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瞑想クラス(京都)の動画配信 『ヨーガ・スートラ』編 スタート!!

皆さま、こんにちは🌞
夏本番の暑さというか酷暑ですね💦
どうぞご自愛ください🪷

そんな暑さの厳しい最中ですが、ご要望をいただいていた瞑想クラスの動画配信をスタートすることになりました🎞

内容は『ヨーガ・スートラ』で、その主要な教えを一つ一つ深掘りしています。
この度、撮影した1〜4回分の動画をまとめて配信する形をとらせていただきました(1回だけの受講も可能です)。
以下、1〜4回目のテーマとその概要です。


1回目のテーマは「タパス」です。
タパス(苦行・浄化の熱)を受け入れてヨーガを実践していくことで、好き嫌い・暑さ寒さなどの二元性を超えることができると言われています。苦手意識を克服した体験談や、この暑さを乗り切るヒントをお伝えしています。


2回目のテーマは「スヴァーディヤーヤ(聖典学習)」です。
聖典を学習するとはどういうことなのかーーそれは知的な理解ではなく、自らが確かめ実践していくことが大切です。そして実践を続けると、『ヨーガ・スートラ』の説く自らが望む神との霊交が生まれます。


3回目のテーマは「イーシュヴァラ・プラニダーナ(神への誓願)」です。
イーシュヴァラとはどのような神か、またその誓願とは何かーーイーシュヴァラへの誓願を育み、その思いを高める秘訣についてお話しています。


4回目のテーマは「アーサナとチャクラ」についてです。
アーサナをすることで、プラーナ(気)のセンターであるチャクラを刺激して活性化し、内側から身体の質を変容させます。この回は受講者の方からのリクエストで、チャクラについて解説し、師シュリー・マハーヨーギーの驚愕のチャクラとクンダリニー体験についてもご紹介しています。

以上が4回のテーマと概要です。
この講座では、『ヨーガ・スートラ』の教えの解説に留まらず、私自身の体験談や実践についても包み隠さずにお話しさせていただいていますし、師のアート作品にも触れています。

本当に暑さが厳しい時節ですが、ヨーガの根本であり至高の聖典である『ヨーガ・スートラ』に触れ、実践し、この夏を乗り越える糧にしていただけたら幸いです🕉️
受講のお申し込み、心よりお待ちしています。
詳しくはこちらをご覧ください💁「瞑想クラス(京都)動画配信」

ゴーパーラ


『ヨーガ・スートラ』写経

『ヨーガ・スートラ』ーーその名が示す通りヨーガの経典です。
私はこの夏、その写経をしました👳‍♀️📝

4章195節から成る『ヨーガ・スートラ』ですが、この写経をしてすぐに感じたのは「学びの一つは書く」ということです。私自身、最近はパソコンで文字を打つことがほとんどでしたが、久しぶりにじっくり書くという行為をしてみると、眠っていた「書いて学ぶ」という感覚が身体の中から蘇ってきて、学びの基本に立ち返ったように感じられました。

また、解説や注釈なしに一節一節を抜き出して書き、それを始めから終わりまで何度も読み返すことで、『ヨーガ・スートラ』の全体像や要の教えが見えてくるような感覚がありました。当然のことなのですが、『ヨーガ・スートラ』は「心の作用の止滅」、これが主題なのだと。つまり、心に執らわれや煩いが一切ない「無執着」、その心の無一物になるにはどうすればいいかについて説かれていると感じました。

「それら(心の作用)の制御は、実践(修行)と無執着とによっておこなわれる」 『ヨーガ・スートラ』1−12 

「見えたり聴こえたりする対象への渇望を棄てた人々のところにやってくる、そして、対象を支配しようと決意する、その結果は、無執着である」 『ヨーガ・スートラ』1−15 

 ーー『ラージャ・ヨーガ』P112、115より引用

私はこれらの『ヨーガ・スートラ』の教えに触れていると、ある覚者の存在が心に浮かびました。それは「ブッダ」です。ブッダは次のような教えを説いています。

「すべての束縛を断ち切り、怖れることなく、執着を超越して、とらわれることのない人、ーーかれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ」 『スッタニパータ』620−621

「熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と、ーーこれによって〈バラモン〉となる。これが最上のバラモンの境地である」 『スッタニパータ』654−655

ーー『ブッダの人と思想』P13、15より引用

バラモンとはブラーフマナのことで「清浄無垢な真人」であります(『ヨーガの福音』P44)。清らかで純粋な心の持ち主、まさしく真のブラーフマナであるブッダの説いた無執着や熱心な修行・制御が『ヨーガ・スートラ』の要旨と一致しており、ブッダとヨーギーの同一性が感じられます。

今回の写経を通して私自身、ブッダ・ヨーギーの無執着の心境を目指していこうと気持ちを新たにしています。
写経はやってみると単純に楽しいですし、読むこととはまた違った味わいで経典・聖典に触れることができると思います。大袈裟かもしれませんが、心にブッダやヨーギーの無執着が写されるように感じます。
まだ写経をやっていない方、本当にお勧めします👳📝

ゴーパーラ


大いなる真剣さで実践し、堅固な基礎を持つ

 

〝修習は、長い間、休みなく、大いなる真剣さをもって励まれるならば、
 堅固な基礎を持つものとなる”   
 

『ヨーガ・スートラ』第1章-14 

アーサナ・クラスに通い始めたばかりの頃、『ヨーガ・スートラ』という聖典があることを知りました。読むと、見慣れない言葉が並んでいる中で、この一節がすっと目に入ってきました。 

当時、鍼灸の技術を身に付けるための基礎訓練がうまくいかずに悩んでいたので、惹かれたのだと思います。この言葉の通りにやればしっかりと基礎的な技術が身に付くかもしれない、と、実践してみることにしました。 
諦めそうになったらこの一節を読む、それを繰り返すうちに気付いたのは、長い間休みなく続けることは比較的実践しやすいけれど、真剣さをもつのは、そう簡単ではないということです。元々あった思いをもっと強くして、退路を断つ思いでひたすら練習を続けることで、次第に訓練することが日常生活の一部となり、少しずつ技術を習得していけたように思います。
 

数ヶ月前、ふとしたことをきっかけに、この一節を思い出しました。 
今私はこの一節の通りに実践できているだろうか。アーサナ、瞑想、仕事…長い間休みなく続けてはいるけれど、大いなる真剣さをもって臨めているか? 
「大いなる真剣さ」とは何なのか? 

悟りへの道はカミソリの刃をわたるようなものだと言われますが、「大いなる真剣さ」とは、カミソリの刃の上を渡り切るほどの強い信念を持ち、一分の隙もなく集中し続けることではないかと思い至りました。 

私にとって悟りとは、師です。悟りへの道を歩むということは、師に少しでも近づいていくために一歩一歩進んでいくということ。 

師のように、ただ他者への愛ゆえに、いついかなる時も誰に対しても、優しさを持って行為できるようになるには、私も悟らなければなりません。それがどんなに難しくても、師が私にしてくださっていることを同じように誰かにするためには、悟りを目的地として進むしかないのです。 

そして、私には治療をする上での理想があります。 
師の目で見て、師の耳で聞いて、師の口で語り、師の手で触れる。 
「あなたの中にも真実がある」 
私が関わる全ての人に少しでもそれを感じてもらうために、外側から見える姿形は私であっても、内側は全て師に明け渡して、師のみがおられる状態であり続ける。 

そうなれるように、あらゆる行為に対して「大いなる真剣さ」もって励み、堅固な基礎を積み重ねて、悟りへの憧れをもっともっと高めて向かっていきたいです。 

ハルシャニー