バクティ・サンガム(キールタン)」カテゴリーアーカイブ

ヨーガの秘訣・大阪編・・・ヴィヴェーカーナンダの詩

めっちゃ忙しい人がどうやって日常でヨーガを行なっていくのか。
その実践的秘訣を、大阪で家事に仕事に忙しくしながら、プレーマヨーガサークルをされているスディーティが寄稿してくれました。


この数年、私の周囲は何だか忙しい。それは、今までの生活を突然大きく変える必要に迫られるようなことでもあり、一般的に言えば「次から次へと大変やね~」みたいな状況でした。実際、もし自分がヨーガに出会っていなければ、いちいち大パニックになって悲劇のヒロイン気取りになっていたかもしれません。
そう、その時、確かに私はヨーギニーとして、やってくる出来事を淡々と受け止め、その時最善と思われる方針を決め、一つひとつ行動に移していったのです。すると、色々と困難なことが起こっているとは思えないほどスムーズに事が運び、「は~、ヨーガのお陰やわ。私も結構成長してるやん~!」といい気になっていました。

しかし!出来事を受け止めて方針を決めるのと、実際に一つひとつ実践していくのは大違いなのです。「ちょっと~!わかってたけど、やってみたらめっちゃ大変や~ん」なのです。まず時間がない、家族は色々と問題を起こしてくれる、慣れない仕事では自分の無能さに改めて気づかされる、毎日へとへとになって1日を終えることで精一杯と感じていました。いつも何となくイライラして不機嫌で、アーシュラマでヨギさんにお会いできる時だけがすべてを忘れ満たされている時間でした。ヨギさんは、いつも私たちと一緒にいると言ってくださっているし、それが真実だと分かってはいるけれど、その時の私はそれを感じることができず、「余裕がないんです!もう目いっぱいなんです!」と叫び出したくなるときが度々ありました。

それでも私がヨーガから離れてしまわずに済んだのは、一つには〝プレーマヨーガサークル〟があったからです。私には、サークルに来られる方にヨギさんのお言葉を間違いなくお伝えする責任があったし、何よりそこには仲間がいました。心おきなくヨーガの話ができる仲間との時間は、私にとって大きな支えとなりました。元々は一人でも多くの人の助けになるためにヨーガをお伝えしなくては!という思いで始めたサークルでしたが、助けられているのは私のほうだったのです。

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プレーマヨーガサークルでのバクティ・サンガムの様子

もう一つには、グルバイである先輩ヨーギー・ヨーギニーの存在がありました。先輩たちに私の状態を話すことはなかったし、頻繁にお会いできるわけではなかったけれど、知ってか知らずか、いつも少しの会話の中に〝はっと〟させられることが何度もありました。また、何も会話をすることがなくても、直接お会いするわけではなくても、その在り方を見るだけで心がリセットされまた新たな気持ちでやり直そうと思わせてくれる存在でもありました。

そして、上の二つの理由にも増して大きな一つが、師であるヨギさんの存在です。
私は、ヨギさんにお会いして弟子にしていただいて以来、ただひたすらヨギさんの喜ばれる様子が見たくて熱心にヨーガに取り組んできました。ヨギさんが最も喜ばれること、それは私たちが〝本当の自分に目覚める〟こと。そのために、ヨギさんが私に言われたことは「常に神を思う」ということです。それは私にとっては本当に進みやすい道で、いつも胸の奥のヨギさんを基準に物事を決断し、歩んできました。ヨギさんの弟子であるということは、私はヨギさんのものであるということだと思いました。ヨギさんのものである私の面倒はすべてヨギさんが見てくださっているのだから、何がやってこようとそれは私にとって必要なことだし、そのことについて私は何一つ余計なことを考える必要なんてない。ただその時その時最善を尽くせばよい。その考えは私を強くし、目の前で起きる出来事に振り回されることなく進んでくることができたのです。それがどうでしょう!ここ数年、押し寄せてくる出来事に踏ん張りがきかず、たった一つのことさえままならなくなっていたのです。それは本当に苦しい時間でした。ヨギさんにお会いしたい!と思う反面、今の自分ではヨギさんを喜ばせることができない……という思いが湧いてきて、お会いすることをためらう自分がありました。

そんな悶々とした時間を過ごしていたある頃、私にとって大きな出来事が起こりました。それは、私がヨギさんのものとして相応しく生きているかどうかを問われるような出来事でした。その時も、私が自分自身の行く末を心配する気持ちは少しも起きなかったのですが、その問題を起こした人に対してどう対応すればよいか、その対処の仕方を間違えてしまえばその人の今後に大きな影響を与えるかもしれない、という思いもあり本当にどうしていいかわからず途方に暮れました。最初は腹立ちや悲しみのような感情もあり、数日間そのことが頭から離れず、「ヨギさんのものとして相応しくあれますように」と祈りながら、必死でヨギさんに問いかけ、すがり、答えを待っていました。

すると2日後、急に「みんな苦しんでいるんだ」という思いがやってきました。それと同時に、ヨギさんならこの人たちの暗闇に光を投げかけてあげることができるのに、私はヨギさんの弟子でありながらこんなに近くにいる人たちを助けてあげることもできないんだ!という事実に気づかされたのです。それは言い換えれば、一刻も早く苦しんでいるこの人たちのために、私はヨギさんと一つにならなければならない、ということなのです。一刻の猶予もない!という焦りを感じ、自分のことを情けないと思っている時間さえないのだと思いました。
そうして改めて気づいたことは、ヨギさんは「〝常に〟神を思いなさい」と言われたということ。〝常に〟はあくまで〝常に〟であって、〝できる範囲で〟とか〝都合の良いときだけ〟ではないのです。そうして振り返ると、今までの自分は熱心に実践しているようでいて、隙だらけだということにも改めて気づいたのです。もっと隙なく、もっと注意深く、もっとやれる……と。

それ以後も私の状況は特に変わることなく、むしろ叫びだしたくなっていた頃より忙しくなり、周囲の人たちも相変わらず問題を起こしてはくれますが、それらのことは以前のように私を苦しめる力を失ったようです。そんなことよりも、私は周囲の人たちの苦しみを取り除くために、一刻も早くヨギさんと一つになり、ヨギさんを愛するように、ヨギさんが私たちを愛してくださるように、この人たちを愛したいのです。

われ汝について何も知らず
知れるはただ われ汝を愛すということのみ
汝は美し おぉ 汝は美し!
汝は美そのものなり

おぉ 愛しき者
汝の唇のひとつのくちづけよ!
汝のくちづけを受けし者は
汝を慕う心 とこしえにいやまさん!
すべての悲しみは消え
来し方
今 行く末を忘れて ただ汝のみを思う

誰が救いを願わん
誰が救わるることを願わん
解脱をも誰が願わん
われ富を欲せず 健康さえも欲せず
われ美しからんとも 賢からんとも願わず
数多度(あまたたび)生まれさせ給え
この世の諸々の悪の只中に
われつぶやくことなからん
ただわれをして汝を愛させ給え
愛のための愛もて

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ
『愛の叡智』より

この詩は、5年ほど前にミラバイさんがスワーミー・ヴィヴェーカーナンダの美しい写真と共にカードにしてくださったものです。それ以来、毎日仕事に出かける前にこの詩を唱えています。最初はその美しい詩を唱えることで心を静めようとしたのか、集中させるために行なっていたのか、はっきりと覚えてはいないのですが、いつの頃からかこの詩は私の生きる理想になっていました。「どうか、こうして外から内に向かってこの詩を唱えるのではなく、止めようとしても内から溢れ出す私の言葉となりますように!」と。
そして、今、また新たに強く決意するのです。それを遠くない未来に必ず実現するのだと。

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スディーティ


聖者の生き方に倣う

京都と大阪で春から行なってきたバクティ・サンガム。今シリーズは毎回一人の聖者を取り上げ、その生涯やエピソードを紹介しながら、彼らにまつわるキールタンを歌ってきました。そして、先週の金曜日に行なった会はそのシリーズの最後の会となりました。取り上げた聖者は、中世に実在した神人、シュリー・チャイタニヤ。そう、キールタンを始めた方だといわれています。

小さな頃から聡明で、大人になってからは論理学者になり、学識のある者を見つけては論破することばかり繰り返していたようですが、ある日突然、神への愛に目覚めてしまいます。それ以降、学問には全く興味をもつことができず、「クリシュナ」という神の御名だけに魅了されてしまいました。やがて、神の御名を歌として町を練り歩くようになり、多くの方がそれに付き従ったといわれています。
——シュリー・チャイタニヤはいったい何に触れたのでしょうか。彼はなぜその歓びの中に一人留まらず、人々を導いたのでしょうか。どんな約束が彼とクリシュナとの間で交わされたのでしょうか。そして彼が見ていた世界はどのようなものだったのでしょうか。

会の中では、シュリー・チャイタニヤが残した詩の一部をご紹介しました。私自身これまで何度も読んで知っていたはずなのに、この日、突然とっても心打たれました。

「神の御名を唱えなさい
神の御名を唱えることで 誰もが神に近づくことができる
おお 心よ
一枚の草の葉よりも謙虚で 木のように忍耐強く 逆風に耐えるものであれ
人から名誉を受けることを拒み
すべての人を 心から敬うものであれ」

朗々と、堂々と大勢の人々に囲まれながら主の御名を唱えるその一方で、内面は、神に、真実に、人に、あらゆるものに常にこうべを垂れ続けた彼の謙虚さと姿勢が私の中に突然飛び込んでくるような感触がしました。そして同時に、まさにその境地を生き、私たちに人としてあるべき理想の生き方を示されている最愛の師のお姿が私の胸の中に蘇りました。

今年は、シュリー・チャイタニヤだけでなく、聖女ミーラー・バーイー、シュリー・ラーマクリシュナなど、さまざまな聖者、覚者をご紹介してきました。私たちも今一度聖者たちの残した言葉や生きざまに触れ、それを拠り所にしながら、また自らがその境地を生きていけるよう、見倣っていきたいと思います。

また来年のバクティ・サンガムも春頃から開催したいと思います。決まりましたらウェブでご案内致しますね。どうぞお楽しみに!


ミーラー・バーイーの歌に挑戦!

こんにちは、ミラバイです! 今日は久しぶりにバクティ・サンガムのご報告を致します。

春から京都・大阪で毎月行なっているバクティ・サンガムの今シリーズは、毎回一人ずつ聖者を取り上げ、彼らが愛した神にまつわるキールタンを歌ってきました。今回はインド中世に生きたバクタ(神を愛する人)、ミーラー・バーイーをテーマに、彼女が残したといわれている歌に挑戦しました。

私たちがこれまで歌ってきたキールタンは、神の御名だけを繰り返す簡単なもの。しかし今回の歌は歌詞もどんどん変わり、またメロディーも複雑で、リズムにも変化があります。実はこの歌、私は大好きな曲で、初めてこの曲を聞いた時、彼女の人生は苦難に満ちたものであったけれど、彼女はどんな時も神だけを見つめていたこと、そして神とともに多くの歓びの時間を過ごしたということが強く伝わってきて、歌詞の意味は分からなかったけど、とても感動したことを覚えています。ということで、いつかみんなで歌えたらいいなぁと思っていた曲の一つでもあり、しかもこういったタイプの歌は初めての挑戦だったので、どんな会になるかなぁと、私自身も楽しみでした。さぁ、早速チャレンジしていきます!

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最初はみんな気持ちを込めて歌うどころか、歌詞とにらめっこしながら一所懸命挑戦しておられました。でも、なんのなんの! 驚くほど早く歌が歌えるようになり、聞いていた私の方がとても驚きました。最後はみんなで大合唱になり、笑顔もこぼれ始めてよかったです。

「とても楽しかった」「歌詞に思いを馳せながら歌えました」「ミーラー・バーイーの生きざまや熱が伝わってくるようだった」といった感想もいただきました。また後日、「あの夜、夢の中でクリシュナとラーダーの絵とともに歌のメロディーが聞こえてきて、ずっと心に引っかかっていたものが消えた感触があり、純粋な意識だけが残る体験をしました。素敵なギフトをありがとうございました」という感動も寄せられ、とても嬉しく思いました。バクタ、ミーラー・バーイーのハートに、私たちも少し触れることができたのでしょうか。

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次回は、京都は11月27日(日)、大阪は12月9日(金)に行ないます(詳しくはこちら)。取り上げる聖者は、シュリー・チャイタニア。キールタンを歌いながら民衆の中を練り歩き、「神の御名を唱えるだけで、誰もが神に近づくことができる」と、インドに大きなバクティの波を引き起こした神人です。今シリーズはこれで最後の会となりますので、ぜひご参加くださいね! お待ち致しております。

ミラバイ


Manasa Bhajare

9月27日(火)は、大阪市阿倍野区でクラスを開催しているプレーマヨーガサークルで、「バクティサンガム」がありました!プレーマヨーガサークルで「バクティサンガム」が始まったのは今年の2月からで、今回で3回目になりました。最初は、キールタンに触れるのは初めて!という方も多かったのですが、一度でも参加されると皆ミラバイさんに魅了され、すっかりファンになり、今では毎回ミラバイさんが来てくださるのを、心待ちにしています。
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プレーマヨーガサークルに通ってくださっている方は、スタッフも含めてほとんどが主婦です。仕事をしている人も多いので、一日のほとんどの時間は誰かのペースに合わせて仕事をし、自分のために取れる時間はほんのわずかです。また、特に子供が小さいうちは、瞬時に気持ちを切り替える必要のある場面が多々あり、じっくりと腰を落ち着けて何かを考えるということがほとんどないのが実情です。そんな中で、ヨーガを日々実践していくには、一瞬にして神のもとへと駆けていくことができるキールタンがどうしても必要で、実際私のヨーガの実践はキールタン抜きには考えられません。ですから、皆さんにキールタンを知っていただきたい!ミラバイさんに来ていただきたい!ということは、私たちがプレーマヨーガサークルを始めたときからの強い願いで、それを快く引き受けてくださったミラバイさんには感謝の思いでいっぱいなのです。

さて、そんな3回目の「バクティサンガム」で歌ったキールタンは……♪
「Manasa Bhajare」
「Sri Krishna Govinda」
「Narayana」
「Hare Krishna」
そして歌の間に、シュリークリシュナの幼少期の神話やバクティヨーガについて、また私たちの師であるヨギさんのお話をしてくださいました💖
みんな一心にミラバイさんを見つめ、言葉に聞き入り、泣いて笑って夢中でキールタンを歌いました。
それは、一瞬一瞬がすべてキラキラした特別な時間で、みんなの色々な思いもすべて包み込んで神のもとへ束ねられて一つになっていくようでした。

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Manasa Bhajare Guru Saranam Dustara Bhava Sagara Taranam
心よ信じよ グルの庇護を この超えがたい俗世の大海を渡らせるものを

ヨーガを始める以前は、ミラバイさん自身も〝神なんていない〟と思われていたそうで、そのように、私たちは、本来私たち自身の本質である神を忘れてしまうのだそうです。そして、世の中が神を忘れた人たちでいっぱいになったとき、神は、私たちが思い出せるようご自身が人の姿をとって、私たちの前に顕れてくださると話してくださいました。
ある時、ヨギさんがミラバイさんに言われたそうです(正確な言葉ではないかもしれませんが……)。
私たちがたとえ神を忘れてしまったとしても、神のほうでは決して私たちのことを忘れることがないのだと!!

それを聞いた瞬間私の中で、ヨーガに出会うまでの苦しみとヨギさんにお会いできた喜びが弾けて溢れ出してきました。それは今思えば、まるで真っ暗な海をただ一人泳いでいるような、どこへ向かっていいのかさえわからない心細さでした。何のために泳ぐのか、泳がなければいけないのか、このままわからないとしたら苦しくて息が詰まりそうだと思っていた頃、私はやっとヨギさんにお会いすることができました。それは真っ暗な海に差し込んだまっすぐな光で、そこへ向かいさえすればいいのだと、生まれて初めて感じた完全な安心でした。「Manasa Bhajare」を初めて教えていただいたとき、私が感じたことはこれだったんだ!と感動したことを、そして神を忘れることがどれほど苦しいことなのかということを、まざまざと思い出した瞬間でした。その後、これから私が一瞬でも神を忘れることがありませんように!と祈りながらキールタンを歌いました。
ミラバイさん、今回も本当にありがとうございました!

赤阪充代


単純で素直な心

一昨日、大阪のグリーンアースにてバクティ・サンガムが開催されました。5月、6月はカーリー・マーを讃えるキールタンを歌い、そしてラーマクリシュナという大覚者がカーリー・マーを見神したときのエピソードをラジオドラマ風に朗読し、彼の代表的な教えをご紹介しました。

「とにかく夢中になってあの御方を呼ぶことさ。子猫はただミャーミャー啼いて母親を呼ぶことだけは知っている。困ったことがおきれば、ただミャーミャー啼いて母さんを呼ぶだけで、他には何も知らない。母猫はどこにいても、このミャーミャーという啼き声を聞けば、すぐに来てくれる――シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサ」

神は常に私たちのことをご覧になっていて、子猫が母猫を呼ぶように、一心に呼びかけることができれば、神はいつでも顕れてくださるということです。でも私たちの心の中には、「自分はこんなことができる」、「あんなものを持っている」というような思いがあって、なかなか子猫が母猫を呼ぶように、単純に素直に、神によびかけることができないものです。余計な心の計らいや恥じらいを棄てて、裸になって神を求めることができればなぁと思ってしまいます。

ヨーガ・ヴィハーラのカーリー様に出張していただきました〜

ヨーガ・ヴィハーラのカーリー様に出張していただきました〜

しかしこの日、そんな単純に素直に神に呼びかける姿を見ることができました。今年のバクティ・サンガムの新コーナーでは、参加者の方に自分の好きな曲をリードヴォーカルで歌ってもらっています。この日のリードヴォーカルは、ぜひとも歌ってみたいと自ら立候補してくれたSさんでした。いつも物腰が柔らかいジェントルマンのSさんは、家庭を持ち、大企業に勤めておられます。そして過密スケジュールの合間を縫うようにして、クラスに参加したり、サーダナを実践したりされています。そんなSさんが選んだ曲はマーナサヴァジャレー。

 ”心よ信じよ グルの庇護を この超えがたい俗世の大海をわたらせるものを”

という歌詞は、自分の置かれている現状をグルへの信仰によって改善していきたいと願っている自分自身へのメッセージだと捉えているそうです。サビの部分の「オーム・ナマ・シヴァーヤ」と繰り返すところでは、ただ歓びだけがそこにあるとう感じがして気分が高揚するそうです。

確かにSさんは、その「オーム・ナマ・シヴァーヤ」のサビの部分に入ると、まるでダンスを踊るように両手を動かしながら、リズムに乗って軽快に歌いました。形振り構わず、上手い下手も気にせず、単純に素直に、ただ一心に神の名前を繰り返すSさんに、皆の気分も高まっていきました。気付くと、みんな酒に酔ったように笑いながら、手拍子を取っていました。そして最後のフレーズが終わる時には、拍手喝采が巻き起こりました。

厳しい状況の中で、黙々とヨーガの実践をされているSさんの秘められた思いが、みんなを巻き込んで、そして神に酔いしれたような一時でした。本当に、単純に素直に神を求めることが一番だなと教えられたような気がしました。

さて、来月もまた新たな聖者の物語をご紹介し、そしてこの新コーナーもありますので、皆さまお楽しみに~

 ヨーガダンダ


誰でもできる

2016年4月24日から5月5日まで、ミラバイさんが再び台湾に来てくださいました。昨年に引き続き、ミラバイさんの2回目の訪問です。この期間に2回のバクティ・サンガム、3回のサットサンガ、4回のアーサナ・瞑想クラスが行なわれました。前回のエッセイの記事は4月24日のバクティ・サンガムについてでしたが、今回はサットサンガの様子をご紹介したいと思います。

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この2週間の中で、3回のサットサンガ以外にも、アーサナ・瞑想クラスの後に毎回30分の質疑応答が行なわれました(よく延長して、1時間になってしまいましたが…)。みんなはとても熱心に、たくさんの質問をしました。アーサナや瞑想についての質問もあり、人生の難問についての質問もありました。でも、どんな質問にも、ミラバイさんは明快で分かりやすく答えました。みんなは知恵に溢れる答えを真剣に聞いてうなずいたり、ユーモアに富んだ話に思わず笑ったりしていました。真理の話を聞けば聞くほど、みんなはミラバイさんの魅力に惹き付けられて、とても自然に自分の心を開くことができたそうです。

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あるクラスでのこと、一人の参加者が他の人との問答に感銘を受けて、「ミラバイさんのようになりたい」と感嘆しました。そして、もう一人は「MYMのヨーガだけをやって、今のミラバイさんの境地に到達できますか」と聞きました。

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実は、去年の5月から、台湾では毎月1回の読書会を行い始めました。読み物は日本の先輩たちが書いた記事です(NYのウェブに公開している記事です)。それらの記事から、基本的なヨーガの知識や先輩たちがどういうふうに実践しているか、たくさん勉強になりました。でも、例えば<カルマヨーガ>や<ヨーギーを目指して>などの記事を読んで、時々こういう声もあります:「抽象的にすぎて、分かりません。」「難しすぎるので、私にはできません」「自分にとって遥か遠くのことようです。私は凡人です。そのようなれますか?」

イエスや仏陀などの聖者に対して、そのような思いは多いでしょう。「彼らは特別です。私は凡人です。なので、その境地に到達できません」

しかし、ミラバイさんが台湾に来てくれるのは、私たちにとってはとても貴重な機会です。完璧な手本は今私たちの前にいます!ミラバイさんは最初からミラバイではなかったです。彼女も人生に疑問をもって迷っていました。彼女もヨーガの道で失敗したことがあります。だけど、彼女は続けてきて、今のミラバイになりました。真剣にヨーガの教えを実践していけば、確かに霊的な成長はできるのです!

ミラバイさんの話しを聞いて、感じた知恵や魅力は、彼女が努力を欠かすことなく実践している証明です。ミラバイさんは複雑な道筋や曖昧な話術を言っていません。彼女はただ真理そのものをみんなに伝えます。言葉だけではなく、彼女の姿を通じて、真理を表します。

ヨギさんは、真理は単純なものと言われます。ヨーガを実践することは、必要ではないものを捨てて、自分を純粋にして、ますます単純な真理に近づいていくことです。私たちがミラバイさんに惹き付けられるのは、ミラバイさんからその単純さ、その純粋さを感じたからだと思います。

実践し続ければ、私たちも誰でもそのような単純に、純粋になれます。ミラバイさんからそのような確信をいただきました。ミラバイさんに言葉にならない感謝をしています。

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神を愛し、神に近づく

「ミラバイのキールタンは、何が違うと感じましたか?」。3月、アーナンダマーリーさんに聞かれました。

「はい…西洋の音楽家が行なうキールタンはコンサートみたいですが、ミラバイさんのとはずいぶん違います…」。私は漠然と答えました。

4月24日に、台湾でバクティ‧サンガムが行なわれました。
それは、ミラバイさんの訪問期間の一回目のクラスであり、参加人数が一番多く会場が一番大きいクラスでした。

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40人の参加者の中で、アーサナクラスに来ている方もいるし、新しい方もいました。初めてバクティ‧サンガムに参加する人もいました。みんなはミラバイさんの綺麗な歌声と優しい眼差しと笑顔に吸い込まれてリードされました。ドラマーのプリヤーは去年もドラムをしてくれて、伴奏もミラバイさんと息が合い、参加者はすぐメロディーと歌詞を覚えました。まもなく雰囲気が調和してきました。みんなはメロディーに合わせて体を揺らしたり、目を閉じて陶酔したり心ゆくまで歌っていました。音楽が静まると、何人かが喜んで涙を流していました。私もその中の一人です。

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その後のサットサンガで、私はまっ先に質問しました:「どうしてキールタンを歌うと涙が出てくるのですか?」

「それは、心が神聖な存在に触れたからです。皆さんも経験があるかもしれませんが、とても美しいものや何か偉大なものに触れると、感動して泣いてしまうようなことがあると思います。それは知性や理性を越えたものです。それはとてもいい経験で、神に近づく扉を開いてくれると思います。もっと神を愛して、近づいていってください」。ミラバイさんは優しく応えました。

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私はもともとキールタンが大好きです。去年、まだミラバイさんが誰か分からない時、youtubeにあるBoloBoloの映像を見て、すっかりミラバイさんの歌声に惹かれました(もし私がレコード会社で働いていたなら、きっとミラバイさんと契約を結びたい!と子供っぽく思いました)。そして、ミラバイさんのキールタンに参加しましたが、その時の感動がずっと心の中に残っています。

今年参加者の立場だけではなく、スタッフとして準備から退場までにもかかわりました。バクティ‧サンガムが終わってから、アーナンダマーリーさんの質問をもう一度思い出しました。自分の感受の違いを素直に話したいです。

以前、キールタンのことを好きすぎて、台北だけではなく、バリ島や香港にまで行って西洋ミュージシャンのキールタンに参加しました。ストレスの解消や頭が一時的に静まる喜びを楽しむことは、キールタンの目的と思い込んでいました。

けれども、ミラバイさんは歌を通じて、何の見返りも求めずに、神へ素朴に敬虔にすべての愛を捧げます。そしてキールタンを繰り返すことによって人々に内に在る聖なるものに触れさせます。

私はその純粋で透明で言葉にならない存在にまた少し近づいたと感じました。来週また一回のキールタンがあります! 台湾にいる私たちはどんなに幸運なのでしょう。

エッセイ(台湾)

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ミラバイは4月21日から台湾を訪問しています。今回の記事は、4月24日に開催された第1回目のバクティ・サンガムとサットサンガの様子をエッセイさんが日本のグルバイのために記事にされたものです。ルーさんが日本語に訳してくれました。たくさんの方々が熱心に参加され、ミラバイと交流されている様子がよくわかります。

ありがとうございました〜


松山ヨーガ特別クラス

先週末、松山にてヨーガの特別クラスがあり、快晴の中しまなみ海道を通って、ミラバイとともに行ってきました。その模様をお届けしたいと思います。

4月16日(土)バクティ・サンガム、サットサンガ(ミラバイ)
4月17日(日)瞑想クラス(サーナンダ)

バクティ・サンガムは、今回は紙芝居から始まりました。3月のシッダ・マールガで上演したものですが、今回はとってもグレードアップしていました!!!

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開演前、喜びに満ちた表情で紙芝居の準備をするミラバイです。しばらくすると続々と参加者が集まってきました。36名の方が参加されました。

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紙芝居の様子です。主題は「The Story of Mira’s Love」ー中世のミラバイの愛の物語です。みんな童心に戻って(?)紙芝居に釘付けです!

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では、少しだけ紙芝居を動画で観てみましょう。

今回の紙芝居では、途中突然の寸劇も始まったり、絵の内容もヴァージョンアップし、とても楽しくそしてバクティとはいかなるものかをうかがわせるような、集中感のある内容でした。みなさん、「本当に良かった!神への愛を感じられた!絵も声も美しく魅せられた」という好印象の感想でした!ぜひミラバイの紙芝居に興味のある方はお問い合わせください。縁があるところにはどこへでも駆けつけることでしょう!

さて、その後続いてバクティ・サンガムがありました。

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主クリシュナが見守る中、みんなで主の御名を繰り返し繰り返し捧げました。ミラバイが松山を訪問するのは2年ぶりなので、彼女と一緒にキールタンを歌うことを待ち望んでいる人がたくさんいました。みんな喜びに満ちが表情でキールタンを歌い、神への愛に没入しているようでした!それもぜひ動画で味わってください。

30分インターバルを挟んで、ミラバイによるサットサンガが行われました。著書『真実を求めて』が発刊されて1年。その著者に会いたい!声を聞きたいということで、参加者のほとんどの方が読まれていて、この日のサットサンガは、本当にたくさんの質問が絶え間なくありました。それぞれが日頃から真剣にヨーガに向き合い、実践している様子が伺えるような質問が多かったです。そして、ミラバイのわかりやすく親身になった導きは、師を彷彿させるようなサットサンガでした。瞑想のように心地よい状態になりましたという声を後で聞きました。

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とても多くの問答がありましたが、印象にある問答を一つご紹介します。

質問「私は安定を手に入れるために頑張っていたことがわかってきました。白馬の王子様を待っているのです。神に恋して愛していくことで、人に頼ることなく安定して生きていくことができるのでしょうか?」
ミラバイ「私はそれが一番いい選択だと思います。最初は依存関係に見えるかもしれないし人間の恋人とどう違うのかと思うかもしれない。神を恋人にすれば神しか求めなくなっていく。そこにすべての答えがある。すべての安定や幸せがあると思います。神を愛するときも神を愛しているようで自分自身の心をものすごくダイナミックに変えていくことになる。今まで望んでいたことや求めていたことが机をひっくり返すように忘れ去られていく」

 

翌日は、瞑想クラスでしっかりとみんなで座りました。神への愛も、真我の探究も、ヨーガは実践あるのみ!参加された方の毎日の真摯な取組みがうかがえるような熱心なクラスでした。

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クラス後、現在申し込み受付中のMYM40周年記念Tシャツを、みんなで楽しく選んでいました〜中には全色申し込みされた豪鬼な方もおられましたよ〜(^ ^)

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そして、、、来5月は、近日ご案内があると思いますが、

私たちの最愛の師シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサによるサットサンガが松山(5/21-22)と今治(5/23)で開催されます!!!!

今回参加された多くの方から、ミラバイが一心に愛する師に自分もお会いしたいという声を聞きました。多くの方が師にお会いするのを心待ちにしています。本当に師のサットサンガが楽しみです!またとない吉祥な機会ですから、ぜひみなさんご予定ください!お申し込みは松山ヨーガ・サークルまでお願いします。

ミラバイのバクティに刺激を受けて、松山の皆さんの神への愛とヨーガへの熱の高まりを感じた2日間でした。

ありがとうございました。

サーナンダ


バクティ・サンガム始まりました!

こんにちは! ミラバイです! お久しぶりです〜。皆さまお元気にされてますか?

さて、今年のバクティ・サンガムが京都は3月末から、大阪は先週の4月8日から開始しました!早速ご報告させていただきたいと思います〜。

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今年のシリーズは、毎回いろんな聖者を取り上げ、その方にちなんだキールタンを歌っていきます。初回は、ラーマ神を愛した、名もなきある機織りの聖者をご紹介しました。

「彼はとても敬虔な人で、誰からも信用し、愛されていたそうです。いつもは市場で品物を売っていて、人々からの信頼もあつく、お客はすぐにお金を払って彼の売る布を購入していきました。

ある日、機織りが夜更けに礼拝堂に座ってたばこをふかしていると、盗賊たちが前の通りを通りかかりました。盗賊たちは盗品を運ぶ男が欲しかったので、彼を引っ張っていきました。機織りは言われるがまま盗品を頭に乗せて運んでいると、そこに突然警官がやってきたのです! 盗賊たちは逃げ去り、機織りはなんと捕まってしまったのです。

彼は取り調べの際、長官に言いました。『私はラーマの思し召しによって、夜の食事を済ませました。それからラーマの思し召しによって礼拝堂に座っておりました。その時、ラーマの思し召しによって盗賊が通りかかりました。ラーマの思し召しによって、彼らは私の頭の上に盗品を置きました。ちょうどその時ラーマの思し召しによって警官が到着し、ラーマの思し召しによって、私は捕らえられました・・・』

長官は、機織りがとても信心深い男であることを知り、釈放を命じました」

この物語が大好きな人がおられて、ぜひ紹介したい!という声がありました。それがこの方、ヨーガダンダさん。

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いい笑顔ですね〜。今回からバクティ・サンガムを一緒に行なっていくことになりました。(よろしくお願いします 😀 )。ヨーガダンダさんはこの物語を読んで、ラーマ神だけを思い続けるという単純さにとても惹かれたそうです。常に神を思い続けるって、とっても難しい。機織りは素朴な人だけれども、いつも身近に神を感じ、至福に満ちた高い境地におられるということを感じたと話されていました。

常に平安な心境でいること、神に満たされた状態のことをシャーンタというそうです。すべては神の思し召し。いいことがきても、悪いことがきても、何がきても、すべては神からやってきたこと。愚痴を言わず、自分のところにやってきたことすべてを受け入れ、その思いに徹することができれば、全く動揺など起こらず、いつも平安なのでしょうね。また、そのように思うことは、最初は心の訓練のように感じるかもしれませんが、それこそが——すべては神から与えられているということが——この世界の真実の姿なのだなと思いました。

「すべては神の思し召し」

さーて。

私たちも、今一度、自分の心に問いかけてみましょうか。

 

次回はどんな聖者のお話が飛び出すのでしょうか。どうぞ、お楽しみに〜!

 

 


バクティ・サンガム 特別編

先日、新春!バクティ・サンガム特別編が開催されました。去年の年末最後のバクティ・サンガムが大好評だったため、急遽企画され、この日を迎えました。
バクティ・サンガム 2016.2前回初めてバクティ・サンガムを体験され、今回も続けて参加された方が3名、今回が初参加という方が5名、総勢約20名で、またまた大盛況となりました!

今回は新春!特別編ということで、バクティ・サンガムでよく歌われる定番の曲、
①Hare Krishna、②Manasa Bhajare、 ③Jaya Jagadambe、の3曲を歌い、それぞれの歌の神様
①クリシュナ ②シヴァ ③ドゥルガーが紹介されました。
写真にもあるように、神様の美しいタペストリーが飾られて、いつにもまして神々しい空間になりました。そして、ミラバイさんが以下のクリシュナのエピソードを紹介していたとき、面白いことが起こりました。

 「クリシュナが小さい頃、ある時、彼が泥土を食べていると牛飼いの友達が養母ヤショーダーに言いつけました。ヤショーダーはクリシュナを呼びつけて叱責しましたが、クリシュナはやっていないと言い張りました。するとヤショーダーはクリシュナに口を開けて見せてみなさいと命じました。クリシュナが口を開け、彼女がその中を覗き込むと、そこには、なんと、全宇宙が広がっていたのです。」

この「全宇宙が」と言った瞬間、最前列に座っておられた女性が、何かの衝撃が走ったかのように「あっ!」と驚かれたのです。後でお話を伺うと、その時なぜかクリシュナに惹かれ、もっともっと知りたいと思うようになったそうです。自分の好きな理想の神様が見つかるのは、意図せず恋に落ちてしまうような、こういう瞬間なんだろうなぁと思いました。
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来月からは、毎回一人の聖者やバクタをご紹介し、その人にちなんだキールタンの曲を歌っていく予定です。

皆さま、どうぞお楽しみに~

 

ヨーガダンダ