ヨーガ・アーサナの力 その4〜自分の枠を超える

アーサナの実践を続けていくと、呼吸の変化内的なプラーナ(気)の充実とともに、少しずつ自分の限界というものが広がっていくのが感じられます。
始めの頃は身体がきつくてしんどいなと思っていても、いつの間にかその辛さはなくなり、心地よい集中感に変わっていきます。このポーズは苦手だなあと思うものがあっても、逃げずにやり続けていけば、苦手な気持ちはなくなり、不思議と得意なものとの差異がなくなっていったりもします。

アーサナの実践に慣れてきたならば、ポーズを保持して戻す前のもうあと一呼吸か二呼吸、自分の限界を超えていくように行なうことで、さらに深めていくことができるといわれます。
仕事も何事も、自分のできる範囲だけでやっていると、それ以上の進展はありませんが、ここまでしかできない、という限界を少しずつでも超えようとチャレンジすることで、キャパシティが広がっていくのだと思います(注:ただし決して無茶はしないでくださいね。力まずに呼吸を大切にしながら深めるのがポイントです)。

ある時、サマコーナ・アーサナ(開脚の形)を完成に近づけていくコツがあるかという質問に対して、師が「コツは毎日することしかないなぁ」と仰ったことがありました。あまりにシンプルなお答えに、妙に納得した記憶があります。
開脚は、私にとってとても苦手なアーサナでした。かなり内股気味だったこともあり、最初は痛すぎて、立って脚を開こうとしても思うように開かず、バランスを崩しておしりから転倒してしまうほどでした(苦笑)。また力を無理に掛けすぎて怪我をしてしまい、なかなか治らなかったこともありました。もう無理だと避けていましたが、師の言葉を聞いて、少しずつでもまた地道にやっていこうと思えました。
だんだんと刺激はある中でも呼吸が深くなり、背骨へのプラーナの集中を感じるようになっていきました。時間はかかりましたが、10年越しくらいで身体も変わってきたように思います。いつの間にか以前の恐怖心や苦手意識は消えていて、瞑想の坐法に直接繋がるようなアーサナだと感じられるようになりました。

サマーコーナ・アーサナ

神足ふれあい町家にて(長岡京)サマコーナ・アーサナを実践中

普通は、自分にとって嫌なことは避けたくなるし、好ましいものはもっと欲しいと思うものです。自分の中に「好き」「嫌い」といった心の枠があり、それに当てはまる出来事を前に、大きく心は反応し、揺れ動いてしまいます。嫌なことを避けてばかりいると、その時は逃れられたと思っても、また別のかたちで同じようなシチュエーションがやってきて、いつまでも克服できていないことに気付かされたりもします。そして、好ましいものを求めることで欲望は膨らみ、それが思い通り手に入らないと、結果的には苦悩を味わいます。

アーサナの目的は聖典にもあるように、明確です。それは二元性を超えるということです。二元性――つまり肉体が感じる暑い・寒い、空腹・満腹、あるいは様々な感覚器官の動揺、さらには心理的な好き・嫌いであるとか、好・悪も、善・悪も含めた一切合財の二元性を超えること。
(シュリー・マハーヨーギー)

体と心は常にいろいろなことを訴えてきます。しかし、心身の状態がどうであれ、ちくいち感想をはさまずに、コツコツと淡々と続けていくことで、自分の作った囲いを取り払い、様々な状況に振り回されない精神力を養っていくことができるのだと思います。忍耐力もついていきます! 
また、その実践の積み重ねは、あらゆる二元的な状況を超えた、一なる真実に向かっていく大きな熱と力となっていくに違いありません。
そうして、『アーサナ(坐法)は堅固で快適でなければいけない』という言葉の意味が達成される時、見るもの、聞くもの、触れるもの、この世界を取り巻くすべての事柄の影響を受けずに、心を完全に制御下に置くことができるのでしょう。

ふれあい町家

さあ、暑さが過ぎ去って大気のプラーナが中庸といわれるこの時分は、私たちの心身を調えるにはとってもいい季節です! 素晴らしいヨーガの智慧と力をより多くの方に体験していただけることを願って、この「ヨーガ・アーサナの力」のシリーズを終えたいと思います。
そして、古から伝わるヨーガの秘儀を伝授してくださっている師に、心から感謝を捧げます。


マードゥリー 


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