剃り落とした後、出家の許しを得るために両親に挨拶をしに引き上げていった。王子たちが去った後、出家を望んでいた理髪師ウパーリは自分の髪を剃り、修行者の衣をつけて、ブッダと弟子たちが滞在している場所を目指した。

「ブッダよ、私は理髪師をしております。王族ではありませんが、どうか、私を出家させてください」
「ウパーリよ。お前が理髪師であろうと王子であろうと、このサンガではなんの意味ももたない。真摯に道を求め修行に励むものであれば、私は喜んでサンガに迎えよう」
ウパーリは長老シャーリプトラに導かれ、出家の手続きを経て正式にサンガの一員となった。 

ほどなくして、シャカ族の七人の王子たちが両親の許しを得てブッダのもとにやってきた。
「お前たちは新参者だ。サンガの先輩たちに作法通りに挨拶をしなさい。それができなければサンガに加わることは許されない」
ブッダにこう言われ、七人の王子たちが次々に挨拶をしていくと、最後にさっきまで理髪師をしていたウパーリが修行僧となって目の前にいる。王子たちは困惑し顔を見合わせた。
「どうした?なにか不都合でもあるのか」
長老が声をかけると、七人の王子たちは首を横に振った。
「なにもございません」
王子たちはウパーリに丁寧に頭を下げ挨拶をした。理髪師と軽んじていた男に礼をするのは屈辱だったが、それに耐えなければ出家はできない。
「見事だ。シャカ族の修行僧は高慢の心に打ち克った」
ブッダはいつになく弾んだ声を上げた。
こうしてシャカ族の王子だった七人の修行僧はブッダのサンガの末席に加えられた。

「ヨーガの福音」の中で、師はブッダの教えについて説かれています。

彼の教えの特徴の一つは「小さな虫も人間もすべては仏性を有した尊い存在であり、一切万物は平等である」というものです。その当時のインドはブラーフマナ(カーストの最高位である僧職階級)が力を握っていた。彼は「ブラーフマナもシュードラ(カーストの最下位の奴隷階級)も違いはない。人は皆、平等である」と最初に言った人です。

インドにはカースト制度という厳しい身分制度があります。その中で生まれ育った王子たちが、奴隷の身分の者に頭を下げるということは、その心に非常な衝撃が起こったことだろうと思いました。それまで常識だと思っていた心の観念は一瞬にして壊され、「人は皆、平等である」という真実を受け入れたのだと思いました。
ヨーガを実践し、師から真実の教えを授かると、心は何かにはっと気付き、目から鱗が落ちるような出来事がたびたび起こります。そのたびに心はこだわりや固有の観念を少しずつ手放していって、真実に目覚めようといるのだと思いました。ブッダのお弟子さんたちも同じようにそうであったに違いないと、彼らのことをとても身近に感じ、そして真実の教えを行為するということが本当に大切なことなのだと知りました。

ダルミニー


ヨーガはライフワーク

シュリー・マハーヨーギーは昨日台湾からご帰国されました!初めての師の台湾ご訪問でしたが、実にたくさんの道を求める台湾の人々が真実の師に巡り会えたことに歓喜し、師の存在と教えに魅了され、ヨーガの道に一歩足を踏み出そうとしているようです!彼の地に新しいたくさんの仲間が増えることを、心から嬉しく思いますし、これからが本当に楽しみですね!師との吉祥な縁によってヨーガが一層台湾に根付いていくことでしょう!すぐにブログでもご紹介できればと思います。

そして、師は今週末は松山での特別サットサンガに向かわれます。松山ヨーガ・サークルにて、5月20日(土)14:00〜16:00、5月21日(日)14:00〜16:00の2回行なわれます。とても貴重な機会ですので、皆さん、ぜひご参加ください!

さて、その松山に17年前に師と共に初めて訪問した際、師から「ヨーガはライフワークです」と言われたことを鮮明に覚えています。実はその時はよくわからなかったのですが、最近はその意味を実感します。今日はそのことについて書いてみたいと思います。

ライフワークとは、生涯をかけて成し遂げる仕事という意味です。畢生(ひっせい)の事業です。師はヨーガを成そうとすることは大事業だと言われます。

この社会のどんな事業も人の心が欲して成し遂げられ、人々に影響を与えますが、その心そのものを浄化し、人間を完成させるヨーガは、時を越えて多くの人々に恩恵をもたらす大事業になるということです。ブッダが成し遂げられたことは2500年経った今なお人々に恩恵をもたらし続けています。

それに気づいたのは、ナーグ・マハーシャヤというシュリー・ラーマクリシュナの直弟子の生涯を記した伝記『謙虚な心』を読んでいる時でした。ナーグ・マハーシャヤの生涯は、神への信仰とはどういうものなのか、そして謙虚さとはどういうことなのかを、人々に伝えるために捧げられたものだと思いました。神への純粋な信仰に生き切ったナーグ・マハーシャヤの生涯は、不滅の力をもって、私たちに真理を伝える力を持っています。その力は衰えることなく、未来に渡って道を求める多くの人間の魂を呼び起こし、心を変容させる力を持ちます。


ナーグ・マハーシャヤ

誰でもが、神への信仰や謙虚さを語ることはできるし、パートタイム的に行動することもできるけれど、その本当の意味は、生涯をかけて生きることで初めて伝えられることなのだと思いました。思いや言葉、行動の全てが100%それになって初めて、存在そのものが純粋な信仰となり、謙虚さそのものとなり得るのでしょう。それは生涯を捧げることによってしか成し遂げられないことなのだと思いました。それまではどれほど言葉巧みに語ろうと、単なる戯言に過ぎないのかもしれません。

ナーグ・マハーシャヤの生涯は、どこまでも神の僕であり、謙虚さが人の姿をとって顕れた存在だったのです。何の説明がなくとも、人は彼に会っただけでそれを感じざるを得なかったのです。

聖者と呼ばれる方々の生涯は、まさに真理の中に、神の中に生きた生涯であり、その尊い足跡は、永遠に輝き続けるのだろうと思います。ヨーガとはそのようなものであり、ライフワークとして、生涯をかけてやり遂げる理想と志を持つことがとても大切なことだと思いました。

サーナンダ


ブラゴパーラ vol.3 「釘抜地蔵 石像寺」編

今回のブラゴパーラは、「釘抜(くぎぬき)地蔵 石像(しゃくぞう)寺」に行ってきました😎🙏


ここは、自宅のシャーンティ庵から徒歩3分のお寺で、前回の「千本ゑんま堂」からもすぐのところにあります。
門を入ると、まず正面にニッパーのようなオブジェがあります。

このオブジェ、堂本印象の作品のようです。

実はこれ、和釘を抜く道具「えんま」というもので、閻魔様がこれで嘘をつく人の舌を抜くことから、えんまと呼ぶそうです……😨
そしてお寺の壁一面には、このえんまと釘の絵馬がびっしり😲‼️


この釘抜きは「苦抜き」を意味しており、ここのご本尊のお地蔵さんが人々の苦しみを抜いてくれるということから釘抜地蔵と呼ばれているそうです。

ところで皆さん、「苦を抜く」と聞いて、思い浮かぶことは何でしょうか?
やはりブッダの教え、苦集滅道でしょうか?
私は最近、パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』を読んでいるため、ヨガナンダが師スリ・ユクテスワと過ごした10年間を振り返った次の言葉が思い出されます。

「先生は、まるで虫歯を一つ一つ探し出しては強引に引き抜くように、私の欠点を取り除かれた。執拗な自己中心主義の根は、このような手荒な手段でなければ、なかなか根絶することはできない。この根が取り除かれてはじめて、神は人間の中に自由な通路を見いだすのである」

この言葉だけ聞くと、とても苦しそうな師との生活をイメージしますが😅、ヨガナンダはこの時が「最も幸福な時であった」とも振り返っています。
このヨガナンダの言葉から霊性の師というのは、歯医者さんが虫歯を抜くように心の苦しみの原因であるエゴを抜いてくれる存在であると分かります。
そしてまた、虫歯にならないような生活習慣(甘い物を控える食生活や毎日の歯磨き)、つまり日常の心・行為の制御や、聖典の学習・アーサナ・瞑想のクリヤヨーガを教えてくれる存在でもありますよね。

私自身、アーサナを始めた頃は毎日行なうことがキツかったのですが、アーサナが終わった後はいつも清々しく、その感覚は歯磨きをした感覚に似ていました。
毎日歯磨きするように日々、霊性の実践に努め、心の虫歯ゼロを目指したいですね✨
ちなみに私の歯の方は20年近く虫歯ゼロです、ハハッ😁✌️

プラサーディニー&アヤノ🌸 4/11撮影

ゴパーラ


ヨーガの福音 〜カルマ〜

皆さん、こんにちは

皆さんが待ち望んでいた「ヨーガの福音」が装丁も新たに再版されました。この本はコンパクトなサイズになっていて、バッグの中にいつもしのばせておくことができます。なにげなく開いたその一ページが、あなたにとって重要なバイブルとなっていくことでしょう。

今日、ご紹介する「ヨーガの福音」はカルマです。

カルマとは作用と反作用、原因と結果のことです。
「蒔いた種は刈り取らなければならない」ということです。
今日は昨日までの結果です。
今日の原因が明日の結果となるのです。
だから「今」を生きなさい

          サットグル・シュリー・マーハーヨーギー・パラマハンサ

 「自業自得」、「因果応報」、この言葉と法則は、誰もがもうすでに知っていることだと思います。私は昔、「因果応報」という言葉を初めて知った時、それを試してみました。人に優しくするとどうなるか試してみたのです。それは単純なことでしたけれど、確実に自分に返ってきました。そして、それはおもしろいほど本当の事でした。そしてそれは、自分のことしか考えていない人、人を押しのけてまで自分が得をしようとする人には、その人が困った時に助けを求めても、誰も手を差し伸べてくれないということも教えてくれました。「因果応報」、「自業自得」の理は、この世界で山ほどありますよね。師は、この単純な因果の法則のもと、悪い結果を招きたくなければ善くしていくことであるし、そして人がその努力をしているのか、していないのかだけの問題なのだと教えてくださっています。

師は説かれます。
昨今、騒がれている環境問題というのは、人類の歴史そのもののカルマの蓄積が結果を迎えているというふうに見なすことができます。それは快適さという幸福を求めた結果の自然破壊であったり、社会の混乱であったり、あるいは犯罪もまたそうです。犯罪にはもちろん、個人的なものもあれば戦争という巨大な犯罪もあります。すべては悪徳を原因として生じたものだと思います。人類と一口に言っても、それは一人ずつの人間の集まりですから、一人ずつのカルマを無くしていく他ありません。まさにそのカルマを無くす作業こそがヨーガでもあります。無益な欲望を無くしていくこと、知足という足りたるを知ること、さらには献身奉仕という有徳の行為を積むこと、これらはすべてヨーガの主要な柱であり、それがカルマを無くしていくことになるのです。

宇宙の理を知り、ヨーガを学び深めていくことがカルマを超越する道であり、そしてそこに自らの真実が存在していると師は教えてくださっています。その教えを深く信じ、生きる支えとして、私は今日もヨーガを実践しているのです。

ダルミニー


アーサナの体得

「あなたがたは、しるしと奇跡を見なければ、信じないであろう」

これはイエスの言葉です。
『あるヨギの自叙伝』のいちばん最初のページにも、この言葉が引用されています。
では、「しるしと奇跡」とは一体何なのでしょうか?

先日、ニューヨークからサーディヤーという弟子が京都にやってきました。
サーディヤーは2011年に師シュリー・マハーヨーギーと出会い、ヨーガを始めてわずか5年でアーサナを習得したとても凄い方であります。
その彼女が先週の滞在時に、アーサナ・瞑想のデモンストレーションを行ないました。
15ほどのアーサナを実演しましたが、以下がその一部です。

彼女のアーサナは、私にとって衝撃そのものでした。
サーディヤーがアーサナを始めると、瞬く間にその空間は彼女のプラーナで支配されました。
強烈なアーサナにもかかわらず、彼女の呼吸は静止していました。
こちらが息をすることをおそれるほどの、すべてが極まったピークの状態!
その姿・形相は、革命家ジャンヌダルク、また女神カーリーを彷彿とさせました。

「すべてを捧げる」

印象に残ったサーディヤーの言葉です。彼女は「神」と「自分自身の成長」のみを求め、そして師と出会い、日々のアーサナにすべてを捧げたそうです。

このデモンストレーションの数時間前、プライベート・サットサンガが行なわれました。
その時サーディヤーは、「社会が修行者のことを知り、尊ぶにはどうしたらよいか」と質問をし、師は次のように説かれました。

「人はしるしを見なければ理解できないから、あらゆるしるしを見せよう。いちばんいいサインは、その一人づつの弟子の身体です」

それを聞いて私は、「しるしとは単に、イエスの奇跡的な行ないだと思っていた」と話すと、アーナンダマーリーさんは言いました。

「弟子がいちばんのミラクル(奇跡)!」

師のなさる「しるしと奇跡」を目の当たりにした啓示的な1日でした。

アーナンダマーリー&サーディヤー🌸

ゴパーラ


大切にしている言葉

「一枚の草の葉よりも謙虚で、木のように忍耐強く、逆風に耐えるものであれ。人から名誉を受けることを拒み、すべての人を心から敬うものであれ。主の御名を絶えず唱えよ」

今日で8年努めてきた利用者さん宅での仕事が一旦終了しました。(私はヘルパーの仕事をしています)8年間、多い時で週に2日は一緒に夕食を食べ、並んで寝て、朝の時間を過ごしてきました。お昼勤務の時は車いすを押していろいろなところへ行きました。旅行にも行きました。考えてみるとお互い半分は家族のような存在になっていたように思います。

若い頃、障碍者自立運動をしていた彼女はヘルパーにとても厳しい人で、勤務が始まって何年かはよく怒られました。でもそれによってヘルパーとしてのあり方を教えてもらったように思います。教えられた数々のことにより、私がこれまでヘルパーとして仕事を続けてこられたといっても良いと思います。

さて、冒頭に書いた詩は中世の聖者、シュリー・チャイタニヤが残した詩の一節です。
いろいろなことがあった8年間でしたが、心に葛藤が起こるたび、思い起こされた一節です。
実際、このようであることを強く望まれる現場であり、このようでなくては耐えられないような現場でもありました。でも今では、どのような現場でも、どのような仕事でも、常にこのようにあれば良いのだと理解できます。その理解はまだ頭の理解なので、常にそうあるようにトライし続けているという状態です。

初めて読んだ時は、到底できるものではないと拒否反応すらありましたが、少しずつ、少しずつ心に浸透させていくことで、今ではこの世界の中に生きる上で、心の苦しみから逃れる唯一の手だてだと感じています。担当する現場が変わっても、同じ思いで仕事を続けていこうと思っています。


ヨーガの福音 〜あなたは真剣か〜

皆さん、こんにちは
春ですね。この時期、桜が本当に美しいですね。古来、桜の木は花王と称せられ、国花とされて守られていたようです。桜にはいろいろな種類があり、次々と咲き乱れては、私たちの目を楽しませてくれます。そうした後に、儚げに散りゆく桜もまた美しいものですよね。

さて、お知らせです。長らく絶版になっていた「ヨーガの福音」、みんなが待ち望んでいた「ヨーガの福音」が装丁も新たに再版されました。この書は私たちの師である、サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの珠玉の教えが、シュリー・マハーヨーギー自らの手によって抜粋、編集、製作されたものです。この本はコンパクトなサイズになっていて、バッグの中にいつもしのばせておくことができます。なにげなく開いたその一ページが、今のあなたにとって重要なバイブルとなっていくことでしょう。

ヨーガを学び始めた頃、手にした「ヨーガの福音」、そして最初に開いたページ、そこにはこうありました。

あなたは真剣か 

まだ悟りへの情熱が不十分です。三日でもいい、寝ないで「自分は本当にこの人生で何を望んでいるのか」、「自分自身は一体何なのか」を問いかけてみなさい。生きているということは何なのか、ただ食べて寝て、そして死ぬだけなのか……これこそ恐ろしい話です。私たちは永遠の命なのです。そんな限定された命に満足するはずがありません。そんなちっぽけな人生の成功や失敗を恐れる必要はありません。幸福も不幸も塵ほどにもならない。皆さんは悟りに関して、あるいはヨーガに関しての知識は随分お持ちだと思います。でもまだ実体験は赤子のようです。頭だけでやっているからです。そうではない、悟りは「体得」と言われます。体全体で実現するものです。そう、体がなければ実現できないのです。それが人生の、生まれてきた大きな目的です。悟りにあっては体も心も消えていきます。でもそこまでは役割があるのです。生きざまそのものを、一日一日、一瞬一瞬の生き方を真剣になさい。

              サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

 

「あなたは真剣か」最初に目に飛び込んできたこの教えにどきっとしました。そしてこれは「真剣にヨーガを学びなさい」というメッセージなのだと思いました。私はそれまで、正にここに書かれてあるように、食べて寝て、遊んで仕事して、それだけでいいのかな?他にすることがあるんじゃないのかなと思っていたのでした。そして師と出会い、私たちは永遠の命なんだよ、それを体得することが生まれてきた目的なんだよと教えていただいて、俄然生きていることが嬉しくなりました。他にすることってヨーガだったのね、そっちの方が大事だったのねと思ったのです。「真剣」とは、自分が取り組んでいること、自分の生き方に対して、手を抜かず夢中になること、ひたむきに、真摯に向き合うこととありました。

「あなたは真剣か」この言葉に再び励まされ、私は初心を思い出し、前だけを向いて、ただひたすらヨーガの道を歩んで行こう、そう思うのでした。

ダルミニー


歓喜の春の祝祭! サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー!

2017年4月8日(土)、偉大な主ブッダのご聖誕日に、マハーヨーギー・ミッション主催、
第1回 サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー -神性示現大祭-
が開催されました。

美しい桜の花に包まれたプレーマ・アーシュラマ*には、日本各地、そして遠くはニューヨークと台湾から大勢の人々が歓びを胸に集まり、永遠の真理(サナータナ・ダルマ)と主ブッダを始めとするアヴァターラ(神の化身)のご聖誕を歓び、感謝と誓いを捧げました。
*昨年5月に開設されたプレーマ・アーシュラマは、京都市右京区龍安寺にあります。


きぬかけの路から仁和寺の横を通ってゆるやかな坂道を登っていくと、会場のプレーマ・アーシュラマに到着します。途中、咲き誇る桜の花に包まれます!お二人様ご到着。この日は、仁和寺山門に集合し、散策をしながら団体で来られた人も多くいました。皆歓びを胸に集まってきました。


プレーマ・アーシュラマ全景。アーシュラマと呼ばれるにふさわしい品格を備えています。この日は、洒落た数寄屋造りの門の前にサハスラーラの旗が翻っていました。受付には10人の神の化身が皆を迎えてくださいました。この絵は、20年近く前に弟子の一人が描いたものです。


たくさんの人々で溢れかえってきました。皆笑顔一杯です!台湾からも5人のグルバイ(兄弟姉妹弟子)が駆けつけました。


2階のベランダからは京都市内が一望でき、京都タワーも見えます!桜も美しい!


玄関を入ると、庭に咲いていたサンシュユ(春黄金花)と極楽鳥が出迎えてくれます。外の桜の花にも負けない見事な生け花です!


生演奏の素晴らしい調べが会場を包みます。ハートの奥から喜びが湧いてくるようです!

歓喜に始まり、歓喜に包まれ、歓喜が溢れ出した歓びの祝祭になりました!

一輪の花の中にも真理はあると師は言われます。人の中にも、あらゆるものの中に唯一なる永遠の存在がある。名前も形もない存在だけれど、それだけが在り、その唯一なるものが万物として顕現している!しかし、無知というものがやってきて、人はそれを忘れてしまいます。

アヴァターラは、100%真実そのものが人の形となって顕れた存在です。

真理が衰え、非真理が起こるとき、私は常に自らを顕す。善き人々を救い、悪しき人々をなくすため、そして真理を確かなものとするために、私は時代ごとに現れる。

この主クリシュナの宣言の通り、世が乱れ、真理が忘れ去られようとするとき、アヴァターラたちは地上に降り立ち、人々を救済し、永遠の真理へと導いてきたと言われています。

この日は、ヨーガの伝統の中で登場した主ブッダを始めとするアヴァターラ*について思いを馳せながら、最愛の師、シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの存在と使命を改めて思い起こし、弟子たちの祝辞を捧げました。*主クリシュナ、シュリー・ラーマクリシュナ、ババジ、ラマナ・マハリシ

日頃から熱心にヨーガを実践し、サナータナ・ダルマを行為し続けるヨーギニー、ヨーギーたちの純粋な志に触れ、歓喜が渦巻くように高まり、参加された方は、大いに笑い、大いに泣き、大いに歓喜しました!本当に稀に見る、歓びの祝祭となりました!


吉祥なこの日に発行された『ヨーガの福音』と祝祭の記念品が奉納され、披露されました。師の珠玉の教えが記された美しい装丁の聖なる書籍に魅了され、そしてサプライズの記念品には大いに沸き立ちました!『ヨーガの福音』については、Webサイトでもご注文いただけます。

少しでも当日の様子をお伝えできていれば嬉しいのですが、詳細な内容は、機関誌『パラマハンサ』5月号にてご報告させていただきます。

ありがとうございました。

最愛の師とすべてのアヴァターラに、そしてご参加された皆様、ご賛同くださった皆様に、心より感謝を申し上げます。

ジャイ サナータナ・ダルマ アヴァターラ キ ジャイ!!!

サーナンダ拝


ブラゴパーラ vol.2 「千本ゑんま堂」編

「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」

今回は、こわ〜い閻魔様😡がご本尊の「千本ゑんま堂(引接寺)」に行ってきました〜😎🙏

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お香の馥郁な匂いと神秘的な音楽が静かに流れ、何だかインドの寺院を訪れたような、ローカルな雰囲気が醸し出されている境内。
閻魔様は格子戸の奥におられ、入り口は左手にありました。

「閻魔様はあの世の裁判官なんです。だから普通のお寺のように正面が入り口ではなく、裁判所のつくりで入り口は横からなのです」

案内の方がそう話していました。
なるほど、閻魔様は裁判官💡
あんな怖い顔をしているけれど、実は公正中立なお方のようです。

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両脇には書記・検事の司録尊・司命尊がおり、まさに裁判所。

閻魔様は、死者の生前の行ないから来世の行き先を裁決します。
その際に、閻魔帳という死者の生前の行ないが記された帳簿と、それらが映し出される浄玻璃鏡(じょうはりきょう)を用います。

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因果応報の理や輪廻転生を信じない人でも、この閻魔様のお話は不思議とリアリティを感じさせるのではないでしょうか?
ではもう少し、この閻魔様について迫ってみたいと思います。

閻魔様のルーツは、ヤマ神というインドの神様です。ヤマ神は「人類の中で最初に死んだ人であり、そのため、死の国において王となって、後に死んでくる人たちの導きをした」と師から教えていただきました。また、ヤマ神のヤマは制御という意味で、ラージャ・ヨーガで説かれている八支足のヤマ、ニヤマ、プラーナーヤーマ、サンヤマ、これらすべてもヤマ(制御)とのこと。確かにラージャ・ヨーガのメインテーマは心の制御ですよね。
そこで、ラージャ・ヨーガの第一項目の「ヤマ(禁戒)」の教えを見てみると、

⑴非暴力 他者に対していかなる苦痛も与えない
⑵正直  他者に対して嘘をつかず、誠実で正直であること
⑶不盗  他者の何ものも盗まない
⑷純潔  純潔であること
⑸不貪  最小限度の必需品以外を持たず、他者から贈り物を受け取らない

であります。
一見すると、どれも道徳的なことのように思いますが、ヨーガを実践すると、どの徳目も真理に根ざしていると実感させられます。「正直」を取り上げると、正直とはただ単に嘘を言わないという消極的なことではありません。嘘の反対は何かといえば「真理」、つまり真理に生きることが嘘をつかない正直さ・誠実さということになります。煩悩や欲望をもっていれば、それは真理に反し、そして地獄という苦しみへとつながっていきます。「煩悩や欲望は苦しみなので、もたないようにしましょう」と言われても、なかなかピンときません。でも、この閻魔様のお話は少なからず死後の世界や行ないの果報のリアリティを感じさせ、「心の制御」が喚起されます。

私は以前、師から心の制御に必須の「識別」について次のように教えていただきました。

「法律家が法を基準に物事を判断するように、識別は真理を基準に行なう」

もし真理に生きたいのであれば、心に閻魔様のような厳正かつ公正中立な真理の裁判官を置き、心の制御に努めたいですよね。それこそが苦しみから解放される、本当に楽しい人生だと感じます。

「閻魔様って、人々が苦しまないように真理に導いてくださっていて、本当はいい人なのでは?」
😡⇒😇
このように閻魔様の印象がチェンジした今回のお散歩でした。

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日本では、お地蔵さんの化身が閻魔様と言われています。

※新しいタイトル「ゴパーラが行く」が不評だったため、「ブラヨーヘイ」を引き継いで「ブラゴパーラ」にします……今後ともどうぞよろしくお願いします🙏

ゴパーラ👶