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はるか未来を歩くブッダに我々は追いつけるのか?

——心を静めて強烈な探求を行なえば真理は自ずから現れる。
本当ですか? それが事実だと経験から言えますか?
僕は言葉を超えた事実が欲しい。

真理はどのように現れるのか。
それは(悟りという)最後の最後の瞬間にだけ訪れるものなのか。
それまではそういうことがなくても当然なのか。

「真理」という言葉を定義して、「あるべき事実(真実)に関する直観知」だと捉え直すとする。
最近気づいた直観知の経験を話したいと思います。

今年の4月に「永遠のブッダ」というお芝居を上演し、僕はその脚本を書きました。
題材にしたのは『アングリマーラ経』という仏典に描かれているブッダと一人の弟子の話です。
1000人にも及ぶ人を殺害して人々に恐れられた残忍な盗賊アングリマーラのもとに、ある日ブッダが赴き、不思議な力と教えの言葉と慈悲によって彼の心を開かせます。
ブッダの弟子となったアングリマーラは、アヒンサカ(不殺生)という名を与えられて、新しい聖なる命に生まれ変わり、ブッダから「これからは自分の命を生かし、人の命を生かすのだ」と教えられます。
アヒンサカは過去の悪業による苦難に耐えながら、ブッダの教えを守り、生来の正直さを生かし、ついに一人の妊婦とその胎児の命を救います。
それが彼がブッダの教えを実践した瞬間だったというところでフィナーレを迎えます。(実際の芝居の映像は以下)

この演劇の内容自体は、元の仏典の内容と大筋において同じですが、各部分では脚色が入っています。
脚本を書いている時は、この経典の真意は何なのか、つまりアングリマーラという人の存在の本質は何なのか、そしてブッダは何をしようとしたのかということに集中して、それを最もよく表すように、経典の構成や言葉を離れて、場面もセリフも生み出していきました。
そこではただ、この芝居が楽しく、面白く、そして何より深い真意を表すようにということにだけ集中していたのです。

しかし、最近になって気づきました。
この芝居は、4月から今までの6カ月間、それから今後数年にわたることの預言でもありました。

今の僕にはこう見えます。

アングリマーラは、自分の村の人1000人を全滅させた都の人間を恨み、被害者の生き残りとして、自らの正義(=法)のために、人々の殺害を繰り返している。
一方、都の人々は、罪もない人々が被害にあっているため、恐ろしい盗賊を無法者と見なし、アングリマーラの縄張りにブッダが近付かないように警告する。
双方とも正しいのは自分であり、正義は自分たちにあると考えています。
そして自分こそ悪の被害者だと思い、暴力に対する暴力の報復がなされている。
決して交わることのない対立です。

これに対してブッダは、アングリマーラのもとへ何も言わず進んでいく。
人々が止めるのも聞かず、平気で進んでいきます。
彼はどうするつもりだったのでしょうか。
僕が思うところでは、ブッダははっきりとすべてを見通していました。
アングリマーラという盗賊がいて、彼のせいで多くの命が奪われている。
人々は彼を無法者と決めつけており、行為においてはその通りだが、しかし、その外面的行為には微妙でかつ複雑な内面的原因があり、それが正されない限り問題は解決しない。
そしてアングリマーラの内面的苦悩は、その被害者である人々の内面の苦しみと異なるものではなく、同じものとして重なるものなのだと見た。
ブッダは、人々の実際的被害と不安、そしてアングリマーラの苦悩を取り除くために、両者を共に生かすため、自ら立ち上がり、歩を進めたのです。

ブッダは火中の栗を拾いに行ったと思う。
ブッダは出家者である。
法律や社会に対して関与せず、超然としていることが本来の姿だ。
たとえどんな問題が世の中で起こっていようとも、それに当事者として関わる必要はない。
それどころか、そうした世間の出来事に執らわれてはならないのである。
たとえ両者を哀れだと思い、あるいは殺害のむごさを見るに忍びなく、助けに入ったとしても、両者に話し合いの場を設けて仲裁に入るというような方法が取れたはずだし、今だってそれが一般的だろう。
それなのに、ブッダはアングリマーラを弟子にしに行ったのである。
犯罪者、それも極悪人を弟子にとれば、人々の世論や法や社会を敵に回すことは明らかで、犯罪者をかくまったとしてブッダの教団全体が社会の圧力によって潰されてもおかしくない。
長老弟子のアーナンダが「他の弟子たちに悪い影響がありませんか」と心配するが、常識的なのは彼であって、ブッダの方が非常識である。
面倒なことにあえて首を突っ込むようなことをしなくてもよかったはずである。
ブッダはどうしてそのようなリスクを冒す行動に出たのか。

ブッダはあえて当事者になりに行きました。
当事者になって、自分個人とは元来関係のない問題を解決に行った。
自分には害の及ばない、超然とした客観的第三者の立場でアドバイスをしたり、なだめたりするのではなく、悪と苦しみの根源を自ら引き受けに行きました。
近代の聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは、「たった1人の人を救うために私は地獄にでも行く」と言ったが、まさに彼はブッダの心境をそのままハートに写し取ったのだと思う。
そうしてブッダは、アングリマーラとアーナンダ、そしてブッダを慕う都の人々を兄弟弟子にしてしまった。
互いに害を与え合ってきた人々を、本来愛のみで結ばれるべき兄弟にしてしまったのである。
そして彼らの親として、すべての面倒を見る責任を負ったのである。
問題とは本来、そうした自らを犠牲にするような関与がなくしては解決しない。
ブッダの無言の行動はそれを強く指し示しているように思う。

そしてもう一つ、脚本家として僕はブッダにこう語らせていた——「これからは自分の命を生かし、人の命を生かすのだ」。(とはいえ、ブッダ役としてこのセリフを語らされたのも僕なのですが)
これは、そのまま仏典にある言葉ではありません。
元の経典の本旨は、経典中に見られる詩、「悪い行ないも善によって克服されるなら、雲を離れた月のようにその人はこの世界を照らす」という一点に極まっていると思いますが、悪人が悪を償うだけでなく、この世界を照らし出す聖なる存在にもなれるということを、「人の命を生かす」というセリフにしました。

ブッダは当事者となって(同時にまったく巻き込まれることなく)、それぞれの人を生かし、またその人たちにも他の命を生かすように導いた。
脚本を書いて芝居を上演していた時にはまったく気づかなかったが、自分が書いて演じていた中に、自分のあるべき姿とそれに向かう未来が含まれていたことに最近気がついた。
「これからは自分の命を生かし、人の命を生かすのだ」と書いたのは僕であり、そのセリフを読んだのも僕だが、その過去の自分が未来に先回りして、これからのあるべき自分を示しているようにも思うのだ。
あるいは、今から2,500年前に生きたブッダが、むしろ今から2,500年先の未来に先回りして、僕に道を示しているようにも思う。

事実、4月以降の僕は、その方向に動き、感じ、決断してきた。
我々ヨーガ行者のあるべき姿、マハーヨーギー・ヨーガ・ミッションのあるべき姿を、ブッダのサンガやヴィヴェーカーナンダが作ったラーマクシュナ・ミッションに求めてきた。
それは単に形を真似るということではなく、彼らの情熱を自分の胸にも灯し、自らのミッション(使命)を自覚するということである。
過去に求めながら、同時に未来に求めることでもあった。
それと同じようなことが、たまたま手に取った経営学の本にも書いてあった。
サンガやミッションも人の集まった組織だから、組織運営のことも少しは学ぼうと思って駅の本屋で偶然手にした本だったが、たいして魅力的なタイトルでもないのに、引き付けられるようにその本を取った。
7月のことである。
そして8月には、東京に引っ越すことを決めていた。
東京でのヨーガの活動を活発にするためである。
今月10月には東京で最初のクラスを行なった。

そうした顕著な出来事だけでなく、あらゆる考えと感じ方と行動が1つの方向に向かっていた。
それはまるで、「これからは自分の命を生かし、人の命を生かすのだ」と、まったく無意識だった自分あるいはブッダ自身が、未来のあるべき姿、あるはずの事実を指し示していて、知らないうちに、この半年はまったくその通りに生きてきたようなものだと最近気づいた。
潜在意識の中にそうした願望があったのだといえばそうかもしれないが、しかし直観に基づくであろう感性と行動が、これほどまで頭脳よりも速く動いたのを経験したのは今までにはなかったのである。
自分が書いたり言ったことを、半年後の自分が解釈するなんて、いったい何が起こっているのだ!

とても長くなりましたが、これが預言とも感じられた、「あるべき事実(真実)に関する直観知」の経験でした。
劇中、ブッダがアングリマーラの縄張りに向かっていったとき、走る馬でも捕まえられたほどの脚力を持つアングリマーラが、全速で走ってもブッダに追いつけない場面があります。
彼はブッダに対して「止まれ!」と叫ぶのだが、逆にブッダに「お前こそ止まれ」と言われる。
それはアングリマーラが暴力の思いに捕らわれて心が止まっていないということを教え諭すためだったし、僕もそう理解して脚本を書いた。
しかし今になって、それだけでなく、ブッダは彼以降2,500年の間に生まれ死んでいったあらゆる人類が、最大の努力を行なっても未だに追いつけない、はるか未来に先行していることをひしひしと感じる。
それは、現在も世界各地で起こっている決して交わることのない紛争、その根源にある正義感と悪と憎しみ、そしてもう末期的とすら言われている民主主義のあり方(その真の姿としてのサンガ)……これらはみな未だ解決・解明されることなく、しかしブッダによって2,500年前に解決されていた。
ブッダ、新し過ぎる!!
我々はまだ、2,500年前のブッダに先を行かれているように感じる。
はるか未来を歩くブッダに我々は追いつくことができるのか?
しかし今それに気づいたということは、少なくとも後ろ姿ぐらいは見えているはずなのだ。


インディア・メーラ中止

こんばんは、3つ前の記事に、10月13日(月祝)神戸のメリケンパークで行われるインディア・メーラというイベントに参加すると書きましたが、台風19号の影響があり13日(月祝)はイベントが中止と決定しました。予定を立ててくださったみなさま、残念ですがまたの機会にお会いしましょう!
キールタンは、定期的に京都・大阪で「バクティ・サンガム」をしていますので、そちらでご参加いただけます。

次回の予定
「Bolo Bolo Sambila Bolo」 シヴァ・根源なる神よ!

神と魂が結ばれるとき、恍惚が生まれる 唱えよ オーム・ナマ・シヴァーヤ!

京都
11月30日(日)
ギャラリーju:彩
京都市東山区松原町291-2F  14:00~16:00(13:45開場)

大阪
12月5日(金)
プリヤメーラ
大阪市西区土佐堀2-1-2 西村ビル2F  19:00~21:00(18:45開場)

参加費:2700円

 

 


インディアメーラー2014

インディアンメーラ

10月11日(土)〜13日(月祝)まで、神戸市メリケンパークでインディアメーラーというイベントがあり、そこにキールタンとアーサナのデモンストレーションで参加することになりました。

インディアメーラーの会場は無料で入場していただけます。インド料理やインド雑貨などたくさんのブースが出るようです。お祭りの詳しい内容は:http://indiamela.so-good.jp

「青空広場 de インド体験」のコーナーでは、マハーヨーギー・ヨーガミッション主催による
キールタンの体験をしていただけます。
キールタンとは、インドで古くから民衆の間で歌い継がれてきた信仰の歌、シンプルなフレーズですので、だれでもすぐに歌っていただけますよ。このブログ内でもたくさん紹介しています!ぜひこの機会に参加してくださいね。

10月13日(月祝) 15:00〜16:00
参加費:1,500円

アーサナのデモンストレーションは会場内にあるストリートパフォーマンス場所で行います。(当日パンフレットの会場レイアウトをご覧ください)こちらは無料で見ていただけます。
以前、京の鴨川というお祭りでもしたのですが、シタールの音色とともに集中感のあるアーサナをご覧いただけます(たぶん 🙄 )

10月13日(月祝) 14:00 〜、15:30〜 2回 (各15〜25分)

3連休中!インドを満喫してみてはいかがでしょうか!

 

 

 


野外演劇「永遠のブッダ」公開!

またまた、マーダヴィーです〜。

本日8月25日、京都の吉祥院天満宮では古くから伝わる六斎念仏という法会があるそうです♪そして25日と言えば天神さんの日ですね!北野天満宮近くにお住まいの方は行ってきましたか〜?

さてさて、今年の4月6日に大阪市天王寺区にある西照寺で行なった野外演劇「永遠のブッダ」の映像を公開しました!

毎年4月の第一日曜日に、大阪・一心寺周辺では「なにわ人形芝居フェスティバル」が開催されています。私たちは2011年に初めて参加させて頂いて、今回が2回目の参加となります。お寺や神社などが主催されているフェスティバルなので、お釈迦さま(ブッダ)についてのお話をお芝居にして、皆さんに見て頂きました。

2011年は、ブッダ御自身の誕生〜悟りを啓かれた後のお話を取り上げました。その時の「ブッダの物語」映像も前・後編に分けて、YouTubeで公開していますので、復習兼ねて、ぜひもう一度ご覧くださいね。

ちなみに今日の大阪での瞑想専科では「ブッダの物語」を上映し、脚本・主演のサナータナさんが熱ぅ〜く解説してくれはる予定です!京都では8月28日木曜日の瞑想専科にて上映しますので、お楽しみに!!

今回の「永遠のブッダ」は、ブッダとある弟子との物語です。取り上げられたテーマは、現代の私たちへのメッセージでもあります。(人は生まれ変わることができるのです!!)時代と空間を超えて、ブッダが教えられたことは、私たちへと伝わっています。

アクション・シーン満載のこの物語、私がこれ以上ネタバレしてしまう前に(笑!)、ぜひぜひぜひぜひご覧くださいませ〜。最後にはブッダの言葉の贈り物がありますので、最後まで見てね。

マーダヴィー


京の七夕

こんにちは、サティヤーです。京都では8月2日〜11日まで「京の七夕」というお祭りが行われ、堀川や鴨川では連日多くのイベントが行われています。そこで!4日の夜、三条鴨川の河川敷に行き、アーサナ・瞑想クラスの紹介をしてきました!三条の河川敷には竹かごの中に京焼き、清水焼の風鈴を入れ、LEDの明かりがともされた「風鈴灯」がたくさん置かれていています、お香の香りと風鈴の涼やかな音色が相まってなんとも幻想的な雰囲気で、多くの人が涼みに来られていました。

少し前にすてきなチラシを作っていただいたので、たくさんのお店に置いていますが、もう少しクラスに動きが出たらいいな〜という思いがあり、実際にアーサナがどんなものか、できるだけたくさんの人に見てもらい興味を持ってもらう機会になればと計画しました。また、NYで行われている『PROJECT SAHASRARA』http://mahayogi.org/sahasrara/ にもヒントをいただきました。

 

京の七夕

本日、7日(木)21時頃にも三条河川敷で行うつもりですので、良かったら遊びにきてくださいね〜!

サティヤー


チラシ製作撮影紀行(2)

行ってきました! 撮影紀行第2弾です。
今回は2日まとめてご報告します。

1日目は10日の土曜日。撮影場所を探しに近くの京都御所に行ってみようと自転車で出かけました。本当に良いお天気で、自転車で走ると汗をかくくらいでした(@–@)。

緑あふれる御苑の中では、草の上に寝転んだり、読書をしたり、のんびりと散歩したりと、集って来られた方々の時間が本当にゆっくりと進んでいる感じがして、見ている私までのんびりとした気持ちになりましたよ。

大きな樹がたくさんあり、チラシの撮影にもなかなか使えそう。どんな写真にしようかな〜と思いめぐらしながら散策してきました。

御苑案内地図

そして2日目は16日金曜日、午前中にサーナンダさんとミラバイと出かけてきましたよ。

今回は本ちゃんの撮影です。景色は5月らしい、新緑の黄緑の葉が本当に美しい!
ただ、下見の時はこの辺いいかなあ〜とざっくりと見ていたのですが、いざカメラを向けると意外と使えない・・・、なんせ手入れがされていない自然のもの。
「ああ、あの辺がもう少しきれいだったらなあ〜」「あの岩ごつすぎるねん!」などなど、自然と心がつぶやきます。

それでもここはどうだ!と、前回の撮影紀行(1)で目星をつけていた場所で何枚も撮影してきました。
しかし撮影の中でもっとも大変なのは、モデルのミラバイです。

撮影を待つ

実際にアーサナや瞑想をしてもらうのですが、カメラを構えていると集中度合いがもろに見えてきます。

「ここに座って」「はい集中してっ!」っと私たちは簡単に言いますが、その瞬間に集中をするのはなかなか難しいものだと思います。
そこはミラバイ、待っている時にはぽよ〜〜〜んとほおけていて、大丈夫かいなと心配させつつも、集中、見せてくれましたね。さすがヨーギニー!

瞑想

 

さてさて、どんなチラシに仕上がるのかは、できてからのお楽しみです。

シャチー

おまけ:サーナンダさんと2人で。いよっ!
s&g

*チラシ・ポスター制作にとって撮影場所はとても重要です。ここめっちゃいいよ〜なんていう情報をお待ちしています!


チラシ製作撮影紀行(1)

こんにちは。サーナンダです。

マハーヨーギー・ヨーガ・ミッション(MYM)のクラスなどのチラシは、MYMが誇るデザイナーチームが製作しています。またチラシに採用する写真は、撮影チームが撮影しています。
これまで数々のチラシ製作を行なってきましたが、たくさんの方がチラシを手に取られクラスに足を運ぶきっかけになったことは、私たちにとってとても嬉しいことです。
よいチラシは、よいプラーナ(気)を発し、人を惹き付ける力を持つと信じて仕事をしています〜

さて今回、更なるチラシデザインを進めるために、撮影ロケーション探求の出張をしてまいりました。何事もよい仕事をするためには準備が大切です。撮影には、ロケーション選びがとても大事になってきます。行き当たりばったりではよい写真は撮れませんし、一年を通してよい時候を見つけて、撮影を計画的に進めなければなりません。

第1回目は、「清滝〜高山寺〜美山」の国道162号ー京都の周山街道のラインにある川と山と空の美しい自然がある場所です。

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今回は、撮影陣としてシャチーとサーナンダ、そしてモデルとしてミラバイが参加しました。いざ清滝へ〜

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撮影の一こま。今日はロケーションを決めるのが目的なので、仮撮影です。北山杉と一緒に木のポーズです。

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河原で撮影。いろいろといいロケーションが見つかりました。

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かやぶきの里の美山まで足を伸ばしましたが、残念ながらなかなかいいスポットは見つかりませんでした。

新緑の美しい季節に、山川の新鮮なプラーナを堪能しながらの撮影でしたが、山道や川道を歩いたので、結構いい汗をかきました。(というか誰かはヘトヘト気味!?)
この5月にはもう少しロケーション探しをして、そして本番の撮影を進めていきたいと思います。
近々新しいチラシをお目にかけようと思いますから、ご期待ください。

撮影チーム


ヨーギーの理想——ブッダ

ヨーガの起源はどこにあるのでしょうか? ヨーガの起源は神話でも聖典の言葉でもなく、ヨーガ行者一人ひとりの体験、体得、悟りの中にあります。

そうした悟りをひらいた覚者の代表格が釈迦牟尼ブッダです。ブッダは人々の苦しみの原因を明らかにし、そこから自由になる道を示しました。
ブッダについてはいくつもの魅力的な逸話が残されています。その中の一つが、アングリマーラという残忍な人殺しの盗賊を改心させ、彼の苦しみを取り除いて安らかな悟りの境地に導いたお話です。

彼の苦しみには、現代の私たちにも通じるところがあります。怒りや憎しみに執らわれて、それを抑えることができず、目の前にいる人たちを害することでしか思いを表すことができないという、自分の心が生み出す際限のない苦しみです。現代でも、子育てや親の介護、日々の仕事や家事を行なう中で、ほんの些細なことであれ、苛立ちや怒りに身を任せてしまう場面があるのではないでしょうか。

そうした出口の見えない苦境に、ブッダならどういう解決を示すのでしょうか? そして極悪人の盗賊にさえ救いの手を差し伸べるブッダは人々をどのように見ていたのでしょうか?

このお話を分かりやすいお芝居にして、花祭りの日(ブッダが生まれた聖誕記念日)も近い、4月6日に大阪で上演します。観覧は無料! 誰でも入場可能です。

ブッダの悟りに興味がある人、ヨーガの静寂の境地に憧れる人、そして今まさに怒りの最中にある人も!(笑)是非このお芝居を見に来てください!

脚本・演出・出演・裏方にいたるまで、すべてヨーガを実践している人が担当しています。生きたヨーガのあらわれを体感しましょう!

リーラー・プレイヤーズによる
野外演劇「永遠のブッダ」
(なにわ人形芝居フェスティバル 参加)
日時:2014年4月6日(日)10:30〜11:00/12:00〜12:30 2回公演
場所:西照寺(地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ケ丘」西 徒歩7分)

なにわ人形芝居フェスティバル公式サイトの紹介ページ
http://terateratera.sakuraweb.com/ningyoufes/18/event.html