京都 六角スタジオ 体験クラス

京都の六角で毎週火曜日(19:00〜20:30)にしているクラスでは、5月10日から全8回の体験クラスが始まります。

タイトルは「呼吸が変わると生き方が変わる!」

さまざまなストレスや刺激に反応しているとき、実は呼吸が乱れています。ドキドキしたら呼吸が荒くなっていることは誰でも経験していると思いますが、ちょっとした心の動揺にも呼吸は反応しているのです。ヨーガ・アーサナを続けていくと、呼吸は深く落ち着いたリズムへと変わっていき、日常生活も変化していきます。この体験クラスでは、まずアーサナを体験してもらい(ポーズ50分〜70分)、そのあとのヨーガトークス(10分〜20分)ではアーサナをするとどうして呼吸が変わっていくのか、また呼吸のリズムが変わるとどんなことが起こるのかなどをお話していきます。

ヨーガ・トークスの内容

5/10 呼吸が深まるヨーガの力

5/17 内側からの浄化と自己治癒力

5/24 呼吸が変わる!性格が変わる!

5/31 プラーナ(生命エネルギー)と食事と心の関係

6/7 アーサナの時間は日常に生かされる

6/14 自分のキャパシティを広げる

6/21 強くてブレない心になる

6/28 呼吸を調えて瞑想に座る 

5月は「5月病」なんて言葉があるように、春から環境が変わった方にとって少しずつ溜まったストレスを感じ、落ち込む月でもあるようですね。最近、私の回りでも仕事や進路などの悩みを抱えている方がいます。話を聞いていていつも思うのは、相談にのることはできるけれど、本当に状況を変えたかったら「ヨーガ(アーサナ)してください!!!!」ということ。今抱えている問題はヨーガをすることで解決すると思うし、むしろそれ以外に根本的に解決する方法はないと思うのです。

呼吸が変わることで、イライラしたり、落ち込んだり、ストレスを感じることは本当に少なくなります。日々落ち着いて生活できるようになると、落ち着いて物事を見て、判断することができます。ヨーガをするとそれは誰もが実感できることです。

さぁ!!気候も良くなってきたので、みんなでヨーガ、アーサナしましょう!!
どなたでも参加していただけます。お待ちしています。

ヨーガ瞑想体験クラス 六角スタジオ


京都 瞑想会 

先日、京都のヨーガ・ヴィハーラで毎週月曜日に瞑想会をしていることをこのブログで紹介しました。この4月からは月曜日に加え、奇数週の土曜日にも開催することになりました。(5月は7日、21日)時間は19時〜21時の2時間です。月曜日は平日なので仕事の都合で参加できないという人も土曜日なら参加しやすいということで、月曜日の瞑想会とは違う顔ぶれがそろい、人数も少し増え、一緒に瞑想を深めています。どなたでも参加していただけますので、ぜひ一度参加してみてください。

今回は瞑想会に欠かさず通ってくれているOさんから瞑想会への熱い思いをいただきましたので掲載します。

神さまに逢える場所

去年の夏に瞑想会に参加しませんか~と先輩に呼びかけてもらって、春まで続いてきた。
1人で座るのもいいのだけれど、やはり人と共に坐ることの力というのを改めて感じている。

自分だけの取り組みでは、様々な日中の出来事を心が自動再生したりして、肝心の瞑想の対象に辿り着くこともなく、ただ何となくぼーっとしていただけ?という時間になってることもしばしばだった。

ところが、先輩方が用意してくださってる時間や空間は、何もなくスッキリとした、落ち着きのある雰囲気で、そこに入っただけで、或は思い出すだけでもほっとして、様々の思いなど勝手に離れてしまう。
あの神聖な空間にふさわしい自分でありたい、と注意しながら生活するので、瞑想に入りやすい状態を普段から保てるようにもなってきたのだと思う。

そして、この春にはついに神々のタペストリーが壁に掲げられた。
つい先日は、ナタラージャの新しい神像も置かれた。
浄らかなものと私たちは隔てられている。或は、自分でそれらと隔たりを作ってしまっている。
神が、真理が、浄らかなものが、どこにあるのか、どのようなものなのか、見たことがなければ、想像することなどできない。

神さまはみんなのものだ。
浄らかさとは、みんなのことだ。
そしてソレは、ワタシの中にもきっとある。

私たちは師から「あなたはソレです」と教えていただいた。
本当の自分に目覚めること。ソレを目指すこと。ソレになること。

神さまと一緒になって遊びたい。
それを実現するための、神さまに逢える場所。

みんなで一緒にそれを味わえる瞑想会に一人でも多くの方と共に坐ってみたい。

ヴィハーラの2階 シヴァ神の絵

ヴィハーラの2階 シヴァ神の絵


『黒インド古典』のご案内

皆さん、初めまして。
洋平です。
ブログ、初投稿です。(たまに「孔雀のポーズ」の写真が上がっていますが、それが僕です)

アーサナ②
「The Eternal Quest」で披露された孔雀のポーズ(右)

4月29日(金・祝)に西梅田のアギーというお店で行なわれる「黒インド古典」というイベントのご案内をさせていただきます。
この「黒インド古典」は、シタール奏者のオザキ シュウヘイさんとタブラ奏者の室ユウヤさんが主催する「インド古典音楽」のイベントで、
そこに、昨年11月に行なわれた「The Eternal Questー永遠の探求ー」の前半部——アーサナ・瞑想のデモンストレーションと『ウパニシャッド』の詩の朗唱を、オザキさんのシタール演奏を交えて、森岡・奥田・洋平の3人のメンバーで再演させていただきます!

インド黒古典
イベントのチラシです。

ところで皆さん、話はガラッと変わりますが、「インド」には行かれたことがありますか?
僕は十一年前の二十歳の時にインドを初めて訪れたのですが(←意外にも昔だったと驚く)、
そのインドの地に初めて足を踏み入れた時、

「この世界に、こんな場所があるのか!?」

と、とても驚いたのを覚えています。
目に入る人や建物、景色やその空気感はまるで夢か映画を見ているような感覚に陥るほどで、帰国後もそのインドの世界観や宗教に魅せられていき、その延長でインドがその発祥である「ヨーガ」にも出会いました。
それで最近になってからなのですが、このインド特有の空気感が醸し出されているのは、「インドには多くの聖者が生まれたから」ということを師から教えていただき、「なるほど」と納得しました。
確かにインドはブッダを筆頭にシャンカラ、チャイタニヤ、近年ではシュリー・ラーマクリシュナやラマナ・マハリシといった数々の聖者が生まれ、その信仰や礼拝が人々の生活に根付いていますよね。
でもこのインド、さらにその宗教の歴史は古く、何と驚くことに有史以前からリシと呼ばれる聖仙たちが存在し、瞑想によって真理の探究を行なっていたというのです。
その聖仙たちの最も古い足跡が記されたものが、今回のイベントでも朗唱される『ウパニシャッド』の詩なのですが、
この『ウパニシャッド』の中では、

「聖者たちは瞑想に没入し、自らの内に『真の自己』、自ら光り輝く『唯一の神』を見た」
「ヨーガを行じる者は『真の自己』を悟ることによって、『真実なる神』を直接的に体験する」

ということが書かれています。
つまり『ウパニシャッド』では、「本当の自分」は「神」だと言っているのです。
これ、かなり強烈な宣言ですよね。
「自分が神」とは一見、エゴイスティックに聞こえますが、真に「自分が神である」ことを悟ると「一切が神である」ということが悟られるとも、この『ウパニシャッド』は明言しているのです。
「!?」のマークが頭によぎった人もいるかもしれません。

でも私たち、クレイジーとも思われるこの宣言と探求を、「マジ」で信じて実践しています!!!

昨今、ヨーガはアーサナが主流になり、ヨーガ=アーサナと捉えられがちですが、アーサナは目的に至る手段であり、ヨーガの一部です。
私たちは今回、アーサナのデモンストレーションをしますが、別にアーサナ(孔雀のポーズとか)の披露をしたいのではありません。
アーサナによって身体と呼吸を制御し、瞑想によって心を静めて、「真理」「本当の自分」「神」に近づきたいためにやっています。
そしてできることなら一人でも多くの方に、「マジなヨーガ」を知ってもらえたら、感じてもらえたらという思いでやっています。
「今習っているヨーガってどうなの?」「ヨーガのエッセンスって?」また、「インドの世界観を感じたい」「ちょっと自分を変えたい」と思っている方など、もしインドやヨーガや神、本当の自分、またインド古典音楽ということに少しでも興味や関心がありましたら、是非「黒インド古典」にお越しいただけたらと思います。

最後になりましたが、今回のイベント主催者であるオザキさんは十代の頃からインドに渡りシタールを続けている、シタール一筋の三十二歳。すでに私たちとは2回共演しており、アーサナと瞑想のムードを一層引き立ててくれる演奏をしてくれます!タブラの室さんもキャリア十年を超え、演奏時の「手の動き」と「目」は凄いです。インド古典音楽のことを何も知らない僕が言うのもおこがましいですが、インド古典音楽に「マジ」な方たちだと感じています。

それではイベントでお会いできるのを楽しみにしています!

4月29日(金 祝)18時開場 投げ銭
@無国籍料理 “Aggi”(アギー)
〒531-0075 大阪市北区大淀南1-2-5
06-6452-4558

飯尾洋平


松山ヨーガ特別クラス

先週末、松山にてヨーガの特別クラスがあり、快晴の中しまなみ海道を通って、ミラバイとともに行ってきました。その模様をお届けしたいと思います。

4月16日(土)バクティ・サンガム、サットサンガ(ミラバイ)
4月17日(日)瞑想クラス(サーナンダ)

バクティ・サンガムは、今回は紙芝居から始まりました。3月のシッダ・マールガで上演したものですが、今回はとってもグレードアップしていました!!!

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開演前、喜びに満ちた表情で紙芝居の準備をするミラバイです。しばらくすると続々と参加者が集まってきました。36名の方が参加されました。

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紙芝居の様子です。主題は「The Story of Mira’s Love」ー中世のミラバイの愛の物語です。みんな童心に戻って(?)紙芝居に釘付けです!

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では、少しだけ紙芝居を動画で観てみましょう。

今回の紙芝居では、途中突然の寸劇も始まったり、絵の内容もヴァージョンアップし、とても楽しくそしてバクティとはいかなるものかをうかがわせるような、集中感のある内容でした。みなさん、「本当に良かった!神への愛を感じられた!絵も声も美しく魅せられた」という好印象の感想でした!ぜひミラバイの紙芝居に興味のある方はお問い合わせください。縁があるところにはどこへでも駆けつけることでしょう!

さて、その後続いてバクティ・サンガムがありました。

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主クリシュナが見守る中、みんなで主の御名を繰り返し繰り返し捧げました。ミラバイが松山を訪問するのは2年ぶりなので、彼女と一緒にキールタンを歌うことを待ち望んでいる人がたくさんいました。みんな喜びに満ちが表情でキールタンを歌い、神への愛に没入しているようでした!それもぜひ動画で味わってください。

30分インターバルを挟んで、ミラバイによるサットサンガが行われました。著書『真実を求めて』が発刊されて1年。その著者に会いたい!声を聞きたいということで、参加者のほとんどの方が読まれていて、この日のサットサンガは、本当にたくさんの質問が絶え間なくありました。それぞれが日頃から真剣にヨーガに向き合い、実践している様子が伺えるような質問が多かったです。そして、ミラバイのわかりやすく親身になった導きは、師を彷彿させるようなサットサンガでした。瞑想のように心地よい状態になりましたという声を後で聞きました。

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とても多くの問答がありましたが、印象にある問答を一つご紹介します。

質問「私は安定を手に入れるために頑張っていたことがわかってきました。白馬の王子様を待っているのです。神に恋して愛していくことで、人に頼ることなく安定して生きていくことができるのでしょうか?」
ミラバイ「私はそれが一番いい選択だと思います。最初は依存関係に見えるかもしれないし人間の恋人とどう違うのかと思うかもしれない。神を恋人にすれば神しか求めなくなっていく。そこにすべての答えがある。すべての安定や幸せがあると思います。神を愛するときも神を愛しているようで自分自身の心をものすごくダイナミックに変えていくことになる。今まで望んでいたことや求めていたことが机をひっくり返すように忘れ去られていく」

 

翌日は、瞑想クラスでしっかりとみんなで座りました。神への愛も、真我の探究も、ヨーガは実践あるのみ!参加された方の毎日の真摯な取組みがうかがえるような熱心なクラスでした。

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クラス後、現在申し込み受付中のMYM40周年記念Tシャツを、みんなで楽しく選んでいました〜中には全色申し込みされた豪鬼な方もおられましたよ〜(^ ^)

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そして、、、来5月は、近日ご案内があると思いますが、

私たちの最愛の師シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサによるサットサンガが松山(5/21-22)と今治(5/23)で開催されます!!!!

今回参加された多くの方から、ミラバイが一心に愛する師に自分もお会いしたいという声を聞きました。多くの方が師にお会いするのを心待ちにしています。本当に師のサットサンガが楽しみです!またとない吉祥な機会ですから、ぜひみなさんご予定ください!お申し込みは松山ヨーガ・サークルまでお願いします。

ミラバイのバクティに刺激を受けて、松山の皆さんの神への愛とヨーガへの熱の高まりを感じた2日間でした。

ありがとうございました。

サーナンダ


集中と瞑想

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

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先日行なわれたサットサンガで、日常の中で誰もが経験する自分の心に関しての次のような質問がありました。

質問者「人の話を聞いているようで聞いていないことに気が付きました。人の話をよく聞けるようになるには、どうしたらいいでしょうか」

師「常日頃のサーダナ(修練)としての、アーサナや瞑想、真理への学びをしっかりとしていくことはとても大切なことです。それによって呼吸が乱れなくなると、内も外も動揺がなくなり集中がたやすくできるようになります。相手の言葉を確実に理解するためにも相手の行為をしっかりと観察することが大切です」

師のお答えは単純明快です。相手に集中することによって、相手の話をより理解することができると教えてくださいました。また相手の行為をしっかり観察するということは、言葉だけに執らわれず、客観的に全体を見て、相手を理解するということだと思いました。いろいろなものに心を奪われているような散漫な状態では、集中することもできません。ヨーガを実践することによって呼吸を調え、集中力を身につけていくことが日常の生活にも大いに役立つということがよく分かりました。

また師は以前、客観的に全体を把握するということは瞑想の中でも行なわれると教えてくださいました。瞑想によって一つの物事を対象にして集中していくと、その物事に対する自分の心の執われとか、思い込みとか、観念とかに心自身が気づいていき、主観を離れ、より深い洞察をもって、その対象の本質を知るということになっていくのだということを教えてくださいました。瞑想はただのリラクゼーションではありません。深い集中をもってすれば、すべての物事の本質を明らかにしていくことができると師は教えてくださっています。

集中と瞑想はヨーガの基本であり、中心でもあります。鋭い洞察力を身につけ、この世間という大海を一緒に渡りきりましょう。

ダルミニー


さまらさの台所 4月

先週の日曜日はさまらさの台所がありました。旬の食材は「筍」

竹冠に旬と書いて「筍」。旬とは出盛り期を指す言葉ですが、漢字で「旬」は「10日」を意味します。例えば上旬、中旬、下旬とは一ヶ月30日を3つの期間、10日ごとに分けて表現していることでもわかりますね。食物などの「旬」は本来その食物がもっとも美味しい10日間のことを言うようです。意外と短いですよね。そして、「筍」の場合、美味しい期間が10日というのではなく、なんと10日経つと筍は「竹」になってしまうんですって。
今回のさまらさの台所では竹林をお持ちの方のご厚意でこの「筍」を掘りに行くことができました。さまらさの台所先日の朝6時にヨーガ・ヴィハーラを6人で出発、竹林は京都の大原野にありました。
竹林

足をそーろり、そーろり引きずりながら歩くと「こつん!!」と靴に尖ったものが当たります。それが筍なんです。筍の回りの土をバールや金槌を使って掘っていきます。すると太ーい地下茎(親の竹とつながっているところ)に突き当たります。そこからは写真のような「掘り」という道具を使って筍を傷つけないように切っていきます。
掘り
これは職人の腕が必要、地下茎を傷つけないように、そして筍が中でぼろぼろにくだけないように予想を付けながら切り離します。「ほーら取れたよ!」
森ピー 筍

筍掘りのダイジェスト
慣れないたけのこ掘りでしたが、2時間でこんなに掘ることができました。しかも、顔より大きい!!
どっさり筍
大きいものが大味という訳ではないようです。京料理は見た目が大事、あまり大きいと美しい切り方ができないので料亭では敬遠されるようですが、「味に違いはない!食べたら同じ!」ということ、私としては大きいので助かりました。筍は持って帰ってすぐに下ごしらえをしました。ぬかを入れた熱湯でゆがくという方法が一般的ですが、今回は新鮮なのでぬかは必要ないと教えてもらい、お湯で40分ほどゆがき、翌日まで置いておきました。

次の日のさまらさの台所は13人の参加者があり、にぎやかに筍づくしを作りました。
筍ご飯、筍ステーキ、若竹煮、姫皮のおかか炒め。新鮮な筍はえぐみがなく、色も白くて美しい!本当に美味しかったです。
さまらさの台所 筍

いただきます!筍


バクティ・サンガム始まりました!

こんにちは! ミラバイです! お久しぶりです〜。皆さまお元気にされてますか?

さて、今年のバクティ・サンガムが京都は3月末から、大阪は先週の4月8日から開始しました!早速ご報告させていただきたいと思います〜。

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今年のシリーズは、毎回いろんな聖者を取り上げ、その方にちなんだキールタンを歌っていきます。初回は、ラーマ神を愛した、名もなきある機織りの聖者をご紹介しました。

「彼はとても敬虔な人で、誰からも信用し、愛されていたそうです。いつもは市場で品物を売っていて、人々からの信頼もあつく、お客はすぐにお金を払って彼の売る布を購入していきました。

ある日、機織りが夜更けに礼拝堂に座ってたばこをふかしていると、盗賊たちが前の通りを通りかかりました。盗賊たちは盗品を運ぶ男が欲しかったので、彼を引っ張っていきました。機織りは言われるがまま盗品を頭に乗せて運んでいると、そこに突然警官がやってきたのです! 盗賊たちは逃げ去り、機織りはなんと捕まってしまったのです。

彼は取り調べの際、長官に言いました。『私はラーマの思し召しによって、夜の食事を済ませました。それからラーマの思し召しによって礼拝堂に座っておりました。その時、ラーマの思し召しによって盗賊が通りかかりました。ラーマの思し召しによって、彼らは私の頭の上に盗品を置きました。ちょうどその時ラーマの思し召しによって警官が到着し、ラーマの思し召しによって、私は捕らえられました・・・』

長官は、機織りがとても信心深い男であることを知り、釈放を命じました」

この物語が大好きな人がおられて、ぜひ紹介したい!という声がありました。それがこの方、ヨーガダンダさん。

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いい笑顔ですね〜。今回からバクティ・サンガムを一緒に行なっていくことになりました。(よろしくお願いします 😀 )。ヨーガダンダさんはこの物語を読んで、ラーマ神だけを思い続けるという単純さにとても惹かれたそうです。常に神を思い続けるって、とっても難しい。機織りは素朴な人だけれども、いつも身近に神を感じ、至福に満ちた高い境地におられるということを感じたと話されていました。

常に平安な心境でいること、神に満たされた状態のことをシャーンタというそうです。すべては神の思し召し。いいことがきても、悪いことがきても、何がきても、すべては神からやってきたこと。愚痴を言わず、自分のところにやってきたことすべてを受け入れ、その思いに徹することができれば、全く動揺など起こらず、いつも平安なのでしょうね。また、そのように思うことは、最初は心の訓練のように感じるかもしれませんが、それこそが——すべては神から与えられているということが——この世界の真実の姿なのだなと思いました。

「すべては神の思し召し」

さーて。

私たちも、今一度、自分の心に問いかけてみましょうか。

 

次回はどんな聖者のお話が飛び出すのでしょうか。どうぞ、お楽しみに〜!

 

 


琴の弦のように

春ですね。でも早々と満開の桜も散り始め、もう葉桜も見かける時期となりました。

さて4月8日はお釈迦様のお誕生日、花祭りとして有名ですね。この日はお釈迦様に甘茶をかけてお誕生のお祝いをします。私も子供頃お寺に行き、神々や動物たちに囲まれた清らかなお釈迦様の絵を見たり、やかんから水筒いっぱいに甘茶をもらったりして、楽しい一日を過した記憶があります。そういうわけで今日もまた本願寺出版社の「ブッダ」より、ブッダの教えをご紹介します。

若い修行者シュローナ・コーティヴィンシャは河の淵に坐り、傷ついた足の汚れを水で洗い落とした。指先で傷口に食い込んだ尖った小石を取り除くと足の痛みは少し軽くなった。

「こんな修行をいつまで続ければいいのだろう?過酷な行に励み、ひたすら体と心を鍛えてきた。けれど、その成果はまだ手にしていない。それどころか迷いは深まるばかりだ。やはり自分には真実の境地を得ることはできないのだろうか」

ゆったりと流れる河に視線を向けてシュローナ・コーティヴィンシャは溜息をついた。

「そんなふうに考えてはいけない」振り返るとブッダの姿があった。

「シュローナ・コーティヴィンシャ、傷は痛むのか」

「いいえ、もう痛みはありません」

「そうか。お前の足の皮膚は柔らかい。これからは一重の履き物をつけて歩くがいい」

「とんでもありません。私だけが履き物をつければ、サンガの仲間たちに笑われてしまいます」

「では、皆に一重の履き物を許そう」

若い修行者は恐縮して深々と頭を下げた。修行を途中で諦めてはいけないと心の中で思い直した。

「シュローナ・コーティヴィンシャ、お前は琴の名手だった。お前が弾いてくれた琴の調べがまだ耳に残っている。もう琴は弾かないのか?」

「琴を奏でる時間があれば、坐を組み瞑想したいと思います」

「熱心だな。お前ほど熱心な修行者はいない。しかし、シュローナ・コーティヴィンシャよ、琴の弦は緩すぎても強く張りすぎても良い音がしないのではないか?」

「仰せの通りです。緩すぎず強すぎず、ちょうど良い張りをもつ弦が良い音で鳴ります」

「修行も同じだと思わないか?琴の名手、若き修行者よ」

「……ありがとうございます。ブッダ。私もこれからはちょうど良い張りで良い音を響かせたいと思います」

シュローナ・コーティヴィンシャは頭を下げたまま、ブッダに言った。

 

この修行者は真剣に修行してきただけに、できない自分を責めて途中でくじけそうになったのでした。みなさんも、ある一つの出来事に心が執われて、周りを見る余裕がなくなってしまったことはありませんか?それは本当に張り詰めた弦に例えられるように、すぐにでも切れてしまいそうな状況に自分を追い込んではいけないということを意味していると思いました。この時も修行者の師であるブッダが、適切な言葉でもって修行者の心の緊張を解きほぐし、心のあり方の間違いに気づかせてくれたのでした。

心を張りすぎず緩めすぎず、波のない状態、不動の状態に保つことはなかなかできることではありません。しかしヨーガの一連の実践が、心に不動の状態をもたらす努力であることに間違いはありません。私たちの師は驚くほどいつも同じで、変わることがありません。そういう師のお姿を拝するたびに、自分たちの理想とする不動の境地が、師の中にあるということを理解するのです。

ダルミニー

天上天下唯我独尊

天上天下唯我独尊


初心忘るべからず

4月1日の夜勤のとき、利用者さんや家族さんとテレビでニュースを見ていました。ちょうど世間は入社式の日、新しい門出に希望で胸いっぱいの新入社員の様子が放映されていました。インタビューでは、「ここまでこれたのは家族のおかげ、初心を忘れずにがんばっていきたいです!」と話している人が多くいました。私も利用者さんも何て初々しい姿なんだろうと見入っていました。ニュースキャスターはその様子を見て

「私にもこんな時がありましたね〜初々しい姿を見ると、自分の初心を思い出します〜」「本当にそうですね〜」と嬉しそうに話していました。

「?????」当たり前のように聞き流す会話かもしれませんが、何となく違和感がありました。

「え!初心、忘れてるんやん!」私は思わず突っ込みそうになりました。

「初心を忘れずに」と言っている新入社員を見て、ほとんどの人は自分の初心を思い出すということは、初心というのは、「忘れず」という決まり文句が付くのにも関わらず、結果的には「忘れる」ということがお決まりなのでしょうか……なんか不思議と思ったのでした。

なぜ初心を忘れるのでしょうかね。

新入社員の姿を見ていると初々しく、希望に満ちています。それは彼らはまだ何も知らない真っ白な心で会社を見ているからだと思います。でも勤務が始まると、「あれ!?思っていたのと違うな、結構大変だな、あの先輩恐いな、この仕事向いてるのかな?」もちろん悪いことばかりではないけれど、心の感想は次々に出てきます。真っ白だった心には日に日に記憶が溜まり、その印象が刻み込まれていきます。そして、仕事自体は勤務の初日と同じことをしていても、その印象を通して会社や仕事や同僚を見てしまうことが始まるのです。その時点で初心は少しずつ忘れられていくのだと思います。

では、初心はあくまで「初めの気持ち」なので、変わっていくのは当たり前なのでしょうか?ヨーガでは、その記憶やそれによって持つ印象のことを「サンスカーラ(心の残像印象)」と言います。そしてヨーガの教えにはこうあります。

「サンスカーラを消していくのは真実の知恵だけです……瞑想における真実の知恵は、心の記憶にゼロというサンスカーラを残していきます」

ヨーガをしていくと確かに物事に対する印象が弱まっていくのを感じます。今までなら仕事から帰ってきても「今日はどうだった、こうだった、あの人はどうのこうの」と心の中でずっと仕事のことを考え続け、心に印象を強く刻んでいるようなところがありました。でもヨーガをしてからは、仕事は仕事、終わったらそのことは終わったと心の切り替えができるようになったと思います。「嫌だな」と思うようなことがあっても、心を切り替えることができると、さほど気にならなくなるという不思議な変化を感じてきました。

でもこれはまだまだ、印象を持たないというのではなく、「印象を持ったけれど、それを切り替えている」という感じ。私がそのテレビを見て思ったのは、「そもそも常に初心でいるということが可能なのか」ということでした。だって毎日8時間以上働き、毎日会社での出来事や人の印象を持つたびに切り替える、この繰り返しではもう切りがない……考えただけでもめんどくさいと思ったのです。

初めから印象を持たないためにはどうしたらいいのかな……。

夜勤から帰り、その日はそんなことを考えながら瞑想に座りました。瞑想の途中でふと目を開いたとき、視界に飛び込んできたのは女神ドゥルガーの巨大な絵(ヴィハーラの2階にあります)、ドゥルガーは美しく微笑みながらライオンにまたがっています。私にはそのときたくさんの手で剣を持っているように見えました。ドゥルガーはずんずん迫ってきて、私をバッタバッタと容赦なく切っていきました。

そうか!!!もう自分の力でその印象をどうこうしようというのでは追いつかないということか!心を神に明け渡す、神のみで満たしていくことだけが印象を持たないということを可能にするのだと理解しました。

ヨギさんはいつも言われます。

「心を常に神のみで満たしなさい」

それが、ただ一つの答えでした。

ヴィハーラの2階にある女神ドゥルガーの絵

ヴィハーラの2階にある女神ドゥルガーの絵


桜満開!瞑想合宿のご案内

急に暖かくなり、京都ではこの週末桜も満開です!どこもかしこも観光客で賑わっています。

新年度が始まりましたね〜!フレッシュな装いの新社員の姿も見え、また学校では新入生の姿が初々しいですね。MYMでも今年度は設立40周年の記念となる年として、気持ちも新たに活動していきたいと思います。

さて、昨日滋賀県大津市にある近江神宮に行ってきました。近江神宮は大津京の跡地に作られており、天智天皇が漏刻(水時計)を設置し日本で最初に時報を始められたところです。百人一首かるた大会や流鏑馬などでも有名です。現在上映中の映画「ちはやふる」の舞台でもありますね。

それで今回、夏の瞑想合宿を近江神宮内にある近江勧学館で行おうと企画し、企画チームで昨日訪れてきました。京都の観光客の賑わいとは打って変わり、それほど人も多くなく、静かな心地よいプラーナ(気)があって、瞑想合宿には打って付けの場所でした。

近江神宮の桜
桜も満開です!

瞑想合宿をしようと思ったきっかけは、瞑想に関心を持つ方は多いのですが、皆さんいろいろと忙しく、なかなか腰を落ち着けて瞑想について学んだり座ったりすることが難しいようです。それなら、しっかりとまとまった時間をとって瞑想についての学びを深め、実修する機会がもてればいいなと思いたちました。しばしの間世事を離れて、静かな時間の流れの中で自分自身に向き合うことも有意義ではないかと思います。そうして、心の奥にある静けさと喜びを少しでも体感できれば、また日々の生活の中での瞑想につなげていくことができるでしょう!

7月16日(土)午後〜7月17日(日)午前の一泊二日の合宿です。瞑想に関心のある方なら誰でも、初心者の方も大歓迎です。また詳細が決まればMYMのWebサイトやブログでもお知らせしていきます。翌18日(月)も祝日(海の日)の3連休でもあるので、ゆっくりとお越しいただけるかもしれませんね。少し先になりますが、いろいろ予定が入る時期だと思いますので、早々と案内させていただきました。

澄んだプラーナの中で、ぜひ瞑想を始めてみましょう!楽しみです!

サーナンダ