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甘い物をやめた変化

こんにちは、ゴーパーラです。
秋の空はいろんな表情を見せてくれますが、先日は綿あめのような雲が空一面に広がっていて、とても美しかったです⛅️

さて、今回のブログは甘い物の制御についてです。
私は小さい頃からお菓子が大好きで、甘い物に依存した生活を送っていたのですが、ヨーガを始めてから甘い物を断つ決意をしました。それは師の前で「一生やめます」と誓いました。
それから12年経ったのですが、甘い物をやめてどんな変化や影響があったのか、最近そのことを振り返る機会があったので、ちょっとブログの方でもご紹介させていただきます。

①味覚の変化
まず、甘い物をやめてしばらく経った時、味覚の変化がありました。それはチーズやバター、牛乳などの乳製品がとっても甘く美味しく感じられ、それまではそんなこと感じたこともなかったのですが、「乳製品って嗜好品だな〜」と思ったのです。自分は根っからの甘いもの好きで味覚は変わらないものだと勝手に思い込んでいたのですが、いや、味覚って変わるんやなと。これが好きあれが嫌いなどの好き嫌いというのは習慣性のもので、習慣が変われば好みも変わるということに甘い物をやめていく中で気付かされました。

②心の変化
また甘い物をやめて心がどう変わったのかを振り返ってみると、いちばんは自信がついたということが感じられました。それは「俺、甘いものやめれたで〜」というエゴ的な自信ではなく、ヨーガへの信頼・確信が持てたということです。自分の信じる師の前で甘い物をやめると誓ったので、それは必ず守っていきたいと思い、これが自然とサティヤー(嘘をつかない、正直さ、誠実さ)の教えの実践になり、このことを続けることで実際に甘い物をやめることができ、ヨーガを続けていけば依存や執着って本当になくなるんだと思ったのです。そういうヨーガへの信頼、自信になったということです。

③アーサナへの影響
それともう一つ、甘いものをやめたことはアーサナにも影響をしていました。アーサナは12年間毎日しなければいけないということが教えられていますが、ヨーガを始めて1年くらいはやらない日もあったりしました。でも何か心にモヤモヤがあり、またヨーガに不誠実だなと感じ、アーサナも毎日しようと決意しました。その日からは今でも毎日アーサナを実践していますが、これができているのも、振り返ってみると甘い物をやめるという誓い、サティヤーの実践が派生していたのではないかと感じています。

④心の制御
一つのことを心に決めて実行することは依存や弱さを克服し、心の忍耐・制御の力が養われると感じています。ヨーガに出会っていなければ、そして師に出会っていなければ、今頃どんなふうになっていたのか……虫歯どころでは済まなかったとゾッとします😨おかげさまで虫歯はゼロですので、心もエゴで蝕ばまれぬように、心の制御の実践を弛まず続けていきたいと思っています。

仁和寺門前の吽形像。エゴや煩悩は立ち入り禁止🚫

※補足:決してヨーガを行なう人が甘い物をやめないといけないということではありません。私の場合は特に依存度が高かったので、そのようになりました。

ゴーパーラ


『ヨーガ・スートラ』写経

『ヨーガ・スートラ』ーーその名が示す通りヨーガの経典です。
私はこの夏、その写経をしました👳‍♀️📝

4章195節から成る『ヨーガ・スートラ』ですが、この写経をしてすぐに感じたのは「学びの一つは書く」ということです。私自身、最近はパソコンで文字を打つことがほとんどでしたが、久しぶりにじっくり書くという行為をしてみると、眠っていた「書いて学ぶ」という感覚が身体の中から蘇ってきて、学びの基本に立ち返ったように感じられました。

また、解説や注釈なしに一節一節を抜き出して書き、それを始めから終わりまで何度も読み返すことで、『ヨーガ・スートラ』の全体像や要の教えが見えてくるような感覚がありました。当然のことなのですが、『ヨーガ・スートラ』は「心の作用の止滅」、これが主題なのだと。つまり、心に執らわれや煩いが一切ない「無執着」、その心の無一物になるにはどうすればいいかについて説かれていると感じました。

「それら(心の作用)の制御は、実践(修行)と無執着とによっておこなわれる」 『ヨーガ・スートラ』1−12 

「見えたり聴こえたりする対象への渇望を棄てた人々のところにやってくる、そして、対象を支配しようと決意する、その結果は、無執着である」 『ヨーガ・スートラ』1−15 

 ーー『ラージャ・ヨーガ』P112、115より引用

私はこれらの『ヨーガ・スートラ』の教えに触れていると、ある覚者の存在が心に浮かびました。それは「ブッダ」です。ブッダは次のような教えを説いています。

「すべての束縛を断ち切り、怖れることなく、執着を超越して、とらわれることのない人、ーーかれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ」 『スッタニパータ』620−621

「熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と、ーーこれによって〈バラモン〉となる。これが最上のバラモンの境地である」 『スッタニパータ』654−655

ーー『ブッダの人と思想』P13、15より引用

バラモンとはブラーフマナのことで「清浄無垢な真人」であります(『ヨーガの福音』P44)。清らかで純粋な心の持ち主、まさしく真のブラーフマナであるブッダの説いた無執着や熱心な修行・制御が『ヨーガ・スートラ』の要旨と一致しており、ブッダとヨーギーの同一性が感じられます。

今回の写経を通して私自身、ブッダ・ヨーギーの無執着の心境を目指していこうと気持ちを新たにしています。
写経はやってみると単純に楽しいですし、読むこととはまた違った味わいで経典・聖典に触れることができると思います。大袈裟かもしれませんが、心にブッダやヨーギーの無執着が写されるように感じます。
まだ写経をやっていない方、本当にお勧めします👳📝

ゴーパーラ


ブッダの共生観

祇園精舎や竹林精舎を寄進されたブッダは、それらを拠点に民衆へ布教し、またサンガ(修行者の集まり・共同体)を形成して弟子の育成を行ないました。インドの雨季や過酷な暑さにおいてその精舎の存在は、弟子や信者にとっても師や仲間と共に修行に精進できる大いなる避難所であったと想像できます。


さて、今回のブログはブッダの説いた「修行」「サンガ」「共生」についての内容です。
修行というのは、ブッダが「犀(さい)の角(つの)のようにただ独り歩め」と説いているように、内面の強烈な集中力でもって独り黙々と行なっていくことが基本にあります。ただ、ブッダはそのような単独で行なう修行だけではなく、新たにサンガを形成し、仲間と共に切磋琢磨するスタイルを確立します。
そのサンガに関連するのが、「自然万物は共に支えあって生きている」というブッダの説いた共生観です。以前、私は師に「ブッダが説いた共生観というのは新しい考えだったのでしょうか?」と質問したことがあり、師は次のようにおっしゃられました。

「ブッダが説く共生観というのも新しい観念というか・・・
それまでのインドの風潮としてはこの世界は苦に満ちているから、そこから解脱しなきゃいけない。そのためには山林独居して苦行であれ何であれ、一人一人がそれを達成しようという単独修行という、言ってみれば世捨人のライフスタイルを推奨していたわけ。特にブッダの時代はそれがいちばん激しく言われていたかもしれない。だから共生する必要がないわけやね、他者とのね。そういうことにも目も触れずに、ただ自らの悟りというところだけを目指しなさいというような至上命令として与えられていて、行なっていたわけ。
でもブッダの弟子たち、修行者に対する教えは山林独居ではなく、村と山林の狭間に暮らせよと。そうして自らには悟りを求めて精進しなさい。もう一方では村の世俗の人たちから喜捨を受けて、食べ物なり何なりそれで食い繋ぎ、またお返しというわけではないけれど、自らの修行が深まるにつれてこの世俗の人と接するということが祝福になり、歓びをもたらすに違いないからという教えもまたそこで直接の弟子ではない人に対しても与えることができて、少しでも苦しみを癒すことができるだろうと。それは共生という、立地的な修行環境、これも変革があったんやね。
サンガという修行者の集まり、これも一種の共生やね。それまでは単独の山林独居、独居、そういうものからグループの修行者集団というサンガの形成によってお互いが励まし合い、修行を進めていけるようにと、そこで学ぶことも多い。優しさであったり、エゴをなくすことであったり・・・そういう未完成な修行者といえどもいろんなエゴや煩悩があるかもしれないけれど、そういうのを共生することによって、毛羽立って見えてくるし、そしたらそれを無くしていこう、へりくだっていこう、いかないといけないとか、謙虚であらねばならないとか、優しくあらねばならないとか、そういう思いになっていく。
そういう意味ではブッダの新機軸というか新たに始めた、それまでの様子は一変したところは見受けられる」

この師のお言葉から、ブッダは共生という新機軸でもって、有効的かつ最善を尽くして、修行者のみならず民衆を苦しみから解き放って心の平安へと導いていたことが感じられます。ブッダの再来といわれるヴィヴェーカーナンダも「彼(ブッダ)は宣教を修行の中にとり入れた、世界で最初の人」(『シカゴ講演集』p 55)と述べているほど、そのブッダの存在や行動はダイナミックであり革新そのものだったと分かります。

ブッダが説き、実行した共生ーーその時代から2500年経った現代、私自身が修行を続けることができているのは「ブッダ(目覚めた存在)・ダルマ(真理の教え)・サンガ(修行者の仲間)」、この三宝が在るからだと心底実感しています。改めて、この三宝に帰依し、ブッダの「共生」を胸に修行を実践していきたいと思っています。そして、すべての人が平安であることを心より願っています。

ゴーパーラ


木陰の下で〜グルとサンガ〜

私は介護の仕事で車椅子の方と外出する時、休憩する小さな公園があります。暑くなり始めた先週、その公園の蔦が絡まる木陰のベンチに座ると、その場所がとても涼しく、一瞬にして癒されました。その瞬間、野口美香さんのブログで「木陰は涼しい」と書かれていたのが思い出されました。隣の車椅子の方もその涼しさに癒されたのか、笑顔で嬉しそうでした🍀


さて、そんな5月の終わり、名古屋近郊からはるばる京都のアーサナ・瞑想クラスに一人の女性の方(以下:Yさん)が見学に来られました。Yさんは私たちのブログ『ヨーガを生きる』を1年半ほどずっと読んでくださっていたようで、なんと2週間前、まだ会ったことのない私たちにブログ内でコメントを寄せてくれたのです!それがきっかけとなり、「ぜひ、お会いしてお話しましょう!!!」ということになり、コメントをくださってから1週間後、すごいスピードで交流が実現しました。
クラスの見学も含め、その前後でもたくさんのお話ができ、とっても楽しく素晴らしいひとときでした!!!

5/28(土)京都アスニーのアーサナ・瞑想クラス

Yさんはインドにグルがおられ、その教えを日本で毎日欠かすことなく一人で実践されています。
1年半ほど前にYさんは、私たちの師シュリー・マハーヨーギーのYouTubeを見つけ、そこで紹介されている教え「ヨーガの瞑想は、一生涯のその結果に留まらず、何百、何千生涯を通過するぐらいの威力をもってなされなければならない」に触れてとても感じるところがあり、それがきっかけで私たちのブログを読み始めたそうです。【師のYouTubeはこちら💁‍♂️『サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ:現代に生きる真正のヨーギー』】彼女はグルも仲間もいない日本でたった一人で実践し続けることが本当に苦しかったそうですが、ブログを通して、自分と同じようにグルへの思いをもったマハーヨーギー・ミッションの修行者の存在やその情熱に励まされながら実践を続けていたと話してくださいました。

今回の交流中、1秒たりとも真理・神以外の話をされなかったYさん。そんな大変熱心で信仰心の厚い彼女と交流して、私たちもとてもインスパイアされました!!!そして、グル(師)とサンガ(仲間)が修行者にとってどれだけ大きくかけがけのない存在なのか、改めてその有り難さを教えていただいたように思いました。本当にグルとサンガは、この世界における木陰のような避難所です!!!


私自身、木陰の一枚の葉っぱになれるようにと願い、これからその木陰の下に多くの人が集い、休足し、語らい、そして遊び戯れることを心から願った今回のYさんとの出会いでした。
Yさん、この度はご縁をいただき、たくさんのお話ができたこと、本当にありがとうございました🙏🙏🙏ぜひぜひ、また京都にいらしてください!!!一同、心よりお待ちしております😇

ゴーパーラ


『あるヨギの自叙伝』を読んで(11)ーースリ・ユクテスワ

本日5月10日は、ヨーガーナンダのグル(師)のスリ・ユクテスワ(1855ー1936)の御聖誕日です。
今回のブログでは、彼について少し触れてみたいと思います。


THE 教師とでも言いましょうか、とても威厳に満ちた面構え……もし彼と街ですれ違って目が合ったら、「すっ、すいません!」と私は思わず言ってしまいそうです……😅
実際、彼は相当厳しい人だったようで、若きの日のヨーガーナンダは始終叱られっぱなしで、ユクテスワの「自我を打ち砕く鉄槌」は本当に耐え難いものだったと語っています。

少し話は変わりますが、私は幼い頃、祖父母と過ごしている時、ふとある疑問が湧きました。
「祖父母は僕にとても優しいのに、なぜ父母は厳しいのか?」
その理由を母に尋ねると、「親は子供を育てる責任があるから」と言われ、妙に納得したのを覚えています。
ユクテスワがヨーガーナンダに厳しかったのも、霊性の息子であるヨーガーナンダを育てる責任があったからだと思います。事実、ユクテスワはババジから来たる将来、西洋にヨーガを普及させる人間(ヨーガーナンダ)を仕込むことを命じられていました。このババジから与えられた使命は、相当な重責だったと察します。しかしユクテスワにはヨーガーナンダへの無上の愛があり、それはヨーガーナンダを育て、そして今や『あるヨギの自叙伝』を通してその愛は世界中に伝播しています!
私は『あるヨギの自叙伝』の中でいちばん好きなのは、「ムクンダ(ヨーガーナンダの出家前の名)」「先生!」という呼び合いです。この名前の呼び合いから私は、叱っても叱られてもそこに絶えずあったグルと弟子との愛と尊敬を感じずにはいられないのです。

1935年冬至祭の行進における2人。中央に掲げられたプラカードのサンスクリットは、上段が「偉大な先達に従え」、下段がシャンカラの言葉で「少しでも聖者と交われば、救いを受けることができる」ーー『あるヨギの自叙伝』より引用

私は今回、スリ・ユクテスワの名前を心の中で唱えながら彼に瞑想すると、『ヨーガ・スートラ』の一文が浮かび上がってきました。

イーシュワラは時の限定を受けないから、古代のグルたちさえものグルである。

彼のあらわれた言葉は、オームである。

名が体を表すように、ユクテスワ(イーシュワラと一致せる者)はグル(師)の中のグルーー
そして、そこから聴こえてきたオームの響きは、フルートのような優しい音色でした。

スリ・ユクテスワーー外見はコワモテですが、内面はとても優しいバクタであったと感じます。
もし今、彼と街ですれ違っても、私はビビることはないでしょう!(たぶん😅)

1998年5月のマハーヨーギー・ミッションのカレンダー。すごい迫力!!!

✳︎スリ・ユクテスワ(1855年5月10日ー1936年3月9日) 大師ラーヒリー・マハーシャヤの高弟で、パラマハンサ・ヨーガーナンダの師。ヴェーダとキリスト教との同一真義を見い出し、ヨーガーナンダをして西洋にヨーガを布教せしめた。

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『あるヨギの自叙伝』を読んで(10)ーーアーナンダマイー・マー

今回のブログは、ベンガルの“至福に浸る聖女”アーナンダマイー・マーをご紹介します。

中央がアーナンダマイー・マー。向かって左が夫のボーラナート。

ある意味、『あるヨギの自叙伝』の中でもっともインパクトのある写真だと思います(笑)。アーナンダマイー・マーはヨーガーナンダを見るなり、「まぁ、パパ様! ようこそおいでくださいました」といかにも懐かしそうにそう言ってヨーガーナンダに密着し、その突然の行動に彼女の信者たちも驚愕したそうです。この写真はその初対面の時に撮られたもの……
こんなに自由で愛らしい彼女とは、いったいどんな御方だったのでしょうか?

アーナンダマイー・マー(1896−1982)は東ベンガル(現バングラデシュ)の小さな村の出身。両親はヴィシュヌ派の熱心な信仰者でしたが裕福な家庭状況ではなく、彼女は小学校に2年も満たないほどしか通えませんでした。しかしながらそこに暗い影はなく、ハーシ・マー(微笑みの母)、クシール・マー(幸せの母)と近所の人から呼ばれるほど彼女は朗らかで愛らしい気質でした。ただ、幼い頃からしばしば恍惚の状態になっているのを目撃されています。
当時の習慣に従い、13歳に満たない年で結婚します。その5年後に夫と初めて会い、後に夫はアーナンダマイー・マーの弟子になります。
彼女御自身にはグルはおらず、内なる導きのまま毎夜激しいアーサナをし、マントラを数時間唱え、また自らで自らをイニシエーション(師が弟子の入門を許可するときの儀式。秘法の伝授)するなど、通常では考えられない霊性の歩みをしています。彼女のこうした内なる導きは「ケヤーラ」という自然発生的行動、また神の御意志と言われているものです。ヨーガーナンダと初めて会った時の無為自然な振る舞いも、このケヤーラということですね。

その後、アーナンダマイー・マーの存在は世間に知られるようになり、カーストや宗教、国籍を越えて多くの人々を至福へと導き、霊的祝福を与え続けました。
政治的なことをはじめ、自身の肉体的なことなど全く意に介さなかった超俗性の持ち主ですが、それが単なる浮世離れではないことは彼女の残された教えから明らかです。その教えに触れると、「人としてどう生きるべきなのか?」という人間のもっとも根本的なことに立ち還る必要性に気付かされるのです。

「多くの人々が、新しいよりよい世界をつくることをいろいろ考えています。しかしあなた方は、そういう現象的なことよりも、もっと根本的なものに目を向けなさい。それを瞑想するほうが、完全な平和を期待することができます。神や真理を求めることこそ、人間の義務です」
『あるヨギの自叙伝』P474

義務を意味するサンスクリット語「ダルマ」には正義、徳がありますが、「真理」という意味もあります。社会や国という環境下において義務や正義、善行を果たすことはもちろん大切ですが、そういった枠組みを外したありのままの人としての義務ーー「普遍の真理(神)の探求・実践」こそ、恵みに満ちた神の御足下(地上)に生まれ生かされている人間の根源的義務であると彼女は教えてくれます。そして、その義務を行為していくことは決して堅苦しいものではなく、何より人に完全な平和ーー「永遠の至福」をもたらしてくれることを彼女の微笑みが物語っています。

『あるヨギの自叙伝』の中でヨーガーナンダは、アーナンダマイー・マーの目が片時も神から離れていないことに驚いたと述べています。そして今なお、彼女の甘美な声がありありと聞こえてくると述懐しています。

「ほら、永遠なるおかたといっしょの私は、いつも同じでございます」

4月30日はアーナンダマイー・マーの御聖誕日です。至福の母であり女神であられる彼女に思いを馳せたいと思います。

*参考資料 『シュリ・アーナンダマイー・マーの生涯と教え』アレクサンダー・リプスキ著

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もうすぐ春の祝祭

「ヨーガでいちばん大切なものは何だと思いますか? それはグル(師)です」

ある方がヨーガを始めた時、師シュリー・マハーヨーギーはそうおっしゃられたそうです。

重力の法則が発見されているいないにかかわらず、その法則が地球上で働いているように、永遠の真理「サナータナ・ダルマ」はこの宇宙万物の本質として存在しています。
それは太陽の如く燦然と輝いている存在ーー

しかし、一時的な欲望や快楽によって多くの人々の心は曇り、その永遠の真理を知ることができない。
それが無知と言われるものです。
そのような無知が蔓延る時、真理そのものである「アヴァターラ(神の化身)」たちは顕現し、永遠の真理が存在することを自らの行為でもって人々に知らせてきました。
クリシュナ、キリスト、ブッダ、シュリー・ラーマクリシュナ、ラマナ・マハリシなど、まさにこの世界を照らした太陽のような存在です。
そのアヴァターラたち、すなわち「真正のグル」たちがこの世界に人として顕現したからこそ、私たちは自らの内に真理が在ることを知り、その道を歩むことができるのです。

永遠の真理「サナータナ・ダルマ」とそれが顕現した神の化身「アヴァターラ」に感謝と誓願を捧げるマハーヨーギー・ミッションの春の祝祭ーー「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー ―神性示現大祭―」が4月3日に開催されます。

2017年から始まった春の祝祭の受付ボード。中央(2017年)、ブッダ(2018年)、ラーマクリシュナ(2019年)

私、クンバメーラー(ヒンドゥの一大祭典)には行ったことはないですが、この祝祭はそれよりもさらにスケールの大きいものだと感じています。
なぜなら、アヴァターラのメーラー(集まり)だからです!!!
そして毎回、その場は歓喜の渦になり、喜びに満ち溢れるのです!!!

昨年に引き続きオンライン開催ですが、アヴァターラたちも参集して祝福してくださると信じています。
この祝祭を発起された師シュリー・マハーヨーギー、並びに歴代のグルの御方々、そしてサナータナ・ダルマに思いを馳せ、その恩恵に浴しましょう!!!

3月30日、京都嵐山の桜は満開です🌸

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スワーミー・ブラフマーナンダ 純潔の教え

スワーミー・ブラフマーナンダはヒマラヤの僧院に行く弟子に向けて次の言葉を送ったそうです。

「心をあの山々のように高く保て」

若き日のブラフマーナンダはサマーディを自然のものとするため、8年間の修行を行ないました。
従者のスボダーナンダは、ブラフマーナンダが肉体を離れてしまうほどのサマーディへの没入を何度も、また何日も目の当たりにしたそうです。
最高境地に向かってその心は高く高く飛翔したブラフマーナンダですが、その過程において「ブラフマチャリヤ(純潔・禁欲)」の徹底した実践を行なっています。
以下、後の弟子たちに説いたその教えを紹介します。

「君たちはいっさいのものを放棄し、自分の生涯を神に担保として差し上げた。しかし、覚えていたまえ、純粋で汚れのない生活をすることはたいそう難しいのだ。君たちはたやすいと思っているかもしれないが、しかし、言っておこう、それはかみそりの刃を渡るほどのことなのだよ。
完全なる禁欲が、霊的生活における成功の唯一の条件である。しかし、神への愛と信仰なしには、完全な純潔を守ることは困難、というよりむしろ不可能である」

「私は自分自身の経験から君たちに言って上げることができるのだが、純潔を守っていなければ、正しく瞑想することは不可能である。……禁欲によって、頭脳に特別な力が蓄えられる。もし人が禁欲の生活にしかと定住するようになれば、彼は、至る所に神の現れを見はじめるであろう」

「霊性の修行とはなんであろうか。常に誠実であれ。自制心を持て。言葉に気をつけよ。人を羨むな。人を憎むな。嫉妬するな。純潔を守れ。もし一二年間純潔を守るなら、その人は最高境地に達する」

ーー『永遠の伴侶』改訂版より引用ーー

ブラフマチャリヤはヨーガの土台となるヤマ(禁戒)の一つの教えです。
ブラフマチャリヤの実践なくして霊性の目覚めはあり得ず、愛と信仰なくしてブラフマチャリヤを守ることは困難だということーー
この基礎の教えをブラフマーナンダ自身、常に気を付け、そして徹底して実践していたことが彼の言葉からひしひしと伝わってきます。

最後に、兄弟弟子のラージャ(王)であり、リーダーであった霊性の指揮官の如きブラフマーナンダの力強い言葉を紹介させていただきます。

「実践せよ、実践せよ、霊性の修行を実践することによって、ハートは浄められ、新しい世界が開けるのだ。神のみが実在で他のすべては非実在である、ということがわかるだろう。しかし、ジャパと瞑想によって少しばかり眼が開いたときに、目標に達した、などと夢想してはいけない。光だ! もっと大きな光だ! 前進だ! 前進だ! 神に達せよ! 『彼』のお姿を見よ! 『彼』に語りかけよ!」

ーー『永遠の伴侶』改訂版より引用ーー

道がどんなに困難で苦しくても、最高境地に向かって前進するのみです!!!

Standing left to light: アドプターナンダ、ヨーガーナンダ、アベダーナンダ、トリグナティターナンダ、トゥリヤーナンダ、ニルマラーナンダ、ニランジャナーナンダ  Sitting left to light: スボダーナンダ、ブラフマーナンダ、アカンダーナンダ

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スワーミー・ブラフマーナンダ 御聖誕日

「マハーラージはシュリー・ラーマクリシュナの霊の息子であり、生きた権化でもあられるのだ。彼からお慈悲と祝福を頂いたら、それは師から直接来たものだと思ってよろしい。このことを固く信ぜよ」
    ーースワーミー・プレーマーナンダ

「これ(捧げ物)をマハーラージに献げることはシュリー・ラーマクリシュナに献げるのとまったく同様の善事である」
    ーースワーミー・ラーマクリシュナナンダ

「神は愛だ。マハーラージは神を悟っておられる。それだから、彼は愛に満ちておられるのだ」
    ーースワーミー・スボダーナンダ

「彼は王者に値する鋭い知性を持っている。彼が望みさえしたなら一国を治めることもできただろう」
    ーーシュリー・ラーマクリシュナ

兄弟弟子から師シュリー・ラーマクリシュナと同じ存在として尊敬され、彼らのラージャ(王)であったマハーラージこと、スワーミー・ブラフマーナンダ。

彼は生まれながらにして純粋な魂であり、師シュリー・ラーマクリシュナと出会い、その神性は瞬く間に開花し、サマーディを体験した。
師亡き後、ブラフマーナンダは苦行に身を投じるが、従者のスボダーナンダは、師の恩寵によってサマーディを体験してもなお厳しい修行を続ける彼を見て、「なぜまだ、乞食のように座って主の恩寵を乞わなければならないのですか」と問う。
ブラフマーナンダは次のように答えた。

「師はわれわれのためにあらゆることをして下さった。しかしなお、私は内に欠けたものを感じるのだ。このことは、われわれがサマーディの状態を自分にとって自然な、そして日常のものとするには、修行をくり返さなければいけない、ということを示している。知っての通りウッダヴァはシュリー・クリシュナの献身的な弟子であり友でもあり、彼の恩寵によって神を悟ったのだ。それでもなお、シュリー・クリシュナは彼をヒマラヤ山中に送り、独居と黙想の生活をさせたではないか」

彼は8年間の修行の末、サマーディを自然のものとし、その後はラーマクリシュナ・ミッションの初代僧院長となり、人類への奉仕にその生涯を捧げた。

1月21日はブラフマーナンダの御聖誕日ーー
その大いなる存在と、修行者としての直向(ルビ:ひたむ)きな姿勢に思いを馳せたい。

ゴーパーラ


2021年 締め括りのご挨拶

今年も残すところあと3日ですね。
寒さも厳しいですが、皆様はこの年末をいかがお過ごしでしょうか?

京都御室 プレーマ・アーシュラマからの景色。薄っすらと雪化粧❄️

2021年は、マハーヨーギー・アーシュラマ開設45周年の記念すべき年でした。
しかしながらこの1年もコロナ禍が続き、サットサンガ(真理の集い)ができない厳しく苦しい状況でした。
そんな中、4月に春の祝祭・11月に師の御聖誕祭がオンラインで開催され、弟子一同、国や地域を越えて師シュリー・マーハーヨーギーの御前に集い、この記念すべき年の祝福と歓びを分かち合うことができました。
スクリーンに映し出された師の不動で柔和なお姿と発せられたお言葉、またそこで語られた弟子たちの力強い真理への誓願がこの1年、私たちのハートの灯火を絶やすことなく燃やし続けた大きな力となりました。

また発刊から24年の機関紙『パラマハンサ』は今年5月に紙媒体からWEBに変わり、スマホがあればどこでも真理の教えにアクセスできるものとなりました。

コロナ禍で気軽に人と会えない状況も重なり、インターネットが私たちの生活のツールとしてさらに普及し、時代の変化をより感じる年でもありました。
しかし時代や状況は変われど、変わらないものーー
それがサナータナ・ダルマ(永遠の真理)であり、アヴァターラ(神の化身)の存在です。
そして、それそのものであるグル(師)の存在は、私たちの生きる希望であり、歓びであります!!
45年の長きに渡り、どんな時もヨーギーとして在り続け、私たちをいつも陰ながら支え導いてくださっている師シュリー・マハーヨーギーに、この場を借りて改めて心より感謝を申し上げます。

そして来年も、私たちはどんな状況下でも決して諦めることなくヨーガを弛まず励んでいきたい次第であります!

最後になりましたが、今年1年ブログをお読みいただいた皆さま、本当にありがとうございました。
今年はなかなか会うことができない遠方のグルバイの声を届けることや、ブログ数を多く発信することを心掛けて行なっていきました。
来年は新しい企画やテーマなどを考えていますので、どうか来年もブログ「ヨーガを生きる」をお読みいただけたら幸いです。
それでは皆さま、どうか良いお年をお迎えください。

ジャイ!!!

ゴーパーラ