バクティ・サンガム(キールタン)」カテゴリーアーカイブ

神と魂を結ぶ愛の歌 キールタン

6月から9月まで3ヶ月間バクティ・サンガムでは『Siva Sambho』(シヴァシャンボー)というシヴァ神を讃えるキールタンを歌ってきました。 なかなか好評で、「このキールタンが好きです!」と言われる方が結構いました。歌詞をご紹介します。

Siva Sambho Hara Hara Sambho  
Bhavanasa Kailasa-vilasa 
Parvatipate Pasupatipate 
Gangadhara Siva Gauripate

シヴァよ シャンブよ ハラよ シャンブよ
諸存在を破壊する者よ カイラーシャ山に遊ぶ者よ
パールヴァティーの夫よ パシュパティである主よ
ガンジス川を受け止める者よ シヴァよ ガウリーの夫よ


私はこの歌詞の中で好きなところが2箇所あります。まずはKailasa-vilasa(カイラーシャ ヴィラーシャ) 「カイラーシャ山で遊ぶ者よ」 というところ。カイラーシャ山とはチベットにあるカイラス山のことで、昔からシヴァが住む山と言われ、聖地として崇められています。
今回このキールタンを歌う中、シヴァ神が神話の中の神ではなく、一人のヨーガ行者として私の中で輪郭をもち、それは私のグルであるヨギさんと一体となっていきました。そのきっかけになったのが前回のヨーガダンダさんのブログです。一緒に住んでいるヨーガダンダさんから何度も話を聞く(聞かされる?)ことで、そのように変わっていきました。(ぜひ5つ前のシヴァ神という記事をお読みください)

カイラス山はこの世界の背骨と言われ、この宇宙の中心、そこでシヴァは瞑想しているのではなく遊んでいる!なんとダイナミック!!!遊び方が半端ない!豪快で男らしく、でも繊細で優美で・・・・・それはまさしく私のグルであるヨギさんと一つになりました。

そして、私が一番好きなところ!それはPasupatipate (パシュパティパテ)というところ。Pasuとは世界に縛られた、解脱していない魂たちのこと、それは私たちのことでもあります。patiは主という意味なので、pasuの主という意味になります。

Pasupatipateは解脱していない魂たちの主であるシヴァのことを指していますが、私はそこを「私たちの主!私の主!」という気持ちで讃え歌っています。私の主は偉大で、誰よりもかっこいい!!私の愛おしい主!! 主を讃えることの喜びが歌う中でどんどん広がっていき、その大きさに飲み込まれていきそうになりました。キールタンは神と魂を結ぶ愛の歌と言われます。神の御名を繰り返すことで神を感じ、神に酔い、神と魂を結ぶことができるのだなっと少し感じることができました。今回は参加者みんなでシヴァに酔いしれました。

さて、次回からは新しいキールタンに挑戦します!そちらもぜひお楽しみに。


シヴァ神 

この夏、バクティ・サンガムでは、ジメジメとした空気を一掃し、ヒマラヤ山脈の澄み渡る青空を思わせるような爽やかな曲――SHIVA SHAMBHOを歌ってまいりました。
さて、シヴァ神を皆さんご存じでしょうか?

瞑想の姿勢で座り、うっすらと開いた瞳の奥には至福の大海が映っているようです。青い肌を持ち、首には毒蛇を巻きつけ、縮れた髪の毛を伸ばしている・・・・・・どこかしら不思議な印象をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

数千年昔、人々にとって雷や暴風雨は、人知を超えた偉大なる力でした。特に農耕民族にとってそれらは、田畑に災害をもたらすものであり、一方で雨の恵みを与えてくれるものでもありました。破壊と再生を司る偉大なる力は、ルドラ-神として神格化されます。そのルドラ-神にヨーガ行者の姿が合わさって、現在私たちが知るシヴァ神という神が形作られていったそうです。

またシヴァ神は、ヨーガを最初に教えたグル(師匠)であると聖典は伝えています。 

SHIVA SHAMBHOの歌詞の中に、gangadhara(ガンジス河を受け止める者)というシヴァ神の別名が出てきますが、それにまつわる神話が残されています。天上界を流れていたガンジス河が、ある時地上に降下することになり、地上に洪水が起こることを心配した天界の神々たちが、何とかシヴァ神にお願いし、シヴァ神は大水を頭で受け止め、その流れの一端がガンジス河となったということです。それでシヴァ神の頭頂部にはガンジス河が吹き出している様子が描かれているんですね。

 ガンジス河が氾濫しないことで、人々に恩恵が与えられ、つつがなく生活ができているのと同じように、私たちの生活も、目に見えない力に支えられ、微妙なバランスを保ちながら成り立っています。

私たちが住んでいる地球は太陽の周りを廻っていますが、その距離が少しでもずれてしまったら、もう地球は太陽の周りを廻らなくなり、どこかへ飛んで行ってしまいます。次の日から私たちが見上げる空には太陽は昇らなくなり、すると食物も育たなくなります。

また私たちは自分で意識していないにもかかわらず、勝手に心臓は動いて、呼吸をし、酸素を取り込み二酸化炭素を排出するということを行なっています。この一連の働きが失われたなら、身体を維持することすらできません。

目には見えないし、意識もできませんが、この大宇宙、小宇宙、全てを支え、私たちを存在たらしめている神なる存在が在る――。そんな神と一体となり、悟りを啓いたヨーガ行者が、数千年昔にカイラス山の奥深くにいらっしゃったのではないかと、最近思うようになりました。

そのヨーガ行者は、日照りが続き、人々が不作に喘いでいる時には、雨を降らすこともできたでしょう。またヨーガを教え諭すことで、心の苦悩や、人生の難問から人々を救い出していたことでしょう。

私たちと同じ肉体を持ち、地上を歩き、時に瞑想し、時にヨーガを教えられた。

数千年の時を経て、そのヨーガ行者にまつわるエピソードは神話となり、そのお姿はシンボル化され、青い肌や、さまざまな特徴を身に着けるようになったのではないかと思います。

シヴァもクリシュナも、実際に私たちと同じような肉体を持たれた神の化身であったのだと、私は思うようになりました。

 と、こんな偉そうなことを書いている私も、九州の実家に帰ったときは、「お前は感謝の気持ちが足らん!」と未だに父によく叱られます。十数年前にも、同じように叱られたことがあって、師に「感謝とは何か」と尋ねたことがありました。

その時に、師は、何かをもらったからとか、得をしたから感謝するというのではなく、私たちの存在を支える目に見えない力、また見えるものの中に現れた力、その偉大なる恵みに頭を下げることが感謝の原点であると教えていただきました。そうして次の言葉で締めくくられたのです。

万物の背後にあって偉大なる力となり偉大なる意識となって働いている一者がある。それによって太陽は昇り、月は輝き、万物は呼吸する。その偉大なるものが、この我が胸の内にもあるに違いない・・・・・・。こういうふうに感謝という些細な日常の気持ちからもアートマンへの道、ブラフマンへの道が通じている

シヴァ神、あるいはグルは、この万物の背後にある一者への入り口であると感じています。そうして、その偉大なる一者に思いを馳せていくことが、私にとってはこのエゴを小さくし、自然と頭を垂れることができる唯一の方法だと感じています。

今月のバクティ・サンガムでのシヴァ神のキールタンSHIVA SHAMBHOを歌いますので、ぜひご参加くださいね。

 ヨーガダンダ


バクティ・サンガム 新しいキールタンに挑戦!

6月からのバクティ・サンガムでは、新しい歌(キールタン)に挑戦しています。
タイトルは “Siva Sambho  Hara Hara Sambho” シヴァ神を讃えるキールタンです。

元々は暴風雨や雷の神さまであったルドラー神がヨーガ行者の姿をとってシヴァ神となりました。シヴァ神はアーサナをはじめに教えたグルであり、ヨーガ行者の守護神です。今回のキールタンは、ヨーガ行者の自由闊達さをイメージさせる、爽やかなメロディー、夏にぴったりのキールタンです。

さて、話は変わりますが、先月のバクティ・サンガムのとき、気になった人がいました。何が気になったかというと、毎月熱心に通って来てくれているYさんの表情、一見して先月よりもさらにパワーアップしている。気になって聞いてみると……やはりそこには理由がありました。Yさんがその変化の理由を寄稿してくれました。

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神の御名を唱えなさい
神の御名は神そのもの
神は愛
神の御名を唱えるだけで
誰もが神に近づくことができる

これは、ミラバイさんがバクティ・サンガム中で紹介してくださった言葉で、私はこの言葉が大好きです。けれど今までの私は、気が向いた時に家で歌う程度でした。歌い方も、私の神への想いをキールタンにのせて歌っていましたし「声が出ないなぁ」「この歌好き」など歌いながら、心が動き回っていました。それでも、それなりにキールタンの良さを感じていましたし、そんなものだと思っていました。けれど、自分の気持ちを主にすると、神を求める気持ちが弱くなった時、神が遠くに感じる時は、まったく歌えなくなってしまいます。自分の好きな言葉と自分の現状とのギャップをなんとかしたいという気持ちが、バクティ・サンガムに参加するきっかけでした。

5月のバクティ・サンガムのとき「神が遠いとか近いとか、求める気持ちがあるとかないとか、そんなことは、無視してただ単純に神の御名を唱えればいいんだ。だって神の御名は、神そのものなんだから」という気づきがあり、それから、毎日歌うことにしました。好きなフレーズばかり繰り返し歌う日もあれば、CDと一緒に歌う日もあります。1回歌って終わる日もあれば、1時間熱唱する日もあります。6月のバクティ・サンガムまで、ただ単純に歌いました。

6月のバクティ・サンガムのとき「この感覚を神の御名にのせたらいいんだ」という気づきがありました。キールタンを歌っていた1ヶ月の中で自然に「礼拝する」「讃える」という感覚が芽生えていたことが、そこでわかりました。神の御名は、私の計り知れない力、導きがあり、本当に神そのものなんだと思います。それがこの体験から私が強く感じたことです。

「『単純に神を求め、神を愛し、神の名前を唱える』それだけでいいんだよ」とミラバイさんは、教えてくださいます。これからも、大阪クラスで学びながら、家でも歌って、もっともっと、単純に、純粋に神への愛を歌えるようになりたいです。

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毎日の実践!それが彼女を変化させていたのですね。
神の御名を唱えることで彼女は神に純粋に近づいていかれたのでしょう。
その証拠に、彼女の表情には神の歓びが溢れていましたから。


手前で歌っているのが、Yさん。

さて、キールタンを体験してみたい方、8月6日(日)に500円で参加できるワークショップがありますので、ぜひ体験しに来てください。
日時:8月6日(日)17:30〜19:00
場所;クレオ大阪南3F(大阪市平野区喜連西6-2-33)
参加費:500円
持ち物:ヨーガマット、バスタオル、布などの敷物
http://www.iwf.jp/11osaka/item_2136.html


真夏の王宮ーインド細密画

夏本番ですね!京都の夏は今年も暑いです!

昨年もお届けしましたが(細密画)、暑い夏に涼しそうなグレール派細密画です。

今日はちょっとインドの細密画について解説してみましょう。

インドの細密画は大きくは4つに大別されるそうです。

A. ラージャスターン派細密画(西北インド)
B. パハーリー派細密画(西ヒマラヤ丘陵地帯)
C. デカン派細密画(デカン高原地方)
D. ムガール派細密画(東北インド)

A, Bはインドの伝統的ヒンドゥー教系の細密画で、ラージプート派細密画と呼ばれ、16世紀頃〜19世紀初めまで盛んに描かれました。ラージプート族は武士階級なので、宮廷生活を描くとともにヒンドゥ教の多くの神話や文学をテーマに描かれています。
C, Dはペルシャの影響を受けたイスラム教系の細密画です。

インドの細密画は、当時の藩王国の盛衰と大きく関係しており、藩王の庇護の下で発展してきましたが、衰えた藩王国お抱えの画家は次なる藩王国に雇われ、その技法が融合しながら発展してきたと言われています。そして細密画のテーマや画風も当時の藩王の影響を大きく受けています。

ブログで時折紹介している、カーングラ派細密画(1780〜1825)やグレール派細密画(1720〜1800)は、Bのパハーリー派細密画になります。パハーリーとは、山地という意味です。

カーングラとグレールの細密画は密接で、場所もすぐ近くなのですが、優れたムガール画家の影響を受けてグレールで美しく花開いた優雅で繊細な写実主義的な技法がカーングラ派細密画に引き継がれ、カーングラでは藩王の手厚い庇護の下で特にクリシュナとラーダーの愛の物語の数々の傑作が生まれています。

両派の細密画のテーマは、「愛」です。今回紹介するグレール派細密画に見られるように、何と言っても際立っているのは女性の美しさです。女性の体や仕草を見事なラインで描いています。繊細な筆致と豊かな色使い、そして構図が素晴らしい!見事に愛というテーマを表現しています。

真夏の王宮のプールで王女が水浴びをしている様子が描かれていますが、濡れた長い黒髪、ゆったりとした涼しそうな衣服を巻きつけた王女が、暑い夏の日に左手を噴水に入れながら水タバコを吸ってくつろいでいます。侍女が楽器を演奏し、奥の寝室ではベッドを整えている様子まで描かれています。美しい絵ですが、それでもこの絵は、ひたすらいつ来るとも知れない愛人(神)の到着を待っている、恋する乙女(バクタ=神の愛人)の切ない心情が描かれているのです。

バクタは神に恋い焦がれ、その愛はとめどなく大きくなっていきます。ヨーギーの真理への思いも同じように果てしなく大きく大きくなっていきます。その衝動と愛の衝動は同じようなものなのでしょう。

愛をテーマとした美しい細密画をみると、ただちに心に愛の振動が起こります。神と魂の愛の物語は、このようにして人間の愛の形を通して詩や細密画に表されてきたのですね。

暑い夏に少しでも涼が取れますように!そして神への愛の振動が伝わりますように!

王宮も 牧場も 森も 戦場も

この人の世も 天国も

すべては 愛が支配する

愛は主にして 主は愛なれば

サーナンダ


バクティ・サンガム (キールタン)

台湾、松山、そして今月頭には京都で特別サットサンガを開かれ、数多くの魂を祝福されたヨギさんは、現在はニューヨークをご訪問中です。このブログでもサットサンガの素晴らしい報告が続いていましたが、今回は4月からスタートしたバクティサンガムの紹介をさせていただきます。

今年のバクティサンガムは、「何度も何度も繰り返し歌い込む!」ということをテーマに、3ヶ月間一つの曲を歌い込み、キールタンの世界に入っていくことにチャレンジしています。

今年最初の課題曲「ジャイ・ラーダー・マーダヴァ」はクリシュナ神を讃えた歌で、クリシュナとその愛人ラーダーの物語のように、歌の世界が情緒豊かに展開し広がっていきます。私は太鼓を担当させていただいているのですが、実はなかなか苦戦しました。

微妙な曲調の変化と共にリードヴォーカルのミラバイさんのテンポも変化していき、また来ている人たちの顔ぶれや、その場の雰囲気によっても微妙にテンポが異なるのです。これは単なるテクニックの問題ではなく、歌う人の心境や場の空気を感じて、そこに合わせていくという感性が必要なのだと感じています。

また、自分なりに、クリシュナとラーダーの物語に入り込んでいると思っていると、いつの間にかミラバイさんのリズムとずれが生じてしまい、ミラバイさんの鋭い視線が飛んでくるというケースも多々ありました。これは、心の鏡に映る自分の姿を見るのではなく、神だけを見なければならないというメッセージだと受け取りました。

とにもかくにも、キールタンにおいて太鼓というのは、リードヴォーカルとその他の歌う人たちを繋ぎ、支えるという重要な役割だということを再認識したのでした。

ところで、私のヨーガの先輩で、30年近くヨーガを実践しながら、タブラーという太鼓の演奏を続けている方がいます。私はその先輩の演奏を聴いた時に、テクニックがすごいとか、複雑な叩き方をしているというわけではないけれども、一音一音が美しく力強く響くのを感じました。そして、そのことをその先輩に伝えたとき、ヨーガを実践する者は、常にハートの奥で神を感じているので、その神の振動が太鼓の音となって、聴く人の魂にダイレクトに響くのだと説明されました。

その人の思いが振動となり、それが音となり、聴く人の心を振動させる――。

サットサンガでヨギさんの声を聞くと、その独特のトーンに自ずと心が溶きほぐされるのを感じます。その美しい振動は、凝り固まった心を溶かしていき、一切の悩みを洗い流していく力があるように感じるられるのです。また会場の隅の方にいるのにもかかわらず、ヨギさんの囁くように声も、はっきりと聞きとることができ、心に届いています。私たちが聴いている音というのは、物質的な振動の音だけではなくて、その源にある耳には聞こえない振動も受け取っているのだなぁと思います。

私は太鼓で複雑なリズムを叩くテクニックをもってはいません。しかし、ヨーガを深めていくことで、一音一音を神の振動に近づけていくことができるのではないかと思っています。そして自分の意識が神と同調したとき、リズムが合っているとか合っていないとかいうこともなく、その場に神が臨在する、ということが起こるのではないかと思っています。それが太鼓を通じての、私の理想です。

先日、大阪でバクティサンガムがありました。そこには、松山の特別サットサンガでヨギさんに魅了された5人バクタも、はるばる足を運ばれていました。その内の3名は日帰りで、まさにこのバクティサンガムのためだけに来られていて、その方たちの熱意には、本当に頭が下がる思いでした。ミラバイさんの歌声と共に、神の美酒に酔い続けたい――そんな彼女たちの思いが火種となって、その日のキールタンは大いに盛り上がり、爆発しました。笑顔の輪に囲まれながら、泣き、笑い、初めて来られた方々も身体を揺すり歌っておられました。私もいつしか、リズムのことは忘れて、歓喜の中、太鼓を叩いていました。自分の理想に一歩近づけたのかもしれません。みんなの思いが共鳴して高まり合うということも、キールタンの醍醐味だと思います。

7月からは新しい曲に挑戦していきます。こちらも3ヶ月かけてじっくり歌いこんでいきますので、ぜひぜひご参加ください!共にキールタンの醍醐味を味わいましょう!

ヨーガダンダ


バクティ・サンガム始まりました!

こんにちは、ミラバイです。ブログ、久しぶりに書かせていただいています〜。

さて、この4月から京都・大阪でのバクティ・サンガムが始まりました。今年のテーマは、「何度も何度も繰り返し歌い込む!」ということです。

昨年はいろんな聖者の物語を取り上げ、毎月いろんなキールタンを歌ってきました。たくさんのキールタンを歌えることはそれはそれでとてもいいのですが、せっかく覚えたキールタンなのに、歌が十分に深まらないまま次の曲に移行していくのがもったいない。キールタン自体、神の御名を繰り返し唱えていくものですが、その一曲のキールタンをまた何度も繰り返し歌い、その歌に慣れ親しんでいくことによって、私たちはよりそのキールタンの世界に入り込んでいくことができます。キールタンの世界とは、神との戯れの世界そのもの。だから、今年は参加してくださっているみなさまに、もっともっとキールタンを深め、その味わいを存分に味わってもらいたい! そのような思いで、今年はこういったことをテーマに、3カ月ほど同じ曲を歌い込んでいくことにしました。

次回大阪は5月5日(金)、京都は5/28(日)です。第2回目、さて、どのようにしてみんなでともに深めていけるのか、私もとても楽しみにしています〜。

 

 


ヨーガの秘訣・大阪編・・・ヴィヴェーカーナンダの詩

めっちゃ忙しい人がどうやって日常でヨーガを行なっていくのか。
その実践的秘訣を、大阪で家事に仕事に忙しくしながら、プレーマヨーガサークルをされているスディーティが寄稿してくれました。


この数年、私の周囲は何だか忙しい。それは、今までの生活を突然大きく変える必要に迫られるようなことでもあり、一般的に言えば「次から次へと大変やね~」みたいな状況でした。実際、もし自分がヨーガに出会っていなければ、いちいち大パニックになって悲劇のヒロイン気取りになっていたかもしれません。
そう、その時、確かに私はヨーギニーとして、やってくる出来事を淡々と受け止め、その時最善と思われる方針を決め、一つひとつ行動に移していったのです。すると、色々と困難なことが起こっているとは思えないほどスムーズに事が運び、「は~、ヨーガのお陰やわ。私も結構成長してるやん~!」といい気になっていました。

しかし!出来事を受け止めて方針を決めるのと、実際に一つひとつ実践していくのは大違いなのです。「ちょっと~!わかってたけど、やってみたらめっちゃ大変や~ん」なのです。まず時間がない、家族は色々と問題を起こしてくれる、慣れない仕事では自分の無能さに改めて気づかされる、毎日へとへとになって1日を終えることで精一杯と感じていました。いつも何となくイライラして不機嫌で、アーシュラマでヨギさんにお会いできる時だけがすべてを忘れ満たされている時間でした。ヨギさんは、いつも私たちと一緒にいると言ってくださっているし、それが真実だと分かってはいるけれど、その時の私はそれを感じることができず、「余裕がないんです!もう目いっぱいなんです!」と叫び出したくなるときが度々ありました。

それでも私がヨーガから離れてしまわずに済んだのは、一つには〝プレーマヨーガサークル〟があったからです。私には、サークルに来られる方にヨギさんのお言葉を間違いなくお伝えする責任があったし、何よりそこには仲間がいました。心おきなくヨーガの話ができる仲間との時間は、私にとって大きな支えとなりました。元々は一人でも多くの人の助けになるためにヨーガをお伝えしなくては!という思いで始めたサークルでしたが、助けられているのは私のほうだったのです。

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プレーマヨーガサークルでのバクティ・サンガムの様子

もう一つには、グルバイである先輩ヨーギー・ヨーギニーの存在がありました。先輩たちに私の状態を話すことはなかったし、頻繁にお会いできるわけではなかったけれど、知ってか知らずか、いつも少しの会話の中に〝はっと〟させられることが何度もありました。また、何も会話をすることがなくても、直接お会いするわけではなくても、その在り方を見るだけで心がリセットされまた新たな気持ちでやり直そうと思わせてくれる存在でもありました。

そして、上の二つの理由にも増して大きな一つが、師であるヨギさんの存在です。
私は、ヨギさんにお会いして弟子にしていただいて以来、ただひたすらヨギさんの喜ばれる様子が見たくて熱心にヨーガに取り組んできました。ヨギさんが最も喜ばれること、それは私たちが〝本当の自分に目覚める〟こと。そのために、ヨギさんが私に言われたことは「常に神を思う」ということです。それは私にとっては本当に進みやすい道で、いつも胸の奥のヨギさんを基準に物事を決断し、歩んできました。ヨギさんの弟子であるということは、私はヨギさんのものであるということだと思いました。ヨギさんのものである私の面倒はすべてヨギさんが見てくださっているのだから、何がやってこようとそれは私にとって必要なことだし、そのことについて私は何一つ余計なことを考える必要なんてない。ただその時その時最善を尽くせばよい。その考えは私を強くし、目の前で起きる出来事に振り回されることなく進んでくることができたのです。それがどうでしょう!ここ数年、押し寄せてくる出来事に踏ん張りがきかず、たった一つのことさえままならなくなっていたのです。それは本当に苦しい時間でした。ヨギさんにお会いしたい!と思う反面、今の自分ではヨギさんを喜ばせることができない……という思いが湧いてきて、お会いすることをためらう自分がありました。

そんな悶々とした時間を過ごしていたある頃、私にとって大きな出来事が起こりました。それは、私がヨギさんのものとして相応しく生きているかどうかを問われるような出来事でした。その時も、私が自分自身の行く末を心配する気持ちは少しも起きなかったのですが、その問題を起こした人に対してどう対応すればよいか、その対処の仕方を間違えてしまえばその人の今後に大きな影響を与えるかもしれない、という思いもあり本当にどうしていいかわからず途方に暮れました。最初は腹立ちや悲しみのような感情もあり、数日間そのことが頭から離れず、「ヨギさんのものとして相応しくあれますように」と祈りながら、必死でヨギさんに問いかけ、すがり、答えを待っていました。

すると2日後、急に「みんな苦しんでいるんだ」という思いがやってきました。それと同時に、ヨギさんならこの人たちの暗闇に光を投げかけてあげることができるのに、私はヨギさんの弟子でありながらこんなに近くにいる人たちを助けてあげることもできないんだ!という事実に気づかされたのです。それは言い換えれば、一刻も早く苦しんでいるこの人たちのために、私はヨギさんと一つにならなければならない、ということなのです。一刻の猶予もない!という焦りを感じ、自分のことを情けないと思っている時間さえないのだと思いました。
そうして改めて気づいたことは、ヨギさんは「〝常に〟神を思いなさい」と言われたということ。〝常に〟はあくまで〝常に〟であって、〝できる範囲で〟とか〝都合の良いときだけ〟ではないのです。そうして振り返ると、今までの自分は熱心に実践しているようでいて、隙だらけだということにも改めて気づいたのです。もっと隙なく、もっと注意深く、もっとやれる……と。

それ以後も私の状況は特に変わることなく、むしろ叫びだしたくなっていた頃より忙しくなり、周囲の人たちも相変わらず問題を起こしてはくれますが、それらのことは以前のように私を苦しめる力を失ったようです。そんなことよりも、私は周囲の人たちの苦しみを取り除くために、一刻も早くヨギさんと一つになり、ヨギさんを愛するように、ヨギさんが私たちを愛してくださるように、この人たちを愛したいのです。

われ汝について何も知らず
知れるはただ われ汝を愛すということのみ
汝は美し おぉ 汝は美し!
汝は美そのものなり

おぉ 愛しき者
汝の唇のひとつのくちづけよ!
汝のくちづけを受けし者は
汝を慕う心 とこしえにいやまさん!
すべての悲しみは消え
来し方
今 行く末を忘れて ただ汝のみを思う

誰が救いを願わん
誰が救わるることを願わん
解脱をも誰が願わん
われ富を欲せず 健康さえも欲せず
われ美しからんとも 賢からんとも願わず
数多度(あまたたび)生まれさせ給え
この世の諸々の悪の只中に
われつぶやくことなからん
ただわれをして汝を愛させ給え
愛のための愛もて

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ
『愛の叡智』より

この詩は、5年ほど前にミラバイさんがスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの美しい写真と共にカードにしてくださったものです。それ以来、毎日仕事に出かける前にこの詩を唱えています。最初はその美しい詩を唱えることで心を静めようとしたのか、集中させるために行なっていたのか、はっきりと覚えてはいないのですが、いつの頃からかこの詩は私の生きる理想になっていました。「どうか、こうして外から内に向かってこの詩を唱えるのではなく、止めようとしても内から溢れ出す私の言葉となりますように!」と。
そして、今、また新たに強く決意するのです。それを遠くない未来に必ず実現するのだと。

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スディーティ


ヨーガの秘訣・京都編・・・あるバクタの愛の1日

ヨーガには、バクティ・ヨーガ(神への信愛)と呼ばれるものがあります。アーサナ(ポーズ)や瞑想を主とするラージャ・ヨーガ(王道ヨーガ)と比べると、愛という感情を用いて進めていくところが少し違っています。愛の感情は、知性や意志よりも強く、心を一瞬で変えてしまう力があります。近代の大聖者ラーマクリシュナ・パラマハンサの伝記を読むと、その常軌を逸した行動に驚いてしまいます。神の愛人と呼ばれるバクタは、神に酔い痴れ、神に狂い、その甘美な愛に我を失ってしまうのです!

先日松山でバクタと名高いAさんに会った時、Aさんがスマホにダウンロードした中世の偉大なバクタ、シュリー・チャイタニヤの絵を見ながらニタニタしたり、涙ぐんで神への愛に憧れている姿を見て、「変態」だと思いました。バクタにとって「変態」は褒め言葉であって、私たちの方こそ世間の常識に縛られ、理性に縛られてしまって、我を忘れて没頭できない不自由な理性人なのです。その束縛から愛の力で解放されたバクタのなんと幸福なこと!サナギから変態して蝶になるように、Aさんが変態しているんだと感じたエピソードでした。

今回は、まさにその愛の力で変態してしまった人、現代のチャイタニヤさんが、自分の1日を寄稿してくださいました。バクタに憧れを持つ人にとっては参考になるかと思い、ブログで紹介させていただきます。素晴らしきバクタの信仰と愛に満ちた1日をとくとご覧あれ!


午前7時。
猫がいつものように私の頬を甘噛みして起こします。この子は私の呼吸が穏やかなとき、まるでサマーディー(瞑想の深い境地)に入ったような顔で、グルグル喉を鳴らして貴方を讃えます。
今日はお天気ですが、かなり寒くなりそうです。師よ、今、貴方は何をされていますか?
あの、香ばしく豆の味が凝縮された至福の一杯を召し上がっているでしょうか。

貴方の好物の黒豆ご飯のおにぎりは、車の中で食べましょう。

車の窓から見える景色、行き交う人々が顕れては過ぎていきます。
不安そうな表情の年配の女性、ふてくされたように早足で歩くサッカー部の高校生。信号を渡りきれるか心配になるお爺さん。駅の出口で楽しそうに話をする出勤前のサラリーマン。
私はどうしても彼等全てが幻だとは、片付けられないのです。
彼等一人一人が今日一日、幸福でありますように。そして家に帰り、幸せの内に眠りにつけますように。
貴方のリーラー(神の戯れ)に私と彼等の喜びが顕れますように。

師よ、どうか教えて下さい。私だけがこの世のカラクリを知りたいと思っているのでしょうか?もっと多くの人がグル(師)を求めてやって来るようになるには、私達は何をすればいいのでしょうか?

ときどき、不安になるのです。
私が貴方への信仰を失うことは、またあの真っ暗な嵐の海に一人放り出されるようなことは、もう二度と起こらないでしょうか?
貴方の示す世界以外に、私の欲しいものがまたリーラーの中に現れるのでしょうか?

昨日は会社のみんなとラーメンを食べました。今週末は仕事帰りに付き合いで飲みに行きます。
日常は貴方とお目にかかった後にも、以前と変わらない形で毎日やって来ます。
これらのことは、私に何をもたらすのでしょうか?
それらによって私は何かを損なうのでしょうか?師よ、どうか教えて下さい。
誰が、サットヴァ(純粋)なのでしょうか?誰がタマス(怠惰、鈍重)だと言うのでしょうか?

正午。
昼休み。アーサナ(ヨーガのポーズ)の実習後、最後の十分ほどを瞑想に座ります。貴方のことを思うこの心がそれ以外のことに目を奪われませんように。私の心と身体、以外の視点に留まれますように。貴方の目線でこの世界を見られますように。
どうか、いついかなるときも、貴方のことを思えますように。この感覚がもっと確かで力強いものになりますように。
もう二度と心が貴方以外の世界を信じませんように。
もがきながら進んで行く私に、どうかその為の信仰と実践の力を、貴方の恩寵を、お与え下さい。

午後6時。
帰り道、ラジオからお気に入りの曲が流れます。
オルガンの音色も、甲高いシンバルの音も、スモーキーなヴォーカルも、私には音楽としてではなく、生命への、リーラーへの、そして貴方への賛歌のように聞こえます。他愛も無いラブソングも、私の心とすり替わり貴方への愛しさに呼吸が荒くなり胸が苦しいです。
貴方の一日のうち、ほんの数秒間でも、私の望みが届けられますように。
貴方から教えて頂いた、ヨーガの全てが、私の人生を変えてしまいました。
今、私には確かな土台が出来つつあります。このまま進んで行けばいいのだという自信が日に日に大きくなっていきます。
この喜びは何故私にもたらされたのでしょう?師よ、どうか教えて下さい。

今まで、貴方が私に起こされた数々のマジックは、決して口外できない私だけが知っている確信となって、貴方の偉大さを証明しています。
少し歯がゆいのですが、貴方は全くそしらぬお顔で、何も仰いません。
ただ、目が合った時に悪戯な瞳で微笑まれるのです!
それは何という甘美な瞬間。何という喜びでしょう。

午前0時。
貴方が見据える先々に、私に出来る働きがありますように。
貴方の大いなる計画の一端に、私の居場所が用意されていますように。
そのために、この老体を調えておきましょう。
今日もアーサナ、しっかりやりましたよ!

師よ、お休みなさい。
深い熟眠のなかで、私は一旦死にます。
そして“純粋な意識”として、今夜もお目にかかれますように。

ハリ!!!!!

Caitanya


聖者の生き方に倣う

京都と大阪で春から行なってきたバクティ・サンガム。今シリーズは毎回一人の聖者を取り上げ、その生涯やエピソードを紹介しながら、彼らにまつわるキールタンを歌ってきました。そして、先週の金曜日に行なった会はそのシリーズの最後の会となりました。取り上げた聖者は、中世に実在した神人、シュリー・チャイタニヤ。そう、キールタンを始めた方だといわれています。

小さな頃から聡明で、大人になってからは論理学者になり、学識のある者を見つけては論破することばかり繰り返していたようですが、ある日突然、神への愛に目覚めてしまいます。それ以降、学問には全く興味をもつことができず、「クリシュナ」という神の御名だけに魅了されてしまいました。やがて、神の御名を歌として町を練り歩くようになり、多くの方がそれに付き従ったといわれています。
——シュリー・チャイタニヤはいったい何に触れたのでしょうか。彼はなぜその歓びの中に一人留まらず、人々を導いたのでしょうか。どんな約束が彼とクリシュナとの間で交わされたのでしょうか。そして彼が見ていた世界はどのようなものだったのでしょうか。

会の中では、シュリー・チャイタニヤが残した詩の一部をご紹介しました。私自身これまで何度も読んで知っていたはずなのに、この日、突然とっても心打たれました。

「神の御名を唱えなさい
神の御名を唱えることで 誰もが神に近づくことができる
おお 心よ
一枚の草の葉よりも謙虚で 木のように忍耐強く 逆風に耐えるものであれ
人から名誉を受けることを拒み
すべての人を 心から敬うものであれ」

朗々と、堂々と大勢の人々に囲まれながら主の御名を唱えるその一方で、内面は、神に、真実に、人に、あらゆるものに常にこうべを垂れ続けた彼の謙虚さと姿勢が私の中に突然飛び込んでくるような感触がしました。そして同時に、まさにその境地を生き、私たちに人としてあるべき理想の生き方を示されている最愛の師のお姿が私の胸の中に蘇りました。

今年は、シュリー・チャイタニヤだけでなく、聖女ミーラー・バーイー、シュリー・ラーマクリシュナなど、さまざまな聖者、覚者をご紹介してきました。私たちも今一度聖者たちの残した言葉や生きざまに触れ、それを拠り所にしながら、また自らがその境地を生きていけるよう、見倣っていきたいと思います。

また来年のバクティ・サンガムも春頃から開催したいと思います。決まりましたらウェブでご案内致しますね。どうぞお楽しみに!


ミーラー・バーイーの歌に挑戦!

こんにちは、ミラバイです! 今日は久しぶりにバクティ・サンガムのご報告を致します。

春から京都・大阪で毎月行なっているバクティ・サンガムの今シリーズは、毎回一人ずつ聖者を取り上げ、彼らが愛した神にまつわるキールタンを歌ってきました。今回はインド中世に生きたバクタ(神を愛する人)、ミーラー・バーイーをテーマに、彼女が残したといわれている歌に挑戦しました。

私たちがこれまで歌ってきたキールタンは、神の御名だけを繰り返す簡単なもの。しかし今回の歌は歌詞もどんどん変わり、またメロディーも複雑で、リズムにも変化があります。実はこの歌、私は大好きな曲で、初めてこの曲を聞いた時、彼女の人生は苦難に満ちたものであったけれど、彼女はどんな時も神だけを見つめていたこと、そして神とともに多くの歓びの時間を過ごしたということが強く伝わってきて、歌詞の意味は分からなかったけど、とても感動したことを覚えています。ということで、いつかみんなで歌えたらいいなぁと思っていた曲の一つでもあり、しかもこういったタイプの歌は初めての挑戦だったので、どんな会になるかなぁと、私自身も楽しみでした。さぁ、早速チャレンジしていきます!

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最初はみんな気持ちを込めて歌うどころか、歌詞とにらめっこしながら一所懸命挑戦しておられました。でも、なんのなんの! 驚くほど早く歌が歌えるようになり、聞いていた私の方がとても驚きました。最後はみんなで大合唱になり、笑顔もこぼれ始めてよかったです。

「とても楽しかった」「歌詞に思いを馳せながら歌えました」「ミーラー・バーイーの生きざまや熱が伝わってくるようだった」といった感想もいただきました。また後日、「あの夜、夢の中でクリシュナとラーダーの絵とともに歌のメロディーが聞こえてきて、ずっと心に引っかかっていたものが消えた感触があり、純粋な意識だけが残る体験をしました。素敵なギフトをありがとうございました」という感動も寄せられ、とても嬉しく思いました。バクタ、ミーラー・バーイーのハートに、私たちも少し触れることができたのでしょうか。

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次回は、京都は11月27日(日)、大阪は12月9日(金)に行ないます(詳しくはこちら)。取り上げる聖者は、シュリー・チャイタニア。キールタンを歌いながら民衆の中を練り歩き、「神の御名を唱えるだけで、誰もが神に近づくことができる」と、インドに大きなバクティの波を引き起こした神人です。今シリーズはこれで最後の会となりますので、ぜひご参加くださいね! お待ち致しております。

ミラバイ