『マハーヨーギーの真理のことば』第十三章 瞑想ーー基礎編

私は10代の頃から「早く落ち着きたい」と口癖のようにしょっちゅう言っていました。自分はただ落ち着きたい願望が強いタイプだと思っていましたが、ヨーガに出会い、「自分の中に真実(神)が在る」という教えを知り、「落ち着きのない心が静まってわだかまりのない心境になることで、自分の中に在る真実(神)が自ずと顕れてくるのか」と妙に納得しました。ずっと感じていた落ち着きたい願望は、「自分の中に在る真実(神)を無意識に求めていたからだ」と気付き、嬉しくなりました。そしてそれを実体験したいと思い、瞑想を始めました。
瞑想における心とその奥に在るものについて、『マハーヨーギーの真理のことば』第十三章 瞑想ーー基礎編に説かれているので引用させていただきます。

瞑想の実際的な面として、座って息を調えて心を落ち着かせる、これも簡単な瞑想の一つになりますけれども、経験すると、少々普段の活動とは違う心地良さが伴ってくると思うのです。その心地良さがどこからくるのか、これは私たちの本質として、心の潜在下、奥の方にはもう既にその心地良さのような状態、平安な状態があって、逆説的ですけれども、普段は心の表面の活動によってその平安な状態が現れないでいる。日常の様々なことや行動、あるいは心の様々な想念によって搔き乱されてしまっている。ですから息を調え、静かにすることによって、その上辺の活動が静まって、本来の静けさが現れてくる。

「自分の中に在る真実(神)」に触れたいと瞑想を始めましたが、集中力のなさ、また座法の不安定さに苦労しました。それでも自分の内面を見つめようと努力することに安らぎを感じ、とにかく毎日瞑想するようにしていると、不思議と日常で自分を見失うことが減っていきました。またやり続けていく中で、座ると自然と心が静まることが増えていきました。

ただ、毎日の瞑想が習慣付いてくると、瞑想を深めていく難しさを感じ、それには根気強くこつこつやり続ける熱意が必要だと感じました。そのような時、師は力強く励ましてくださいます。

サマーディは必ず訪れます。それを聖典の中だけの話だと思わないでください。熱心になることです。それだけが必要です。それを十分に準備するためには真理を学び、それだけを求めなければならない。自分は何者なのか、誰なのか、あるいは完全なる存在としての神、そのどちらかに集中していくなら、心の中にあるそれ以外のものは取り除かれていきます。
覚者の命の言葉をよく学んでください。更には、その覚者たちは私たちと全く同じ体を持っていたということを忘れないでください。その具体的実例が、無知とエゴという名の敵に勝つための私たちの最も強い味方であり、武器です。学び、考え、そして瞑想。そして、あなた方は真理を実現するでしょう。
【注釈:サマーディ 三昧。心が消え、対象のみが意識面にある状態】

師はご自身を通して、サマーディは本当に在ると私たちに見せてくださいました。師のお言葉、行為、1つ1つが真実の現れそのものでした。師が与えてくださった大きな導きは、たとえ師にお会いできなくても、この『マハーヨーギーの真理のことば』を通して感じ取ることができます。そして師の境地への憧れが、瞑想への情熱の支えになります。師が与えてくださった大きな祝福に感謝し、これからも熱心に瞑想を実践していきたいと思います。

 

船勢洋子


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