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真実に導かれる <直伝クラスに参加して>

2年前に、ヨギさんのアーサナ直伝クラスが始まる!、と聞いたとき、
「このクラスに参加するからには、絶対にヨギさんにアーサナを正されることが無いようにしよう。何年もアーサナのクラスに通っているのだから、正しくできて当たり前、今さら直してもらうなんて、ヨギさんに失礼だ。」
と、思ったものです。

私は、アーサナ直伝クラスが大好きです。
ヨギさんがその美しい全身を使い、はっきりとした目的を持ち、働いていらっしゃるところを見ることができるのが、何より嬉しいことだったのです。
誰にでも、必要な人に対して丁寧に、解りやすい言葉をかけ、手を添えサポートされるヨギさんの様子を、自分でアーサナをしながら、五感をフル活動させて追いかけていました。
今思い返すと、アーサナ中は呼吸に集中するよりも、ほとんどヨギさんに集中していたような気がします。
そしてクラスの後半、瞑想に座るころにはもう時間も場所も意識することがなくなり、ただこの時がずっと続いたらいいのにと思う。この思いも雑念だと気づきながら、そう願わずにはいられない。この感覚は、いつでもどんな場所でも瞑想できるようになる、手掛かりのような感覚になってきました。

直伝クラスでの瞑想

真実が人の姿となってこの世に顕れることの有り難さ、ということをなかなか理解できずにいましたが、直伝クラスでヨギさんと共に過ごすことで、少しずつ身に染みてきたように思います。
ヨギさんと共にいるときだけではなく、どんなときも同じように、かけがえのない大切なときであるということも。

直伝クラスには大勢の仲間が参加しており、一人一人、クラスでの体感は違うでしょう。けれど、皆、間違いなく真実の存在の方へ導かれている、それが直伝クラスであるのだと感じます。
ヨギさん、この機会を与えてくださって本当にありがとうございました。

正されまいと覚悟していたアーサナでしたが、そんなに甘くはありませんでした。
いつだったか、予想外の力強さで正された逆立ちに思わず声が出そうになり、私の覚悟も必要のない拘りだったのだと気づきました。

マイトリー


一歩ずつ進む! <クラスインタビュー>

3月に入り、少しずつ春の芽生えを感じる今日この頃ですね。プラーナ(気)が変わってきました!

さて、長岡京のヨーガ・瞑想クラスに通い始めて7年目になる篠田さんは、昨年から瞑想専科などにも熱心に参加されています。今回、どのようにヨーガに向き合われているのかお話しを聞く機会がありましたので、インタビュー形式でご紹介させていただきます。


——ヨーガを始めたきっかけはなんですか。

すぐ怒る性格を直したいと思ったからです。ある人から、「もし猿が怒った時に木に登るのだとしたら、あなたは一瞬で一番高い木のてっぺんまで登ってしまう猿だね。」と例えられるほど短気でした。当時は怒っている自分にも正しい理由があると信じていて、なぜ怒ってしまうのかが分かっていませんでした。でも今思えば、自尊心とか執着とかが強くて、自分にとってすごく大事にしていることを傷つけられると、それを守るために怒ってしまっていたのだと思います。

瞑想をすると怒らなくなると聞いて、「ヨーガ・瞑想クラス」に行ってみました。でもアーサナはとてもきつくて、ハードルが高いと思い、1回受講して足が遠のいていました。それでもまた行かなければと思っていた時に、ちょうど初心者向け体験クラスが始まって、初心者クラスならついていけるのではと思って受講しました。最初は5つのアーサナだけだったので、これなら続けられると思いました。その体験クラスにはレクチャーや宿題もついていて、愚痴を言わないという宿題をしたり、エゴについて学んだり、その中に怒りについての話もあり、それを通して、自分の心を客観的に見るということができました。私は理屈で理解するタイプだったので、それがとてもよかったです。2013年の新春でした。

——ある時期から、すごくアーサナの集中感が出てきましたよね。

クラスに通う中で毎日アーサナをしなくてはと思っていてもなかなかできていなかったのですが、ある時1ヶ月以上毎日集中してアーサナをしたことがありました。その時期に、それまで全然できなかったパシュチモーッターナ・アーサナ(前屈のポーズ)が急にできるようになったんです。それを機会に連鎖的に他のポーズも深くできるようになり、それぞれのアーサナがリンクしていることを体感して、アーサナがとても面白くなっていきました。

——ヨーガをする目的は、人間として成長したいからと以前お聞きしたのですが、それはどういう意味ですか。

それは自分自身が未熟、稚拙だと思っているので、大人になりたいと思ったんです。大人の意味は、常に周りを気遣える、優しさとかゆとりのある人間という意味です。いつも自分のことしか見えていなくて、後で反省することが色々あり、そういうことが自然にできる、身についている人間になりたいと思いました。

それで、クラスでプラーナーヤーマ(呼吸法)の実習が始まって2、3日した後、いつも嫌な人のことを考えるとその思考から抜け出せなかったのが、「この人にもいいところがあるかも」という思いが自分の心から自然に出てきてとても驚いたんです。そういう視点は今まで持ったことがなかったので、偶然かもしれませんが、「これはプラーナーヤーマの効果かも」と思って、もっといろんなものを変えてみようと思い、それまで気を払っていなかった食事をさまらさ風に変えていってみました。そういうふうに、自分の中で何かのチャンネルが切り替わっていったのです。

——昨年から、瞑想専科にも毎週通われていますし、さまらさの台所にも参加されましたものね。ヨーガをしていると、目から鱗が剥がれるように感じることがありますが、チャンネルが切り替わったのですね!最近バクティ・サンガムにも毎回参加されていますが、キールタンはどうですか。

キールタンは、数年前に一度聴いた時、なんて退屈な歌なんだ、最後まで聴いていられないと思ったのですけど、ある時ミッションから動画が配信されたので聴いてみると、とても心地よく感じたのです。やはり何かが自分の中で切り替わったのだと思います。今は本当に楽しくクラスで歌っています。台湾の方が参加されていた時に一緒に歌ったのですが、とてもパワフルで、キールタンには国境はないんだと思いました。

またバクティ・サンガムでは聖者の物語の紹介があって、以前は、聖者とか言っても全然知らない人だし関心ないのだけど、とか思っていたのですが、今は是非とも知りたいと思うようになったので、その物語が聞けるのが楽しいです。

バクティ・サンガム。一番奥が篠田さん。

——それで目標としていた大人に近づいていっていますか。

そう感じることがあります。例えば、悔しい出来事があった時は、それまでは自分視点でしか考えられず、相手を言い負かすことがメインの目的だったのが、そんなことはどうでもいいことだと思えるようになってきました。その時に一歩下がってこの問題を解決するにはどうしたらいいのかと考えられるようになりました。まだ毎回できるわけではないですが。

——ヨーガのこれからの目標などはありますか。

私には悟りという大きな目標はまだ霞の向こうにあるような感じなのですが、クラスに通っていると、いつもサーナンダさんやマードゥリーさんから次の目標が用意されるから、一歩ずつ階段を上ることができるように感じているので、それがとてもいいです。だから、今はクラスにさえ通っていれば次の目標が与えられるんだと思っているので、よろしくお願いします。


長岡京バンビオクラスにて。左から、サーナンダ、篠田さん、マードゥリー。

篠田さんは、本当にある時から見違えるほどアーサナの集中感が増してきたことをよく覚えていますが、やはりヨーガはやっただけ自分に良い変化をもたらすのですね!話を伺っていて、その背後に呼吸の変化やプラーナの集中、そして心の変容があるように感じました。実に科学的で普遍的!熱心にやっていけば、誰もが恩恵を授かることができるんだと思いました。傍から見ていて明らかに何か余分なものを脱ぎ捨てていっているような感じで、その充実感がよく伝わってきます。

こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします。(サーナンダ)


3月バクティ・サンガムのご案内

京都ではちらほらと梅が咲き始めています。春の訪れも間もなくですね。

さて、今日は3月のバクティ・サンガムのご案内をさせていただいています。いつもの会では一つの曲を取り上げ、それを深めていけるように繰り返し歌い込んでいくことを中心に行なっているのですが、3月はみなさまからのリクエストを元にメドレーをして、いろんな曲を歌います!

どの曲を歌うかは、当日のお楽しみ〜。いろんな歌が歌えるので、きっと楽しいと思います!

  • 大阪:3月8日(金)19時〜(扇町/スプラウト)
  • 京都:3月24日(日)16時45分〜(寺町/民族楽器コイズミ2階)

みなさま、ぜひふるってご参加ください! お待ちいたしております。

ミラバイ

 


日常が真剣勝負!

アーサナや瞑想は練習問題のようなもので、日常こそが真剣勝負だと師は教えられます。

今回、師の直伝クラスやサットサンガにも熱心に通われ、真剣にヨーガに励んでおられる藤原さんが、ご自身の体験を寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


昨年末のサットサンガで、ヨギさんに識別についてお聞きすると、エゴに気づいたら、それが出てくる前に忍耐して制御していくように。そして、他者にはやさしく行為するようにと教えてくださいました。

ところが、年明け早々に久しぶりに夫と大喧嘩をしてしまいました。
その引き金を引いたのも、この喧嘩を招いたのも“私は正しい”というエゴ的な思いから生まれた日常の私の言動だったのです。私は今まで一体何をしてきたんだろう…と何もかもが崩れ去っていくように感じ激しく動揺しました。
その一方で、いつもと変わらず動じることもなくその様子を見ていた息子は、私の肩をやさしく撫でてそっと寄り添ってくれました。その姿にヨギさんを見たように感じました。

その時にやっと私は、ヨギさんから授かったこの教えが、自分にとってどれほど必要なことなのかを思い知るに至りました。
私はヨーガを学び実践が大切だと日常を過ごしていたつもりでした。そして、少しずつですがその日常に良い変化も感じていました。でも、いつの間にかその結果に執らわれてしまい、自分のエゴに気づかずにいたことに気づきました。

この激しい動揺をしずめてもう一度やり直さないといけないと思いました。
ヨギさんのようにいつも変わらず同じで在りたい。その為には、徹底的にエゴをなくしていかないといけない!

以前、クラスでラーマクリシュナが教えられている6匹のワニのお話があったことを思い出しました。
人の心にある怒り、嫌悪、色欲、欺き、高慢、羨望という6つの欲情をワニに、心を池に例えて、池に棲んでいる6匹のワニが時々出てきて心をざわつかせるというお話でした。
何事も自分の思いどおりにはならない、諸行無常、カルマの法則、この世の中の道理を正しく理解して、このようなネガティブな感情が湧いた時には、エゴが思いどおりにしようとして暴れているのだから、即座にその反対のポジティブな思いを起こすのがいい。怒りには寛容を、嫌悪には愛を、色欲には清浄を、欺きには誠実を、高慢には謙虚を、羨望には賞賛を。そして、その時のポイントは、条件付きではなく、いついかなる時も、誰にでも無条件に行なうことだと教えてくださっていました。

これからも何度も何度も心に言い聞かせ、忍耐強くエゴとの真剣勝負に挑み続けたいと思います。

藤原 里美

MAMA YOGA lilāは、篠山市、丹波市で活動しているヨーガのサークルです。藤原さんがアーサナをリードしています。下、写真右端が藤原さん。


祝!『理想の人間になるためのガイド』 台湾にて販売開始!

この度、師のヨーガの教えや弟子たちの実践の記事を掲載した台湾語の冊子が、初めて完成しました!!!

台湾で活動を行なう弟子たちが、昨年から懸命にこの企画を進めてきました。現在、マハーヨーギー・ミッションから出ているヨーガの教えは主に日本語と英語のものばかりです。一人でも多くの中国語圏の方に師のヨーガを知ってもらえたらと、これまでも台湾のブログでも翻訳したものを掲載してきましたが、クラスなどで紹介をしても、なかなかその反響が見えなかったそうです。そこで、それなら書籍という形にしてみてはというアイデアがあがりました。

内容は、師の教えやサットサンガでの問答のみならず、機関誌『パラマハンサ』に掲載された弟子たちの記事、また京都や東京、台湾のブログからの引用などです。教えだけではなく、仕事や日常生活においてどのようにヨーガを実践していくか、そういった弟子たちの体験談に基づく記事を紹介することによって、もっと身近にヨーガを学んでもらえたらという願いがありました。この冊子は三部作となっていて、今回が第一部目となります。タイトルに「ガイド」という言葉があるため、旅行を連想させることから、前に向かって歩いていくイメージで台湾の弟子の一人、ザォユァンがカバーデザインをしました。ちなみに裏表紙にも言葉が掲載されていて、次のような意味だそうです。

「出発する動機は常にシンプルなのだろう

いつもと違う美しい風景を見るために  一緒に実践し

一歩ずつ自分の理想の人生に向かって歩んでいきましょう」

 

***

そして先日火曜日に、無事に印刷が出来上がったそうで、早速台湾のクラスでお披露目と販売会がありました!

手に取られた方からは、表紙がとても可愛い、目を引く、タイトルもいい!などたくさんの歓びの声があったそうです。クラスに参加されている方からも、嬉しい感想が寄せられました。

「ブログも読んでいますが、どれを読んでどれをまだ読んでいないか、はっきり覚えているわけではなく、見落としたものもあるかもしれません。本の形になるとメモもできるし、確実にすべての記事を読めて、とてもいいと思います。思いついたらすぐ開いて読めるし、スマホを見る時間も減るでしょう。もっと自分の生活に集中できると思います。中国語の本ができてとても嬉しいです! みんなの努力に感謝いたします」

今後、さらに多くの方の手元に、師のヨーガとこの冊子が届いていきますように!

ミラバイ

 


計り知れない導き! サットサンガより

1月12日、今年最初のサットサンガが行なわれました。師がご布教のため16日よりニューヨークに渡米されることもあり、たくさんの弟子が集いました。
その中で、質問者だけでなくその場にいた全員に向かって、力強く、熱を込めて話された教えを、抜粋してご紹介させていただきます。

「誰もが1日の中で三分の一は眠っているでしょう。その中できっと夢も見ているはず。夢の世界とこの昼間の世界とは全く違うでしょう。どちらが本当ですか?どちらも同じなのです。夢は、心の奥深いところから現れてくるある種のストーリーです。昼間の世界は、心の表面の部分が活動して出来上がった世界です。どちらも、心が作りだした世界ということで同じなのです。どちらも夢のようなものです。
一方で悟りの世界というのは、確実なリアリティーの世界です。それだけが真実です。そこから見れば、この世の中は実に儚い、朝の露のように一瞬の煌めきを持っていてもすぐさま消えていく。
誰もが肉体を持っていて、肉体は食べ物によって養われていますから、何らかの仕事もしなければいけない。また、家庭生活も必要でしょう。様々な付随する用事も多々あると思います。でもそれはそれだけのことです。それが目的ではないのです」

「心が何を思おうが全く値打ちのないものです。いささかの値打ちもない。真理というのは確実にあります。それを体感することがヨーガの目的なのです。過程の神秘体験とか快感とか、そんなものを目指しているものではないです。心はいつまでたっても真理を知ることはできません。なぜなら、心と真理とは別物なのですから。やるべきことは心をなくすことなのです。心を空っぽにして、なくすことなのです。そうすれば、自らの内にある真理そのものが現れます。これは、単純な真理です」

この二つの教えは、何度も何度も繰り返し、師の口から言葉となって発せられ、これまでも幾度も聞かされてきました。初めは、よくわからなかったのですが、耳にすると自然に涙が溢れることがあったり、次第に「確かにそうだ」と思うようになり、そして「本当にそうだ」と感じるようになってきました。師から直接聞く真理の言葉には、計り知れない導きがあると感じています。
この真理の教えが土台となって、日常の様々な事柄を見て、心を識別していくことによって、「何が大切で、これからどう生きていくのか」という私自身の理想が具体的になっていきました。これからも、その目標に向かって、さらにヨーガを深めていきたいです。その決意が胸いっぱいになったサットサンガでした。

山口正美


さまらさの台所 カレーパン パン生地の作り方動画

日曜日は、さまらさの台所がありました。12月、1月と同じメニュー、カレーパンと揚げあんぱんを紹介し、両日合わせて22名の参加がありました。

参加してくださった方には、ぜひぜひお家で作ってもらいたいのですが、パン作りは一度習っただけでは覚えられないという声も多かったので、今回は生地作りを動画でご紹介します。これを見ながらなら、作れるのではないでしょうか!?

参加されていない方も、これを見たら作りたくなるのでは?ということで、分量をご紹介しますので、ぜひ作ってみてください。
強力粉200g 砂糖10g 塩4g 牛乳100cc 水50cc ドライイースト3g 
生地の中に入れたカレーですが、当日はインドカレーと日本のカレーの2種類を入れて作りました。普段家で作るカレーの残りを入れてもらったら美味しくできますよ。

ここまでできたら、霧吹きで全体に水を吹き、パン粉をつけてから濡れ布巾をかけて二次発酵させます(10分ほど)。その後、フライパンに油を入れ、油の温度は弱火〜中火でゆっくりと揚げていきます。生地のつなぎ目は下にして油の中に入れると良いです。生地がふくらみ、きつね色になったら出来上がりです。

美味しくできるといいですね〜!!


「師との出会い」from NY サーディヤー

1/1にニューヨークのマハーヨーギー・ヨーガ・ミッションのブログ「プロジェクト サハスラーラ」にアップされたサーディヤーの記事が素晴らしい内容でしたので、日本のブログでも翻訳して紹介させていただきます!彼女の師との出会いと、それに至るまでの経緯や心情が、ありのまま素直に書かれています!


「あなたの心を私に固定し、知性を私の中に置くのだ。そうすれば今、あなたが私の中だけに生きているということは疑いがない」
– Words of Krishna, Bhagavad Gita, Ch. 12 Verse 8

地下鉄の階段の側に立っていました。どこから来てどこに行こうとしていたかは覚えていません。でもそのニューヨークの各地下鉄駅の特徴である緑色に塗られたフェンスの側に立ち止まっていました。
「この世に欲しいものなど何もない」という思いが手にとって掴めるほど明瞭に、心の中で具体化したのはその時でした。私のハートはただ一つの欲望に満たされました。——神への奉仕にこの人生を完全に捧げたい。

何かを欲するということは、私にとってはおかしなことでした。成長の過程で神への概念に関する様々な段階を通過しました。教会が示す概念をそのまま受け入れていた時もありました。その時はそれだけしかなく、それが触れることのできるすべてでした。その後、キリスト教の神に対する概念に幻滅し、叔父が送ってくれた様々なアメリカ原住民の暮らしの本で読んだグレート・スピリットを崇めて祈りを捧げていたこともありました。10代になると姉に影響されて神を完全に否定しました。神は存在せず、宗教は偽善であり冗談だと。キリスト教徒の宗教を見下し、神を信じる人たちよりも自分を上に見ていました。‘あの人たち’は妄想的で差別的で、常に自分たちの信条を他人に押し付けていると。私はそこから自分を隔てていました、冷笑的だったからだけではなく、そうすることが「カッコイイこと」だと思っていたからです。キリスト教徒の宗教とは関わりたくなかったし、神とも関わりたくなかったのです。

他の宗教をよく知っていたとは言えません、私の宗教教育の多様性は極限られたものでした。けれども、宗教を正当化して残虐に満ちた戦争が今なおあることは知っていましたし、全く理解することも受け入れることもできませんでした。それで宗教やそれに関する事柄を拒絶し、長年こういった意識やものの見方を保ってきました。それは『あるヨギの自叙伝』を読み、『バガヴァッド・ギーター』のようなヨーガの聖典を知り、神に対する概念がほぐれ始め、神についてもっともっと知りたいとハートを開き始めるたった数年前のことでした。

そういった過去があっても、今では私のすべては神に向けられています。神が何であるのか知りませんでしたし、神に私の人生を捧げたり、神に奉仕をするとはどういうことなのか想像もできませんでした。ただわかっていたのは、そうすることだけが私の人生を生きる価値のある唯一のことだということです。それ以外はすべてが偽りでした。ニューヨークを離れる手配をする準備ができていました。最初の考えはインドに行き、すべてを捨てて隠遁生活を送り霊的な生活だけに専念できるアシュラムを探すことでした。世俗的なことへの興味は失っていました。

その一日か二日後、ある友人との会話の中で、彼が噂を聞いて会いに行ったニューヨークにいるヨーガのマスターについての話がありました。彼は鞄の中から『ヨーガの福音』という小さな本を出して私に差し出しました。私は両手でその本を持ちました。その本のデザインの独特な作風である表紙のヨーギーのイメージと、本の中にあったヨーガのマスターの笑顔が際立って見えました。友人がこのヨーガのマスターについて話しているとき、私はとても真剣に聞いてはいても、自分自身がこのマスターに会うことができるなどとは思いもよりませんでした。友人は週末にこのマスターのプログラムに参加するので、どうであったかを教えてくれるとのことでした。

翌週彼に会い、彼の体験を聞きました。すぐに何かが違うと感じました。いつもより彼が静かで、何かが彼の中で変わったようでした。彼がヨーガのマスターについて話す時、涙が浮かんでいて、まるで長い間失っていた何かを見つけたかのような彼の気持ちを感じることができました。彼は言いました、「自分で会いに行くといいよ」。それまで、それが可能だという思いさえもありませんでした。どういうわけか、そんな簡単に会いにいける方だとは思っていなかったのです。誰かを知っているとか紹介がないと会えないものだと思っていたのです。このシュリー・マハーヨーギーという名前のヨーガのマスターは、日本から来られていて、ニューヨークを訪問されているのだと彼は続けました。日本に戻られる前に、ヨーガのクラスを幾度か行なわれ、サットサンガ(質疑応答)も一度行なわれるとのことでした。友人は翌日にアメリカを出るため、シュリー・マハーヨーギーにお会いする機会はそれ以上なかったのですが、情報を教えてくれて、行くように勧めてくれました。

真のヨーガのマスターに会うことは容易ではない

家に戻って、すぐにマハーヨーギー・ヨーガ・ミッションのホームページを調べました。シュリー・マハーヨーギーが帰国される前に行なわれるクラスと一度行なわれるサットサンガについて確認しました。次にあるクラスはラージャ・ヨーガクラスでした。クラスの受講料はこれまで私が馴染んでいた以上のもので、当時、予算的に厳しかったのですが 、このマスターに会おうと決めていたので、「クラスを一度だけでも受けてみよう」と決断しました。ホームページにあるように、予約をするために電話をしました。女性が電話を受けました。クラスについてどうやって知ったのかと聞かれました。「友人から」とだけ答えました。すると彼女は、「どなたですか」と聞きました。当時は、沢山の人たちが通う大きなヨーガのスクールに電話をしているとばかり思っていたので、それを不思議に思いました。その大きなヨーガのスタジオだと思っていた所が「ケーヴ」というマハーヨーギー・ヨーガ・ミッションの本部であり、アーナンダマーリーがたった一人ですべてのクラスの問い合わせに懸命に対応されている、あの小さなアパートだったとは考えてもいませんでした。

クラスの日と共にハリケーン・アイリーンもやってきました。クラスの前日に、市は地下鉄とバスの運休をし、交通網を遮断する可能性を勧告しました。クラスに行く手段がなくなり参加できなくなることが心配で、クラスの予約をした同じ番号に電話をしました。クラスは、友人をその存在によってこんなに早く変えてしまったシュリー・マハーヨーギーという偉大なマスターに会う機会と捉えていたので、そうする必要があるのであれば、191丁目から10丁目まで歩くのは厭いませんでしたが…ハリケーンなので、そうするべきかどうかも分かりませんでした。電話口からは予約をした時と同じ女性の声が聞こえました。クラスを行なうか否かは、まだ未定とのことで、もう少ししたら決断を下し、ホームページでアナウンスするとのことでした。
少なくとも、決まったかどうかを確認するためにもう一度電話をしたと思います。最終的にクラスが中止になったと聞いて、そこに行く手段がなくて私が行けないがためにクラスに参加できないわけではないことにホッとしたと同時に、大切な機会を逃すかのような気持ちになりました。

お帰りなさい

クラスは再度スケジュールされ、遂に機会が訪れました。クラスに早く到着すると、後にカルナーと知ることになる一人の女性が準備をしていました。何かお手伝いできることはないかを聞くと、彼女は快く花瓶の位置を動かすよう指示してくれました。シュリー・マハーヨーギーがどのようにクラスに入場されたか、どのようにクラスが始まったかなど、詳しくは覚えていません。ただ覚えているのは、前列のシュリー・マハーヨーギーの持ち場の右側でプラクティスを行なったということです。

アーサナの最中に、指示の多さとその細やかさに驚きました。クラスは二人の女性が声でリードし、実習者のアーサナを指導していました。自分がアーサナをしている時にたくさんの 注意を向けられて指示を受けることに慣れていなかったので、時には少し圧倒されましたが、ここでは注意を払うべきたくさんの細かいポイントがあるようでした。一つ一つのアーサナは、並外れて長く保持するようで、ポーズの間に休憩を挟みました。以前にアーサナをしばらくやっていましたが、ここではすべてが私にとっては新しく、異なったものでした。頭立ちのポーズ時になり、いつも通りに行ないました。頭立ちのポーズは私にとって、なんてことのないものだったので、シュリー・マハーヨーギーが私の横におられることを突然感じた時にはとても驚きました。シュリー・マハーヨーギーの存在感は明らかに否定しようのないほどの強烈さで、今まで感じたことがあるすべてと違いました。私の体位を真っ直ぐになるように導かれた時、私の心臓は突然波立ちました。こんなことは本当に稀で、ポーズを戻した方がいいのだろうかと、一瞬不安になりました。でも、すぐに思いました。「いや、シュリー・マハーヨーギーはマスターだから、私を怪我させることはないわ」師のいかなる指示にも従う弟子の意思の話を一瞬思い出しました。「何がなんでも、戻すように言われるまで留まり続けるわ」その時には、シュリー・マハーヨーギーがどういった方なのかよく知りませんでしたが、これは私がどれだけ師に委ね、どれほど信じる意思をもっているかの私へのテストであるかのように感じました。

瞑想の前に、シュリー・マハーヨーギーは私の前に座り、辛抱強くそれぞれの坐法を見せてくださいました。そのお優しいお顔に面食らい、その見抜くような眼差しと笑顔は私のハートの奥底まで届きました。クラスの終わりに、師がお話をされたかどうかは覚えていません、ただ、師を見続けないではいられませんでした。まるで師は太陽のように眩い光に包まれていました。その場を離れては欲しくなかったけれど…クラスは終わってしまいました。

参加者がマットを丸め、クラスの部屋から退出して行く時、アーナンダマーリーが私のところに来ました。幾つかの言葉を交わしたと思いますが、よく覚えていません。とにかく非常に明瞭に、はっきりと覚えていることは、アーナンダマーリーは私の目を真っ直ぐに見て、「お帰りなさい」と言って、私を強く抱き寄せたことです。世界が回り始め、まるで気絶するかのようでした。何かが起きたのです…それが何であるのか言葉にすることはできませんが、感覚で確かに感じました。「戻ってきた」その時私の心がそれを理解できようができまいが、私のすべてがそれを知ったのです。

***

経済的な理由でシュリー・マハーヨーギーのその後のクラスを受けるつもりはなかったのですが、他のことはすべて横に置き、シュリー・マハーヨーギーが日本にお戻りになる前のサットサンガとクラス両方に参加できるようにしました。サットサンガについてあまりよく覚えていませんが、質問は何もせず、シュリー・マハーヨーギーの真ん前に座り、一瞬たりとも目をそらせたくありませんでした。

最後のクラスで、シュリー・マハーヨーギーが部屋から歩いて退出される時、涙が溢れ、去って欲しくなかった、まるで父を見つけたのに、また会えるのか、いつ会えるのかわからないままサヨナラを言わなければいけないかのように感じました。

その後、とにかく家に戻り一人になりたかった。その晩の睡眠はいつもとは違い、夜中に突然目を覚まし、心の中に残っているシュリー・マハーヨーギーのイメージと存在を思っては涙しました。シュリー・マハーヨーギーは私と共におられ、これからも共におられるように感じました。感謝の気持ちに圧倒され、泣いて神に頭を垂れることしかできませんでした、それがどういうことなのかよく分からなかったけれど、神が、私が求めていたものを授けてくださったのだと何かが私に教えていました。「私の人生を、神に奉仕することに専念したい」という私の思いへの答えだったのです。

October 14, 2018
サーディヤー


思い一つですべてが変わる!

2019年が始まりましたが、どのような一年になるのでしょうか?皆さんの今年の抱負はいかがですか。熱い思いが力強い行動を生み出し、未来を作っていきますから、素晴らしい一年となる思いを抱きたいですね!
さて、マハーヨーギー・ミッションのヨーガ・瞑想クラスも今日から始まりますが、今回、師の直伝クラスや京都のクラスに熱心に参加しながら、ヨーガに励んでいる桜井さんが、クラスを通した気づきと実践、そして決意について寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


ミッションのクラスを受講し始めて2年が経った昨年の3月、アーサナや瞑想の実践を深めていきたいという思いとは逆に、私はそれまでの職場から勤務時間が大幅に増える職場に異動が決まりました。
悩んでいた私にクラスで指導してくださっているシャーンティマイーさんが「思い一つ、社会で求められていることには応えていかなければいけない。」という言葉をかけてくださり、アーサナや瞑想は手段であり目的ではなく、仕事をする時間が前より増えてもヨーガを深めていくことはできること、また、社会で求められている役割を果たしていくことも大切だということを教えていただきました。前向きに今ある状況でやっていくしかないという気持ちに変わっていきました。

新しい人間関係、新しいルール・・・その中でも、
日々淡々とできる限りアーサナや瞑想をする
職場では、頼まれたことやしなければいけないことは余計な感情なしに、すぐに動く
結果には執らわれず終わったことは捨てていく
ふとした瞬間に自分の中の神に意識を向ける

そんなことを心がけながら、土曜日は変わらずシャーンティマイーさんのクラスに参加していました。
それから2カ月が経った6月のクラスで、以前はアーサナをしていても身体という一つの器で呼吸とアーサナの形を作っていくことは別々のものとしか感じられませんでしたが、呼吸とアーサナの形を作っていくことが身体の中で重なったという感覚があり、マットに寝られないくらい身体中が燃えるように熱くなることがありました。この時に、やっとシャーンティマイーさんが繰り返しクラスで言われていた「アーサナはプラーナによって作られる。」ということが、ありありと実感できました。
その時からそれまで以上にプラーナを身体の中で意識できるようになり、少しずつ集中感も増してきたと感じられるようになりました。

これからも、師のお導きの下、シャーンティマイーさんから言われた「アーサナは基本に始まり基本に終わる。丁寧に呼吸を見つめて今の中に生きていく。」という言葉、きっとこの先何十年アーサナをしていっても「吐く息をできるだけ長く丁寧にし吐ききること、それとともに一つ一つの段階を追って完成ポーズにもっていくこと」は変わることなく大切で、それが日常生活では今という瞬間に生きていくことに繋がるんだなと思っています。しっかり心がけこれからも精進していきたいです!

桜井みき


イベント報告 & 2018年振り返り

一昨日の12月29日、左京区のZAC BARANにて、アーサナ・瞑想のデモンストレーションを行ないました。
今回の演目のテーマは、ヨーギーの起源であるシヴァ神でした❗️


シヴァ神のルーツは、インド土着のルドラという暴風雨の神だと言われております。
演目は『The Eternal Quest—永遠の探求—』の前半部をベースに、イントロでシヴァ神を想起させる雷雲の音を鳴らし、宇宙万物を司る主であり、またヨーギーの第一人者であるシヴァ神に、アーサナと瞑想のデモンストレーションを通して近づこうと試みました。
ただ私、うっかりして写真撮影を依頼しておらず、その時の様子は写真でお伝えできませんが😓、友人からは「宇宙を感じた!アーサナ、音響、着ていたTシャツ(カーリー・ヤントラ)、すべてがマッチしていた」という嬉しい感想をいただきました。
年末の寒波の中、グルバイやクラス参加者の方々もお越しくださって、とっても嬉しかったです!
本当にありがとうございました😊🙏

それで皆さん、2018年はどんな年だったでしょうか?
私はこの1年を改めて振り返ってみると、主ブッダがその中心にあったと思いました。
今年は、ブッダがテーマであった4月の祝祭をはじめ、師は折に触れてブッダについてたくさんのことを教えてくださいました。
その中でも特に印象に残っていることは、5月の松山特別サットサンガ後の夜でした。
その時に師は、「ブッダはこの世でいちばん偉大な人物」と言われ、私は「なぜそう言えるのでしょうか?」と尋ねると、次のようにおっしゃられました。

「ブッダは聖典の権威に影響されていないから」

私は「それが偉大な理由?」とクエスチョンマークが浮かびましたが、少し考えた後、師がいちばん好きだというシュリー・ラーマクリシュナの次の言葉が思い出されました。

「私はヴェーダも六派哲学も超えている」

そしてその瞬間、師が教えてくださっている次のブッダの言葉とつながったのでした。

「たとえ古い聖典が出てきても、それを鵜呑みにする必要はない。自らで確かめ、実践せよ」

インドの地においてヴェーダをはじめとする聖典は生活やその精神性の支柱であり、最高の権威に位置するもので、「それを超えている」「鵜呑みにする必要はない」とは簡単に言えることではありません。
しかしながら聖典は、人間を悟りという偉大な完成に導く言葉であり、その言葉の意味する内実をどれだけ感じ、肉迫することができるのか、つまり「実践」と「体得」がもっとも大切なことだと私は改めて気付かされ、そして何より、師がブッダやシュリー・ラーマクリシュナが発した言葉の内実を知っていると感じ、驚愕させられたのでした。

聖典の言葉は深遠で、どんな言葉でも奥深い意味や、また修行者を悟りへと導く力が隠されていると感じます。
一昨日の演目で、アーサナを終えて瞑想に座り、『The Eternal Quest』で朗唱されたウパニシャッドの詩を流した際、期せずして次の言葉が私の胸に響いてきました。

「身体の動きを止め、呼吸を制御せよ。御者が馬を操るように、心を制御して、全身全霊で神を瞑想せよ!」

今年も残すところ1日ですが、来年と言わず今日も真剣にヨーガを実践し、もっと、もっと、もっと聖典や師の言葉の息吹を感じたいですね!!!

最後になりましたが今年も1年間、ブログ「ヨーガを生きる」を読んでくださった皆様、まことにありがとうございました‼️
来年はより精進をし、良い形でブログに反映できればと思います。
そして、いつも真理を教え、導いてくださっている師シュリー・マハーヨーギーに感謝致します。
皆様、来年もブログ「ヨーガを生きる」をどうぞよろしくお願い致します😇🙏

ゴーパーラ