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第2回「ヨーガを生きる秘訣」が松山で開催されました!

松山のヨーガ・サーラ・スタジオで「ヨーガを生きる秘訣」の2回目が、3月14日(土)、15日(日)に開催されました。
講師は、前回同様シャーンティマイーさんです。
前日の金曜日から松山入りしていただいたのですが、新幹線のトラブルがあり、1時間半も途中で停車し、松山到着が2時間遅れとなり、6時間越えの長旅となってしまったのです。きっとお疲れだろうと申し訳ないような気持ちで松山駅でお待ちしていたのですが、いつもの軽快で快活なご様子で到着され「打ち合わせをお願いします!参加の皆さんのことが知りたいです!」と休むことなく、翌日の講座の打ち合わせをしてくださったのです。日々のヨーガの実践が日常の行為に現れる、と教わっていますが、まさにその通り。どんな状況があろうとも、常に軽快で、他者のために行為するヨーギーとしてのあり方を学ばせていただいたように思います。

1日目は「アーサナの秘義」でした。午前のクラス15名、午後のクラス11名の参加がありました。
2回目ということもあって、みなさんリラックスした雰囲気の中、真剣に講座に取り組まれていました。
「アーサナの実践の中で、自分の行動をしっかりと認識すること。それは身口意を見つめていくということになり、日常の行為においての識別力を養ってくれます」
「アーサナにおける苦痛を受け入れることができたら、日常でも心理的苦痛を克服できていきます」など、アーサナを通して自分自身の体と心に正面から向き合うことの大切さなどを学び、
アーサナの実習では、「ブジャンガ・アーサナ」「シャラバ・アーサナ」「ダヌル・アーサナ」「チャクラ・アーサナ」「サルヴァーンガ・アーサナ」5つのアーサナについて、丁寧に学んでいきました。今回の5つのポーズはどちらかと言えばきついポーズで、まだ取り組んでいなかったり、ご自身の体の様子を見ながら普段は控えていたりする方もいらっしゃったのですが、講座ではみなさんの中で何かが起こったのか!? 果敢にチャレンジされていました。

講座を終えて、みなさんの笑顔が輝いていたのが印象的でした。


「何年もアーサナをしてきたつもりでしたが、初めて学んだような新鮮さを感じました。日々のアーサナをより丁寧にしていこうと気持ちを新たにしました」
「体験、体感を伴ったお話にインスパイヤされました」
「十年ぶりにチャクラ・アーサナをしました、一気に目覚めました。自分自身の感情に巻き込まれていましたがスッキリと無くなったように思います」
「ポイントが明確になり、アーサナや瞑想に取り組みやすくなった」
などの声が聞かれました。

2日目の「ヨーガの料理」は10名の参加がありました。
今回のメニューは、「春のブランチ」として、ブロッコリーのペンネ、ポテトサラダ、切り干し大根のカレー風味です。バゲット、紅茶と一緒にいただきます。
参加者の中には主婦歴50年という、長年にわたってご家族のためにお料理されてきた方々からも「エッ!」「ヘエ〜」と驚きの声が上がっていました。
ペンネを水から入れて茹でたり、切り干し大根をごく少量の水で戻し、もどし汁も捨てないで使う。
「ブロッコリーのペンネ」や「ポテトサラダ」は、『さまらさの台所』の本にも掲載されており、少量の水でゆがくことは書いてあるのですが、「えっ!ここまで少ないの!?」と実際を見ることで驚きと共に、普段自分たちが、いかに自分の観念やこれまでの習慣でお料理しているかを実感することになりました。
参加者の方々も積極的に調理に加わってくださって、和気藹々と楽しくサットヴァな雰囲気の中、料理が出来上がっていきました。


参加された方からは、次のような声が聞かれました。
「食材を生かして大事にお料理することを改めて思い出すことになりました」
「目から鱗のことばかりでした。主婦業を50年近くしてきたのに知らなかったことがとても新鮮で、楽しい時間でした!」
「今回も、野菜の素材のお味がとても美味しいお料理に感動しました!毎日家で作る料理、もう少し(味つけの)引き算しても良いのかなと思いました」
「ヨーガのお料理は、食べる人も、食材も同じように丁寧に大切にするものだと改めて感じました」

2日間を通して気づきがあり、その後のみなさんの実践につながっているように感じています。スタジオ全体にその喜びが広がっているようです。
アーサナの秘義は、毎週土曜日にフォロークラスを実施しています。学んだことを復習しながら、さらに深めていけたらと思っています。是非ご参加ください。
また、次回を楽しみに、それぞれが実践していきましょう!

アミティ


ヨーガはどこにいても実践できる

山本悦子さんは青森県に住んでいます。

四川目(よかわめ)岸壁から見える太平洋

ご家族のお仕事の都合で愛媛にいた頃、松山市内にあるヨーガ・サーラ・スタジオのクラスに出会いました。2012年からは京都で開催されるサットサンガにも定期的に参加していましたが、2020年に地元の青森県に帰りました。
悦子さんの1日は、毎朝キールタン(神の御名を繰り返し唱える歌)を歌うことから始まります。次に聖典を朗読、その後アーサナ、浄化法や呼吸法を行い、最後に瞑想をします。

強風によってできた雪紋と太平洋

しかし、厳しい冬の間は毎日の実践にも影響が出ます。

悦子さんが暮らしている青森県の太平洋側は冷え込みが厳しくなることが多く、日中でも0度を超えない日が度々あります。11月になると日が暮れるのが早くなり、16時を過ぎるとすでに夜の雰囲気に。道路も凍るので暗くなってからの外出は危険、明るい内に用事を済ませないといけません。
水道の凍結や吹雪の予報が出たら備えをして、雪が積もったら雪かき。雪かきしなければならない天候が続くと、それだけで体の疲労は限界を迎えて、他のことをする気力体力がなくなることも。

自宅の窓にできたつらら

そんな厳しい冬の寒さは身にこたえますが、時に冷静さを与えてくれるようで、「あれこれ考えても仕方がない、この環境の中で今やれる事をやろう」と気持ちを切り替えることができるそうです。
毎日アーサナができなくて落ち込んだり自分を責めることもあるけれど、オンラインでのクラスや瞑想会などに積極的に参加、日々の実践においては浄化法と呼吸法を特にしっかり行うという新たな習慣もできました。
日常生活においては、家事に加えて、介護施設で使用する紙製品を作るボランティアもされています。
いろいろと工夫をされながら弛まずヨーガを実践されている悦子さんですが、苦しい時期もありました。

 

悦子さんは生まれた場所に居続けるのが当然だという環境で育ちました。どこにいても地元に帰らなければならないと、心が地元に縛り付けられているような感覚が常にあり、苦しさを感じていました。

そんな悦子さんにとって特に大きかったのは、ヨーガを学び、「苦しみの原因は自らの中にあり、ヨーガにはその苦しみを滅する方法がある」と知ったことです。

とはいえ、自らの中にある原因を見つけ、それをなくすのは容易いことではありません。
2016年まではご家族の看病のため松山と青森とを頻繁に行き来する生活が続き、心身ともにギリギリの状態、本当に苦しみをなくすなんてできるのか?と疑う気持ちもありました。そのような状態でも繰り返しヨーガの教えを学ぶうちに、少しずつ理解が進み、自分の心を縛り付けているのは家族ではなく自分自身だと思い至りました。
ご家族との関係も少しずつ改善、最期の日々は、ご家族が和やかで清らかな気持ちで過ごせるように努めました。ご家族を看取った後、縛られているものがなくなったような気がしたけれど、遺品を整理しながら、心は縛られたままであることに気づきました。

「悩みや苦しみを捨て去り、自由になりたい!」

目には見えないけれど、誰もの中に純粋な意識がある。それが本当の私である。私もあなたもそれである。

おいらせ町のネーチャーセンター白鳥の家では、越冬のため飛来した白鳥に会えます

悦子さんは、その憧れの境地をシンプルに表した、“オーム(聖音)”に魅かれていきました。
ちょうどその頃、オンラインの瞑想会で初めてオームを唱えました。最初は慣れなくて、力まないように意識したり、聞こえやすいように大きめの声で唱えられるよう心がけたり、試行錯誤していたそうですが、次第に自分の体から響かせるように唱えたいと思うようになりました。何度も唱えるうちに力みはなくなり、オームを唱えることは自分と向き合うことであり、純粋な意識への通路ができていくような感覚になっていきました。
今は、少しずつでも憧れの境地へと近づけるよう、オームへの瞑想を続けています。

京都から遠く離れていてもヨーガの実践を続けられているのは、共にヨーガを学ぶ仲間の存在があるからで、特に遠方で暮らしている人同士のオンラインでの繋がりが大きな力になっているとのこと。

「ヨーガはどこにいても実践できる」

師が何度も教えてくださっている通りだと、悦子さんは実感しています。

「いつか青森でヨーガを伝えていきたい」

青森も春の気配が日に日に濃くなってくるこの季節、悦子さんは目標に向かってより大きく力強く歩んで行かれるのではないか、お話を聞いてそう感じました。

りんごの収穫のお手伝いをすることもあるそうです。とっても良い笑顔!

ハルシャニー  

 

 


春はヨーガを始めるのに最適な季節

暦の上では春の訪れを告げる「立春」を過ぎ、「雨水」の時期に入りました。

「雨水」とは、雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃のこと。雪解け水が山から流れ出て田畑を潤すことから、農耕を始める時期の目安とされています。

それは私たちの身体にも影響していて、雪解け水が少しずつ田畑を潤していくように、冬の寒さでかたまりがちだった身体が少しずつほぐれて、伸びやかに気が巡るようになっていきます。

ヨーガでは、季節毎に旬の食材を適量食べることで、体が滋養され健やかな状態を保つことができると考えます。
春は大地からの力を受けて山菜が芽吹く時季。山菜は力強いエネルギーに満ちていて、食べることで私たちもそれを取り入れることができます。さらに、山菜が持つ独特のほろ苦さは冬の間に溜まった疲れを排出し、身体を目覚めさせてくれます。

厳しい寒さを乗り越え、地面から力強く芽吹いて咲く福寿草の花

また、アーサナ(ヨーガのポーズ)を行うことで、身体という田畑が柔らかくなり、深い呼吸によって調えられたプラーナ(気)が体の隅々まで行き渡ります。
MYMのヨーガ・瞑想クラスでは、1人1人の体の状態に合わせて行いやすい形をお伝えしていますが、まずは無理なく保持できるところで息を吐き切るようにしていくと、リラックスしやすくなります。そして継続して行うことで心身が癒され、生き生きとした日々を送れるようになります。

マッチェンドラ・アーサナは体の隅々までプラーナを行き渡らせる効果が特に高い形です

少しずつ日が長くなり暖かくなっていく春は、気力が高まりアーサナに取り組みやすい状態になるため、ヨーガを始めるには最適な季節といえます。

ヨーガに興味はあるけれどまだやったことがない方、まずは一度クラスに参加してみませんか?
すでにクラスに通っている方は、この春に形と呼吸をより一層深めていきましょう!

国分寺クラスの後、スタジオの前にある紅梅の花にメジロが来ていました

 

ハルシャニー  

 

 

 


ヨーガの学びと畑仕事

ヨーガと野菜づくりは、私の中では同じ学びです。

私は6年前から兵庫県丹波市にある『丹波ファーム』という畑で、スタッフとして黒豆や玉ねぎなど野菜を育てています。土に触れる日々の中で、天候や苗そのものの力、外敵など、人の思い通りにはならない自然の営みを学んできました。

玉ねぎは今、とても小さく、寒さの中で成長が止まっているように見えます。けれど、時が来て春になれば、ゆっくりと、まるまると太っていきます。ヨーガの学びも、まさにそれと同じだと感じています。成長が目に見えない時期があっても、地道に続けることで、内側では確かに育っている。畑と向き合う中で、私はそのことを実感するようになりました。

また、畑もヨーガも、一緒に活動する仲間の存在がとても大切だと感じています。というのも、畑はひとりでは到底できません。草引きも、肥料やりも、畝立ても、収穫も、誰かの手が加わって、はじめて畑は息づきます。
ヨーガも同じでした。ひとりでアーサナをし、キールタンを歌っていた頃よりも、仲間と共に学び、声を重ね、気づきを分かち合う中で、私はより深くヨーガに向き合えるようになったのです!

時には子どもたちと一緒に作業します(これは玉ねぎの横から生える草引き)

丹波ファームで育てた野菜は、一緒に活動している仲間や、京都のヨーガ仲間に必要に応じて分かち合いながらお届けしています。以前の私は何かを人にあげることで良く見られたいと思いがありました。けれど今は、ただ「美味しい野菜を、みんなに食べてもらいたい」という純粋な想いで、自然に体が動いています。

ヨーガの学びと畑仕事は重なり合い、人と人、自然と人を、静かにつないでくれています。それは私の暮らしと心をやさしく、そして確かに支えてくれるものです。

植え付けから7カ月後、収穫を迎えた玉ねぎたち

松山園


運命を切り開く

新年を迎えると、「運試し」「今年の運勢」など、あちこちで「運」という言葉を目にします。初詣でおみくじを引いて一喜一憂している方々を見かけたことがありますが、私も以前は「運」を気にする1人でした。

子供の頃から逆境が続き、自分は運が悪いのだと思っていました。占いにすがり、手当たり次第本を読みあさったこともありました。「あなたの運命は」「運気を良くするには」などと具体的なことが書かれてあると、自分の進むべき道を示してもらったような気がして、安心して前向きな気持ちになれましたが、それは束の間のこと。逆境から抜け出すことはできず、私は運が悪いまま生きていくしかないのだと悶々としていました。

しかし、ヨーガとの出会いで私の人生は大きく変わりました。

 

運命を切り開く

自分の運命は自分で切り開いていくものです。

心次第で未来はどのようにでもなります。

『マハーヨーギーの真理のことば』第1章より

 

ヨーガでは、呼吸が制御されれば心も制御されると考えます。
私の場合は、まずアーサナをすることで呼吸が少しずつ深く落ち着いたものに変わり、それに伴い心が穏やかに安定した状態になり、冷静に自分を見つめられるようになりました。最初は漠然とした理解にとどまっていたヨーガの教えも、しっかり腑に落とすことができるようになりました。特に大きかったのは、自分を変えることができるのは自分だけだと気づいたことです。

運が悪いと決めつけているのは私自身。そうしたネガティブなことを思うのはやめよう。どう生きていくかは自分で決めることができるのだから。
そう思えたら、濃い霧の中を手探りで歩むような状態だったのが、霧は晴れて視界良好、軽やかに一歩を踏み出せるようになりました。

また、逆境と向き合い乗り越えていく力をつけることができました。

近くの公園では梅の花が咲き始めました

一足飛びにとはいかないけれど、日々実践をしていくことによって、他の誰でもなく自らの力で運命を切り開くことができる。
今、私は確信を持ってそう言えます。

運命を切り開いた人、これから運命を切り開こうとしている人、みんな素晴らしい笑顔で

 

ハルシャニー  


『マハーヨーギーの真理のことば』 ~新年の抱負 「献身」

新しい年を迎え、皆さまに心より新年のご挨拶を申し上げます。
今年も実り多き良き一年となりますようお祈りいたします。

昨年は、私自身にとって人生の一つの節目となる年でした。
4月に次女が大学を卒業し、社会人として歩み始めたことで、私も長い子育ての時間を終え、清々しい気持ちで次のステージに進むことができました。肩の力が抜け、同時に、これからの人生をどう生きるのかを改めて深く見つめ直す一年でもありました。

さて、皆さまは今年の抱負はもうお決めになりましたか?
私は師の教えが詰まった書籍『マハーヨーギーの真理のことば』の中から、今年の抱負としてだけではなく、これからの人生の目標として次の教えを選びました。

献身

誰ものアートマンなる真実在という存在は、何ものにも依存しません。全く自存、自立しているものです。だから常に自由で普遍的で至福です。それだけが真実です。その他のもの、たとえ聖典の教えであろうが言葉であろうが、全ては消え去ります。存在というものだけがリアリティです。
それを知ったならば、たとえこの限りある体の状況でも、その道具として、肉体が朽ちるまで存分に動かせばいい。それは正に献身、身を捧げるということに尽きます。

『マハーヨーギーの真理のことば』第十章 奉仕と献身の道 /第三節 ヨーギーの行為 より

アートマン:真我、真の自己。絶対不滅の存在。純粋な意識。

昨年、これからの人生をどう生きたいのかを自分に問い直し、瞑想を深める中で「残りの人生を神・真理とともに生きていきたい!」という思いが、以前にも増してはっきりと自分の内側から湧き上がってきました。
自分も他者も生きとし生けるすべてが真実在の顕れであるなら、その真実在のために限りあるこの身体を道具として朽ちるまで動かす─。それはなんと喜びに満ちた幸せな生き方でしょう!そして、そのように思えることがもう既に神の祝福の中にあるのだと感じています。

今年も喜びとともにヨーガを生きていきたいと思います。
日々の実践を通して、その喜びを皆さまと分かち合えますように!!

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

シャルミニー


台湾グルバイの滞在報告🇹🇼

9月23日〜10月1日の8日間、3人の台湾グルバイ(仲間)が来日していました🪷

今回は私の自宅であるシャーンティ庵に滞在し、毎日朝は瞑想し、その後はヨーガクラスの参加や日本の弟子と交流するなどして、まさにヨーガ三昧の日々でした。 彼らが日本に来たのは、先輩弟子からマハーヨーギー・ミッションの活動やワークスを学ぶという目的があり、そこには大いなる真剣さがありました。

毎朝6:15〜7:15に瞑想。忙しい滞在だったにもかかわらず、不思議と眠くならなかったそうです😲

プレーマ・アーシュラマでアートワークを学びました🖼

月曜日のアーサナクラス。3人並んでのブリッジ。

土曜日のアーサナクラス。3人並んでの逆立ち。

土曜日の朝の瞑想クラス。松山のグルバイやちょうど台湾留学生シヨさんも参加されました。

早いもので、台湾のグルバイと交流が始まって11年が経ちましたが、いつも接していて思うのがハートの「純粋さ」です。
台湾の方たちは本当に素直で明るく、心温まる純朴さがあります。
私は今回、師シュリー・マハーヨーギーがおっしゃった「品(ひん)」についての言葉を思い出しました。

「品とは純粋さ。それはお金で買えないもの」

今回来られたエミリーさんマークさん夫妻、プリヤーさんはまさに「品」がありました。
エミリーさんは何気ない気遣いをよくしてくださり、慣れない台所で美味しい手料理を振る舞ってくださいました。いつも凛としていて、芯のある品やかな女性だと感じました。
夫のマークさんは、今回の滞在で「生きる目的」が明確になりました。瞑想クラスに参加して、「どう生きていきたいのか?」という問いに瞑想した時、「ヴィヴェーカーナンダのように大きなことはできないけれど、自分を世界に捧げたい」という思いが胸の奥から湧き、その時に彼は涙を流しながらその思いを語り、その場の参加者たちは彼の純粋さに胸を打たれました。
そして11年前の留学生時代から親交のあるプリヤーさんは、通訳中によく涙を流し、人の歓びを自分の歓びとして感じる素晴らしいハートの持ち主です。日本のお笑いやアニメ好きということもあり、普段の会話もとっても面白いです。

左からマークさん、エミリーさん、プリヤーさん、シャーンティマイーさん。マハーヨーギー・アーシュラマでは連日美味しい食事をいただいたそうです🍱

台湾のグルバイとは年々、友好関係が深まっていて、本当の兄弟姉妹のように感じています。
ヨーガの語源はユジュという「繋ぐ」ですが、ヨーガを通して、そしてヨーガを教えてくださるグルを通して、私たちは繋がっています。
主クリシュナはこのようにおっしゃっています。

「私は、すべての真珠を貫く糸である」

神を通して、たくさんの真珠と出会い、繋がっていくことは歓びです。
私ももっとヨーガを深め、純粋になっていきたいと感じた台湾グルバイとの交流でした😇🙏

バクティ・サンガム後に記念撮影。皆さん、良い表情です✨

※台湾のグルバイたちが日本に来始めた時の懐かしいブログを見つけました💡
マールラーさん(当時はエセーさん)が日本に来て感じられた内容が書かれています。
翻訳はプリヤーさん(当時はルーさん)です。
よろしければ、読んでみてください💁『MYMとの出会い』

ゴーパーラ


『マハーヨーギーの真理のことば』第一章「愛の真理」

アーサナ中に体験した忘れられない出来事があります。
アーサナを始めて何年か経ち、少しずつ真理の教えにも触れていっていたある日、いつものように自宅でアーサナを行なっていました。すると、「このままではだめだ!!」という思いが突然やってきて、私はアーサナを中断して立ち上がりました。

その頃、我が家では、イチゴという名前の白い犬を飼っていました。私は、彼女の自由にできる場所をリビングだけに制限していました。理由は、部屋が汚れることがとにかく嫌だったからです。今となっては、とてもエゴ的で傲慢な行為だったと思いますが、本当にあの瞬間までは、それが間違っているとは思いもよらず、考えることすらありませんでした。
けれどその時、私はアーサナを中断して、部屋を行き来できないように置いていた柵を取っ払って、彼女が家の中を自由に行き来し、過ごせるようにしました。そして、当たり前のことなのですが、汚れたら綺麗にすればいいと素直に思えたのです。その瞬間、憑き物が取れたかのように、私自身も自由になれたような清々しい感覚と救われたような気持ちを味わいました。そして、彼女以外の家族にも窮屈な思いをさせていただろうことにも気付きました。

それ以来、彼女の毛並みはツヤツヤとして、元の白さを取り戻していったように見えました。そして以前よりも生き生きとして、元気に走り回っているように見えました。私はその姿を見て深く安堵しました。

部屋を清潔にしておくことや整えておくことは、もちろん悪いことではありません。できるだけそのようにしておく方が、私だけでなく、きっと家族も心地良く過ごすことができるだろうと思います。けれど、心の思いは、完全に純粋なものではなく、「私」と「私のもの」への執着が入り混じり、時に、それはエゴ的で傲慢な行為となり、他者を苦しめたり、気付かないうちに傷つけてしまうこともあることを知りました。

天国と地獄は人の心の中にあります。あなたが「私」と「私のもの」を突っ張ればそこは地獄になり、「あなた」と「あなたのもの」に自らを捧げるなら天国になるのです。心は迷いやすく間違いを犯すかもしれないが、自らの苦しみを避けるためには他者を苦しめてはならない。自らの幸いを招くためには他者の喜びに奉仕することです。それは愛です。

『マハーヨーギーの真理のことば』第一章64頁

彼女が旅立った時、自分のしていたことを本当に申し訳なく思い、彼女が生きている間に大切なことに気付かせてもらえたことを改めて深く感謝しました。
そして、また同じような間違いを犯さないように、この教えを大切に心に留めています。

サットサンガで、あの日の出来事についてお聞きした時、ヨギさんは、良い気付きだったこと。そして、アーサナによって集中状態が生まれ、心が静まり、瞑想のような状況が訪れたことを教えてくださいました。

ヨーガを正しく学び、実践していくことは、誰もにとってより良く生きるためのたしかな拠り所となり、道標になってくれると思います。
一人でも多くの人がヨーガと出会えますように。真実を求めて、真摯に学びと実践を続けていきたいです。

藤原里美


ヨーガとインド神話

私は、マハーヨーギー・ミッションのバクティ・ヨーガのクラス「バクティ・サンガム」で、キールタンを歌ったり、インド神話や神々について学んだりする中で、自然とインドの神々に親しみを感じるようになりました。

また、機関紙『パラマハンサ』に長年連載されていた『バーガヴァタ・プラーナ』の記事を読み続けるうちに、「インド神話って本当に面白い!」と強く感じるようになっていきました。

私たち日本人には、古くから「八百万の神」という多神的な感覚が生活に根づいています。多くのユニークな神々が登場するインド神話に、どこか懐かしさや馴染みやすさを感じるのも、そうした文化的背景があるからかもしれません。

ヨーガは特定の宗教に属するものではありませんが、そのルーツはヒンドゥー教と同じく古代インドの叡智にあります。そのため、ヨーガの教えとヒンドゥー教の聖典や神話には、重なり合う部分が多く見られるようです。

こうした背景などを少し知ったうえでヨーガの実践者として神話にふれると、最初は知らない神様に戸惑ったり、荒唐無稽な作り話のように感じられた物語が、次第に知的な理解を超えて、心に深く響いてくるようになりました。

インドの女神信仰の聖典に『デーヴィー・マーハートミャ(女神の素晴らしさ)』というものがあります。

この書籍に『デーヴィー・マーハートミャ』が収録。

この聖典は、女神の誕生からアスラ族(悪魔)との壮絶な戦い、そして女神が完全勝利を収めるまでの大スペクタクルな物語と、女神への賛歌から成っています。
インドの女神は、最も優しく美しい存在でありながら、この宇宙のすべてを生み出しすべてを飲み込むエネルギーそのものであり、宇宙最強で最恐(?!)でもあります!

どれほど最強かというと、宇宙の創造主ヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマー、インドラをはじめとする、あまたの神々から放たれた神の光のエネルギーが一つに集結して誕生したのが女神ドゥルガーなのです。その上、それぞれの神々から、特別な神の武器を贈られ、完全武装した女神となります。その想像を絶する強大な威力を持った女神がひとたび雄叫びをあげると、「全世界が震撼し、海は波立ち、大地は震え、山々が揺れ動いた」と語られるほどのスケールです!

しかし、そんな女神にさえ対抗する力を持っているアスラたちは、倒しても倒しても、しぶとく次々とわいてきます。ついには大憤怒したドゥルガー女神から、より強力なカーリー女神が生まれ、最後にはアスラの王が倒されるのです。

さて、この聖典についての解釈はさまざまあると思いますが、私自身が読み終えた時に、最も印象深く胸に迫ってくるのは、「人間の無知」の象徴とされるアスラの、なんとしつこいことか…ということです。
そして、それをあの手この手で何とか滅ぼそうと戦ってくれる女神や神々の、なんと偉大で慈悲深いことかという思いです。

ヨーガでは、私たち一人ひとりが神の顕れだと教えられています。そう考えると、この壮絶な戦いは、私たち自身の「無知」との心の闘いでもあると思います。

女神とアスラとのあまりにも凄まじい戦いを思うと、気が遠くなりそうですが、物語の最後に描かれているのは「勝利」です!
私にとって『デーヴィー・マハートミャ』は、女神のように猛々しく、そして勝利するまであきらめずに、自分の中の無知と闘い続ける勇気をもらえる、そんな神話であり、聖典です。

それほど長いものではありませんので、もしよければぜひ一度読んでみてください!

(参考文献/平凡社東洋文庫『ヒンドゥー教の聖典 二篇  ギータ・ゴーヴィンダ/デーヴィー・マハートミャ』)

シャルミニー


ダヌル・アーサナで苦手意識を克服する

ダヌル・アーサナ弓の形は、その名の通り弓を模した形です。
横から見ると矢をつがえ弓のように見えます。 

初めてクラスでダヌル・アーサナを行った時、あまりにきつくて息を吸うのも吐くのも大変、この状態で形を保持するなんてとんでもないと思いました。

毎日アーサナすることが習慣になっても自宅ではダヌル・アーサナは短い保持で戻しがちでしたがクラスでは他の参加者の方々の集中力に助けられて、少しずつではありますが、長めに保持することができるように。
ただ、自分としては限界まで足を引き上げたところからクラス担当者のサポートによりさらに足が引き上げられると、「無理無理無理無理!!」と心が悲鳴を上げることもしばしば。せっかく引き上げてもらったのに、段々下がっていく息を吐き切るようにとアドバイスをもらっても、形を保持することに必死で浅いままの呼吸
ダヌル・アーサナ対する苦手意識消えないまま月日が流れていきました。 

しかし、あるを境にその苦手意識がなくなっのです
それは自宅でアーサナしていた時のこと。
次はダヌルかぁ…と毎回気が重くなことにうんざりして、もうこんなのは終わりにしたいと思いました。 

ダヌル・アーサナはきつい苦しいというのは思い込みだから無視する!
他のアーサナで息を吐き切れることもあるのだから、ダヌルの時だってできるはず!
そう決めてから、ダヌル・アーサナへの取り組み方が変わりました。 

しばらく経ったある日。いつも通り形を作り限界まで足を引き上げできる限り息を長く吐き切るようにしていたら「あれ?意外と苦しくないかも?初めて感覚に驚きました。
いつもより高く上げることができてこれまでよりは少し楽にその位置を保つことができて足が上がったことで胸が広がり、深く吐き切れました。れだけでなく、自然に吸う息が入ってくるまでの間、一瞬時が止まったように感じました。深く吐き切るなんて苦しいと思っていたのに、むしろそちらの方が楽に感じることにも気付きました。

これを機にダヌル・アーサナをするのが少し楽しみになり、アーサナ全体を通してより丁寧に吐き切ることが習慣になりました。また、形を取ることで体がきついと感じても、その感覚に囚われずに実践できるようになったと思います。
そして、アーサナだけでなく日々の行為においても避けてしまいがちなことに対してもあれこれ考えずにとりあえずやってみよう、と思えるようになっていきました。 


二元性を超える

この世界は二元性の世界です。生理的に感じる暑い寒いというようなものから、心が思う好き嫌い、得手不得手、全ての事柄が対立的に二元性を持っていると思います。そして心はそれらの二元性の中で振り子のようにいつも動揺して、定まることを知りません。ヨーガを学んでいけば、世界の二元性という現象そのものは認めるのだけれども、結局それによって心が動揺してしまうことは防がなければならない、つまり二元性を克服しなければならないということが見つけられます。暑い寒いや、快適さや不快などもそうですが、やはり心が創り出す好き嫌い、好ましいもの好ましくないもの、そういう偏見を何より無くさなければいけないということになります。
アーサナが落ち着いてくると呼吸が落ち着いてきて、同時に心も落ち着いていきます。それは聖典や真理の言葉を理解する土壌ができていくということを意味します。
心が動いている間は動揺して止みませんが、心が静まってくれば、真理、真実という不動のものを感じる力が出てきます。アーサナは間接的かもしれないけれども、そういう心に与える影響をもって、二元性の克服を目的に挙げています。 

『マハーヨーギーの真理のことば』より 

 

私の苦手意識の克服に大きな影響を与えてくれたダヌル・アーサナ。
私と同じような方にとって、少しでも参考になれば幸いです。

国分寺クラスに来られている皆さんも、ダヌル・アーサナに真剣に取り組まれています!

ハルシャニー