ナーグ・マハーシャヤの信仰

シュリー・ラーマクリシュナの家住者の高弟ナーグ・マハーシャヤは、1846年8月21日東ベンガルに生まれました。
初めてシュリー・ラーマクリシュナに会ったとき、彼はインドの習慣を遵守して御前に伏して師の御足の塵を取ろうとしましたが、師は足を引き、触れることをお許しになりませんでした。彼は自責の念にかられ、聖人の神聖な御足に触れるのにふさわしい人間ではないのだ、と自らを納得させました。
その後、師に寺院の境内を案内されて、師の寺院での生き生きとした信仰と素晴らしい振る舞いを見て、彼は師の素晴らしい純粋さ、神聖さ、そして献身に魅了されました。
帰る道すがら、彼は師について考え続けました。この日の経験は、彼の心に消えることのない印象を残し、神を認識したいという、燃えるような願望を訪れさせました。睡眠や食事を取ることも無頓着になり、人と話をするのもやめて、一緒に寺院に行った友人相手に、師についてだけ話をしました。
翌週、友人と師を再訪すると、気が狂ったようなムードの彼を見て、師はとてもお喜びになります。ですが彼の心には喜びと悲しみの入り混じった感情がありました。なぜなら師に仕える喜びと同時に、最初の会見でのことを思い出したからです。
後日、彼は一人で師を訪問しました。師は医者である彼に「私の足を診察してもらえないか」と言います。彼は師の足に触れてよく調べましたが、特に問題はないと答えました。師は再びもっと慎重に調べるように頼みます。そして彼はさらなる熱意をもって師の御足に触れました。
そのとき、彼はグルがいかにして弟子の要求を満たし、困難を取り去るのかを実感しました。グルの思いやりから生まれるささやかな行為が、誠実な弟子にとっては、自分への愛に満ちた行為として実感されます。ましてや彼にとっては、それは言葉に尽くせぬ感激でした。最初の訪問のときに、師の御足に触れることを許されなかった彼の深い悲しみは慰められました。そして師の御足に触れるという恩恵を与えられた今、自分が恩寵にあずかったことを知り、涙が頬を伝わりました。彼はその瞬間、師が人の姿をした神であることを確信しました。
後に、どうして師を神と知ることができたのか、と尋ねられた彼は次のように答えています。

「(略)誰も、師の祝福なしで、師を理解することはできません。たとえ一千年にわたる厳格な苦行を行っても、師が慈悲をお示しにならなければ、師を悟ることは不可能でしょう」

ナーグ・マハーシャヤのシュリー・ラーマクリシュナへの信仰を決定づけた、この出来事を想像して絵に描きました。

サルヴァーニー


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