投稿者「ゴーパーラ」のアーカイブ

『マハーヨーギーの真理のことば』~心が唯一頼るべきもの  

11月23日は、私たちが敬愛してやまない師サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの御聖誕日です。私たち弟子にとって、師へ心からの感謝を捧げるとともにヨーガの成就に向かい心新たに誓願を立てる日でもあります。

15年ほど前、私は長年実践してきたヨーガに疑問を抱き、進むべき道を見失ってしまったことがありました。そして、心の奥底から真のグル(師)を求めました。
その数ヶ月後、まさに「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」という聖句の通り、ヨーガのご縁によってその願いは現実のものとなりました。
皆が親しみを込めて「ヨギさん」と呼ぶその方は私が求めていた“真のヨーガの師”であり、私はシュリー・マハーヨーギーのもとでヨーガの道を歩むことを決心しました。

非常に残念なことですが、最愛の師は2023年5月に肉体を離れられ、直接お姿を拝することは叶わなくなってしまいました。深い悲しみに沈みながらも、「今こそ師から学んだ教えを実践する時だ」と自分を奮い立たせていたある日、『マハーヨーギーの真理のことば』の中にまるで師からの励ましのような教えが目に飛び込んできました。

「心が唯一頼るべきもの」

グルの真実は姿形ではなく、その本質にあります。それは形と言葉を超えている、存在そのもののことです。真実です。それはあなたの中の、あなたの真実と同じものです。
唯一、心が頼るべきは、グルとその真実の言葉です。

――『マハーヨーギーの真理のことば』第十六章「聖なる存在」/第三説「グル」より

私はハッとしました。
師の教えはこの御本の中にあり、師の言葉は師の本質であり存在そのもの。師の存在は失われたのではなく、言葉を超えた「真実」として今も常に私の中にある――と。

私が師に巡り会えたように、これからも一人でも多くの人がこの『マハーヨーギーの真理のことば』の中に師の存在を見出し、シュリー・マハーヨーギーのもとに導かれることを心から願っています。
私もまた心を新たに、師が教えて下さった「私の中の真実」を実現するために精進を重ねていきたいと思います!

シャルミニー


リーラー・ヨーガ・スタジオ 新キャンペーン🌾

秋の空は澄んでいて、清々しいですね🍁
京都のリーラー・ヨーガ・スタジオは開設してもうすぐ半年を迎えます。


そして11月から新キャンペーンとして新規の方¥500オフをスタートします‼️
11月1日〜12月31日の期間、どのクラスでも¥500オフになります


有難いことにスタジオを開設してから40名以上の新規の方にご参加いただいています。
特に多いご感想は「ポーズ一つ一つを丁寧に教えてもらい、よかった」というお声です。
初参加の方にはアーサナ(ヨーガのポーズ)をする前に見本を見たり、一緒に形を作ったりしながら、安心して取り組んでいただいています。
もちろん柔軟性は関係がなく、性別や年齢など問わず、20〜70代くらいまでの方にご参加いただいています。


お得な4回カードを購入して通われる方も多く、さらにはマンスリーパスという1ヶ月通い放題のチケットを利用されている方もおられます。
先日、マンスリーパスで通っている方がクラスに来られた時、後光が差しているかのように明るく輝いていて、その変化にとても驚きました😲✨

ヨーガの効果は本当に多岐に渡りますが、その大きなものとして呼吸が挙げられます。
ヨーガによって呼吸が調い、それに伴って心も落ち着いていきます。
そして、心が波立たなくなると、人が本来もっている尊いものが輝き出し、周囲にも調和や明るさがもたらされます。

秋の季節は大気も穏やかで、いろんなことを味わったり感じたりするには本当に良いですし、ヨーガはアーサナや瞑想だけではなく、精進料理インドの歌、さまざまな道があり、スタジオではたくさんのクラスを展開しています。
少しでもヨーガにご興味がある方、この機会にぜひスタジオにお越しください☺️🙏

読書の秋・芸術の秋でもありますし、ヨーガの本や瞑想カードもぜひ手にとってご覧になってください📖

クラスのお申し込み・詳細はこちらをご覧ください🪷リーラー・ヨーガ・スタジオ

ゴーパーラ


台湾グルバイの滞在報告🇹🇼

9月23日〜10月1日の8日間、3人の台湾グルバイ(仲間)が来日していました🪷

今回は私の自宅であるシャーンティ庵に滞在し、毎日朝は瞑想し、その後はヨーガクラスの参加や日本の弟子と交流するなどして、まさにヨーガ三昧の日々でした。 彼らが日本に来たのは、先輩弟子からマハーヨーギー・ミッションの活動やワークスを学ぶという目的があり、そこには大いなる真剣さがありました。

毎朝6:15〜7:15に瞑想。忙しい滞在だったにもかかわらず、不思議と眠くならなかったそうです😲

プレーマ・アーシュラマでアートワークを学びました🖼

月曜日のアーサナクラス。3人並んでのブリッジ。

土曜日のアーサナクラス。3人並んでの逆立ち。

土曜日の朝の瞑想クラス。松山のグルバイやちょうど台湾留学生シヨさんも参加されました。

早いもので、台湾のグルバイと交流が始まって11年が経ちましたが、いつも接していて思うのがハートの「純粋さ」です。
台湾の方たちは本当に素直で明るく、心温まる純朴さがあります。
私は今回、師シュリー・マハーヨーギーがおっしゃった「品(ひん)」についての言葉を思い出しました。

「品とは純粋さ。それはお金で買えないもの」

今回来られたエミリーさんマークさん夫妻、プリヤーさんはまさに「品」がありました。
エミリーさんは何気ない気遣いをよくしてくださり、慣れない台所で美味しい手料理を振る舞ってくださいました。いつも凛としていて、芯のある品やかな女性だと感じました。
夫のマークさんは、今回の滞在で「生きる目的」が明確になりました。瞑想クラスに参加して、「どう生きていきたいのか?」という問いに瞑想した時、「ヴィヴェーカーナンダのように大きなことはできないけれど、自分を世界に捧げたい」という思いが胸の奥から湧き、その時に彼は涙を流しながらその思いを語り、その場の参加者たちは彼の純粋さに胸を打たれました。
そして11年前の留学生時代から親交のあるプリヤーさんは、通訳中によく涙を流し、人の歓びを自分の歓びとして感じる素晴らしいハートの持ち主です。日本のお笑いやアニメ好きということもあり、普段の会話もとっても面白いです。

左からマークさん、エミリーさん、プリヤーさん、シャーンティマイーさん。マハーヨーギー・アーシュラマでは連日美味しい食事をいただいたそうです🍱

台湾のグルバイとは年々、友好関係が深まっていて、本当の兄弟姉妹のように感じています。
ヨーガの語源はユジュという「繋ぐ」ですが、ヨーガを通して、そしてヨーガを教えてくださるグルを通して、私たちは繋がっています。
主クリシュナはこのようにおっしゃっています。

「私は、すべての真珠を貫く糸である」

神を通して、たくさんの真珠と出会い、繋がっていくことは歓びです。
私ももっとヨーガを深め、純粋になっていきたいと感じた台湾グルバイとの交流でした😇🙏

バクティ・サンガム後に記念撮影。皆さん、良い表情です✨

※台湾のグルバイたちが日本に来始めた時の懐かしいブログを見つけました💡
マールラーさん(当時はエセーさん)が日本に来て感じられた内容が書かれています。
翻訳はプリヤーさん(当時はルーさん)です。
よろしければ、読んでみてください💁『MYMとの出会い』

ゴーパーラ


『ヨーガ・スートラ』写経ーー『インテグラル・ヨーガ』

9月に入っても暑い日が続いていますが、皆さまはこの酷暑、どのように過ごしておられますか?
私は先月、『ヨーガ・スートラ』の写経に取り組んでいました✍️
3年前にもその写経をしたのですが(『ヨーガ・スートラ』写経)、今回はスワミ・サッチダーナンダが『ヨーガ・スートラ』を解説した『インテグラル・ヨーガ』を写経しました。
実はこの本、私たちの師シュリー・マハーヨーギーが翻訳監修に携わっていて、私はその一つ一つのスートラ(節)を写経していると「あぁ、師の的確で明細な表現だ〜!!」と感じ入り、師の息吹に触れたように感じられました。
さて、ちょっと問いかけなのですが、ヨーガの偉大な発見って、何だと思いますか👀?
「梵我一如」の発見、「無知」の発見、「バクティ(信愛)」の道の発見など、たくさんありますが、「見ている意識(本当の自分)」の発見もその一つだと思います。
『ヨーガ・スートラ』では、心をただ客観的に観照している「見ている意識」があり、それが「本当の自分」であると説いています。
私自身、「見ている意識」を知ったのは、師シュリー・マハーヨーギーのニューヨークでの問答が収められた『プラナヴァ・サーラ』という聖典を読んだ時でした。
その時まで私は、心が自分だと思うこともないほど、心が自分であり主体だと何の疑いもなく思い込んでいました。
しかし、「見ている意識」を知った時、「今、確かに見ている意識が在り、心は見られている。心は客体であり、主体は見ている意識である」ということに気付かされ、そして次の瞬間、心は電流に打たれたかのような天地がひっくり返るほどの衝撃と顛倒(てんどう)が起こりました。
それにより、その後の1週間ほどは心が真実を知った歓び、そしてそれを教えてくださった師への感謝で満たされたのでした。


今回、『ヨーガ・スートラ』の写経をして再認識したことは、やはり「見ている意識」について『ヨーガ・スートラ』は克明に書き記しているということです。
また、「見ている意識」に留まれるように、心の煩悩を無くすアプローチも仔細に説いています。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、『ヨーガ・スートラ』は苦悩する人類を救う「希望の光」だと感じています。
心は「見ている意識」を知らないから、欲望や世界に巻き込まれ、苦しんでいます。
そして何より、聖典が輝き、人を苦しみから救済へと導くのは、「グル(師)」によってです。
グルの存在ゆえに、難解な聖典に光が当てられ、人は真実を知り、実現したいと思えるのです。

私がグルから教えていただいた「見ている意識」ーーその真実を初めて知った方は、今、この瞬間、目を閉じて、その存在を感じ取っていただけたらと思います。
それは誰もの中に在る確実なるものです。

ゴーパーラ


夏休みブログ🍉🎐〜円空や鬼、ブッダのことばについて〜

残暑お見舞い申し上げます。
まだまだ暑い日が続きますね☀️
今回は夏休みシーズンということで、ちょっとラフでフリーな感じでブログを書いてみました🏖️🏄
少し長くなったのですが、お付き合いいただけたらと思います🙏

1年半ほど前になりますが、あべのハルカスで開催されていた円空展に行ってきました。
円空は生涯で民衆のために12万体の仏像を彫ったと伝えられている修行僧です。

飛騨千光寺に伝わる金剛力士像。まるで木からそのまま仏が現れたかのような姿です。寺の境内の立ち枯れた木から直にこの像を彫ったとか。

円空の特徴は大胆な荒彫りーー私は初めてその彫りをネットで目にした時、衝撃を受け、私の心にも深い印象を刻み込みました。
そこからというもの、円空に魅了された私は、その仏像が安置されている滋賀や岐阜のお寺に足を運びました。
その時のブログはこちら💁「ブラゴパーラvol.8」

この円空展では、たくさんの作品(円空仏)が展示されていました。
素朴な微笑みを浮かべる数々の円空仏を見ていると、円空が民衆のために12万体の仏像を彫ったという事実が心の中に浸透していきました。
円空のその偉大な行跡はもちろん知ってはいたのですが、実際に円空仏を見ていると、自然と頭が下がる思いになったのです。
ブログを1000書いたとしても円空には遠く及ばないし、アーサナを毎日12ポーズ×12年間やり続けても50000ポーズほどです。
数がいちばん大事ということではないですが、円空仏と対面することで、彼の行動がどれだけ驚異的なことであったのか、また神狂いであったのかと心の奥から感じ、謙虚な気持ちになりました。

そして円空展の目玉は「両面宿儺(りょうめんすくな)」でした。
『呪術廻戦』という人気漫画に登場し、有名になった鬼神です。


歴史上で両面宿儺は朝廷に叛逆した飛騨の豪族だと言われ、異形の鬼の姿で伝えられていますが、地元では武勇に優れた英雄的な人物だったそうです。
その両面宿儺の像を円空が飛騨高山の千光寺に滞在中に製作したようです。

ちょっと話は逸れますが最近、仕事で映画『鬼滅の刃』を観る機会があったのですが、鬼にもいろんな鬼がいて、それがきっかけで「鬼って何なのかな?」って考えることがありました。
それは王権側から見たら叛逆者であり、また人間の心が生み出す嫉妬や怒り、欲望、死への恐怖etcが鬼となって現れているのかな思ったのと、不平不満や嘘、暴言を口にすれば、鬼のように顔が赤くなりツノが生え、その場は修羅・地獄と化します👹
かのブッダは、「人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割く」と言って言葉の慎重さを説いていますし、また「時を空しく過した人は地獄に落ちて悲しむ」とおっしゃっています。
以下が、ブッダが私たちを苦しみから脱するように鼓舞した言葉になります。

起(た)てよ、座れ。眠って汝らになんの益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。
起(た)てよ、座れ。平安を得るために、ひたすらに修行せよ。汝らが怠惰でありその〔死王の〕力に服したことを死王が知って、汝らを迷わしめることなかれ。
神々も人間も、ものを欲しがり、執着にとらわれている。この執着を超えよ。わずかの時をも空しく過すことなかれ。時を空しく過した人は地獄に落ちて悲しむからである。
怠りは塵垢である。怠りに従って塵垢がつもる。つとめはげむことによって、また明知によって、自分にささった矢を抜け。

『ブッダのことば』 第二 小なる章 10、精励

とても力強い言葉です。怠惰になって地獄に落ちないように、瞑想の修行を怠らずに努め励むこと、それが心を平安にするためにすごく大事なことだと分かります。

あと、もし心が波立ったり荒れているな、怠惰になっているなと思ったら、円空仏などの仏像や聖なるシンボルを目にすることも大事なことだと感じています👀
目を通して、心は落ち着き、清涼になると思います👹⇨😊🏝️

ゴーパーラ


京都 瞑想クラスのご案内

5月19日、京都の千本出水で新スタジオがOpenしました🪷


6月からも新たにそこで3つのクラスがスタートします!

・アーサナクラス 金曜の夜(6/6)
・瞑想クラス(6/14)
・インドの歌 バクティ・サンガム(6/29)

今回のブログでは、私が担当の瞑想クラスについて、ご案内させていただきます。

昨今、瞑想といえばマインドフルネスやヴィパッサナー、座禅のイメージをもたれている方が多いのかなと思いますが、実は古来よりヨーガも瞑想が主軸になります。
王道のヨーガと呼ばれているラージャ・ヨーガは、瞑想で心を集中するための8つの段階が説かれています。
その1つがアーサナ(ヨーガのポーズ)で、アーサナをすることで、背骨が真っ直ぐになり、呼吸も安定し、瞑想に座りやすくなります。
アーサナは決して柔軟性を競うものではなく、座法と訳され、全てのポーズは座るために、つまり瞑想のためにあります。

土曜日(14ー16時)のアーサナクラスの様子

6月から始まる瞑想クラスでは、アーサナを6種類ほどして、瞑想を30分ほど行ないます。
座り慣れるまでは、休憩を挟みながら各自のペースで瞑想します。
また、ヨーガの神秘的で奥深い教え(生理学や哲学・シンボル)についても少しずつ学んでいきます。
アーサナをした後に瞑想するその感触というのは、本当に特別な静けさがあります。
ぜひ、古来より培われてきたヨーガの瞑想のためのメソッドを感じていただけたらと思います!
初心者の方も、瞑想を深めたい方も、どうぞお気軽にご参加ください🕉️

詳細やお申し込みはこちらから💁‍♂️【京都 瞑想クラス】

ゴーパーラ


もうすぐ春の祝祭

4月になりましたね🌱
自然の草花が芽吹き、子鳥たちがさえずり、それらを見たり聴いたりすると、心穏やかになりますね。
先週ですが、道を歩いていると、早咲きの満開の桜が不意に目の前に飛び込んできて、その美しさに圧倒され、感動しました。

鳴滝の桜🌸 3/24

さて、4月6日(日)にマハーヨーギー・ミッション主催の春の祝祭「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー ー神聖示現大祭ー」が開催されます。
今回の祝祭は19世紀インドの聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの魂に迫っていきます。


先日、ヨーガの仲間との集いがあったのですが、そこで私はヴィヴェーカーナンダに瞑想していることを話しました。
ヴィヴェーカーナンダは貧困で苦しむインドの人々を目の当たりにして、胸が張り裂けるほど強烈な痛みを感じ、その救済のために働いた菩薩のような存在です。
私はヴィヴェーカーナンダのハートを感じたくて瞑想するも、他者の苦しみを感じるとかいうことにはならなく、意に反して、平安や甘美さ、歓びを感じるようになっていました。
帰り際、参加していた先輩が、私の感じたことについて「よかったね〜」と伝えてくれました。
でも私は「小さなものだと思う」と答えると、「そんなことないよ!だってヴィヴェーカーナンダの恩寵やで!!」と言われました。
その言葉にハッとし、本当にそうだと思い、帰り道に自分が感じているものをさらに味わうようにしました。
するとその感じたものが、身体や心の中でバーッと広がっていき、さらなる歓びで満たされました。

聖者や覚者の恩寵というのは、目に見えないけれど、やっぱり在るのだと改めて感じています。
祝祭当日は、ヴィヴェーカーナンダやアヴァターラ(神の化身)の存在に感謝し歓び、私たちの中に在る真理が目覚めて「行動しよう!」と立ち上がる、そのような祝福された日になると信じています😇🙏

嵐山の桜🌸 3/31

ゴーパーラ


一つの理想で全身を満たす

皆さま、明けましておめでとうございます。
新春のお慶びを申し上げます。

2025年のマハーヨーギー・ミッションのカレンダーの絵。師がNYの街で自転車に乗る姿を弟子のサルヴァーニーさんが作画しました。

2025年はマハーヨーギー・ミッション開設49周年であり、50周年に突入する前年になります。このメモリアル・イヤーに向かってより一層、真理のペダルを漕ぐべく、私たちは4月の祝祭でブッダの再来と称される19世紀インドの聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダに迫っていきます。

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(1863ー1902)は、師シュリー・ラーマクリシュナから薫陶を受けてニルヴィカルパ・サマーディ(無分別三昧)を体験した後、インド全土を遊行中に民衆の貧困の惨状を目の当たりにして胸が張り裂けます。そして自国にパンーー科学・物質を持ち帰るべく西洋に単身渡ってヨーガを布教し、帰国後は兄弟弟子の結束や僧院の建設など、人類への奉仕にその身を捧げた「行動する魂」でした。

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

ヴィヴェーカーナンダの大いなる行動に近づくためのアドヴァイスとして以前、私たちの師シュリー・マハーヨーギーは次のように言われました。

一にも二にも内面の充実に尽きると思う。その充実によって外側の手足や口など行為が動かされるというか、衝き動かされるような、それぐらいの衝動を与える充実。それは真理との一体感であるし、もう一方でこの矛盾した世界に対する理想の建設というか、まさしくシュリー・クリシュナやヴィヴェーカーナンダの行為がそれに尽きると思います。だからそれを見倣うこと。

ーー『マハーヨーギーの真理のことば』303頁

私の理想の聖者はヴィヴェーカーナンダですので、2025年は彼に一歩でも近づけるように、内面の充実ーー「理想・真理で全身を満たし行為していくこと」を目標に掲げたいと思います。そして、そのために必要なことは、決めたことをやり通す「意志の力」だと思っています。

ヴィヴェーカーナンダの以下の言葉を紹介し、その教えを実践することを新年の抱負とさせていただきます。
2025年もどうぞよろしくお願いいたします🏵

「何よりもまず<彼の魂、アートマン>のことを知ることです」。寝ても覚めても、自分は<彼の魂>なのだという声に耳を傾けるのです。この言葉を、自分に向かって唱え続けるのです。その響きがやがて血の一滴一滴の中で響きはじめて、ついにそれが、あなたの肉と骨のなかに入り込んでしまうまで「私は生まれることも、死ぬこともなく、至福に満ちた、全知全能の存在で、常に栄光に包まれた魂なのだ」という、この一つの理想で全身を満たすことです。この理想が自分の生命の一部になるまで、寝ても覚めてもそれを思い続けるのです。そうして、その理想について瞑想するのです。すると、そこから神の働きがあらわれてくるでしょう。

ーー『実践的ヴェーダーンタ』37、38頁

何であれ、自分はこうありたいと思うものには、われわれは、自分でなるだけの力を持っているのです。

ーー『カルマ・ヨーガ』17頁

たとえ海の底に下りて死と直面しようとも、どんな抵抗も許さず、何としてでも目的を果たす意志力です。

ーー『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯』240頁

 

ゴーパーラ


2024年 アーシュラマのお掃除&振り返り

2024年も残すところ数日となりましたね。
皆さま、年の瀬をいかがお過ごしでしょうか?

先日は、師シュリー・マハーヨーギーの生家であり、私たちマハーヨーギー・ミッションの拠点でもあるマハーヨーギー・アーシュラマの掃除をさせていただきました。
8人のグルバイ(仲間)で表の格子を外して掃除を行ない、きれいになったピカピカのガラス戸を見てとても清々しい気持ちになりました✨
後で気付いたのですが、掃除の最中、身心は快活で寒さや重さを感じていなかったなと思い、比較的暖かい日中だったとはいえ、「寒い日でも動くっていいな〜」と感じられた年末のお掃除でした。


さて、2024年の私の目標は「サナータナ・ダルマ(永遠の真理)の樹立」でした。
壮大なテーマでしたが、私は春・秋にこのマハーヨーギー・アーシュラマでのワークショップや、京都・大阪での瞑想入門のクラスを担当させていただき、僅かながらサナータナ・ダルマの樹立に向かって前進することができ、自らもダルマ(真理)で満たされていく感覚がありました。
私自身、ヨーガの活動の楽しさや歓びを感じた1年であり、それはクラスなどの表に出る活動だけではなく、掃除もそうですし、さまざまな集いやミーティングも増えてヨーガの交流が活発になり、改めて目覚め・芽吹きの1年だったように感じました。

そして2024年は、マハーヨーギー・アーシュラマの開設48周年でした。
当時ヨーガがほとんど知られていない1976年に師がお一人で伝道を始められ、その地道な活動を礎(いしずえ)に、その後弟子たちが外でクラスを展開して今に至ります。
マハーヨーギー・ミッションは継続してずっとヨーガ(真理)を伝える活動をしていますし、来年はもっと活動をしていく年になっていくと思います!!
私自身もよりアクティヴに行動していきたいと思っています!!

最後になりましたが、今年もブログ「ヨーガを生きる」をお読みいただき、まことにありがとうございました。
来年はミッション活動をはじめ、師が体得し継承されたアーサナの弟子の実践談、またサナータナ・ダルマの樹立に生涯を捧げたスワーミー・ヴィヴェーカーナンダについてのブログを積極的に掲載していきたいと思っています。

では皆さま、どうぞよいお年をお迎えください😇🙏

ゴーパーラ


『マハーヨーギーの真理のことば』第一章 生きる秘訣

師シュリー・マハーヨーギーと出会って、私は生きることがとても楽になりました。
師は「生きる秘訣」を教えてくださいます。

生きていると様々な人に出会いますが、もし気の合わない人や嫌いな人がいたら、どう接しますか?
できるだけ関わらない(冷たい態度)、嫌いな点を指摘する、悪口を言う、良い所を探す、嫌いな人ほど優しくするetc
いろんな接し方や処世術があるかもしれませんが、師は秘訣として「無視すること」を教えます。
それは単に相手を無視することではなく、「相手の表面性や自らの思いを無視して、本質だけを見る」ということを説かれます。

私の秘訣はね、そういうものに取り合わないこと。無視する。気の合わない人だけを無視するのではなくて、気の合う人があったとしても無視する。両方を無視する。つまり表面的なカルマみたいな心の様子というものは気にしないこと。それでいて、どのような人であってもその本質は不異(おなじ)であるというーー魂とか本体は同じ、違いはない。違うのはその魂を包んでいるような心、これがただみんな色合いが違うだけだということを知っているから、疲れない。だからどのような人であっても、気が合うとか合わないとかいうことを感じたとしても、そのことを忘れるようにして、その人の本質だけを見るようにして接すればいいと思う。

『マハーヨーギーの真理のことば』第一章 P 51

私自身、この教えを知ってすぐに目から鱗が落ちたかと言えば、そうではありませんでした。
生きていく中で、ちょっとした誤解や嫌悪感からいざこざになり、もうこの人はあかん、合わない、嫌いだと思うことが何度かありました。
でも多くの方たちはそんな後でも、あとぐされなく私に接してくれて、私自身すごく救われた感覚が何度もありました。
そういった経験をする中で、師の教え–––決め付けや一時の好き嫌いの感情に執らわれない、つまりそれらを無視して本質だけを見ていくことが自分にとっても相手にとっても、さらには周囲の人にとっても平安や調和がもたらされると感じるようになっていきました。

好きも嫌いも、過去の未練も未来の不安も、二元的なことは全て忘れて、誰もの中に在る一なる尊い本質だけを見て、師のように強く凛として生きていきたいと願います。

ゴーパーラ