ブッダの新しいメッセージ

自由というのは個人の心の問題でもあり、社会や世界の問題でもある。
インドが長らく求めてきた自由(解脱)は、太古には至って個人的な問題であった。そこに集団的要素を持ち込んだのは、かのブッダである。
ブッダは、それまで個々の修行者が世間を離れ山林独居しながら行なっていた苦行や修養に、弟子たちが集団となりサンガ(僧伽、集い)を形成して互いに切磋琢磨し良い刺激を与えながら行なう形態を導入した。このサンガ(僧伽)が、現在の「僧」の語源である。今ではそういった集団的修養は当たり前のようになっているが、ブッダの時代にはそうではなく、彼が起こした画期的な変化であった。
しかし目指すべき自由、悟りというものは、やはりあくまでも個人的な問題である。集団が同時に悟るというわけにはいかない。それにもかかわらず、ブッダがサンガという方式を導入したのには、非常に本質的で、今なお新しい洞察や直観が含まれているように思う。

現代になってますます大きな問題になっているのは、世界規模での気候変動や環境問題、そして国際的平和の実現やグローバル経済における好不況である。それらは全世界的な問題であると同時に、個人の心や一つの企業、一つの国の問題でもある。環境破壊は世界規模の問題でありながら、一人ひとりの心、考え方、生活の仕方が変わらなければ決して解決しないし、政治や経済の問題も一国だけで片付くものではない。むしろ一人ひとりの欲望や各国・各企業のエゴがそうした問題を引き起こしているといえる。
それに対して、私たちは未だに有効な解決法を見つけていない。だが、個人の問題が集団や世界の問題でもあるということを考えると、ブッダが導入した集団による目覚めへの道という画期的方法が、今なお新しい、未来への解決法を示してくれているようにも思えてくる。

それは、私たち一人ひとりが欲望から自由になることでしか世界の問題を解決することはできないということを意味するとともに、世界がサンガとして学ぶことによって個々の目覚めが起こりうるということを示している。つまり、個の目覚めとともにサンガ(集団)の目覚めもあり、それは現代的な文脈で言えば、世界としての目覚めもありうるということではないだろうか。

そこで大事なのは、集団が単なる個の集まりではなく、サンガでなければならないということだろう。互いの利害を理解して調整するという単なる横の関係ではなく、個々の深い本質と世界全体の深い本質が一つにつながったところから行動を起こす垂直的な関係。それが個のエゴを離れた自由であり、エゴを棄てた献身、世界・他者そして真の自己への奉仕になる。
私たちは一体何ができるのか? 物理的にも時間的にも私たちの肉体的・心理的存在は限られている。しかし、その個我を超えることができるならば、限定を超えた献身と奉仕が可能になるのではないか? そしてそれこそが真の自由ではないだろうか。ブッダは、弟子たちのほんの小さな集いを作った時から、そうした人間の本質を見抜いていたように思える。それがまた今、人類が一歩前に踏みだすための新しい意識と生き方としてメッセージを発しているように感じる。

サナータナ


東京 2days by Sakti ダイジェスト公開!

こんにちは〜! マーダヴィーです。

猛暑到来!みなさん、夏バテしていませんか?

さてさて、今日は、新しい映像公開のお知らせでございます〜。

ところで、MYMには映像部門があるのをご存知ですか? えっ、そんなんあったん?という方も??
あるんです! その名もパラマハンサ・ピクチャーズ、略してPPS!
2011年から「Sakti」「Epiphany(聖性示顕)」2つのシリーズで映像を制作し、YouTubeにて公開しています。

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※白鳥さんが新しくなりました♪ 今にも飛び立ちそう!

PPSが今回お届けするのは、シャクティのミラバイとジャヤデーヴヴィーが東京で行なった、ヨーガ特別クラスのダイジェスト映像です。(7月12日ラージャ・ヨーガ/アーサナ・瞑想クラス、7月13日バクティ・ヨーガ/キールタン・ワークショップ。その他のシーンもあり)

「ラージャ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、二つのヨーガを体験してもらいたい、そしてその目的は同じであることを伝えたい」というミラバイとジャヤデーヴィーの願いと、東京の仲間たちの熱~い思いから実現したこの機会。その2日間の様子をまとめています。

ラージャ・ヨーガとバクティ・ヨーガのクラスって、面白い組み合わせ♪ そしてその二つのヨーガでは、やっていることはまるで正反対のように見えるけれど、目指している目的は同じなのですね。ふむふむ。

ラージャ・ヨーガでは、身体と呼吸を調えて、心の働きを静め、本当の自分に目覚めます。アーサナ、瞑想が位置づけられている王道のヨーガと言われる道ですね。そしてバクティ・ヨーガでは、神を愛することで神と一つになる、愛のヨーガと呼ばれる道です。キールタンは、ただただ神の御名を唱えるというもの。超簡単で誰もができることです。

一方では心を静止させ、一方では心を神や愛で充満させていく・・・そのいずれもが、私たちを “本当の自分” であるところの “神性” を目覚めさせるよう導いてくれています。

何それ?(言っていることが全く分かりません、という声が聞こえてきそう汗) そもそもそんなことってあり得るの!?と思うのですが、それを実現していくためにはやっぱり、師から正しい教えを学び、実践するということが不可欠です。

私自身、尊敬する先生のもとでこの10年程ヨーガを学んでいる中で、心を静める道と愛を深める道がやがて同じ一つのところに終結していくんだと分かってきました。

自分は完成にはまだまだほど遠いのですが、それでも、心が静まった時に現れる光り輝く尊い存在にただただ圧倒され、純粋そのものである神を愛することだけで自分の心までもが純粋になり、神の愛に歓び震え、ある時には、神々しい神の姿を目にしその美しさに我を忘れてしまう・・・
そのような瞬間・体験を重ねながら、「神は本当に実在するんだ」「自分の内にある尊い存在と、神という存在は同じものなんだ」ということを今は実感しています。

この映像の中で登場しているミラバイとジャヤデーヴィーも、アーサナや瞑想をみーっちり実践し、同時に神への愛を深める中で実感することがたっくさんあるに違いないので、それは今週金曜日(8/1)に大阪のプリヤメーラさんで行なわれる、バクティ・サンガムで直接聞いてみてくださいね (○゚∀゚)♪♪

それでは、前置きが長くなりましたが「Sakti vol.7 – 東京 2days ダイジェスト」お楽しみくださいませ〜。

マーダヴィー


人生が始まる

ヨーガを学び始めてから2年か3年かたった頃、「やっと自分の人生が始まったのだ」と感じたことがあったように覚えている。
20代が幕を開けたばかりの頃である。

僕は、小さな子供の例にもれず、「なんで〜は…なの?」を連発して大人を困らせるような子供だったと思う。
子供の問いは恐ろしく素朴で深い。
おそらく中学生の頃に最も不思議に感じていたことは、「どうして一人ひとりの人間に意識というものが宿っているのか」ということだった。
コンセントにつながれているわけでもないのに、この意識はどこからやってきているのか? そして一人ひとりが別の
意識をもって動いている(ように少なくとも見える)のはどうしたわけなのか?

たぶんとても奇妙な問いだったと思う。
一応自分なりに考えて答えを出してみたが、その真偽を確かめるすべはない。
きっと大人になったら分かる。
少なくとも、頑張ればそういったことが分かるような道具(知性)をもつことができるだろうと思った。

ところが、大学生になり20歳も超えて大人の仲間入りを果たすと、それとは別の不思議な現象が起こっていた。
今こそ、本当に知りたかったこと、本当にやりたかったこと、本当になりたかったものに、やっと挑戦できるだけの能力と機会が開けようとしているのに、友人たちは早々に諦めたような選択をしようとしていた(ように僕には見えた)。
自分にしても、問いは答えがないという焦りの中に蓄積していくばかりで、むしろ社会に飲み込まれるデッドラインが迫ってきていた。
友達とのつきあいや、大学での学問、有名な哲学者の本にも答えはなかった。
本当に知りたかったこと、本当になりたかったものを諦めるのが大人になることなのか?
僕の問いは相変わらずとても抽象的だったが、自分自身にとっては、今日食べるご飯があるかないかというくらい具体的に感じられていた。
「この見えている世界は本物なのか? この世界の正体が、バリバリと壁紙をはがすかのように見えてきそうなのに、どうして見えないのか? どこまでいってもそれは分からないことなのか? 」
ギリギリのところで反発を試みた。
インドとネパールに行き、中国やチベットに行った。
そしてその間にヨーガを始めた。

「窮鼠猫を噛む」ではないが、ギリギリまで追い込まれた心の力(決意)はすさまじかった。
「自分の全存在を懸けた一撃を打つ」という気魄だった。
ヨーガを始めてすぐさま問題が解決したという自覚があったわけではない。
しかし確実に解答に向かう列車に乗っていた。

そして数年がたった頃、「やっと自分の人生が始まったのだ」と感じていた。
知りたかったことを教えてくれる人がいて、自らそれを知るすべもある。
「自分のやりたいことと、自分がやるべきことと、世界の真実が一致している。こんな幸せなことはない」と思った。
今でも時折思うことがある。
もしタイムマシンがあって昔の自分に会えるなら、こう言ってやりたい。
「何も心配するな。お前は自分がなりたいものになるよ」

20年前に僕の人生は始まった。
それから一切のことが革命的な速さで進んできた。
それと同時に、もう一度、人生が始まる予感がしている。
まだ何も成し遂げてはいないし、有り体に言えば、まだ死ぬわけにはいかない。
個人としての人生(自我意識)はもう終わってしまって構わないし、終わらせにかかってもいるのだけど、それと同時に、すさまじい力で生き始めようとする何かがあるのも感じるのである。
それをどう言うかは、まだはっきりしない。

サナータナ


瞑想専科 ブレない自分の本質に瞑想する

こんにちは、サティヤーです。毎週木曜日、ウイングス京都での瞑想専科に参加しています。先々週から瞑想の対象は「真我」、三週かけて一つの対象の瞑想方法を学びます。真我の瞑想は「私は誰か」という問いかけをもって瞑想をしていきます。「本当の私」って興味ありますか?ある人もいるでしょうが、私は正直よく分からないなぁと思っていました。「私は誰?って、私は私だよ」という感じ。これじゃあ全然瞑想になりそうにないですよね……。

ですが、せっかく瞑想専科に通うんだからと今までの「よく分からない」という感想は置いておいて先週の講義の後から一週間一所懸命「私は誰か」の瞑想を試みていました。一週間経った感想は……うーんやっぱり手応えはないなぁという感じ。

そして今回、真我の瞑想2回目の講義に参加しました。本当の私というのは、「第四の意識」と言われ、起きているときの意識、夢見の意識、熟眠の意識をただ知っている、見ている純粋な意識。瞑想中はそこに留まるようにと言われました。

瞑想を始めました。

「第四の意識ってどこにあるんだろう?」

「っていうかこの第四の意識を探しているのは誰なの?」

「この第四の意識を探している意識がまず本当の私ではないってこと?」

初めはこんな感じで、「???」という状態からスタートしたのですが、あるとき、上手く言えないのですが、本と本の間のような微妙な隙間にすーっと入っていくような感覚がありました。

しばらくして集中が途切れかけたとき「あ!身体や心には私のものという感覚があるけれど、意識(第四の意識)には私のものというようなものはないのだな」という感触がありました。けれど、それに気がついた心の方には「それではない!」と目を向けず、また浮上するように、見ている意識の方に集中してみました。初めて、ほんのちょっとですが真我の瞑想の一端に触れたような気がしました。

その後の講義で、第四の意識は別名「神」と言われている……ということは、本当の私は「神」なの!!!と参加者みんなで目を白黒させて驚きました。神は、どこかの雲の上にいる訳ではなく、私たちの本性、だとすれば何だかとても嬉しくなります。

瞑想によって知ることができる内なる世界は外にあるものとは格段の違いがあり、奥深く、興味深いです。瞑想専科のおかげで、少しずつ瞑想が楽しくなってきています!!あー今週も楽しみだ。

瞑想専科 京都


東京ヨーガ体験特別クラス2days! 無事終了〜!

東京に行ってきました〜〜!

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おっと、失礼いたしました。ご挨拶が遅れました。こんにちは! ミラバイです。
7/12(土)〜13(日)、東京にてラージャ・ヨーガとバクティ・ヨーガを体験できる特別クラス2daysを行なってきました。行く前に私たちのヨーガの師からは、「もちろん新幹線はサリーで行くんやな〜!」とにっこりと笑顔で言われ、いつもながらの師の大胆な発想に思わず、えぇっ〜〜???と思いましたが、それもそうや、せっかく行くなら着ていこう〜ということになりました。(お上りさん気分でハイ、記念撮影)

東京駅に到着すると、ヨーガの仲間たちがホームまで出迎えてくださいました(ありがとうございます!)。さらに電車に乗って、まずは井の頭公園でキールタン。この日の東京は快晴で本当にいいお天気! じっとしていても汗が噴き出すほどでした。

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公園にはちらほらとマーケットが出ていたりして、ご家族連れの方やお散歩中の方がいらっしゃいます。少し場所を見つけて座り、キールタンを歌っているとソロリ〜ッとちらしを取っていってくださる方や、少し離れてじーっと聞いてくださっている方、また側に来て一緒にキールタンに挑戦してくださる方たちもいらっしゃいました。今回の東京2daysには参加できないけれども、キールタンだけでも聞いてみたいという方が来られたりして、10名くらいで汗を流しながら?キールタンを歌いました。

さて、その後はごろっと雰囲気を変えまして、いよいよアーサナ・瞑想クラスです! 会場は高井戸区民センタ−。

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普段からアーサナを実践されているメンバーや、またヨーガを始めて間もない方など12人の方が来てくださいました。クラスの途中からみんなの集中感がグンっと高まっていくのが肌で感じられました。アーサナではタパスという熱を生じさせることがとても大切だといわれています。最初はポーズの形を覚えるのにも必死で、呼吸すらできないこともよくあるのですが、少しずつポーズに慣れてくると自分の限界までさらに追い込んで行なっていくことになります。その時には苦痛を感じたり、内的な熱が生じたりするのですが、その熱によって不純物を焼き尽くしていくことが大切なのです。そのタパスが皆さんの中で起こっていたのでしょうね。会場の中が熱気を帯びていました。

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アーサナが終わった後は皆さんピタっと止まったかのようにとても集中して瞑想をされていました。
最後に円になって話をした時には、ご自身でもそれを感じられた方がおられたようで、毎日このように集中してアーサナをしていきたいと改めて思ったという感想も聞かれました。また一つ一つのポーズと呼吸を丁寧にすることによって、心が落ち着いていくのを感じられた方もおられたようです。退出時間ぎりぎりまでみんなでいろいろ話しました。
そして会場を出ると、わあっ!光り輝く満月! なんだかこの日はひときわ大きく見えます。

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しばしの間みんなで佇み、美しいお月さまを鑑賞したのでした。

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さて、2日目! キールタンの日です! 昨日行なった高井戸のお隣の駅にある久我山会館にてWSです。

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この日は17名の方がご参加くださいました。キールタン初体験の方や、キールタン大好きな方などいろんな方がいらっしゃいます。もともと今回、東京で2daysをすることになったきっかけは、東京でぜひキールタンをしたい!という、一人のヨーガ仲間の熱い願いから始まりました。ヨーガを行なっていく中では、さまざまな体感をすることがあります。アーサナや瞑想では自分の体の不調和が改善されたり、心がとても穏やかになっていったりしますし、また日常生活でもそれまで抱えていた悩みがなくなり、軽やかに生きていけるようになります。そしてキールタンにおいては、これまで自分が経験してきたようなこの人生の中における喜びとは別格の、とても深い歓喜を味わうことがあります。神の御名を繰り返すというキールタンでは、その神に直接呼びかけ、語りかけることになるのですから、そこではその神との交流が生まれ、神ご自身の属性でもある歓びを体感していくことになるのです。それをぜひ東京のみんなにも味わってほしい! 少しでも多くの人に体験してほしい! そんな彼女の強い願いがこの企画を推し進めていました。それはもちろん私たちも願っていたことでもあります。

最初は緊張気味だった皆さんも会の終盤には少しずつほどけ、笑みがこぼれ始めるのが見えました。みんなで何度も何度も長い間御名を唱え続け、少しずつ大きな合唱になっていきました。私はこの企画を熱心に進めてきた彼女が涙を流して歌っているのを見て、とても感動しました。その瞬間、私は自分が歌っているのか、誰が歌っているのかが、分からなくなってしまいました。たった一つの神の御名の下に、すべてが溶け去っていくかのようでした。
参加された方は、とても楽しかった、もっと歌いたかった、瞑想的だったなど、いくつかご感想をいただきました。後日、参加された方から嬉しいメールをいただいたので、ここに紹介させてください。

「東京でキールタンという夢が叶い、私も本当に楽しい1日を過ごさせていただきました。思い切り歌わせていただき、終わってしまうのが悲しいくらいでした。
歓喜というのは神様なんですね! なんてすてきなことでしょう。もっと神様の懐に飛び込もうと思いました。キールタンを歌っていらっしゃるお二人の歓びに満ちたお顔を見て、私もきっとそうなりたいと思っています。私は、リーラーという言葉(神の遊び戯れの意味)が分からない、分からないと言っていたのですが、今回少しだけ分かった(だとよいのですが)ような気がします」

「2日目のキールタンの日は帰ってからなんだか体がとても軽く、家の用事がスイスイはかどってビックリしました! 神様の御名で体が軽く感じられたりするのでしょうか…?! 不思議です。
キールタンはとても楽しくて、教えていただいた歌を毎日ノリノリで歌っています」

 

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……ねぇ! 本当に良かったです!!

2日間を終えた最後の日には、みんなで交流会〜〜〜〜! まぁ、なんとも健全に、お水でかんぱーい!

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もちろん、ヨーガ談義で3時間もわいわい盛り上がりました!(貸し切りなので大丈夫!)
本当に充実した2日間でした。今回は東京2daysに向けていろいろと準備をするにあたり、東京の仲間たちが努力を惜しまず、本当に走り回ってくださいました。多くの人の力をお借りしたと思います。皆さまのおかげで無事終えることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

また、しようね!!

 


PROJECT SAHASRARA

マハーヨーギー・ヨーガ・ミッションにはニューヨークにも拠点があるのを存知でしたか?
そちらでは『PROJECT SAHASRARA   “I” Exist Here and Now.  Where are you?』なるプロジェクトがスタートし、先日そのフォトダイヤリーのWEBサイトが立ち上がりました!

PROJECT SAHASRARA
http://mahayogi.org/sahasrara/
さて、どんなプロジェクトなのか? こちらをご覧ください。

サハスラーラ・チャクラのモティーフは、京都ミッションの発足時に、私たちの師が「ヨーガのシンボルになるようなものを」とデザインを考案されたもの。それをもとにニューヨークのアーナンダマーリーやヤショーダーたちが新たにシンボルを制作しました。彼女たちはデモンストレーションの前日、エンパイヤー・ステートビルの一室で完徹し、その直前まで作業をしたそうです。
思わず引き込まれるインパクトがあります!

ワシントン・スクエア公園(グリニッジ・ヴィレッジ地区・NYU/ニューヨーク大学隣接)の雑踏の中。これらの写真の中で集中感のあるアーサナ・瞑想を行なっているのは、3年ほど前にニューヨーク・ミッションにやってきたサーディヤーとナンディーシュワラの二人。
初回には、ベンチに座って二人の様子をスケッチする人の姿もあったとか。

“I” Exist Here and Now.  Where are you?
このメッセージには、いくつかの意味がひっかけてあるそうです。
(英語力と感じる力が問われるような…..)

インスピレーションによって生まれたというこの『PROJECT SAHASRARA』。
どんな展開になっていくのでしょうか?!
印象的な写真がこれからもアップされていくと思いますので、時々のぞいてみてくださいね。
(注:英語ですけれど)

WEB担当マードゥリーでした。


ヨーガの実践、「苦手意識をなくす」

皆さん、こんにちは、下鴨ラージャ・ヨーガクラスを担当しているダルミニーです。

ラージャ・ヨーガクラスでは、この身体を使って、呼吸を静め、心を静め、本質としての自分を取り戻すということを目的にヨーガを行なっています。

呼吸と心は表裏一体、深呼吸をすれば心が落ち着くのは、みなさんもよーくご存じのことですよね。ヨーガはその呼吸に着目し、呼吸を変えることによって、心も変えられるということを発見したのです。心が変るってすごくないですか?こんな私、あんな私、いいところも悪いところも一生のお付き合いと諦めていませんか。ヨーガと出会って、そしてヨーガの師と出会って、心を変えることができると知って、すごく驚き、そして嬉しかったことを思い出します。

心はいつも外界の刺激にさらされて波だっています。ヨーガを行じることによって、心は不動の状態を取り戻し、本当の自分、存在としての自分を浮かび上がらせていくというのです。それをぜひぜひ実現したい、その一心でヨーガを実践しています。

みなさんはご存じでしょうか?人はみんな狭い狭い自分の経験した、自分だけの小さな心の世界に住んでいることを。そしてその世界に住んでいることは苦しいこともあるけれど、慣れ親しんだ楽な世界でもあるのです。私たちはそんな限定されたものではないと、ヨーガの師は教えてくれます。限定された狭い世界に住み続けたままでいいのですか?ヨーガによってもっと広大な自分の中の宇宙を感じてみたいと思われませんか?私はこのままの狭い世界に住んでいる自分が、本当にいやになってしまったのです。

この心が作った狭い世界から脱出するためには、あえて「苦手なことをする」ことが、そのきっかけになると師は教えてくださいました。苦手なことしたくないですよね。心はすごく嫌がるんだものね。だって苦手なんだもの。かくいう私は、今まさに苦手なことに挑戦しています。それにはすごく勇気がいります。その勇気はどこからくるのでしょうか。私は自分を変えたい、そして本当の自分に戻りたいと、強く、強く、それだけを願っているのです。

みなさんも苦手なこと、やってみてください。もっと、もっと自分の可能性を信じることができるはずです。私は苦手なことに挑戦し、その成果をお伝えしたいと思っています。

ダルミニー


あるヨギの自叙伝

こんにちは〜、サティヤーです。今、何年ぶりかに『あるヨギの自叙伝』を読んでいます。

あるヨギの自叙伝

読んだのは3回目ですが、不思議と初めて読むような、何度読んでも新たな発見があります!みなさま読まれたことはありますか〜!?

あるヨギというのは、インドの聖者スワミ・ヨガナンダのことで、この本は彼の自叙伝です。彼は11歳で母親を亡くし、そのころからヒマラヤにいる聖者(ヨギ)に会いたいという思いが高まります。何度も家を飛び出しては、霊的探求を導いてくれるグル(師)を探し求め、多くの聖者の元を訪れました。インドでは、生涯をかけてグルを探すと言われるほど悟りを得るためにグルの存在は絶対に必要なのです。

17歳の頃、彼はベナレスの市場の狭い路地でキリストのような一人の聖者に出会います。彼こそが、ヨガナンダが長年探し求めていたグルである、スリ・ユクテスワだったのです。

(出会いの場面から)

スリ・ユクテスワ「お前に私の無条件の愛を贈ろう。お前も私を無条件に愛してくれるかね」彼は子供のような信頼のまなざしでヨガナンダを見つめます。

ヨガナンダ「先生!私は永遠に先生を愛します」

スリ・ユクテスワ「世の常の愛は、我欲や自己満足に根ざした利己的な愛だ。しかし、神は無条件で限りがなくいつまでも変わらない。この(神への)純粋な愛に徹したとき、人の心は初めて波乱や動揺から解放される」

グルと弟子の出会いのシーンは感動的!さてさて、まだまだお話は続くのですが、これを読んでいて、グルへの無条件の愛って何だろう……と考えました。

この対話の後に、スリ・ユクテスワはヨガナンダに実家に帰るように命じますが、家を出て修行をしたいヨガナンダは師の言うことを聞かず、自分の考えを通して帰らないと言い張ります。そこを読んでいてはっとしました!ヨガナンダは先ほど「先生!私は永遠に先生を愛します」といっているのです。でも、さっそく言われたことに聞く耳をもっていません。なんだか矛盾しているような……。

その対話を通じてグルを無条件に愛するということは、グルの言うことを素直に聞くということなんだと気づかされました。

「私はおまえの進歩だけを期待している」別のシーンでスリ・ユクテスワはヨガナンダに告げています。グルは弟子の進歩だけを考えくださっているのです。だからこそグルの言うことは素直に従うことが大切です。(この出来事の後から、ヨガナンダは師の言うことを素直にきくようになりますよ!)

私自身、グルからいただいている言葉があります。その言葉を大切に、誠実に実践していくことが、グルへの無条件の愛につながるんだなと感じました。そうだとしたら、どこにいても、いつでも愛することができるということなのです。

私が言われていることは、「神を愛すること」日常の中で、仕事の中で、瞑想の中で、常に神を愛していこうと思いました。

まだまだヨガナンダの自叙伝には続きがあります。それはまた今度、ご紹介できればと思います。


さまらさの台所・夏だ!インドカレーだ!

こんにちは。サラニーです(^^)/
ジャヤデーヴィー、東京での『ヨーガ体験特別クラス2days!!』のお知らせありがとうございます!楽しみですね!!
7月になりました。七夕祭り、祇園祭り、夏休み。。。そうです。夏がやってきます!カレーが食べたくなる季節ですね。ね!ね!そこで、さまらさの台所、7月は、インドカレーをします!

メニューはひよこ豆のカレー(チャナマサラ)と夏野菜を使ったサブジ(カレー炒め)。

メイン講師は、普段から美味しいインドカレーを作って、みんなを元気にしてくれる、サティヤー。わたしも、サティヤーに手ほどきを受けながら、本番に向かって、インドカレーを作っています(*^_^*)

インドカレーと言えば、「スパイス」! スパイスがぴりっと効いたカレーを食べると、よっしっ!と一気に元気になります。その元気の素、スパイスはお料理に風味をつけるだけでなく、身体の調子を整える薬の働きをすることをご存じですか?例えば、身近なところでは、黒胡椒があります。これは、強い香りが生臭さを取り、食欲を増進させ、消化を促す作用があります。また、カレーを鮮やかに色づけている黄色いスパイス、ターメリックは、消化作用、抗菌作用があるので、薬として使われます。日本では「うこん」の名前でも知られています。

先日、スパイスを使って、カレーを作っていてふと、思ったことがあります。インドにも、日本にも、どこの国にも、人々は植物の薬効を知り、食物として、薬として、怪我の治療薬として、植物を用いてきた長い歴史があります。それらは、知恵と経験と努力の上に今に引き継がれてきたことでしょう。毒草を間違って食べて、命を落とし、そのことで学んだこともあるでしょう、そのような計り知れない、歴史と命のおかげで、私たちは今、安全に食物を摂る事ができています。私たちは健やかに過ごすことができています。食材に、それを育てた自然や人々に、目の前の食事に食事を作ってくれた方に感謝するのはもちろんですが、こうして脈々と受け継がれてきた先人の知恵と歴史への感謝を忘れてはいけないと思いました。丁寧に毎日、毎食のお料理を作っていこうと思います。

インドには数十種類ものスパイスがあるそうです。さまらさでは日本で手に入りやすいスパイスをつかって、シンプルで美味しいカレーをつくります。スパイスの基本的な使い方を学んだら、すぐにお家でもインドカレーが作れます!!是非ご参加くださいね
さまらさの台所の詳しくはMYMのWEB SITEをごらん下さい。 http://www.mahayogi.org/samarasa/index.html

ひよこ豆のカレー(チャナマサラ)、夏野菜を使ったサブジ(カレー炒め)、チャパティ

ひよこ豆のカレー(チャナマサラ)、夏野菜を使ったサブジ(カレー炒め)、チャパティ

写真

スタッフのサティヤーと森岡さん。撮影はサラニー。笑顔でご参加をおまちしています(^_^)v

 


さまらさの台所・6月

先週の日曜日にさまらさの台所がありました。
今回のメニューは「なす料理いろいろ」ということで3種類のなす料理を作り、
みんなで一緒に食事をしました。

なすの揚げ浸し、なすの田楽、なすのナムル

なすの揚げ浸し、なすの田楽、なすのナムル

スーパーに並んでいるなすが日に日に大きくなり、いきいきとしています!旬ってこういうことなんだな〜と改めて感じますね。はじめになすを含め、これからの時期買うことが多い、夏野菜の選び方や保存方法をみんな学びました。

どの野菜にも共通していますが、色が濃くて、表面にハリとツヤがあることが大切。鮮度はへたを見て、みずみずしいものを選ぶと良いでしょう。同じ大きさならずっしりと重たいものを選びます。(水分が多い証拠)暑い夏に旬を迎える野菜は寒さに弱いので、保存するときは、野菜室か冷暗所に入れて3−4日で食べきる方が良いようです。

参加者がいつもより少なかったこともあり、食事の後はみんなでゆっくりと話ができました。さまらさの台所に通いだして半年ほどの参加者は、毎回参加するたびに驚きと学びがあると言われていました。今まで当たり前のようにしていた調理法は、「なぜそうしているの?」と聞かれると理由は分からず、していることがたくさんあったようです。さまらさに参加することで、「そうするものだ」と思っていたことが単なる思い込みだったのだと気が付くことがたくさんあったようです。小さなことですが、自分の勝手な思い込みに気がつくことで、思いに執われずにすみ、結果として少しずつ自由になっていくのだと思います。それは調理を通じて日常のあらゆることに応用ができると思います。

私自身も、「観念」という言葉を初めに理解したのはさまらさの台所を通じてでしたので、参加者からこのような言葉をいただいてとても嬉しかったです。

さまらさの台所6月

次回のご案内
メニュー:インドカレー
ひよこ豆のカレー(チャナマサラ)夏野菜のサブジ(カレー炒め)

日時:7月11日(金)19:00〜21:00頃
場所:大阪クレオ中央館
日時:7月27日(日)11:00〜14:00頃
場所:京都ヨーガ・ヴィハーラ
参加費:3,000円
要予約(開催日の3日前まで)
mym.samarasa@mahayogi.org
075-802-3799