最近のオシゴト

南相馬にやって来て約1年半、経験した事や感じたことを綴っています。

私にとって、ここはもう支援の場所ではなく、生活の場になりました。京都が南相馬に変わった、それだけです。ただ、ここでしか経験できないことはたくさんあります。その一つは、今任されている仕事です。今日はそのことについて少し書きたいと思います。

この地域の病院は、どうすれば生き残れるか、それを必死に模索しています。

あの原発事故以来、多くの人が避難したきり戻らず、職員の数も激減しました。都会でも看護師不足は深刻で閉鎖する病棟もありますが、それでも都会はまだ入って来る看護師が期待できます。でも、ここでは今後職員が増えることはありません。今いる人だけで何とかやっていくしかない。しかし、職員自身も高齢化しており、定年間近の人も多く、今の体制も徐々に保てなくなっていくはずです。

私の病棟を例に挙げると、今いる看護師は14人、3年後には6人に減ります。6人のうち、支援看護師や夫の転勤で来た期間限定で働く看護師を除くと、3人になります。3人で50人の患者さんを看ることは不可能ですから、今後病院は縮小したり、形態を変えてやっていくことになります。

そのために私が今取り組んでいるのは業務改善で、その中でも看護記録時間の短縮を図るために記録用紙を作り変えることです。田舎の病院というのは、色々な面で古いやり方をずーっと続けているところが多い。人の出入りが激しい都会の病院とは違い、この病院の看護師はほとんどが定年までの40年間をここで勤めます。働く人も同じだし、多少手間がかかっても、みんななんとなく面倒だと思っていても、自分たちが慣れたやり方の方が安心だしやりやすい。病院間の競争もほとんどない。だから、業務改善があまり行われず、時間も労力も無駄が多いのです。

そこで私は、看護記録用紙をもっと効率的なものにすることを看護師長に提案しました。でも、最初は師長にも主任にも無理だと言われました。それでも、今後業務改善は必ず必要になることを伝え、師長と話し合いました。そうすると、一度見本を作ってみましょうということになり、よそから来た看護師さん2人にも助言をもらいながら、高齢の看護師さんでも抵抗なく書けるような工夫をして、記録用紙の見本を作って見せました。今は看護部長(看護部のトップです)の許可も得て、師長と話し合いながら、さらにうちの病棟に合ったものへと作り変えています。

こうして新しいことに自主的に取り組んだり、ありきたりの方法に捉われず創作していくのって、とても楽しいですね!これまで私にとって業務改善というのは、上司から言われてやることでした。正直、あんまり興味がなかった。ただただ受け身だったんですね。自分のことを大きな組織の末端にいる一員としか思っていなかった。確かに、出来上がった組織の効率化された業務は、素晴らしい。ここは田舎の小さな病院で医療や看護も遅れている。でも、まだ形になっていないこの病院だからこそ、みんなで作り上げていく楽しさを、今私は味わえているのかなあと思います。

ただ、こういうことを、来てすぐの私がやっても、周りの反発しか受けなかっただろうなと思います。いくら正しいといわれていることでも、それが人に受け入れられるとは限らない。やっぱり人間って感情の生き物なんですね。このことは、震災後石巻に支援に行った時に自分自身の経験からも、そして同じ団体で活動した仲間の経験からも学んだことでした。でも、一年半経って、ただ言われるままに働いてきただけだったけれど、少しは周りにも信用してもらえるようになったのかなあと思います。

残念ながら、作成中の記録用紙は守秘義務のためお見せできないですけど、代わりにといっては何ですが、最後に私の働く姿をよかったら見てください。

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私のいる病棟の詰所です。この日は夜勤。看護師一人と助手さん二人の体制です。

薬
朝5時。仮眠の後、仕事再開です。いつになく真剣です。薬を扱っているので間違ってはいけないのです。この後配薬、検温、採血などなど盛りだくさんの業務をこなします。まだまだ帰れません…。

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笑っている場合ではないのですよ‼さっさとしましょう。

 ユクティー


ブッダの言葉

こんにちは、サティヤーです。

2つ前の記事にアップされているブッダの聖劇、みなさんご覧になりましたか〜?!

実は私、2回とも聖劇に参加しています。一度目は亡くなった子供の亡骸をずっと抱きしめているキサゴータミーの役、二度目は妊婦の役、どちらもお母さん役です。

前回の瞑想専科では、「Story of Buddha」を鑑賞し、その中で印象に残った場面や、ブッダの言葉に瞑想をしました。久しぶりに鑑賞し、懐かしいなぁ〜(みんな若いな 😯 ……)と思いながら見ていたのですが、最後のキサゴータミーの場面、彼女の中で起こった心の変化について、この瞑想専科に通うことで分かることがありました。

キサゴータミーはやっと授かった子供が亡くなってしまい、そのことを受け入れることができず、ずっと亡骸を抱きしめながらあやし続けます。どこかではもう無理かもしれないと思う気持ちはあるのですが、きっとそれを受け入れ自分の気持ちを直視できずにいるうちに、何が現実で、何が幻想かが分からなくなってきたのだと思います。しかし、時間が経つにつれ、その矛盾は大きくなり、ついには発狂し、狂ったように「誰かこの子を生き返らせてー!!」と叫びながら町を走ります。

そこで、聖者ブッダに出会うのです。ブッダは言います。

「若いお母さん、今までに死人を出したことのない家からケシ粒をもらってきなさい。そうすれば、私がその子を生き返らせてあげましょう」

キサゴータミーは全速力で走ってありとあらゆる家に入り、ケシ粒を求めたと思います。だって、「生き返らせてくれる」そんな言葉は初めて聞いたはずです。だからこそ、何とか見つけようと、必死で求めました。

ケシ粒というのは、インドで日常的に良く使う香辛料ですので、持っていない家を探す方が難しいかもしれません。ですので、ケシ粒はすぐに見つかります。でももう一つの条件、「死人を出したことのない家」というのが、どうしても見つからないのです。どの家に行っても、「あー去年に父親が死んだ」とか「そういえば何年か前におじいさんが亡くなった」とか、もしかしたら同じように子供を失ったという家もあったと思います。自分の子供の命を生き返らせること、そのことだけで心の中がいっぱいいっぱいになっていたキサゴータミー、しかし、家を訪ねていくうちに、少しずつ落ち着きを取り戻し、自分の状況が客観視されていったのではないでしょうか。

苦 苦しみを正しく見つめる。

8月の瞑想専科で習った瞑想方法の一つ、心の仕組みを知る瞑想法には、まず、自分の心を客観的に、何の判断もせずに見る「止観」ということから始めると習いました。家々を訪ね歩く中でキサゴータミーはその状態になっていたのだと思います。

集 原因を見極める

自分の心を客観視し、現状をみたところで、きっとキサゴータミーは思ったのです。「死んだのは、私の子供だけではない。ありとあらゆる人が死んでいる。生まれたものはみんな死ぬのだ。それはどうしようもないことだ」心が動揺し、動揺の渦中にあるときには、「それでも私の子供だけは死んで欲しくない!」と受け入れられなかったはずです。心を外側からただ見ることができたときに、どうしようもない状況に対して右往左往していることが見えたのだと思います。

滅 原因を根こそぎ取る

キサゴータミーの場合は、何に動揺しているのか、その原因に気付いた後すぐに「気付き」へと心は変容していきます。亡骸の中にはもう何もない、そう認められたとき、きっと心は解放され、苦しみが取り除かれたと思います。その証拠に、今まで離すことができなかった亡骸をブッタの前でそっと置くことができたのです。

道 無執着、自由な行動や生活

ブッダ「私から見たら、その子もあなた自身も不滅の存在です。悟りとはその真理を求め実現することです」

それを聞いたキサゴータミーは、亡骸を抱き続けるという人生から、本来人として生きるべき道を教わり、ブッタ自身の境地へ導く道に入ることを決心します。

あのお芝居ではほんの何秒かの出来事ですが、キサゴータミーの心の中では「苦・集・滅・道」にそって瞑想が行われ識別された結果、人生が180度変わったのだと思います。だれの言葉も届かなかったキサゴータミーの心に、ブッダの言葉は入り込み、瞑想へと導き、彼女は心を超えた気付きによって問題を解決した。ブッダはそのような状態を引き起こし、誰も救うことができないような状況から一人の人を救ったのです。

キサゴタミーの心境は、他人事ではありません。状況はいろいろですが、何かに執われ、周りが見えなくなってしまうことは誰にでもあることです。キサゴタミーがブッダの存在や言葉によってそれを解決したように、私たちも同じことができると思います。ブッダは2500年前の聖者ですが、その存在と言葉は永遠だと思います。

最後の場面では、ブッダが教えた「苦・集・滅・道」が行われていたとは!演技をしているときには正直そこまでの理解はなかったです。(ごめんなさ-い 🙄 !)何度見ても、新たな発見がある「Story of Buddha」こんな作品がこれからも作れたらいいな〜と思いました。

ちなみに、脚本家であり、瞑想専科の先生であるサナータナさん、これであっていますか〜!


波を静めて海を見る

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こんにちは! ミラバイです。
私、最近とても久しぶりに、大きく心が動揺しました(笑)。えー、ヨーガって心の波を静めるんじゃないの〜という声が今にも聞こえてきそうですが 😎 、いやいや、修行途上の身、正直なところ揺れ動くこともまだまだあるんです……。
振り返ってみると原因はなんてことない、本当につまらないことだなぁ〜と思うし、今となってはもうどちらでもいいことで、自分の中に原因があるということも分かるのですが、その時、心をフルに動かして思ったことは、「あー、しんど」(私、関西人)
つまり、心を動かす、心にいろんな思いをもつってことは、本当に疲れる!ということ。身も心も疲労するし、そのためにか食事もわんさか食べてしまったりもします。

ヨーガを始めた頃は、自分がどれだけ変化しているのか、また続けている中で自分が本当に成長しているのかと疑問に思ったり、自信がなくなったりすることもありますが、時間が経ってから振り返ってみると、自分が気付かないだけで、ものすごく変わっているということに後々から気付かされます。また、そういった変化に気付くというのは、本人がいちばん最後なのかもしれません。

心がそのように動いて、「あぁ〜、そういえば昔は毎日こんな感じだったなぁ」と思い出しました。あれやこれや、いらないことや、考えても仕方のないことばっかりずっと考えて、くたくたになって、いっときも心が安まることがなかった。そして今まで自分が心を大きく動かして、これが喜びだと思っていたことが、本当は喜びではなかったこと、そしてそれらを手放した時に本当の歓びを味わい始めたということ。何にも執らわれないということがいちばん楽ちんで、自由で、幸せ‒‒‒‒それは苦しみという反動がやってこないから‒‒‒‒そういうことを実感してきました。それを思うと、今はヨーガのおかげで、本当に軽やかになったなぁと感謝しています。

変化し続けてやまない波のような自分の心や周りの状況、この世界に巻き込まれず、それをしっかりと静めて、変わらない本質‒‒‒‒海だけを見つめられるようになりたい。そして、いつも穏やかで大らかで、かつ愛と力に充ち満ちた心でありたいなぁ〜と改めて思ったのでした。

追伸:おかげさまで次の日には復活しました! これもヨーガの力なり〜!

 

 


野外演劇「永遠のブッダ」公開!

またまた、マーダヴィーです〜。

本日8月25日、京都の吉祥院天満宮では古くから伝わる六斎念仏という法会があるそうです♪そして25日と言えば天神さんの日ですね!北野天満宮近くにお住まいの方は行ってきましたか〜?

さてさて、今年の4月6日に大阪市天王寺区にある西照寺で行なった野外演劇「永遠のブッダ」の映像を公開しました!

毎年4月の第一日曜日に、大阪・一心寺周辺では「なにわ人形芝居フェスティバル」が開催されています。私たちは2011年に初めて参加させて頂いて、今回が2回目の参加となります。お寺や神社などが主催されているフェスティバルなので、お釈迦さま(ブッダ)についてのお話をお芝居にして、皆さんに見て頂きました。

2011年は、ブッダ御自身の誕生〜悟りを啓かれた後のお話を取り上げました。その時の「ブッダの物語」映像も前・後編に分けて、YouTubeで公開していますので、復習兼ねて、ぜひもう一度ご覧くださいね。

ちなみに今日の大阪での瞑想専科では「ブッダの物語」を上映し、脚本・主演のサナータナさんが熱ぅ〜く解説してくれはる予定です!京都では8月28日木曜日の瞑想専科にて上映しますので、お楽しみに!!

今回の「永遠のブッダ」は、ブッダとある弟子との物語です。取り上げられたテーマは、現代の私たちへのメッセージでもあります。(人は生まれ変わることができるのです!!)時代と空間を超えて、ブッダが教えられたことは、私たちへと伝わっています。

アクション・シーン満載のこの物語、私がこれ以上ネタバレしてしまう前に(笑!)、ぜひぜひぜひぜひご覧くださいませ〜。最後にはブッダの言葉の贈り物がありますので、最後まで見てね。

マーダヴィー


あなたは何を持っていますか?

残暑お見舞い申し上げます。 マーダヴィーです!

さてさて、わたくし事なのですが、今年の始めに実家を処分しました♪

住んでいたのは私一人だった(一軒家に一人暮らし!)ので、いつか家の処分はしなくちゃいけないな~と分かっていたものの、なかなかそのような大事には踏み切れず、いつでもできる、でも自分しかやる人いてないぞ、あぁかなり大変そうだ (TーT) ・・・と後回しにしてきましたが、とうとう「やるぞー!」と一念発起して実行しました。

大阪は住之江区の商店街から歩いて15秒の所にあった実家。めっちゃ下町です。ご近所さんとも家は違えど、一つの大きな家族のように育ってきました。今でも私を身内のように心配し可愛がってくれます。

誰もが生まれては死にを繰り返す輪廻転生の中で、自分自身で両親や環境を選んで生まれてくると言われています。私が生まれてきたところはちょっと事情のある家庭で、自分の手で解決しておきたい諸問題もあったので、それも含めてこの際一気に片を付けて、シンプルに生きるのだ~! と決心しました。

まずは、物理的な面での第一歩です。私は生まれてからずーーっと同じ所で暮らしてきたので、実家には相当の物があるのは分かっていましたが、ずっと見て見ぬフリ。自分の物は簡単に処分できますが、いざ開かずの扉を開けてみると、ありゃ~、出るわ出るわの大荷物。私の幼稚園の制服(大事に残してくれていたのね 涙)や、祖母の日本刺繍のお道具や大量の着物、はたまた20年以上も前に亡くなった祖父の3ピース・スーツまで綺麗なまま保管されて・・・ そして、いつか使うやろうと残してあったものの数々(ちょっと置いとこ~と思ってる物は、結局要らないのです)

・・・結局、家にあるものの98%の物を処分しました。

処分するのに一通り自分で目を通して、はいゴミ、これもゴミ、という風にガツガツ進めていきました。物を捨てる時に、例えば写真とか手紙とか、それらを見始めたらもうキリがないですよね。(みなさんも経験あります?) 色んなことを思い出したり、感傷に耽ったり……。 自分の物だけではなく、家族の物を見ても、その一つ一つに嬉しい思い出やら悲しい思い出やらがいっぱいくっついています。

感情が動くと作業は全くはかどりません。ただ事務的に、はい要らない、これも要らないという風に、ゴミ袋に放り込んでいくことをひたすら繰り返しました。その時につくづくと感じたのは「あぁ、かつて自分、又は誰かが大切にしていた物は悉く本当に無くなる。そして、それを大切にしていたその人もいなくなる」ということ。

この家だって建てられて60年近く経って老朽化し、解体されて無くなる。いつ誰が定めたかもわからない境界線で囲われたこの土地も、今は私たちの所有物だって言うけれど、すぐに他の人に譲渡されるし、そもそも初めからこの地球には境界なんてないのに、限定作って自分の持ち物だ~なんて主張して、ほんとバカげてる。

「だとしたら、この世界に自分の所有物と言えるものはあるのだろうか?」

という疑問がやってきて、思わずゴミを整理する手が止まりました。

でも次の瞬間

「自分の持ち物と言える物はほんとに何一つないけれど、“純粋な信仰” だけは持ってるわ!!!」と、答えがはっきり分かったのです!!

“純粋な信仰” が自分の唯一持ち物だ!と分かったとき、すーごく嬉しかったです。外側にあるいつかは壊れゆく物や、変わってしまう思いでもなくて、自分の内側にある“信仰”、それだけがどんなものよりも心の中に燦然と光輝いていて、何よりも大切で、自分の生命の源であり、それが私と言えるようなものだったと気がついたんです。

信仰と言うからには、何を信じているかという対象があります。私にとっては、神さまと真実です。(私は神さまが大好きです)

そして突然、中世に生きたミラバイのことを思い出しました。彼女も同じように、神への信仰だけを自らの持ち物とし、神だけを愛して、インドの大地に生きたのだと。ミラバイの魂が、時を超えて私の心に流れ込んできました。彼女は何も持っていなくても、どんな状況になっても、恐れるものは何一つなかった。それは神が彼女を愛し、彼女も彼だけを純粋に愛していたから。そんな愛の人を神さまは永遠に守るしかないでしょう。ねぇ?神さま。

自分が生きていくために必要最低限な物(+α+α+αくらい?結構いっぱいあるやん笑!)を実家から持ち運んで、今は暮らしています。無駄な物に囲まれているより遥かに快適!心も軽い!

以上、本日はマーダヴィーがお届けしました!
なお、もうちょっと続きがありますので、それはまた次の機会に~!


2014松山誰ヨガ 御礼!

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こんにちは! ミラバイです!

8月9日(土)、10日(日)と松山へ行ってきました! MYMはここ何年か毎夏に松山ヨーガ・サークルの方でヨーガのイベントをさせていただいています。今年は「誰もが実践できるヨーガ〜本当の自分を探して〜」と題し、一日目が講座「誰もの中にある真実」、二日目がキールタン「神の愛に触れる!」という、二日間通しての学びと実践を行なってきました。今回はそのご報告をしたいと思います。ちなみにこの二日間は台風がちょうど四国に接近していて、一時はどうなるのかな〜と心配でしたが、松山は本当にマジックにかかったように二日間とも会の間は台風の影響は全くなく、途中晴れ間さえ見えました。あぁ、これぞまさに神業!!

では早速一日目の講座から〜。
実は今回の企画は、今までとは違った点が一つだけありました。それは、松山ヨーガ・サークルのスタッフが、私たち京都のメンバーとともに講座やキールタンの講師として参加した、ということです。実際にしてみて感じたことは、参加される方も普段からクラスで慣れ親しんでいる先生が前で話すことでとても親近感をもたれたようでしたし、また普段は京都と松山とで離れて暮らしているため、時折会って話すだけだった私たちも、一つの企画をともに作り上げていく中で、互いにさまざまな気付きや学びがあったように思います。

一日目の講座は京都のベテランヨーギー・サーナンダさんと、松山ヨーガ・サークルでいつも朗らかに、かつヨーガ道にまっしぐらに邁進しているアーナンディーとの初コンビです!

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私個人的にもどのような掛け合いが生まれるのかなぁ〜と内心わくわくしていました。あまりにもたくさんありすぎて3時間の内容をここで詳細に書くことはできないのですが、講座は最初に心の仕組みやヨーガの全体像を学び、その後に、今回のタイトルともなっている「真実」とはいったい何なのか、それを実現していくためにはどうすればいいのかを一緒に考えていきました。真理の教えを的確に、分かりやすく説いていく頭脳派ヨーギーと、具体的な体験談を交えて親しみやすい話で心をなごませてくれる感覚派ヨーギニーのお話は、とても面白かったです。特に印象に残っているのは、ヨーガの教えの部分というよりも(すみません)、サーナンダさんとアーナンディーの体験談でした。真実という確かなものがこの自分たちの中に、誰もの中にあるということ、それを静かながらも力強く説かれている姿を見て、本当にそれを実感されているということを感じたし、また信仰というものをどのように深めていったのかという具体的な話は、来られていた方にとっても、とても参考になったのではないかなぁと思いました。……とまぁ、私の感想は置いておくとして、来られた方の感想のご紹介をもって、その内容報告に代えさせていただくことにします。

「本当の自分は神、愛であるというお話をお聞きして感動しました。いつの日かそれを実感したいと強く思いました」
「いつもざわざわしている自分の気持ちの落ち着け方が見つかったような気がします。ありがとうございました」
「最近ヨーガができていなかったけど、この講座をきっかけにまた実践していきたい」
「お二人の実践を聞いて胸が熱くなりました。サーナンダさんが確かなもの、アートマンが自分の中にあるということをお話しされていた時は、なんだか胸の奥がじーんとして、どうしてか分からないまま涙が溢れました。この場所にきっとアートマンがあると思って、大事に感じていきたいです」
「神に恋して実践あるのみ! 心を神で満杯にしたいと思いました」

会の後半、座りながらアーサナで少し体をほぐした後、

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ほんの短い間ですが、みんなで瞑想をしました。43名という参加でしたが、その人数の多さを感じさせないほど場はピタッと静まり、皆さまとても集中されていたように思います。

さて、講座を終えてアーナンディーからいただいた言葉を少しご紹介したいと思います。

「この企画は今年で3回目になり、サーナンダさんとミラバイさんには毎年、連続で松山にお越しいただいています。そのおかげでしょうか、チラシができる少し前に、このイベントについてクラスやメールでご案内したところ、皆さんから続々と予約が入りました。皆さんの参加理由は『ヨーガを深く学びたい』『テーマが自分にぴったり』『前回、参加してみて良かったから』などさまざまでしたが、京都からのお二人にお会いしたいという声もたくさん聞くことができました。お二人のヨーガへの純粋な情熱と誠実で優しい人柄にすっかり魅了され、毎年、お会いできることを心待ちにしてくださっていることを感じました。

参加者の方からは、嬉しい声をたくさんいただきました。私個人の感想としては、サーナンダさんとの打ち合わせの時間がとても大きな学びとなりました。私自身は毎回の打ち合わせが楽しみでしたが、いろんな課題をいただいてもなかなか思うようにクリアできない自分がいたのですが、そんな私に対して、サーナンダさんは一度も呆れたり責めたりすることがなく、もっと考えが深められるように丁寧に接してくださいました。その大らかさに何度も励まされました。また、お会いするたびにサーナンダさんがいつも変わらず真理だけを求めて、ヨーガの教えを生きているその真剣さを肌で感じることができ、本当に貴重な機会をいただきました」

 

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さて、二日目はキールタンです!

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こちらの会は慈愛と知性を併せ持つ看護師ヨーギニー・アミティと、わたくしミラバイとの初コンビで行ないました。今回歌った曲は「ナーラーヤナ」という神を讃える歌です。ナーラーヤナ神は原初の神ともいわれていて、この世界ーー太陽や大空や森や川、また私たち人間を含むすべての生きものを生み出した神ともいわれています。私たちの本質や存在にかかわる神だからなのか、心の奥にもぐっていくような瞑想的な歌でもありました。31名が参加してくださり、会が進んでいくにつれて次第に集中感が生まれていきました。時折目を閉じ、胸に集中しながら歌っておられる方がおられたり、また目に涙を浮かべながら歌われている姿を見て、私の心もとても大きく動きました。
皆さまのそんな様子もすごく印象的でしたが、それと同時に印象に残ったのが一緒に会を行なったアミティです。これまでこの会に向けて練習やミーティングを行なってきましたが、キールタンを実際に歌い続ける中で、アミティ自身にも変化が訪れてきているのが分かりました。キールタンでは神への思いを歌に込めるということが大事ですが、それと同時に調和もまた大切にしていきます。御名という一つのことに集中しながらも、同時に周りの状況をすべて把握していかなければなりません。ここでアミティからいただいた感想を少しご紹介したいと思います。

「約1カ月半、毎週末京都で、会の打ち合わせとキールタンの練習をしてきました。キールタンの練習では、歌声と、鈴やハルモニウムなどの楽器、その音程や音の大きさ、リズム、それらをよく聞き、すべてが一つになるようにしていきました。集中を途切れてしまってもそれには取り合わず、常に一つに集中させていくように。何度も練習を繰り返していく中で、すべてがぴたっと一つになった時、そこには調和が生まれ、歓びがありました。その歓びは、自分だけが歓んでいるというのではなく、私とか他者とかの区別もなく、ただそこには一つの歓びがあるのだというのを感じました。

当日は、最初は緊張気味だった参加者の方も、キールタンを繰り返し歌っていくことで緊張もほぐれ、だんだんと表情がいきいきとしてくる様子が分かりました。一人一人が神の御名を一所懸命に唱える姿は、本当に美しかったです。参加者の方と目が合うと、歓びがさらに湧き上がってくるようでした」

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また、会の中では、キールタンを歌うことによって神の甘美さを体感したという体験談を話してくださいました。何事も同じなのかもしれませんが、キールタンも一度だけではなく、何度も何度も歌い続けることがとっても大事です。神の御名に自分の心が完全に塗り替えられてしまうまで、理屈抜きに繰り返し続けることにが本当に大切。そうしていく中で神への愛も育まれていくことになるし、また神との触れ合いがやがて生まれていくことにつながっていききます。これからぜひ松山にキールタン旋風を巻き起こしてほしい! アミティの体験を聞きながらキールタンの力強さを改めて感じ、そのように思いました。

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さて、いよいよ終盤、キールタンは二部制になっていて、後半はトーク+Q&Aでした。

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最初は私自身がヨーガをしてきた中で気付いたことや、実践してきたことなどの体験談を話しました。Q&Aの時間は1時間ほどでしたが、心の動揺が起きたり人間関係の悩みがある時はどのようにしていけばいいのか、外側に見ている神を自分の内側にどのように見いだすのか、信仰心はどのように育むのかなどなど、いろんな質問が出ました。印象としては、とっても熱心にヨーガをされている方がすごく増えておられるなぁと思いました。質疑の時も真剣な表情で質問をされていて、その熱意に頭が下がる思いでした。

こちらも最後に皆さまからいただいた感想をご紹介します〜。

「自分の中にも人の中にも尊い存在の神が内在しているし、また宇宙神のような存在もあると思う。ヨーガを通していろいろと体験していきたいと思う」
「キールタンのことをよく知らなかったのですが、お話を聞くことができて、キールタンへの思いが変わりました。楽しく歌うことができました」
「言葉を失ってしまうほど、心が動きました。自分の中に神聖なものがあるのだと思って、そこを目指していきたいと思うことができました。とても嬉しかったです」
「キールタンに初めて参加してみて、瞑想と同じ状態になるという話を聞いてびっくりしました。実感は全くなかったのですが、そういう方法もあることが知れてよかったです」
「今年も参加してよかったです。仕事に忙しくて自分の中の真実に気づけない日々ですが、今日からまた少しずつアーサナ、瞑想、聖典の学習をがんばろうと思いました」

ご参加くださったみなさま、本当にありがとうございました。
二日間を通して何か少しでもこれからの生き方のヒントになるようなものを持って帰ってもらえたなら嬉しいなぁと思います。ヨーガって一日とか二日行なっただけでは変化を感じることも難しいかもしれませんが、地道にコツコツと続けていくことによって必ず心は変わっていくし、また必ず真実に近づいていくことができます。昨日よりも今日、より良い思いで心を満たしていくこと。そして勇気をもって少しずつの実践を積み重ねていくこと。そうすればやがて、私たちの人生が歓びに満ちたものに変化していくはず! これからもともにがんばっていきましょう! 皆さまとまたお会いできるのを楽しみにしています〜。

 

 


放射能のこと

こんにちは~。京の七夕に対抗するわけではないですが、東北の玄関、仙台では、8月6~8日、七夕祭りという大きなお祭りがありました!!私は6日に行ったのですが、毎年200万人の観光客がやって来るだけあり、多くの人でごった返していました。

この祭りは、伊達政宗が藩の文化を発展させるために始めたものだそうです。くす玉みたいな大きな飾りがアーケードにたくさん吊ってあって、それを見るだけなんですが、それぞれ個性があり、とっても華やか!!仙台の街って、広くてゆったりしていて、私は大好きです。人が多くてもゴミゴミした感じがないのがとってもイイ。

七夕まつり

賑やかな仙台に比べて、私のいる南相馬は閑散としています。ちょっとした街なのに、ひっそりしていて、最初に来た時はなんて寂しげな所だろうと思っていました。でも、今ではそれが当たり前になってしまいました。ここに来て一年と約半年。ただひたすら働いてきただけの単調な生活だったようにも思えますが、いろんな経験もしてきました。これまでの生活を振り返り、私が感じたことをこれから何回かに分けて書いていきたいと思います。

今でも友人や家族は私の体のことを心配してくれます。放射能ですね。たびたびニュースでも内部被爆のことが取り上げられていますから。でも体調はとてもいいです。私はミネラルウオーターも水道水も飲みますし、野菜はこの土地のものを中心に、他の所から仕入れられたものも食べます。どこでもそうであるように、ここの人たちも色々な考えの人がいて、全く土地のものを食べない人もいますし、風呂の水さえミネラルウオーターを使う人もいますし、反対に土地のものを優先して食べる人もいます。(食べ物ではないですが、今でも洗濯物を外に干さない人は結構います)京都では福島産の野菜やお米って目にしなかったし、きっとほとんど福島以外には出荷されないのでしょう。もし見かけたとしても、京都でわざわざ福島産のものは選ばなかっただろうと思います。

でも、なぜだか分からないですが、私はここに来て、以前よりずっと食べ物が大切に思えるようになりました。前は自分が食べ物を選べて当たり前だったし、どこかでそれらは無限にあるような気がしていました。でも、今は食べ物も水も自然も「すべては限りあるもの」という意識が強くなったように思います。だから、食べ物だけでなく、空気も人も、今日という日も、そして自分自身ももっと大切に思えるようになりました。

それでも、やはり原発のことは心配です。汚染水漏れのニュースを見るたびに、またか…と落胆しますし、地震が大きければ爆発を起こすんじゃないかと不安になります。そして、ここに来て心配なことが増えました。それは、原発や除染で働く人たちのことです。コンビニには除染の車がよく止まっていますし、業者さんたちが買い物をしている姿も見かけます。うちの病院にも健診に来られますし、入院している患者さんの家族には原発で働いておられる方もいます。ある入院患者さんの息子さんは福島第一原発で働いておられ、週の真ん中が休みらしく、いつも平日にお父さんの洗濯物を持って来られます。福島第一原子力発電所で働く人のことを、現場や地元の人たちはイチエフと呼びます。イチは第一のイチ、エフは福島の頭文字のF。看護助手さんたちから「息子はイチエフなんだって」と聞いて、最初は何のことか分かりませんでした。F1じゃなくて1Fなんですね。その息子さんは、最近ご飯が食べられなくなってきたとのこと。とっても痩せておられます。他の看護師が受診を勧めると、「もう、そういう体になってきたから」と諦めたように言われていました。現場は想像以上に過酷なようです。あの事故から3年、今もこうして最前線で働いてくれている人たちがいるからこそ、私たちの生活が守られている、それを忘れてはいけないな、と息子さんを見るたびに気持ちを引き締める私なのです。色々な人との出会いもまた、私自身が頑張って生きようと思う力になっています。ありがとう!息子さん。でもあなたの体は心配です…。

つづく
ユクティー


ヨーガの実践 「私は正しい?」

皆さん、こんにちは、下鴨ラージャ・ヨーガクラスを担当しているダルミニーです。

ある時、師はこうおっしゃいました。

「みんな自分は特別だと思っている」「みんな自分は正しいと思っている」

本当にそうだなと思いました。あなたも自分の考えは正しいと思っていませんか?私もそうでした。人はみな自分の経験と照らし合わせて、それと違うことは正しくないと判断するのです。「私は正しい、でもあの人は間違っている」それがこの世の争いの原因ですよね。

常識と言われるものもそうですよね。常識は世界各国で異なっています。日本では常識であることも他国にいけば非常識です。それは皆さんもよくご存じのことでしょう。常識と言われるものも本当はあやふやなものなんだなと思いました。常識と言われることも自分が正しいと思うことも、常に移り変わる人の心が作り出したもので、本当は実体のないものなのです。私たちも、みな誰かに評価されます。子供の頃から、まず親に兄弟たちと比較され、小学校に上がるとすぐに通知簿が付けられます。大人になっても上司や周りの人に評価され、それが私を判断する基準になります。

ところが師はおっしゃいます。

「物事の判断基準は、それが真理なのか、真理でないのかだけです」

では真理とは何でしょう?真理とは、永遠にあるもの、純粋であるもの、本当の幸せであるもの、本当の私であるものです。考えてみてください、およそこの世で永遠なものなどないですよね。私たちのこの身体もいつかなくなります。そして心も、いい時もあれば悪い時もあるし、いつも動揺して止まない、永遠に変らないものではありません。それを聞いて、私は本当に悲しくなりました。この世に真理なんてないんだと。
でもその後、師はおっしゃいました。

「誰もの中に真理はあります。それこそがリアリティです」

「この世の変動して止まないものを追いかけるよりも、自分自身の中にある真理を求めなさい」

私はその言葉に救われ、心が軽くなりました。今までの判断基準が間違っていた、自分をああだ、こうだと判断しなくていい、他者のこともあれやこれやと判断しなくていい、だってみんなが真理なのだから。それから私の判断基準は簡単になりました。「これは真理か」、この世で真理にあるものなどほとんどありません。それはすぐに捨てればいいのです。

しかし、なかなか言うことを聞かないのが私たちの心です。
そのためには、皆さん、これからが本題です。ヨーガのアーサナ、瞑想が不可欠です。すべては呼吸が鍵を握っています。呼吸を変えなければ心は変わりません。不動のものに心を寄せるには、心を不動にしないといけないのです。ヨーガは私たちの疑問にすべて答えてくれます。本当です。自分自身のことは自分で責任をもたなければいけません。誰もやってくれません。自分のことは自分でしましょうね。私もそうです。呼吸は一朝一夕には変わりません。毎日のアーサナと長い間の修練が必要です。でも必ず呼吸は変わります。呼吸が変われば心が変わり、真理を理解し深めていくことができます。
今の自分から自由になることができますよ。さぁ、今からアーサナをしましょう。


京の七夕

こんにちは、サティヤーです。京都では8月2日〜11日まで「京の七夕」というお祭りが行われ、堀川や鴨川では連日多くのイベントが行われています。そこで!4日の夜、三条鴨川の河川敷に行き、アーサナ・瞑想クラスの紹介をしてきました!三条の河川敷には竹かごの中に京焼き、清水焼の風鈴を入れ、LEDの明かりがともされた「風鈴灯」がたくさん置かれていています、お香の香りと風鈴の涼やかな音色が相まってなんとも幻想的な雰囲気で、多くの人が涼みに来られていました。

少し前にすてきなチラシを作っていただいたので、たくさんのお店に置いていますが、もう少しクラスに動きが出たらいいな〜という思いがあり、実際にアーサナがどんなものか、できるだけたくさんの人に見てもらい興味を持ってもらう機会になればと計画しました。また、NYで行われている『PROJECT SAHASRARA』http://mahayogi.org/sahasrara/ にもヒントをいただきました。

 

京の七夕

本日、7日(木)21時頃にも三条河川敷で行うつもりですので、良かったら遊びにきてくださいね〜!

サティヤー