グルバイ(ヨーガ仲間)」カテゴリーアーカイブ

プラサード(神のお下がり)

11月23日は、私たちの師の御聖誕祭でした。
その時の様子は前回のブログに紹介されていますが、歓喜に包まれた本当に素晴らしいひとときでした‼️
御聖誕祭の後は、各庵に分かれて交流会が行なわれました。
実は、この交流会も御聖誕祭の醍醐味の一つ☝️
日本のみならず台湾からも兄弟姉妹弟子が集い、御聖誕祭での歓びを語り、味わい、その余韻に浸ることのできる本当に素晴らしいひとときです。

シャーンティ庵での交流会!

そして、その時にいただく「プラサード」のなんとも美味しいこと!!!
今年は、丹波に移住して農業を始めた兄弟子クリパールさんによって丹精込めて作られたお米が初献上され、それをマハーヨーギー・ミッションの料理班さまらさの台所の方々を中心に調理していただきました。

「すべては神から与えられた神聖な祝福に満ちたもの。プラサードとは、神前に捧げられた食事などのお下がりを恩寵とともにいただくという意味合いがあります」

——シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

今年は地震や台風、水害などに見舞われた年でしたが、クリパールさんをはじめ農家の方々の尽力のおかげで無事に初収穫を迎えた貴重なお米——
師は、そのお米を「さまらさ米」と命名されました。
お世辞ではなく、こんなに美味しいと感じたお米は初めてでした😊🙏

蓮根は、石川県の弟子から献上されました。こちらも最高の味わいでした。

※「さまらさ」とは、ヨーガの言葉で「等味」、「至福の味わい」ともいわれます。いただく食材の命も私たちの命も、ともに等しく愛で、作る人も食する人も、ともに歓びを味わえる……そんな意味が込められています。

 

ゴーパーラ


瞑想会後、カーリーヤントラのTシャツを着て

7月28日(土)プレーマ・アーシュラマにて瞑想会+サットサンガを開催。
京都・御室仁和寺(世界遺産)横の小道を上がっていくと、ここプレーマ・アーシュラマ(庵)があります。

ここしばらくは猛暑が続き、息をするのも厳しいほどだったけれど、この日は台風の影響もあってか夕刻になると風が強く吹き始め、庵の中を気持ちよく通り抜けていきました。

午後19時半、空が夕焼けに染まる頃、各々は祭壇に向かって座り、瞑想が始まります。静寂に包まれた45分間はあっという間に過ぎ、その後は輪になってサットサンガを行ないました。

久しぶりに来庵した人、久しぶりに顔を合わせた仲間もおり、喜び、楽しんだ1時間半でした。

そして、瞑想会後に撮影。

現在、私たちの師は渡米されています。この日は師を思い、師がデザインしてくださったミッション・オリジナルTシャツを着て集まりました。


NYグルバイ、エーカーンタ!

桜の木も緑に色付き、あっという間に新緑輝く季節になってきましたね😃🍀
先日の4月8日、マハーヨーギ・ミッション春の祝祭「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー」が開催されましたが、その祝祭に合わせてニューヨークからエーカーンタさんが来日していました!

向かって右がエーカーンタさん、左がアーナンダマーリーさん。in鞍馬。

エーカーンタさんは5年前のちょうど桜が満開の時に京都を訪れていて、前回同様に今回もラームダースと私の住まいのシャーンティ庵に滞在しました。
まるでパラマハンサ・ヨーガナンダを思い起こす少年のような笑顔の彼は、東欧のルーマニア出身。
チャウシェスク政権下で過酷な青少年期を過ごした彼は、料理を手伝ってくれてもとても手際がよく、毎日お母さんの料理の手伝いをし、家族で支え合って暮らしていたそうです。
ちなみに彼のお兄さんは、あのパラマハンサ・ヨーガナンダの『あるヨギの自叙伝』をルーマニア語に翻訳した方のようです😲

今回の10日間の滞在でエーカーンタさんは祝祭に参加したことはもちろん、連日に渡って多くのグルバイと交流をしました。
真我の探求――「私は誰か?」のギャーナ・ヨーガの瞑想をしている彼は、同じギャーニーであるサーナンダさんと数多くの問答を繰り広げていました。
ギャーナ・ヨーガの瞑想のレベルについて質問する彼にサーナンダさんは、「ギャーニーにとってレベルなんてない!在るのはアートマンだけで、その他のものはすべて幻想!」というような感じで、ヒートアップした問答が展開されていました。

シャーンティ庵でサーナンダさん(左前)と交流した時の様子。

エーカーンタさんのこの10日間の滞在は、もう心も身体もパンパンになるほど、相当な濃密な滞在であったと感じます。
彼はヨーガを始めて5年ほどで、ほとんどが先輩弟子という状況の中、たくさんの話を聞くうちに、ニューヨークに帰って自分が日本の弟子のようにヨーガを実践できるのかという不安や恐怖がよぎったそうです。

しかし滞在最後の夜、エーカーンタさんのその思いは吹き飛ばされていました。
この日、彼は師のヨギさんと一緒にクリパールさんが農業を営んでいる丹波を訪れ、その後師と夕食を共にしたそうです。
そこで師にその心中を打ち明けると、師は「ヨーガを続けて実践すること」と、そして次のことをおっしゃられたそうです。

「その恐怖しているのは誰か?」

師と交流した後、夜遅くにシャーンティ庵に帰宅した彼の表情は、大袈裟ではなく、光輝いていました。
心の迷妄の雲は吹き飛ばされ、光を放っていました。
この日が「人生でいちばん最高の日」と歓びに溢れて話していたエーカーンターー

師の存在を心から尊敬し、愛している最高のグルバイです!!!

「あの梵鐘を鳴らすのは……誰?」

ゴーパーラ


台北 ヨーガ滞在記

「君の飛行機は、今まさに飛び立とうとしているあれだ!」

ニューヨークの1カ月の滞在を終えた私は、台北乗り継ぎで日本に帰国する予定でした。
しかし、なんとトランジットの台北で飛行機に乗り遅れたのでした😱
それも搭乗ゲートの前にいたにもかかわらず……
ゲートの待合いの人たちが一向に動こうとしなかったため、飛行機が遅れているのだろうと勝手に思ってしまったのがビッグ・ミステイク!
その人たちは別便を待っており、彼らが並び始めたので私も並んで職員にチケットを見せた時には、もう手遅れでした😭✋✈️
航空会社のスタッフがチケットを交換できるか確認してくれましたが、「チケットの変更はできません。空港内で高額なチケットを購入するか、空港内のWi-Fiを使って今日のフライトをネット購入するか、または空港から出て台湾に滞在してチケットを購入する3つの手段があります」という返答……
私は台湾に何度か行かれたことのあるミラバイさんに電話をして相談し、翌日のフライトとゲストハウスの予約をネットで取って台北市内に1泊することにしました。
しかしながら、不幸中の幸いと言えばいいのか、この台北はヨーガの仲間が住んでいるところだったので、日本語ができるプリヤーと連絡を取り、夕方に彼女たちと会うことができる運びとなりました。

ゲストハウスに着いてしばし休憩をした後、台北の地下鉄MRTを利用し、18時に待ち合わせ場所のレストランへ。
突然の来訪にもかかわらず、仕事終わりや忙しい仕事の合間を縫って、プラサーディニー、プリヤー、ラーダー、アヤノの台北に住むグルバイがみんな集まってくれました😭

向かって左がプリヤー、右がラーダー。手前にある菜葉は「空心菜」というもので、茎が空洞になっているそうです。

本場の台湾料理をいただいた後、プラサーディニーとプリヤーが住む台湾ヨーガ・サンガの拠点にお邪魔させていただきました。
美味しいコーヒーとマンゴーをいただき、静かなその空間の中、自然とヨーガ・トークスへ。
台湾の瞑想会では「識別の瞑想」について学んでいるということもあって、彼女たちはその深まりを求めていました。
識別に関して私自身は、「真理を学ぶ」ことと「どう生きていきたいのか?」ということを自らに真剣に問うことがその推進力になると感じると述べ、また今回のニューヨークで師ヨギさんから、「識別ができるかどうかは心がサットヴァ性(透明性の快活な状態)かどうか。サットヴァな心になるには、余計な思いが湧いてこないように日常の仕事やミッション・ワークスを隙なく行なうこと」という教えをいただいたことなどを話しました。
そのようなことを話す中、「ヨーガ以外のことにはもう関心がない。でも、どこかヨーガへの情熱が足りないと感じる」と切実に話すラーダーを見て私は、「識別も大事だけど、ラーダーの場合はヨギさんと会えば大丈夫だと感じる」と言うと、彼女は「私もそう思う!」と答えました。
またラーダーは「台湾のクラスを少しでも京都のその雰囲気に近づけたい」、プリヤーは「台湾語でヨギさんやヨーガの話ができる仲間がいることを本当に嬉しく思う」と二人とも台湾のサンガへの思いを目に涙を浮かべながら話していました。
彼女たちと交流するといつも感じることがあります。それは、

「純粋さ」

この台北での出来事を振り返った時、彼女たちのように師や真理だけを思う純粋さこそが、サットヴァな心であると気付かされました。

まるで夢を見ているかのような、つかの間の幸せなひとときでした😌
台北グルバイの皆様、本当にお世話になりました‼️
真的谢谢🙏🙏🙏
再见吧😁

左からラーダー、プラサーディニー、プリヤー、アヤノ🌺

ゴパーラ


NY ヨーガ滞在記(後編)

「クリシュナの笛は何を象徴していると思う?」

帰国の前夜、師からいただいたゴパーラという法名の由来を私が尋ねた時、師はこのように尋ね返してきました。

私は「分からないです」と苦しく答えると、師はいつになくはっきりとした口調で、

『笛吹けど踊らず』

と言い、次のように話されました。

「この言葉は聖書に出てくるイエスの言葉。それは、『真理を語っても誰も理解しない』ということを意味している。クリシュナの物語はラーサ・リーラーに象徴されるように、満月の夜にブリンダーヴァンの森にクリシュナの笛の音に魅せられたゴーピー(牧女)たちが歓喜して踊る――ゴーピーには夫や子供がいる者もいたが、彼女たちはすべてを放ってクリシュナのもとに集った。ゴーピーは女性として描かれているが、『神以外はすべて女性』といわれるように、すべての人を意味している――クリシュナの笛は真理を象徴し、それを吹くとは真理を吹き込む、つまりインスパイヤを与えるということ。クリシュナとゴパーラは同じ。これからゴパーラはそのように行為したらいい。誠実に、堂々と」

このことを聞いた瞬間、私は驚愕しました。
師が弟子に法名を与えるにあたって、これほどの深い意味と希望を込めていることに――

私は帰国の日、自分の不甲斐なさに反省しきりだったので、師には「身をもって痛感した課題を克服していきたい」と述べたが、師の反応は今ひとつでした。
ただその後、アーサナ・デモンストレーションの活動に話題が及んだ時、師の声のトーンが明らかに高くなっていました。
それだけは感じられました。
そして、

「今日は満月やな。満月飛行、ええな!」

と満月について何回もおっしゃっていました。

帰りの飛行機の中、一睡もできなかったわけではありません。
もちろん、オオカミ男に変身することもありませんでした🐺
しかし、映画や音楽を楽しむ気にはまったくなれず、師と過ごした1カ月のニューヨークでの日々のことをずっと思い返していました。

そしてトランジットの台北の空港に着いた頃、私は「人生の目的」をハートで感じたような気がしました。

今、私のヨーガの境地は満月のように完全ではない。
では、どのくらい月が満ちているのだろうか?
三日月くらい?
そんなことは、もうどうでもいい――
月を照らす太陽は、すでに在るのだから!!!

「真理に生きたい」

それだけ!!!

師の尊い存在と無上のお導きに、深く頭を下げたい。

ジャイ!!! サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ!!!!!

今回の滞在中、師が見つけてくださったゴパーラの神像。

ゴパーラ


NY ヨーガ滞在記(前編)

皆様、ご無沙汰しております。
ゴパーラです。
ブログを1カ月ほどお休みしている間、ニューヨークに行っていました😃🗽🇺🇸
先日の8月10日まで師のヨギさんが約2カ月間に渡ってニューヨークをご訪問され、私も後半の1カ月を同行させていただき、師と共同生活を送っていました。
このブログでは、その時に起こった師とのエピソードを交えて、私の内面の気付きについてご紹介させていただきたいと思います。

私にとっては、7年ぶりとなるニューヨーク。
7年前に2カ月半滞在した時は、腰まであったロングヘアーを「似合っていない」ということで切ることになったり✂️、「体力がない」ということでランニングや腕立て伏せを命ぜられるなど、本当に数多くの出来事が起きました……😅

「今回の滞在はどんな感じになるのだろう?」

何か大きな出来事や変化を恐れながらも期待している自分がどこかにいましたが、今回の滞在はまるで正反対😯‼️
毎日が淡々と、また楽しく過ぎていき、何だか実家で暮らしているような感覚さえありました。
もちろん、できないことや新しくトライすることもあって緊張感はもって生活していましたが、7年前に比べるとそういうことも少なくなっていました。
そんなふうにしてある程度のことはこなしながらも、心中では「何か大事なことが欠けている」とも感じていました。

そんな中、1カ月の滞在も残り数日と迫った頃、朝食後に洗い物をしていると突然、ある思いがよぎりました。

――師への奉仕とは何か?――

お皿を片付けてすぐに師に質問をし、師は次のようにお答えになりました。

「常に気を付けて、相手が何を求めているのかを前もって感じ、必要なことを行為していくこと」

そのお言葉を聞いた瞬間、自分に欠けているものは「それ」だと感じました。
そして師はニッコリと笑われて言いました。

「あと数日ですが、がんばってやってください!」

その後の帰国までの数日間、まさに試されているかのようにそれにまつわる出来事が起こり、他者や物事に対しての配慮が欠けている行為が次々と浮き彫りになっていきました……😓

帰国の日、私は師に1カ月間の滞在のお礼を述べ、「人生の指針をいただいたと感じている。身をもって痛感した課題をこれから克服していきたい」と話しました。
ただ、そのことを話しても師の表情はいま一つでした。
「どうしてだろう?」と思いながらも、その後の話題が私が帰国後に行なうアーサナ・デモンストレーションの活動内容に及んだ時、師の声のトーンが変わりました。

(続く)

7年前に髪を切ったバーバーショップを再び訪れました。料金が$10ほど値上がりして$25でした。そのことをニューヨークの弟子に話すと次のように言われました。 「君のヘアースタイル代とアーサナ・瞑想クラスの料金が同じなのは問題だ」

ヘアカットした翌日、メトロポリタン・ミュージアムへ行きました。ニューヨークの1カ月間で観光したのは、こことセントラルパークの2カ所だけでした😌

ゴパーラ


ヨーガの秘訣・北海道編 神は私を待っておられる!

シュリー・マハーヨーギーの弟子には、遠方に住んでいて、容易に師に会えない方もいます。京都に住む弟子たちは、直伝クラスに通ったり、サットサンガなどで、よく師にお会いすることができますし、ブログでもご紹介させていただいているように、昨年からは台湾や松山、京都など各地で特別サットサンガも開催していますが、それでもなかなか会えない人はどのようにヨーガへの思いを高め、日々実践していけばいいのでしょう。

それについて、遠く北海道に住んでおられる三井さんが、ご自身の思いと日々の実践について投稿してくださいました。北海道から京都まで容易く来られませんから、三井さんはブログやパラマハンサに掲載される師のお言葉を何回も読まれているそうです。そして、年に一度ヨギさんに会いに来られた時の三井さんの、実に濃密な師との交流シーンが目に焼き付いている方も多いと思いますが、この記事を読むと、物理的な距離や回数ではないということが実証されているように感じます。


まだヨーガに出会っていない頃、よく見る夢がありました。
夢の中で私は、とっても大事なことをしていないことに気づき、これをちゃんと覚えておいて毎日やらなきゃ!と決意するのですが、目覚めた時には、その大事なことが何だったのか全く思い出せないのです。
私は何か、とても大事なことをしていない・・・・・。
そこで、今までよりも注意深く意識しながら生活してみることにしました。大事なことをしていないはずなのに、日々の生活は何の支障もなく過ぎていきました。そしてまた同じ夢を見るという繰り返し。

私は一体何をしていないのだろう?

ヨギさんの下に導かれ、ヨーガを学び、毎日アーサナと瞑想をするようにな ってから、あの夢を見ることはなくなりました。
毎日続けるに値する確かなものを得て、心はようやく安堵しました。私の魂は、ヨーガを渇望していたのだと思います。
ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、歯を磨いたりするのと同じようにアーサナと瞑想も当たり前の習慣になり、何をしていても時間になれば2階の修行部屋へ向かいます。階段を上りながら思うことはただ一つ。

「神は私を待っておられる。もっともっと深い瞑想を捧げよう!」

どんなに離れていても、どんなに会えなくても、心から尊敬できる師と、同じ志を持つ仲間に巡り会えたことは大きな喜びです。
京都に伺い、ヨギさんにお会いした時に伝わってくる神聖なバイブレーションや、慈愛 に溢れた眼差しや、とろけるような笑顔や、ぬくもりのある声は、言葉や文章ではとても伝えられず、実際に味わってみなければ決してわからないことです。
そして、謙虚で穏やかで親切なお弟子さんたちに接すると、頭が下がる思いになります。ヨギさんの教えが深く浸透し、ヨギさんの存在が心にも身体にも染み渡っていると感じます。ヨギさんのお側にいるということは、こういうことかと思わずにはいられません。
ヨギさんのお側でグルバイと一緒にヨーガを学べたらどんなにいいだろうと思う時、頭に浮かぶのはパラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』の中の一節です。

私はカラ・パトリに、彼の放浪生活について尋ねてみた。
「あなたは冬でも、ほかに着物を着ないのですか」
「着ません。これで充分です」
「あなたは本をお持ちですか」
「いいえ、ひとに物を尋ねられたときは、記憶の中から答えます」
「ほかにはどんなことをなさいますか」
「ガンジス河のほとりを散歩します」
この淡々たる答えを聞いたとき、私の心に、彼の素朴な生活に対するあこがれが強く湧いてきた。私は、アメリカと自分に負わされた重い責任の数々を思い起こした。『いけない!ヨガナンダ』私は一瞬さびしく自分に言いきかせた。『この生涯では、ガンジス河の散歩はお前には許されていないのだ』

この生涯では、ヨギさんのお側でグルバイと一緒にヨーガを学ぶことは私には許されていない・・・・・。
パラマハンサ・ヨガナンダの崇高な使命とは比較にならないとわかっていても、そんなことを考えて寂しくなる時、私を励まし力づけてくれるのは、機関誌『パラマハンサ』に掲載されているサーナンダさんの文章です。

インドの山奥で瞑想行に勤しむヨーギーたちも、社会において多忙な仕事に勤しむ世俗人も、等しく神の思し召しによってその境遇が与えられている。私たちを神の御下に導くための道筋がその境遇にある。
今ある状況は、カルマが要請したものであると同時に、カルマを果たすためにはなくてはならないものであると理解できる。
自分の前にやってくる状況は、すべて神が私たちに与えられる素晴らしい導きなのかもしれない。
肝要なことは、現状に不満を言わず、知足し、淡々とヨーガを実践していくことである。
私たちの真剣なヨーガの実践は必ず神に届き、神はそれを見て慈悲深くもヨーガの道を歩むに必要な熱意と力を与えて下さる。これは真実である。

振り返ってみれば私はずっと、本当のことだけが知りたいと願い、探し求め、これも違う、これも違う・・・と彷徨っていました。もう探し回らなくていいと思うと、深い安心感に包まれます。
お導きくださったヨギさんには、感謝の気持ちでいっぱいです。

サーナンダさんは、「私たちには、戻ることのない長い旅路の覚悟が必要です。」と書いておられます。途中下車することなく最終目的地だけを目指し、風景を楽しみながら長い旅を続けていこうと思っています。

三井


ヨーガの秘訣・大阪編 ヨーガの宝物!

多くの方が、仕事や家事、育児、あるいは介護に忙しい毎日を送っている中で、どのようにヨーガを実践していけばいいのか、悩む時があります。忙しい日々に追われ、ヨーガや理想を忘れてしまうことすらあるかもしれません。
大阪でプレーマヨーガサークルを運営するニルマラーが自らの経験を寄せてくれました。


グルバイ…真理を求めて同じ師のもとに辿り着いた仲間(兄弟姉妹弟子)、その存在がどれほど私を支えてくれているか。昨年度はその存在の大きさを特に実感する1年だった。

この春から、任される仕事の内容が増えたり、子どもの進学があったりと忙しさは続いているが、昨年度は特に、日常生活において次から次へとやらなければいけないことがきて、本当に慌ただしい日々だった。内容は家事・育児・仕事、文字にするとたったこれだけなのに。
目の前にやってきた仕事に対して、感情に振り回されずに淡々と、しかしそれがより良くなるよう誠意をもって一所懸命行う。ヨーガで学んだ仕事に対する姿勢をもって一つ一つのことに向き合うようにしていても、許容量の少ない私は、時々糸が切れたかのように「もう無理!」と叫びだしたくなることが何度もあった。自分の不甲斐なさに涙が出ることもあった。
それはヨーガの実践にも及んだ。1日の終わりにはもうクタクタで、アーサナも瞑想もせずに気づいたら眠っていたという日も多かったし、何より神への思いを忘れてしまいそうになっている自分に失望したこともあった。
しかし、雑多な日常生活の大波にのみ込まれそうになるたび、ヨギさんが使者を送ってくださっているかのように、先輩グルバイとの交わりの機会が与えられた。
プレーマヨーガサークルの活動を通してだったり、御聖誕祭の祝辞を書くということだったり、様々な形で普段はなかなかお会いできないグルバイの皆さんとお話をする機会に恵まれた。
そこでいただいた言葉の数々、それらが私にとってはヨギさんからの叱咤激励のように感じられた。

ある時は、ミラバイさんが「もし神を忘れてしまったと思える時でも、神はあなたを忘れることはない」というヨギさんの言葉を教えてくださり、あまりにタイムリーな言葉に驚き、瞬時に涙腺が崩壊した。
ミラバイさんが教えてくだるキールタンもまた、忙しい日々の中でいつでもどこでも実践できることとして、私の生活には欠かせないものになっている。
初めて歌ったのは確か10年ほど前だったと思う。神の御名を唱える、そのシンプルな行為によって、彷徨っていた心があっという間に神のもとへと戻っていく。生活をまわすだけで精一杯な時、とにかくキールタンを歌うことでなんとかヨーガと繋がってきた。

また、NYのアーナンダマーリーさんからご連絡をいただいたこともあった。
御聖誕祭での祝辞に、NYやクロアチアのグルバイの方が共感してくださっているという内容だった。そのことを聞いて私の方が励まされた。何より、1年前はご挨拶するだけでもすごく緊張していた大好きなアーナンダマーリーさんとメールのやり取りをするだけで、神聖なバイブレーションが伝わってくるようだった。
週に1回行なっているプレーマヨーガサークルも、グルバイと交わる貴重な時間だ。お互いがそれぞれ忙しくなっても、この活動だけは大切にしている。
それはヨギさんが与えてくださった大きなプレゼントなのだと感じているから。

そう、グルバイの方々はそこから発せられる言葉はもちろん、その存在の中にヨギさんを見ることができるのだ。だからその在り方に触れることで、こちらを奮い立たせてくれたり、神聖なものへと思いを馳せるきっかけになったりと良い刺激を与えてくださるのだろう。それが、ヨーガを実践し続けていく大きな力になっている。

世間の大波の中にあっても、神だけを見て歩んでいけますように。
神への思いが溢れ出て止まらない、そんなグルバイの一人となれますように。

ニルマラー


アーサナの体得

「あなたがたは、しるしと奇跡を見なければ、信じないであろう」

これはイエスの言葉です。
『あるヨギの自叙伝』のいちばん最初のページにも、この言葉が引用されています。
では、「しるしと奇跡」とは一体何なのでしょうか?

先日、ニューヨークからサーディヤーという弟子が京都にやってきました。
サーディヤーは2011年に師シュリー・マハーヨーギーと出会い、ヨーガを始めてわずか5年でアーサナを習得したとても凄い方であります。
その彼女が先週の滞在時に、アーサナ・瞑想のデモンストレーションを行ないました。
15ほどのアーサナを実演しましたが、以下がその一部です。

彼女のアーサナは、私にとって衝撃そのものでした。
サーディヤーがアーサナを始めると、瞬く間にその空間は彼女のプラーナで支配されました。
強烈なアーサナにもかかわらず、彼女の呼吸は静止していました。
こちらが息をすることをおそれるほどの、すべてが極まったピークの状態!
その姿・形相は、革命家ジャンヌダルク、また女神カーリーを彷彿とさせました。

「すべてを捧げる」

印象に残ったサーディヤーの言葉です。彼女は「神」と「自分自身の成長」のみを求め、そして師と出会い、日々のアーサナにすべてを捧げたそうです。

このデモンストレーションの数時間前、プライベート・サットサンガが行なわれました。
その時サーディヤーは、「社会が修行者のことを知り、尊ぶにはどうしたらよいか」と質問をし、師は次のように説かれました。

「人はしるしを見なければ理解できないから、あらゆるしるしを見せよう。いちばんいいサインは、その一人づつの弟子の身体です」

それを聞いて私は、「しるしとは単に、イエスの奇跡的な行ないだと思っていた」と話すと、アーナンダマーリーさんは言いました。

「弟子がいちばんのミラクル(奇跡)!」

師のなさる「しるしと奇跡」を目の当たりにした啓示的な1日でした。

アーナンダマーリー&サーディヤー🌸

ゴパーラ


ヨーガの秘訣・東京編・・・身近な真実

現代社会は、仕事や家事、育児、介護など、本当に忙しい毎日をたくさんの人が送っています。そんな忙しい生活の中で、どのようにヨーガを実践していけばいいのか、と誰しも悩みます。毎日アーサナを実践すればいいことはわかるけれど、やりたくても気力が残っていない、瞑想しようと思っても疲れて眠ってしまう・・・多くの方が現実に直面し、共通の悩みを抱えています。

そんな激務の日々を東京で過ごしているサルヴァーニーが、日頃の仕事とヨーガの実践について寄稿してくれました。同じように日々忙しく過ごされている方に、何かヒントになるのではないかと思います。


私は会社員をしています。昨年秋に異動があって、別の部署で働くことになりました。異動先 の部署は仕事量が多く、スピードが早く、新しく覚える仕事も沢山あって、これまでよりも忙しく働いています。 仕事は、得意不得意/出来る出来ない/やりたいやりたくない/など私の状況に関係なく、様々な依頼が来ます。スケジュールが速いのでどこか停滞するとあっという間に別の仕事が遅れる という事態におちいるため、次々と片付けていかなければなりません。中には不得意な分野や、これまで経験したことがなく良く知らないからどう手をつけたらいいのかわからない仕事もあるのですが、皆忙しく、誰も手伝ってはくれません。ここでは来た仕事はなんとかして自力でやらなければいけないのだ、と異動して早々に認識しました。

知らないながらもとにかく手をつけてみると、一つずつ問題をクリアしていけば解決できたり、 調べれば答えが出てきたり、案外どうにかなるのだと思うこともあります。また自力で出来るところまでやれば、それ以上は周りの人が助けてくれることもあります。反対に出来ると思って確認を怠ったためにミスをして反省することもありました。 やりたくないと思うと手は止まり行動が遅くなるし、過信して気が抜けると失敗します。結局やらなければいけないので、やる前から色々思わずに目の前の仕事に取りかかるだけでいいのだ、やる前から色々思わないほうがスムーズに出来ると実感して、最近は何か思う前に行動する、を続けています。ひたすら集中という感じです。

こんな風に昨年末は特に忙しくしていました。その日にこなす仕事を考えながら出勤して、仕事して、明日にやるべき仕事を考えながら帰宅し、明日に備えて体を整えて寝るという生活でした。休み返上で仕事をしたり、休みの日もどこか仕事の段取りを考えていました。

そんなある日の帰り道、突然、なんだか、むなしいーーーーと叫びたい気持ちになりました。

出来なかった仕事が出来るようになることは嬉しいし、仕事の中で達成感を感じることもたまにはあるけれど、仕事は仕事です。本当のもの・真実との交わりがないと、移り変わるものの中で生きているのはむなしいだけだと思いました。仕事は仕事と割り切っているつもりだったけれど、異動してから新しい環境や仕事に慣れてこなすのに必死で、仕事だけになっていた、仕事以外の時間も引きずったり、仕事の疲れで寝て過ごしたりと切り離せていなかった、と立ち止まりました。だけど仕事の忙しさは変わらないどころかますます忙しくなる一方です。どうやったら仕事をしながら真実と交わることができるのだろう、と考えました。忙しいとはいえ、夜に家でくつろぐ時間はあります。それまでも夜に真実に心を向ける時間を持とうとしては来ました。だけど考えることが沢山あって、真実に心を向けようと思っても、 簡単にスイッチが切り替えられずに、上手くいきませんでした。違うところに向かっている心を力づくで真実の方へ向かわせようとしても全然気持ちがついていかず、無理にそうしようとすればするほど空回りです。だんだんと気持ちが向かう時だけそういう時間を持つという自分本位な状態になっていました。だけどこのままを続けていては本当にいけない、と思いました。一日のどこかの時間だけをどうにかしようとするからいけないのだ、もっと根本的に変えなければ、と思いました。日常を真実と結びつけるにはどうしたらいいのだろう、と心の深くで考え続けていました。

ある朝の通勤時間、なんだか疲れてしまって頭を働かせるのを止めて、胸の奥にただ意識をおいてみました。そうするとそこに確かな輝きを感じました。あーここに真実があった、と思いました。無理してどこかへ心を向けることはいらなくて、ただここにあるんだと、思いました。それからは、仕事中のひと息つく時や、トイレに行く時など、ちょっとした一瞬に、胸の奥の真実を確かめるようになりました。いつも確かなものを感じ、いつもここにある、と思いました。考え続けていた日常を真実と結びつけるということがどういうことか、これからも考え続けていきたいと思っていますが、今の私にとっては、いつも真実と共にあることを感じて生活することが、忙しい中で拠り所となっています。

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昨年夏、東京でのクラス後。後列左がサルヴァーニー。

サルヴァーニー
(内山弘子)