ヨーガの実践「心と四つの意識」

皆さん、こんにちは、下鴨ラージャ・ヨーガクラスを担当しているダルミニーです。

『ヨーガの福音』にこうあります。

ヨーガ行者たちは四つの意識があることを発見しています。
1、起きている時の意識
2,夢見の意識
3,熟眠の意識
4,そして、その三つの意識をすべて知っている第四の意識
その証拠に今あなたの心はその意識によって観られている。通常は第四の意識が心に同化してしまって分からなくなっている。

第四の意識とは、純粋で、永遠の意識だといわれています。ではこの第四の意識とはどんなものなのでしょうか。
私は子供の頃、自分の事しか分からないということが不思議でしかたなかったのです。
なぜ私は、大好きなあの子の事を知らないのだろう。なぜ私はお父さんやお母さんのことが分からないのだろう。
こんな事、当たり前すぎて大人に聞く事ができませんでした。でもヨーガを学んで、その謎が解けたんです。私の心は第四の意識によって観られているのです。

例えばあなたはあの時、嬉しくて、嬉しくて、この世で最高の幸せ者だと飛び上がらんばかりの喜びに包まれました。私はその事を知りません。でもあなたはその事を全部知っています。それが第四の観ている意識です。
例えばあなたはあの時、悲しくて、悲しくて、御飯も食べられないくらい落ち込み、最低な気持ちを味わいました。私はその事を知りません。でもあなたはその時の心を知っています。それが第四の観ている意識です。
例えばあなたはあの時、とても怖い目に遭いました。どうしていいか分からないくらい混乱しました。私はその事を知りません。でもあなたはその時の心をよく知っています。それが第四の観ている意識です。
例えばあなたはあの時、この世で最も尊敬する素晴らしい人と出会いました。あなたは昨日とは全く別の人生を歩む事になったのです。私はその事を知りません。でもあなたはその時の心を知っています。それが第四の観ている意識です。

私はこの第四の意識にふれた時、「あー、私は一人ではなかった。この意識はずっと子供の頃から、いやもっと以前から共にあり、見守っていてくれていたのだ」と感謝の念がこみ上げました。しかしこの意識は心と同化してしまっているので、なかなかその意識に留まり続けることができません。師は本当に徹底的に目覚めるためにも、一連のヨーガの修行をやり続けることが必要だとおっしゃっています。

ヨーガの日常の行為の中で、慈悲喜捨の態度を培うことが大切であることは皆さんもご存じでしょう。慈悲喜捨とは、他の幸福を喜び、不幸を憐れみ、他の有徳を歓び、不徳を捨てる、簡単なようでなかなか難しい事かもしれません。ではなぜこのような行為が必要なのでしょうか。

『ヨーガの福音』はさらにこう続きます。

私はこの体でもなければ心でもない、それを知っている、観ている純粋な意識。この世界での経験はいわばそれを教える材料です。真実を悟ることが目的です。私たちは皆、一人ずつ神聖な存在なのです。

私たちは純粋な意識そのものだと教えられます。純粋であるということは、単純に不純ではないということですから、心を常により良く、清らかにして、静めておくことによって、その純粋な意識により目覚めやすくなれるのです。そしてそれを常に行為し続けなさいとヨーガは教えてくれます。

私たちはなぜ生まれてきたのか、そしてこの命とは何なのか。ヨーガは一つ一つの謎を解き明かしてくれる鍵です。私たちはもうこの鍵を手にしました。さぁ、この鍵でもう一つの扉を開けましょう。

ダルミニー


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