その他聖者」カテゴリーアーカイブ

ヨーガとインド神話~シヴァ神

インドの神様といえば、「シヴァ神」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?

8月にこのブログで、聖典『デーヴィー・マハートミャ(女神の素晴らしさ)』に登場する女神ドゥルガー(カーリー)をご紹介しましたが、その夫がシヴァ神です。
シヴァは破壊と再生を司る神であり、ヒンドゥー教の三大神の一柱として、ヒンドゥー教の国々で現在でもとても人気があるそうです。

瞑想をするシヴァ神

シヴァ神はとても古い神で、そのルーツは暴風雨の神「ルドラ神」まで遡り、数千年の歴史の中でさまざまな地域の土着神や信仰が融合して、今日の「シヴァ神」として伝わっているようです。

実はヨーガの実践者にとっても、シヴァ神は非常に重要な存在です。
なぜなら、シヴァはヨーガを最初に人間に伝えた“ヨーガの祖”であることが、いくつかの聖典に記されているからです。
確かに、シヴァ神の絵には修行者の姿で坐し、半眼で瞑想している様子がよく描かれています。

パシュパティの印章(PashupaiSeal)。ヨーガ行者の姿をした人物を刻んだインダス文明の印章。シヴァにパシュパティという別名があることから、シヴァの原型と関連付けられることも…。

そのような古い歴史をもつシヴァ神には、体系化されていない数多くの神話が各地域に伝えられていて、その中にはシヴァから人間にヨーガが伝わった経緯に関する伝承もあるようです。
例えば、ある日、川のほとりでシヴァが妻パールヴァティーに深遠なヨーガの奥義を語っていたところ、一匹の魚が熱心にその教えを聴き取り、奥義を理解して人間の姿に変わり、最初の弟子マッチェーンドラナートとなってヨーガを広めたというお話や、シヴァがヨーガの奥義をまとめた聖典を作ったが、普通の人間には危険だと考えてそれを川に投げ捨てたところ、一匹の魚がその聖典を呑み込み、漁師がその魚を捕らえて魚の中から聖典を発見し、その聖典を学んでマッチェーンドラナートになったというお話など。これ以外にも諸説あるようです。面白いですね。
ヨーガのアーサナ(ポーズ)の中に「マッチェーンドラ・アーサナ(ねじるポーズ)」や「マッチャ・アーサナ(魚のポーズ)」があるのも、興味深いことだと思います。

左/マッチェーンドラ・アーサナ(東京・国分寺クラス) 右/マッチャ・アーサナ(東京・中野クラス)

私自身のシヴァの体験は、以前バクティ・サンガムでシヴァ神のキールタンを繰り返し歌った後、無性にシヴァに瞑想したくなり、そのまま瞑想に入りました。
そのとき感じたのは、山のように雄大などっしりとした不動の存在感。いつも瞑想していたクリシュナ神とはまったく異なる感触で、とても驚いたのを覚えています。

このブログ「ヨーガを生きる」でも、シヴァ神について何度も取り上げられています。ヨーガとシヴァ神の関わりが詳しく書かれていて、とても面白いので、ご興味のある方はぜひご覧ください。

シャルミニー


ガンディーからキング牧師へと引き継がれた非暴力の精神

キング牧師は、1950~60年代、人種差別が色濃く残るアメリカにおいて、非暴力主義による公民権運動を行い、公民権法成立へと導いた人です。

1963年ワシントン行進の際に演説を行うキング牧師 写真中央

私は夢を持っています。それは私の四人の小さな子供たちが皮膚の色によってではなく、人格の中身によって評価される国にすむことができるようになるだろうという夢です。
(マーティン・ルーサー・キング自伝 日本基督教団出版局 271ページ)

キング牧師の「I Have a Dream」の演説を聞くと、感動して胸が熱くなります。
その言葉は慈愛にあふれています。

キング牧師はインド独立の父、マハトマ・ガンディーのサティヤーグラハ(真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力)にインスパイヤされ、政治活動を行いました。そして、1959年にはインドに一カ月滞在し、主要な都市や、ガンディーが活動した地を巡りました。慰霊碑に花を手向け、塩の行進の出発点を訪れ、ガンディーの精神に触れる旅となりました。ガンディーへの尊敬の思いをこのように述べています。

彼(ガンディー)は生存中にエゴ(意識的自我)とイド(本能的自我)の間の深淵に架橋をなしとげていた。ガンディーは驚くべき自己批判能力を持っていた。(中略)
ガンディーは必要な時にはいつでも自己批判をした。間違いを犯した時にはいつでも、公の場で告白した。
(マーティン・ルーサー・キング自伝 日本基督教団出版局 154ページ)

私は、ガンディーの自伝を読んだ時、ガンディーが少年時代、自分が犯してしまった罪を父親に告白し、それを涙ながらに父親が赦し、人を赦す愛を教えられたエピソードにとても感動したことを思い出しました。

そして、私がキング牧師のインド滞在の記録の中で最も驚き、感動したことは、インド最南端の聖地、コモリン岬を訪れた時のエピソードです。キング牧師は、太陽が海に沈み、月が昇る美しい光景を見て、このように述べています。

太陽が完全に視界から去る時、暗闇が大地を飲み込んでしまう。だがその時東にはのぼってくる月の光が最高度に輝いていたのである。私はこれは世界中で最も美しい場所の一つだと言った(中略)
神はあらゆる暗闇を通してかがやくことができる光を、持っておられるのである。われわれには昼間の光が消えて暗い、寂しい真夜中に取り残されてしまうような経験――つまりわれわれの最高の希望が絶望の修羅場にかわるような、あるいは自分が悲劇的な不正義とか恐るべき搾取の犠牲者になるような経験がある。このような時にはわれわれの精神は、憂鬱さとか絶望感に覆われてしまい、どこにも光はないと感じてしまう。だがいつでもわれわれが東をみるならば、そこには暗闇の中に輝く一つの光があることに、気がつくのである。そして「挫折の槍」は「光の矢」に変わるのである。
(マーティン・ルーサー・キング自伝 日本基督教団出版局 153~154ページ)

コモリン岬はスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(スワーミージー)がアメリカへ行くヴィジョンを授かった聖なる場所です。ガンディーはスワーミージーの「ラージャ・ヨーガ」を読み、導きを受けていたそうです。スワーミージーがインドの人々の救済を誓ったコモリン岬で、キング牧師が人種差別撤回への誓いを立てたことは、二人の間に見えない繋がりがあったと感じます。私は、「真理は、時代や場所を超えて伝わる」と思いました。

私もキング牧師が夢見たように、人々が差別や争いをせず、心穏やかに暮らす世界を願っています。そのために、万人に平等に在る真我を実現するヨーガの教えを十分に理解し、次の世代へとそれを伝えていきたいと強く思います。その誓いを実現するため、日々精進してまいります。

レン


『ホーリー・マザーの生涯』に触れて

マザー(サーラダー・デーヴィー)に聖典を通してお会いできたのは、ヨーガを始めて比較的早い時期でした。その頃の私は、マザーの生涯に触れる度に、考えられないほど多くの家事を淡々とこなし、日夜、家族の問題を抱えられている・・・他者の幸せを喜び、苦しみに泣かれる姿を想像し、なんて大変なんだろうという思いでいっぱいになり、憧れというよりは遠い存在に感じました。しばらくは聖典を手に取ることもなく本棚に並べたままになっていました。

けれども、今年の春の祝祭では「サーラダー・デーヴィー」に焦点が当てられることになり、バクティ・サンガムのクラスでは毎回マザーを讃える歌や、講師の方が聖典を通して彼女の生き様からどのようなことを学んでいったのかを教えていただく時間がありました。クラスで学びながら、久しぶりに聖典を取り出し、もう一度、読み進めていきました。改めてマザーの生涯に触れると、前とは違う気付きがありました。それは大変なことが多かったかもしれないマザーの生活は、霊性の修行が礎にあって成り立っているということでした。

“大小を問わずひとつひとつの行為に、神との全き合一であるヨーガを実践しておられた。彼女と神のご意志はひとつだった。家住者でありながら、出家者に定められた放棄の理想から決して逸脱されることはなかった。不快な務めを避けられることも、快い務めを歓迎されることもなかった。あらゆる活動の最中にあって、決して神を忘れられることはなかったのである”

『ホーリー・マザーの生涯』より抜粋

マザーが実践された修行は、とても凄まじいものだったと思いますが、このことに気付いてからは、私たちもヨギさんから教えていただいたアーサナや瞑想、聖典の学習などの修行をしているのだから、少しずつマザーに近づいていけるに違いないと、マザーの存在を以前より近くに感じられるようになっていきました。

そんな時、職場で、準備から当日の発表まで何カ月もかかる仕事を任されることがありました。そしてその仕事が終わってからも、なかなか忘れられずに抱えたままになっていて、ふとした時に思い起こされる日が続いていました。アーサナをしていても、ちょっとした隙に思い出してしまう・・・もう捨て去りたいと思いながら瞑想に座りました。瞑想に座ってしばらくすると、マザーが近づいて来てくださり、真剣な表情で「一体それは誰の仕事だというのですか」と言われました。思いもよらないお導きでした。そのお言葉に気付かされ、抱えていたものは消えていきました。神と一体であられるマザーの力強いお言葉に救われ、常にお傍にいてくださっていることを感じました。

日々の務めのただ中にありながら、常に心は神に向けられ、内なる平安を乱されることはなかったマザー、神聖の権化であられたマザーに謹んで礼拝いたします。これからもマザーの生き様に瞑想し、もっともっと近づいていきたいと思います。

毎日、自然の美しさを感じながら、賀茂川沿いを自転車で走って通勤しています。
賀茂川の清らかな流れを見ると、純粋なマザーのお姿を思い出します。

桜井みき桜井みき

 

 


泥棒アムジャッドの信仰とホーリー・マザーの愛

「私は徳のある者の母。そしてよこしまな者の母。悩める時にはいつでも自分に言い聞かせなさい。『私にはお母さんがいるのだ』と」。

ホーリー・マザー(シュリー・サーラダー・デーヴィー)は、全く驚くべきことに、あらゆる人々に対して平等に接していました。それを示す逸話はいくつかありますが、その一つに盗賊のアムジャッドの話があります。アムジャッドはイスラム教徒の盗賊の一人でした。ホーリー・マザーはそうした人々にもお仕事を用意し、親切にされていたのですが、周囲の人々の中には不可触民とされていた彼らをぞんざいに扱う人もいたようです。マザーは、しかし、「シャラトが私の息子であるのとまったく同じように、アムジャッドも私の息子なのです」とおっしゃり、アムジャッドに対して親身に接しました。シャラトというのは、シュリー・ラーマクリシュナの高弟の一人であるスワーミー・サーラダーナンダのことです。スワーミー・サーラダーナンダと盗賊のアムジャッドが同じというのですから、まったく驚くばかりです。

あるとき、泥棒のアムジャッドは心身ともボロボロになって、病床にあるホーリー・マザーを訪ねます。それを見て、ホーリー・マザーは「我が子のアムジャッドではありませんか」と迎え入れたのです。そして、彼に沐浴をさせ、彼の空腹を満たし、新しい布を与え、お土産もたくさん渡されて、アムジャッドはやってきた時とは別人のようになって帰っていったそうです。その後、アムジャッドはホーリー・マザーに珍しい果物を持ってきたりして、マザーに献身するようになりました。けれども、それでもアムジャッドは泥棒をやめることができず、何度も捕まって、牢獄に出たり入ったりしていました。それでも、ホーリー・マザーはそのような犯罪行為にはなんら留意されずに、常にアムジャッドに対して非常に情け深い様子で接しておられたそうです。最期の病で伏せっておられるときには、アムジャッドは強盗を犯して逮捕されていました。それを知らされて病床にあるホーリー・マザーは、「アムジャッドが古い悪癖をやめていないことはずっと知っていましたよ」と言われたと伝えられています。

悪行を止めることができない者を「我が子」と呼び、深い慈悲を与えるマザーのこの逸話を読んで、何度も涙をこぼし、「ああ、お母さん!」と叫んだのは私だけではないでしょう。ここで救われるのはアムジャッドだけではなく、全世界のあらゆる罪人たちであろうと確信するのです。

けれども、何度か読んでいるうちに、アムジャッドがマザーの深い慈悲を受け取ることができたのは、彼の中にある純粋な信仰心、ホーリー・マザーへの純粋な愛ゆえなのだろうと思い至りました。アムジャッドの犯した犯罪というものは、彼の癖であり、直すのはとても難しいけれども、本質とはかけ離れたもの。だからこそ、ホーリー・マザーは癖を相手にせず、本質だけを慈しみ、そしてアムジャッドもその純粋な信仰心を持ってその愛を受け取ることができたのでしょう。ここにはホーリー・マザーとアムジャッドの本質、魂の関係だけがあって、星がまたたく夜空のような深く広大な美しさが広がっています。

私たちは、いくらでも間違いを犯してしまいます。それが積み重なって、悪い癖もいくつも持っています。悪い癖と格闘してなんとか直そうとしますが、それは本当に苦しくて、難しく、何度も失敗して絶望します。それでも、どんな絶望の淵にあっても、ホーリー・マザーの愛を受け取ることができますよう、純粋な信仰を持ち続けたいと切望するのです。

そして、同じように悪い癖で苦しむ人々に対しては、ホーリー・マザーがアムジャッドに対して与えられた寛容さを真似していくことができるのです。ちょうど少しばかり理不尽な行為を受けたことがありました。それで、そっと「それはこの人たちの癖なのだ」と呟いてみました。するとどうでしょう。そんな理不尽なことがらに対する思いも、みるみる「窓を開けたので、風が入ってきたよね」という程度の出来事に変容していき、寸前のところで、怒りをぶちまけるという罪から逃れることができたのです。ああ、お母さん、なんとあなたの愛は大きいのでしょう!

*参考・引用・抜粋 『ホーリー・マザーの生涯』

笹沼朋子


マザーに導かれて

マザー(サーラダー・デーヴィー)に初めて出会ったのは、ヨ―ガのクラスに通い始めて間もない頃、先輩グルバイからマザーの本を勧めていただいて読んだ時でした。馴染みのないインドの風習や、時代も今から百年以上前のお話でしたが、本を読むうちに不思議に風景がリアルに感じるようで、自分がマザーのお側にいるような気持ちになりました。そしてマザーが大好きになっていきました。
クラスでシャヴァ・アーサナ(休憩の形)の時に「何も考えないで」と指導されても、目を閉じるとマザーのお姿が浮かんでくるほど、マザーのことを思うようになっていきました。
私がマザーを思う時はいつも、自分が小さな子供のようにマザーの膝に甘えているような、そんな気持ちになります。それはきっとマザーが、

「私は、善人だけでなく、悪人の母でもあります。私を母と呼ぶ人に、決して背を向けることはありません。子供が泥や埃にまみれていたら、汚れを拭って膝に抱いてやるのが母の務めではありませんか」「困った時はいつでもあなたを守っている母がいることを思い出しなさい」

と言ってくださっているからだと思います。日常で誰かにそんなふうに言われても、私はきっと素直に受け入れることはできないだろうと思うのですが、実際にお会いできなくても、マザーのお言葉は心の奥で確かに真実だと思えるのです。

♦♦♦

今年の春の祝祭は、大好きなマザーをお祝いする会でした。
祝祭に向けてマザーへの讃歌を練習する機会を設けていただいて、何度も練習を重ねました。優しいメロディーはマザーの愛そのもののようで、歌う度にマザーに包まれているような幸せでいっぱいになりました。
祝祭当日は、初めて京都の会場で参加させていただいたのですが、祭壇の美しさや聖劇の迫力など全てが感動的でしたが、中でも一番心に残ったのは、大きなスクリーンに映し出されたマザーのお写真の数々です。マザーの瞳は例えようが無いような輝きに満ち溢れていました。マザーの瞳の先にはシュリー・ラーマクリシュナがいらっしゃって、全てに師を見ておられるのだと思うと、マザーの強い信仰心と汚れのない純粋さに感動しました。

いつも私のことを、母なるマザーが、そして最愛なる師、ヨギさんが見守っていてくださっているから、私は勇気を出して一歩一歩歩みを進めることができます。

大好きなマザーのように、私もいつか全てにヨギさんを見れるように歩いていきたいです。

小野ちさ

 


ホーリー・マザーからの贈り物④

昨年末から、ホーリー・マザーの生き様に少しずつでも迫って行けるように取り組みました。
『ホーリー・マザーの生涯』を読み、この世の中でどう行為すべきか、ホーリー・マザーはそのお手本を示してくださっていると感じました。

教えを実践することが毎日の習慣となり、最初は意識して想うようにしていたホーリー・マザーの存在は、いつしかハートに張り付いたようになりました。 
それは、私にとって揺るぎない信仰の対象である師を想っているのと同じ感覚でした。

それにより大きな安心感が与えられ、日々行為する際には、ホーリー・マザーがいてくださるから大丈夫だと思えるようになりました。

そして迎えたサナータナダルマ・アヴァターラ・メーラー当日。

一人一人がホーリー・マザーの生き様に触れ、その行為に倣い実践をしている様子を見ていたら、
母であるホーリー・マザーは時間も空間も超えて今ここにおられる!
私たちのすぐそばで、大きな愛を持って見守ってくださっている!!
そう感じられたのです。

今、ホーリー・マザーは私にとってかけがえのない存在となりました。この事実が、今回頂いた贈り物の中で一番大きなものです。

きっとこれからも、ホーリー・マザーだけではなく、人々を真実の光を導き続けてくださっている、アヴァターラ(神の化身)たちから贈り物が届きます。
それを大切に受け取り、他者へ行為することで、僅かでも感謝の意を示すことができますように。

ハルシャニー  


春の祝祭のご案内

京都の街並みにも桜の花があちこちに咲き始めました。
青空の下、満開の桜を目にすると、心の奥に光が差し込んだように、まるで冬の寒さでギュッと凝り固まっていたものが溶かされたような、そんな晴れやかな気持ちになります。

さて、そんな春風の中、4月7日(日)には、「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー ーー神性示現大祭ーー」を開催いたします。

この大祭は、古来より連綿と続く永遠の真理であるサナータナ・ダルマと、その具現者であるアヴァターラ(神の化身)たちの顕現をお祝いし、最上の感謝と歓びを捧げさせていただく祝祭です。

今回は、「真の愛(プレーマ)と献身」をテーマとし、シュリー・ラーマクリシュナの伴侶であるシュリー・サーラダー・デーヴィーに焦点を当て、宇宙の聖なる母の権化である彼女の本質、その生涯に迫ります。

当日はシュリー・サーラダー・デーヴィーへの祝辞や、彼女が師のもとで暮らされた日々のご紹介、聖劇、その他と、濃密ながらも楽しいコンテンツもご用意していますので楽しみにしていてくださいね。

また今年は実に5年ぶりに実開催が可能となり、多くのグルバイが京都に集います。そしてオンラインでは遠方や海外のグルバイとも繋ぎ、共に歓びを分かち合える貴重な時間となることでしょう。

ジャイ・サナータナ・ダルマ ジャイ・アヴァターラ!

オーム・タット・サット オーム!

マハーヨーギー・ミッション 


ホーリー・マザーからの贈り物②

今回このブログのタイトルを「ホーリー・マザーからの贈り物」にしたのは、実際にそのお姿を拝見することやお声を聴くことはできなくても、時間も空間も超えて、今を生きる私に幾つもの贈り物をくださっているように感じたからです。 

 まず、ホーリー・マザーの存在を知ることが聖者の生き様に触れるきっかけとなったこと。
また、ヨーガを学び始めて間もない私にも分かりやすい言葉で真理の教えを語られていること。
 
そして前回のブログで書いた、毎日アーサナや瞑想をする習慣を身に付けられるようになったことも、ホーリー・マザーが与えてくださった贈り物の一つです。 

 
ホーリー・マザーの教えはシンプルなものが多いと思います。私にとって親しみやすく、これならできるかもと実践のきっかけになることが何度もありますが、シンプルな教えだから実践しやすいというわけではないことを痛感したのが、この教えです。 

 「心がすべてです。浄らかに感じるのも、不浄に感じるのも心一つです。心が罪悪感にさいなまれると、他人の欠点を見るようになるのです。欠点を数え上げることで、相手を傷つけられますか?自分を傷つけているだけなのですよ。私には誰の欠点も見ることもできません。小さな親切も覚えておくようにします。人の欠点を見るなんて!許しは素晴らしい信仰の苦行なのです。忍耐よりも高い徳はありません」 

他人の欠点を見ないことを徹底しようとすると、自分の心がどのような状態にあるのか、観察するのが習慣になりました。ところが実践を続けるほどに、この教えを徹底するのは毎日アーサナや瞑想を続けることよりもずっと難しいと気づきました。 

 ホーリー・マザーは純粋で真理を体現された存在だったから、誰の欠点も見ることができなかったのだと思います。 
真実の側から見れば、全ての人は顕れが異なるだけで等しく純粋そのものの存在です。 

ホーリー・マザーの境地にほんの少しでも近付いていけるように、欠点を見ていると気付いたらホーリー・マザーのお顔を思い浮かべるようにしました。 
繰り返しホーリー・マザーの穏やかな表情を思うようにしていると、例えうまくいかなくても心が穏やかさを取り戻すのが早くなったように感じました。また、この教えの中にある、人の欠点を数え上げることは自分を傷つけているだけ、ということが、本当にそうだとはっきり分かるようになりました。相手の欠点を見ることで心はもっと乱されて苦しくなる。心に振り回されると、もうすでに自分の中にある真理から遠ざかってしまいます。 
反対に、この教えの通り、相手がしてくれた小さな親切を覚えておくようにしたり、何か嫌なことをされたとしてもそれを許し過去のこととして囚われないようにしたりすると、心は平安に保たれて、すでに私たちの中にある真理、真実の存在そのものを、ほんのひとときでも実感できるようになります。 
これは日常におけるヨーガの実践の上でとても大切なことではないかと思います。 

私は現在進行形でこの教えを実践中ですが、取り組むほどに何より私自身の心が穏やかになり、幸せを感じるようになっています。 

ホーリー・マザーがすぐそばで力を与えてくださっていると信じています。

 

ハルシャニー  


ホーリー・マザーからの贈り物①

私が初めて真剣に読んだ聖典は、『ホーリー・マザーの生涯』です。

ヨーガをもっと学んでいくには、聖者について書かれた本を読むのもいいと聞き、幾つか本を手にしたものの、そこまで関心を持てずにいました。
他のグルバイのような熱心さが私には持てないのかもしれない…少し焦るような気持ちになっていた頃、出会った本でした。
本を開くとすぐにホーリー・マザーのお写真があるのですが、初めてそのお顔を見た時、なんて穏やかな表情なのだろうと思いました。見ているだけで心が静まるようでした。きっと優しい方だったんだろうな。それが第一印象でした。
この本にはホーリー・マザーの生涯においてのさまざまなエピソードが書かれていますが、理不尽と思われる目にあっても、苦境に立たされても、時に包み込むような優しさを持って、時に毅然として、立ち向かわれる姿がそこにありました。そのことに圧倒されつつも、ホーリー・マザーがどんな人生を送られたのかをもっと知りたくなって、本を読み進めました。

しばらくして、師に質問しました。
「ラーマクリシュナよりもホーリー・マザーに親しみを感じているけれど、それで大丈夫でしょうか?」
師はにっこり微笑まれて仰いました。
「ラーマクリシュナは神であることを隠せなかった。サーラダー・デーヴィー(ホーリー・マザー)はそれを隠していた。だから、もっと親しんでいったらいいよ」

それからは本を読むごとにホーリー・マザーが身近になり、その人柄に惹きつけられるようになっていきました。

当時、特に印象に残った教えがあります。

”もちろん義務は果たさなくてはなりませんよ。そうすることで心を良い状態に保てるのです。でもジャパと瞑想と祈りも必要です、少なくとも朝晩には実践せねばなりません。これは船のような働きをします。夜に祈りの座に着くと、今日一日の行いの善悪を振り返ることができます。それから今日と昨日の心の状態を比べてみるのです。…仕事をするだけで朝晩の瞑想をしないのなら、自分のしていることが正しいのか、間違っているのかどうしてわかりましょうか?”

毎日アーサナや瞑想をすることを困難に感じている私にとって、グサっと刺さる言葉でした。
今の自分にはできない気がする。でも継続して行うことが本当に大切なのだということはよく分かった。どんなに短くてもいい。アーサナ、瞑想を毎日やってみよう!
そう決意するきっかけの一つとなりました。

 

ハルシャニー  

 


世界でいちばん心に響く歌

私はとても理性的だと思います。音楽を聞いたり、ピアノを弾いたりして、美しい音楽を鑑賞することも好きですが、アイドルや音楽家を好きになったことは一度もありませんでした。そして、私は無神論者でした。多くの友人に誘われて様々な宗教の集まりに参加し、自分なりにオープンな態度で神の存在を検証しましたが、どの宗教にも納得できるものはありませんでした。

初めてキールタンに参加したのは、ミラバイさんが台湾で行なわれた特別バクティ・サンガム(2015)です。とても印象深かったです。クラスの間、きれいな歌声に浸りつつも、頭の中には一つの声が浮かび上がってきました――無神論者なのに、神の名前を繰り返し歌う日がくるなんて……。でもその後、突然涙が止まらなくなりました。それは、神の慈悲を突如として感じたからです。以前神は、何人もの使者(友人)を通して私を宗教の集まりに招待されましたが、私の高慢と無知のため、目に見えないものは何も信じませんでした。それでも、神は諦めず様々な方法で私を導いてくれました。それで、キールタンを歌っていたまさにこの時、神の御名が無知を覆しました。私は初めて神の存在を感じたのです!

しかしその後、あまり一人ではキールタンを歌っていませんでした。私にとってキールタンは演奏会で聞く交響曲のようなもので、その場では感動しますが、家で一人で歌うと虚しさしかありませんでした。

最近オンラインで台湾バクティ・サンガムの一回目のオンラインクラスを受けました。ミラバイさんは家でも歌うよう勧めてくれて、期間限定の映像の配信もありました。私は一度やってみようと決めました――同じ曲だとしても、ずっと聞いてずっと歌えば、何か違いがあるのかどうかを知りたかったのです。それで、毎日通勤時間に映像を流して、繰り返し歌いました。

ある日、出張帰りの道のりが長く、車を運転しなから映像のどこから聞き始めるか調整できなかったため、(一回目のテーマであった)聖者シュリー・チャイタニアの物語をもう一度聞きました。

***

シュリー・チャイタニアはとても聡明で論弁に秀でた、インドの方です。彼は賢くて常に鋭い言葉を用いて相手を論破してきました。論争においては誰も彼をうち負かすことはできません。しかしある日、彼はあるヨーガ行者に出会い、そのヨーガ行者は、チャイタニアが本当の意味で真理を知らないことを指摘しました。そして真理の根源であるクリシュナ神の御名を伝えました。それまでの探求と努力の方向が間違っていたことに気付いたチャイタニアは、知性を手放して、神に全てを開け放すことと、優しく人に接することを学びます。その後彼が教壇に上がる度に、クリシュナの美しいお姿が現れ、もう二度と世間の知識を追求することができなくなり、ただクリシュナだけを愛しました。

               画:サルヴァーニー
***

彼の物語を聞いた後、家に着き、その映像を止めて、夕食の買い物に行くつもりでしたが、二曲目のキールタンが始まったので、私は米を研ぎながら歌っていましたが、気付くと止まらなくなってしまいました。外出をやめて、冷蔵庫から食材を出して作り始めました。料理の途中でもお玉を置いてしまって、キッチンで一人で回転しながら大声で歌っていました。音楽が終わったらもう一回、またもう一回聞く。聞きながら、言葉にできない喜びを感じたのです。その時、私は本当に幸せだと思いました。
一人でキールタンを歌って、このように恋に落ちたような熱い気持ちになったのは初めての経験です。そしてその恋の相手は、この美しい世界です。

食事の後、もう一度映像を見てしまいました。先輩たちの歌声にはハーモニーが加えられたのに気付きました。ハーモニーの音程をよく聞き取れるように、集中して聞きました。そのうちに、歌声に吸い込まれたようになって、先輩たちがお互いを見て楽しく歌っている姿を見ながら、すごく感動しました。その感動はまるでお湯のようにブクブク沸騰して、私の目から溢れ、止まらなくなりました。

以前の私なら、すぐ自分に「なぜ泣いているの」と問い掛けたかもしれませんが、もうどうでもいいやと思いました。理性や限りある言葉を手放して、今、この瞬間をただ楽しみたいのだ。

今まで、どんな歌にもこれほどの幸せを感じたことはありませんでした。もし今誰かがここにいたら、私は狂っていると思われるかもしれません。でもこの世界には、芸術のために寝ることも食べることも忘れる人もいる、お金のために、何を食べても味を感じられないくらい没頭する人もいる、愛のために自分を失う人もいる、そして憎しみのために理性を失う人もいます。そして多くの人は、決して未来に持ち越すことのできないもののために、自分の生涯をかけています。そのような行為も、狂人ではないでしょうか。

ヨーガに感謝したいです。たとえ私が狂っても、本当の幸せに狂っているのですから!

(文章:MYM台湾ブログより引用)

MYM台湾:シンユンMYM Taiwan