聖者と教え」カテゴリーアーカイブ

ヨーガとインド神話~シヴァ神

インドの神様といえば、「シヴァ神」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?

8月にこのブログで、聖典『デーヴィー・マハートミャ(女神の素晴らしさ)』に登場する女神ドゥルガー(カーリー)をご紹介しましたが、その夫がシヴァ神です。
シヴァは破壊と再生を司る神であり、ヒンドゥー教の三大神の一柱として、ヒンドゥー教の国々で現在でもとても人気があるそうです。

瞑想をするシヴァ神

シヴァ神はとても古い神で、そのルーツは暴風雨の神「ルドラ神」まで遡り、数千年の歴史の中でさまざまな地域の土着神や信仰が融合して、今日の「シヴァ神」として伝わっているようです。

実はヨーガの実践者にとっても、シヴァ神は非常に重要な存在です。
なぜなら、シヴァはヨーガを最初に人間に伝えた“ヨーガの祖”であることが、いくつかの聖典に記されているからです。
確かに、シヴァ神の絵には修行者の姿で坐し、半眼で瞑想している様子がよく描かれています。

パシュパティの印章(PashupaiSeal)。ヨーガ行者の姿をした人物を刻んだインダス文明の印章。シヴァにパシュパティという別名があることから、シヴァの原型と関連付けられることも…。

そのような古い歴史をもつシヴァ神には、体系化されていない数多くの神話が各地域に伝えられていて、その中にはシヴァから人間にヨーガが伝わった経緯に関する伝承もあるようです。
例えば、ある日、川のほとりでシヴァが妻パールヴァティーに深遠なヨーガの奥義を語っていたところ、一匹の魚が熱心にその教えを聴き取り、奥義を理解して人間の姿に変わり、最初の弟子マッチェーンドラナートとなってヨーガを広めたというお話や、シヴァがヨーガの奥義をまとめた聖典を作ったが、普通の人間には危険だと考えてそれを川に投げ捨てたところ、一匹の魚がその聖典を呑み込み、漁師がその魚を捕らえて魚の中から聖典を発見し、その聖典を学んでマッチェーンドラナートになったというお話など。これ以外にも諸説あるようです。面白いですね。
ヨーガのアーサナ(ポーズ)の中に「マッチェーンドラ・アーサナ(ねじるポーズ)」や「マッチャ・アーサナ(魚のポーズ)」があるのも、興味深いことだと思います。

左/マッチェーンドラ・アーサナ(東京・国分寺クラス) 右/マッチャ・アーサナ(東京・中野クラス)

私自身のシヴァの体験は、以前バクティ・サンガムでシヴァ神のキールタンを繰り返し歌った後、無性にシヴァに瞑想したくなり、そのまま瞑想に入りました。
そのとき感じたのは、山のように雄大などっしりとした不動の存在感。いつも瞑想していたクリシュナ神とはまったく異なる感触で、とても驚いたのを覚えています。

このブログ「ヨーガを生きる」でも、シヴァ神について何度も取り上げられています。ヨーガとシヴァ神の関わりが詳しく書かれていて、とても面白いので、ご興味のある方はぜひご覧ください。

シャルミニー


台湾グルバイの滞在報告🇹🇼

9月23日〜10月1日の8日間、3人の台湾グルバイ(仲間)が来日していました🪷

今回は私の自宅であるシャーンティ庵に滞在し、毎日朝は瞑想し、その後はヨーガクラスの参加や日本の弟子と交流するなどして、まさにヨーガ三昧の日々でした。 彼らが日本に来たのは、先輩弟子からマハーヨーギー・ミッションの活動やワークスを学ぶという目的があり、そこには大いなる真剣さがありました。

毎朝6:15〜7:15に瞑想。忙しい滞在だったにもかかわらず、不思議と眠くならなかったそうです😲

プレーマ・アーシュラマでアートワークを学びました🖼

月曜日のアーサナクラス。3人並んでのブリッジ。

土曜日のアーサナクラス。3人並んでの逆立ち。

土曜日の朝の瞑想クラス。松山のグルバイやちょうど台湾留学生シヨさんも参加されました。

早いもので、台湾のグルバイと交流が始まって11年が経ちましたが、いつも接していて思うのがハートの「純粋さ」です。
台湾の方たちは本当に素直で明るく、心温まる純朴さがあります。
私は今回、師シュリー・マハーヨーギーがおっしゃった「品(ひん)」についての言葉を思い出しました。

「品とは純粋さ。それはお金で買えないもの」

今回来られたエミリーさんマークさん夫妻、プリヤーさんはまさに「品」がありました。
エミリーさんは何気ない気遣いをよくしてくださり、慣れない台所で美味しい手料理を振る舞ってくださいました。いつも凛としていて、芯のある品やかな女性だと感じました。
夫のマークさんは、今回の滞在で「生きる目的」が明確になりました。瞑想クラスに参加して、「どう生きていきたいのか?」という問いに瞑想した時、「ヴィヴェーカーナンダのように大きなことはできないけれど、自分を世界に捧げたい」という思いが胸の奥から湧き、その時に彼は涙を流しながらその思いを語り、その場の参加者たちは彼の純粋さに胸を打たれました。
そして11年前の留学生時代から親交のあるプリヤーさんは、通訳中によく涙を流し、人の歓びを自分の歓びとして感じる素晴らしいハートの持ち主です。日本のお笑いやアニメ好きということもあり、普段の会話もとっても面白いです。

左からマークさん、エミリーさん、プリヤーさん、シャーンティマイーさん。マハーヨーギー・アーシュラマでは連日美味しい食事をいただいたそうです🍱

台湾のグルバイとは年々、友好関係が深まっていて、本当の兄弟姉妹のように感じています。
ヨーガの語源はユジュという「繋ぐ」ですが、ヨーガを通して、そしてヨーガを教えてくださるグルを通して、私たちは繋がっています。
主クリシュナはこのようにおっしゃっています。

「私は、すべての真珠を貫く糸である」

神を通して、たくさんの真珠と出会い、繋がっていくことは歓びです。
私ももっとヨーガを深め、純粋になっていきたいと感じた台湾グルバイとの交流でした😇🙏

バクティ・サンガム後に記念撮影。皆さん、良い表情です✨

※台湾のグルバイたちが日本に来始めた時の懐かしいブログを見つけました💡
マールラーさん(当時はエセーさん)が日本に来て感じられた内容が書かれています。
翻訳はプリヤーさん(当時はルーさん)です。
よろしければ、読んでみてください💁『MYMとの出会い』

ゴーパーラ


それだけがある

静岡で、長年ヨーガを実践されている森ひとみさん。
京都のクラスやサットサンガだけでなく、東京での特別クラスにも時々参加してくれています。

ひとみさんの自宅の近くにある海

クリシュナ神が大好きで、クリシュナ神のキールタンを嬉しそうに楽しそうに満面の笑みで歌われているのを見ると、こちらまで幸せな気分になります。

 

ひとみさんがヨーガに興味を持ったのは、2001年。当時勤めていた会社で心身の不調に陥り、退職した頃でした。気持ちを安定させる方法を模索していた中で、瞑想の存在を知りました。
これなら自分の心をコントロールできるかもしれないと、近所で開催されていたヨーガ教室に参加。そこにいた先生とクラス参加者の方々が自由に生きているように見えて、ヨーガを学べば自分も自由になれるかも、と通い始めました。

そのヨーガ教室の先生はいつも「自分の心の赴くままに生きていれば、何も問題はない」と言っていましたが、ある時、本当にそれが自由に生きるということなのか疑問を持ちました。その答えを知りたくて、『あるヨギの自叙伝』や『秘められたインド』を読み、真実を実現した存在、グルのことを初めて知りました。
「私もグルに会いたい!」
どうすればグルに会えるのか?インドに行けばいいのか?
調べるうちにMYMのHPに辿り着き、この日本でグルに会うことができると知ってとても嬉しくなったそうです。

そして2007年9月、ひとみさんは初めて師にお会いしました。
サットサンガでは真剣な質疑応答が繰り広げられ、時に笑いが起こり、会場は終始熱気に包まれていました。皆、師を一心に見つめていて、まるで師という花に蜜蜂がむらがっているように見えました。それはこれまで感じたことのない甘美な光景でした。
そのサットサンガの中で、いつも不安感があることについて師に質問しました。

師は「ヨーガを行うと無恐怖(むくふ)になります」と答えられました。初めて聞く言葉でしたが、ひとみさんはこの上なく安心しました。
「ヨギさん(師)のことをグルだと思っていいですか?」
「はい、いいですよ」
そう答えられた師の目元に涙がにじんでいて、そのお姿を見て、ずっと探していたグルにやっと会えたという気持ちになり、胸がいっぱいになりました。

その後はサットサンガに参加する度に背負っていた荷物を下ろしていくことができましたが、未来に対する漠然とした不安と死に対する恐怖は、なかなか消えませんでした。

「それだけがある」
ひとみさんが一番大切にしている教えです。
「それ」とは、神のこと。 

「すべては神である」ということをはっきりと感じているのに、不安や恐怖がこびりついているような感覚があり、その不安や恐怖がどこから来たのか、瞑想で辿っていったことがありました。 
瞑想の中で、その大元には「純粋な意識」と「私という意識」が存在していると感じました。

それからしばらくして、この私という存在がどこから来て、どうやって成り立っているのか、それを辿っていくように瞑想した時に、大好きなクリシュナが自分の命そのものであることと、生も死もクリシュナと共にあるのだということを実感。とてつもなく安心し、それからは死への恐怖が少しずつ薄らいでいきました。

 

ひとみさんは師が描かれた絵の一つ、『アーディーナート』を観ていると、「それだけがある」という教えそのものだと感じるそうです。

『アーディーナート』とクリシュナ神

絵の中の黒い神は師であり、クリシュナでもある。白いのは私という意識。

神の光は圧倒的。自分が囚われていることは取るに足らないこと。

神はあまりにも眩しいから、それに照らされたら光で真っ白になる。

「それだけがある」、絵に描かれている状態になりたい!

そう語るひとみさんからは熱い想いが溢れていて、私の中にも流れ込んでくるようでした。

ひとみさんの純粋な想いをもってすれば、必ずその境地に至れるはず。お話を伺ってそう思いました。

 

ハルシャニー  

 


『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ④

1893年5月31日、インドのボンベイから出港したヴィヴェーカーナンダは、コロンボ・シンガポール・広東・大阪・京都・東京などに途中寄港した後、横浜から太平洋を渡ってバンクーバーに到着し、そこから宗教会議の開催地であるシカゴへ汽車で向かいました。
7月終わりにシカゴに到着し、宗教会議について問い合わせをすると、開催が9月まで延期されたことや、然るべき団体からの信任状がなければ代表として認められず、また代表として登録するには遅すぎることを知らされます。なんと宗教会議を勧め、アメリカ行きを手配してくれたインドの誰一人として、宗教会議の詳細については問い合わせしておらず、会議の日時や参加条件について知らなかったのです。
思いもよらない状況に直面し、異国の地で頼れる人もいませんでしたが、ヴィヴェーカーナンダが信仰を失うことはありませんでした。なぜならインド放浪時代に優しい神の摂理が加護して下さらなかったことはなかったからです。
ヴィヴェーカーナンダはこの頃、友人に書いた手紙の中でこう述べていますーー「私は聖母マリアの息子の子供達の中にいる。主イエスがお助けくださるだろう」。

9月までシカゴに滞在する所持金のなかったヴィヴェーカーナンダは、生活費の安いボストンに移ります。汽車で移動する途中、裕福な婦人と出会い、客人として招かれました。婦人は極東からの珍客を友達に見せびらかしますが、その内の一人が宗教会議の代表選考委員会の議長の友人であり、ヴィヴェーカーナンダの類い稀なる博識を認め、議長にヴィヴェーカーナンダを紹介する手紙を書きます。その後シカゴに戻りますが、不幸にも代表者委員会の住所を忘れてしまいます。人々に道を尋ねながら、空腹と疲労で歩道に座り込んだ時、窓からその様子に気付いた婦人が食事と休息を与えます。なんと彼女は宗教会議の議長と友人であり、ヴィヴェーカーナンダを紹介して、ようやく参加が決まるのです。
度重なる困難が訪れましたが、手を差し伸べる人々と出会い、主の導きの確信を深めたヴィヴェーカーナンダは、その思し召しに値する道具にならんことを絶え間なく祈りました。

9月11日、宗教会議が開催されました。会場は7000人で埋め尽くされ、特定の宗派ではなくヴェーダの普遍宗教を代表したヴィヴェーカーナンダは、その華やかな衣、黄色のターバン、そして美しい容姿によって、壇上でも際立って人目を引きつけました。
31番目にスピーチをする順番でしたが、ヴィヴェーカーナンダは原稿を用意しておらず、大舞台での講演も初めてで緊張のあまり何度も順番を遅らせました。ついに順番が回ってきて演壇に上り、形式的な言葉をかなぐり捨てて、同胞としての素直な暖かさをもって語りかけました。

「様々な場所に源を持つ異なった川も、すべて海で溶け合って一つになる。主よ、同様に様々な性質によって人々が歩む異なった道も、曲がったり、まっすぐだったり、様々に見えながら、すべてあなたへと導かれる道なのです」

聴衆は深く心を動かされ、たちまち数千の人々が立ち上がって拍手が沸き起こりました。全ての聴衆がこの宗教の調和のメッセージを辛抱強く待っていたかのようでした。
インドの名もなき若き僧侶は、一晩にして著名人になりました。シカゴの街には等身大の肖像画が貼られ、新聞にスピーチが掲載されました。またインドの雑誌や新聞にもその活躍が紹介され、祖国の人々の心を誇りで満たしました。

誰一人知り合いがいない異国の地で、目的である宗教会議の参加の見通しが立たず、所持金も足りない八方塞がりの中で、ヴィヴェーカーナンダが頼れるものは本当に神だけだったと思います。その信仰を胸に行動し続ける中で導きがあり、宗教会議への参加が叶うことになりました。この信仰と行動力は、目的に向かって歩むときの理想的な姿を示してくださっていると思いました。ヴィヴェーカーナンダほどの大きな仕事や困難な状況ではなくても、あらゆる状況の中で模範にできるものだと思います。

引用・参考文献:『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯』

サルヴァーニー


夏休みブログ🍉🎐〜円空や鬼、ブッダのことばについて〜

残暑お見舞い申し上げます。
まだまだ暑い日が続きますね☀️
今回は夏休みシーズンということで、ちょっとラフでフリーな感じでブログを書いてみました🏖️🏄
少し長くなったのですが、お付き合いいただけたらと思います🙏

1年半ほど前になりますが、あべのハルカスで開催されていた円空展に行ってきました。
円空は生涯で民衆のために12万体の仏像を彫ったと伝えられている修行僧です。

飛騨千光寺に伝わる金剛力士像。まるで木からそのまま仏が現れたかのような姿です。寺の境内の立ち枯れた木から直にこの像を彫ったとか。

円空の特徴は大胆な荒彫りーー私は初めてその彫りをネットで目にした時、衝撃を受け、私の心にも深い印象を刻み込みました。
そこからというもの、円空に魅了された私は、その仏像が安置されている滋賀や岐阜のお寺に足を運びました。
その時のブログはこちら💁「ブラゴパーラvol.8」

この円空展では、たくさんの作品(円空仏)が展示されていました。
素朴な微笑みを浮かべる数々の円空仏を見ていると、円空が民衆のために12万体の仏像を彫ったという事実が心の中に浸透していきました。
円空のその偉大な行跡はもちろん知ってはいたのですが、実際に円空仏を見ていると、自然と頭が下がる思いになったのです。
ブログを1000書いたとしても円空には遠く及ばないし、アーサナを毎日12ポーズ×12年間やり続けても50000ポーズほどです。
数がいちばん大事ということではないですが、円空仏と対面することで、彼の行動がどれだけ驚異的なことであったのか、また神狂いであったのかと心の奥から感じ、謙虚な気持ちになりました。

そして円空展の目玉は「両面宿儺(りょうめんすくな)」でした。
『呪術廻戦』という人気漫画に登場し、有名になった鬼神です。


歴史上で両面宿儺は朝廷に叛逆した飛騨の豪族だと言われ、異形の鬼の姿で伝えられていますが、地元では武勇に優れた英雄的な人物だったそうです。
その両面宿儺の像を円空が飛騨高山の千光寺に滞在中に製作したようです。

ちょっと話は逸れますが最近、仕事で映画『鬼滅の刃』を観る機会があったのですが、鬼にもいろんな鬼がいて、それがきっかけで「鬼って何なのかな?」って考えることがありました。
それは王権側から見たら叛逆者であり、また人間の心が生み出す嫉妬や怒り、欲望、死への恐怖etcが鬼となって現れているのかな思ったのと、不平不満や嘘、暴言を口にすれば、鬼のように顔が赤くなりツノが生え、その場は修羅・地獄と化します👹
かのブッダは、「人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割く」と言って言葉の慎重さを説いていますし、また「時を空しく過した人は地獄に落ちて悲しむ」とおっしゃっています。
以下が、ブッダが私たちを苦しみから脱するように鼓舞した言葉になります。

起(た)てよ、座れ。眠って汝らになんの益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。
起(た)てよ、座れ。平安を得るために、ひたすらに修行せよ。汝らが怠惰でありその〔死王の〕力に服したことを死王が知って、汝らを迷わしめることなかれ。
神々も人間も、ものを欲しがり、執着にとらわれている。この執着を超えよ。わずかの時をも空しく過すことなかれ。時を空しく過した人は地獄に落ちて悲しむからである。
怠りは塵垢である。怠りに従って塵垢がつもる。つとめはげむことによって、また明知によって、自分にささった矢を抜け。

『ブッダのことば』 第二 小なる章 10、精励

とても力強い言葉です。怠惰になって地獄に落ちないように、瞑想の修行を怠らずに努め励むこと、それが心を平安にするためにすごく大事なことだと分かります。

あと、もし心が波立ったり荒れているな、怠惰になっているなと思ったら、円空仏などの仏像や聖なるシンボルを目にすることも大事なことだと感じています👀
目を通して、心は落ち着き、清涼になると思います👹⇨😊🏝️

ゴーパーラ


『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ③

1886年、最愛の師シュリー・ラーマクリシュナ御入滅の後、ナレンドラ(後のヴィヴェーカーナンダ)と数人の若い弟子たちは、ボラノゴルに家を借りて共同生活を行ないました。

ある時全員でボラノゴルを離れてアントプルの村で数日を過ごしました。ヒンドゥ教の習わしに従って焚き火を囲んで瞑想をしていた時、頭上には星が瞬き、静寂を破るのははじける薪の音だけでした。ナレンドラは突然目を開くと、師の如き情熱をもって、キリストの生涯を兄弟弟子に語り始めました。「枕する場所」がなかったキリストのように生きることを説き、熱意に燃える彼らは、神と聖なる火を証人として出家を誓いました。

ボラノゴルに戻ると、食事を忘れて、瞑想、礼拝、研究、信仰の歌に没頭しました。各自が2枚の腰布を持っていましたが、他に外出時に必要な着物は皆が交代で着ました。様々な国の歴史や哲学体系を共に学び、議論して、疑問が生じた時には、師の教えという光に照らすことで解決されていきました。

やがて彼らは、神への明け渡し、無執着、内なる沈着を身につけようと、杖と托鉢の椀以外は一切持たないサードゥの生活に焦がれ始めます。ナレンドラもまた、孤独の平安に浸ることを願っていました。他者に自分に頼らないこと教えると同時に、自分の内なる強さを試したいとも思いました。初期の放浪は、仲間に請われると戻らなくてはならなかったため一時的なものでしたが、ついに1890年、杖と椀だけを手にしたナレンドラは、名もなきものとして広大なインドに旅立ちました。

インドを遍歴する中で、ナレンドラはあらゆる人々と交わりました。統治者、地主、神職者、そしてそういった権力者の不徳な気まぐれの犠牲にされている大衆の惨状を知りました。インドの民衆が貧困を極めているのを目の当たりにして、人々の苦しみがナレンドラの繊細な心を痛めました。こうした状況にあって自分の義務とは何か?神と交流すべく隠遁すべきなのか?と何度も自問しました。しかし、その神は人間を通して現れることを確信し、神への奉仕はインドの人々をもって始めなければならないと感じていました。

ボラノゴルから始まり雪を頂いたヒマラヤを経て、インド最南端に至る旅の終わりにコモリン岬に辿り着いたナレンドラは、鮫が生息する海を泳いで小島に渡ると、岩の上に座りました。自分の目で見てきたことを思い出し、自分の義務を自問しました。苦行と自己抑制によって、偉大な霊性の力が蓄えられ、心は東洋と西洋の智慧に溢れていました。今こそこうした力のすべてを人の内なる神への奉仕のために使わねばならない、と結論しました。

しかしどのようになされるべきなのか? 岩の上で一人沈黙の思いに沈んでいたナレンドラにヴィジョンが示されます。それはアメリカの新大陸でした。人々の心が階級という重荷から自由な国、限りない可能性に恵まれた国。感受性の高いアメリカ人に、インド古代の智慧を授け、それと引き換えに科学技術の知識を母国に持ち帰ろう。アメリカでの伝道に成功すれば、インドの国威を西洋に高めるばかりでなく、自国の人々にも新しい自信が養われるだろう、と思いました。

来たるシカゴ宗教会議でインドを代表するように友人から熱心な要請を受けたことを思い出し、渡米を決めます。ボンベイからアメリカへ向けて出港したのは1893年、ヴィヴェーカーナンダは29歳でした。

ヴィヴェーカーナンダが遍歴した路(みち)を辿ってみたいと思い、イラストに描きました。遍歴を通じてインドの現状を目の当たりにし、あらゆる人々と交わることで、ヴィヴェーカーナンダの心はインドと一つになったのだと感じました。インドの苦しみは彼自身の苦しみとなり、この後人々への救済と奉仕に人生を捧げられたのだと思います。

サルヴァーニー


ガンディーからキング牧師へと引き継がれた非暴力の精神

キング牧師は、1950~60年代、人種差別が色濃く残るアメリカにおいて、非暴力主義による公民権運動を行い、公民権法成立へと導いた人です。

1963年ワシントン行進の際に演説を行うキング牧師 写真中央

私は夢を持っています。それは私の四人の小さな子供たちが皮膚の色によってではなく、人格の中身によって評価される国にすむことができるようになるだろうという夢です。
(マーティン・ルーサー・キング自伝 日本基督教団出版局 271ページ)

キング牧師の「I Have a Dream」の演説を聞くと、感動して胸が熱くなります。
その言葉は慈愛にあふれています。

キング牧師はインド独立の父、マハトマ・ガンディーのサティヤーグラハ(真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力)にインスパイヤされ、政治活動を行いました。そして、1959年にはインドに一カ月滞在し、主要な都市や、ガンディーが活動した地を巡りました。慰霊碑に花を手向け、塩の行進の出発点を訪れ、ガンディーの精神に触れる旅となりました。ガンディーへの尊敬の思いをこのように述べています。

彼(ガンディー)は生存中にエゴ(意識的自我)とイド(本能的自我)の間の深淵に架橋をなしとげていた。ガンディーは驚くべき自己批判能力を持っていた。(中略)
ガンディーは必要な時にはいつでも自己批判をした。間違いを犯した時にはいつでも、公の場で告白した。
(マーティン・ルーサー・キング自伝 日本基督教団出版局 154ページ)

私は、ガンディーの自伝を読んだ時、ガンディーが少年時代、自分が犯してしまった罪を父親に告白し、それを涙ながらに父親が赦し、人を赦す愛を教えられたエピソードにとても感動したことを思い出しました。

そして、私がキング牧師のインド滞在の記録の中で最も驚き、感動したことは、インド最南端の聖地、コモリン岬を訪れた時のエピソードです。キング牧師は、太陽が海に沈み、月が昇る美しい光景を見て、このように述べています。

太陽が完全に視界から去る時、暗闇が大地を飲み込んでしまう。だがその時東にはのぼってくる月の光が最高度に輝いていたのである。私はこれは世界中で最も美しい場所の一つだと言った(中略)
神はあらゆる暗闇を通してかがやくことができる光を、持っておられるのである。われわれには昼間の光が消えて暗い、寂しい真夜中に取り残されてしまうような経験――つまりわれわれの最高の希望が絶望の修羅場にかわるような、あるいは自分が悲劇的な不正義とか恐るべき搾取の犠牲者になるような経験がある。このような時にはわれわれの精神は、憂鬱さとか絶望感に覆われてしまい、どこにも光はないと感じてしまう。だがいつでもわれわれが東をみるならば、そこには暗闇の中に輝く一つの光があることに、気がつくのである。そして「挫折の槍」は「光の矢」に変わるのである。
(マーティン・ルーサー・キング自伝 日本基督教団出版局 153~154ページ)

コモリン岬はスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(スワーミージー)がアメリカへ行くヴィジョンを授かった聖なる場所です。ガンディーはスワーミージーの「ラージャ・ヨーガ」を読み、導きを受けていたそうです。スワーミージーがインドの人々の救済を誓ったコモリン岬で、キング牧師が人種差別撤回への誓いを立てたことは、二人の間に見えない繋がりがあったと感じます。私は、「真理は、時代や場所を超えて伝わる」と思いました。

私もキング牧師が夢見たように、人々が差別や争いをせず、心穏やかに暮らす世界を願っています。そのために、万人に平等に在る真我を実現するヨーガの教えを十分に理解し、次の世代へとそれを伝えていきたいと強く思います。その誓いを実現するため、日々精進してまいります。

レン


春の祝祭レポート:ヴィヴェーカーナンダに出会った日

4月6日 第8回サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー 神性示現大祭に参加しました!今年は、インドの聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの魂に迫っていく祝祭でした。
春の暖かな日差しがあふれる京都アスニーの会場には、等身大のヴィヴェーカーナンダのパネルが祭壇の横に設置されました。私は「ヴィヴェーカーナンダが会場に来ている!」と感じました。


祝祭はプージャーから始まり、讃歌、祝辞、ショートメッセージ、映像の上映、聖劇などが奉納されました。第一部「師シュリー・ラーマクリシュナの導き」、第二部「衝動と覚悟」、第三部「サナータナ・ダルマの布教、そして後世へ」で進行しました。
台湾やニューヨークの兄弟弟子たちもオンラインで参加し、国を越えて心をひとつにして、皆でヴィヴェーカーナンダの生き様に触れ、その言葉に鼓舞されて、新たな一歩を踏み出せた一日でした。


祝祭の中で私は何度も感動しましたが、今も印象に残っているのは、ヴィヴェーカーナンダが「とても忙しく働き、すべてを人のために捧げていたこと」です。ヴィヴェーカーナンダの西洋での活動をまとめた映像が紹介されました。その中で、彼がアメリカ滞在中に講演を行なった数十カ所の都市を、地図上にマークしたシーンがありました。私はそれを見た時、ヴィヴェーカーナンダは寝る間もないほど忙しかっただろうなと気付きました。アメリカという異国の地で、様々な不自由もある中で、人々に真理を語り続けたこと。その裏には、辛抱強さや優しさがあったと思います。私は、仕事で悩んだとき、彼の講演の一部がまとめられた『カルマ・ヨーガ』にいつも勇気づけられています。この本の中で、「すべてを人のために捧げて働きなさい」と教えられていますが、ヴィヴェーカーナンダご自身が、本当にそのように働かれていたのだなと思いました。深く心を打たれ、この本がますます大切な一冊になりました。
そして何より、印象に残ったのは、祝祭のさまざまな場面で紹介された、ヴィヴェーカーナンダの力強い言葉の数々です。その中でも、ショート・メッセージの方が引用されていた次の言葉は特に私の心に深く響きました。

「弱さの治療薬とは、弱さについて考えることではなく、強さについて考えることだ。人には強さについて教えよ。それは既にわれわれの中にあるのだ。信じること、信じること、自分自身を信じること、神を信じること――これが偉大さの秘訣だ。……自分自身を信じ、自分自身への信仰に立脚して、強くあれ」

(『立ち上がれ目覚めよ – スワーミー・ヴィヴェーカーナンダのメッセージ』 15~16ページ)

この言葉は、私の内側に静かに突き刺さりました。これまで私は、自分に対してどれだけ信頼を持っていたのだろう。ヨーガを学び、「真理を求めている!」と言いながらも、どこかで言い訳を作って諦めていたのではないかと思いました。しかし、同時に、前向きな考えも浮かびました。「日々の行ないを正し、精進することで、自分自身をもっともっと信じることができる。強くなれる。自分自身の中にもきっと真理はあるはずだ!」と強く思えたのです。

祝祭の三部、「サナータナ・ダルマの布教、そして後世へ」の中で、とても力強く祝辞を述べるグルバイの言葉がありました。「今、失敗や成功だとしても、その判断さえも間違っているかもしれません。私が失敗しても、次の人がその失敗を学びとして、それでうまくいけば、それで成功です。一人ではただの失敗や不可能なことでも、みんなで力を合わせれば、目標に到達できる」「スワミジー(ヴィヴェーカーナンダ)からの仕事が今も進行中で、私たちは今も仕事をしています。彼からのバトンを受け取り、走っている最中です」とおっしゃっていました。その姿はまるでヴィヴェーカーナンダのようでした。私も、「まだヨーガを始めたばかりで、人に伝えるなんてできません」と言い訳せず、「自分も学んでいることを還元できるようにしていきたい!」と思いました。

今回の祝祭では、ヴィヴェーカーナンダの言葉に何度も勇気づけられました。なぜ彼はこれほどまでに人々を鼓舞し続けたのだろう、その原動力はどこにあったのだろうかと疑問に感じました。その疑問に対する答えを、司会者の方が教えてくださいました。それは、師シュリー・ラーマクリシュナの恩寵だということです。
恵まれたことに、私達にも尊敬する師シュリー・マハーヨーギーがいます。この春の祝祭を考案されたのは師です。師に教えていただいたヨーガをしっかりと体得し、できる限り多くの方々に伝えていきたいと思います。そのために、これからも精進してまいります。

聖劇では金森さんがヴィヴェーカーナンダを力強く演じられていました。「放棄せよ!放棄せよ!--あなた方は自由である!自由である!自由である!」という言葉は私の中に今も響いています。祝祭後にその金森さんと撮った一枚の写真は、私にとって大切な一生の思い出です。

レン


『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ②

4月6日に開催された春の祝祭は、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの魂に迫っていく内容でした。ヴィヴェーカーナンダの力強い言葉、人類の救済に全てを捧げた生き様は、兄弟弟子や大勢のヴィヴェーカーナンダの元に集った人々を真理へと導きました。そしてその導きと恩寵は、今も私たちにも注がれていることを感じました。ヴィヴェーカーナンダの衝動によって魂が奮起するような、祝福に満ちた会でした。

さて前回から始まった『ヴィヴェーカーナンダの生涯』イラストシリーズ。
大学生になったナレンドラ(後のヴィヴェーカーナンダ)は、ブラフモ・サマージという社会運動及び宗教運動組織に参加していました。しばらくの間その祈祷会や信仰の歌に心の高揚を感じたものの、霊性の実体験を伴っていないことに気がつきました。そして「神を見た人のもとで教えを乞いたい」という抑えがたい欲求を感じ、その切望のもと、1881年11月、師ラーマクリシュナに出会いました。

ラーマクリシュナから見て、身なりや外見に無頓着なナレンドラは、一緒に寺院を訪れた他の若者たちとはまったく違っていました。いくぶん内に向いた目が印象的で、瞑想的な雰囲気を醸し出していました。ナレンドラは師に尋ねました。

「師よ、神をご覧になったことはありますか?」
師は間髪入れずに答えられました。
「ああ、あるとも。私はここでお前を見ているように神を見るのだよ。しかももっとはっきりと見るのだ」
ナレンドラは、初めて神を見たと言いきる人に対面して驚愕しました。

五年間にわたって師と間近に接したナレンドラは、決して盲信に影響されることなく、常にラーマクリシュナの言動を厳しい理性の試験にかけました。近代精神の象徴の如く、知識欲旺盛で、機敏で、知的な純粋さを持つナレンドラは、どんな結論も合理的な証明なくしては受け入れませんでした。しかし、師がナレンドラに理性を捨てるように求めたことは一度もありませんでした。ナレンドラの理性が究極の神秘を解き明かせなかった時には、師が弟子に必要な洞察力を授けられました。こうして師は限りない忍耐と愛、そして慎重さを持ってナレンドラの反抗的精神をなだめ、霊性の修行へと導かれました。

ヴィヴェーカーナンダが肉体を離れる2年前に、弟子に宛てた手紙にこのように書かれています。

「結局私はドッキネッショルのバンヤンの樹の下でラーマクリシュナの素晴らしい言葉に耳を傾けて心を奪われていた少年に過ぎないのです。それが私の本性なのです。善をなすことなどはすべて付け足しです。今再び師の声を、私の魂を感動で震わせたあの懐かしい声を聞くのです」

『スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯』より

最愛の師の下で、仲間と修行に励んだかけがえのない日々。美しいドッキネッショル寺院、ガンジス川、バンヤンの樹。後に西洋へ渡り、世界中に真理を広めたヴィヴェーカーナンダの胸の内にはいつもこの情景があり、力の源となっていたのではないかと思います。

サルヴァーニー

 


春の祝祭を終えて

春の祝祭2025昨日開催された春の祝祭「サナータナ・ダルマ アヴァターラー メーラー―神性示現大祭―」は、日本各地より、またオンラインではニューヨーク・台湾の仲間たちも集い、盛会のうちに終えることができました。

数々のメッセージ、聖劇や映像など、すべてのコンテンツを通して、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの息吹、偉大なハートに触れることができました。人類の救済へと立ち上がり、師シュリー・ラーマクリシュナと一体となって世界を駆け巡った彼の精神の迸り、勇敢なる力強い生き様と言葉に、私たちは落雷に打たれたような大きな衝撃、感動を受けました。

彼が成し得たことを思えば、ただただ圧倒されます。しかし、そこで止まってはいけない。この祝祭は私たちの内面と行動を革新させるべく、一人一人に大事な問いを残したのではないでしょうか。

彼の生き様に少しでも倣い、現代、これからの未来に向かって、私たちはどのように具体的な行為として踏み出していくことができるのか――。
高い理想を掲げ、自らの使命に覚醒するために、どれほどまでに悩み葛藤し、渇望できるのか――。

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ


目覚めよ! 起きよ!

大胆なれ! 真理に立ち向かえ!
真理と一つになれ!

――スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ
(当日のプラサードのカードの言葉より)

当日の報告、感想を改めてこのブログでも掲載します。また詳しい模様は、マハーヨーギー・ミッションの会員サイトWeb版「パラマハンサ」にて配信予定です(4/30)。

 

桜 プレーま

プレーマ・アーシュラマ周辺の桜も満開を迎えました

マハーヨーギー・ミッション