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『あるヨギの自叙伝』を読んで(3)――バドリ・マハサヤ――

「僕はゆうべ、ある集まりで、ヨギが床から1メートル以上も高く宙に浮かぶのを見たよ」
ある日、友達のウペンドラがやってきて、得意そうに言った。
私(ヨガナンダ)はにっこり笑って答えた。
「それ、誰だか当ててみようか。アパー・サーキュラー通りのバドリ・マハサヤだろ?」

今回は、空中に浮揚する聖者バドリ・マハサヤをご紹介したいと思います。

「ヨギは、ある種のプラーナヤーマーを行なうと体重が軽くなってしまうんだ。だから空中に浮いたり、蛙のように高く飛び跳ねたりすることができるんだよ。聖者の中には、正式のヨーガの行法を行なわなくても、神に対する信仰心が高まったとき、自然に身体が浮かび上がる人もいるそうだよ」

『あるヨギの自叙伝』の中では、空中浮揚に関してこのように述べられています。
しかしヨガナンダは、バドリ・マハサヤの空中浮揚についてはこれ以上触れず、この聖者の「放棄の精神」、そして「神を知覚すること」について書き記しています。
すでに子供の頃に莫大な財産を放棄してヨーガの道に入ったバドリ・マハサヤに、弟子は次のように話します。

「先生が、ご自分で神を求めるために、またわれわれを導いてくださるために、ご自分の財産や世の楽しみをすべて棄ててしまわれたことは、本当に感嘆にたえません」
聖者は穏やかに弟子の間違いを指摘します。
「私は、永遠の至福に満ちた大宇宙を手に入れるために、取るに足らないわずかなルピーとつまらぬ快楽を棄てただけだ。私は何も、自分の欲望を押さえ付けたわけではない。おかげで私は、天の財宝の分け前を楽しんでいる。それがどうして犠牲といえよう」

私は以前、ある方から「自分の人生は、我慢の人生であった」という話を聞くことがありました。
その方は特にそれを自慢げに話していたわけでもありませんでしたが、仕事と家庭のために人生を送ったと言っていました。
後日、私は師に「その人は仕事や家庭の義務を果たしたということで、カルマはなくなったのでしょうか?」と尋ねると、師は次のように答えられました。

「その我慢した何かが、次の生涯に引き継がれる」

何かを我慢した、犠牲にしたという心の思いすべてはカルマとなり、輪廻転生となる――つまり心の思いは、輪廻からの解脱という真実在の神の実現を阻む不要なものだといえます。

では、神の実現に不可欠なものは何なのでしょうか?
やはり、瞑想でしょうか?
バドリ・マハサヤは若き日のヨガナンダと瞑想をした際、

「お前はよく瞑想するようだが、アヌバーヴァ(実際に神を知覚すること)は進歩したかね?」

と言い、神よりも瞑想を愛してしまわないようにと教えています。
そして弟子の集いの中でバドリ・マハサヤが、華やかな宮廷生活を棄て修行者の仲間に入ったミラバイの詩を引用していたことを、ヨガナンダは書き記しています。
最後に、そのミラバイの詩を紹介したいと思います。

毎日水浴することによって
もし神を知ることができるならば
私は深海に住む鯨になろう。
木の根や草の実を食べることによって
もし神を知ることができるならば
私は喜んで野を駆ける羊になろう。
数珠を手にすることによって
もし神を見いだせるならば
私は巨大な数珠をもって祈りを捧げよう。
石像の前にひざまずくことによって
もし神を悟れるならば
私は地にひれ伏して石の山を拝もう。
ミルクを飲むことによって
もし神を受け入れることができるならば
子牛や緑児こそ神を知る者であろう。
妻を棄てることによって
もし神がわがものになるならば
多くの人が去勢されることを望んだであろう。
ミラバイは知っている
神を見いだすには
愛こそ唯一不可欠なものであることを。

手段に執らわれず、神への思い、それだけを純粋にしていきたいと切に願います。

 

ゴパーラ


松山にシヴァ神到来!?

先週の9月16日(土)、9月17日(日)にサーナンダさんが瞑想特別クラスとサットサンガのため、松山ヨーガ・サークルに来てくださいました!ちょうどその週末に大型台風到来という情報がありましたが、有難いことに予定通り無事に開催することができました。

初日の瞑想特別クラスでは「布施について考える」というテーマでお金への執着がなくなったらどうなるか、ヨーギーを見倣う生き方を学びました。私自身が最も印象に残ったサーナンダさんの言葉は「ヨーガの極意は執らわれないことです」という力強い一言です。サーナンダさんは具体的に私たちが何に執らわれているか、どうすればいいのか?を丁寧に説いてくださいました。ヨーギーの生き方の何と清々しいことか!憧れずにいられなくなるような内容でした。

講座後の感想をご紹介します。
「お金に対しての教えでしたが、教えていただき自分のカルマ(因果応報の法則)を取り除けてないこと、欲望の生活を送っているのがたくさん見えました。聖者の生き方からお金に対する無執着を教えていただき、お布施の本来の意味を知り熱い思いが常に自分を奮い立たせることだとわかり魂を感じる会でした。実践していきます」
「生活、生き方を志の実現のために整え、行為していくということを教わり、布施ということに限らず、一瞬一瞬の言葉や思い、選択をどれだけこの意識に向けられているだろうと反省します。もっと情熱をもって真剣にもっと精一杯整え、行動していきたいです」
そして、長年ヨーガを実践している方は「最近、お金をあまり使わなくなったのでなるほどと思いました」という感想もありました。


台風にも関わらず30名以上の方が参加されました。

2日目のサットサンガの中で印象に残った話をご紹介します。

上司との関係に悩むMさんは、上司に認められたいという思いを棄てるにはどうすればいいのか質問しました。
サーナンダさん「輪廻転生と言いますが、昨日が前世、今日が今生、明日が来世と、毎日に例えられます。すると、今日考えたり悩んだりしていることは、だいたい昨日も同じことを考えたり悩んだりしていたと思いますし、たぶん明日も同じことで悩んでいるでしょう。それと同じように、今生で直面している問題や悩みですが、多分前世でも同じ問題で悩んでいたでしょうし、このまま行けば必ず来世でも同じことを繰り返すに違いない、と私は思うのです。そうすると、それは嫌だから今生で何とかしないといけない、それならば今を真剣によりよくしていくしかないと思うのです。

Mさんの場合も、このまま行けばまた来世でも同じようなことを繰り返してしまうでしょう。それは嫌でしょう!それが嫌なら、真剣にヨーガをやっていくしかないです。ヨーガをやっていくことで心が変容します。心が変容すれば必ずそれに接する人の反応が変わります。それによって状況も変わっていきます。具体的に言えば、余計なことを考えず、淡々と仕事に励むこと。そして、ヤマ(禁戒)、二ヤマ(勧戒)で行為を整え、アーサナによって呼吸を調え、聖典の学習や瞑想によって心を調えていけばいいです。そうすれば思いも状況も必ず変わっていきます!

生きていればいろんなことが起こります。子供の頃、嫌なことに出会った時、なぜ出会ったのか原因を一所懸命考えたことがありました。すると、一つの答えが出てきました。それは、生まれてきたからだと思ったのです!様々な原因があるかもしれないけれど、その時そこに自分がいたことにも確実に責任があるのですから!生まれてこなかったらそこにはいなかったし、嫌なことも起こらなかった。しかし、生まれてきた以上、どこでどんな目に遭ったとしても仕方がない、自分にも責任があると思うようになりました。ではなぜ生まれてきたのか?自分とは一体なんなのかが肝心なのです。小手先で逃れようとするのではなく、覚悟を決めて今の状況を受け入れて、そうしてやって行けば、いつか転機がやってくるかもしれません。

実際的には、職場の改善を働きかけたり、自分自身についても改善していけばいいと思います。自分にも改善すべきたくさんのことがあるかもしれない。言葉遣いとか行動とか。そうやって実際的に改善していけばよりよくなっていくと思います」

サーナンダさんの気迫のこもった言葉がその場にいた皆さんに、「人や状況のせいにせず、より良く改善していきたい」という情熱が注がれたかのようでした!
その証拠に今回の講座とサットサンガの後日、クラスに来られる方の話す言葉が別人のように変わっていっているのです。
「すごく落ち込んでいたけど、もう後戻りしたくない!身体のことをくよくよ思い悩むよりも、もっと純粋にヨーガだけに邁進していきたい!」
「人に依存していたことに気が付いたので依存をなくしていきたい」

台風が去った翌日、空気がとっても澄んでいて本当に清々しかったです。先日からこのブログでもシヴァ神のお話しが出ていますが、シヴァ神のルーツは暴風雨の神様。そしてシヴァ神は破壊と再生の神様です。サーナンダさんと一緒にシヴァ神が来てくださって私たちのこだわりを破壊し自由にしてくださったのかというくらいクラスに来られる皆さんの表情が変容したのです。しかし、まだまだこれからです。完全な自由に至るまで力強く前進し今までの癖や傾向を破壊し真理とひとつになって新しい命を生きることができますように。

サーナンダさん、シヴァ神とともに来てくださって本当にありがとうございました!
サーナンダさんのハートはヨギさんでいっぱいです。
最愛の師、ヨギさんに心からの感謝を込めて。

アーナンディー


ラーマクリシュナの福音

みなさん、こんにちは
早いものでもう9月ですね。先日、クラスの交流会がありましたが、同じ志をもつ仲間たちが集まり、いろいろな話をすることがお互いの励みとなり、活力となって、ヨーガを楽しく学んでいく機会になりました。今はアーサナや瞑想の実践がしやすい季節でもありますので、さらに深めていきたいものですね。

さて今日は「ラーマクリシュナの福音」より、その教えをご紹介します。

ある日の日曜日、今日も大勢の信者たちがシュリー・ラーマクリシュナの自室に集まっています。彼らの中に一人の新米者、コンナバムから来たサーダカ(修行者)がいた。彼は五十歳を越しているようにみえ、学識について非常なうぬぼれを抱いているように見えた。修行者は顎を天井に向け、身体を直立させて坐っていた。
修行者「師よ、何が道ですか」
ラーマクリシュナ「グルの言葉への信頼だ。人は一歩一歩、グルの指示に従って進むことによって神に達するのだ。糸をたぐっていって目標に達するようなものだ」
修行者「神を見ることはできるのですか」
ラーマクリシュナ「彼は、俗事に没頭している心では知ることはできない。兎の毛ほどでも、『女と金』への執着があったら神に達することはできない。だが、彼は浄らかな心と浄らかな知性、執着の影すらない心と知性によって知ることはできる。純粋な心と純粋な知性と、純粋なアートマンとは全く同一のものだ」
修行者「ですが、聖典に、『言葉と心は、彼の前からむなしく戻る』と書いてあります。彼は言葉と心によっては知り得ないのです」
ラーマクリシュナ「おお、おだまり!人は霊性の修行を実践しないかぎり、聖典の意味を理解することはできないのだ。口先で『大麻』と言ったとて何になろう。パンディットたちはぺらぺらと聖典を引用する。だが、それはなんになるか。大麻を肌にこすりつけても酔いはしない、それを飲まなければだめなのだ。『牛乳にはバターが含まれている』と繰り返すだけで何の役に立つか。牛乳をこごらせ、かき混ぜるのだ。そこで初めてバターが得られる」

シュリー・ラーマクリシュナは聖典を頭の理解だけで終わらせず、実践を通してからその意味を理解するようにと諭されています。私たちの師もまた「ヨーガは実践」と実践の大切さを繰り返し教えてくださっています。師の教え、ヨーガの教えを身をもって体得しなければ、それは知っていることにはならない、実践して初めて日常の行為の中に、ヨーガの深まりの証として現れてくるのだと教えてくださっています。私たちは師の教えを生涯かけて実践し、各々がいかに真実だけのために生きていけるのかを問われているのだと思いました。師の教えに誠実に生きること、それがヨーガの成就につながっていくのだと思いました。

ダルミニー


台北 ヨーガ滞在記

「君の飛行機は、今まさに飛び立とうとしているあれだ!」

ニューヨークの1カ月の滞在を終えた私は、台北乗り継ぎで日本に帰国する予定でした。
しかし、なんとトランジットの台北で飛行機に乗り遅れたのでした😱
それも搭乗ゲートの前にいたにもかかわらず……
ゲートの待合いの人たちが一向に動こうとしなかったため、飛行機が遅れているのだろうと勝手に思ってしまったのがビッグ・ミステイク!
その人たちは別便を待っており、彼らが並び始めたので私も並んで職員にチケットを見せた時には、もう手遅れでした😭✋✈️
航空会社のスタッフがチケットを交換できるか確認してくれましたが、「チケットの変更はできません。空港内で高額なチケットを購入するか、空港内のWi-Fiを使って今日のフライトをネット購入するか、または空港から出て台湾に滞在してチケットを購入する3つの手段があります」という返答……
私は台湾に何度か行かれたことのあるミラバイさんに電話をして相談し、翌日のフライトとゲストハウスの予約をネットで取って台北市内に1泊することにしました。
しかしながら、不幸中の幸いと言えばいいのか、この台北はヨーガの仲間が住んでいるところだったので、日本語ができるプリヤーと連絡を取り、夕方に彼女たちと会うことができる運びとなりました。

ゲストハウスに着いてしばし休憩をした後、台北の地下鉄MRTを利用し、18時に待ち合わせ場所のレストランへ。
突然の来訪にもかかわらず、仕事終わりや忙しい仕事の合間を縫って、プラサーディニー、プリヤー、ラーダー、アヤノの台北に住むグルバイがみんな集まってくれました😭

向かって左がプリヤー、右がラーダー。手前にある菜葉は「空心菜」というもので、茎が空洞になっているそうです。

本場の台湾料理をいただいた後、プラサーディニーとプリヤーが住む台湾ヨーガ・サンガの拠点にお邪魔させていただきました。
美味しいコーヒーとマンゴーをいただき、静かなその空間の中、自然とヨーガ・トークスへ。
台湾の瞑想会では「識別の瞑想」について学んでいるということもあって、彼女たちはその深まりを求めていました。
識別に関して私自身は、「真理を学ぶ」ことと「どう生きていきたいのか?」ということを自らに真剣に問うことがその推進力になると感じると述べ、また今回のニューヨークで師ヨギさんから、「識別ができるかどうかは心がサットヴァ性(透明性の快活な状態)かどうか。サットヴァな心になるには、余計な思いが湧いてこないように日常の仕事やミッション・ワークスを隙なく行なうこと」という教えをいただいたことなどを話しました。
そのようなことを話す中、「ヨーガ以外のことにはもう関心がない。でも、どこかヨーガへの情熱が足りないと感じる」と切実に話すラーダーを見て私は、「識別も大事だけど、ラーダーの場合はヨギさんと会えば大丈夫だと感じる」と言うと、彼女は「私もそう思う!」と答えました。
またラーダーは「台湾のクラスを少しでも京都のその雰囲気に近づけたい」、プリヤーは「台湾語でヨギさんやヨーガの話ができる仲間がいることを本当に嬉しく思う」と二人とも台湾のサンガへの思いを目に涙を浮かべながら話していました。
彼女たちと交流するといつも感じることがあります。それは、

「純粋さ」

この台北での出来事を振り返った時、彼女たちのように師や真理だけを思う純粋さこそが、サットヴァな心であると気付かされました。

まるで夢を見ているかのような、つかの間の幸せなひとときでした😌
台北グルバイの皆様、本当にお世話になりました‼️
真的谢谢🙏🙏🙏
再见吧😁

左からラーダー、プラサーディニー、プリヤー、アヤノ🌺

ゴパーラ


NY ヨーガ滞在記(後編)

「クリシュナの笛は何を象徴していると思う?」

帰国の前夜、師からいただいたゴパーラという法名の由来を私が尋ねた時、師はこのように尋ね返してきました。

私は「分からないです」と苦しく答えると、師はいつになくはっきりとした口調で、

『笛吹けど踊らず』

と言い、次のように話されました。

「この言葉は聖書に出てくるイエスの言葉。それは、『真理を語っても誰も理解しない』ということを意味している。クリシュナの物語はラーサ・リーラーに象徴されるように、満月の夜にブリンダーヴァンの森にクリシュナの笛の音に魅せられたゴーピー(牧女)たちが歓喜して踊る――ゴーピーには夫や子供がいる者もいたが、彼女たちはすべてを放ってクリシュナのもとに集った。ゴーピーは女性として描かれているが、『神以外はすべて女性』といわれるように、すべての人を意味している――クリシュナの笛は真理を象徴し、それを吹くとは真理を吹き込む、つまりインスパイヤを与えるということ。クリシュナとゴパーラは同じ。これからゴパーラはそのように行為したらいい。誠実に、堂々と」

このことを聞いた瞬間、私は驚愕しました。
師が弟子に法名を与えるにあたって、これほどの深い意味と希望を込めていることに――

私は帰国の日、自分の不甲斐なさに反省しきりだったので、師には「身をもって痛感した課題を克服していきたい」と述べたが、師の反応は今ひとつでした。
ただその後、アーサナ・デモンストレーションの活動に話題が及んだ時、師の声のトーンが明らかに高くなっていました。
それだけは感じられました。
そして、

「今日は満月やな。満月飛行、ええな!」

と満月について何回もおっしゃっていました。

帰りの飛行機の中、一睡もできなかったわけではありません。
もちろん、オオカミ男に変身することもありませんでした🐺
しかし、映画や音楽を楽しむ気にはまったくなれず、師と過ごした1カ月のニューヨークでの日々のことをずっと思い返していました。

そしてトランジットの台北の空港に着いた頃、私は「人生の目的」をハートで感じたような気がしました。

今、私のヨーガの境地は満月のように完全ではない。
では、どのくらい月が満ちているのだろうか?
三日月くらい?
そんなことは、もうどうでもいい――
月を照らす太陽は、すでに在るのだから!!!

「真理に生きたい」

それだけ!!!

師の尊い存在と無上のお導きに、深く頭を下げたい。

ジャイ!!! サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ!!!!!

今回の滞在中、師が見つけてくださったゴパーラの神像。

ゴパーラ


NY ヨーガ滞在記(前編)

皆様、ご無沙汰しております。
ゴパーラです。
ブログを1カ月ほどお休みしている間、ニューヨークに行っていました😃🗽🇺🇸
先日の8月10日まで師のヨギさんが約2カ月間に渡ってニューヨークをご訪問され、私も後半の1カ月を同行させていただき、師と共同生活を送っていました。
このブログでは、その時に起こった師とのエピソードを交えて、私の内面の気付きについてご紹介させていただきたいと思います。

私にとっては、7年ぶりとなるニューヨーク。
7年前に2カ月半滞在した時は、腰まであったロングヘアーを「似合っていない」ということで切ることになったり✂️、「体力がない」ということでランニングや腕立て伏せを命ぜられるなど、本当に数多くの出来事が起きました……😅

「今回の滞在はどんな感じになるのだろう?」

何か大きな出来事や変化を恐れながらも期待している自分がどこかにいましたが、今回の滞在はまるで正反対😯‼️
毎日が淡々と、また楽しく過ぎていき、何だか実家で暮らしているような感覚さえありました。
もちろん、できないことや新しくトライすることもあって緊張感はもって生活していましたが、7年前に比べるとそういうことも少なくなっていました。
そんなふうにしてある程度のことはこなしながらも、心中では「何か大事なことが欠けている」とも感じていました。

そんな中、1カ月の滞在も残り数日と迫った頃、朝食後に洗い物をしていると突然、ある思いがよぎりました。

――師への奉仕とは何か?――

お皿を片付けてすぐに師に質問をし、師は次のようにお答えになりました。

「常に気を付けて、相手が何を求めているのかを前もって感じ、必要なことを行為していくこと」

そのお言葉を聞いた瞬間、自分に欠けているものは「それ」だと感じました。
そして師はニッコリと笑われて言いました。

「あと数日ですが、がんばってやってください!」

その後の帰国までの数日間、まさに試されているかのようにそれにまつわる出来事が起こり、他者や物事に対しての配慮が欠けている行為が次々と浮き彫りになっていきました……😓

帰国の日、私は師に1カ月間の滞在のお礼を述べ、「人生の指針をいただいたと感じている。身をもって痛感した課題をこれから克服していきたい」と話しました。
ただ、そのことを話しても師の表情はいま一つでした。
「どうしてだろう?」と思いながらも、その後の話題が私が帰国後に行なうアーサナ・デモンストレーションの活動内容に及んだ時、師の声のトーンが変わりました。

(続く)

7年前に髪を切ったバーバーショップを再び訪れました。料金が$10ほど値上がりして$25でした。そのことをニューヨークの弟子に話すと次のように言われました。 「君のヘアースタイル代とアーサナ・瞑想クラスの料金が同じなのは問題だ」

ヘアカットした翌日、メトロポリタン・ミュージアムへ行きました。ニューヨークの1カ月間で観光したのは、こことセントラルパークの2カ所だけでした😌

ゴパーラ


児童館でヨーガ

縁あって京都のある児童館さんで月に一回のママさんヨーガを行なっています。
参加しているのは、お子さん連れの方がほとんどですが、お一人で参加される方もおられます。
その中で二組に分かれ、一組はヨーガをし、一組はご自分のお子さんと、ヨーガをしている方のお子さんとで遊んで時間を過ごします。その後、交替をするというシステムです。

始める前にお子さんのその日の状態や過ごし方などを報告しあいます。

この児童館のありがたいところは、ヨーガをするお部屋と、お子さんと一緒に過ごす遊戯室とが別にあり、その間に廊下ともう一つお部屋があること。おかげでその時間内は自分の子供たちがどのように過ごしているのかは分かりません。
最初は、お子さんと離れてご自身の時間を持つことに戸惑いがある方もおられるようです。それはそうですよね 😥 。
生後、何カ月目かという赤ちゃんになると、「今日、初めて子供と離れて過ごしました」というお声を聞くこともあるし、2〜3歳を越える子供たちになると、お母さんと離れることが理解できてしまうがため、お母さんがいない時間は大泣きに泣いて待つ、ということもあり、その様子に心を痛めるママさんも少なくないと思います。

それでも毎月来られている方、できるだけ参加したいと願っている方がおられることは本当に嬉しいことです。
一つにはそこに、先生とほかのママさんが、自分の子供をしっかり見てくださるという信頼と安心があります。
また保育時間は、自分の子供以外のお子さんのお世話をすることで、今の悩みを共有することができたり、反対に我が子の成長を感じられたり、すでに成長した我が子の小さな時のことを懐かしく思い出す方もおられるようです。

そしてヨーガの時間は……。普段お子さんを抱っこし、ご家族のためにがんばっているママさんたちには、一人でゆっくり過ごす時間はそうありません。そんな中、一組40分ほどのヨーガの時間は、心身ともにリラックスできる、ご自分と向き合う時間です。
皆さん、アーサナ(ポーズ)をしている時の真剣度が半端ありません 😀 )
また、毎回アーサナ後に5分ほどヨーガの話をさせていただいていますが、そこには日常にいかせることがいっぱい。時折ご家庭で実践されている様子もお聞きします。

アーサナが終わった後は皆さん、ほっこり、すっきり! そうしてにこやかに、大切なお子さんのところに戻っていかれます。そんな様子を拝見しながら、ヨーガも保育も、彼女たちにとってかけがえのない時間なのだろうなぁといつも感じます。

少し落ち着いた空間で、ゆったりとヨーガを行ないます。

余談ですが、この児童館さんとのご縁は、私と他のヨーガの仲間が、あるお子さんの介助ボランティアで入らせていただいたことが始まりです。そして私たちがヨーガをしていることを知った児童館の先生たちはクラスに何度も通ってくださいました。その中で、私たちがやっているヨーガを気に入り、本当に良いものだということを知った上で児童館でのヨーガを開催してくださったのです。だからこそ、ママさんたちに自信をもって勧めてくださっているのだと思います。

これからも少しでも多くの方と、ヨーガのご縁が生まれますように。

シャチー


ラーマクリシュナの福音

暑中お見舞い申し上げます。
暑い日が続いていますが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
前回出ていた美しい細密画で涼を感じることができたのではないでしょうか。 

北海道、篠山、大阪、松山からの報告が続いていますね。あちこちで発散されたヨーガの熱が日本中に広がっているように感じられます。そして今、台湾の滞在から戻られて早々、師はニューヨークの地に赴かれ本当のヨーガ、真実を伝播され続けています。本当のヨーガで世界が変わる日も近いかもしれませんね。

シュリー・ラーマクリシュナ

さて今回は、インドの聖人であるラーマクリシュナの福音よりご紹介いたします。
シュリー・ラーマクリシュナが子供の頃の生活について話されています。

「私が幼かった頃には、カーマールプクルの人たちは男も女も同じように私を愛してくれた。彼らは私が歌うのを聞きたがった。私は他人の身振りや口調をまねることが上手で、それをよくしては人々を楽しませた。女たちは私のために食べるものをとっておいてくれるのだった。私を信用しない人はいなかった。誰もが私を家族の一員にように迎えたものだ。しかし私は幸福のハトのように、幸福な家庭だけをしばしば訪れた。不幸や苦しみの見える場所からは逃げ出した」 

最後の文章を読んだとき、「笑う門には福来たる」ということわざを思い出しました。みなさんのご家庭はどうでしょうか? 

物質界にはグナ、サットヴァとラジャスとタマスという三つの性質があって、サットヴァ性とは照明という光の性質、ものを明らかにするという性質。ラジャスとは常に活動し激しく動き回る性質。タマスはさまざまなものを覆い隠す闇の性質だと教えていただいています。
これを人の心理的な性格に当てはめると、常に楽天的で明るい性質であればサットヴァ性が強く、また心配性とか不安とか憂鬱とかいう気分が常にあるときはラジャス性によってさいなまれている、それがもっと重く病的にまで落ち込んでしまったならばタマス性ということになります。
この三つのグナは常に活動していて、サットヴァ性が強いときもあればタマス性が強いときもありますが、アーサナや瞑想、聖典の学習、そして日常や食事をヨーガ的に変化させていくことによって、サットヴァ性を優勢にさせていくことができるのです。サットヴァ性になると悩みや苦しみを寄せ付けなくなり、心はいつもほがらかで軽快にしていることができます。そしてさらには、それが二元的なサットヴァも超えていくことになるのだと師から教えていただいています。

悩みや苦しみから解放されたサットヴァな状態であり続けること、またそのように努力すること、それが私たちの真実に目覚めていく道なのだと思いました。

ダルミニー


真夏の王宮ーインド細密画

夏本番ですね!京都の夏は今年も暑いです!

昨年もお届けしましたが(細密画)、暑い夏に涼しそうなグレール派細密画です。

今日はちょっとインドの細密画について解説してみましょう。

インドの細密画は大きくは4つに大別されるそうです。

A. ラージャスターン派細密画(西北インド)
B. パハーリー派細密画(西ヒマラヤ丘陵地帯)
C. デカン派細密画(デカン高原地方)
D. ムガール派細密画(東北インド)

A, Bはインドの伝統的ヒンドゥー教系の細密画で、ラージプート派細密画と呼ばれ、16世紀頃〜19世紀初めまで盛んに描かれました。ラージプート族は武士階級なので、宮廷生活を描くとともにヒンドゥ教の多くの神話や文学をテーマに描かれています。
C, Dはペルシャの影響を受けたイスラム教系の細密画です。

インドの細密画は、当時の藩王国の盛衰と大きく関係しており、藩王の庇護の下で発展してきましたが、衰えた藩王国お抱えの画家は次なる藩王国に雇われ、その技法が融合しながら発展してきたと言われています。そして細密画のテーマや画風も当時の藩王の影響を大きく受けています。

ブログで時折紹介している、カーングラ派細密画(1780〜1825)やグレール派細密画(1720〜1800)は、Bのパハーリー派細密画になります。パハーリーとは、山地という意味です。

カーングラとグレールの細密画は密接で、場所もすぐ近くなのですが、優れたムガール画家の影響を受けてグレールで美しく花開いた優雅で繊細な写実主義的な技法がカーングラ派細密画に引き継がれ、カーングラでは藩王の手厚い庇護の下で特にクリシュナとラーダーの愛の物語の数々の傑作が生まれています。

両派の細密画のテーマは、「愛」です。今回紹介するグレール派細密画に見られるように、何と言っても際立っているのは女性の美しさです。女性の体や仕草を見事なラインで描いています。繊細な筆致と豊かな色使い、そして構図が素晴らしい!見事に愛というテーマを表現しています。

真夏の王宮のプールで王女が水浴びをしている様子が描かれていますが、濡れた長い黒髪、ゆったりとした涼しそうな衣服を巻きつけた王女が、暑い夏の日に左手を噴水に入れながら水タバコを吸ってくつろいでいます。侍女が楽器を演奏し、奥の寝室ではベッドを整えている様子まで描かれています。美しい絵ですが、それでもこの絵は、ひたすらいつ来るとも知れない愛人(神)の到着を待っている、恋する乙女(バクタ=神の愛人)の切ない心情が描かれているのです。

バクタは神に恋い焦がれ、その愛はとめどなく大きくなっていきます。ヨーギーの真理への思いも同じように果てしなく大きく大きくなっていきます。その衝動と愛の衝動は同じようなものなのでしょう。

愛をテーマとした美しい細密画をみると、ただちに心に愛の振動が起こります。神と魂の愛の物語は、このようにして人間の愛の形を通して詩や細密画に表されてきたのですね。

暑い夏に少しでも涼が取れますように!そして神への愛の振動が伝わりますように!

王宮も 牧場も 森も 戦場も

この人の世も 天国も

すべては 愛が支配する

愛は主にして 主は愛なれば

サーナンダ


ヨーガ・瞑想特別クラス 〜丹波・篠山のママたち〜

先週の木曜日、篠山へ行ってきました〜!
MAMA YOGA lilāの皆さんとお会いするのは4カ月ぶり。初参加の方も何名かおられ、ヨーガの輪が広がっているのを感じました。
アーサナをされる姿からは、日々子育てで忙しい中でも実践しておられる熱意、このひと時に向き合う集中感がビシビシ伝わってきました。皆さんのきらりと輝く表情、真剣な眼差しがとても印象的でした。

ヴジャンガ・アーサナ(コブラのポーズ)

この日のクラスは、日常のヨーガの実践法(ヤマ・ニヤマ)の学び、基本のアーサナ、練習中のシールシャ・アーサナ(頭立ち)や浄化法のナウリも行ないました。

ヨーガと出会ってからの変化をママたちにたずねてみると……
「コツコツするのが苦手だったけれど、やっていくとできなかったアーサナができるようになり、他のことについても前向きに取り組めるようになった」「子供とすごく余裕をもって向き合えるようになった」「いろんなことが楽になった」「体もすっきりし、食事面でも旬の味が美味しく幸せに感じるようになった」「本当の自分があると思えるようになり、心が乱れることが少なくなった」
などなど、皆さんそれぞれにいい気付きや体験があり、ヨーガの力を実感されていることに私もとても嬉しくなりました。

メンバーの中では、ヨーガを学びたい! 伝えていきたい!というムードが今、高まってきているそうですが、今回はその仲間の一人、シュリー・マハーヨーギーの直伝クラスにも熱心に通っている藤原里美さんの声をお届けしたいと思います。

マードゥリー


今年の2月にヨギさんから、MAMA YOGA lilāという名前をいただいて以来、一人、また一人と引き寄せられるように志を持つ仲間が集うようになり、日毎にヨーガへの熱が高まってきているように感じています。
ヨギさんは、どんな環境であっても誰もがヨーガを実践でき、真剣に求めれば必ず本当の自分に辿り着くことができるとおっしゃいます。
仲間たちも、それぞれに与えられた場所で懸命に生きています。今動ける人が動き、喜びも苦しみも皆で分け合い、助け合ってヨーガの道を歩み始めています。
そんな私たちにとって、マードゥリーさんが足を運んで行なってくださるこの特別クラスは、子どもたちを安心してみてくださるシャラニヤーさんをはじめ、いるかさんたち託児の皆さんのお力添えもあり、母子別室でひたすら自分と向き合えるまさに特別な時間です。

私自身、生きる支えになる確かな何かを闇雲に探し回って心身ともに疲れ果て、あきらてめてしまったことをふと思い出しました。でも、今の私は、ヨギさんのもとに辿り着くことができ、あんなにも探し求めていた、何ものにも代え難い絶対にゆるがないものがすでにあることを教えていただきました。

今日、息子が母の洗濯物をたたみながら言いました。「ばあやんが喜ぶようにきれいにたたんであげたい!!」と。そんな息子の純粋な眼差しがとても嬉しく、ヨギさんがそれはカルマ・ヨーガといってとても素晴らしいことだから、お母さんにも、それをいっぱいいっぱいするようにって教えてくださったんだよと話しました。

これからも今与えられたこの場所で、真剣に求め続けたいと思います。

藤原 里美


一人でも真剣な人がいたなら、必ず縁は広がっていくと、シュリー・マハーヨーギーがおっしゃっていたことを思い出しました。
次回の特別クラスは9月。また皆さんとお会いできるのが楽しみです〜。