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真実に導かれる <直伝クラスに参加して>

2年前に、ヨギさんのアーサナ直伝クラスが始まる!、と聞いたとき、
「このクラスに参加するからには、絶対にヨギさんにアーサナを正されることが無いようにしよう。何年もアーサナのクラスに通っているのだから、正しくできて当たり前、今さら直してもらうなんて、ヨギさんに失礼だ。」
と、思ったものです。

私は、アーサナ直伝クラスが大好きです。
ヨギさんがその美しい全身を使い、はっきりとした目的を持ち、働いていらっしゃるところを見ることができるのが、何より嬉しいことだったのです。
誰にでも、必要な人に対して丁寧に、解りやすい言葉をかけ、手を添えサポートされるヨギさんの様子を、自分でアーサナをしながら、五感をフル活動させて追いかけていました。
今思い返すと、アーサナ中は呼吸に集中するよりも、ほとんどヨギさんに集中していたような気がします。
そしてクラスの後半、瞑想に座るころにはもう時間も場所も意識することがなくなり、ただこの時がずっと続いたらいいのにと思う。この思いも雑念だと気づきながら、そう願わずにはいられない。この感覚は、いつでもどんな場所でも瞑想できるようになる、手掛かりのような感覚になってきました。

直伝クラスでの瞑想

真実が人の姿となってこの世に顕れることの有り難さ、ということをなかなか理解できずにいましたが、直伝クラスでヨギさんと共に過ごすことで、少しずつ身に染みてきたように思います。
ヨギさんと共にいるときだけではなく、どんなときも同じように、かけがえのない大切なときであるということも。

直伝クラスには大勢の仲間が参加しており、一人一人、クラスでの体感は違うでしょう。けれど、皆、間違いなく真実の存在の方へ導かれている、それが直伝クラスであるのだと感じます。
ヨギさん、この機会を与えてくださって本当にありがとうございました。

正されまいと覚悟していたアーサナでしたが、そんなに甘くはありませんでした。
いつだったか、予想外の力強さで正された逆立ちに思わず声が出そうになり、私の覚悟も必要のない拘りだったのだと気づきました。

マイトリー


如何なる場合にも平気で生きる

私が介護の仕事で訪問している方は、病気で体を一ミリも自分で動かすことができません。動くのは、目と口が少しだけ。口が動いても、言葉は話すことはできません。生きるために必要な食事や排泄は、人の手を借りてされ、もっとも生きる上で必要な呼吸は、呼吸器を使ってされています。でも彼は、少しだけ動く口を使って(あと特殊な機械を使って)パソコンで仕事をされ、驚くほど精力的に生きておられます。リフトを使って車椅子に移動され、それに乗って、どこまでも出かけて行かれます。(もちろん家族やヘルパーと一緒に)毎月の予定を見ていると、講演や会議、飲み会?などとても忙しそうです。

先日支援に入っていた時、今度テレビの撮影のためにカメラマンが来ると教えてもらいました。特殊な病気の方なので、これまでにもテレビや新聞に出られたことはあるのですが、今度の企画は、病気や介護がメインではなく、もっと違う角度から彼の生活を撮影したいということでした。メインテーマは、ちょっと意外なのですが、正岡子規。子規は23歳で結核になり、徐々に進行し、死に至るまでの2年間は疾病と患部による苦痛のため、ほとんど動くことのできない重度障害者になったようです。しかし、動けない体になってからも、口述により精力的に執筆活動を続けたそうです。そして、結核という不治の病に冒され、限られた生活空間の中で(六尺、1.8m四方の部屋の中だけにいたようです)あることを悟ったそうです。

「悟りとは、如何なる場合にも平気で生きている事である」

このような言葉を残されていることに衝撃を受けました。私など、ちょっとした思い通りにならないことで悩んだりすることがあるのに、一ミリも体が動かないような状態で生きておられる方がこのように考えておられていたとは!!なんとかっこいい!!

正岡子規が不自由な体になっても執筆活動を続けたように、私の利用者さんも同じような境遇でも充実した生活をされていることが、今回の撮影対象になったのでしょう。尋ねたことはないですが、私の利用者さんも少なからず、正岡子規が感じたようなことを感じておられるのかもしれません。本当は想像にも及ばないほどの、肉体の制限や苦痛の中で生きておられると思いますが、それを感じさせない、その生き様に改めて尊敬の念が湧きました。足元にも及びませんが、私も如何なる場合にも平気で生きていけるようになりたいと強く思いました。

通勤でいつも見る景色、冬の鴨川

 


日常が真剣勝負!

アーサナや瞑想は練習問題のようなもので、日常こそが真剣勝負だと師は教えられます。

今回、師の直伝クラスやサットサンガにも熱心に通われ、真剣にヨーガに励んでおられる藤原さんが、ご自身の体験を寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


昨年末のサットサンガで、ヨギさんに識別についてお聞きすると、エゴに気づいたら、それが出てくる前に忍耐して制御していくように。そして、他者にはやさしく行為するようにと教えてくださいました。

ところが、年明け早々に久しぶりに夫と大喧嘩をしてしまいました。
その引き金を引いたのも、この喧嘩を招いたのも“私は正しい”というエゴ的な思いから生まれた日常の私の言動だったのです。私は今まで一体何をしてきたんだろう…と何もかもが崩れ去っていくように感じ激しく動揺しました。
その一方で、いつもと変わらず動じることもなくその様子を見ていた息子は、私の肩をやさしく撫でてそっと寄り添ってくれました。その姿にヨギさんを見たように感じました。

その時にやっと私は、ヨギさんから授かったこの教えが、自分にとってどれほど必要なことなのかを思い知るに至りました。
私はヨーガを学び実践が大切だと日常を過ごしていたつもりでした。そして、少しずつですがその日常に良い変化も感じていました。でも、いつの間にかその結果に執らわれてしまい、自分のエゴに気づかずにいたことに気づきました。

この激しい動揺をしずめてもう一度やり直さないといけないと思いました。
ヨギさんのようにいつも変わらず同じで在りたい。その為には、徹底的にエゴをなくしていかないといけない!

以前、クラスでラーマクリシュナが教えられている6匹のワニのお話があったことを思い出しました。
人の心にある怒り、嫌悪、色欲、欺き、高慢、羨望という6つの欲情をワニに、心を池に例えて、池に棲んでいる6匹のワニが時々出てきて心をざわつかせるというお話でした。
何事も自分の思いどおりにはならない、諸行無常、カルマの法則、この世の中の道理を正しく理解して、このようなネガティブな感情が湧いた時には、エゴが思いどおりにしようとして暴れているのだから、即座にその反対のポジティブな思いを起こすのがいい。怒りには寛容を、嫌悪には愛を、色欲には清浄を、欺きには誠実を、高慢には謙虚を、羨望には賞賛を。そして、その時のポイントは、条件付きではなく、いついかなる時も、誰にでも無条件に行なうことだと教えてくださっていました。

これからも何度も何度も心に言い聞かせ、忍耐強くエゴとの真剣勝負に挑み続けたいと思います。

藤原 里美

MAMA YOGA lilāは、篠山市、丹波市で活動しているヨーガのサークルです。藤原さんがアーサナをリードしています。下、写真右端が藤原さん。


思い一つですべてが変わる!

2019年が始まりましたが、どのような一年になるのでしょうか?皆さんの今年の抱負はいかがですか。熱い思いが力強い行動を生み出し、未来を作っていきますから、素晴らしい一年となる思いを抱きたいですね!
さて、マハーヨーギー・ミッションのヨーガ・瞑想クラスも今日から始まりますが、今回、師の直伝クラスや京都のクラスに熱心に参加しながら、ヨーガに励んでいる桜井さんが、クラスを通した気づきと実践、そして決意について寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


ミッションのクラスを受講し始めて2年が経った昨年の3月、アーサナや瞑想の実践を深めていきたいという思いとは逆に、私はそれまでの職場から勤務時間が大幅に増える職場に異動が決まりました。
悩んでいた私にクラスで指導してくださっているシャーンティマイーさんが「思い一つ、社会で求められていることには応えていかなければいけない。」という言葉をかけてくださり、アーサナや瞑想は手段であり目的ではなく、仕事をする時間が前より増えてもヨーガを深めていくことはできること、また、社会で求められている役割を果たしていくことも大切だということを教えていただきました。前向きに今ある状況でやっていくしかないという気持ちに変わっていきました。

新しい人間関係、新しいルール・・・その中でも、
日々淡々とできる限りアーサナや瞑想をする
職場では、頼まれたことやしなければいけないことは余計な感情なしに、すぐに動く
結果には執らわれず終わったことは捨てていく
ふとした瞬間に自分の中の神に意識を向ける

そんなことを心がけながら、土曜日は変わらずシャーンティマイーさんのクラスに参加していました。
それから2カ月が経った6月のクラスで、以前はアーサナをしていても身体という一つの器で呼吸とアーサナの形を作っていくことは別々のものとしか感じられませんでしたが、呼吸とアーサナの形を作っていくことが身体の中で重なったという感覚があり、マットに寝られないくらい身体中が燃えるように熱くなることがありました。この時に、やっとシャーンティマイーさんが繰り返しクラスで言われていた「アーサナはプラーナによって作られる。」ということが、ありありと実感できました。
その時からそれまで以上にプラーナを身体の中で意識できるようになり、少しずつ集中感も増してきたと感じられるようになりました。

これからも、師のお導きの下、シャーンティマイーさんから言われた「アーサナは基本に始まり基本に終わる。丁寧に呼吸を見つめて今の中に生きていく。」という言葉、きっとこの先何十年アーサナをしていっても「吐く息をできるだけ長く丁寧にし吐ききること、それとともに一つ一つの段階を追って完成ポーズにもっていくこと」は変わることなく大切で、それが日常生活では今という瞬間に生きていくことに繋がるんだなと思っています。しっかり心がけこれからも精進していきたいです!

桜井みき


イベント報告 & 2018年振り返り

一昨日の12月29日、左京区のZAC BARANにて、アーサナ・瞑想のデモンストレーションを行ないました。
今回の演目のテーマは、ヨーギーの起源であるシヴァ神でした❗️


シヴァ神のルーツは、インド土着のルドラという暴風雨の神だと言われております。
演目は『The Eternal Quest—永遠の探求—』の前半部をベースに、イントロでシヴァ神を想起させる雷雲の音を鳴らし、宇宙万物を司る主であり、またヨーギーの第一人者であるシヴァ神に、アーサナと瞑想のデモンストレーションを通して近づこうと試みました。
ただ私、うっかりして写真撮影を依頼しておらず、その時の様子は写真でお伝えできませんが😓、友人からは「宇宙を感じた!アーサナ、音響、着ていたTシャツ(カーリー・ヤントラ)、すべてがマッチしていた」という嬉しい感想をいただきました。
年末の寒波の中、グルバイやクラス参加者の方々もお越しくださって、とっても嬉しかったです!
本当にありがとうございました😊🙏

それで皆さん、2018年はどんな年だったでしょうか?
私はこの1年を改めて振り返ってみると、主ブッダがその中心にあったと思いました。
今年は、ブッダがテーマであった4月の祝祭をはじめ、師は折に触れてブッダについてたくさんのことを教えてくださいました。
その中でも特に印象に残っていることは、5月の松山特別サットサンガ後の夜でした。
その時に師は、「ブッダはこの世でいちばん偉大な人物」と言われ、私は「なぜそう言えるのでしょうか?」と尋ねると、次のようにおっしゃられました。

「ブッダは聖典の権威に影響されていないから」

私は「それが偉大な理由?」とクエスチョンマークが浮かびましたが、少し考えた後、師がいちばん好きだというシュリー・ラーマクリシュナの次の言葉が思い出されました。

「私はヴェーダも六派哲学も超えている」

そしてその瞬間、師が教えてくださっている次のブッダの言葉とつながったのでした。

「たとえ古い聖典が出てきても、それを鵜呑みにする必要はない。自らで確かめ、実践せよ」

インドの地においてヴェーダをはじめとする聖典は生活やその精神性の支柱であり、最高の権威に位置するもので、「それを超えている」「鵜呑みにする必要はない」とは簡単に言えることではありません。
しかしながら聖典は、人間を悟りという偉大な完成に導く言葉であり、その言葉の意味する内実をどれだけ感じ、肉迫することができるのか、つまり「実践」と「体得」がもっとも大切なことだと私は改めて気付かされ、そして何より、師がブッダやシュリー・ラーマクリシュナが発した言葉の内実を知っていると感じ、驚愕させられたのでした。

聖典の言葉は深遠で、どんな言葉でも奥深い意味や、また修行者を悟りへと導く力が隠されていると感じます。
一昨日の演目で、アーサナを終えて瞑想に座り、『The Eternal Quest』で朗唱されたウパニシャッドの詩を流した際、期せずして次の言葉が私の胸に響いてきました。

「身体の動きを止め、呼吸を制御せよ。御者が馬を操るように、心を制御して、全身全霊で神を瞑想せよ!」

今年も残すところ1日ですが、来年と言わず今日も真剣にヨーガを実践し、もっと、もっと、もっと聖典や師の言葉の息吹を感じたいですね!!!

最後になりましたが今年も1年間、ブログ「ヨーガを生きる」を読んでくださった皆様、まことにありがとうございました‼️
来年はより精進をし、良い形でブログに反映できればと思います。
そして、いつも真理を教え、導いてくださっている師シュリー・マハーヨーギーに感謝致します。
皆様、来年もブログ「ヨーガを生きる」をどうぞよろしくお願い致します😇🙏

ゴーパーラ


ヨーガアーサナ・瞑想 デモンストレーションのイベント案内

イベント告知です📢
12月29日(土)19時〜ヨーガアーサナ・瞑想のデモンストレーションを、私一人ですがさせていただきます‼️
場所は、3年前にも出演させていただいた「ZAC BARAN」という京都の老舗ライヴハウスです。

3年前のZAC BARANでのデモンストレーション。

今回の出演にあたって新たなチャレンジを試みており、それは「音響」です!
今まではシタールやタブラの生演奏とともにアーサナ・瞑想のデモンストレーションを行なってきましたが、今回、師の助言をいただき、『The Eternal Quest—永遠の探求—』前半部の詩の朗唱とシタール音をピックアップして編集録音し、それを流しての演出となります。
また、イントロでは「雷雲」の音を流します。
なぜ雷雲なのか?👀☁︎⚡️
ちゃんと意味とコンセプトがあります〜!

年末でお忙しいと思いますが、もしご興味ある方は、ぜひおこしください😃
音の編集録音をしてくださっている丹波在住の兄弟子クリパールさんも当日、音響入りします🎧

ゴーパーラ


12/29 sat   start 19:00 (open 18:00 )
@ZAC BARAN (京都市左京区聖護院山王町18 メタボ岡崎B1)
charge ¥1,000

ミッチー(ピアノ)
POP山モアレcity(バンド)
山本無二(ギター弾き語り)+ナカガワ ユウジ(インド楽器サーランギー)
ゴーパーラ(ヨーガアーサナ・瞑想)


善と悪を超える

ある時のこと、どうしても解り合えない人がいました。その人から物理的に離れたいと思い、師であるヨギさんにご相談すると、仏みたいな人なんてこの世に滅多にいないんだから、と諭されました。

ヨギさんからそう言われて、改めて考えてみれば、善と悪は人それぞれの経験や価値観によって変わってくるような、とてもあやふやなものです。自分の心を見てみると、小さな経験の範囲でその人を評価し、解り合えない、相手が悪いと決めつけていたことに気が付きました。そして、そのことに集中していると、自分のこだわりがパンッと弾けて消え、とても清々しい気分になって、これで完全に物差しが消えたと思いました。

でもまた最近、同じ思いが湧いてきたのです。解り合えないと思っていたその人が、自分に対して苛ついて怒っているように感じて、やっぱりこの人と付き合っていくのは無理なんじゃないかと思いました。

この世界は自分の心のフィルターを通して見ている世界であることは、ずっと教えてもらっているし、すべては神であることを恩寵によって少しは垣間見せて頂いてもきました。だから自分の意思で居場所を変えることは神のご意志に反すると思って今までやってきたのですが、今回のことは、別の環境に身を移してもいいというメッセージなのではないかと考えました。

それからは環境を変えることを思案し続け、神のメッセージ通りに動いているつもりでいたのですが、苦しみは一向に消えません。何か間違っている気がして、落ち着かない日が続きました。あまりにもしんどいので、この問題はひとまず置いて、絶えず神を思うようにしていきました。

すると、私に怒っていたその人が嘘みたいにニコニコするようになりました。あまりの変化に諸行無常を思うとともに、神のメッセージだと思っていたことは、自分の問題から目を背けて都合の良いように解釈していたのだということに気が付きました。

自分の物差しで相変わらず人を評価する習慣がまだある、だから心が動揺する。原因は自分の中にあり、それに心が反応しているだけなのだと、やっと冷静になれました。

自分のもつ原因がなくなれば、どこにいようと誰といようと円満で楽しい時間が過ごせるはず。もういい加減、こんな茶番劇は終わりにしたいです。神への思いをもっと強くして、今ある環境の中で、これからもやっていこうと思います。

amara


ラーマクリシュナがうたわれたキールタン 至福のお酒

さて、年末のシーズンになり、忘年会などお酒を飲む機会が増えてくる時期ですね。そこで今回は「ラーマクリシュナの福音」に出てくる詩のなかで、お酒にまつわるものをご紹介します。

私は並の酒は飲まない
永遠の至福の酒を飲む
母カーリーの御名を繰り返しながら。
それは私の心を深く酔わせるので
人々は私が酔っ払ったと思う。
まずグルがその酒をつくるための糖蜜をくださる。
わが渇仰の心は、それ酒を変容させる酵母。
知識という作り手が、私のために酒を醸す。
酒ができたとき、私の心はそれを
マントラというびんから飲む。
それを浄めるために母の御名をとなえながら。
この酒を飲め、とラームプラサードは言う、
そうすれば人生の四つの果実はお前のもの

私はお酒を飲むことが割と好きなので、これまでの人生でそれなりにお酒を飲んできたと思いますが、この詩に出会ったとき、私が飲みたかったのは、この「永遠の至福の酒」だ!!!とはっきりと分かりました。そして、私はもう並の酒は飲みたくない!と思ったのでした。

ではその永遠の至福の酒はどうしたら飲めるのか!?それをつくる方法が詩の中に書かれています。まず、グルがその酒をつくるための原料となる糖蜜をくださるのです。糖蜜とはサトウキビの絞りかすで、お酒の原料になるもの、日本酒ならお米のことです。まずはグルの恩寵が必要なのですね。そして、お酒作りに酵母が必要なように神への渇仰の心、信仰心は欠かせないものです。そして作り手として、真理の知識(真知)が醸造してくれるのです。

あーそのようなお酒を心が飲むとき、どれほどに甘美なのでしょうか!!この詩を読むたび、私は永遠にその至福のお酒に酔いしれたいと思うのです。最後に書かれてある四つの果実は、ダルマ(正義)アルタ(富)カーマ(欲望の達成)モクシャ(解脱)のことを指します、憧れは増すばかりです。

さて、収穫が秋のお米を原料に作る日本酒は、冬に仕込むことが多いようです。それは雑菌が少なく温度調整がしやすいためと言われています。ぜひ仕込みやすいこの寒い時期に、みなさんも永遠の至福の酒を仕込んではいかがでしょうか。


無知の中で百年生きるより、真理の中で一日生きる方がよい

八年前、私は師に同行させていただいたニューヨーク滞在の後半、「瞑想が深まらないのですが、どうしたらいいのでしょうか」と質問し、師は次のことを言われました。

「どう生きていきたいのか?」

先週のアーサナ・瞑想クラスで姉弟子のシャーンティマイーさんから「瞬間、瞬間を生きる」ということが話されました。
「アーサナを形づくる中、ポイント、ポイントを押さえ、呼吸を吐き切ることで、アーサナが完成へと導かれる。それをしっかりと意識してアーサナを行なうことが身口意(形・呼吸・意識)の一致になり、それが瞬間、瞬間を生きるということになる」

ニューヨークで師は「どう生きていきたいのか?」と言われる前、瞑想を深めるために、もう一つの教えをおっしゃっていたことを思い出しました。

「日常の身口意を一致させなさい」

十二月八日はブッダが悟りを啓かれた日です。
「ラージャ・ヨーガの八支分とブッダの八正道は共通している」と師はおっしゃられ、それら一つ一つをニューヨーク滞在時に教えていただきましたが、あれから八年経ち、私は改めて師からいただいた教えの深遠さを感じさせられます。

今、私の思いは「真理に生きる」、それだけです。
しかし、未だ悟れていない。余計な思いや雑念、本能の制御ができていない。
本当の意味で真理に生きる、「無知の中で百年生きるより、真理の中で一日生きる方がよい」と言ったブッダのこの心境を切に願うのなら、もう一度改めて、基礎である八支分のヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)、八正道の正見・正思・正語・正業の教えの意味を考え、瞑想して心に刻み込み、日常の身口意を一致させていきたい。
そしてただ一つの的、アートマン(真我)だけを見て!!!

ゴーパーラ


笑顔になりますように!

師がヨーガを教えてくださるようになって40年以上が経ち、その間、真理にそって生きていきたいと真剣に求める弟子が年々少しずつ増えてきました。住んでいる国、性別、年齢、職業とさまざまな弟子がいる中で、師に会いに京都に来るのが難しい弟子も大勢いますが、皆、それぞれの形でヨーガを深めています。
その中の一人、現在東京で暮らしている佐野さん。数年前までは大阪に住み、中央公会堂のクラスには毎週通い、クラスのムードメーカー的存在でもありました。

最近の佐野さんの近況をお聞きすることがあったので、ここに紹介させていただきます。

(東京に移ってから、仕事もお忙しく以前ほどクラスに通えていないとのことですが)
Q「佐野さんにとってヨーガとは何ですか?」
佐野さん「軸。何においても、はっきり正しいと言えるもの」

Q「何を拠り所としていますか?」
佐野さん「愛です。大阪クラスで『ヨーガを深めていくと、すべては愛につながる』と聞いてから、心の中で愛を連呼しています。

今でも、皆の前でヨーガの取り組みについてお話をさせてもらった際に、『ミッションのクラスは、ヨーガを通して愛を教えるクラス』と表現したことを思い出します。雑巾がけされた会議室に行くと、笑顔でシャチーさん、マーダヴィーさんが迎えてくれる。人知れず相手のためを思って行なうその行為こそが、あのクラスで学ぶべきものであったことを痛感しています。
今、私も会社に早朝に行き、皆が仕事がしやすくなるような環境づくりを行なうようにしています。それが私のヨーガです」

佐野さんは今までのご自分の失敗を学びに変え、自分にとっても周りの方にとってもより良くなるようにとヨーガを実践していることを話してくれました。

佐野さんが常に意識しているというマザーテレサの言葉を紹介します。

想いに気をつけなさい。
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。
それはいつか運命になるから。

2カ月ほど前だったか、大阪の朝クラスに佐野さんの元同僚が来られました。彼女は、ヨーガを始めてから佐野さんが本当に変わったことが印象的だったそうで、何年も前のことなのにミッションの名前を覚えていて参加してくださったということでした。
佐野さんはその報告を聞いてとても嬉しかったそうです。そして自分の何が変わったのか考えてみたということでした。
「あの当時は、自分の主張が先にあったと思います。今は『(相手が)笑顔になりますように』が先になっていると思います。それによって、私も嬉しくなり、幸せを感じます」

私と佐野さんとは、クラス終了後の駅までの道のりを、よくご一緒し、ヨーガについて語り合ったものです。ヨーガの効果は日常に現れるといわれますが、佐野さんのヨーガは着実に彼の日常に浸透していることを感じ、私もとても嬉しかったです。


*大阪在住だった頃の佐野さん(白シャツ)。佐野さんのキールタン好きは私たちの間では有名で、今でも東京バクティ・サンガムでキールタンを熱唱しているとか・・・。

シャチー