投稿者「シャチー」のアーカイブ

『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑩

今回は、『Paramahamsa』No.86の表紙絵を紹介させていただきます。
冊子のイラストは実際にはモノクロですが、ヨギさんが選んでくださった書体がとても素敵なので、表紙デザインをご覧ください。

この絵は、ガルダに乗ったヴィシュヌ神とラクシュミー神妃です。
ヴィシュヌ神がラクシュミー神妃を抱きかかえるようにしてガルダに乗り、弓に矢をつがえているシーンはよく見ますが、神に抱かれながら、自らの煩悩を撃ち落としたい、強い意志をもちたいというイメージで、ともに弓を持つシーンを描いてみました。
放つ矢に当たって落ちていくのは「煩悩くん」です。

7月といえば、ヨギさんはニューヨークに行かれていることが多くありました。
そうやって離れてみることで、ヨギさんが京都いてくださることで私たちは守られていたのだと感じることが多くありました。しかしそれと同時に、矛盾しているかもしれませんが、離れていることで、常に一緒にいてくださる安心感があり、そしていつも導いてくださっているのだという強い思いにも満たされるのでした。
離れていると感じるのは心であり、実は、今この瞬間も私たちは神に支えられ、力を与えられているのだと思います。それを忘れることなく、真実の道を歩み続けていけますように。

シャチー


ヨーガ・瞑想 西宮北口クラス

2017年より始まった西宮北口クラス。
このクラスは、通常は2、3人、多い時で5人ほどが集まる少人数のクラスで、その内のお二人は女性で、初めてご参加いただいてから1〜2年ほどになります。

今日のブログでは、そのお一人である森澤さんの、いくつかのエピソードをご紹介したいと思います。

ヨーガは初めてに近かったと思うから、最初はクラスでアーサナをするだけでも精一杯だったと思います。そんな中、家で毎日アーサナをすることは、誰もにとって難関の一つになったりしますよね。森澤さんもそのお一人だったのではないかと思います。
けれどもしばらく経った後、森澤さんは家でアーサナをした後に私にメッセージをくださるようになったのです。「メッセージを送ることで毎日続けていく励みになる」とおっしゃっていたのですが、それは私にとっても、とてもありがたいことでした。頑張って続けていこうと思ってくださることもとても嬉しいことでしたし、加えて、アーサナをした時に感じたことや、クラスでお話ししたことへの感想も一緒に送ってくださり、次のクラスへと繋げることができたからです。

そうしてアーサナにも慣れた頃から、アーサナ以外のヨーガの教えにも少しずつ触れていただくようになりました。ただ初めて聞く真理の教えに、森澤さんの頭の周りに???が飛んでいるのが目に見えて分かる時もありました。
それでも「アーサナを続けていくことで教えを理解していくことができるようになる」という師の教えをお伝えし、今はアーサナを続けていきましょう、とそんなお話をしたこともあります。

1年も経った頃だったでしょうか、とても嬉しいことがありました。
彼女はマラソンをされているのですが、ある大会でとても成績がよかったことをお話しくださいました。そして、その結果には「最初は呼吸が関係しているのかと思ったけれど、よく考えると、余計なことを考えることなく最後まで集中して走れたからではないか、それはヨーガの効果だと思う」とお伝えくださったのです。

そしてその後の4月、MYMの春のキャンペーンで、本を少し安く購入していただけることを皆さんにご案内した時のことです。『さまらさの台所』は購入を決めていますが、他に何を読んだらいいですか?と森澤さんが尋ねてくださいました。実際に見ていただいて一番読みやすそうなものを選ばれたらいいのでは?と手に取っていただいた後、森澤さんが選ばれたのは『ヨーガの福音』でした。きっとその時、何かしっくりくるものがあったのでしょう。

その次のクラス、森澤さんのアーサナが変わりました。
というのは、これまでクラスに来てアーサナをすると、足がつって続けられないということが何回かありました。家でするとそんなこともないらしく、クラスではかなり頑張ってしまわれるからだと思いますが、『ヨーガの福音』を購入されたあの日も、足がつってしまい、アーサナを続けられなくなったのです。その分、ヨーガの話をたっぷりとできた良い時間にはなりましたが、アーサナに関しては不完全燃焼!と残念に思っておられたようです。

そうして迎えた次のクラス、この日は、足がつることもなくアーサナを終えることができました。今日はつりませんでしたね、とお声かけすると、「これまでは、アーサナの柔軟性を高めようとして頑張ってしまっていたけれど、『ヨーガの福音』を読んで、アーサナをすることへの目的意識が変わり、力を抜いてできたからだと思う」とのこと。そして「『心と体は自分ではない』という教えなどが、スッと心の中に入ってきた。『ヨーガの福音』は何度も何度も読んでいきたい本だと思った」とおっしゃいました。

今、森澤さんは、自分が習っているヨーガがどんなものかもっと知ってみたくなった!と、軽やかに、熱心に通ってくださっています。

真理を体得された師のお言葉は、誰もの心の奥に届き、変革をもたらすものだと、それを改めて実感できた出来事の数々でした。
こうして真理の教えを残してくださった師のお働きに、深く感謝を捧げます。

***

西宮北口クラスは、毎月第1、3木曜日に続けています。
お近くの皆さま、ぜひご参加ください!

シャチー


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑨

今回は、『Paramahamsa』No.13の表紙絵について紹介させていただきます。

これは表紙絵を描き始めてから3つ目の作品になります。
一つ目の絵は、ヨギさんに教えていただいたインドの細密画を真似て描きました。この時は、ヨギさんに喜んでいただきたいという思いだけがあり、ただ描くことが楽しくて、幸せで、仕上がりまで夢中になって描いたのを覚えています。
そして昨年1月のブログで紹介させていただいたように、その時から『Paramahamsa』の表紙絵を隔月で描くことが始まったのです。

心というのは実に不思議なもので、その次の2作目を描く時、私の心境は全く別のところにありました。最初にヨギさんに褒めていただいた経験が、「うまく描かないといけない」「ヨギさんに喜んでいただけるものが描けるだろうか」とネガティブな思考に向かってしまい、どんな絵を描いていいのか分からなくなって、何度も描き直したのです。
描きたいと思っていた1作目とは違い、描かないといけないと思った2作目。
出来上がった絵は、背景にある木は突っ立っているし、何だか固い。ヨギさんは褒めてはくださいましたが、本当のところは分かりません。

そして今回の作品です。この時は思いにとらわれることなく、もっと肩の力を抜き、想像を働かせました。大好きなヨギさんの、優しく、そして優雅な感じが表せたらいいなとか、そうだ、聖なるガンジス河とシュリー・ラーマクリシュナが過ごされたドッキネッショル寺院を描こう、など、思いつくままに描いてみました。

これらの3つの絵を含め、初期の絵に対してヨギさんは、ずっと後のことになりますが、「初期の頃のシャチーの作品はオリジナリティーがあっていい」と言ってくださったことがありました。技術こそまだまだでしたが、ヨギさんに集中し、表したいことを素直に描いてみた結果だったのかもしれません。この絵から、それぞれが好きなヨギさんを少しでも感じていただけると嬉しいなと思います。

シャチー


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑧

今回は、『Paramahamsa』No.80の表紙絵とこの絵を描いた時の時のことを紹介させていただきます。

2010年初夏、私たちはヨーガ・ヴィハーラに毎週集い、キールタンを歌っていました。一つの歌を何度も繰り返し、その歌の本質に迫っていくのです。

そして「ジャイ・マー」を歌う時、私はいつもシュリー・ラーマクリシュナが愛した「カーリー・マー(女神)」に思いを捧げていました。繰り返し歌い、心の奥におられるカーリーに近づくほどに感じるのは、ヨギさんと同じ眼差しをもつ慈悲深き御方ということでした。その瞳はまさに愛そのもの。カーリーは姿こそ違うけれど、私にとってはヨギさんでした。

通常カーリーはドクロの首飾りを付けて生首を持ち、腰には人の手を切り取ったものを巻いている姿で表されることが多く、血を飲み込んだ真っ赤な口から舌をぺろりと出しています。彼女はなぜ舌を出しているのでしょうか。
おびただしい血が流される殺戮、私たちにとっては恐怖そのものですが、その苦しみを感じているのは、私たちの心にすぎません。それは煩悩や無知の象徴なのかもしれません。でもカーリーはそんなことは全くおかまいなし。 彼女にとってはあらゆることが遊びなのだと感じたのです。
そう感じてから、私の中のカーリーはとてもおちゃめな存在に変わっていきました。
シャクティのメンバーがマーだけに気持ちを集中して献歌できた時、カーリーはいとも楽しげに笑い、踊りだすのでした。

シャチー


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑦

今回は、『Paramahamsa』No.24の表紙絵を紹介させていただきます。

この絵は、2001年のあるサットサンガで、ホーリー・マザーについてヨギさんがお答えになったことをお聞きして描いたものです。

ホーリー・マザーについては、私も『霊性の師たちの生涯』を読んで知ったのですが、そこにはホーリー・マザーの浄らかさ、強さ、深い母性、霊性の高さなど、偉大な聖人としてのお姿が描かれていました。
しかし一つだけ、別の意味でとても驚いたことがありました。私は、常に神と共にある御方というのは、何事も順風満帆に行くものだと、当時はそういう思いがあったのですがそれが違ったのです。
長女としてお生まれになったホーリー・マザーは、貧しい中、幼い頃から両親を助けて仕事をこなし、弟妹たちの面倒をよくみられたといいます。そしてそんな身内の方々に、後年になってもなお悩まされたというのです。
若干の教育を受けていた末の弟は若くして亡くなり、他の3人の弟たちはホーリー・マザーとは全く異なる人物でした。彼らは教育も素養もなく、心が狭く利己的で、あらゆることを金に換算して判断しました。そしてつまらぬことで彼ら同士が争い、ホーリー・マザーの生活を耐えがたいものにし、彼女に極度の忍耐を余儀なくさせたというのです。

ヨギさんは、「ホーリー・マザーの状態はすごく象徴的だ」と、そのような状況の中にあったとしても、彼女はシュリー・ラーマクリシュナによって、まさにホーリー・マザー(聖母)といわれる存在となった、そのことは、「ちょうど泥の池に咲く蓮のきれいな花を思い浮かべる」と言葉にされました。世界というのはそのような(泥沼のような)ものだけれども、そんな中でこそ、美しい蓮の花(霊性)が花開くことを示していると。

そのお話をお聞きし、ホーリー・マザーの一層輝いたお姿に想いを馳せ、ヨギさんの前に咲く大輪の蓮を描いてみたいと思ったのでした。

このサットサンガのずっと以前に、蓮についてヨギさんが話されたことがあったので抜粋してご紹介します。

蓮というのは、きれいな池ではなく泥水の沼にしか咲かない。蓮はその中からスッと伸びて美しい花を咲かすが、その花弁には泥の一滴さえも付かない。それは科学的に言えば、葉っぱに繊毛があってとか言うかもしれないけれど、要は付かないんです。だから泥の、あんなに汚いところから咲くにも関わらず、清浄なままで美しく咲く姿が、この世界という地上において、何ものにも惑わされない、汚されない、悟りを拓いたものの象徴として昔から言われている。

シャチー


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑥

私が絵を描き始めたのは、ヨギさんにインドの細密画について教えていただいてからです。
最初はインドの細密画を模倣するところから始まったのですが、何枚か描いていくうちに、ヨギさんは日本にお生まれになり京都にお住まいなのだから、京都アーシュラマや日本を感じるような風景の絵を描きたいと思うようになりました。

そう思って描いた1枚が、今日ご紹介する『Paramahamsa』No.29の表紙絵で、この号には、2001年のサットグル・ジャヤンティーの模様が掲載されました。

 

そして、今年、2023年のサットグル・ジャヤンティー、師の御聖誕75周年祭はもう目前です。

私たち各国の弟子にとって、今年は大きな節目を迎えた年であり、来たるサットグル・ジャヤンティーは、私たちにとって意味深いものとなると思います。
たとえ師のお姿が見えなくても、師が目の前におられる時と同じようにジャヤンティーを迎えることができますように。

師はおっしゃいました。
アヴァターラがこの世界にお生まれになる日、全世界が祝福されるのだと。
この吉祥な日を、全員で歓びをもって迎えたい。
そして、師に出会えたことを、決して良き思い出として終わらすことなく、一人一人が師の教えを生き、師が示された真実を生き生きと表すことができるように、身口意をもって行為していきたい、そう思います。

シャチー


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑤

インドの細密画は、15世紀から19世紀を最盛期としてインド各地で描かれ、文化やその土地によって画法やモチーフが異なり、様々な特徴があるといわれています。
小さなものだと数センチ、大きくても一辺が20cmほどといわれる小さな画面に描くのは、「見る人と絵が一対一で対話をする」という考え方があるからだといいます。またそれは魂を清める行為であるともいわれています。
確かに、細部にわたって繊細に描かれた小さな絵をじっくりと眺めていると、時には心が静まり、時には愛に満ちていくようにと、そこに秘められた物語の真意が、心の奥深くに豊かに広がっていくのを感じます。

さて、今回は『Paramahamsa』No.79の表紙を紹介させていただきます。

この絵は、シャクティ(キールタンを歌うメンバー)が毎週、ヨーガ・ヴィハーラに集まって、キールタンを歌っていた時に感じたことをかたちにしたものです。
当時の思いを、『Paramahamsa』の裏表紙に掲載していましたので、ここで紹介させていただきます。

「Panduranga Vitthale(パーンドゥランガ  ヴィッタレー)」、この曲を歌う時、ヨーギニーがただ一人荒野に座り、神を求め続けるという絵が浮かんできます。曲の高まりとともに、彼女の神への愛、神の御名の叫びは、やがて木々や山、大自然にも神を求める声を上げさせる、そんなイメージです。歌の中に入り込んでいくと、いつも深い瞑想へと導かれるような感じを受けますが、そうして歌っている中で、ある日気付きました。私たちは初めは神に会いたいと願い、探し求めるけれど、本当は大自然のみならず、自身の全細胞までが神そのものだということを。
神を感じ、神とともにある不動のヨーギニー、今回はそんな思いを絵にしてみました。

シャチー


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ④

 今回は、『Paramahamsa』No.78の表紙を紹介させていただきます。

アール・ヌーヴォー調のフォントをあしらった表紙は、師であるヨギさんがデザインしてくださったものです。
ヨギさんは、毎回その絵にあうようにとフォントを選ばれますが、いつも何かしら、明確な、具体的なイメージがあり、そのイメージに沿ったものが見つかるまで何度も見返して探されました。
言葉にすると単純な作業ですが、その集中力は並大抵ではなく、また選んでくださったフォントでデザインされたものは、いつも私の想像をはるかに超えた美しさを放っていました。

*実際に発行された『Paramahamsa』はモノクロです

 No.78の裏表紙に、この絵を描いた当時のエピソードを掲載していましたので、ここに紹介させていただきます。

毎週金曜日夜、シャクティたちはヨーガ・ヴィハーラに集い、キールタンを歌い踊っている。いえ、実際には踊っていないのだけれど、まさに踊っているようだと感じたことがありました。
その日、私たちは輪になってシヴァ
を讃える歌を歌っていました。身体を左右に揺らし、満面の笑顔で声高らかに歌うシャクティたち。そこにはヨギさんがおられ、ともに遊び戯れている! そんなふうに感じ、私は深く感動したのでした。そして「あぁ、こういう絵を描きたい」と思ったのです。

このミニアチュールから、神だけを見つめ、神と一緒に遊ぶシャクティたちの歓びが少しでも伝われば嬉しいなぁと思います」

*2023年7月20日配信のWeb版Paramahamsaにて、このイラストを紹介していただきました。

シャチー

 

 


ヨギさん、
ヨギさんという方に出会って、私は真実の愛というものがあることを知りました。そしてその愛を、与えて与えて与えて……なんの見返りを求めることなく、純粋に愛し与えられたのがヨギさんでした。
私がアーシュラマに通い始めた頃、ヨギさんの下に集まっていたお弟子さんたちは、まだ数えることができるほどの少人数でしたが、「生きることに真剣に向き合う人たち」であり、私はその姿勢に強く憧れました。そしてその気持ちを引き出してくださったのはヨギさんに他なりません。

5月18日、ヨギさんは私たちの前からお姿をお隠しになられました。その時は突然やってきて、そして過ぎ去りました。

私は、ヨーガをする前からデザインの仕事をしていたこともあって、ミッションのデザインワークスを通してヨギさんから多くの教えをいただきました。それは一度では語りきれません。

でも、今日はその一つであるミニアチュールを描いてきたことについてお話ししてみたいと思います。

ヨギさんからインドのミニアチュール(細密画)のことを教えていただいて『パラマハンサ』の表紙絵を描くようにと勧めていただいてから、これまで50枚以上の絵を描いてきました。
もともとの性質が繊細さにかける私だったから、この絵を描く時だけは、自分は丁寧で繊細な人であると意識を変えて集中し、ヨギさんが大好きだとおっしゃるカングラ派の美しいミニアチュールに近づくようにと願ってきました。

ヨギさんを描く時は、ヨギさんのお姿を思い浮かべ、それは形というよりは空気感というか、ヨギさんの存在を感じるという方が近いと思いますが、そうしてヨギさんに近づき、ヨギさんで心をいっぱいにして描くことで、ようやく、ほんの、ほんの少しヨギさんという方を小さな絵の中に表すことができたのかなと思います。特にヨギさんのお顔や瞳に筆を入れる時には、ヨギさんの愛溢れる、深い眼差しをごく傍で感じ、息を詰めて描きました。しかし一度で納得がいくことはまれであり、毎回、何度も描き直しました。ヨギさんの瞳は、その絵の中心であり、もっとも重要な部分だったからです。

こうして描き終えたミニアチュールは、サットサンガで『パラマハンサ』とともにヨギさんに捧げさせていただきましたが、気に入っていただけるだろうかと、私は毎回ドキドキしながら絵をお渡ししてきたことを思い出します。ヨギさんはそれを、大切なものを扱うかのように優しく手に取られ、慈しむように、じっとご覧になるのが常でした。そして、「いい絵だ」とヨギさんがおっしゃったその時、この絵は完成を迎えるのです。そしてその時、この絵は私が描いたという思いすらも残さず、私の手から離れていくのでした。

 

『Paramahamsa』No.18の表紙

いつも心を真理
あるいは神だけで満たすようにしなさい
Sri Mahayogi Paramahamsa

 

『プラナヴァ・サーラ』の表紙ーー絵を散りばめたデザインはヨギさんのアイデアです

ヨギさんが、yogiのサインと落款とともにTシャツのデザインをしてくださいました 

 

ヨギさんはこれまでずっと、言葉、行為、生き様を通して私たちを真理の道へと導かれてきました。
「こうあらねばならない」というような型にはめるようなことは一切おっしゃらず、おおらかに、ただ私たちの良いところが伸びていくようにと導いてくださっていることを感じてきました。
その方法は弟子一人一人、様々で、まさに対機説法。その根底には愛のみがあり、その祝福は私たちを永遠に導いてくださる、私はそう信じています。

シャチー


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マハーヨーギー・ミッション