昨日!大阪の中之島でアーサナのデモンストレーションを行ってきました〜。
水都大阪のシンボル的存在、ラバー・ダックがお出迎えしてくれます。
まずはクラスがある中央公会堂の前で。カメラを持った方がたくさんいたので、連写する音が鳴り響いていました。

続いては、もう少しラバーズ・ダックの近く、バラ園のそばで


少しだけ臨場感を味わってください、クリックしたら再生をします。IMG_1325-2
発売されたばかりのお揃いのTシャツで!色のバリエーションもたくさんありますよ。
昨日!大阪の中之島でアーサナのデモンストレーションを行ってきました〜。
水都大阪のシンボル的存在、ラバー・ダックがお出迎えしてくれます。
まずはクラスがある中央公会堂の前で。カメラを持った方がたくさんいたので、連写する音が鳴り響いていました。

続いては、もう少しラバーズ・ダックの近く、バラ園のそばで


少しだけ臨場感を味わってください、クリックしたら再生をします。IMG_1325-2
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明日、19日(土)大阪で開催されている中之島グリーンマーケット周辺で、アーサナのデモンストレーションとキールタンを行います。14時半頃〜16時半頃を予定しています。
http://www.suito-osaka.jp/enjoy/machiasobi_gm/
お近くに起こしの際はぜひ遊びに来てください〜!
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雨雲が見える
黒い雲 黄色い雲 すべてが混ざり合い 雨が降り出す
水! 水! 私がどこに行こうとも 至る所に水がある!
乾いた大地は緑におおわれている
愛しいお方は遠く離れた土地に住む
私は独り 雨の中にびしょ濡れになる
あぁ 雨雲色の肌をした 永遠なる主よ
わが愛を満たしてください
ミーラー・バーイー
ある日の琵琶湖の雨の夕暮れ。いろんな色の雲が混ざり合い雨が降る。日没時、その雲々は太陽に照らされ、鮮やかな彩りの見事な様相を顕す。
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詩は、バクタのハートから零れ落ちた愛の言葉です。人それぞれで感じ取ればいいと思うのですが、この詩を読むと、いつも私のハートは甘美な愛に酔いしれ、思考と呼吸は停止し、偉大なバクタ、ミーラー・バーイのハートに浸るのです。
サーナンダ
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ガネーシャ庵には、ガネーシャ神のような風貌の友人が住んでいます。
京町屋の昔ながらの長屋のような建物で、三軒がつながっていて、その真ん中にガネーシャ庵はあります。よくお邪魔してヨーガの話をしたり、打合せに使わせていただいたりしています。
先日、いつもバクティ・サンガムをしているミラバイとガネーシャ庵に伺った時に、少しだけキールタンを歌う機会がありました。
ゆったりとした夕暮れのひと時の中でミラバイが歌うキールタンを聴きながら、ふとずいぶん昔に訪れたエジプトを思い出しました。
夕暮れ、礼拝の時間にイスラムの音楽が朗々と街に流れるのを聴いて、あぁ、こうやって忙しい生活の中でも神への讃歌を耳にすることで心は神に戻されるのだなあと思いました。あるインドの日常の映像の中で、キールタンを歌う素朴な歌声を聴いた時にも同じ印象を持ちました。
本当に日常の中に神があり、神への信仰とともに生きているのだなあという印象です。
次の日、隣の住人の方から、「美しい歌声が聴こえていました〜突然のプレゼントに癒されました」との感想がありました。長屋ならではのプレゼントですね〜 ヾ(=^▽^=)ノ
京町屋の日常の風景の中で、普段着で歌うミラバイのキールタンを聴いていると、心は日常の喧噪から引き戻され、私たち自身の原点である神の下へ駆け寄るような気がしました。ずっと聴いていたいなあと思いました。そして、毎日夕暮れにほんのひと時でもいいから聴きたいと思いました。そうすれば、忙しい生活の中でも、心は神への愛を忘れることはないでしょう。以来、家でもキールタンをよく聴き、歌うようになりました。
来月は、大阪10月2日(金)、京都10月25日(日)にバクティ・サンガムがあるようです。キールタンを学んで、日常の中で歌い、神への愛を思い起こし、心を常に原点にリセットしたいですね。
それでは、ミラバイが弾いてくれたハルモニウムの音色をほんの少しだけお届けします。ハルモニウムって今回初めてじっくり見たのですが、素朴な作りながらもとても綺麗な楽器で、さまざまな音が重なった素敵な音色だと思いました。結構大きな音ですが、すごく瞑想的だなあという印象を持ちました。今回はハルモニウムの音色だけになりますが、ミラバイのキールタンを聴きたい方はぜひバクティ・サンガムに参加してお楽しみくださいね。
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サーナンダ
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今日は月に一回のさまらさの台所の日でした。今日は、秋の味覚!きのこを使った料理を3品ご紹介しました。

きのこのあんかけ天津飯と奥にあるのはきのこのディップをクラッカーの上にのせたもの。(オリーブが添えてあります)
きのこってほとんどが水分なんです。しっかり炒めて水分を飛ばすと旨味が凝縮され、とてもコクがでます。天津飯には中華出汁を使わず、きのこでお出汁を取っています。きのこを使う時は、から煎りしてから使うと風味がよく、旨味が増しますよ。
今日はなぜか、必死になりすぎて会の最中の写真を撮ることをすっかり忘れていました 😯
なので、出来上がりの写真だけです〜。ごめんなさい!
食事の後は、ヨーガと食事のお話。今日は「素材を生かし切る」ということについて話をしました。

素材を生かし切るってどういうことでしょうか?みなさんからでた声は、
「食材を無駄にしない」「美味しいうちにいただく」「食事をする時は穏やかに、楽しい気分でいただく」などなど、どれもとても大切なことですね。きっと日々気をつけておられることだと思います。

図の紫色の花びらを1枚ずつめくると、このように書かれています。
これらは食事だけに留まらず、日々の生活のどんなことにも共通しています。
素材というところを、食材だけでなく、人やものに当てはめて考えてみてください……!相手の気持ちになったり、相手の良いところを見ようとしたり、人を見るときに観念に縛られないというのも大事なことです。また、人というのは他人のことだけでなく、自分のことも含みます。自分自身を生かしきるためには、「私は頑固だから」とか「私は臆病だからこれはできない」とか決めつけたりせず、本来の自分自身を見つめ、素直になることはとても大切です。参加者の方からは、「料理と日常が共通していることが心に残りました」「人間関係も同じなんですね」といった感想をいただきました。参加してくださったみなさま、ありがとうございました〜。
来月は京都と大阪でもさまらさの台所を開催します。ぜひお越し下さいね〜。
土佐堀と堂島川の間の中之島に建つ中央公会堂は、赤レンガ造りとアーチ状の屋根が実に美しく、荘厳な外観を保っています(国の重要文化財)
クラスは19:00から始まるので北浜駅から地上に出ると、秋には夕焼けが拡がり、その向こうに中央公会堂が見えます。また夏には青空の下に見える姿に、気持ちも清々しくなります。
建物の中に入ると、貸し会場につくり替えられた場所もあるものの、当時をそのまま残してあるところも多く見られます。
地下からエレベーターに乗ってすぐの入り口がいつものクラス会場です。
ちなみに、天井が高いので、地下から2階まで階段で上がろうと思うと、相当くるくると上がらなくてはなりません。階段も雰囲気がありますね。
さて今週火曜日のクラスは9名が参加。間接照明と外から入る明かりの中、静かな気持ちでアーサナを行ないました。
一つ一つ、丁寧に、吐く息に集中します。
アーサナと瞑想が終わった後は、毎回ヨーガのお話をほんの少し。今日のお話は・・・
長年続けているS氏。クラスに初めて来られた時には自分の身体の固さに、だめだなぁ〜と肩を落としたと言われます。でも「アーサナは人と比べるものではない」と聞かされて、とっても安堵し、またその言葉がクラスを続けるきっかけになったとか。
そうです、アーサナは人と比べるものではありません。
でもそれは自分のアーサナについても同じです。
昨日はできなかったことが、今日はできた!と喜ぶこともあれば、昨日できていたものが今日はできなかった、何でだろう?と落ち込むこともあります。
その日の過ごし方によってアーサナのできって変わるものだと思ったことがありました。
毎日同じように生活をしているようでも、日々の心の有り様は違います。
ものすごく忙しくて身体が疲れていたのに、アーサナがよくできたり、反対に家でゆったりと過ごしていたのに身体が固くなって思ったようにできなかったりしたこともありました。
思い出せば、身体は疲れているいないに関わらず、心が何かに集中し、穏やかに過ぎた時は、その後のアーサナがよくできました。反対に身体は休ませていても、心配事や悩みに心が動揺して過ごした後にはアーサナがうまくできなかったようです。
一日の終わりにアーサナをすると、その日の心の状態が影響するものなのですね。
できたから良い、できなかったから悪い、と判断せず、違って当り前、その時の中で自分のベストをつくして集中していくことが大事だと思いました。
またアーサナを続けていくことで、そのような影響も受けなくなるといわれています。
1回1回のアーサナに一喜一憂せず、淡々と集中して行なっていきたいですね。
とまあ、クラスではこんな感じで最後にお話をしています。火曜日は90分クラスですが、第4水曜日の120分クラスでは、もう少しヨーガの話をする時間をとっています。いろいろなヨーガの話をしにぜひお越しください。
シャチー(火・水 担当しています)
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いつでも、
どんな場所でも、
どんな人に対しても
心は常に真理のもとになければなりません。
サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ
ずいぶん昔(1990年頃)に師から授かった教えです。その頃の私は、日誌をつけていました。先日昔の日誌を見ていたら、印象に残った師の教えがいくつか記されていました。それをご紹介したいと思います。
その頃は、サットサンガで心に留まった教えを必死で記憶し、家に帰って書き留めていました。サットサンガ中は師の言葉に集中していたのでメモをとってなくて、サットサンガが終わると必死で教えを頭の中で繰り返して記憶に定着しようとしていたことを思い出しました。
私はこの教えが大好きです。(教えに好き嫌いがあるわけではありませんよ)どこが好きかというと、「いつでも、どんな場所でも、どんな人に対しても」という無条件、無限定なところなんです。限定付きならできるかもしれませんが、無限定という限定解除されているところがヨーギーなのです!
ところが、今回この教えをずっと見ていたら、この教え、とてつもなく深いなあと思いました。ものすごくシンプルなんですけど、今更ながらその無限定の意味を感じてしまい、姿勢を正してしまいました。これができて初めてヨーギーなんだと真剣に考え込んでしまいました。
真理をアートマン(本当の自分)や神、真の愛に言い換えてもいいかもしれませんけれど、心の側から見れば、単純に言えば、私心がなく、平静だということです。自分を振返れば、まだまだまだら模様で無条件、無限定ではないと言わざるを得ません。条件付きです。
これは生活全般、言動全般、思考全般を総点検し、調えていかんと到底無理だと思いました。思い浮かんだのは、師の御姿でした。いつでも、どんな場所でも、どんな人に対しても、無条件の行為と無限定の喜びにある御姿が浮かんできました。
やっていこう!ヨーギーになりたいから!
その昔、記録したのは何か自分の印象に残ったからなんだと思います。短い言葉ですが、私がこの教えの向こうに見たのは、真のヨーギーの御姿でした。
サーナンダ
さて、前回のギーターカードの続きです。あのカードを見て何を思い出したのか、それを書きますね。読んでいない方は前の記事をご覧ください。
私がヨーガを始めて京都の千本丸太町にあるヨーガ・ヴィハーラという一軒家でに引っ越して来たときのことです。そこはヨーガのクラスをしたり、ヨーガをしている人が集まるお家で、そのころは先輩3人との4人の共同生活でした。
ちょうど『悟り』の出版記念イベントが間近にあり、ヨーガ・ヴィハーラではそのイベントに向けて毎日準備が行われていました。キールタンの練習や聖劇の練習、会の進行のミーティングなど、家に帰るとたくさんの人がいるという毎日、私は縁あってこの家に引っ越してきたのですが、仕事先が遠く、毎朝6時に家を出て、夜の7時か8時頃に帰宅していました。私の部屋は玄関のすぐ横だったこともあり、みんなの荷物置きに使っていたので、帰宅して部屋に入るとたくさんの荷物が置かれていたことを覚えています。
ヨーガに邁進しようと思い、この家に引っ越してきたのだから、毎日アーサナをしたいと思っていた私は、帰宅してすぐにアーサナがしたかったのです。(ご飯を食べてしまうとアーサナができないし、朝が早いので、さっさとアーサナをして寝たかったのです)でも、私の部屋には荷物があり、アーサナをするスペースはなく、家にたくさんの人が出入りすることも相まって落ち着かずにいました。「こんな状態ではアーサナも瞑想もできない」と思っていても、クラスに行けば「アーサナや瞑想は毎日する方が良い」と言われます。
絶対の絶対にできないという訳ではないのです。例えば荷物を部屋の端にまとめてスペースを作るとか、時間が遅くなってもみんなが帰るまで辛抱強く待つとか。でもスペースを作ってアーサナを始めると、その荷物を取りに人が出入りし、その度にアーサナは中断します。また私がアーサナをしていることで、邪魔してしまったという思いを相手に持たせてしまい「ごめんね!」と言われるたびに、謝らせてしまったという思いがありました。自分の意志を通そうとすればするほど上手く行かないような気がする……だけどアーサナはしないといけないと言われている。私はその狭間でとても窮屈になり、イライラする日々が続いていました。
ある日、何気に話をしていたヨーガの仲間が「忙しくてもアーサナや瞑想は毎日しないといけない」と言われたことに端を発し、私の思いは爆発します!
もう限界だと思った私は、ヨーガの先生に質問に行きました。今の自分の状況を話し、「毎日アーサナや瞑想をしなくちゃいけないことは十分かっているけれど、今の状態ではできない!それでもヨーガをするにはアーサナをしなければいけないのですか?」と尋ねました。
先生は言われました。
「そんなときにはアーサナや瞑想はしなくてもいい。それよりも家に来ている人たちが気持ちよく家を使えるようにして上げなさい。それがヨーガです」
その言葉は本当に目からウロコでした。
その瞬間、心がホッと落ち着き「それがヨーガなら、私はヨーガを続けることができる」そう思ったことをよく覚えています。先生の言葉を聞いて、ヨーガは自分のことを優先するのではなく、常に相手を優先することなのだと分かりました。たとえヨーガを深めるために必要だと言われているアーサナや瞑想であっても、例外ではないということです。
先生はホッとした私を見て「アーサナや瞑想はまたできる時が来るから、そのときにしたらいいよ」と優しく言われました。
そのとき言われた「それがヨーガです」という言葉、私はそれによってヨーガというものを理解していきました。それはまったく複雑ではなく、落ち着いて考えたら当たり前のことだと思いました。動揺すると、すぐに真実が見えなくなってしまいますが、そういうところを変えていくことがヨーガだと知りました。自分にとって指針となり、いつも心にとどめている言葉です。前回紹介したギーターのカードを見ながら、その時のことを思い出しました。
久しぶりにギーターのカードシリーズです。バガヴァッド・ギーターの教えが書かれている美しいカードを1枚選んで、その教えを紹介しています。今回選んだカードには、
「アルジュナよ 義務を忠実に行え
そして成功と失敗を等しいものと見て
あらゆる執着を捨てよ
このような心の平静をヨーガという」
下のタイトルがいいですね。「SUCCESS in YOGA」この絵はヨーガが成功した状態を現しているのでしょうか。私がこの絵から受ける印象は「平安、静寂」です。
ヨーガとは何ですか?と言われたとき、たくさん答え方がありますが、ここでクリシュナは「あらゆる執着を捨てた心の平静がヨーガである」と言っていますね。執着しているものって、分かりやすいものありますが、時には見えないものもあります。このカードを見たときに思い出したことがありましたので、それはまた次回に書きますね。
京都の火曜日のクラスは、9月1日から「体験コースヨーガ+瞑想を始めよう!」が始まっています。アーサナと瞑想を1時間ほど実習した後に、瞑想を進めるための学びをしています。
第一回目のクラスでは、そもそも瞑想とは一体どんな状態なのかを説明しもらいました。よく、瞑想は無になること?何も考えないの?など聞かれます。
この図を見ると分かりますが、何も考えないというのではなく、心を「対象」に向けていくということになります。それはどんな状態か……日常生活で近いものと言えば、例えばマンガを読んでいたり、映画を見ていたり、ものすごく真剣に読んでいる(見ている)と「ご飯やで〜」と言われても聞こえない時がありますよね。子供の頃によくあったような。「呼んでんのに、いつまでも何してんの!!
」と怒られた記憶がありますが、わざとではなく本当に聞こえなかったのです
。それは、何も聞こえないほど心がマンガ(対象)に集中していたからだと思います。このようなことが、この図の中で、心が対象に向かって集中されている状態だと思います。
対象はいろいろですが、集中状態というのは、日常の中で誰もが経験することですね。ただ、瞑想はこの集中状態のことだけを言うのではなく、この図を見ると、集中し続けることで心と対象が一体(ひとつ)になることと描かれています。では、マンガに集中しつつけることでマンガと(もしくはお話の何かと)一体になるのでしょうか?なると思います。なりたい方はがんばってください!![]()
瞑想すとどうなるイメージがありますか?と参加者にお聞きすると「穏やかになる」「強くなる」「優しくなる」という答えが返ってきました。どれも正解!でもマンガに集中して瞑想しても、そういった状態になるかな〜?……ならないかな〜と思います。
みなさんのなりたい、強く優しく穏やかな人になるためには、瞑想の「対象」がとても大切になります。それはまた、このクラスが進むにつれ、学んでいけると思います!
先生のマードゥリーさんから、瞑想のコツ!それは座り慣れることだとアドバイスがありました。毎日1分でもいいので、座ってみてください。それが、5分になり、10分になり、少しずつ座り慣れてくると、だんだん嬉しくなります。忙しい毎日の中で、短くてもゆっくりと自分と向き合え時間を楽しんでください。