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子育ても家事も仕事もぜんぶがヨーガになる!

ママ・ヨーギニーの皆さま、今年の春休みはとーっても長いですね!毎日いかがお過ごしですか?まだ小さなお子さんがいらっしゃるお母さんはお休みなど関係なく、ずっとお子さんと一緒という方もおられることでしょう。外出を控えて家族みんなが家にいる時間が増えた方も多いのではないでしょうか。そうすると、必然的に家事が増えますよねー。あり余る子どものパワーを分けて欲しいくらいですが、大人にはホッとできる静かな時間も必要ですよね。もちろん、家族との時間がゆっくり取れるいい機会だという方もおられると思います。

私が横浜の方で担当させていただいているヨーガサークルも、先月から新型コロナウィルスの感染防止の為にお休みが続いています。先日、皆さんにご様子をお伺いしたところ、クラスに15年以上通われている小6中2高2の三人のお子さんがいらっしゃるお母さんから「ストレス・マックスです」とお返事が返ってきました。そしてその続きには「少しでも自分の時間を作ってアーサナをしたいと思います。皆さん、頑張りましょう!」とありました。長年続けてこられている方だけあってさすがだなぁーと、とても励まされました。

瞑想中の横浜のヨーガ・サークルの皆さん

私には今社会人と高校生の娘がいますが、実は子育て真っ只中の頃、自分の時間が取れず「ヨーガなんて出来ない!」と諦めていた時期があります。その頃はまだマハーヨーギー・ミッションにも師にも出会っておらず、ヨーガ=アーサナ(ポーズ)や呼吸法をすることだと思っていたのです。今、振り返るといつでもヨーガは出来たのに…と、少し勿体ないような気持ちになります。

例えば、ラージャ・ヨーガの一番始めにあるヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)は、日常生活の中でこそ行なわれるべきとても大切な基本の教えですし、家事や仕事、また一番身近な家族や自分の周りの人に対しての日々の行為をカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)にすることが出来ます。

そして、何よりも師に教えていただいたバクティ・ヨーガ(神への信愛のヨーガ)をその頃に知っていたら!聖典を読む時間がなくても、ベイビークリシュナにそうするように喜んで娘たちに絵本を読んで、子守唄にはキールタンを歌ったことでしょう。仕事から疲れて帰宅した夫をクリシュナを見るラーダー(クリシュナの愛人)のような笑顔で出迎え、時折、カーリー女神のように我を忘れ地球を破壊するほど怒って、うっかり夫を踏んづけてしまいそうになっても!?ハッと我に返り、ペロッと舌を出してすぐ素直にごめんなさいと言えたことでしょう!

幼子クリシュナ神と養母ヤショーダ。神を愛する態度の一つに、母が子を愛するように、神を我が子のように愛する母親の態度があります。クリシュナは偉大な神の化身でしたが、恩寵によってヤショーダは神の偉大な面ではなく、ただ愛しい我が子を愛するように、愛そのものである幼子クリシュナを愛し献身したのでした。

カーリー女神は悪魔の軍勢(人間の無知)との我を忘れるほどの激しい戦いに勝利し、その歓喜の踊りで大地が破壊されそうになりました。そこで夫のシヴァ神がカーリーの足元に横たわり自らがクッションに!夫を踏みつけたカーリーはやっと我に返りペロリと舌を出しました。

ヨーガでは、この世界のすべてに神が顕現していると言われます。たとえ、今の私にまだそれを見ることが出来なかったとしても、どんな時も全てのものの中に神を見よう、見たい!と思う時、子育ても家事も仕事も、家族や周りの人との関わり方に至るまで、毎日の生活全部がヨーガになっていくのだなぁと、感じています。

今、世界中が先の見えない状況にありますが、私の師は「どんな時でも、誰にでもヨーガは出来ます」と教えて下さいます。その時その時、それぞれの人の置かれた立場の中で実践出来ることが必ずあると思います。一人一人別々の場所にいたとしても、共にヨーガを学び、共に実践していきましょう!

シャルミニー/東京


情熱を持って前進しよう!

2020年の春、世界は一変し、大きな衝撃と苦難に突然直面することになりました——世界中に広がった新型コロナウイルス感染症パンデミック。台湾は、幸運にもまだ深刻ではないレベルに抑えられており、台北と台中のアーサナクラスは続けられていますが、国中に不安な雰囲気が漂っていると感じます。
そんな中、疫病の威迫に負けず、4月11日土曜日の午後、台北の15名のグルバイは祝祭に参加する気持ちでアーナンダ・アーシュラマ(台北)に集まりました。みんなで一緒に2019年4月京都で行なわれた春の祝祭、サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラーの映像を視聴させていただきました。

アーナンダ・アーシュラマの白い壁に投影された映像。祝祭が始まりました。プレーマ・アーシュラマ(京都)にお入りになり、台座にお座りになったヨギさん。弟子から奉納されたマーラー(花輪の献上)とプージャ(礼拝)。みんな、神聖な儀式とヨギさんの慈愛に満ちた穏やかなお姿に心を奪われました。映像は、壁に映された二次元の投影像ではなく、まるでVR(ヴァーチャルリアリティー:仮想現実の立体空間)のように立体になり、本当にありありと感じ取ることができました。プレーマ・アーシュラマのその空間はアーナンダ・アーシュラマと繋がるようになり、ヨギさんは前方に座られて私たちをご覧になって無限に優しいダルシャンを与えてくださいました。

祝祭では8人の先輩がメッセージを奉納し、色んな方面と角度からシュリー・ラーマクリシュナを紹介してくださいました。台北でもプリヤーがこの大聖者の物語と教えをずっと紹介し続けてきていますから、馴染みのない存在ではありません。でも先輩のメッセージから、先輩たち自身の探求や修行とシュリー・ラーマクリシュナに繋がりがあったことを知り、そして先輩たちの情熱に満ちて素直で一心で同時にとても謙虚な姿を見て、深く感銘を受けました。 

祝祭の半ばでサティヤーさんのメッセージの最後に、『ラーマクリシュナの福音』の一節が再現されました。プレーマ・アーシュラマにいるグルバイたちがハレー・クリシュナを歌い、アーナンダ・アーシュラマにいて映像を観る私たちも一緒に歌って、両者の歌声は一つになりました。そして共に笑って涙も流して、一緒にヨギさんを見つめ、一緒にドッキネッショルを感じて、一緒に喜びに浸って、まるでコルカタと京都と台北の間にはもう境がないようでした。150年前と去年と今この時にも時間の遠近がないようでした。祝祭の最後、みんなでヨギさんに従って一緒にOm Tat Sat Omを唱える時、その感覚がもう一度呼び起こされました。

時空は一つになり、一緒に歌ったキールタン!

3時間ほどの間、ヨギさんだけが在り、シュリー・ラーマクリシュナだけが在り、喜びと感動しかありませんでした。疫病の蔓延の今、これはどれほど貴重であり、どれほど幸運でしょう!騒然としている外の環境によって物騒がしくなった心は、この時間の中で安堵しました。この映像を制作して配信してくださったマハーヨーギー・ミッションと先輩たちに言葉にならないほど感謝いたします。

上映会が終わった後、グルバイたちは一緒に晩ご飯を食べて感想を分かち合いました。何人もがメッセージで話された「神の召使い」「神の道具」という言葉が印象深かったようです。そして奉仕と言っても、よくエゴを持っていた、神の召使いや道具になりたいと言っても、情熱と信仰を高めなくて口だけだったという自分の行為に反省した人もいました。それでも、自分にはまだ遠いとか、自分にはできないとか思わないで、情熱をもって前進しよう、先輩に見習い一歩ずつ真実に近づこうと、みんなでお互いに励まし合いました。

あるグルバイが言いました——去年の秋に京都から帰ってきてから、人生に期待していたことを手放しました。チャイタニヤさんのメッセージの中の「結婚しました!子供ができました!家を買いました!」のようなことを手放してから、楽に感じました。自分がどんな人生を過ごしたいのかを改めて考えました。

どんな人生を求めるのか?見返してみると、メッセージの中で生き様という言葉がよく出てきました。シュリー・ラーマクリシュナの生き様、ラトゥの生き様、神だけを見て神だけを思う生き様、人の喜びを糧にする生き様…こんなにたくさんの見習える手本があります!それはライフスタイルだけではなく、それは全てのスタイルを超えたスタイル、それは真実を生きる、ヨーガを生きることだ! ブラボー!!!

 

日本のグルバイのメッセージは、プリヤー(右)とマールラー(左)で通訳して紹介しました。

マールラー/台中


執着なき、純粋な働き

自粛要請が続き、ヨギさんや先輩グルバイにもお会いできない中、昨年の春の祝祭の動画を視聴させていただき、とても大きな励みになりました。(昨春祝祭のブログはこちら→2019春の祝祭
ヨギさんの慈愛に満ちた優しい眼差しや参加者の皆さんの喜びの熱を感じ、私自身もまさに会場にいるような、至福の時間を過ごすことができました。

昨年2019年4月7日(日)、満開の桜が咲き誇る中で開催された春の祝祭サナータナ・ダルマ アヴァターラ  メーラー。今年は残念ながら中止になってしまったのですが、祝祭参加者に向けて昨年の祝祭の模様が全編映像配信されました。私は祝祭の式典には参加できなかったため、このような機会をいただき、本当にうれしかったです。(動画の一場面)

昨年の祝祭では、19世紀後半の神の化身シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの悟りと生きざまに焦点を当て、8名のグルバイ(兄弟姉妹弟子)たちからスピーチが捧げられました。ラーマクリシュナの魂に触れ、その存在すら感じられるような熱い思いが迸るスピーチでした!

今回の祝祭の動画から強く感じたのは、ヨギさんの決して変わることのない確かな導きとグルバイの皆さんの神への信仰と愛、そして悟りへの強い決意でした。

ヨギさんから多くの教えをいただきながら、なぜ私は皆さんのように、真理の道に邁進することができていないのか?自分の未熟さが情けなくもありましたが、動画の中で目標とする姿を目の当たりにし、もっと自分のエゴと向き合い、純粋になっていきたいと志を新たにすることができました。

また最近では、新型コロナウイルスの問題を機に、自分自身が果たすべき義務や働きは何なのかということを真剣に考えるようになっていました。
今までは、母として妻として家庭を大切にし、家族のためにより良い家庭環境を作ることが自分の義務であり、それを愛をもって遂行することこそが、何よりのサーダナ(修練)になると考え、その義務以上の働きに対しては、なかなか積極的になることができませんでした。

しかし、先輩グルバイが熱く語られるシュリー・ラーマクリシュナの生涯や生き様、その教えに触れる中で、私は自分の果たすべき義務を、小さな心の領域の中でばかり考えてきたのではないかと、自問せずにはいられませんでした。

シュリー・ラーマクリシュナのあまりにも純粋な働き。
休むことなく、他者のために身を尽くし、働き続けるその無私の行為に、ただただ圧倒されるばかりで、自分がいかに働きの結果に執らわれ、他者に奉仕できる最良の機会を逃し続けてきたのかということが、はっきりと理解できるような気がしました。

スワミ・ヴィヴェーカーナンダは『カルマ・ヨーガ』の中で「筋肉と頭脳から巨大な活動を起こさせよ。しかしそれらをして、魂にいかなる深い印象も刻ませてはならない」と言われています。

世の中は、先の見えない不安や緊張に包まれ、今後ますます、多くの人々が本当の安心を求め、人生の目的や命の意味に立ち返っていかれることでしょう。
そうした方々のために、自分のできる最善を尽くすこと。自らの働きを通して、少しでも多くの方にヨギさんの教えをお伝えしていくことが、弟子としての私の新たな義務ではないだろうかと考えています。

最後に師シュリー・マハーヨーギーよりお言葉がありました。『それぞれの人がそれぞれの状況の中で、真実を悟ることができる。なぜなら、真実はもうすでにそこにあるから。』優しく力強い言葉に胸が熱くなりました。                                                    オーム・タット・サット オーム!

計らいのない純粋な働きによって、多くの善いことを行なえますように。
内なる神に礼拝し、日々精進していきたいと思います。

 

 

田原由美+子供たち/大阪  


インターネットの動画配信でヨーガを学ぶ!

古代の修行者たちから、「俺たちの時代なんて…」と説教じみた小言が聞こえてきそうなほどの恵まれた状況が、昨年の四月、私に与えられました。

ヨーガに出会ってまだ1年しか経っていなかった私は、『パラマハンサ会員限定瞑想専科 ヨーギーを目指して!12回コース』という力強いタイトルにやや尻込みしたものの、通常のクラスにはない動画受講コースがあり、何度でも繰り返し視聴できるというインターネットならではのメリットに惹かれて、結局受講することにしました。

このコースは熱心なヨーガ実践者に向けたパラマハンサ会員限定コースで、遠方の人も受講できるように、クラスの模様が1週間以内にYouTubeで動画配信されてオンライン受講できるコースも付加されているのが特徴です。レクチャーと45分の瞑想実習、そしてQ&Aの構成です。

会員限定というだけあって、おっかなびっくりの新参者に対する配慮など微塵もないディープなヨーガ愛が、全12回のクラス全てを貫いており、「動画視聴者は会場のプラーナを少しでも感じながら受講をするように」とのアドバイスを意識するまでもなく、毎回、モニター越しに熱いものを感じながら視聴させていただきました。

ある先輩から、今回の講師であるサーナンダさんについて、「サーナンダさんは、ラージャ・ヨーガ(王道ヨーガ)やギャーナ・ヨーガ(真知のヨーガ)の話をするときはとても知性的・論理的だが、バクティ・ヨーガ(神への信愛のヨーガ)の話をするときは敬虔なバクタ(神を信愛する者)のように喜びに溢れかえる。クラスなどでそういった話をすること自体も、聞いた人が少しでもヨーガを深めることができるようにという他者への思いに根ざしたカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)そのもので、とにかく本当に凄い方だ」という講師像を聞いたことがあります。

講師のサーナンダさん

確かに、バクティやプレーマ(真の愛)について涙ながらに語られていた第7回【グルへの愛と献身】第8回【真の愛】あたりの映像や、24の宇宙原理や真我探求についての小難しい話をされていた第6回【心を知り尽くす】第9回【真我の探究】あたりの映像を思い返してみると、改めてそのギャップの大きさを実感し、「バクタ=神の愛人」や「ギャーニー=智者」といったカテゴリーにすら執らわれない『Theヨーギー』の姿を、記憶の中のサーナンダさんに垣間見るような思いです。

第8回真の愛の動画受講の一画面

第9回真我の探求の動画受講の一画面

実際の会場にいる受講者の一人からも、「ヨギさんのことが好きだと言う人はバクティ的な瞑想をする人が多い中、誰にもましてヨギさんに惚れまくっているサーナンダさんが、何故アートマン・ヴィチャーラ(真我の探究)を中心に実践されてきているのか?」という疑問が呈されていました。サーナンダさんは、「入口が違うだけで中に入ったらどちらも一緒です」という言葉で答えられていましたが、あの師が書かれた「ヨーガ・サーラ」の結びの一文、『王道、知、神への愛、献身行為の四つの大河は各々に、また重なり合って一つの大海に流れ込む――真実在という至福の海に。』を地で行くようなご自身の様子そのものが、言葉以上にその答えを体現してらっしゃるように感じました。

永遠の真理、サナータナ・ダルマが人の姿をとってこの地上に現れてくださったのがヨギさんなら、その教えを淡々と黙々と実践し続ければどうなるかを人の姿をとって示し続けてくださっているのが、サーナンダさんを始めとする諸先輩方の皆さんだと言っても過言ではないでしょう、多分。事実、ヨーガを真剣に教え真剣に学ぶ先輩方の姿が映し出された動画を見るたびに、実践に対する信頼と情熱が私の心に湧いてきたものです。

先にも述べたとおり、1年前はそれほどの覚悟を持って受講を決めたわけではありませんでした。この覚えの悪い頭に動画受講コースのメリットを生かすべく、繰り返し視聴しながら教えの部分を文字に起こしてみたものの、結局それに満足してそれっきり読み返さなかったり、何回かの瞑想実習の時間は、1クリックで簡単にスキップできる利便性がよろしくない方向に作用したりと、まったく私らしい体たらくです。
しかし、1年間の動画受講を通して、モニター越しに現代でヨーガを実践しているヨーガ行者の姿を繰り返し見続けた結果、たとえ教えの内容は覚えていなくとも、その姿自体の印象は色濃く残りました。またその印象に、こんな私をして(今のところ)一日最低一時間、瞑想の座に着かせる力があったことは、受講前には想像だにしていなかったことです。

実際のクラスでの瞑想シーン(最終回)

最終回【永遠の真理】でのサーナンダさんは、強力なカルマの中にある我々がヨーガの道を歩もうと思い立ったこと(一年前、第1回【真理】の動画内でおっしゃっていた『発心』)を奇蹟と称されました。
思い返せば、「何のために生きているのか、人生の目的は何なのか」と悩んでいた2年前の私が、インターネットを介してヨーガと出会い、そして今、『真実を悟ること』を人生の目的としてヨーガを実践しているのです。まったく、涙がちょちょ切れるほどの奇蹟です。

さらにサーナンダさんはこうおっしゃいました。「自分自身の中に真実があるということ、自分自身が真実そのものであるということの自覚が少しでも起こったなら、この世の中で何が起ころうと何ひとつ影響を受けない。外の世界に求めるものは何ひとつ無くなる」と。
この世の中で起こることに逐一影響を受け、外の世界に求めるものが百八つある私にとっては耳が痛いところもありますが、この言葉が一層身につまされるような昨今の現状に対して、一年間の動画配信クラスを学び終えた今の私は、淡々と黙々と実践し続けるという態度で応じなければなりません、ヨーギーを目指す者として。

第10回【理想を行動する】の映像で、「志は行動し、実現しなければならない」という言葉が紹介されていました。この1年間で私が最も意識したのも理想についてです。ヨーガに出会えたものの、ヨーガがなかなか深まらないという思いに執らわれていたとき、そもそも自分の理想や志が明確とは言えないことに気付きました。
無知があるからこそ真実を悟ることを目的とするのが道理なのに、その目的たる真実は、無知があるうちはどうしても漠然としたものであり続けるのもまた道理なのです。ヨーガを深めるためには理想を明確にすることが先決なのだと感じました。しかし、理想について考えてみると程なく、理想を明確にするためにはヨーガを深めなければならないとの答えが浮かんできました。…頭の中まで輪廻です。
こうして、結果堂々巡りに終わるような無力な思考に頼っていた今までの傾向は、徐々に力を失っていきました。そして、映像の向こうの現代のヨーガ行者の姿に、思考では結論の出なかった理想の片鱗を見て取り、実践をもってヨーギーを目指すという決意に至ったことが、この1年間における私の中の最も大きな変化なのかなと思います。

曰(いわ)く、この時代の特異性はインターネットとのことですが、そのおかげを蒙(こうむ)って、動画配信という形でヨーガの教えに触れ続けることができた一年間でした。
ありがとうございました。

深水晋治/松山市


何があっても淡々と黙々と!

想いが溢れる。
ヨーガを実践にするにつれ、時に強烈にそれが起こるようになりました。
ヨーガに出会う前は、その時々の感情が昂り、爆発してしまうこともありました。嬉しい、腹立たしい、悲しい・・・種類は違えど、感情が昂っておさまった後に残るのは虚しさが多かったように思います。
今も感情が昂ることがなくなったわけではありませんが、以前のような感覚とは異なる想いが湧いてくることがあります。胸の奥がじーんとするような、それは愛しいような感じもするし、ひと言では言い表せない感じ。その想いがあるだけで揺るぎのない安心を感じるというか。胸の奥から自ずと湧き上がってくるものが、ただ在る、という感覚です。
その想いが強く溢れ出てくるのは、師であるヨギさんのお姿を目の前にしている時。お姿は見えなくてもヨギさんのことを想う時。そして、ともに学び実践しているとグルバイ(兄弟姉妹弟子)と一緒にいる時。

東京では、2月末から新型コロナウイルス感染症の影響で、グルバイと会うこともままならない状況となりました。クラスもなく、こんなにも長く誰とも会えないのは初めてのことです。

また、私は鍼灸師として働いていますが、心身共に不安定になった患者さんと接することが急に多くなりました。こんな時こそぶれないよう淡々と、と意識はしていても、強い不安感に引っ張られそうになる瞬間が度々ありました。

そんな時、受講中の瞑想専科の配信動画を観ました。

2月22日に開催された会員限定瞑想専科のYouTube動画配信クラスの一画面

テーマは「ヨーギーの生き様」。
今回は最初に瞑想だったので、45分間座につきました。
日中だったので周りの音が気になりましたが、ひたすら胸の奥一点に集中するよう努めました。ここしばらく長く座る時間を取れないまま過ごしていたこともあり、落ち着きのない心との格闘が続きました。決して集中できたとはいえない45分間でしたが、自分の中の軸のようなものが一筋通ったような感覚がありました。

瞑想に続いて講座が始まりました。
ヨギさんの教えは比類のない叡智。真理を糧に生き、人を導き救済する。そこから一瞬もぶれない生き方をされている。その生き様を見せてくださっている。私たちはどれだけヨギさんの生き様を感じられているか。
PCの画面越しですが、いろんなものが一気に伝わってきました。
「ヨギさんは、淡々と、黙々と、それを実行され続けている。何が起きてもまったく惑わされず、ただ同じように淡々と黙々と…。」
それを聴いた瞬間、涙がどっと流れました。久しぶりに、大泣きしました。そして自分の中に鬱々と溜まってきたものが何もなくなったと感じました。

白いダリアの花。サハスラーラ・ チャクラのようで、眺めているだけで穏やかになり、胸の奥に集中が起こりました。

ヨギさんは常々時間も空間も関係ないとおっしゃっています。
分かっていても、ヨギさんにお会いする機会がなくなり、クラスなどでグルバイにも会えなくなると、モチベーションを保ち続けるのが厳しくなってきていました。
そんな中、この動画が一気にいろんなものを吹き飛ばしてくれました。
そうして、胸の奥にただ在る感覚が戻ってきました。ヨギさんはいつでもここにいらっしゃってくださること。真理はいつでもここに既に在ること。同じ真理への道を歩んでいるグルバイの存在がいつでも共にあること。想いが溢れて、次の一歩を踏み出す原動力となりました。

この瞬間もヨギさんはヨーギー/ヨーギニーの生き様を見せてくださっています。私たちはどれだけその生き様を感じ取ってそこに迫れるのか。何が起きても、淡々と黙々と。今こんな時だからこそやるべきだし、より集中して迫っていけるのではないでしょうか。

ハルシャニー

*クラス体制の変更に伴い、3/29より東京クラスの Webサイトがリニューアルします。それに合わせて東京ブログメンバーだったハルシャニーとシャルミニーが新たにこちらのブログメンバーに加わります。


春の風を受けて

新型コロナウィルス感染の影響で、うちの娘は学校が休校となって家で過ごす毎日でした。お菓子作りをしたり、集中してじっくり本を読んだり、普段なかなかできないことが出来ていたようです。非常事態の中、比較的のんびりと過ごしている娘を見て、先輩グルバイがずいぶん前に仰っていた言葉を思い出していました。

ヨーガ行者はどんな時代が来ても、影響されない

どのような話からこの言葉をお聞きしたのか、今回は割愛させて頂きますが、この言葉を聞いたとき、ヨーガ行者というのは常に内面で満たされているから自分の外側に幸福を求めようとしない、世間の動揺とはまったく無関係のところで生きるということなんだな、と思いました。気持ちが揺らいでいるということは、逆に儚いところに喜びを求めてしまっているということになりますし、そういう時こそ、いったいどこに真のリアリティがあるのかを真剣に、緻密に探求せねばならないと思ったのでした。

朝、自転車を漕いでいると、ふわっと優しい風が吹いてきました。どこからか沈丁花の甘い香りが漂ってきて、ラーマクリシュナの聖句を思いました。

葉っぱが動くのも、それも神のご意志によるもので、あのお方(神)のご意志なしには、一枚の葉も動くことは出来ない。

ああ、神のご意志がないと葉っぱを揺らす風も吹かない!目にも美しい花も咲かないのだ!と思うと神の存在がとても身近に感じられて嬉しく思いました。

もっともっと私の内面が神で充満していけば、その歓びは周りの人たちにも良い影響が与えられるのではないかと思いました。私のするべきことは明らか!神を思い続けることです。

京都では少し桜の花が開いてきました

アマラー


純粋な愛

「光陰矢の如し」と言いますが月日の経つのは早いもので、ヨーガを学び始めてから、もうずいぶんと時が経ちました。ヨーガの師と巡り会った頃、見るもの、聞くものがすべて新鮮で、心はその教えに惹きつけられ、すぐに虜になりました。それから、いろいろな問題がスムーズに解決し、めまぐるしく変わる環境の中で、心はどんどん新しい世界を受け入れ、軽やかに自由になっていったのでした。
でも月日が経ち、淡々と日々を暮らす中で、真実はいつになったら実現できるのか、思うような結果をみることができない自分は、何か進歩の証がほしいと思うようになりました。しかし、そんな悪魔のささやきには耳をかさず、自分の内にあるという真実だけを頼りに、心を正していくということも繰り返し、繰り返し行なっていました。
そういうふうに悶々としていたある日、シュリー・ラーマクリシュナの教えが再び頭の中に蘇ってきました。

「追い風は常に吹いている。自らが帆を上げるだけだ」

 最初の頃、この教えに背中を押され、勇気を出して小さな帆を広げ、師の下に飛び込んでいったのでした。その追い風は間違いなく確かに、真実の方向に私を進めてくださった、そうなんだ、私は今だって、この追い風の中で、もっと大きな帆を上げて、スピードをあげていくこともできるのだと改めて気付かされました。私はやっと、状況が困難にならないように、真実へ向かっていけるように、師がいつも影になり日向になり、どんな時も辛抱強く、私を見守り、愛をもって、支え続けてくださっていることに気がつきました。その師の純粋な愛を見つめていた時、私は自分の中の愛をも見つめることができたのでした。いつの頃からか私は師を愛し始め、そして今ではこんなにも愛しているんだと自覚し、そんな自分に自分が驚いたのでした。その純粋な愛の力を信じ、これからも淡々と精進していこうと思います。 

もっともっと師を、神を、愛することができますように。
オーム タット サット オーム

Satguru shri Mahayogi Paramahamsa
Painted by Saci

ダルミニー


深水会

誰が呼んだか「深水会(ふかみかい)」。
これは、齢(よわい)四十を超えて料理の一つも出来ず、かつヨーガに出会った後もなお食に対して無頓着な不届き者に、一からその教えや習慣を叩き込むための、いわゆるお料理教室の呼称なのです。
食べる物・時間・量に何の配慮もせず、料理の煩わしさから数十年に渡り逃げ続けていた私の首根っこを、神は遂に捕らえられたのです。

私の食に関する価値観を叩き直すために遣わされたのは、会の企画と料理指導をしてくださるアミティさん、食材の準備や料理の補助、洗い物など様々なサポートをしてくださる山口正美さん、出来上がった料理を食べてやや大げさに褒めてくださるアーナンディーさん、の3人のお姉様方。

左から、アミティさん、山口さん、アーナンディーさん。

ヨーガを始めて一年余りだった当初の私には過ぎたる布陣に思え、初回はしっかり委縮しておりましたので、正直一回こっきりかなと思っていましたが、気付けばこの会の開催も、昨年7月の第1回を皮切りに、既に6回を数えるに至りました。
カレーに始まり、オムライス・パスタ・天ぷら・湯豆腐・蕎麦と、おそらく独身アラフォー素人男子という条件を考慮して決めていただいたメニューを、この隙のない布陣が、諭したり鼓舞したり褒めたりとあの手この手で素人の私に手ほどきしてくださいます。
さらに教わるのは料理だけではなく、肉体を持ってこの世に生まれた我々が、米や野菜などの食材の命をいただきながら身心を調えヨーガを完成させてゆく、そのためにはいつ何をどのくらい食べるべきかは自ずと決まってくるといった、ヨーガにおける食の捉え方なども一から丁寧に教えてくださいます。

おかげさまで徐々にではありますが、私の食生活にも変化が現れ始めてきました。今年の年明けをさまらさの台所で教えていただいた手作りおせちで迎えることができたり、と。このような勢いのまま、これからも最低限の料理の習得と食に関する価値観の改善を図りたいという思いはもちろんあります。

一方で最近は、私が本当に学ぶべきは、素人のおっさんに一から料理を教えるというこの意味不明な役割を、嫌な顔一つせず、普段の先輩方と何ら変わらない優しさで淡々と果たす、この他者への奉仕の姿勢そのものなのではないかと思うことがあります。料理はある意味方便で、ご指導の本命は行為のヨーガなのではないかと。
ヨーガを始めてからよく耳にするようになった「他者への献身奉仕」という言葉の意味を、この料理の会での先輩方を通して、私はまだまだ分かっていなかったのだと痛感します。この献身奉仕のお手本を奉仕される側から目の当たりにしている私には、同じヨーガを学んでおきながらいつまでこちら側に甘んじているのか、という葛藤が生まれつつあります。
この葛藤には、インスタント食品コーナーから生鮮食品コーナーへと私の踵(きびす)を返させる力はもちろんのこと、ひいては、カルマの道(私)からヨーガの道(あなた)へと踵を返させる力も秘められているように感じます。
そんなこんなで、いよいよ自分が甘えていられる時間も残り少なくなりつつあるなという予感のもと、これを腹をくくるまでの猶予と捉えて、何かにつけてカルマの道に引き込まれがちな低次な傾向と袂(たもと)を分かつ覚悟を、今の内に養っておこうと決意を新たにする次第です。
以上が、私がこの料理の会を通じて教えていただいていると感じているところです。

まぁ時間切れまではしっかり甘えようかという不埒な思いともじゃれ合いつつ、第7回深水会のメニューに思いを馳せる、今日この頃の私でした。

深水晋治


ラーマクリシュナの例え話

梅の開花便りが聞かれ、日差しに春の訪れを感じますね

久しぶりに「ラーマクリシュナの福音」を手に取り、パラパラとページをめくっていると、私の好きな例え話が目に入ったので、ご紹介します。

ラーマクリシュナは、誰にでもわかるように、目に見えない真理や神を分かりやすい例え話にして教えを説かれることがあります。「どのようにしたら真理を実現できるでしょうか」と言う信者からの問いに対して、このように答えておられます。

「祈ることによってすべての魂はあの至高の霊と一体になれるのだ。どの家にもガス栓がつけてある。ガス会社からガスがくるようになっているのだ。だから、申し込め!申し込みさえすればガスをよこす手配をしてくれるだろう。部屋に明かりがつくだろう。シアールダハに事務所があるよ(一同笑う)」

おそらくシアールダハは実際にガス会社のある場所の名前ではないでしょうか。ユーモアがありますね。私はこれを読んだ時とても素直に「そうや、申し込まなあかん」と思ったのですが、それにはある経験が関係しています。

私は少しの期間ですが外国に住んだことがあります。知り合いがいなかったので、自分で住む部屋を探し、契約し、家具を揃え・・・ととても大変でしたが、屋根裏にある小さな部屋に落ち着きました。お茶でも飲むかとガス栓をひねったとき、ガスがきていないことに気が付きました。水道も電気も申し込みしなくても(おそらく大家さんがしてくれていた)そのまま使えることになっていたので、ガスについて聞くことをすっかり忘れていました。なぜかそのとき、私は備え付けのガスコンロの方に不備があると思い、大家さんに電話するも繋がらず、どうしようかと思っていると、隣に住む人が訪ねて来ました。ガスコンロに不備があると話すと、彼は、「違う!違う!申し込んでないから!今すぐ申し込め!」と言うのです。そこで、彼はすぐにガス会社に電話をかけてくれたのですが、私の語学力が追いつかず、電話でのやり取りは無理と判断され、直接事務所に行くことになりました。その日は営業時間に間に合わず、次の日の午後、仕事と仕事の合間に行ったのですが、昼休みで対応してもらえず、次の日に行くも、申し込むために必要な書類が揃っていないと帰され、書類をそろえるのにもさらに時間がかかり、土日は対応してくれない・・・・何日もかかって、やっとの思いでガスが使えるようになったことを覚えています。そんな苦労話もすっかり忘れていましたが、この例え話を読んだとき、そのことを思い出しました。

ラーマクリシュナの「申し込め!」の言葉とあの時の隣人の「申し込め!」がリンクして、なんとも忘れがたい例え話となりました。そうです、必要であれば申し込まなければならないのです。「私はガスが必要です」と同じように「私は真理が必要です、真理を実現させてください」と神に祈らなければならない。あの時、少し?(実際にはかなり・・・)手間はかかったけれど、申し込んだ途端にガスが来るようになったように、きっと申し込み続ければ、その思いは実現されるのではないかと思わせてくれました。

 


グルの導き in New York

寒暖の変化が激しいですが、あちらこちらで梅の花も開き、春の足音が聞こえて来ています。

今日は、偉大なる神人シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの御聖誕日です。マハーヨーギー・ミッション主催の今年の春の祝祭(4月5日)では、昨年に引き続き、シュリー・ラーマクリシュナの御降誕をお祝いし、皆で歓びと感謝を捧げたいと思います。あともう少しですね!

さて、師シュリー・マハーヨーギーは12月上旬〜3月上旬までニューヨークにご布教に赴かれていますが、今年の冬は日本からたくさんの弟子がニューヨークを訪問し、師のお膝下でヨーガを学ばせていただいています。グル(師)と共に過ごす日常の中では、弟子はグルの言葉や呼吸、振る舞いに始まり、グルの影響を全面的に受けて、得難い学びをします。

新春の弟子のサットサンガで大きな変貌が話題になった船勢さんが、今回、ニューヨークでの体験を寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


年末年始にかけて、ニューヨークにヨギさんと共に滞在させていただきました。

ニューヨークでのヨギさんはいつも軽快で、動きやしぐさに無駄がなく、どの瞬間でもそのまま絵になるように見えました。目の前に今必要なものだけがある状態で、その中にいると一瞬一瞬が今の連続であるように感じました。話される時はいつも相手が理解できる言い方でお話ししてくださいました。ヨギさんの見ている世界は私が見ているものとは全然違うのだろうと思います。ヨギさんと接していて、ヨギさんの下でヨーガを学べていることがとても正しいことのように感じました。

ニューヨークではたくさん質問して、ヨギさんはその1つ1つに丁寧に分かりやすく答えて下さいました。それと同時に、私が言葉にはしなかったことに対しても答えて下さっていたように感じます。

私はあることに対して「どうして自分はいつもこうなってしまうのだろう」という思いを持っていました。そしてそんな心の思いに負けない強い自分になりたいと願っていました。ヨギさんには、心に影響を受けないようになっていくための質問などをしましたが、その思い自体については話しませんでした。身の上話を聞いてもらうことよりも、強くあろうと実践することを選びたかったことと、必要以上にヨギさんに頼ってしまう状態になることを避けたかったからです。

滞在中ヨギさんは、何度かふとした会話の中で、私と似たような傾向を持つ人がどのように変わってきたかを話されることがありました。その時、私はただの雑談だと思って聞きながら、だんだん「自分だけが苦労している訳じゃないのだな」と感じて、滞在数日後には自分が持っていた思いはどうでも良いことのように感じ、すっかり忘れてしまっていました。知らず知らずの内に、いつも心のどこかに引っ掛かっていた思いから離れて、目の前の出来事を見て、聞いて、感じることができるようになっていたのです。
帰国して数週間経った頃に、その引っ掛かりが戻ってきて、その時初めて、ニューヨーク滞在中はその思いから解放されていたこと、ヨギさんが話して下さったことはただの雑談ではなかったことに気付きました。そして、私が具体的に話さなかったことに対してまで導いて下さったヨギさんに驚き、ただただ尊敬の気持ちでいっぱいになりました。
今、その思いはまだありますが、一度解放された状態を経験していることで、心がそう見せているだけだ、ただ相対的にそう見えているだけだ、と理解することができます。そして、一度理解したのだから、もう二度と思い込まないように気を付け続けています。

また、滞在中のある日、ヨギさんが私の至らない所をはっきりとした口調で注意して下さったことがありました。その時はショックでしたが、ヨギさんが仰って下さったことは自分では気付くことができないことだったので、ヨギさんのおかげで、自分では分からなかったことを知ることができました。そして今何をするべきかが少し見えてきたように感じています。このことは帰国後の自分を強くしてくれたように思います。

ヨギさんが教えて下さったことを実行していって、何年もかけて深めていって、いつか次のアドバイスをもらえるようになっていきたいです。本当にヨギさんには感謝で一杯です!

今回の滞在を通して、滞在中にたくさん助けて下さったニューヨークのアーナンダマーリーさん、そして東京のサルヴァーニーさん、ニューヨークのグルバイ、また渡米前にアドバイスを下さった先輩グルバイ(兄弟姉妹弟子)にもとても感謝しています。サンガ(弟子の集まり)のありがたさを実感しています。先輩グルバイと一緒にいるとヨギさんがいなくてもその場にヨギさんがいるような空気があると思います。自分もいつかそうあれるように一所懸命ヨギさんの教えを実践していきたいです。

船勢洋子