最高の理想を目指して

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

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先日行なわれたサットサンガでの教えをご紹介しています。

師が、常に教えてくださっているヨーガの教えはこうです。

私という本質はこの身体でもなければ心でもなく、その奥にある純粋な意識である。そしてその純粋な意識であり尊い命という存在のきらめきをみんながもっている。そして自分自身もそうだということを知ること、これが悟りというものです。心はそれを知らないのですから、このことを心に言い聞かせてやらなければなりません。心はそれを知ることによって、この世の儚い喜びや苦しみ、悲しみには巻き込まれなくなってきます。これがヨーガの教える普遍的真理です。

そうして師は、そのためにも、それを実現した聖者や覚者に憧れ、理想として目指していくことが大切であると教えてくださっています。しかし、なかなか理想の姿に近づいていけず、日々の生活の中で不平や不満ばかりを言っている自分に気が付くときがあります。そのような時にどのようにすればいいのかという質問がありました。

理想が見つけられているならば、その自分の中にある理想でないものとの違いが何なのかということを見つめて識別すること、そうすればその日常の諸行無常といわれる変化する世界の中では、いちいち不平や不満を述べる必要はないということが分かってくるはずですよ。それと日常の中での成功や失敗、うまく行っていようがいまいが、それにはもう頓着しないこと、そういう訓練をしていくこともサーダナ(修行)の大きな部分です。サーダナは何もアーサナ(ヨーガのポーズ)だけじゃない。そういう自分自身の心のあり方、それから行為のあり方、そういうもの全部がサーダナです。

本当に素直に純粋に、そのからくりというものに気付かされたならば、速やかにエゴは消えていきます。でもその気付きというものの純度によってはまだエゴが少し残っていて、何度かやっていかないといけない場合はありますね。それはそのときどきの受け止め方というか、気付き方というか、そういうものによることがあります。でも素直に純粋にそうだと思えば、もうそこでその作業は完了しますよ。みんなは純粋な意識であり、永遠の存在であることは間違いないんだからね。もう素直にそれを認めて、エゴのそういうつぶやきとか、わめきとかに耳をかたむけないようにしていかないとね。

そして師は、ヨーガによって心を純粋にしていくことが大切であるとも教えてくださっています。以前のサットサンガで、純粋であることとは、誠実であること、素直であること、計らいがないことであると教えてくださいました。私たちの師は、サットサンガの中でどんな質問にも、何回同じことを聞いても、本当に真摯に誠実にお答えをくださいます。また長年来ている人に対しても、初めて来られた人に対しても同じように、平等に接してくださいます。そのような師のお姿に接するたびに、師を見倣い、行為していくことが、純粋になることの第一歩なのだと、心は素直に思うのでした。

ダルミニー

 


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