『あるヨギの自叙伝』を読んで(7)ーーヴィヴェーカーナンダのシッディ

突然ですが、皆さんは「シッディ」という言葉を聞いたことがありますか?
シッディとは、ヨーガ修練の副産物として現れる成果で、「超自然力」のことです。
四章から成る『ヨーガ・スートラ』の第三章にはシッディの章が設けられ、ヨーギーたちが発見・感得してきたシッディの数々が記されています。
しかし、『ヨーガ・スートラ』の冒頭の文句にあるように、ヨーガの真の目的は「心の作用を止滅させ、本来の自己(神)に留まること」です。
『あるヨギの自叙伝』では「シッディとは、神の探求の途上に咲く路傍の花にすぎない」と述べていて、このシッディの超自然力を得て傲慢になり、過ちを犯した修行者のことにも触れています。
この『あるヨギの自叙伝』には、そういう間違ったシッディの使い方を教訓として示している一方で、聖者の無為自然なシッディの奇跡の数々も紹介されています。
病気治癒、肉体分離、空中浮遊、透視能力、未来の予言などなど、まさにシッディのオンパレードなんですね!
「これって、本当ですか……」というようなシッディのエピソードと、まるで好奇心旺盛な少年が物語を楽しく話すようなヨーガーナンダの軽快な文章とが相まって、とても魅力に溢れた聖典となっていると感じます。

そして私は今回、『あるヨギの自叙伝』を読み返す中で特に印象に残ったのは、「ヴィヴェーカーナンダのシッディ」のエピソードです。
以下、その内容を要約した形でご紹介させていただきます。

1893年、シカゴで第一回世界宗教会議が開催され、ヴィヴェーカーナンダはヒンドゥ教代表で講演をし、連日にわたって大反響を呼んでいました。
ちょうどその頃、17歳のディキンソンというアメリカ人の青年が、母とシカゴの大通りを歩いていました。
すると突如、「まばゆい光」が見えます。
そして、その二、三歩前をゆっくりした足取りで歩いて大公会堂に入っていくヴィヴェーカーナンダを見て彼は叫びます、「お母さん! あの人は、僕が溺れそうになったとき、幻に現れた人です!」
ディキンソンは5歳の時、池で溺れて死にそうになった時、まばゆい光の中で優しい微笑をした男性が助けてくれたヴィジョンを見ていました。
それがヴィヴェーカーナンダだと直観したディキンソンは大公会堂に入り、ヴィヴェーカーナンダの魂を震わす講演を聴きます。
講演後、彼は面会を求め近づくと、ヴィヴェーカーナンダはまるで昔からの友達のように微笑み、なんと驚くことに「やあ、水の中から出られてよかったね!」と言います。
そして「私の師であると名乗ってほしい」というディキンソンの心の声を読み取って、ヴィヴェーカーナンダは美しい射るような眼差しで次の予言を言います、「あなたの先生は、あとで来ます。その人は、あなたに銀のコップをくれるでしょう」
その後ディキンソンは、ヴィヴェーカーナンダに会うことがなく、また師と出会うこともなく、長い歳月が過ぎていきました。
しかし1925年のある夜、ディキンソンは、神に「どうぞ師をあたえたまえ」と熱心に祈り、その夜眠りに就いた時に天使のヴィジョンと神々しい音楽を聴く恩恵を得て、そしてその翌晩にロスアンゼルスで生涯の師となるヨーガーナンダと出会います。
ただ、その師であるヨーガーナンダから銀のコップが渡されることもなく11年の月日が流れ、その間ディキンソンもヴィヴェーカーナンダの予言を時々思い出すも、次第にあの言葉は何かの比喩に過ぎなかったと言い聞かせるようになっていきました。

しかし、予言の日はやってきます。
1936年の聖なるクリスマスの日、インドからアメリカに再び戻ったヨーガーナンダは、ロスアンゼルスでアメリカの弟子一人一人にお土産のプレゼントを渡していきます。
「これはきっとディキンソン氏が気に入るに違いない」と、そうヨーガーナンダは思って買った包みを彼に渡し、そしてディキンソンは包みのリボンを解いて叫んだそうです、
「銀のコップだ!」
この時、彼は人生で三度目のまばゆい光を見たのでした。

シカゴでのヴィヴェーカーナンダの予言から43年後の奇跡のこのストーリーを読み、私は思わず「う〜ん!!」と唸ってしまいました。
また同時に、「あなたに銀のコップをくれるでしょう」と言ったヴィヴェーカーナンダの無為自然なユーモアというか遊び心というか、本当にシッディを他者の歓びのために有益に使っている、最高にサプライズなクリスマス・プレゼントだと感嘆しました。

ヴィヴェーカーナンダは師であるシュリー・ラーマクリシュナに出会って修行を始めた頃、師から「将来、霊性の師として働く時は、役に立つだろう」と言われシッディを授かる機会がありましたが、次のように答えます。

「まず神を悟らせてください。そうすれば、超自然力が必要か否か、おそらく分かることでしょう。今そうした力を頂いたなら、神を忘れて利己的に利用してしまって、自滅するかもしれません」

そしてその後、ヴィヴェーカーナンダは悟り、またシッディの力を持っていたことは、『あるヨギの自叙伝』の「銀のコップ」のエピソードを読むと明らかです。

シュリー・ラーマクリシュナは晩年、ヴィヴェーカーナンダを傍らに呼び寄せて、じっと彼に視線を注いだまま、深い瞑想にお入りになり、その後泣きながら次の言葉をお話になられたそうです。

「今日、私は自分が持つすべてをお前に与えた。私は一介のファキール、無一物の乞食にすぎない。お前に授けた力によって、お前は世界で偉業を成し遂げるだろう」

このシュリー・ラーマクリシュナのお言葉がすべてだと思います。
悟りもシッディも、師のすべてがヴィヴェーカーナンダに引き継がれています!!!

2月18日は偉大なる覚者シュリー・ラーマクリシュナの御聖誕日です。
2月はもう1回、『あるヨギの自叙伝』からシュリー・ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダに関連する記事を書きたいと思っています😄📝

 

ゴーパーラ


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